夜話の果てに迫る影 男は怖い話にはまっていた。洒落にならない怖い話や意味が分かると怖い話をネットで調べて読み漁り、エンタメとして消化していたのだ。もちろん自分でそういった経験をするのはごめん被るが、読み物としてはかなり面白い部類に当たると思っていた。
長編ものの読了感はまさしく長編小説を読んだ後の様で、たまにある作りものだとわかる小さなミスすら面白い。
そんな毎日を過ごしていた頃、たまたま仕事の残業で帰宅が遅くなった。男はできるだけ自炊するタイプではあったが、仕事でヘトヘトとなればそんな気力もなくなる。その時ちょうど今時見ることも少なくなった屋台のラーメン屋を見つけて、好奇心と空腹に導かれるまま入ったのが彼との出会いだった。
「いらっしゃい」
店主は想像に違わぬ声色で男を出迎える。そしてメニューを指さした後、男の他にいた、ただ一人の客へラーメンを提供した。湯気の立つそれは見ているだけでも空腹の胃袋を刺激し、香ってきた醤油の匂いですっかり醤油ラーメンが食べたくなる。
男がメニューを見ながら一通り注文をすると、一席を開けて座っていた彼が話しかけてくる。
「常連って感じでもないね。この店は初めて?」
「え、はい。たまたま目に入って」
「そりゃ幸運だ。うまいよ、ここの店。こんな時間にわざわざ遠出して食べに来るくらいにはね」
彼はそう言って人好きのする笑みを浮かべた。
髭を生やし年だって男より上に見えるのに、気安い態度は話しやすく、ラーメンが出るまでの少しの時間ですぐに仲良くなった。何より、男と彼は趣味が似ていた。すなわち二人とも怖い話が好きだった。
「いろんなサイト見あさってるんですけど、最近似たような話ばっかり見るようになってきて」
「まぁ、ネットだからねぇ。真新しいの聞きたきゃそういうライブとか行くしかないね」
「やっぱりそうですよね。本当はもっとカジュアルに楽しみたいんですけど……」
もちろん話のプロがする怪談は面白いのだろうし興味はあった。でも家のベッドで寝ころびながら読む怪談もそれはそれで良さがあるものだ。
要するにだらだらしながらラジオだとかで聞ければなぁ、と高望みをしている。
「なら、今度来た時私の怖い話でも聞く?」
「え、いいんですか?!」
「ま、会えれば、だけどね」
彼はそう言って肩をすくめた後、代金を払って屋台を出て行った。話しながらだったせいで麺はすっかり伸びていたが、それでもおいしく感じられたのは新しい友人と時期未定の予定が立ったからかもしれない。
男が次に彼と会えたのは、最初に会った日から二週間経った後だった。
話が気になっていた男は同じような時間に足繫く通っていたがなかなか会えなかった。彼の口ぶりから屋台の常連であろうことは分かっても、さすがにどのタイミングで来ているかなんてわかるはずもない。その日もすっかり常連になってしまった屋台でまた会えなかったかと思っていた時、「あれ、いつぞやのサラリーマンさんじゃない」と後ろから声がかかった。
「あ、どうも!」
「もしかして通ってた? ごめんねぇ、仕事忙しくって」
男はこの時、名前も何も名乗っていないのだと気づいたが、それでもよかった。それが良かった。なんだか秘密の関係みたいで、物語の中にあるような関係性が男のいわゆる少し幼い部分を擽った。
彼は注文を終えた後、「じゃあ早速、話をしようか。随分待たせてしまったみたいだし、素人で悪いけどね」と前置きをして話し始めた。
これはまぁ、私の実体験なんだけどね。
私、いわゆるシェアハウスをしててね。友人と。だからまぁ、家には私じゃなくて友人を目当てにインターホンを押す人もいるんだけど。もともと一人で暮らしてた家で、あんまり部屋からでない生活してたから、インターホンが押されたら二階にある私の部屋に直接つながるようになってるんだよ。もちろん、一階にいればチャイムは響くし来客には気づくんだけどね。
んで、ある日真夜中、大体午前2時くらいかな。それくらいの時にインターホンが押されてね。私は割と夜更かしする方だから、その時もたたき起こされるなんてことはなかったんだけど。まぁ、こんな時間に誰だって話だよ。訝しみながら玄関先のカメラに繋がってる画面を見たら、綺麗なお嬢さんが立ってるんだ。年は、20代前半かなぁ。自然体の美女って感じで、どう見てもこんな時間に、人の家のインターホンを押すようには見えない人。
普段ならこんな不審な来客、無視するんだけどね。まぁ、困りに困って苦渋の決断で訪問ってこともあるかもしれないし、一応対応することにしたんだよ。「どちら様ですか」ってね。
「A太さんはいますか」
あ、A太って言うのは友人の事ね。っぽいでしょ?
でまぁ、いきなりこっちの質問に答えもせずそれだから、どう考えても厄ネタだよね。この友人がさぁ、人たらしでね。仕事の関係上いろんな人と交流持つこともあるから、そういうので面倒な人をひっかけてくることもあって。さすがに夜中の訪問ってのは初めてだったけどね。
今回もその手の人かと思って、でも下手に対応して逆恨みされて事件とかになっても面倒でしょ。だから当たり障りなく「仕事でいません」って答えたんだよ。実際は普通に寝てたけどね。
でも――。
「A太さんはいますか」
って、また同じことを聞くんだよ。全くこっちの言葉が聞こえてないみたいにね。
さすがに迷惑だから警察呼ぶよって言ったんだけど、彼女は変わりなく馬鹿の一つ覚えみたいに「A太さんはいますか」としか言わないの。どちらかというと壊れたカセットテープ……。カセットテープわかる? あぁ、よかった。
まぁ、そんな人が夜中に来たら怖いよねぇ。でも警察沙汰になると何かと面倒だし、真夜中だし。無視しようと思ったんだよ。応答終了を押してね。
するとまぁ、向こうにも応答終了したの、わかるじゃない? 少なくともうちについてるインターホンだとわかるんだよ。あれどうにかならないかと思ってるんだけど。
ピンポーンって、また鳴るんだよね。インターホンが。どうせあの美女だろと思って、でもまぁ、懲りて本当の用事をいうかもしれないななんて慈悲の心でね、もう一回対応することにしたんだよ。
「A太さん、いるんでしょ」
今度はそんな風に断定して言うの。このまま応答終了して終わるとも思えなかったし、次はまた文言が変わってるのかな、なんて好奇心も沸いたんだけど流石に鬱陶しくてね。「いないって言ったらいない」って念押しした後に応答終了した。
したらまぁ、鳴るよね。インターホン。しかも熱烈に連打されてる。今時のヤクザでもやらないよ、あんなの。
煩いから音量を消してやろうと思って、触ってたんだけど。なぜか下がらないんだよね、音量。普段から触るところじゃないし、故障の可能性は十分あったけど、まぁ不気味じゃない? でも無視もできない。煩いからね。
となるともう、インターホン越しなんて温いこと言ってないで対面してやろうと思って。いやまぁ、警察を呼ぶとかが妥当な判断かもしれないけど、その時は疲れてたしなんとなく、普通じゃないなって感じてたから。
そう、普通じゃなかったんだよね。それに気づいたのは扉の鍵を開けて、ドアノブに手をかけた時だったんだけど。
ほら、インターホンって来客者の顔がよくわかるよう、夜なんかだとライトがつくでしょ。うちの家、玄関の後ろ側に壁があるというか、まぁライトが正面から当たると背後に影ができるんだよ。
まぁここまで言えばわかると思うけど、なかったんだよね。影。いやもちろん私が見逃したってだけかもしれない。けど、その時の私は確信をもって影がないと思ったんだ。普通の人間相手ならそんなことにはならない。つまり玄関先に立ってる美女は普通じゃないって事だ。
それに気づいたときとちょうど同時に外からドアを強く引かれてね。女性の力じゃ無理なくらいに。ドアノブを握ってた私は当然態勢を崩してこけて地面に膝をついた。
女性物のパンプスが視界に入った後、反射的に上を、美女の顔を見ようとしたんだ。そしたら、彼女の顔がすっごく近くにあって。そりゃあもう俗にいうガチ恋距離って奴。
作り物みたいに無機質で綺麗な顔なのに、目だけは憎悪とかそういう負の感情を煮詰めた色があって、女性の声と低い男性の声が混ざったみたいな耳障りな音で何とも聞き取れない言葉を吐いててね。いやぁ、呪われるってこういう事なのかなーなんて思ったりもしたんだけど。
鬱陶しいし、これ以上騒がれて睡眠時間が減っても困るし、強い言葉で「ここにお前の居場所はない」って拒絶したんだよ。そしたら、驚くほどあっさりその美女が消えてね。その時可哀そうなくらい泣きそうな顔をしてたけど、こういうのに同情するのが一番よくないって知ってるから。
何とかなったなぁって扉閉めて鍵かけた後、私、寝落ちしたみたいで。朝一で友人に「なんで玄関に落ちてるんだ」って不思議な顔されたよ。私自身、夢かなにかかと思ったけど、チャイムの音量は最低になってて音はしなくなってたし、地面に膝をついたみたいにズボンが汚れてたから夢ではなかったんだろうね。
「あっさりしてるけど、これで私の話はお終い」
彼が話を終えるころには男も彼もラーメンを食べ終わっていた。彼は器用に喋りながらラーメンを食べていたらしい。
「なんか、あっさりしてるあたりが嫌に現実味ありますね」
「まぁ、解決してるだけまだマシだけどね」
「解決しないことがあるんですか?」
男の質問に彼は「たまにね」とだけ答えて財布を取り出した。代金を支払えば二人の時間は終わりとなる。
男には彼が話した話がどれほど実体験なのか分からない。もしかしたら全て作り話かもしれない。それでも目の前の人が経験した話だと思うだけで妙な高揚感があった。非日常に少しだけ足を踏み入れたような、そんな高揚感。
「こ、今度は俺が話をしますね!」
「……、君が?」
「はい! といっても、あんまり話すのは得意ではないんですけど」
いきなりすぎて変だっただろうか、と男が少し後悔してると、それでも彼は笑みを浮かべて「それは楽しみだな」と言った。
今度会うのがいつになるかはわからないが、その時までには話せる内容を考えておかなくちゃ、と思いながら男は帰路をたどった。
男と彼の再開は思ったよりも早かった。具体的に言うなら次の日。
男の職場は研究所だった。研究の内容は知っていてもそれが何に使われるかは詳しくは知らない。どこぞの金持ちが余興でやらせているのだとか同僚と話をしたことはあるが、詳しく知れば殺されるんじゃないかなんて噂もあったせいで、踏み込めなかったのだ。
とはいえ、男は自分の仕事に不満は感じていなかった。たまに残業があるが給料は十分だし、労働環境もいい。多少セキュリティの問題でややこしい手順なんかがあったりするが、人間関係の問題もないとなれば、辞める理由が見当たらない。
しかしこの時ばかりはやめておけばよかった、と後悔した。
男の職場は謎の集団に襲撃されていた。侵入者はたったの5人。しかし、その5人はあっという間に研究所を制圧し、両手で足りる数しかいない同僚を殺してまわった。
侵入者のサイレンが鳴った時、男は咄嗟に資料室の奥へと隠れたために難を逃れたが、他の同僚の悲鳴が聞こえてきたのは夢でもなんでもない。まぎれもない現実だ。
どうしてこんなことに、と涙を流しながら息を押し殺す。何が目的かはわからないが見つかれば殺されてしまうことは想像に難くない。男はどうかこの資料室に用がありませんように、と都合の良い時だけ神頼みをした。
足音が聞こえたのはそのすぐ後だ。2人分のそれは資料室の前で止まり、そしてついに扉が開く音がした。男がいる場所からは入口が見えない。しかし2人は確かに資料室へと侵入してきた。
「資料室、か? 何かあるかな」
「あってもなくてもどっちでもいいけどネ。ゾーヤチャンが解析してるし……、どうせ最後には全部爆破デショ?」
「派手だよなぁ」
「派手だネェ」
男は無意識に喉からか細い「え」という言葉を漏らした。慌てて口を強く握り、どうか気づいてませんようにと祈る。2人も会話をしていたしきっと聞こえていないはずだ、と。
しかしそんな男の希望的観測も無残に散る。
「あァ、なんだ。キミか」
「知り合いか? あ、いや。ターゲットか」
「そうそう。カレのおかげでイロイロとわかったんダヨ。セタクンの方にいたのかと思ってたケド。隠れてたとはネ」
あっさり2人に見つけられた男は、やはり信じられない光景に目を見開いた。
声からしてそうだと思ったが、2人の男のうちの1人はラーメン屋の屋台で話をした彼だ。彼はここがあの屋台であるかのように軽やかで、いつも通りの表情を浮かべている。この場に似つかわしくないそれに、男の脳がバグって「どうして」とひきつった声が漏れた。
「ンー、キミが大好きな話風に言えば、不思議な屋台で出会ったヒトは、実はキミたちを狙っていた……っていう、ヒトコワだネ」
「現状はクライムサスペンスだけどな」
「スプラッターも追加する?」
「そこまでじゃないだろ」
その言葉で男はようやく全て仕組まれていたのだと知った。あの屋台で出会ったことも、やけに話が合ってすぐに仲良くなれたことも。彼の目的は初めから男で、男が務める研究所だったに違いない。
疑問が氷解するにつれ、男の心はこの先の行く末に捕らわれる。「助けて」と懇願しようか。彼と男は顔見知りだ。もしかしたら見逃してくれるかもしれない。だって男は何も知らない。言われた通りに研究していただけで、それが何に使われていたのかも知らない。彼らの事を他言しないと誓えば――。
「見逃してもらえる、とでも思ってル? 甘いネェ」
彼のいつも通りの声に男は無意識で下がっていた視線をあげた。そしてどうしようもないのだと悟った。彼らは研究所にいる人間を一人も逃がす気はないし、それは男も例外ではないのだと。
目は口ほどにものを言うというものだが、まさしく、彼の表情は笑みを浮かべていても目は一切笑っていなかった。情の欠片も見られない視線は、男がどうでもいい存在だと語っていた。
男は昨日屋台で別れた時の彼を思った。あの時は確かに、楽しそうに笑っていたと思ったのに。また屋台で話をして、いつか時間を合わせて怪談のライブに行ったりして、と思っていたのに。
裏切られたと思うとふつふつと腹の底から怒りが湧いてくる。どうせこのまま死んでしまうくらいなら、彼に一泡吹かせてやりたい。
この研究所で働く研究員には護身用として小型スタンガンが渡されている。当然改造済みでその威力は法に引っかかる。人一人を失神させるには充分であるし、なんなら命すら奪えるかもしれない。
男は意を決してスタンガンを構え、前方へ倒れこむように彼へと突っ込んだ。
しかし、それは届かない。鼓膜をつんざく破裂音は彼の後ろに控えるように立っている男が握る拳銃から出されたもので、その瞬間撃たれたのだと男は理解した。スタンガンが手から滑り落ち、激痛からその場に倒れこむ。
「お前も罪作りだな」
「桐志にだけは言われたくないヨ」
2回、破裂音が響き、その後男が動くことはなかった。
物言わぬ死体となり果てたそれを見下ろして、2人は資料室に来た当初の目的を果たすため、手分けして棚などを見始めた。
「ねェ、桐志」
「なんだ?」
「道端で幽霊引っかけてくるのと、偶然出会った人が自分の命を狙う人だった。どっちの方が確率高いと思う?」
後者は現状の事を指しているに違いない。まぁ、彼と男の出会いは偶然ではなく仕組まれた者ではあったが、それは置いといて。しかし前者は一体。そう考えながらも「後の方じゃね?」と桐志は返した。
そもそも幽霊なんて道端で引っかけるものじゃないだろう、と。
桐志のその言葉を聞いて、彼――阿僧祇は大きなため息をついた。
「俺は前者だと思うよ」