いちご事変「なにこれ」
自分でも間抜けな声が出たと自覚しつつ、それでも目の前の状況が処理しきれずに阿僧祇は首を捻る。
目の前には目算100サイズの段ボール箱が4つ積まれており、側面にはでかでかとどこかのロゴと共に「いちご」と書かれている。
前日の仕事の影響で2時間出勤を遅らせている間に、一体何があったのだ、と事務員で唯一の目撃者であるはずの咲を見れば、困った様に笑っている。
「いやぁ、なんか送られてきまして……」
「詐欺?」
「いえ、そういう訳ではないみたいなんですけど」
大分前に蟹を送り付ける詐欺があったな、と真っ先に聞いてみたが、どうやら違うらしい。
では何なのか、と首を捻る阿僧祇に咲が困りながら手渡してきたのは一緒に送られてきたという手紙だった。
やけに歯切れが悪い様子にどんなことが書いてあるのかと思えば、どうやら差出人は2週間ほど前仕事を受けた依頼人の母親だった。内容としては、娘の離婚が無事成立したことと、大変感謝しているから栽培している苺を送るとの事。
「いちご……え、コレ全部?」
「みたいです」
試しに段ボール箱を一つ開けてみれば、中には苺を平積みに梱包するための段ボールが5つ入っていた。1つの段ボールにつき250gの苺が2パック入っている事を考えると、1個の段ボールにつき10パックで合計40パック。グラムにしておよそ10kgの苺が阿僧祇の目の前にあるという事である。
「……新手の嫌がらせデショ」
「イチゴ高いんですけどね……ナマモノはちょっと……」
二人して途方に暮れながら、さてこの苺はどうしたものかと頭を悩ませる。
もちろん食品であるため、食べればなくなるだろうがいかんせん10kgだ。いくら大食いで名を馳せたフードファイターたちであっても一度に消費しきれる量ではないだろう。
分けて食べるにしたって毎日苺なんて飽きるに決まっている。加えて阿僧祇は甘いものが苦手である。フルーツは幾分かマシではあるが、苺は例外だ。
「4パックくらいは貰っていきますけど、どうしますか? 残り」
「どうしようネェ……。ジャムでも作ろうか」
確か手作りの物であっても砂糖をかなり入れるせいかそれなりに日持ちがしたはずだ、と阿僧祇はスマホを取り出してレシピと賞味期限について調べ始める。
咲は「この量のジャムを……?」と思わないでもなかったが、阿僧祇の同居人が3人いる事を思い出して、それなら問題ないかと思いなおした。
「ウン、問題なさそうダネ。ジャムにするヨ。……大量の瓶を買わないとか……」
「冷蔵庫の空きあります?」
「それは問題ないんだケド」
阿僧祇は再び積まれた段ボールを見て、その多さに溜息を着いた。果たしてどれくらいの作業時間になるのやら。
「今から行きます……?」
「……、車出すから事務所閉める準備だけしといて」
所長特権ですぐさまジャムづくりを業務に組み込んだ阿僧祇は、棚の上から車のキーを取って事務所を出た。
買い物中に9kgのジャムは流石にマズイと考え直し、あれやこれやとスマホを片手に協議した結果、ドライいちごや苺自体を冷凍するなどの方策を考え出した。
そして買い出しが終わり、事務所の上にある2階のキッチンにて、段ボールから出された苺のパックがずらりと並べられた。
「壮観ですね」
「どこぞのYoutuberみたいな画ダネ」
段ボールから出すのも苺のパックを運ぶのも、何ならこの後段ボールを纏めるのすら既に億劫になっている阿僧祇は、ひとつ溜息を吐いた後、気を取り直して袖を捲った。
パックから苺を取り出してはヘタを取り、ボウルに入れてを何度繰り返したか。一生分の苺を洗った気がするとは後の咲の弁である。
二人は役割分担を行いながら苺の消費に取り掛かる。部屋内には苺と砂糖を煮詰める甘い匂いが充満し、阿僧祇が隠すこともなく眉根を寄せて換気扇をつけた。
咲は苺を切る係を仰せつかったが、正直阿僧祇と後退した方が良いのではと思わないでもない。ただ、これだけ苺の匂いが充満していると後退したとしても、あまり意味がないだろう。
「大丈夫ですか?」
「自分でもびっくりするくらい気持ち悪いけど、まァ、何とかなるデショ」
「それ大丈夫じゃない奴ですね」
甘ったるい空気が鼻から入り、喉へと粘っこく蓄積されて息苦しさすら感じる。肺の奥を冷水でなぞられたような冷ややかな不快感は、ある種、風邪の引き始めにも似ていた。
とはいえ、まだ3割も処理していないのに咲のみに作業を行わせるというのはいかがなものか、というくだらない矜持が阿僧祇の足を留めていた。
咲は休んでて構いませんよ、とは言うが実際一人で全ての作業を行うのは無理だと自覚していた。とにかく量が多いために。
せめて後1人、阿僧祇と交代で作業を行える人間が居れば、と咲が思ったところで部屋のドアがガチャリを開けられた。
「ただいま戻りました~。なんかすごいいちごの匂いするんですけど、どうしたんですか?」
そこにいたのは阿僧祇の同居人その1である零名だ。用事から帰宅した彼女は玄関にこの時間には見慣れぬ二人の靴があることは把握しており、何かしら用事をしているのだろうと推測はしていた。
ただ、まさかキッチン前のテーブルを埋め尽くすほどの苺のパックがあるとは思っていなかったようで、それを見て若干目を見開いている。
「零名ちゃん! 貴女がメシア!」
「おかえり~……」
「え、阿僧祇さんグロッキーになってません?!」
零名を迎え入れるために半身振り返った阿僧祇の顔色はさほど悪くはなかったが、いつもの軽快さが微塵も感じられない。不快感を飲み込んだ上に絞り出したような言葉を零名は見逃しはしなかった。
荷物と上着を脱いで慌ててキッチンへと歩き、少しじっと阿僧祇を見つめた。数秒して、事情は全部まるっと分かったと言わんばかりに頷き、阿僧祇の手から木べらをさっと奪い取る。
「いちごジャムを作ればいいんですよね。私がやっておきますから、阿僧祇さんは別室で休んでてください」
「助かるヨ……」
阿僧祇がログアウトしました、なんて一言が見えそうな背中を見送り、咲は隣に立つ零名にこっそりと礼を伝えた。流石に聞こえていないだろうが、阿僧祇には届かないように。
「ありがとう。私から言っても多分休んでくれなかったから」
「そうですねぇ。咲さん1人にやらせるっていうの嫌そうでしたし。阿僧祇さんそう言うとこだけ割としっかりしてますからね」
辛辣とまではいかないが、気心知れたその物言いに咲は思わず笑みを浮かべた。
初めて彼女に会った時は年よりずいぶん幼く見えたものだけど、いつの間にか見た目相応のお姉さんといった風になったなぁ、と考える咲だ。思考がすっかり親戚の子供を見るそれになっている。
「それにしても本当に多いですね。嫌がらせですか?」
「さすがに嫌がらせではないと思うけど……。まぁ、ちょっと大げさというか、ダイナミックな人ではあったから」
咲は事の発端ともいえる依頼を思い出した。依頼人である娘さん自身は普通に良識ある人だったのだが、その母親であり苺を送ってきた張本人は天然な割に勢いと思い切りが良かった。
たまにとんでもないことをやらかすのだけど、その人柄ゆえに憎まれず「仕方ないなぁ」と周りが許してしまう様な人。
阿僧祇はその性質に辟易していたようだが、今回のようなことを引き起こすのだと知ってしまうと、確かにあまりいい印象は持てないかもしれない。
「こういうお礼貰う事ってよくあるんです?」
「いやぁ、ないかなぁ」
二人はとりとめのない話をしながら作業を続けていく。
作業の終わりが見えたのは昼も過ぎ、おやつ時の方が近いと言える時刻になってからだった。
ひょっこりと顔を出した阿僧祇は隠すこともなく眉根を寄せて「オツカレ」と言った。二人はとっくに麻痺してしまったが、多分かなり苺の匂いが部屋中に蔓延しているのだろう。
この状態で外に出たら苺の香水をつけてるようなものかな、なんてくだらないことを考えながら、今回の作業の成果を眺める。
数時間前までは苺のパックがずらりと並んでいたそこには瓶詰された苺ジャムや、苺のドライフルーツ、よくわからない洋菓子までさまざまだ。
「なんというか、全然ひとつも食べてないのに暫くいちごは食べなくてもいいかも……」
「それは困るナ~。こんなに一杯あるしサ」
桐志っていちご食べられるんだっけ、とまだ暖かい――熱いと言っても過言ではない瓶を片手に阿僧祇が一人ごちる。
「お肉とかと一緒に食べてもいいんじゃないですかね? ベリーソース、みたいな!」
「あー、なんか高級そうなレストランとかで出てるイメージがあります」
「ベリー(1種)なんだよナァ」
さっそく肉料理といちごジャムのレシピを調べ始めた阿僧祇をよそに、女子二人は成果物の片づけを始める。ひとまず2階の冷蔵庫には大量の瓶が入らなかったので、3階の冷蔵庫へと持って行く。
そうしてジャム類を冷蔵庫に入れた後、2階へと戻れば阿僧祇がコーヒーを淹れていた。甘ったるい空気ばかりを吸っていた肺に程よく苦味が染み渡る。
「ソレ飲んだら退勤でイイヨ」
「分かりました。……お邪魔しちゃってすみません」
「今更ですね?」
「今更ダネ」
なんとなく上司の生活空間に紛れ込んでいる事に肩身の狭さを思い出し、咲は特に誰に急かされたわけでもないがコーヒーを慌てて飲み干した。
流石に2杯目は辞退して、咲は荷物と苺のパックを2つ等を鞄に入れて――当初の予定よりは少ないが、その分いちごジャムとか別のものに変換されているので総量はそう変わらないどころか多分増えている――阿僧祇の家を出た。
それを見送った後、阿僧祇はやっぱり部屋の中に砂糖を煮詰めた甘い匂いが残っている気がして、3年は開けていなかったリビングの窓を開け、煙草に火をつける。
煙草を見咎めた零名が苦言を呈したがどこ吹く風だ。苦い煙で肺を満たして甘ったるさを押し出せば、幾分か気分は良くなる。部屋でさんざん吸ったというのに、未だに残る不快感に我がことながら嫌気がさした。
窓の横の壁にもたれかかって煙草を吸っていれば――煙は外へと流れているので阿僧祇なりの僅かな配慮が見て取れる――隣に零名が並ぶ。
「いくつかはそのままにしてあるので、今日の晩御飯に出そうと思うんです。愛名、いちご好きかなぁ」
「どうだろうネェ。でもまァ、不味くはないんデショ?」
「はい、それはもちろん。いくつかつまみ食いしましたけど、甘さと酸っぱさが程よい感じで」
じゃあ俺は尚更食べられないな、と心の中で呟いて食べたいとも思わないが、と補足をした。
なんにせよ、唐突に始まったいちご事変は平和な幕引きと相成ったわけである。
その日の晩、自分が普段使用している冷蔵庫が大量の苺ジャムなどで埋まっている様を見た桐志が混乱したとかしないとか。