迎え火 暗い夜道に点々と。 死者を迎える火。
道なりに火を焚く。この地域の迎え火の習慣はこのようなものだ。火事になるからともうやらない所もあるようだが、ここではずっと続いている。ここでこの時期を迎えるのは何年目だったろうか。
「高杉せんせー、さよーならー」
すっかり遅くなったため、生徒たちをそれぞれの家へ送り届ける。今日は銀時が大量に持ってきた花火を子供達とやることになったので、いつもよりずっと遅い時間になってしまった。普段は大人しい子供も大はしゃぎで花火に興じていた。
隻眼隻腕の身元もよく分らない男の所によく親は通わせる気になったと思う。時代が変わったのか、人が変わったのか。
塾兼自宅である、古い一軒家に戻ると、
「晋さん、足拭いてください」
いつもは先生と呼ぶが二人だけの時はこう呼ぶ、生徒の中では年長のおなみが足を洗う盥を持ってきた。上がり框に腰かけて草履を脱ぎ、盥の湯に足を入れる。おなみは子供達が食べた夕飯や西瓜の後片付けをあっという間に終わらせていたようだ。俺が足を洗い手拭いで拭くのを側で見届けて、盥と手拭いをさっと片付けはじめる。そろそろおなみも家に帰さないと。随分遅くなってしまった。
「麦湯お持ちします」
いつもの寝室であり居間でもある部屋に出された小さな卓袱台の前に座ると、おなみが麦湯を持ってきた。その手をじっと見つめる。初めて出会ったのはおなみが十二歳の頃だったが、大きくなったもんだと思う。ずっと使っている湯呑が小さく見える。ついでに湯呑を持った自分の手を見つめる。ササクレが出来ていて、指先も硬い。手に年齢は確実に出ている。
麦湯を口に運ぶ。何故だか少し視界が明るくなったような気がした。
「あ、帰ってらしたんじゃ?」
おなみがそう言って立ち上がった。
「帰ってきたってなァなんだよ…」
そう言うと
「ハイハイ」
と返された。まるっきり年寄を扱うような口調に聞こえたが気のせいではないだろう。おなみが軽快な足音を立てて玄関に向かう。奴が帰る場所は他にある。でもおなみはいつも「帰ってきた」という。
遠くで笑い声が聞こえた。あいつの声と、おなみの声がいやに楽しそうに聞こえる。おなみが小走りで戻ってきた。
「聞いてくださいよ、あの方バイク飛ばしてきたそうですよ、危ない。おばけと出くわすのが怖いみたいで」
「ちょっ、やめてくんない? お化けはそういう話してる所に出るって聞いた事ないの?」
奴が重い足音を立てて入ってきた。顔色が悪い。
「そんなに怖ェなら、この時期暗くなってから来るんじゃねぇ。毎晩グチグチ言いながら…」
不機嫌が声に出たのが自分でもわかった。怖かったらこんな街から大分離れた明かりの少ない所まで来る事はない。
「…あ、坂田さんはご自分で麦湯を入れてくださいね。あたしは帰りますんで。送っていただかなくて結構ですよ」
おなみが空気を読んだのか、そそくさとこの場を出ていく。その後姿を、俺と銀時二人で暫し眺める。
玄関の方の物音が止むと、銀時は卓袱台を挟んで俺の向いに座り、湯呑を手に取ると一気に飲み干した。汗が光る喉が晒されて、喉仏が上下する。
湯呑を音を立てて卓袱台に置くと、頬杖をつきながら
「いや、別に、出たっていいけども。怖くないけども。」
「…何の話だ」
「アレの話だよ、季節柄のアレの」
「幽霊か」
「やめろって言ってんじゃん。噂をすればなぁ、自分の話してる~って…っていうか、お前の今日の格好真っ白でちょっと…。もし夜道歩いてたりしたら…」
今日はたまたま藍白の薄物を着ているだけで、銀時を脅かそう等とは微塵も考えていなかったのだが。
「頭から着物まで真っ白なのはてめェだろうが」
「あっ、そういえば…!」
と、自分の姿を改めて見て驚く銀時。ふっと、小さくではあるが吹き出してしまった。
銀時と目が合う。銀時も笑っていた。目が機嫌直したか?と問うているようで面白くはないが、悪くはない気分だ。銀時はあまり使っていない座椅子の背に掛けられた赤い、棕櫚の柄の夏物の羽織を取った。
「これ、着ろ」
こちらに寄越す。
「?」
「迎え火焚くか」
銀時に促されるまま、羽織を肩に引っかけて外に出た。門の所で暫し待つと、銀時は火を焚く道具一式抱えて出てきた。今時は一式売っているようだが、藁もあるなんて珍しいと思った。
「火種は?」
「まぁ、そこはお盆の作法じゃなくても…」
「迎え火じゃねェのか?」
「……」
今年はあまり暑くないせいか、夜は少し肌寒い。肩にかけただけの羽織の柄を見つめる。赤地に白で棕櫚の図柄が描かれている。おなみが針仕事も得意で、この家の前の持ち主が置いていった反物でたまに作ってくれる。自分が着ればいいのに、と言うといいからいいからと言う。自分はおなみの着せ替え人形になってやしないかと思う。
火の匂いがした。煙が多い。藁だけではなく松も燃やしているのか、ツンとした匂いもする。ジワジワと火が木の肌を舐めて黒くしていくと、煙は少なくなった。
銃の形のライターを手に、銀時はしゃがんで火を見つめていた。時折虫が飛んでくるのか、頬を叩いている。
「いいのか、迎えても」
先祖の霊だろうが知人の霊だろうが、霊にはかわり無いんだぞと言おうかと思ったが、止めた。
「それ以外の意味もあるっていうから」
「ほぅ…どんな?」
「ヴィキで調べて」
「面倒だな…」
銀時から視線を外し、遠くを見る。昼間だったら田圃が広がっているのが見渡せるが、今は暗闇にポツポツと民家の明かり。
そして、列を作る迎え火。神や死者を迎えるための道標。
パンパン!と銀時が手を叩いた。柏手?と思ったら、手についた塵やらを払っただけのようだった。よっこらしょと立ち上がって伸びをする。
「本当は火の上飛び越えるみたいだけどな、藁以外も燃やしてるし、いいか」
「…ここでは婚礼の時、そんなのしねェよ」
「もしかして知ってた? うちの地域でもしないわー」
「どっちが飛び越えるんだよ」
「……」
「銀時」
銀時が、俺の残った方の腕を引く。向かい合わせに立つ。銀時の顔を見つめると、何を考えているのか判らない無表情。
「迎え火セットが売れ残ってたから。花火のついでに買った」
「へぇ…」
右腕を掴まれたままだから、銀時の手の熱が伝わってくる。したいと言いたいのがわかる。ここの所ほぼ毎晩来て毎晩何かしらヤってるから、雰囲気で気付く。
妻問いという言葉を思い出す。結婚の約束をした者同士の夜這いの別名みたいなもんだ。
[了]