外科室の鈴 今日も患者サマでお部屋の中はいっぱいでございます。
私はこの通り、先生の手伝いなどとても出来る身ではありませんので、いつも先生や助手の方が忙しくしていらっしゃるのをただ窓の外から眺めるばかりでございました。
先生と助手の方が「ゲカシツ」と呼ぶ狭いお部屋がございまして、そこに男の方二人が、自らの足で歩きながらではありますが、血まみれの顔で入ってきたのを、たまたま私はみていました。イクサで毎日怪我人がくるとは言え、このニオイには一向慣れません。
外にまで流れて来る鉄の匂いに、鼻を手で覆う仕草をすると、私のお守りの鈴が、コロンと音をたてました。
先生がそれに気付き、格子窓に近付いて参ります。仕事の邪魔をしてしまったと樹の葉の影で身を竦ませていると、先生はニッコリ笑って
「鈴さん、もう何人か診たら一旦休憩しますから、待っていなされ」
と仰いました。まだ今日の食事を戴いていないのを思い出すと急に空腹を感じ、はいと小さく返事をすると、先生は頷いて患者サマの元に戻りました。
先程の男の方達は、放心というのか、何も話す事はなく、静かに先生と助手の方達の手当てを受けていました。一人は見た事のない真っ白い頭で、頭髪も白い装束もドロドロに汚れてしまっていました。もう一人の方は黒い髪に黒の洋装で、汚れはここからでは確認出来ませんが、白い顔にべったりと血がついていたので、きっと白い頭の方と同じくらいには汚れてしまっているのだと思います。
お二人共、おんなじように左目が潰れていました。
処置の痛々しさはこれまでも見たことがありましたが、これはとても見られないと、私はグッと目を閉じでゲカシツの気配だけを全身に感じるように神経を集中させました。
どちらかは分りませんが、時々呻きの声を上げます。でもとても静かなものでした。先生方も、一言も声をかける事なく処置が進んでいるのが判りました。
暫くすると、ボソボソと声が聞こえてきました。先生が、男の方二人と何か話しています。処置が終わったと思い、目をそっと開くと男の方二人はすっかり横になっていました。先生達はゲカシツを出て、次の患者サマの元へ行ったようです。
顔だけは綺麗に洗浄されて横になっているお二人の顔色はとても悪く、もしかしたら死んでしまうのではと思わせる程でした。私は気になって身を乗り出しました。するとコロンとまたお守りが音をたてます。
目を閉じていた白い髪の男の方が、片目を開き難そうに開けて、部屋を見回しています。
次にジッと格子窓を見つめて、音の元を探していらっしゃるように見えました。私は樹の葉の影に身を潜ませます。男の方の、射るような目が恐ろしかったからでございます。
ひとしきり探した後、白い髪の方は天井をじっと見つめていました。もう一人の黒髪の方は、目を閉じてまるで眠っているようにピクリとも動きません。あまりにも静かなゲカシツには、別の部屋の喧騒が聞こえている事でしょう。痛みを訴える声や、心配する声や、金属音や…。
「おい」
突然、白い髪の方が声を出したので、飛び上がる程驚きました。私に声をかけたのかと思われる程に鮮明な声でしたが、白い髪の方は隣の黒髪の方に声をかけたようでした。
「寝てんの?」
白い髪の方は探るように黒髪の方の様子を伺っておりました。それでも黒髪の方は尚ピクリともしないのです。ただ、胸が上下しているのは分りましたので、息をしている事だけは確認できました。白い髪の方はじっと、黒髪の方を睨むように見つめていました。
そうしたら、
白い髪の方は笑ったのです。
声を立てる笑いではなく、口元と目元だけが少し動いただけでしたが、確かにあれは「笑って」いたと思います。ああいう場合の「笑い」の意味は、私には判りません。笑ってはいなかったのかもしれません。悲しいのかもしれない。怒っているのかもしれない。でも確かに、それまでまるっきり表情の無い方の顔がほんの少し変わったのは分りました。
白い髪の男の方は暫くじっと黒髪の方を見つめていました。そして身を、隣のお布団の黒髪の方に近付けます。黒髪の方の顔を覗き込み、また暫くジッと動かず見つめている白い髪の方の表情はもう影になってこちらからは見えません。
また笑っているのかしら。それとも。
白い髪の男の方が突然身を起こしました。もう始めに見た無表情になって立ち上がると、ゲカシツを出ていってしまいました。
すると、なんと今度は黒髪の方が残った目を薄ら開けているのです。もしかして寝ているふりをしていたのでしょうか。こちらの男の方も、ジッと天井を見ていました。先程の白い髪の男の方よりは幾分、悲しそうに見えました。
もっとよく見ようと動くと、コロンと私の首にかけてある鈴が鳴ります。黒髪の方は、一瞬で私の姿をとらえました。私の白いだろう姿を。そして掠れた声で呟きます。
「猫か」
私は私の姿を知りませんが、先生が白い猫と仰るので、私は白猫なのです。
「真っ白だな、綺麗な白だ」
黒髪の方は私のことを見つめながら絞り出すような声で囁きます。私を見てはいるけれど私に言ってるのではないのがわかります。あの白い髪の方のことを言っているのです。そんなに辛いのなら、何故呼び止めなかったのと聞きたいけれど聞けません。
私だったら行かないでと鳴いて引き止めるのに。
[了]