ばきつば短編まとめ 7篇◆ お話 一覧 ◆
※すべて「The Falcon and the Winter Soldier」配信前に書いたものです。
※細かい時系列を特にそこまで気にしてないです。EG後だったり模造EG前提だったりします。いくつかのお話にスティーブがいますがEG後の時もあります。
★夢の国の隣国
お題「片想い」 両片想い。
★二人の家
お題「同居」 お引越し。
★道標
お題「◯◯しないと出られない部屋」
WSの記憶から出るための話。
★プラスマイナス一度の振り子
お題「温度」 シャワーの適温。
★いつものご馳走
お題「手作り」 美味しい料理。
★恋のきっかけと愛のけじめ
お題「恋愛」 恋と愛について。
★健康的な生活とヒーローとしての強さを保つことにより守られる将来について]
お題「思ってたのと違う」
八十歳の時に二十本揃っていてほしいもの。
ひとつでも萌えや癒しになりましたら幸いです。
夢の国の隣国
お題「片想い」 両片想い。
起き抜けに、バッキーが言った。夢にサムが出てきたんだけど、と。口振りは不満そうなそれではなかったが、大喜びしているようにも聞こえなかった。こういうことがあったんだけどどうしよう、とどうしようもないことに対して悩みを抱えてしまった思春期の子どものように見えた。実際のバッキーの心境を覗き見られる訳ではない。少なくとも、スティーブの目にはそう見えた、という話だ。
バッキーは眉間に皺を寄せたままで冷蔵庫を開け、ジュースの入ったボトルを取り出し、蓋を親指で押し開けた。それを見て、ついつい確認したくなってしまった。
「歯磨きしてきたか?」
「した」
していても、ちゃんとグラスに注いで飲んでほしいものだが、今のバッキーに言っても聞いてくれそうにない。スティーブはこれ以上の口出しを避け、トースターに視線を戻す。ついでに、話題も戻す。
「サムが何だって?」
「夢に出てきた」
「一緒に何かしてた?」
「……まあ」
不毛なやり取りだ、という気がしないでもない。夢に出ていたのだから、何もしていない方が珍しい。分かりきった質問までぼかされてしまっては敵わない。
食事でもとった? 遊園地にでも行った? ちなみに、ハグは? キスも? ──あれこれ聞いてしまいたいが、どうせ伏せられるだろう。
「あんまり嬉しそうじゃないな」
「……」
あんまり、ではなく、ちっとも、と言っても良かった。バッキーは唇を尖らせている。眉間に皺がないから及第点だな、と思う。何に対しての及第かなんて分からないが。
バッキーがサムに対して恋愛感情を抱き始めたのはもうずいぶん前のことだ。スティーブが知る限りでは半年前。けれど、きっと、もっと前からなのだろう。彼らはスティーブを介しながら、友人としての関係を続けている。月に一度あるかないかのペースで二人で食事に行ったり映画館に行く程度の仲だ。遊園地はまだだったか。
遊園地。有りかもしれない、とスティーブは考えを巡らせる。自分とバッキーはもう楽しむアトラクションがないくらいに何度も行ったことがある──から十代の頃の話だというのはさておき──、二人で行けばいいと勧めても不自然にならない。
そう考えていると、バッキーが、それ、とトースターを指差す。
「……、俺も、食パン」
「お前の分も焼いてるだろ」
「二枚ともスティーブが食べるのかと思った」
「食べない」
ポケットの中でモバイルが震える。メッセンジャーの通知だ。噂をすれば、とはこのことである。バッキーも誰からのメッセージか察している。じっとこちらを見やる様子が、「何て書いてるんだ」という疑問を言葉も無しに投げ掛けている。
「もう家を出たらしい。僕も行くよ。パンはバッキーが二枚食べてくれ」
「いらない」
「そうか。たまにはお前も走らないか?」
「走らない」
トースターのベルが鳴った。
◆
さく、と食パンの角を食んで、バッキーは、しまったと思った。ぼーっとしていたので──厳密に言うと「他のことを考えていた」が正しい──、一枚目を完食したのに気付かず、二枚目に突入してしまっていた。仕方がないのでそのまま、ストロベリージャムを塗りつけて食べることにする。スティーブだって、食べかけを食わされるよりかは新しいものを焼き直してもらいたいだろう。
こんがり、ふんわりと焼き上がった食パンは、既にすっかり冷めきっている。夢の中のことが頭から離れないので、食べるペースが遅くて仕方ないのだ。そう、夢の中で好きな人としてしまったキスのせい。
キスされたのか、こちらからキスしたのか、判断はつかない。その前後の内容だって夢見たはずなのに、起きてみれば唇がわななくだけだった。覚えているのはあたたかさと柔らかさのみ。けれどそれで十分だ。サムとのキスなんて、夢にしたってこれ以上ない贅沢である。もう一度眠ればもしかしたら続きや似たような夢が見られるのかもしれない、と欲張ってしまう気持ちはある。けれど、強欲になりすぎるのもどうなのだろう。幸せはささやかな雪のように降り続けてくれるくらいがちょうど良い──と考えていたところで、テーブルの上のモバイルが震えた。スティーブからだ。雨でも降ってきたのかなと思って画面を覗き込む。
『サムが、バッキーと遊園地に行きたいって言ってる』
書いてある内容の理解が追いつかなかった。まだ夢の中にいるのかもと。
「……」
持ったままだった食パンから、どろりとジャムが垂れ落ちた。
◆
サムが唸った。スティーブは、今日はランニングできるのだろうかと悩んだ。提案するんじゃなかったと思ってももう遅い。
「うーん……、……え? 送った? もしかしてもう送っちまった?」
「送ったよ」
「おい。まじかよ。もう読まれた?」
「まだみたいだ」
そうは答えたものの、スティーブの見立てでは、バッキーはシャワーを浴びに行くか二度寝でもしていない限りは通知画面でメッセージを読んでいるはずだった。それで、絶句しているに、違いない。たぶん、それって二人で? とか、どこの遊園地? とか、いろんな疑問が頭の中をぐるぐる巡って、一先ず返事をせねばと思い立ったが文面に悩んでいるのだろう。そうこうしていると、既読、と表示された。
「あ、読まれた」
「まじか……」
スティーブは、この世の終わりでも迎えるかのような、とても深刻そうな「まじか」を聞いた。やっぱり遊園地は早かったようだ。でももう、なるようになれと祈るしかない。
サムがバッキーに対して恋愛感情を抱き始めたのはもうずいぶん前のことだ。スティーブが知る限りでは三ヶ月前。けれど、もっと前かららしい。
案の定、既読マークがついてから二〇秒の沈黙が流れた。いいよ、と返せば良いだけなのに、入力しては消しているに違いない。喜んで、と打って、違う違うキャラじゃないと首を振りながら消して、うんうん唸る様子が簡単に思い浮かぶ。そんなスティーブの隣で、サムは溜め息を吐く。
「あー、これ、断ろうとしてるだろ、絶対……」
「予定とか確認しているんじゃないか」
「そうかなあ……」
サム・ウィルソンという人間をここまで分かりやすくネガティブにさせるのはバッキーだけである。
待ちに待った返事が来たのは一分後だった。いいよって伝えて、だそうだ。ここから先はサムに直接連絡させるが、スティーブにとって一番不思議なのはここからだ。いつ遊園地に行くのかは分からないが、彼らは結局のところ友人としての形を保ったままその日を終えてしまうはずだ。何も進展しない。果たして、二人が結ばれる日は来るのだろうか。ちなみにスティーブは双方に対して、「それとなくどう思っているか聞いてみようか」と提案したことがあるが、どちらからも絶対にやめてほしいと拒否された。
「バーンズと遊園地……。夢じゃないよな、これ……」
サムはスティーブのモバイルを両手で持って、バッキーからの返事を穴が開くほど見つめている。後で、スクリーンショットを要求されるんだろうなと思う。
「夢じゃないさ。頬をつねる役目ならいつでも引き受けるけど」
「痛いじゃ済まなさそうだからやめてくれ」
「冗談だ。さ、走ろう」
「はー、バーンズと遊園地……やばいな……」
サムは空を仰ぎ見る。そのうっとりとした横顔は、さっき見たバッキーの表情とは全く違う。しかしスティーブにとっては、似ているなあ、と思えて仕方ないものだった。
終
二人の家
お題「同居」 お引越し。
部屋なら空いてる。──とサムが言ってからは早かった。すごく早かった。もともとバーンズはアベンジャーズ基地の一室を借りていたので、家具などの荷物がほとんどなかった、というのも一因だったかもしれない。
それにしても、ここまで手間のかからない引越しは珍しい。マットレスもシーツも、棚も、本も、キッチン用品をはじめとする雑貨も何もかも、ポーチひとつに入れてしまって運べるだなんて、バーンズは夢にも思わなかった。トレーラーを借りる必要はなく、サムが運転する車の助手席に座ったバーンズの膝の上で事足りた。人手もほとんどいらなかった。スコット・ラングだけがいればそれだけで良かった。
「ピム粒子を量産できたら、俺、引越し屋を開業すべき?」
後部座席のど真ん中に一人腰掛けるスコット。その手の中で弄ばれているのは、一時間ほど前にバーンズが「サムの家にあるやつの方が大きいからあげる」と譲ったカウチだ。幅三センチメートルにも満たないサイズにまで縮小されている。このカウチも、ポーチの中身も、何も知らない人が見たならば、精巧に作られたミニチュアだとしか思わないだろう。
スコットの転職についての発案をバーンズは真面目に受け止めかけたが、サムは、ふふん、と笑った。
「いい案だが……、そうするとかなり忙しくなるぞ、アリさん。引越し屋だけじゃなくて、輸送業界全体をまとめあげなきゃいけなくなる」
「あー……んー、そこまでは……」
スコットは下唇を尖らせ、しかめっ面で首を振った。文字通り、荷が重い、という風だった。
サムの家に着いてから、荷物や家具を適当な場所に配置し、ピム・ディスクを投げ付けて元のサイズに戻した。バーンズが「何てお手軽な引越しなんだ」としきりに感動するものだから、スコットは照れていた。サムの提案で、三人で少し早い夕食を食べることになった。サムがキッチンに向かった後、スコットはバーンズに尋ねた。
「あの、えーっと、流れでオッケイしたけどさ、こんな大事な日の夕食に誘ってもらって良かったの? しかもサムの手作りって。めちゃくちゃ嬉しいけどさ」
スティーブに「引越し終わった」とテキストを送信していたバーンズは、ソファで半分寝そうになりながら答える。
「もちろん。礼くらいさせてくれ。……って、料理作ってんのは俺じゃなくてサムだけど」
「そう? ならいいんだ。……」
「?」
どうやらまだひっかかりがあるようだ。スコットは頭をがしがしと掻き、うーん、と唸ってからバーンズの方に身を乗り出し、声をひそめる。
「つまり……てっきり俺、お二人が付き合ってるんだとばかり」
「え……」
息が詰まった。直後、スコットが早口でまくしたてる。
「違ったらごめん。その反応じゃ違うんだな、ごめん。俺のせいで気まずくとかならないでくれ、ごめん、同居初日なのにさ。ほんと、ごめん」
その時どういった反応をしていたのか、バーンズ本人には分からなかった。たぶん、「何だそれ」と言い出しそうな顔だろう。スコットは頭の中の雑念を打ち消すためか、自らの頬をぺちんと手で叩いた。
「気まずくはならないけど……そう見えた?」
周りから見て仲が良さそうに思われるのは意外だった。少なくともバーンズにとっては。サムがどう思うかは知らないが。スコットはバーンズの質問に対して、何と言って良いのか慎重に言葉を選んでいる様子だった。閉じたままの唇をぐにぐにと動かし、だが結局、大きく頷いた。
「そう見えた。何となく……。でも、俺の憶測なんて気にしないでくれ。ホープに、あなたはキャシーに恋人ができても気付きそうにない、って言われちゃったし……。それってちょっと悲しいよな?」
スコットが意図的に話を逸らそうとしているのは分かったので、バーンズは適当に相槌を打って合わせてやった。その後、サムが料理を作り終えるまで、最近のキャシーの様子について聞いた。バーンズの見立てではキャシーにはもう好きな人がいるのだろうな、という段階まで来ていたが、スコットには言わないでおいた。ホープの予測は正しいようだ。
夕食を食べ終えた後、スコットはサムに「料理教室を開くべきだ」と車を発進させる直前まで力説して去っていった。引越し作業を楽にしてくれた礼は十分にできたようだ。
サムが洗った食器を棚にしまうのはバーンズの役目だ。サラダが入っていたボウルは一番下の段に。来客用のグラスは上から二段目の隅に。
「何か飲むか?」
エプロンを外したサムが冷蔵庫を開ける。バーンズに飲み物を勧めつつ、自分も酒か何か飲みたいのだろう。バーンズはそれなりに腹が張っていたが、当然付き合うことにした。
「コーラが飲みたい。ケースで買ったのがまだあったろ。冷やしてる?」
「瓶のやつな。たしか……ああ、ラスイチだけどあるぞ」
「じゃあ、また買いに行かないと。……なあ、このスープカップはどこに……こんなのあったっけ?」
「前からあったよ。気に入ってるけど、洗うのが面倒な形だから、滅多に使わないんだ。一番下の段の奥な」
取っ手が二つついたスープカップをボウルの奥へ入れ込んで、棚の戸を閉めた。こうしてこれから、既に勝手を分かっていたつもりのこの家のことを、もっともっと知っていくのだろう。サムの家ではなく、二人の家と呼ぶために。
「あ。アリさんのやつ、これ忘れて帰ってる」
サムがテーブルの隅に見つけたのは、バーンズがスコットにあげたはずのカウチだった。ミニサイズのままで取り残されている。アベンジャーズ基地に持っていくか、ピム博士の研究室にでも送ろうかとサムが行ったので、任せることにした。
「……そういえば、スコットがさ」
「ん?」
「……いや、何でもない。今日からよろしく」
「おう。さ、飲むか」
スコットに言われたことをサムに伝える必要はないだろう。
いつもの瓶ビールと瓶コーラを持ってリビングに向かうサムを追いかけ、その背に抱きついた。
終
道標
お題「◯◯しないと出られない部屋」
WSの記憶から出るための話。
出ようと思えば出られるはずだった。拘束具はなく、ドアには鍵がかかってはいるものの、兵士はそれを簡単に壊すことが可能だった。廊下に立っているであろう見張りも、殺してしまえばいい。首を絞めるか、奪った銃で仕留めるか。どちらでもいい。造作もない。
そういったシミュレーションは幾度か兵士の頭の中で繰り返されたが、実行したことはなかった。何故なら、今は待機中だからだ。この部屋に連れて来られる時はいつもそうだ。命令を待て、という指示。兵士は何の疑問も持たずそれに従う。必要とされてこの部屋を連れ出されたなら、十中八九、誰かの命を奪うことになるだろう。そう分かっていながら兵士は指示通り待機する。たまに、自分が荷担している計画が、本当に世のためになるのだろうかと不思議に思うことがある。分からないのだ。自分がこの道を選んだ経緯が。どうして自分はここに。どうして、何のために今まで数多の──。自分の信念は──。この問題について深く考えようとすると頭が割れるように痛む。頭が痛いと誰かに素直に訴えれば、彼らは何らかの「薬」を兵士に与えるが、それらが更なる苦しみを生むだけだと兵士は理解していた。
ドアがノックされた。横長の覗き窓が開いて、見覚えのある水色の瞳がこちらを向いた。数年前から兵士の担当になった男だ。
「来なさい。仕事だ」
「……」
兵士はすくりと立ち上がり、ドアへと向かう。覗き窓は開いたまま。男が一歩下がったのを確認してからドアに手をかける。と、何故かそこで手が動かなくなった。
「……どうした。早く来なさい」
「はい」
口ではそう答えても、凍り付いたように右手が動かない。ドアノブを捻りたいだけなのに。金属の左手で右手を掴んでみたが、やはり動かない。誰かに肩を後ろへ引っ張られて止められているような気がする。出口はこのドアではない。きっと、違う道を見つけられる。そう言われているような。
「また不具合か」
男の溜め息をつく。装置の準備を、と続いた言葉に、兵士は冷や汗をかく。あれは嫌だ。ああ、早く部屋を出なければ。誰を殺すのだろう。例えば、どこかの国の政治家を。研究員を。資産家の子を。誰のために。こんなことをして、彼にどんな顔で「おはよう」と言えばいいのだろう。
──彼、って?
◆
「やっと起きたか」
「……、……ん、起きた」
サムが肩から手を離した。たぶん、揺さぶってくれていたのだろう。悲しいかな、こんな風に起こしてもらうのは初めてではなかった。よくない夢を見た時は、大抵、最悪のタイミングまでを見届けた後で勝手に目が覚める。だが、彼の家に泊まっている夜は必ずしもそうではなかった。
サムがバーンズの額の辺りを撫で、前髪をかきあげてくれた。くしゅりと湿った音がして、汗をかいているのだと分かった。互いに、枕に半分埋まった横顔をじっと見つめる。
「水飲むか?」
頷きかけて止めた。喉は渇いているが、サムが水を取りにベッドを離れるのを想像すると、それくらいは我慢しようと思った。行ってほしくなくて、シーツの下で足を絡める。
「……いい。何か、寝言とか言ってた?」
サムはこちらが本当に平気なのかどうかを問うてはこない。
「いや。うなされてたけど、何も言っていなかったよ」
「起こしてごめん」
「気にすんな。全然、寝直せる時間だし。お前も寝るだろ?」
「うん」
ナイトテーブルに置いてある時計を見ると二時半だった。サムはこう言うが、例えば四時を過ぎていたとしたら「たまには早起きもいいし」とでも言うのだろう。
サムの手を取って掌にキスする。彼は、「くすぐったいな」と笑った。自分を悪夢から掬い上げてくれた手。正しい出口へと導き、引っ張り上げてくれる手。唇を重ねて、「おやすみ」と囁やき合った。今夜はもう悪夢は見ずに済むと良い。朝になったら、「おはよう」と言いながらもうひとつキスをしたい。
終
プラスマイナス一度の振り子
お題「温度」 シャワーの適温。
サムの家に泊まったことは何度もある。もちろん、その度にシャワーを借りた。
バーンズが違和感を覚えたのは最初に泊まった夜のことだ。シャワーから湯を出してみてしばらく経ち、「温いなぁ」と思って設定を温度二度ほど上げた。そしてその一週間後、違和感が理解に変わった。また、「やっぱり温いなぁ」と思いながら二度上げた。今度は、シャワールームを出る前に二度下げておいた。
そんなことを毎度繰り返した。ついにこの家にバーンズが引っ越してきた今もそれは変わらない。サムにとっての適温は、華氏一〇二度──摂氏四〇度──らしい。これはバーンズにとっては少し物足りなかった。もしかしたらバーンズが一般的なアメリカ人よりも熱い湯を好むだけと言えるのかとしれない。例えば、風呂に浸かる文化があって、給湯設備も瞬間湯沸かしタイプだとかそういった進んだものが揃っている国ならばバーンズの好みは一般的なのだろうが、ここは家主に揃えるべきだろう。そう考えて、設定をサム用に戻しておく習慣が身についたのは当たり前のように思えた。
初夏の、とある一夜。同棲が始まってそろそろ一ヶ月という頃。バーンズがシャワーから上がると、先にシャワーを済ませていたサムが等コンビニで買ってきたアイスを食べようとしているところだった。サムが買ってきたものなのに、サムはバーンズにもひとつ勧めてくれた。が、アイスを手渡す前に、バーンズが右手に持つシャツを取って、顔に投げつけてきた。
「シャツくらい着てこい」
「あー……、見惚れた?」
「はいはい、見惚れた見惚れた」
適当にあしらわれ、バーンズは「ひどいな」と笑いながらシャツを着る。
「だって、シャワーから上がっても部屋が暑いから。冷房つけよう」
「たしかにお前、肌が赤くなってるけど……、冷房はまだ早い。アイスで我慢だ」
「アイス食いたいだけだろ?」
「へへ、まぁな」
ソファでくっついて食べたかったが、バーンズは自分の体温が高くなっているのを自覚していたので意図的にソファの端に座った。それが何だか人肌恋しいという感覚を思い起こさせたので、暑い日くらいは、サムと同じ温度設定でシャワーを浴びてもいいかも、なんて考えた。
しかし、その翌日の夜である。やはりサムが先に使ったシャワールームで、蛇口を握ったままバーンズはしばし固まった。いつものように二度上げようとしたのに、その必要がなかったのである。
「……」
バーンズはそのまま湯を捻り出した。快適なシャワーだった。そしてシャワールームから出る直前、二度下げた。
シャワーから上がってもサムに「温度上げといてくれた?」と聞くことはなかった。何故なら、バーンズだって聞かれたことがないからだ。サムには気付かれていないと思っていた。。本人しか気にしていないどうでも良い秘密を知られた気分だった。
翌日と、その翌日も、一週間後になっても、バーンズのシャワールームでの作業は半分に減った。その内、冷房の使用許可が出て、アイスを食べながらくっつくことができた。それでもサムは「お前あちぃな」とは言わなかった。
そういう訳で、ここ最近、バーンズはシャワールームに入る度にくだらない悩みの種を心に持つ。いずれ、いきさつはともかく、二人で一緒にシャワーを浴びることになる夜が来たら、何度に設定すべきだろうか、と。
終
いつものご馳走
お題「手作り」 美味しい料理。
隠し味は愛情よ。いつしか母が言っていたそんな台詞は、現代でもまだ通じるらしい。それをバーンズが実感するのが、ニューヨークの景色を一望できる、物理的にも値段的にも馬鹿高いレストランの予約席になるとは誰が予想できだろうか。
「お味はいかがでしたか、ミスター・バーンズ」
「ええ、とても美味しかった。いつも食べてるものと全然違った感じで」
嘘は言っていなかった。
美味かった。サラダにスープ、魚料理も、ソルベも、肉料理も、フルーツやケーキも、何もかも。酔えないけれど、酒だって。ざっくりした説明になってしまうのも仕方ない。何故なら、ウェイターがいちいち教えてくれる料理名は何一つ意味が分からなかったのだから。バーンズはフランス語を会得していない。バーンズが「おお、やっと『ステーキ』がきたぞ」と思っても、ウェイターは詩か何かを読み上げるが如く長ったらしい言葉を唱える。ソースの名前までしっかり料理名に入れないと気が済まないようだ。分からなかったのは言葉だけじゃなくて、フルーツも見たこともない色や形のを食べた。
こういった会食に参加することは、世界大戦時もなかった。今回は特別だ。本当はスティーブが呼ばれていたものに代わりに出ただけ。でなければ、ニック・フューリーと共に食卓につくことは有り得なかっただろう。さすがに気まずかったが、向こうから「初対面のことは気にしない」と言ってくれたので助かった。目付きの鋭い男なので、本当に気にしないでいてくれているのかどうかは定かではないが。
スティーブは申し訳無さそうに「今度埋め合わせする」と言っていた。バーンズは「美味い料理が食えるならいいよ」と言ったが、スティーブはもしかしたら、料理を食べたバーンズが今のような気持ちになることを予見していたのかもしれない。今のような気持ちとは、つまり──。
ベッドに寝転んで我が家の天井を眺めると、ああ、やっと一休みできるなぁ、という気分になる。あくびしながら、隣に寝転んだサムにひとつ頼み事をする。
「サム。明日はステーキを焼いてくれ。近所のスーパーの肉の、玉ねぎとにんにくのソースのやつ」
「え、何で?」
「さすがに今から食うのは無理だ」
見ろよこれ、とお腹を叩くと、新品の小太鼓のような音がした。サムもぽんぽんと触ってくる。楽しそうで何よりだ。
「いや、そうじゃなくて。『何で』って、『明日』にかかってるわけじゃなくてだな……」
「分かってるよ。つまり……、サムが焼いたやつが食いたいんだ」
「今日、美味いの食ってきただろ?」
「ん。最高ランクの何かの肉の、バルサミコ酢か何かのソース添え」
「んー。よく分からないけど、そりゃ美味そうだな」
けらけら笑いながら、サムはいつも通り明日の朝のアラームをセットして眠りにつこうとしていた。
「サァム。頼むよ。玉ねぎのみじん切りは手伝う」
「必死かよ。いいけどよ、今日食ったやつと比べるのか? 一流のシェフが作ったやつと?」
「比べるまでもないだろ。サムが作るやつの方が好きだ」
「……マジで言ってる?」
サムは腹筋を見事に使って上体を勢いよく起こした。信じられない、という顔をしているサムの鼻を、ちょんと指でついてやる。
「料理の腕は一流シェフの方が上だろうが、俺の舌に詳しいのはどっちだ?」
「……」
サムは一度大きく目を見開いて、細めると、ぺろりと唇を舐めた。
「今の言い方って、えろい」
「あ?」
おかしなスイッチに触れてしまったらしい。突然覆い被さってきたサムの胸板を、間一髪で押し止める。不満そうな顔をされたのは少し嬉しいが、今は冷静に状況を見てほしい。
「ストップ。今、上に乗られたら……」
ちらと自らの丸い腹に視線をやれば、言いたいことは伝わったようだ。サムは退いてくれた。今夜は寝返りを打つのも苦しそうだ。俯せなんてもってのほか。
「……。フルコース、恐るべしだな」
「ああ。だから、明日はステーキだけにしとくんだ」
「ん? もしかして、明後日もリクエストが?」
察しの良い恋人を横抱きにさえできないことを嘆きつつ、先程食べた魚料理の名前を一部でも思い出そうとする。スズキを焼いていたが、何だか洒落た名前だった。いずれにしろ、サムに作ってほしいと頼むのは、そんな高尚なものではなく、鮭のムニエルである。
終
恋のきっかけと愛のけじめ
お題「恋愛」 恋と愛について。
クピドはいたずらに矢を放つ。それを止めることは誰にもできないのだろう。重要なのはタイミングである。これまで気に留めたこともない、何でもないはずの一瞬が、心を奪っていく。それは知らない世界を覗き見てしまった時のような、少しの不安ととてつもない高揚感を伴う。例えば、クローゼットを通り抜けると不思議の国に繋がっていたり、例えば、駅のホームの壁にぶつかってみたら魔法が存在する世界に飲み込まれていたり。もちろん、バーンズはこれらのどちらも体験したことはない。けれど、とにかくそういった現象を目の当たりにしてしまったのと同じくらいの気分だったのだ。
こうして大袈裟に述べてみても、結局は周りからすれば本当に小さなことであったという事実には変わりない。人を好きになるのに大した理由はいらない。これは誰もが知っている常識だ。ただし、きっかけは必要だった。それだけのこと。クピドの金の矢はバーンズの右肩をかすめた。このくらいは放っておけば治る小さな傷だと言い訳して意図的に無視していた結果、もう消えることのない痕が残ってしまった。
ゆったりとした二人掛けのソファに背を預けるバーンズの視線の先では、三十代くらいのカップルが身を寄せ合ってショーケースを覗いている。店員が向かいに立って、にこやかにもてなしていた。女性の方がケースの中を指差して、いくつか商品を取り出してもらう。男性が女性の手を取って眺め、微笑む。
「だって俺達、ただの友人として過ごしてた期間が長かったから」
膝の間で指を組んだ両手を、落ち着きなくもぞもぞと動かしながら、サムは呟いた。視線もそちらに向かっていて、伏せたまつげが数秒ごとにまたたく。
だから驚いたんだよ、とサムは続ける。
「俺がジェームズのことをそういう意味で好きになった時も、あんたもそうだったって知った時も」
「……それで、質問は?」
「急かすなよ」
少し恥ずかしそうに、サムは鼻の頭を指で掻く。バーンズはそれすらもじっと見守る。サムについて、できればどんな小さな出来事も見逃したくない。そんな風に考えるようになるなんて、サムの言う通り、自分でも驚くべきことだった。
「そのー……、たまに考えるんだ。何で俺のこと好きになったんだ、こいつ、って」
「何だ、そんなことか」
「そんなことって」
「でも教えない」
「即答だな」
サムからのそれは聞いたことがあった。何でもサムは、昔からキャプテン・アメリカやハウリング・コマンドーの逸話が大好きで、それらに登場するバーンズに対する憧れが、本人と過ごしている内に恋に変わってしまったのだとか。
「教えたら、『それのどこにピンときたんだ』って言われそうだから、教えない」
「……気になる言い方しやがって」
バーンズは曖昧に微笑んで誤魔化し、視線をカップルの方へと戻した。十数分前の自分達を見ている気分だった。今度は女性が男性の手をじっと見ている。耳をすませると、「このデザインなら、お爺さんになってもよく似合うよ」と聞こえてきた。バーンズは、その観点は忘れてはならない大切なものだと改めて思う。これを無視して、今のある程度若いままでの勢いを暴走させると、未来の後悔に繋がる可能性がある。
「お待たせいたしました」
テーブルの向かいに、自分達の対応をしてくれている店員が戻ってきた。バーンズは姿勢を正し、サムもそれに倣う。店員はやはり、にこやかに微笑んでいる。もしかしたら、サムも自分も、無意識の内にそういう顔をしていて、彼女はそれにつられているだけなのかもしれないな、と思う。
「では、お二人の指のサイズをお測りいたしましょう。バーンズ様は右手でしたね」
「ええ。お願いします」
今更ながらバーンズも、先程までのサムのように、指をもぞもぞと動かしたい気分になった。
終
健康的な生活とヒーローとしての強さを保つことにより守られる将来について
お題「思ってたのと違う」
八十歳の時に二十本揃っていてほしいもの。
「バッキーとはどう?」
「……、……どうって? 普通さ。先週も任務を」
ひっくり返りそうになる声を、ぬるいコーヒーをゴクリと飲み込むことで抑えつつそう返すと、スティーブは目尻の皺を深くして目を伏せた。口元も、堪えきれないといった様子でゆるむ。ちらりと見えた白い歯が眩しくって、俺も、爺さんになった時に歯が全部揃ったままだといいなぁ、なんてことを考える。
「そういう話じゃない。分かるだろ」
「ああ、ああ、分かってるよ。でも、いきなりで、こう……」
「サムが焦るのは貴重だな」
肩まで揺らして笑うほどツボるなんて、ひどいぞ、と怒る気にはならない。何故ならスティーブの言う通りだと思うからだ。この俺がこんなに焦っちまうなんて、貴重なことだ。
例えるなら、映画化するほどじゃないが一時間のテレビドラマになら何とかそれなりに仕立て上げられるんじゃないか、って程度の紆余曲折を経て、バッキー・バーンズに「俺達、付き合ったらうまくいくと思うし、そうしたい」つまて言われて、「そうした方がいいだろうな」って答えたら安堵の溜め息をつかれたのが三ヶ月前。五月の真ん中の木曜日の出来事だ。スティーブへはバーンズから伝えてもらった。そしたらこの男は「まだだったのか。おめでとう」と笑ったのだそうだ。それを聞いた時、俺は、何だそのリアクション、と思った。友人二人が付き合い始めましたと伝えてドン引きされるのを恐れてたから、拍子抜けした。以降、スティーブは特に俺とバーンズの関係を気にする素振りなんて見せなかったのに。久々にメシを一緒に食ったら、これだよ。バーンズを今日呼ばなかった理由はこれか。不意打ちなんて戦闘の時だけにしてほしい。料理を食べ終わって、食後のドリンクってタイミングもずるい。話を逸らす先がない。
もう一口、コーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせる。頭に浮かぶのは、一昨日、「暑いから海行きてぇなぁ」とぼやいていたバーンズの眠そうな顔だ。今夜は俺ん家に泊まるらしい。もう着いた頃だろうか。モバイルにメッセージが送られてるかもしれないが、スティーブの目の前で今確認するのには抵抗がある。ちょっと恥ずかしい、気がする。でもこのまま何も答えないのは無理だった。観念するしかない。
「……そういう話だろうがそうでなかろうが、答えは変わらない。普通だよ。普通の……そう、恋人ってやつ」
恋人。バーンズ本人以外に対して言葉にすると、うなじの辺リが熱くなる。照れ臭い。だがとにかく本当に、普通としか言いようがなかった。デートしても外だったらべたべたしないが、それなりに仲良くやってると思う。ガキじゃないんだから、キスもその先も慣れたものだし、バーンズが「うまくいくと思う」と予見した通りだ。今のところは。このまま長いこと付き合っていれば喧嘩なんかもその内するんだろう。そういうところまで含めた意味の、普通。
しかし残念ながら、スティーブはこの答えにあまり手応えを感じてくれなかったようだ。
「普通、か。そう言われると……イメージがつかない」
「……イメージされるのも、何かなぁ」
「そうだな、すまない」
スティーブは微笑んだまま、ミルクティーを飲んで一息ついて、ぽつりと言った。
「実は……。本当はこんなこと、サムに言うと、バッキーに怒られるかもしれないんだが……」
「……何だよ。歳とったからって、回りくどいのは無しだぞ」
「はは、確かに。気を付けよう」
じゃあ改めて、とスティーブは咳払いする。
「バッキーはよく、ガールフレンドとのデートの内容を僕に話してくれたんだ。……昔話をしてしまうなんて、ますます老人っぽくなるな」
老人っぽい、と言いながらえらく楽しそうに微笑むので、俺もつられる。こういう空気は嫌いじゃない。
「いいよ、続けてくれ」
「デートの内容だけではなくて、彼女のどこが素晴らしいかとか、彼女に今後してあげたいこととか、行きたいところとか、たくさん聞かされたよ。それで、別れた後は、毎回、いい感じだったのにとへこむんだ。ほとんど、フラれてたかな」
「へえ、フラれる側か」
「意外か?」
「ちょっとだけ」
モテたのは分かりきってるから、てっきり、バーンズの方がいろんな娘に目移りしてたのかと。これこそ、本人に言ったら怒られそうだが。
「バッキーの良くないところは、喧嘩をして一度フラれたら、もうその子を追わないところだった。話を聞いていると、今からでも話せばやり直せるんじゃないかと思う時もあったよ。でも、そうしない。とにかく、……話を戻そう。だから僕は、想像していたんだ。もしも僕が、バッキーが結婚するまで生きていられたら、毎日毎日、奥さんのことを聞かされるんだろうな、と。そういう日々も楽しみだし、できれば僕も相手を見つけてバッキーに語ることができたらと思っていた」
スティーブが俯く。テーブルのせいで俺からは見えない、お腹辺りの位置で指を組んでいるのだろうなと思う。あのシンプルな指輪について、俺達は結局何も聞いていない。聞いてみたかったんだが。バーンズ少年のデートの話を聞くスティーブ少年のように。
顔を上げたスティーブが続ける。さっきまではどこか遠くを見つめていた瞳は、今度はしっかりと俺に向けられていた。
「五月き、君たちが付き合い始めたと聞いた時、僕に楽しみができたと思った。二人が幸せに過ごしている話をバッキーから聞かされるかもしれないと思ったんだ。昔のようにね。……でも、それからバッキーに会っても全然関係ない話ばかりでね。おそらく、僕から聞いても、昔のように詳しくは教えてくれないんだろうなと、空気で分かるんだ。そこで、サムに聞いてみようかと」
「そういう流れか」
その心積もりでいて、そこで俺に「普通」と返されちゃ、つまんないのも無理はない。それにしても。
「別に俺から口止めとかはしてないけどな。何で話さないんだか。それなりのペースでデートもしてるし、まぁ、バーンズも楽しんでると思うんだが」
もしも、実はもう飽きてこられてたらショックだなぁ、と思いつつぼやくと、スティーブは大きく頷いた。
「僕も最初は不思議だった。でも、だんだん、何となく気持ちが分かる気もしてきた」
「へぇ。そういうもんなのか?」
「あぁ。現に、僕だって、誰にも、何も、話していないからね」
「……」
今のは、指輪の話という意味で合っているのだろう。つまり、今後も話してくれることはなさそうだ。
そんな、俺の小さな楽しみが消えた事実も気にかけず、スティーブは身を乗り出した。内緒話でもしているみたいに、とっておきの秘密を告げるみたいな、きらきらとした瞳が俺を諭す。
「これも僕の想像でしかないが……、バッキーは、君のことなら一度や二度フラれたくらいじゃ、追い掛けると思うよ、サム」
「……わお。賭けとくか?」
茶化そうとしたが、スティーブが「それくらいなんでもない」という風に頷いたので、俺はたじろぐのを隠せなくなった。
温いコーヒーではなく、氷水を飲みたくなった。テーブルの隅に追いやられていたコップに水を注いで飲んだが、もう氷は溶けていた。
どう返答すべきか悩んだ。俺達はその場の勢いで付き合い始めた訳じゃない。真面目な恋愛だ。でも、バーンズや自分がどこまで本気かは、あえて考えないようにしていた。その深さに至るのは、ゆっくりこの関係に慣れていって、その後で考えていくのでも遅くないと思っていた。まだたった三ヶ月。そりゃもちろゆら俺はバーンズのことを嫌いになれそうにないし、もしもバーンズが、スティーブが想定してるくらい本気だったら嬉しいな、って思うけどさ。でも俺は案外、これだけ言われても自信過剰になるほど楽天的ではない。
「……とりあえず言っとくと」
俺はやっとの思いで声を絞り出した。
「今のところは、喧嘩してない」
今の時点で言える精一杯の事実だった。それだけを何とか口にすると、ミルクティーを飲み切ろうとしていたスティーブが手を止めた。一瞬訝しげに眉間に皺を寄せたのに、だんだん、目が丸くなって、やっと言葉の意味を理解したみたいに瞬きした。
「……変な反応するな」
「いや……、何となく、可愛らしい喧嘩ばかりしているものだと思ってた。……そうか。思ってたのと違ったよ」
何だよ、可愛らしい喧嘩、って。──そう突っ込むタイミングを逃しつつ、お爺ちゃんとの長話は終わった。
帰宅すると、バーンズはソファで寝ていたところを、俺の車の音で起きたようだった。晩飯はどうしたのかと聞けば、ピザを頼んだそうだ。たしかにキッチンの前がピザくさかった。
ソファの隣に座る。ふわりとシャンプーの香りがする。もうシャワーも浴びてるらしい。
「眠いならもうベッドで寝ればいいのに」
「ドラマ見ながら寝落ちた。どうしようかな」
そう言って、ネットに接続してるゲーム機のコントローラーをかちゃかちゃと操作する。配信サービスのメニューにはバーンズが先月から見ている長編ドラマのリストが表示されていた。この前見てた時はシーズン3だったのに、今確認しているのはシーズン4。自分の家でも熱心に見ているみたいだ。俺が帰ってきたんだから後にすりゃいいのに、とはあまり思わない。俺は俺で、バーンズが図書館で借りてきた本を勝手に読んでることもあるし、ドラマを見ている時の、口が開いている横顔を眺めるのは案外面白い。今もだ。唇が半開きで、それで──。
「あー、そうだ。ここまで見たんだ。続きは明日また……、……何?」
こちらを向いて、やっと、じーっと見られていることに気付いたバーンズは、へらりと笑った。照れたんだろうか。とにかく、口角が上がったおかげでますます、誰かさんと似た、健康的で白い歯がよく見えるようになった。
「歯が綺麗だなと思っただけだ」
「……? えっと、歯フェチってことか」
「何だそれ」
ちょっと今日から、今までより丁寧に歯磨きをしよう。あと、任務中に、万が一にも顔面パンチを喰らって歯が折れるなんてことがないように、もっと鍛えなきゃな。
終
.