同輩は猫である ― 天高く馬肥ゆる秋の講 ― 同輩は猫である。名前はまだら……いや、最近はニャンコ先生と言うらしい。
私か。私は三篠。いわゆる妖怪の一種である。
見掛けが派手だからよく誤解されるのだが、いたって真面目な、真っ当な、真妖怪なのである。
だから、あのふざけた猫だるまとは決して一緒にしないでもらいたい。これはまず始めに言っておく。
ついでに馬面とも呼ばないで欲しい。あれはそれなりに、無論それなりに過ぎないのだが、傷つくものである。
さて、猫だるま、もといニャンコ先生 (斑と呼んでも返事をしないことがあるので、もはやこう呼んでやる) であるが、奴はかつて強い力を持った妖怪であった。
しかし、私と違って不良妖怪であったために、間抜けにも酒に酔っぱらって拝み屋ごときに捕まり、社に封じられてしまったのである。その拝み屋というのも間抜けな者で、依代が招き猫しかなかったらしい。おそらく拝み屋も酔っていたのであろう。酒は呑んでも呑まれるものではない。私は嗜む程度である。
黙れ、斑。レイコに敗れたのは少しばかり油断したからだ。断じて私は間抜けではない。だいたい、そのナリでは私とは象と蟻ほどに違うと分かっているのかヘチャムクレ。巨大化するな、猫だるま。夏目殿の家を潰す気か。
……ん?なぜ私がそんなことを心配しているんだ。
まあ、良い。とにかく、この猫だるまは結界に封じられたのである。それから幾年たったろう。
私は夏目レイコという強力な妖力を持った人間の女と勝負して、辛くも負けた。これはその頃の話である。
私が彼女の子分になって、この辺りにはもうレイコの敵になるようなめぼしい妖怪は残っていなかった。(レイコは妖怪をいびり倒すうちに、さらに妖力を高めていったようだ。たまにHPがどうのと言っていたが)
だから、私は斑の存在を教えてやったのである。私がレイコの子分になって、奴がならないわけはなかろう。
その日から、彼女はほぼ毎日 社に通うようになった。
行って何をするかと思えば、勝負を申し込むのである。しかも、結界を解いてやるから勝負して、負けたら子分になれという妙に理不尽な気がする要求をしていたらしかった。
「冗談ではない」
斑は社のうちからそう答えた。当然であろう。おばけにゃ学校も、試験も何にもないのである。つまりは、束縛を嫌うからこそ妖なのだ。
レイコが社に通いはじめていくつかの春が過ぎ、冬が過ぎた。
暑さも緩み、木の葉が赤く色づいて空が高く青く抜ける季節のことだ (馬ではないので断じて肥えぬが)。
レイコは落葉降り積む社の傍らに腰を下ろし、握り飯を頬張っていた。
「どうして?あなたが勝ったら私を食べていいわよ」
レイコはあっさりとそう言った。
「負けるのが怖いの?」
「私が負けるわけあるか」
「じゃあいいじゃないの。結界、壊してほしいでしょう?」
「嫌だと言ったら嫌だと言っとるだろうっ」
「何で。勝ったら友人帳もあなたのものなのよ」
「…………」
友人帳、欲しいでしょう、そうレイコはその美しい顔で笑って見せた。
「その代わり、私が勝ったらあなたは私の子分だけど」
「それが嫌だと言っておるのだ阿呆っ」
レイコはあきれたように溜息をつく。
「本当に分かんない人ねぇ」
「私は人ではない!」
「知ってるわよ。社に入れるびっくり人間がこの辺にいるわけないじゃないの」
「おまえっ、人間のくせに生意気な~!」
「あなたがちっとも分かってないからよ」
「分かっていないのはお前の方だ。人の子の分際で、妖怪を使役しようなぞと」
あら、そう言ってレイコは微笑んだ。
「だって、私はとても強いもの」
だから、勝負しましょうよ。レイコは握り飯を食べ終えると、膝の上に広げていたハンカチを折りたたむ。
「何故だ? どうして妖怪を子分にしたがる」
斑は社から聞いた。
「お前、人が嫌いか」
レイコは視線を落とし、少し躊躇したかと思うと首を振った。
「好きでも、ないわ」
何かを堪えるようにして、レイコは微笑う。
「……たぶん怖いのよ」
レイコはそのままの表情で、ねえ、と斑に問いかけた。
「名前を教えて」
「まさか、名前を書けとは言わないな?」
「……………」
「ちっバレたか、という顔をするなっ」
「やっぱり駄目みたいねぇ」
「この私を騙そうなぞと数万年早いわ阿呆!」
「いいじゃないの。その内、私はここには来れなくなるかもしれないもの」
なんだ、と言ってレイコは息を吐いた。
「あなたが私のことを聞いたのなんて初めてだから、ついでに教えてくれるかなって思ったのに」
レイコは膝を抱え込み、顔だけを社の方に向ける。
「……私ね、名前呼ばれるの好きなの」
社の中をのぞき込むようにして、微笑んだ。
「それだけ、ここにいていいよって認められてる感じがしない?」
「…………」
「私、この辺りの妖怪の間で有名になったでしょう?よくレイコって呼ばれるもの」
それが、嬉しいの。
人には、そんな風に呼ばれることも、必要とされることもないけれど。
「レイコって、呼びかけられるのが嬉しいの。変かしら」
「…妖に呼ばれて嬉しがるのは、変だろう」
だが、と斑は言った。
「悪くはないかもしれんな。レイコ」
レイコはふと目を丸くしたかと思うと、花のように笑った。
「……ありがとう」
「……礼を言われる筋合いはないわ」
「ふふ」
レイコは笑い、斑を見る。
その時、斑が口にした言葉を私は今も覚えている。
――ならば、呼んでやればいい。
――待っている連中が、いるかもしれんぞ。
私は、いつも見ていた。
レイコに気付かれることのないように、ずっと――ずっと、待っていたというのに。
それから何年たったのだろう。
レイコは知らぬ男の元に嫁に行き、娘を生んで死んだ。友人帳は忘れられた。
「ムッ夏目!今日はすき焼きだな!」
「うわ、何で分かるんだよ先生!ニャンコが鍋を食うな!」
「ニャンコではないと言っとろうがっ。夏目、そんな勉強などしとらんでとっととキッチンに行くぞ!」
「先生の分ははじめからないぞ!」
「授業料だ!お前の分をよこせっ」
「…このエセニャンコが~!食い意地張ってるから太るんだぞ、先生」
「これは冬毛になっただけだっ」
「いつ夏毛が抜けたんだよ。塔子さんにも毛が生え変わらないって不思議に思われてたじゃないか!」
「うるさい!これだから人間のがきは好かんのだ!」
今、友人帳はレイコの孫の元にある。
レイコそっくりの彼は、少しずつ友人帳の名前を返しているようだ。斑をニャンコ先生と呼び、恐れながら、おびえながら、それでも懸命に人の中で生きていこうとしている。
ニャンコ先生は、気のせいか、よく彼の名前を呼んでいるように見える。
人の命は、我々からすればあまりに儚い。しかしそこには、揺らぎながら変わりながら確かに続いていくものがあるらしい。
斑よ。お前も、随分と人間贔屓になったな。無論、お前は認めまいが。
とにかく、この話のサブタイトルは、天高くニャンコ肥ゆる秋にすべきだと思う。