ここは主の国 頬を撫でる風で意識が浮上する。
甘い匂いがする。花や果実のような、幸せの匂いだ。
瞼を開けると蒼天だった。僕はどうしてここにいるのだろう。記憶を探って気付く。光と硝煙、叫び声、死んでしまった子犬。悲しい思い出が眼前に立ち現れて、消えた。
「……アンジョルラス?」
急に呼ばれて、僕は視線を傍らにやった。
グランテールが座り込んで僕を見下ろしている。彼は僕と目が合うと慌てて視線を逸らした。
「良かった、起きてくれて……。君だけ起きないから、どうしたのかと」
「僕だけ?」
早口で口にされた言葉に、僕は起き上がって応じる。グランテールは少し身体を引いた。
「うん、君だけ。他のみんなはもう起きてるよ。コンブフェールもクールフェラックも。みんな君を心配してる」
そうか、と言いながら僕はぼんやりしたままの頭を振った。
「……僕たちは死んだんだな」
グランテールに問いかけるでもなく呟くと、彼はぎゅっと唇を噛みしめる。
「うん。……でも、後悔してるやつは誰もいないよ」
おまえもか、と返そうとしてグランテールを見る。彼が思いの外、真摯な目をしていて言葉を失った。
酔っていないグランテールを見たのはこれが初めてだった。
僕は視線を伏せる。
「みんなと言ったな。ガブローシュも来ているのか」
「うん」
「行ってやらなくていいのか」
言うと、グランテールは奇妙な表情をした。
「彼は僕がいなくても大丈夫……、いや、君が大丈夫じゃないとかじゃなくて……」
視線をあちこちに走らせながらグランテールは考えていたが、はたと僕の顔を見る。
「……君、もしかして僕がどうしてバリケードにいたかわかってないの」
僕は首を傾げる。
「どういう意味だ」
「やっぱりわかってないんだ……」
グランテールはがっくりと肩を落とす。訳がわからない。
「グランテール?」
「ええっと、僕が、バリケードに残ったのはね……」
グランテールはがしがしと頭を掻いた。酔ってもいないのに顔が赤い。
「……やっぱりいいや」
「なんだそれは」
僕が呆れるのを見越したように、グランテールは悄然とうなだれる。
「うん、まあ、僕のことはいいんだよ。君こそはやくみんなのところに行かなきゃ」
ね、と僕を説得するようにグランテールは言う。
見れば彼の後ろは一面の花畑だった。薄汚れてしょぼくれた男が花畑の中で背を丸めて座っているのは、なんとなくおかしさがある。
「わかった」
僕は知らず、微笑んでいた。グランテールは目を丸くする。
「……どうした」
「え……、ううん」
耳まで赤くしたグランテールと連れ立って、僕は歩き始めた。
彼らに最初に何と言おう。僕はそればかりを考えていた。