イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    ARCANASPHERE1 砂の国、そう呼ばれるスタフィルスの空は、今日も嫌味なくらい快晴だ。彼女───ハルヒは少しだけ開けたカーテンの隙間から雲ひとつない空を見上げ、その青さにふさわしくないため息をついた。
     快晴の空を見て、他の国の人間は清々しい気分になるかもしれないが、ジリジリと照りつける太陽とは裏腹に、彼女の気持ちは晴れない。乾燥しきったこの国では雨天が極端に少ない。そのため、遮るものなく激しく照りつける太陽は、逃げ場のない国民にとって厳しい1日の始まりを告げるものでしかなかった。
     ハルヒは背後で寝返りを打った音に気づき、カーテンから手を離す。部屋に差し込んでいた日差しが遮断され、室内には薄暗さが戻り、そこではハルヒの弟のナツキがまだ眠っていた。
     健康すぎると行っても過言ではないハルヒと違い、ナツキは生まれつき呼吸器官が弱く、特に風が強い日は、舞い上がった砂を吸い込んで喘息を起こしてしまうため、外出することもままならない。昨夜の軽い砂嵐で家の中に入ってきた砂で発作を起こし、明け方頃やっと落ち着いて眠ることができたから、いま起こすのは可哀想だ。
     ハルヒは砂除けに巻いている頭のバンダナの結び目をギュッと締め直し、なるだけ音を立てないように家を出ると、砂にほぼ埋め尽くされている道を目的地へ向けて歩き出した。

    ■□■□■□

     一体いつから履いているかも忘れてしまったサンダルの底は、半分が剥がれかけている。一歩進むたびに砂を挟んでジャリジャリと音が鳴るが、慣れたハルヒは気にしなかった。そして、そんなハルヒとすれ違う人々もそれを気に留めることもない。これがこの地区で暮らす人々の日常だった。
     スタフィルスの首都であるダフネの中でも、F地区と呼ばれるこの場所は、実質国に見捨てられた貧民街だ。その日暮らしをする人々は食べていくので精一杯で、着ているものなどに気を配る余裕はなかった。
    「ハルヒ」
     角を曲がったところで呼び止められ、ハルヒは振り返った。その目に入ったのは叔母であるウララの姿だった。ハルヒの父親は国外で仕事をしていたが、連絡が途切れてそれきりになった。そして2年前に母親も他界した。ハルヒの父親の姉にあたるウララは、まだ17歳のハルヒと15歳のナツキに残された唯一の血縁者だった。
    「おばさん。おはよ」
    「おはよう。ナツキの具合はどう?」
     ウララは洗濯カゴの中から洗濯物を手に取り、それを手際よく物干しロープに引っ掛けていく。
    「発作はおさまった」
    「良かった。あんたは仕事?」
    「ああ」
    「後でナツキの様子を見に行くよ」
     頼むとウララに言ってから、ハルヒは住宅街を抜けて大通りに出る。目的地は道の向こうに見えていた。
     【酒亭アヤメ】。その店がハルヒの目的地であり、仕事先だった。通りを横断し、ハルヒはまだ準備中の看板がかかった扉に手をかけ、力を込めて引き開けた。毎度のことだが、扉は砂が噛んでいるせいで開けるにはちょっとしたコツと力がいる。
     入り口から店へ入るとすぐに見えるのは酒瓶の並んだ棚と、4人ほどが座ることができる薄汚れたカウンター。そしてテーブル席が2つ。床には砂が散らばった、お世辞にも綺麗とは言えない店だが、安酒がたらふく飲めるとあってそれなりに流行ってはいた。
     石造りの店内は直射日光を遮り、太陽の光のもとを歩いてきたハルヒの体温を下げてくれる。少しばかりの涼しさを感じながら、ハルヒはカウンターの下まで覗き込み、店主が店内にはいないことを確認し、店の奥へ顔を向けた。
    「トラー」
     店の奥は店主であり、ハルヒの雇用主でもあるカゲトラの住居になっている。ハルヒの呼びかけに返事はない。その代わりに聞こえてきたのは大イビキだった。ハルヒはボリボリとバンダナの上から頭を掻いた。
    「……ったく」
     舌打ちをひとつ残し、ハルヒは店からの続きとなっているカゲトラの住居内へと入っていく。そして勝手知った家の中を進み、寝室の扉を開けると、いままで扉に阻まれていたイビキが騒音レベルで鳴り響いた。
     ベッドの上には熊のような大男がひとり、耳が割れるようなイビキをかいて眠っていた。【酒亭アヤメ】の店主であるカゲトラのいつも通りの姿に、ハルヒは眉間に深いしわを寄せて、眠るカゲトラの耳元へ移動する。そして、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
    「起きろ!カゲトラァッ!」
     いかに大イビキをかいていても、耳元で大声を出されてはたまらない。カゲトラは文字通り飛び上がり、ベッドの上から転がり落ちて、イビキより酷い轟音を響かせた。もうもうと埃が舞い上がる。
    「ハッ、ハッ、ハルヒッ!?」
    「おう」
    「な、なななんだ!」
    「なんだもクソも朝だよ。さっさと起きやがれ」
    「朝……!?はぁ……、クソ、飲みすぎたな」
     ようやく床から立ち上がったカゲトラは、二日酔いに痛む頭を押さえながら洗面所へと消えていった。
     情けない。丸まった背中に落ちた肩。2メートル超えの巨体が形無しの姿だ。昨夜はいったい何時まで飲んだのか。集まった顔見知りの男たちの下品な話に付き合っていられず、早々に仕事を切り上げたハルヒの知るところではなかった。
    「ハルヒ……悪いが水をくれ……」
     先に店に戻っていたハルヒは、やっと姿を見せたカゲトラの第一声に、給水ボトルの栓をひねって伏せてあったグラスに水を注いだ。トポトポと音を立てて注がれる水はこの国では貴重品だ。特にF
    地区では。
    「あー……クソ」
     ハルヒから受け取った水を、ゴクゴクと音を鳴らして飲み、カゲトラはまた毒づいた。
     カゲトラ・バンダ。【酒亭アヤメ】の豪快で気のいい店主である彼の弱点は酒だ。その体格とは裏腹に彼は酒に弱い。だが、酒場の店主である以上、客と酒と飲み交わすことも多く、ハルヒにとってこんなカゲトラを見るのは日常茶飯事のことだった。
     酒に弱いカゲトラがなぜ酒場を経営しているのか、その理由は亡くなった彼の妻が酒好きだったからだ。店のアヤメという名前は彼の妻から取ったものだった。
    「今日の買い出しは?」
    「あー、そこにある……」
     店は酒の他にちょっとした料理を出す。どれもカゲトラが作るもので、つまみとして最高だと評判も高い。出勤したハルヒの仕事は、まずその材料の買い出しだった。
     カゲトラが指差したカウンターには、一枚のメモと硬貨が置いてあった。メモには料理に使う材料や、ストックが切れた調味料などが書かれている。
    「気をつけて行けよ」
     メモを手に取ったハルヒにカゲトラがそう言った。じっと自分を見つめる男の目を無言で見返し、ハルヒはフッと笑う。
     カゲトラは過保護だ。ハルヒの父と彼が友人で、彼女のことを生まれたときから知っているせいもあるだろう。ハルヒの父からの連絡が途絶えてからは、父親代わりのように面倒を見てくれて、こうして店でも働かせてくれている。
    「もうガキじゃねえよ」
     バタンッという音とともに扉がハルヒの姿を隠してしまうと、カゲトラは再び二日酔いに痛む頭を押さえて呻いた。

    ■□■□■□

     店を出たハルヒは、大通りを歩きながら持ってきたメモを広げる。買ってくるものはハムにレモン、胡椒とミルク。全て買い揃えるには数件店を回ることになるだろう。
    「まずは……」
     一番近い店を口にしようとしたハルヒは、大通りの真ん中を、騒音のような笑い声を上げながら我が物顔で歩いてくる、軍服を着た3人の男たちに気づいた。
     中央を歩くのは頭髪に陰りが見える初老の男で、左右はまだ軍服を着ているというよりも、まだ着られているという表現が正しい若者たちだった。
     この国でクーデターが起こったのは、ハルヒが生まれる前のことだった。そのクーデターにより、建国から続いていた王政の歴史は終焉を迎えた。代わりに軍が政権を手に入れ、その権威に胡座をかいた兵士たちが、我が物顔で街中を闊歩するようになった。
     大通りでは、彼らの遅い歩みに邪魔をされ、ラクダ車や荷車が詰まりはじめていた。完全なる通行妨害だが、当の本人たちはそれに気づいていたとしても、避けるつもりは毛頭ない。
    (邪魔くせえ……)
     ハルヒだけではなく、この場の通行人全員がそう思っても、だれも口には出せない。文句など言えば、冗談ではなく命に関わるからだ。自分で自分の首を絞めたい人間はいない。
    「ヘリオス大佐!またあの話を聞かせてください!」
     中央を歩く男に、若い兵士がそう言った。
    「あの話とは?」
     雄々しい口ひげをたくわえた男はニヤリと笑って聞き返す。相手から答えを引き出すためのあまりにも白々しい態度でも、軍服の襟についた星の数がそれを許容する。大佐と呼ばれた男は、左右の男たちよりも年齢も階級も上だった。
    「15年前のバルテゴでの話あります!」
    「大佐殿の武勇伝の始まりです!」
     当時はまだ2歳だったハルヒにバルテゴで起こった戦争の記憶はない。15年前、風の国バルテゴはこの国、スタフィルスに滅ぼされた。そして、ヘリオスはその戦争でいまの地位を手に入れた。
    「大佐のご活躍、この目で見たかったものです!」
     スタフィルスの街のあちこちには、黒獅子を描いた国旗が風にはためいていた。獅子はスタフィルスを表す守護神とされていて、王政が滅んでも国旗は変更されていなかった。
    「噂では、バルテゴの風神を討ち取ったのも大佐と聞いております!」
    「う、うむ」
     バルテゴの風神。その名前を聞いて大佐の顔色は明らかに変わった。だが、若い兵士たちはそれに気づかない。
    「わ、私の一撃で息耐えたのだ!ははは!」
     他国を侵略し、滅ぼした会話で盛り上がる兵士たちに、ハルヒは真っ直ぐに向かっていく。握り締めた拳の中でカゲトラのメモはグシャグシャになっていた。
     だれもが兵士たちに道を譲る中、ひとりだけ道の真ん中を行くハルヒに、通行人たちも気づき、青ざめた。兵士のひとりが向かってくるハルヒに顔を向ける。その表情は、大佐を褒め称えていたときのものとは違って、虫ケラを見るような侮蔑的なものへと変わっていた。
    「どけ、小僧」
     この国において、軍属は最高の地位にいて、ハルヒのようなF地区のスラムに住む人間はその真逆の底辺に位置する。同じ目線で立っていたという理由だけで投獄されることもあった。
    「どけと言ったのが聞こえないのか」
    「そっちこそどけよ。後ろが詰まってんのが見えねえのか」
     まさしく虫を追い払うように手を振った兵士に対し、ハルヒは顎で彼らの背後を指した。兵士たちがチラリと振り返ると、荷車を引いていた男がビクリと肩を震わせ、巻き込まれてはたまらないと顔を背ける。
    「我々が邪魔か?」
     大佐の質問に、荷車を引いていた男は青ざめ、顔を上げられないままブルブルと首を振る。
    「邪魔ではないようだぞ」
    「おまえらは───」
    「申し訳ありません!」
     ハルヒのさらなる暴言が炸裂するかと思われたその瞬間、ひとりの男がその場に滑り込んで砂の上に膝をついた。長い髪を後ろに束ねたその後ろ姿に、ハルヒはすぐにそれが誰なのか理解する。
    「この者のご無礼をお詫びいたします。大佐」
     自警団の制服を着た男、レイジは兵士たちに向かって深々と頭を下げた。
    「ここは貧しい地区ゆえに教育のなっていない子供が多く、さぞご不快な思いをさせて申し訳ない。この者には厳しく言って聞かせますので、どうかこの場はご容赦ください」
     そう言ってレイジは大佐の手を取ると、そこに紙幣を握らせた。その厚みを確認した大佐は、いいだろうとその口もとを笑わせた。
    「子供と言えども次はない。しっかり躾けておけ」
     大佐はそう言うと、他のふたりと共にその場を立ち去った。彼らの姿が完全に見えなくなると、レイジはようやくハルヒを振り返った。
    「ハルヒ。だいじょう―――」
    「余計なことすんなよ!」
     気遣うレイジに対して、開口一番ハルヒはそう叫んだ。憤りを隠しもしないハルヒの様子に、レイジは小さく息をついて立ち上がった。その膝からパラパラと砂が落ちる。
     レイジ・コウヅキ。彼はF地区の自警団に所属している。カゲトラと同じく、自警団に入る前はハルヒの父と同じ仕事をしていたため、幼い頃からハルヒをよく知る人物のひとりだった。
    「俺ひとりでなんとかなった!」
    「そうか。なら余計なことをしてすまなかった」
     レイジはハルヒに謝罪した。だが、それはますますハルヒの矜持を傷つけ、怒りに火をつける。
    「あんたが来なきゃあいつらに思い知らせてやったのに!」
     ハルヒの八つ当たりを怒ることもなく、レイジはただ悲しげな顔で首を振る。
    「彼らに思い知らせても何が変わるわけでもない」
     わかっているはずだ。そう言って、レイジはその手でハルヒの頭を撫でた。まるで幼子にするようなその手つきに、ハルヒはカッと怒りに顔を赤らめた。
    「俺はガキじゃねえッ!」
     ハルヒはレイジの手を振り払うと駆け出した。砂埃を上げながら全速力で走り去っていくハルヒの後ろ姿を見ていたレイジは、自分にかかる大きな影に気づいて振り返る。そこには騒ぎを聞きつけてやってきたカゲトラが立っていた。
    「レイジ」
    「カゲトラ」
     挨拶代わりに名前を呼びあい、ふたりは軽く頷き合う。
    「また酷い顔色だな」
    「昨夜は飲みすぎた」
    「まあ、気持ちはわかるよ。このところのことを考えれば、深酒したくもなる」
    「……まぁな」
    「それはそうと、いったいいつから見ていたんだ?」
     レイジは意地悪そうに眼鏡の奥の目を細めた。
    「まあ……」
     カゲトラは言いにくそうに口ひげを触れる。おそらくハルヒが兵士たちに突っかかる最初から見ていたのだろう。長年の付き合いだ。カゲトラと言う人間をレイジは理解しているつもりだった。
    「酷いな。憎まれ役を押し付けるなんて」
    「悪かったよ。だが、あの場は俺よりおまえのが適任だと思ったんだ。それにしても、あのはねっかえりは……」
    「あの子も時期に落ち着くさ」
     いまはその時が来るのを待つしかないと、レイジは落ち着いた様子だ。父親代わりとはこれくらい落ち着いていないと務まらないのだろうと、カゲトラは近頃痛感していた。
    「レイジ」
    「なんだい?」
    「やはりハルヒには───」
     ドドンッ!!
     突如として大地が揺れ、足元の砂が踊った。大通り中に悲鳴が上がり、細かく震える砂の上で、カゲトラとレイジは倒れないように体勢を低くする。驚いたラクダが暴れて荷台が倒れ、積荷の箱から飛び出した果物が砂の上を転がった。
     なにが起こったかわからず、パニック状態になり逃げ惑う人々の中、カゲトラは快晴の空に立ち昇る黒煙に気づいた。煙はハルヒが駆け出していった方向から上がっていた。
    「なんなんだ、クソ……!」
     カゲトラは走り出し、その後にレイジも続いた。

    ■□■□■□

    「ごほっ、ごほっ、ゲッホ……!ちくしょう……っ」
     突如起こった爆発と、それに伴う黒煙に巻かれ、ハルヒは激しくむせ込んでいた。煙が目に入って視界もままならない中、無意識に清浄な空気を探す。いつも砂塵混じりの空気に嫌気がさしていたけれど、肺が真っ黒になりそうなこれよりは数段マシなことを痛感しながら、ハルヒはやっとの思いで壁伝いに黒煙から脱出した。
    「わっ!」
     その直後、背中に衝撃を受けたハルヒは砂の上に倒される。
    「どこ見てんだ!クソ野郎!」
     転んでもただでは起きない。ハルヒが怒鳴りながら身を起こすと、ぶつかってきた本人と目が合った。それは少年だった。ハルヒと同じくらい。いや、もう少し幼いかもしれない。この砂漠の国では見ないような、肌の白い、それを通り越して青ざめた顔色をして、その首には数字が刻まれた金属製の首輪をしていた。
    「早く捕まえろ!」
     黒煙の中からの聞こえてきた声に少年は肩を震わせ、脱兎のごとく駆け出した。そのすぐ後に、銃器を手にした兵士たちが現れ、呆気に取られていたハルヒが息を呑む。
    「こいつか!?」
    「いや、違う!首輪をしていない!」
    「おい、小僧!」
     兵士がハルヒに怒鳴る。
    「首輪をつけたやつを見なかったか!」
     咄嗟に、ハルヒはブンブンと首を横に振った。
    「嘘をつくと自分のためにならんぞ!」
     兵士はハルヒの胸に銃口を突きつける。心臓の上だ。トリガーを引かれたら即死だ。恐怖がハルヒの背筋を凍りつかせた。
    「本当に見ていないのか!」
    「し、知らなっ……」
    「嘘をつけ!」

    「首輪をつけたやつなら見ましたよ」

     その声はハルヒの背後からした。兵士はもはや用済みとばかりにハルヒを突き飛ばし、自分たちが欲しい情報を口にした男に近づく。ハルヒも振り返った。
     格子柄のシャツに、グレーの帽子とサングラス。首にカメラをかけた男は一見して観光客に見えた。さっきの少年と同じで、この砂漠の国で暮らしているにしては色素が薄く、それが男が地元民には見えなかったもうひとつの理由だった。
    「観光客か?」
     兵士たちもハルヒと同じように感じたらしく、男に質問する。
    「いいえ。善良な一般市民ですよ。それよりも、首輪をつけたやつはあっちに走って行きましたよ。いまなら追いつくかも」
     そう言って、男は大通りのほうを指差す。すると、兵士たちは少し迷いを見せたものの、優先順位を正しく判断すると、砂を蹴散らして走っていった。それを見送った男は「まあ、首輪をつけた可愛い犬だったけどね」と言って、もう見えない兵士たちに手を振った。
    「大丈夫?」
     男はハルヒに手を差し出す。ハルヒはジッとその手を見つめた。
    「……もしかして、立てない?抱っこしようか?」
    「……ッ!」
     手を伸ばしてきた男に驚き、ハルヒは飛び上がるように立ち上がり、その場から走り去った。
    「わぁ。すっごい元気」
     ハルヒがサンダルで跳ね上げた砂を全身に浴びながら、男はまだ黒煙が立ち昇る建物に視線をやり、かけていたサングラスを外すとその中へ足を踏み入れた。

    ■□■□■□

    「ハルヒ!」
     四つ角の1つから飛び出してきたハルヒを、駆けつけたカゲトラが受け止める。黒煙で顔が真っ黒にはなっているが、ハルヒが無事であることを確かめると、カゲトラはホッと息をついた。
    「怪我は?」
     カゲトラの後ろにいたレイジが聞いたが、ハルヒは答えない。ふたりは顔を見合わせる。ハルヒの様子がおかしいことに気づいたからだ。
    「なにがあった?」
    「………」
    「ハルヒ」
    「首輪……」
     ポツリとハルヒが呟くように言った。
    「なんだって?」
    「数字の書いた首輪をしたやつが……、飛び出してきて……軍が追っかけてった……」
     カゲトラとレイジは顔を見合わせた。その瞬間、銃声が鳴った。
     それほど近くではない。遠くから風に乗り、建物に反響して聞こえてきた音だ。だが、ハルヒの耳にはしっかり届き、彼女はフラリとその足を踏み出す。
    「ハルヒ。おまえは家に帰れ」
    「……嫌だ」
    「ハルヒ」
     カゲトラは厳しい声色で説得しようとするが、何を言われようとハルヒの答えはNOだった。

    ■□■□■□

     人だかりが出来上がっている現場は、すでに軍によって封鎖線が敷かれ、壁と壁の間に黄色いテープにより、一般市民は立入禁止区域になっていた。
     首輪の少年が軍にとって射殺されたことは、現場を見れば一目瞭然だった。ハルヒたちがたどり着いたとき、すでにその場に死体はなかったが、おびただしい量の血液が壁に飛び散り、砂にも染み込んでいた。
    「あれは……」
     独り言のようなカゲトラの声に、ハルヒは顔を上げる。カゲトラが見ている石壁には、動物が爪で引っかいたような裂け目がいくつも残っていた。
    「血の匂いがする……」
     自分で来ると言ったくせに、気分が悪くなったハルヒが呻く。もう少し現場を見ておきたかったが、ハルヒを家へ帰す方が先だ。ここは任せるとレイジに言って、カゲトラはハルヒの細い肩を抱き、野次馬の中から脱出した。
     トボトボと歩くハルヒに歩調を合わせながら、ようやく貧民街に差し掛かると、そこにはウララの姿があった。爆発音や銃声や貧民街にも届いていて、ウララはハルヒを心配してずっと探していたのだ。ウララは無事に戻ったハルヒを抱き締め、カゲトラに礼を言って彼と別れた。
    「……ナツキは?」
     家に入ると、思い出したようにハルヒは弟の名を口にした。それは、全然似てもいないのに、殺された首輪の少年の顔がナツキの顔に重なったからだった。
    「もう寝たよ。あんたも砂を払って休みなさい」
     ハルヒが頭に巻いていたバンダナをはずすと、砂と一緒にいままで見えなかった肩までの黒髪が溢れ出た。
     ウララは息をつき、部屋にある写真に視線をやる。そこには、4人の家族写真が飾られている。もう10年も前の写真なので、子供たちは今よりかなり幼い姿をしていた。ハルヒは年々、母親のフユカに似てくる。本人がどんなに女の性を否定しようとも。
    「おばさん……」
    「なんだい?」
    「ありがとう。……もう、大丈夫だから」
     遠回しに帰れと言っているハルヒにウララはため息をつく。また青白い顔色をして、普段からは考えられないほどハリのない声でそんなことを言われても、置いて帰れるわけがなかった。
    「あんたが寝れば帰るさ」
    「でも……」
    「子供は大人の言うことを聞いてさっさと寝るんだよ」
    「……わかった」
     もはや言い返す気力もなく、ハルヒは自分のベッドへ寝転がり、数秒で静かな寝息を立て始める。その呼吸が規則的になったことを確認して、ウララはもう一度写真に目をやり、深いため息をついた。

    ■□■□■□

     目が覚めるとまず、カーテンを開けて太陽の光を浴びる。それが毎朝の日課だった。
     それでいつもは目が覚めるのに、今日は目を開けることができない。男───アキはどうしても開かない目をこすり、目覚し時計に目をやる。時刻は10時半を指していた。
     昨日は夜が白々と明け始める頃に帰ってきた。たぶん、ベッドに入ったのは朝の6時頃だと思う。我ながらよく働いたと思う。
    「………」
     寝癖のついた黒髪を撫でつけ、アキはあくびを噛み殺して新聞を取りに玄関へ行く。玄関に脱ぎ捨てた靴を踏み台にしてドアについているポストにねじ込まれていた新聞を引き抜き、その一面に目をやった。そこには、アキ自身が書いた記事が大きく掲載されていた。
    【軍事施設で爆発テロ】
    【武装集団トライデントの犯行か】
    【死傷者数名】
     ふっ、とアキは笑みを漏らし、新聞をゴミ箱へ投げ捨てた。
     この仕事を始めて3年になる。嘘八百を並べるエセ新聞記者と言う職業はアキに合っているのか、こうやって一面を飾ることも初めてではなかった。
     真実を捻じ曲げて、軍に都合のいい記事を掲載するのは簡単な仕事だ。ジャーナリズムの真髄だとか、社会に対する背徳だとか、そんな認識はとうの昔に捨て去った。むしろ、初めからなかったのかもしれない。こんな時代、上手に立ち回って生きていかなければ痛い目を見るだけだ。
    (コーヒー飲みに行こうかな……)
     幸い、社長から今朝、今日は休んでいいと言われている。向かいのコーヒーショップへ行くため、アキは身支度を整えると自宅を出た。舗装された道を歩き、馴染みの店に入る。
     ガラス戸を開けて店内に入ると、途端にコーヒー豆の香りが鼻腔を刺激する。今日の豆はなんだろう。コーヒー豆の香りを胸いっぱいに吸い込み、レジまで続く列の最後尾に並んだ。
     店内は割と賑わっていて、談笑する女性たちや、仕事をしている男の姿がある。アキは自分の順番が来ると、馴染みの店員に挨拶をして、ブラックコーヒーを注文した。
     少し待ってから商品を受け取ると、アキは窓際の空いている席に腰掛けて、外を行き交う人々をボンヤリと眺める。こうして何気なく通りを見ているだけでも、あちこちに軍服を着た人間を確認できる。国民たちは軍の反感を買わないように怯えながら毎日を過ごしている。それがこの国の現状だ。
     王政が倒れたこの国では、ヒエラルキーの頂点に立つのが軍、その次がA地区に住む富裕層。その次がそれ以下の一般国民だった。地区はBからFまであり、後になるほど貧困層になる。アキの自宅アパートや勤務先はC地区にあり、昨日、爆発事故が起こったのはF地区にある軍の施設だった。
    「ねえねえ、知ってる?」
     隣で話す女性客の話し声が聞こえてくる。
    「昨日のE地区の事件」
    「射殺されたのはまだ子供だったらしいわよ」
     コーヒーを一口飲み、アキは外を眺めながら女性客たちの話に耳を傾けた。
    「いくらテロリストだからって、子供を殺すなんてねえ」
    「シッ。どこに軍の連中がいるかわからないよ」
     女性たちは周囲を見回して声をひそめた。残念ながらこれ以上は話を聞くことができないようだ。だが、面白い情報は聞けた。
    (あのナンバーズ、E地区まで逃げたのか……)
     空になった紙コップをゴミ箱に捨て、アキはコーヒーショップを出た。途端にほぼ真上にきた太陽が視界を焼いて、慌てて胸ポケットから取り出したサングラスをかけた。この光の下をサングラスなしで歩くことができるのは、この国に生まれた人間くらいだ。スタフィルスの太陽は、この国の生まれではないアキにとって眩しすぎた。
    (E地区のどこかな……)
     昨日は爆発があった軍の施設を調べることを優先し、逃亡したナンバーズは放置した。軍が追っている標的を追いかけて、わざわざ目をつけられたくもなかった。アキはC地区からD地区を抜け、E地区へと足を踏み入れる。
     この街の構造はよくできていて、F地区から軍本部に行くためには、E、D、C、B、Aと順番に街を抜けていくしかない。FとE、DとC、BとA地区をそれぞれを移動するときにゲートは存在していないが、EからD、CからB地区へ行くためにはセキュリティーゲートを通らなければならず、そこを通るために通行証が必要になる。その通行証は軍が発行していて、すべてのゲートを通る権利を持っているのはA地区の人間と軍属だけで、どれだけ軍に不満を抱いていても、ゲートを越えられない人間は貧民地区から出ることすら叶わない。
     アキがE地区に入ると、すれ違う人々の話題は『軍が射殺した子供』ばかりで、事件現場はわざわざだれに聞かなくても予想できた。
    (こっちかな)
     崩れかけた外壁の角を曲がると、そこは巨大な壁がそびえ立っていた。アキはその壁に刻まれた傷の前に、見覚えのある少女が立っていることに気づいた。
    「やあ。偶然」
     アキは少女、ハルヒに軽く声をかけた。だが、壁の裂傷を熱心に見ていたハルヒはアキの声に酷く驚いて肩を跳ね上げ、振り返ると親の仇のように睨みつけてきた。明らかな敵意を向けられ、アキは自分を指差す。
    「僕だよ。ほら、昨日も会ったでしょ」
    「……軍施設で」
    「そうそう。大丈夫?昨日は怪我とかしてなかった?」
    「………」
     ハルヒは不審者を見る目でアキを睨みながら、何も答えずその場を立ち去ろうとした。すれ違いざま、ふわりとなびいた黒髪にアキは目を細める。
    「ねえ、この壁の引っ掻いたみたいな痕、どうやってついたのか知りたい?」
    「……おまえ、これが何か知ってるのか?」
     朝目覚めてすぐ、ハルヒはこの現場へやってきた。そして、昨日はよく確認できなかった壁の傷痕を調べた。それは、見れば見るほどどうやってついたものなのか不可思議な傷だった。
     獣の引っかき傷かと最初は思ったが、こんな大型の獣が街に出たなんてことになればもっと大騒ぎになっている。それに、ここで使われた武器は銃だと聞いているが、銃痕でもない。正直言って、ハルヒには予測さえできなかった。
    「知ってるなら教えろ」
    「いいよ。教えてあげる。その代わりちょっと買い物に付き合ってくれない?」
    「……は?」
     ハルヒは顔をしかめた。
    「付き合ってくれたら教えてあげる」
    「なんだよそれ……」
     買い物なんてひとりで行けばいい。ハルヒはますます顔をしかめた。
    「妹へのプレゼントを選びたいんだよ。きみみたいな女の子の意見を聞きたいんだけど、だめかな?」
    「俺は女じゃねえ!」
     思い切り叫んだハルヒにアキは目を丸くする。確かに、ハルヒはドレスを着ているわけじゃない。サイズの合っていない着古したジャケットに、薄汚れたボトムス姿ではあるが、ハルヒは女性だ。アキにはそうとしか見えなかった。だが、ここでそれにこだわる必要はないとも思った。
    「……気に障ったのなら謝るよ。ごめんね」
    「この傷痕はなんなのか答えろ」
     ハルヒはギロリとアキを睨みつけた。
     初対面に近い相手に、ここまで敵意を向けられた経験がアキにはなかった。自慢ではないが、彼は人に好かれるタイプだ。姿形も雰囲気も、アキの存在は相手を不快にはさせない不思議な魅力があった。なのに、ハルヒにはまったくその魅力が効かない。だが、それが逆にアキに好奇心を抱かせた。
    「神様って信じる?」
     自分を睨み続けるハルヒにアキはそう言った。
    「俺はこの傷痕がなんなのか聞いてんだよ!」
    「その話だよ」
    「は?」
    「だから、きみは神様を信じる?」
     アキの言っていることがまるで理解できないハルヒは、敵意から一転、今度は不審者を見る目になる。アキはそれに気づいて、宗教勧誘じゃないよと首を振った。
    「信じてるか、信じてないかを聞きたいんだ」
    「……信じてるわけねえだろ」
     ハルヒはそう答えた。
     神様だなんて、子供じゃあるまいし、そんなものを信じているわけがない。アキに遊ばれていると感じたハルヒは、再びその場から立ち去ろうとして、ギクリと足を止めた。
    「そこで何をしている!」
     背中にかかった声にアキが振り返ると、そこには銃を手にした兵士の姿があった。
     昨日張られていた規制線はなくなっているから、ここは立ち入り禁止場所ではなくなっている。兵士たちはおそらくただの巡回だろう。適当にやり過ごせる。そう思ったアキは人懐っこい笑顔をその顔に浮かべた。
    「ご苦労様です」
    「何をしていると聞いているんだ」
    「取材です」
     アキはそう答えて、胸ポケットから身分証明書と名刺を取り出す。いつも着ているジャケットを着てきて良かった。身分証を持っていなければ逮捕されている。危ないところだったと思いながら差し出した名刺を、兵士のひとりが疑わしそうな顔で確認する。
    「レーベル社のアキ・クサナギね……」
     レーベル社が軍御用達の新聞社だと言うことは、軍関係者ならだれでも知っている。そして、今朝の朝刊の一面を飾った記事はアキが書いたものだった。身分証明書の写真とアキの顔を見比べて、本人であることを確かめた兵士は、ここは取材禁止だと言ってそれを砂の上に投げ捨てた。
    「小僧。おまえは?」
     兵士の目がハルヒに向く。黙っていたら怪しまれるだけなのに、ハルヒは返事をしない。横を通り過ぎた兵士を追ってアキが振り向くと、ハルヒの身体はカタカタと震えていた。
    「おい。こぞ……、待てよ。おまえ女か?」
     さっきの勢いとは打って変わり、血の気の失せたハルヒの顔色はただ事ではなかった。
    「小娘!おまえはここで何をしていた!」
     ハルヒに詰め寄ろうとした兵士の前にアキが進み出る。
    「彼女は僕の仕事を手伝ってくれていただけですよ」
    「身分証明書を出せ」
    「僕の妹です」
     アキはきっぱりとそう言い切った。
    「彼女の身分は保証します」
    「……名前は?」
     兵士は疑いの視線をハルヒに向けた。ハルヒは声さえ出ないほど緊張している。とても自分で名乗れるとは思えなかった。
    「セルフィ」
     それは考えて出た名前ではなかった。自然に口を出た名前に、アキ自身も内心驚いていた。
    「妹の名前はセルフィです」
     そう言い切ったアキに、兵士たちは顔を見合わせるが、それ以上の追求をすることはなかった。すぐにこの場から立ち去れと言い残し、兵士たちが去っていくと、アキはハルヒを振り返る。
    「大丈夫?」
    「……俺は、セルフィなんて名前じゃねえ」
     絞り出すようにハルヒがそう言うと、きみの名前を知らないからとアキは苦笑した。
     頼んだわけではないが、昨日に続いてまた助けられたことになる。とりあえず、アキが敵ではないと判断したハルヒは、ようやく肩の力を抜いた。
    「ねえ、名前くらい教えてよ。だめ?」
     ハルヒは少し考える様子を見せたが、やがてアキと視線を合わせた。そして、ポソリと一言、自分の名を口にした。

    ■□■□■□

     玄関の前で服についた砂を払ってから、ハルヒは玄関の扉を開けて「ただいま」と声をかける。すると、リビングにいた少年がパッと顔を向けた。
     栗色の巻き毛にくりっとした大きな目が特徴的な少年は、ハルヒの弟のナツキだ。彼はまだ幼さが残るその顔に笑みを浮かべて、姉のハルヒに「おかえり」と返した。
    「体調はどうだ?」
    「悪くないよ」
     朝、目が覚めるとハルヒはE地区へ向かったため、ナツキとの会話は今日これが初めてだった。
    「また砂嵐が来そうな空だったから、今日は外に出るなよ」
    「うん。わかった」
     素直に頷くナツキの頭を撫でると、柔らかな髪質がハルヒに安心感を与えてくれた。ナツキは、ハルヒに残されたたったひとりの家族だった。
    「姉ちゃん」
    「なんだ?」
    「どこ行ってたの?トラのところ?」
     自分が外に出る機会が少ないため、ナツキはハルヒが家に戻ると外の話を聞きたがる。
    「いや……」
     ハルヒは言葉を濁した。昨日の事件のことはナツキに話していない。ナツキの体調は精神状態にも大きく左右されるため、わざわざ悪化させるとわかっていて余計なことは伝えたくなかった。
    「もしかしてデート?」
     ぶっ、とハルヒは吹き出す。
    「で、でっ!?なんでそうなるんだよ!」
    「違うの?」
    「違うに決まってるだろっ!」
    「そうかあ……」
     どこか残念そうにナツキは口を尖らせた。
    「さっきウララおばさんが来て、姉ちゃんのこと心配してたよ」
    「心配?」
    「うん。……怒らないでね?」
     ナツキは前置きをしてから、自分よりも少し背の高いハルヒを見上げた。
    「いつまでも男みたいな格好をして……あの子は女の子なのにって―――」
    「………」
     ハルヒは無言で床に視線を落とした。
    「ねえちゃん……?」
    「出かけてくる」
     そう言ったハルヒに、「また?」とナツキは聞き返す。
    「トラに用事がある。すぐ帰るよ」
    「……うん」
     コツン、とナツキの額を小突くとハルヒは家を出て行った。
     もっとハルヒと一緒にいたい。ナツキがそう思っているのはわかっていても、ハルヒが家にいる時間は少ない。ほとんど寝るために帰ってきているようなものだった。そして、家の中のある場所には絶対に近づかない。小さかったナツキは覚えていないが、ハルヒが忌避するその場所は、ふたりの母親が殺された場所だった。
     母親が殺された家に子供ふたりを置くことはできない。ウララは何度も一緒に住もうと持ちかけたが、父親が帰ってくるからという理由をつけて、ハルヒはこの家を手放そうとはしなかった。
    「………」
     もう日も暮れかけていると言うのに、ジリジリと大地に照りつける太陽を睨み、ハルヒは【酒亭アヤメ】へと足を向けた。
    (あれはなんだったんだ……)
     砂にまみれた街並みの中、立ち並ぶ屋根の上に軍の施設が見えて、ハルヒは首輪をつけた少年のことを思い出す。あのあと、E地区の壁の前で殺されたらしい彼は、ハルヒの知らない少年だった。だが砂に染み込んだ血は、あの日、母親であるフユカが流したものと同じ色をしていた。
    「ねえ、昨日の爆発、テロ組織の仕業らしいよ」
    「【トライデント】でしょ?怖いよね」
     早く捕まればいいのにと言いながら、通行人はハルヒの横を通り過ぎていった。
    「……クソだな」
     ハルヒは足元の砂を蹴り飛ばした。軍に媚を売る新聞社が、ありもしない記事を書くせいで、ほとんどの国民は昨日の爆発が【トライデント】の犯行だと思っている。
     軍も、軍に協力する奴らも全員くたばればいいのに。毎日のように呪うように祈っても、この砂と熱にまみれたハルヒの世界は今日も昨日と変わらない。明日もきっと、この乾ききった大地に雨が降ることはない。
     重い足取りでたどり着いた【酒亭アヤメ】はまだ閉まっていた。いつもはもう店を開ける時間なのにと思いながら、ハルヒは店の扉を開ける。
    「カゲト───」
    「この不始末をどうしてくれる!」
     挨拶がわりに響き渡ったのは男の怒声だった。
    「トウジョウが先走ったんだ!」
    「これでは長い時間をかけてきた作戦が台無しだ!」
     カゲトラはまだ店を開けていなかったが、店内の席は10人ほどの男たちで埋め尽くされていた。その中にはカゲトラとレイジの姿もあるが、話し合いが白熱していて、ハルヒが来たことにだれも気づいていなかった。
    「ようやくここまでこじつけたものを!」
    「これではまたふりだしに戻ったようなものだ!」
    「―――そう決めつけるのは早い」
     カゲトラの言葉に男たちは顔を見合わせた。カゲトラの表の顔は気のいい酒場の主人だが、彼には裏の顔があった。彼は国からテロリスト集団と認定されている組織、【トライデント】のF地区支部のリーダーだ。カゲトラの次の言葉をだれもが待っていた。
    「奴らも連日襲撃があるとは思っていないはずだ。その考えを逆手にとる」
    「いったいどうする気だ」
     レイジが聞いた。
    「予定通り今夜襲撃を決行する」
     寄り掛かっていた壁から背中を離したカゲトラは、全員の意志を確かめるために店内の男たちを見回し、そこでやっと店内にハルヒがいることに気づいた。
    「どう言うことだよ……」
     鍵を閉めていなかったのかと、レイジがカゲトラに呆れた声を漏らす。
    「俺は襲撃作戦なんて聞いてねえぞ……」
     今夜、【トライデント】の会合があったことも知らされてなかった。
    「昨日の軍施設の爆発も仲間の襲撃だったのかよ!」
     今夜決行するとカゲトラが言った別の作戦だって、自分だけ知らされていなかった。自分の知らない話をしていた【トライデント】の仲間たちを見回すが、だれひとりとしてハルヒと目を合わせようとはしない。
    「俺だって仲間だろ!」
     カッとなり、ハルヒはカゲトラに叫んだ。
    「そうだ」
    「だったらなんで俺だけ除け者にすんだよ!俺だって戦える!」
     カゲトラが【トライデント】の支部リーダーだとハルヒが知ったのは、1年ほど前のことだった。カゲトラがハルヒを【トライデント】に入れた理由は、ハルヒを母親の二の舞にしたくなかったからだ。
     ハルヒの母親は軍の兵士に乱暴され、殺された。ハルヒはそれを目の前で見ていた。まだ小さかったナツキを抱きしめ、犯され殺される母親を見ていた。ハルヒとナツキは運よく殺されはしなかったが、全てを目撃した彼女には強いトラウマが残った。
     母親が殺されたことをきっかけにハルヒは軍に対して激しい怒りと恐怖を覚え、軍を潰そうと、町中にある軍施設に忍び込んでは摘み出される軽犯罪を繰り返した。これではいつかハルヒも殺されてしまう。それを恐れたカゲトラは、【トライデント】という反軍組織に入れることでハルヒの個人的な報復を抑制した。
    「おまえは仲間だ。だが、作戦には入れない」
     仲間なのに作戦には入れてもらえない。求められて【トライデント】の仲間になったと思っているハルヒが納得できないのは当然だった。
    「俺も参加する!」
     そう言ったハルヒの腕をカゲトラが掴んだ。大きな手に二の腕を強い力で握られ、ハルヒは痛みに顔をしかめた。
    「なにすんだ……!」
    「振り解いてみろ」
    「は……?」
    「俺の手を振り解いてみろ」
     カゲトラにそう言われ、ハルヒは言われた通りに振り払おうと身をよじるが、体格差がありすぎて、どんなにもがいても彼の手から逃れることはできなかった。
     息を切らし、涙目になったハルヒからカゲトラは手を離す。ハルヒの腕にはカゲトラの指の痕が残っていた。
    「―――ハルヒ。俺が悪かった」
     カゲトラは巨漢だが、腕を掴んで振り解けと言ったのが他の仲間だったとしても、ハルヒには振り解くことができない。肉体労働者が多いこの貧民層ではカゲトラとまでは言わなくても屈強な身体つきの男が多い。その中でも比較的華奢なレイジでも、ハルヒの力は及ばないだろう。
    「俺が悪かった」
     カゲトラはハルヒにそう言った。
    「俺がおまえをこんなことに巻き込んだ。俺が深入りさせた。だが、ここまでだ。もう終わりにする」
    「……なに言ってんだよ」
     ハルヒの声は震える。
    「終わりなんかじゃない!俺はっ……!」
    「おまえは女だ!」
     言いかけた言葉を、一番聞きたくない言葉で遮られる。ハルヒの目は絶望に見開いた。
    「男のふりをしても、おまえは女なんだ。もう危険なことはさせられない。家に帰って、ナツキのそばにいるんだ」
     カゲトラはハルヒの肩を押し返し、カウンターの椅子に座らせる。茫然となるハルヒを置いて、集まっていた仲間たちはゾロゾロと店を出て行った。
    「………」
     人気のなくなった店内は静寂に包まれる。その中で聞こえるのは、ハルヒの小さな呼吸音だけだった。
     あの日のことを忘れたことはない。
     父親のアキラと連絡が取れなくなってしばらくして、家に強盗が入った。盗るものなどなにもないと言うのに、強盗は家の中をひっくり返し、まだ幼いハルヒとナツキの目の前で、母親のフユカを強姦して殺した。フユカの返り血は部屋中に飛び散り、ハルヒはナツキを抱き締めて震えていることしかできなかった。
     フユカを惨殺した犯人たちは、駆けつけたカゲトラとレイジが取り押さえて、ハルヒとナツキの命は助かった。そして犯人たちは形だけの裁判にかけられた。そして、遺族のハルヒやナツキでさえ傍聴できなかった裁判は、軍人であるという理由だけで彼らに無罪の判決をくだした。
     ハルヒの中の正義は覆された。国を、国民を守るはずの軍は、自分たちの味方ではない。その事実は、ハルヒの意識のより深い場所に、杭として打ち込まれることになった。
    (……許さねえ)
     ハルヒは立ち上がるとバンダナを締め直し、店の扉を開けた。そして砂の道を踏み締め、夜の闇の中を歩き出す。
    (絶対にぶっ潰してやる……!)
     今夜、カゲトラがどんな情報を掴んで動いたのかは、まったく内情を知らされなかったハルヒにはわからない。だが、彼女が行く場所はもう決まっていた。

    ■□■□■□

     先日の爆発により一部が崩れた軍の施設前にハルヒは立っていた。見張がいないことで仲間たちがここへきていることを確信する。警備されていない建物内に入るのは至極簡単で、侵入経験豊富なハルヒは物音ひとつ立てずに施設内へと潜り込んだ。
     ここが軍の施設だと言うことは知っていても、知っているのはそこまでだ。あの首輪をつけた少年が、なぜこの施設から逃げ出してきたのか、ハルヒは知らなかった。
     前方から明るいライトが迫ってくるのに気づき、ハルヒは慌てて壁に張り付いた。周りを見回すが、直線の通路が続くこの場所は隠れられるような場所が見つからない。
     靴音はふたり分。ライトであちこちを照らしながら自分のほうへ向かってくる兵士に、ハルヒはポケットから小さなナイフを取り出す。どんなに男のふりをしても、力では男に勝てない。勝つためには武器がいる。
     ハルヒの耳にはもはや兵士の靴音と、自分の心臓の音しか聞こえない。殺される前に殺す。額の汗がバンダナに滲む。その言葉をブツブツと繰り返し、ハルヒがナイフを持つ手にグッと力を入れたその瞬間、フワッとハルヒのバンダナが風に揺れた。
    「う、わっ!」
     悲鳴が上がり、兵士のひとりが何もない場所で転倒する。文字通り派手な転び方をした兵士に隣の兵士が驚くが、続けざまに同じように転倒し、そのままふたりとも動かなくなった。
    「な、なんだ……?」
     床が濡れていて、それに滑りでもしたのだろうか。ナイフを使うことにならなかったことについては良かったのかもしれないが、どこか不自然な出来事にハルヒは息を整えながら二つ折りにしたナイフをポケットにしまう。
     ザーッと音が鳴った。兵士の胸ポケットにある通信機が鳴っていた。応答しろという通信に応えようとして、ハルヒは直前で思い留まる。通信に応えなければ異変が起きたと思ってほかの兵士がここへ来るだろう。
     いまのところ、施設内で騒ぎは起こっていない。カゲトラたちはまだなにもしていないということだ。いま襲撃を兵士に感づかれたら。カゲトラたちの身も危なくなる。だが、通信に出てもそれは同じだ。応答したのが女の声では異変があったことを知らせるようなものだった。
    「はいはい」
     声を限界まで低くすればなんとかなるか。そう思って咳払いをするハルヒの視界の中、通信機は何のことはなく拾い上げられた。拾ったのはどこから出てきたのか、これで三度目の偶然の出会いとなるアキだ。
     足元に兵士が転がっているのに、アキは少しも動じた様子もなく、まるで日常的な動作のように通信機を顔に近づけた。
    『こちら管制室。そちらの状況は?』
    「こちらヒューイット一等兵。現場は異常なし」
     倒れた兵士の軍服についたネームプレートを読み上げ、早々に通信を切ると、アキは呆気にとられているハルヒに対し、やあと声をかけた。
    「また会ったね。ハルヒ」
     まったくもって場違いだ。そんな言葉しか出ない。ここは一般市民が行き交う通りではなく、むしろ立ち入り禁止である軍施設だ。いまここにいておかしくないのは、兵士かテロリストだけだ。
    「……ここでなにしてる」
     ハルヒは再びポケットに手を入れた。いま自分の身を守り、相手を傷つけられる武器は、このナイフだけだ。ひとに向かって斬り付けたことは、これまでに2回。そのうち1回は相手にかすり傷程度のものを与えた。それでもナイフを持つ手は震える。
     カゲトラはハルヒが女だから連れて行けないと言った。だがハルヒには理由がそれ以外にもあると思っていた。カゲトラは言わなかったが、ナイフを持つ手を震わせる自分はきっと、【トライデント】には無用の人材なのだ。自分の弱さは自分が1番よく知っている。嫌という程。だが、ずっとそうであると決まったわけじゃない。
    「おまえは何者だ!」
     【トライデント】にとって敵になるのなら始末しなければならない。ハルヒの視線に殺気がこもる。
    「何者って言われても―――、ただの記者だよ」
     ハルヒの怒りを受け流すように、アキは静かな声で答えた。
    「記者だと?」
    「そう。記者が、爆発があった現場にいたらいけないかな?」
     爆発があったその夜ならまだしも、いまが取材するような時間じゃないことくらいハルヒにだってわかる。
    「もしかして僕が記者だって疑ってる?ええと……名刺持ってたかな」
     そう言ってアキはジャケットのポケットを手で押さえるが、いまは持ち合わせていないようだった。
    「これでも僕の記事、一面に載ったこともあるんだよ」
     アキは首から下げているカメラを指差してそう言ったが、ハルヒは字が読めなかった。特に両親がいなくなってからの毎日は生きるだけで精一杯の日々で、勉強なんかに割く時間はなかった。
    「今度は僕が質問してもいいかな。きみはなんでこんなところにいるの?」
    「……おまえには関係ねえ」
     ハルヒはそう言ってアキに背中を向けて歩き出した。こんなことをしている場合じゃない。早くカゲトラたちを見つけて、自分も役に立つことを示さなければならないからだ。
    (どこだ、カゲトラ……!どこでなにをしようとしてやがる……!)
     足音がよく響く通路を、足音を立てずに歩くのは至難の技だ。どんなに気をつけて歩いてもハルヒの靴音はわずかに響く。だが、その後をついてくるアキはまったく足音を立てない。だから、ハルヒはしばらくアキがついてきていることに気づかなかった。
    「おい。ついてくんな」
    「僕もこっちに用があるんだよ」
    「軍の奴らに殺されても知らねえぞ」
    「殺される?」
     アキは少し声を高くした。驚きと否定が混じった、そんな声だった。一般市民の見解としては、自国の兵士は自分たちを守る存在だ。軍の施設に潜入したとしても、殺されはしないと思っているのだろう。軍の本当の姿を知らないからそんなふうでいられる。ハルヒはアキの楽観的な態度に同情さえ覚えた。
     曲がり角のたびに兵士と出くわすんじゃないかと緊張したが、それはハルヒの杞憂だった。兵士の気配も感じないまま施設のかなり奥まで来たが、カゲトラたちの姿は見つけられなかった。
    (どうなってんだ……)
     先に入ったカゲトラたちが片付けたのか、本当にひとりの兵士の姿もない。その静けさが、足音を立てないアキと同じくらいハルヒに気味の悪さを与えた。
     だれとも会わないまま同じような通路を歩き続け、一本道だったはずなのに迷ったのかもしれないと思い出した頃、なぜか半開きになっているゲートを見つけた。ようやく変わった景色に安堵し、ハルヒはゲートを通り抜ける。その先の通路は左右がガラス張りになっていた。
     ガラスの向こうに何かが山積みになっているのがわかったが、暗くてよく見えなかった。ハルヒが暗闇に目を凝らしてなんとか中を見ようとしていると、アキがカメラのフラッシュを光らせてそこを照らす。
    「ヒ……ッ!」
     その一瞬の光が照らしたガラスの向こうには、おびただしい数の死体が積まれていた。短い悲鳴を上げて足を退いたハルヒの背中を、アキが受け止める。「大丈夫?」とアキに聞かれたが、ハルヒは応えることができなかった。
     貧民層であるF地区では惨めな死に方をする住民もいる。ハルヒも死体を見たことがないわけではなく、実の母親は目の前で無残に殺されている。だが、さすがにこの死体の数には驚きを隠せなかったし、死体はすべて異形で、人間であるはずなのに人間の形をしていなかった。
    「なんだよこれ……」
     アキがまたフラッシュを光らせる。再び異形の死体がハルヒの目に映る。あるものは腕が身長よりも長く伸び、あるものは足だけが異常に膨れ上がっている。人間の形を完全に失っているものもあった。年齢性別に関係なく無造作に積み上げられた死体たちの首輪には、先日射殺された少年と同じ、無機質なナ数字が記された首輪がはめられていた。
     愕然とするハルヒとは対象的に、アキは無表情でそれを見つめている。
    「なんで軍の施設にこんな……っ」
    「噂じゃ、ここは軍の実験施設みたいだよ」
     積み上げられているのはナンバーズって呼ばれてる、使い終わった実験体だね。アキは落ち着いた様子でそう言った。だが、こんなものを見つける予定じゃなかったハルヒは完全に動揺してしまっていた。
    「さしずめ、ここは消耗品の廃棄場所ってとこかな」
    「消耗品って……人間だろ!」
     ハルヒの言葉にアキはもう一度ガラスの向こうを見た。積み重なった実験隊の中にはもはや原型を留めていない形のものもいる。悪魔でも顔をしかめるような実験で、外側も内側も身体を無理やり変えられて、この中のどれだけの人が自分がこんな最期を迎えると知っていたのか。
    「これが人間に見えるの?」
    「人間にしか見えねえよ!」
     裏でこんなことしてたなんて、やっぱり軍はクソだとハルヒは吐き捨てた。
    「ハルヒは軍が嫌い?」
    「軍もこの国も嫌いだね。全部ぶっ潰してやる!」
     周りにアキ以外だれもいないとはいえ、軍の施設で言えることじゃない。危なっかしいところはあるが、真っ直ぐに自分の気持ちを言葉にするハルヒに、アキはフッと小さな笑いをこぼした。
     これだけ正直に軍に対する憤りを言葉にする人間がまだこの国にいたことにアキは正直驚いていた。しかもそれはまだ幼さの残る少女だ。そして、その容姿は彼に懐かしい記憶を思い出させた。いまはもういない妹が成長していれば、きっとハルヒのような歳格好になっていただろう。そう考えるほど、アキにはハルヒが眩しく見えた。
    「ハルヒは強いね。だけど、気をつけたほうがいい。言い方がまるでテロリストみたいだよ」
     ハルヒはぐっと唇を結んだ。どうやら嘘はつき慣れていないらしい。ハルヒの様子に気づかないふりをして、アキは汚れてもいない手をパンパンと払った。
    「さて、僕の取材目的はここなんだけど。ハルヒはまだ戻らないの?」
     アキに聞かれて、ハルヒは少し考える。果たして、カゲトラはここが実験施設などというものだと知っていたんだろうか。自分が住んでいる地区の中の施設でこんなことが行われていることをハルヒは知らなかった。昨日、この施設を爆破させたのは【トライデント】の仲間だ。彼らの目的は、カゲトラたちの目的はなんなのだろうか。確かめるにはカゲトラに会うしかない。
    「俺は戻らない。おまえはさっさと戻って、軍のやってることしっかり記事にしろ」
     アキは軍の不利益になる記事を書かない。それを知らないハルヒはそう言うと、通路を駆け抜けていった。
     彼女の後ろ姿が見えなくなると、アキはもう一度ガラスの向こうに目をやり、そこにまだ幼い少女の死体を見つけて肩を震わせた。
    (……別人だ)
     妹が生きていれば17歳になっている。そう、幼い少女の死体に動揺した自分に言い聞かせる。
    「だめだな……」
     ここに来るべきではなかったのかも知れない。後悔したアキが踵を返そうとすると、建物内で爆発音が鳴った。それはハルヒが駆けていった方向だった。

    ■□■□■□

     すぐそばで起こった爆発音に驚いてハルヒは足を止める。逃げ場を求めて煙がすぐに通路へ広がってくる。それまで不気味なほど静かだった施設内に銃撃の音が鳴り出した。
     何かが始まった。何が始まったのかはわからなくても、それは間違いなかった。銃撃の合間に聞こえてくる叫び声や怒鳴り声に、ハルヒの呼吸は速くなっていく。
    「……!」
     バタバタと足音が自分のほうへ近づいてくる。周りを見回すが、隠れる場所はどこにもない。ハルヒはナイフを抜いた。
     敵か、仲間か。敵なら───、母親を辱めて殺した軍人なら───!煙の中から飛び出してきた男に向かって、ハルヒはナイフを振り下ろした。
    「うぉッ!」
     煙の中から姿を見せたカゲトラはナイフを避け、そこにいたハルヒに目を剥いた。
    「ハルヒ!?なんで来た!」
     開口一番怒鳴りつけ、カゲトラはハルヒの腕を掴んで走り出す。訳のわからないまま、ほとんどカゲトラに引き摺られながら走り出したハルヒの目に、煙の中から次々と姿を見せた仲間たちが映った。
    「レイジさんは……!?」
     仲間たちの中にレイジの姿が見えない。もちろんレイジ以外にも姿の見えない仲間は多くいたが、ハルヒはレイジがいないことに焦りを覚えた。
    「なあ、トラ!レイジさんは!?」
    「罠だ!待ち伏せされた!」
    「罠って……!」
    「情報が軍に漏れてた!だれかが裏切りやがったんだ!」
     裏切り。その言葉を聞いたハルヒの頭に浮かんだのはアキの姿だった。自分のことを新聞記者だと名乗ったアキは、あの死体の山を見ても驚かなかった。よくよく考えてみればおかしいことばかりだ。爆発があった昨日も、首輪の少年が殺された現場にもアキは姿を現した。
    「トラ!俺……っ」
     ハルヒが、カゲトラにアキのことを話そうとしたそのとき、ぱんっ!という渇いた音と共に、カゲトラは前のめりに倒れ込んだ。
    「トラ!」
     ハルヒが声をあげた瞬間、隣を走っていた仲間の眉間が撃ち抜かれる。飛び散る血飛沫にハルヒは目を見開いた。背後からではなく、逃げている方向からの攻撃だった。暗くて姿は見えないが、完全に前後を挟まれている。
    「ちくしょう!どこだ!?」
     焦った別の仲間の男が、的もしぼらずに銃を乱射する。だが、それが命中することはなく、同じように眉間を撃たれて床に倒れると、その頭の下から大量の血が溢れ、それは冷たい通路に流れ出し、ハルヒの足元まで到達する。
     恐怖を覚えた別の仲間がもと来た道を戻ろうとしたが、またしても鳴った音が寸分違わずその眉間を貫いた。
    「………」
     コツコツという足音が近づく。規則正しいが、兵士にしては上品で静かな靴音だ。カゲトラを、仲間を撃った銃を持った男は、ハルヒの目の前まで歩いてきてメガネの奥で目を細めた。
    「嘘だろ……」
     そこに立っていたのはレイジだった。
    「―――やあ。ハルヒ」
     ハルヒの絶望をレイジは否定しなかった。
    「おまえは本当に悪い子だ」
     レイジはそう言って、ハルヒと目線を合わせるべく膝を折った。ショックで頭に霧がかかったようなハルヒは、レイジが射撃の名手だと言うことを思い出していた。
    「カゲトラの言うことを聞いて、こんな所までついて来なければ、ナツキと幸せに暮らせたかも知れないのに―――」
     自分を見るレイジの目に宿った冷たい光にハルヒは息を呑む。それは、これまでハルヒが見たこともなかったレイジの表情だった。
    「レイジ……っ」
     カゲトラの呻く声にハルヒは振り返る。カゲトラは肩から血を流しながら身を起こし、レイジを睨みつけていた。
    「ああ……とても痛そうだな。急所を外してすまない。どうしてもおまえだけは殺せなくてね」
     上からの命令なんだと、レイジは口元を笑わせた。
    「ハルヒから離れろ……!」
    「それはできない相談だ」
    「ハルヒは【トライデント】じゃない!手を離せ!」
    「自分で仲間に引き入れておいてそれはないだろう。ハルヒは【トライデント】だ。だからおまえの作戦に従ってここにいる」
    「ハルヒだけは……ッ」
     レイジに怒鳴ったカゲトラは、ぐぅっと傷の痛みに呻いた。カゲトラに駆け寄ろうとするハルヒの腕をレイジが捕まえる。
    「コウヅキ!」
     レイジの名を呼ぶ声にハルヒが顔を向けると、そこには軍の兵士たちの姿があった。さらに増えた敵に、ハルヒはレイジの腕を振り解こうと暴れるが、ポケットのナイフにさえ届かない。
    「片付いたか」
     兵士たちの先頭にいる男がそう言った。男はハルヒにとって見覚えのある顔だった。それは先日、大通りで往来の邪魔をしていたヘリオスだった。
    「ええ。ご命令通り、カゲトラ・バンダだけは生かしております」
    「この小僧はなんだ」
     ハルヒを一瞥したヘリオスだが、昨日の今日の記憶はすぐによみがえった。
    「彼女も【トライデント】ですよ」
    「昨日は気づかなかったが、女か?」
     ヘリオスはハルヒの顔をしげしげと見つめ、その顔に下卑た笑いを浮かべた。ヘリオスが何を考えているか察したレイジは、ハルヒを彼の前に突き出した。
    「じゃじゃ馬ですが、お気に召したのなら―――」
    「やめ、……っ」
     制止の言葉の途中で、カゲトラは自分の流した血だまりの上に倒れ込んだ。
    「トラッ!」
     レイジはハルヒをヘリオスに突き飛ばす。ハルヒは必死に暴れるが、ヘリオスの腕から逃れることはできない。
    「カゲトラ・バンダは予定通り公開処刑でよろしいですね。私は準備にかかりますので、その娘は大佐のお好きになさってください」
    「トラ!」
     兵士に引きずられていくカゲトラの姿にハルヒは声の限りに叫んだが、彼女の味方はこの場にだれもいなかった。

    ■□■□■□

     ハルヒが連れて行かれたのは、この施設の兵士が仮眠に使う部屋だった。簡素で不潔なベッドが置いてあるだけの室内に入ると、ヘリオスは力任せにハルヒをベッドに突き飛ばした。
     少しもスプリングのないベッドに身体を打ち付けたものの、やっと自由を取り戻したハルヒはすぐさま身を起こすと襟元を緩めたヘリオスを前に身構える。
    「やめておけ。怪我をするだけだぞ」
    「クソ野郎ッ!」
     ハルヒは大きく一歩を踏み込み、ヘリオスに向かって右脚を振り上げた。ヘリオスはそれを左手だけで払い除ける。ベッドの上でバランスを崩してハルヒはよろめき、ヘリオスはその姿に声を上げて笑った。
    「威勢だけか。小娘」
     体格差がありすぎて素手ではどうにもならない。ハルヒは部屋を見回し、ヘリオスの背後の壁にかかっている装飾品の剣に目をつける。飾り物ではあるがないよりはマシだ。
     そう思ったハルヒは大佐の脇をすり抜けようとするが、その瞬間、頭を捕まれてベッドに突き倒された。衝撃でバンダナがはずれて肩までの黒髪が薄汚れたシーツに散った。
     脳震盪に軽く目を回したハルヒの上に、ヘリオスはおもむろにのしかかる。
    「……ッ!」
     ハルヒは定まらない意識の中でもヘリオスから逃れようと足をばたつかせる。そして、その動きは運良くヘリオスの股間にヒットした。
    「うぐぅ……!」
     ヘリオスが股間を抱えてうずくまったその隙に壁の装飾品へ手を伸ばそうとしたハルヒは、今度は顔面をつかまれてベッドに押し戻された。
    「俺をナメるなよ、小娘……!」
     痛みと怒りに顔を歪ませたヘリオスは、ハルヒの胸元の服を掴むと、くたびれた布地を力一杯引き千切った。
    「ははっ、もっとガキかと思っていたがちゃんと女じゃ―――」
     自分の胸の膨らみをぎらついた目で見下ろすヘリオスの顔に、ハルヒはポケットに入れていたナイフを振った。ビッとシーツにわずかな血飛沫が飛ぶと、ヘリオスは痛みを感じる前にハルヒの顔を拳で殴りつけた。頬骨が砕けたのではないのかというような音が鳴り、ハルヒはようやく動かなくなった。
    「……クソガキめが」
     オモチャのようなナイフで切られた鼻筋を指で撫で付け、ヘリオスはゴソゴソと股間をくつろげる。その瞬間、その身体は何かに跳ね飛ばされたように壁に叩きつけられた。悲鳴は喉で詰まり、頭から床に落下したヘリオスはブクブクと泡を吹く。
     パタパタとベッドシーツがはためき、床に落ちていた埃がふわふわと舞う。ひとりでにキィキィと揺れていた扉が外から押し開かれ、ゆっくりとした足取りで部屋に入ってきたのはアキだった。
     アキはヘリオスを一瞥すると、着ていたジャケットを脱いでハルヒの身体にかけてやる。可哀想に、力加減なく殴られた顔は腫れ始めていた。
    「う……」
     頬に触れたアキの指にハルヒが意識を取り戻す。痛みとともに目を覚ましたハルヒにアキは優しく笑いかける。
    「大丈夫?」
    「おまえ……帰ったんじゃ……」
     ハルヒは痛みに顔をしかめながら身を起こし、自分の身体にかけられたジャケットに気づく。
    「これ……」
    「あげる」
     アキはそう言うとくるりと背中を向けた。ハルヒは自分の姿に気づいて、慌ててアキのジャケットに袖を通すと前のジッパーをしめる。そして、ようやく壁際でヘリオスが倒れているのに気づいた。
    「……おまえがやったのか?」
     ハルヒはヘリオスとアキを見比べる。いくら同じ男でも、アキは細身で、とても軍人の男を投げ飛ばせるようには見えなかった。
    「意外とすごいでしょ」
     アキは自分がやったことを否定しなかった。「どうやって」とハルヒは喉まで疑問が出かかったが、それを尋ねる前にアキが振り返った。
    「やっぱり女の子だったね」
    「……俺は女じゃねえ」
    「男なら僕の上着はいらないでしょ」
    「うるせえ!俺は女じゃねえ!二度と俺を女と呼ぶな!」
     ハルヒは叫び、その声は部屋に響き渡った。
     女じゃなければヘリオスにとってハルヒは用無しだった。女だったから彼女はまだ生きている。だが、そのことは口にはせず、アキはわかったよと頷いた。
    「とりあえず脱出したほうがいいね」
    「俺はまだやることがある」
    「カゲトラ・バンダはもうここにはいないよ」
    「!?」
    「施設から連れ出されるのを見たんだ。彼は軍が取り仕切る裁判を受けた後、公開処刑される」
    「おまえ……」
     なぜカゲトラのことをアキが知っているのか。【トライデント】の裏切り者はレイジだった。理由はわからないが、レイジのせいでカゲトラは傷つき、仲間は殺された。だが、情報を流したのがレイジだけとは限らない。
    「いやいや、待って」
     ハルヒの視線に自分が疑われていることに気づいたアキは、焦ったように首を振る。
    「僕は、そう話してる軍のひとの話を聞いただけだよ」
    「………」
    「ねえってば、確かに怪しいかも知れないけど、【トライデント】を売ったって僕が得することはないし、今夜のきみたちの作戦と僕の取材がかち合ったのは、単なる偶然だよ。カゲトラ・バンダも僕も、今夜が一番この施設に入りやすいと判断した。それだけの話だ」
     ハルヒの表情は険しいままだ。どう見ても、ハルヒはアキの説明に納得していなかった。いまにも飛びかかってきそうなハルヒに、アキは困り果てた顔を見せた。
    「困ったな。どうしたら信じてくれる?」
    「………」
    「うーん……。だったらさ、協力しようか?」
    「……協力?」
    「カゲトラ・バンダを助けるんでしょ?僕の潔白を証明するためにそれに協力しようかってこと」
     長年信じていたレイジの裏切りにあったばかりのハルヒに、何度か助けられたとはいえ、どこか胡散臭いアキを信用しろと言うほうが難しい。それに、アキにはわざわざハルヒの信用を取り付ける必要がない。軍人を倒したアキが本気を出せば、ハルヒなんてどうにでもなるからだ。それなのになぜ信用を得ようとするのか。アキが情報を漏らしたのかも知れないと言うことよりも、そのほうが気になりだしたハルヒはなかなか頷けない。味方だと判断するためには、ハルヒはアキを知らなすぎた。
    「……なんで俺に潔白を証明したいんだ?」
     ようやくハルヒは口を開いた。アキは何度か目を瞬きしてから微笑んだ。
    「ハルヒに嫌われたままは嫌だから」
    「はぁ?」
     ハルヒの顔はまるで苦い薬を飲んだときのように歪んだ。アキが何を言っているのか本当に理解できなかったからだ。
    「ハルヒに嫌われたくない。それが潔白を証明したい理由じゃだめかな?」
    「だめかって……、おまえ、頭おかしいんじゃねえのか」
     この状況で、テロリストだとわかっている人間に対して、そんなことを理由に協力するなんて、ハルヒにはそうとしか思えなかった。ハルヒに協力すると言うことは、軍に逆らうと言うことだ。軍に逆らうと言うことはつまり、この国に反旗を翻すと言うことだ。アキの言うようなつまらない感情で動くことは、この国では死を意味する。
    「またひどい言われようだな」
    「死にたがりとしか思えない」
    「それを言うなら【トライデント】もそうでしょ」
    「俺たちは……!」
     ハルヒはそこで言葉に詰まった。さっき、レイジに言われたことを思い出したからだ。ここに来なければナツキと幸せに暮らせたかも知れないのに、あのときそう言われた。ハルヒは否定しかけたが、【トライデント】に属していることは確かに死にたがりなのかも知れないと気づく。
    「……俺は、」
     ハルヒは死にたいわけじゃない。彼女はナツキをひとり残して死ぬわけにはいかなかった。いまの自分の行動が、その考えに矛盾しているとしても。
     レイジの裏切りにより、カゲトラは捕まり、他の仲間も捕らえられたか、殺されたか。運良く生き延びていたとしても連絡も取れない。そして、自分が動かなければカゲトラも殺される。
     【酒亭アヤメ】へ戻るわけにはいかない。きっとレイジはそこまで手を回していることはハルヒにだって予想できた。仲間でいるときには頼れる男でも、敵に回れば厄介でしかない相手だ。
     カゲトラだけはなんとしても救い出さなくてはならない。そのためには、本意ではないとは言え、一時的に手を組む仲間がハルヒには必要だった。それが、心の底からは信用できる相手ではなくても。
    「……わかった。おまえと組む」
    「ありがとう」
     なぜか礼を言うアキをハルヒはジロリと見上げる。
    「ただし、裏切りやがったらすぐ殺すからな」
     それは怖いなと、アキはおどけるように両手を上げて見せた。

    ■□■□■□

     ハルヒとアキが軍施設を脱出する頃には、空は白々と明け始めていた。ナツキのことが気になりはしたが、家に帰っている時間はない。ハルヒはぎゅっとバンダナを締め直す。
    「ハルヒ」
     アキに呼ばれて振り向くとヘルメットが投げられる。アキはバイクにまたがってエンジンをかけていた。小気味のいい音でエンジンがかかり、ハルヒは言われる前にその後ろにまたがった。
     アキはゴーグルだけをかけてバイクを発進させた。早朝ということもあり、人の姿がまばらなF地区からE地区へ抜ける。流れていく景色を見ていたハルヒは、D地区に入る前のゲートへやってきた。
     E、F地区の住人は、基本的にそれ以外の地区へ行く権利がない。だから、ハルヒはD地区に繋がる門を見上げたことはあっても、実際に通ることはなかった。
     手慣れたようにセキュリティーゲートにカードを通すアキの姿は、わかってはいたが自分とは違う世界に生きる人間だと言うことをハルヒに教えた。アキはゲートを通るとさらにバイクを走らせたが、ハルヒの予想外の場所でスピードを緩めてバイクを停車させた。
    「カゲトラはここにいんのか?」
     ハルヒにとっては初めて見る街並みだが、見回すところ軍施設らしき場所は見当たらない。
    「先にやることがあるんだ」
    「やることってなんだよ。早くしないとカゲトラが……!」
    「何事も準備ってものがあるでしょ」
     そう言うとアキはバイクを降り、建物の石階段を上がっていく。見慣れぬ街で立ち尽くしているわけにもいかず、ハルヒはその後を追った。
    「おはよーございまーす」
     石階段の上にあった【レーベル】と書かれたプレートがかかった扉を開けると、アキは間延びした挨拶をして、オフィスの奥でデスクに突っ伏している男の肩をポンポンと叩く。
    「起きてよ、社長」
    「んぁ?」
     アキの呼びかけに男が顔を上げたところで、ハルヒもオフィスに入ってきて顔を歪める。F地区の人間であるハルヒは最悪の衛生状態の場所に住んでいる。だが、そのハルヒに顔を歪めさせるほど、社長と呼ばれた男は汚らしかった。
     たぶんもとは白かったはずの黄色く変色したワイシャツに、ボサボサの鳥の巣頭、そして不潔さをかもし出す無精ひげに、目の回りのクマドリとこけた頬。汚いと思うところをあげればキリがない。
    「これ、施設内の写真」
     アキはそう言って社長の前にカメラを置く。
    「あー。ご苦労さん。ふあぁ、ねむ……」
     何時だよと言いながら社長は胸ポケットから折れかけのタバコを取り出し、口にくわえてライターを探す。
    「それで社長、B地区で予定している軍事裁判の取材許可証が欲しいんですけど」
    「おまえまだ働く気か?」
     夜通し取材してたんじゃないのかと、レーベル社の社長、ハインリヒは呆れた声を漏らす。
    「スクープは見逃せないんで」
    「軍事裁判〜?そんなもんあったか?」
    「あるんですよ。F地区軍事施設の爆破事件の首謀者が裁かれる」
    「あれはカゲトラがやったんじゃねえ!」
     ハルヒが叫んだ。ハインリヒはそこでようやく社内に部外者のハルヒがいることに気づいた。オフィスに入り込んだ、見るからに同地区の住人には見えないハルヒに、社長は説明を求めるためアキに視線を戻す。それにアキはにっこりと笑顔で応えた。
    「彼女、記者志望なんです」
    「……嘘つけよ」
    「あはは」
    「あ〜……ったく、面倒なことになんねえだろうなぁ」
     そう言いながら、ハインリヒはデスクの引き出しから取材許可証を取り出し、そこにハインリヒ・ベルモンドと自分のサインを書き込んだ。
    「ありがとうございます。それと、軍事裁判の情報を手広く流してもらえませんか?」
    「頼み事が多いな」
    「またいい記事書くんで、お願いします」
     確かに、アキは社内で一番の稼ぎ頭だ。どうやって手に入れたのか、だれも知らない情報を掴んでくる。スクープを取ったことも一度や二度じゃない。ハインリヒはそれほど期待する性格ではないのに、期待を裏切ることのないアキの言うことは、彼が書く軍関係の記事内容と違って信頼できるものだった。
    「厄介ごとはごめんだぞぉ……」
     アキとハルヒがオフィスから出て行くと、やっとタバコに火をつけたハインリヒは、肺から白い煙を天井に向かって吐き出した。

    ■□■□■□

     アキは階段を足早に降りながら、B地区へ行く前に、自宅に寄るとハルヒに言った。
    「まだ寄り道するのかよ」
     モタモタしていたら間に合わなくなるかもしれない。やり直しはきかない勝負にハルヒは焦っていた。
    「まだ夜が明けたばかりだよ。それに、その服装はここじゃともかく、B地区じゃ浮いちゃうから。とりあえず僕の部屋へ行こう」
     ハルヒは渋々バイクに乗る。数分でたどり着いたアキの自宅は3階建てのアパートで、アキがカードキーを通すと玄関が横にスライドして開いた。
    「入って」
    「………」
     この男の言う通りに動いていていいんだろうか。玄関前でハルヒは考える。だが、ここでアキを突っぱねて走り出しても、ハルヒだけではB地区へのゲートを越えることもできない。ぐっと下唇を噛み、ハルヒはアキの部屋へ足を踏み入れた。
     部屋に入ると目に入ったのは広いリビングルームだった。ベッド代わりになりそうな大きなソファーとテレビ。ガラス板のテーブルの上には数冊の雑誌と新聞が置かれていた。
    「先に浴びる?」
    「は?」
    「シャワーだよ。砂まみれでしょ」
    「俺はそんなことしに来たわけじゃねえ」
    「だけど汚れてるし、その顔も手当てしなきゃ」
     ヘリオスに殴られたハルヒの顔は明らかに腫れていた。
    「そんなの必要ねえ!」
    「ハルヒは裁判所へ行ったことはある?」
     アキの問いかけにハルヒは彼を睨み付けた。
    「……あるわけねえだろ」
     F地区に裁判所はない。裁判を起こす資金を持たない住民には、不必要な施設は初めから用意されていなかった。母親を殺した軍人の裁判も、ハルヒが足を踏み入れることすら許されない別の地区で行われた。
    「まずその格好では入れないし、B地区では悪目立ちする。ハルヒ。仲間を助けたいのならシャワーを浴びて着替える。それが最低条件だよ」
    「……着替えなんてねえよ」
     ハルヒはそう吐き捨てた。何に着替えろと言うのか。B地区に相応しい服なんてF地区の家にだって置いてなかった。
     どこか不貞腐れた様子のハルヒに、アキはちょっと待っていてと言って、リビングの隣の部屋へ入っていき、しばらくすると綺麗な包装紙に包まれ、リボンがついた箱を持ってきた。
    「なんだよこれ……」
    「ハルヒの着替え」
     ハルヒは困惑しながら、明らかにだれかに贈るプレゼントにしか見えないそれを見つめる。
    「妹にあげるつもりだったんだけど、あげそびれちゃったから」
     着てくれると嬉しいとアキが言うと、ハルヒはようやく頷いた。
     アキにバスルームに案内され、ハルヒは生まれて初めてのシャワーを浴びて、身体についた砂と埃を洗い流す。水浴びも数日前にしたきりだったので、身体が軽くなったような気がした。
     シャワーを終えると用意されていたタオルで身体を拭いて、ラッピングされた箱を開けると中から服を取り出した。
    「……マジかよ」
     それはいままでハルヒが着たこともない、白いワンピースだった。確かに脱ぎ捨てた服とは天地の差であることはハルヒにもわかった。こんな服を着て出歩いていたら、太陽の日差しですぐに皮膚病になりそうだ。そう思いながら、ハルヒはワンピースに袖を通した。
     バスルームから出ると、ソファーに座っていたアキが顔を上げる。その手には救急箱が握られていた。アキに手招きされてハルヒはソファーに座る。
    「とっても似合ってるよ」
     アキはハルヒの頬を手当てしながら、妹のために買った服を着た彼女を褒めた。
    「いいのかよ。妹にやる服なのに」
    「うん。いいんだ」
     ハルヒの手当てが終わると、アキは自分もシャワーをしてくると言ってバスルームへ向かった。
     ソファーに取り残されたハルヒは、電源の入っていないテレビに映る自分の姿を見つめる。弱い女にはなりたくない。だが、カゲトラを助けるためにはこれが必要だ。いまが意地を張っているときじゃないことはハルヒにもわかっていた。
    「お待たせ」
     アキの声に、読めない雑誌をジッと見ていたハルヒはハッと我に返る。そこにはいつの間にかスーツに着替えたアキが立っていた。
    「それじゃ、そろそろ行こうか」
    「……ああ」
     最優先しなければならないのは、カゲトラを救うことだ。それだけを考えろ。そう自分に言い聞かせ、ハルヒは立ち上がった。

    ■□■□■□

     ガシャン、と鉄が鳴った。目の前の扉が開いたその音でカゲトラは意識を取り戻した。
    「………」
     殴られすぎて身体は鉛のように重く、見回す周囲に見覚えはなかったが、薄暗くカビ臭いことから、地上ではなく地下だと判断することができた。
    「ずいぶんと歓迎してもらえたようだな」
     全身が痛んで、しばらくは指一本動かすのも苦労しそうだが、彼は何重もの鎖で壁に拘束され、首輪まで嵌められていたため、動けないのは怪我のせいだけではなかった。
     独房に響いたレイジの声に、カゲトラは左目だけで昨日までの親友だった男を見上げる。右目は腫れ上がって開かなかった。
     レイジの言葉通り、カゲトラは盛大と言える軍の歓迎を受けた。移送中の車の中で手枷をはめられたカゲトラに対し、兵士たちはゲラゲラと笑いながら彼に暴行を加えた。
    「テロリストのくせに人気者じゃないか」
     カゲトラはレイジになにか言おうとして、はめられた首輪が発する電流に顔をしかめた。声帯の動きに反応する首輪は、彼が声を上げることを許さなかった。
    「5時間後に裁判が行われる。そこでおまえは軍事施設の爆破事件の首謀者として裁かれ、その後公開処刑される予定だ」
    「………」
    「なにか言いたそうだな」
     レイジはカゲトラの背後に回ると、首輪の後ろにある磁気コードに、胸ポケットにあったペン先をあてた。すると、なんの手品か簡単に首輪が外れる。首を絞められていたわけではなかったが、圧迫感から解放されたカゲトラはむせ込んで首輪を振り払った。
    「ハルヒはどこだ……!」
    「さあ?施設で別れてからは知らないな。あれだけなりたくなかった女にされたあと、生きているか死んでいるか。あの男次第だな」
    「貴様……!」
    「そんなことより、ほかに知りたいことはないのか?」
    「……施設に捕まっていたほかの人間は?」
     答えを覚悟しながらカゲトラはレイジに聞いた。
    「ナンバーズなら皆殺しさ」
    「……ッ!」
     カゲトラは拳を握り締める。
    「仕方ないだろう。【トライデント】に嗅ぎつかれたんだ。もし外部に情報が漏れたら取り返しがつかない」
     いつからなんだろう。カゲトラは茫然と考えた。この男は、いつからガラス玉のような目で、感情のない言葉を話すようになったんだろう。ずっと共に歩いてきたのに。毎日顔を合わせていたのに。その変化に気付かなかった。
    「……トウジョウをけしかけたのは、」
    「私だよ」
     カゲトラが全てを言い終える前にレイジは答えた。
    「彼はおまえのやり方に不満を募らせていた。だから少し、少しだけその背中を押してやった。実験体の中に―――ある日突然買い物に行ったっきり行方不明になったきみの娘がいるという情報が入ったとね」
     自分の思い描いた通りにシナリオは進んだ。恐ろしいくらいに周りの人間は計算通り動いた。カゲトラにそう語るレイジの顔は恍惚に満ちていた。
    「トウジョウの独断で、兼ねてから計画していたナンバーズの解放作戦に支障が出た。彼らの存在が公になるのを恐れた軍が手を下す前に、おまえは動かなければならなくなった。判断を見誤ったな。おまえの決断が仲間をたくさん殺したよ」
    「仲間を売って―――ヒカリとシュンにどう顔向けするつもりだ!」
     カゲトラの口から出た、もうどこにもいない妻と子の名に、一瞬でレイジの顔から笑顔が消える。同時に振り上げられた拳がカゲトラの頭を殴りつけた。それはレイジの渾身の一撃だったが、カゲトラは微動だにせずにその拳を受け止めた。
    「二度とふたりの名を口にするな……!」
     レイジは地を這うような低い声でそう告げ、カゲトラに背を向けて独房を後にした。ガシャン、と錠をかける音が無機質に響き、カゲトラは床に頭をこすりつけた。
    「クソッ……!」
     今の自分にできることはあまりにも少ない。手も足も出ないとはまさにこのことだろう。万が一にでも祈りが届くのなら―――。
    「無事でいてくれ、ハルヒ……!」
     カゲトラは掠れた声で祈りの言葉を口にした。

    ■□■□■□

     B地区の裁判所前に到着すると、すぐにバイクを降りて入り口へ向かおうとしたハルヒを、慌ててアキが引き止めた。
    「なんだよっ」
    「どうするつもり?」
    「カゲトラを助けに行くに決まってんだろッ」
    「まだ無理だよ」
    「ここまで来たんだぞ!モタモタしてられっかよ!」
    「あのね、殴り込みみたいなことさせるために、僕がそんな服着せたと思う?」
    「おまえの考えなんか知るか!」
     ふうっとアキは一息置いた。それは自分が落ち着くためではなく、ハルヒを落ち着かせるためだった。
    「僕に考えがあるから少し待って」
    「少しって……!」
     反論しようとしたハルヒは、アキが顎で示した裁判所の入り口前に、一台の車が停まったことに気づく。そこから出てきたのは大きなカメラを持った男だった。続けて2台目、3台目と次々と車が到着し、同じようにカメラやマイクを持った人々が裁判所の前に集まった。
    「【トライデント】の公開裁判が本日行われる裁判所前にやってきました!」
    「国民を巻き込む爆破という卑劣な犯罪を起こしたテロリストが、これから法により裁かれます!」
     記者たちが裁判前で中継を始めると、何事だと見物人も集まってくる。裁判前は人々でごった返した。十分にひとが集まったことを確認すると、アキは行こうかとハルヒの手を取った。
    「触んな」
     ハルヒはアキの手を振り払い、裁判所へ向かってずんずんと歩いていく。ふられちゃったと肩をすくめ、アキもそのあとに続く。
     あまりにひとが集まりすぎたために、混雑を収めようと裁判所の中から警備の兵が出てきた。裁判所への入場に列が形成され、ハルヒとアキもその列に並ぶ。
    「ほら、すんなり入れそう」
     アキは良かったねと言った。一般傍聴人として入場できるなら、取材許可証までは不要だったか。だが、準備をしておくに越したことはない。いつ何が起こるのかわからない世の中だ。アキがポケットから取り出したサングラスをかけた、そのときだった。
     一般客の中から黄色い悲鳴が上がった。アキとハルヒが女性たちの視線の先を追うと、そこには裁判所から出てきたひとりの軍人の姿があった。
     明らかに周りの兵士とは違うと思われる雰囲気の男が、自分を見て甲高い声を上げている女性たちに手を振ると、また大きな悲鳴が上がる。
    「なんだあいつ……」
    「彼はルシウス・リュケイオン」
     呟いたハルヒの耳元にアキが囁いた。
    「スタフィルスの若い女性に100人に聞いた、結婚したい男性5年連続ナンバーワンのスタフィルス軍の大佐殿だ」
     ハルヒはもう一度ルシウスを見た。輝くような金髪と青い瞳。通った鼻筋に形のいい唇。軍の大佐よりも、童話の中の王子と言われたほうがしっくりくるような容姿で、周囲の記者たちよりも頭一つ分は背が高い。
    「ルシウス様〜!」
    「こっち向いてください〜!」
    「大佐ぁ!テロリストなんて裁判にかけずに処刑しちまえ!」
     黄色い声に混じってそんな言葉が投げられた。それにルシウスは落ち着いてくださいと首を振る。
    「俺の娘はテロリストのせいで怪我をしたんだぞ!」
    「私の弟は仕事を失ったわ!」
     殺してしまえと集まった人々は口にする。集団になればなるほど悪意は膨れ上がり、やがて歯止めがきかなくなって暴走する。やがて殺せ!殺せ!とコールが上がり出す。
    「それはできない」
     ルシウスが言った。それに対して非難の声が上がる。
    「あなたがたの怒りは最もだが、いくらテロリストでもスタフィルスの国民である以上は裁判を受ける権利がある。悪を裁くために法がある。あなたがたにはその裁判を見届けていただきたい」
    「ルシウス様―!」
     歓声と太陽の光を浴びて、黄金に輝く髪と白い歯を光らせて、にこやかに手を振るルシウスに女性たちはうっとりとしているが、ハルヒは特に興味を持たなかった。彼女の頭の中にはカゲトラを助け出すことしかないからだ。
     だが、女性ならばだれもが自分を見つめて頬を染めることが当たり前になっているルシウスに、自分に見向きもしない白いワンピースの少女は目立つ存在となってしまった。
    「お嬢さん」
     ハルヒをそう呼んで、ルシウスは軽い足取りでハルヒの前までやってきた。
    「あなたもテロリストの被害にあったのですか?」
     お嬢さんと呼ばれたことなんてないハルヒは、自分が呼ばれたことに数秒気づかず、ルシウスに対して反応が遅れる。
    「良ければ話を聞かせてもらえませんか?」
     ルシウスは跪いてハルヒの手を取る。ルシウスに触れられたところから蕁麻疹が腕を這い、吐きそうになってハルヒは彼の手を振り払った。そのときに指先がルシウスの頬をかすめる。女性たちの悲鳴が上がる中、ルシウスの頬にジワリと血が滲んだ。
     あちこちから罵声が上がり、兵士がハルヒに武器を向けた。アキがハルヒを庇おうとしたその前に、ルシウスがサッと手を上げる。
    「武器を下ろせ」
    「し、しかし……!」
    「かすり傷だ。騒ぐようなことじゃない」
     ルシウスはそう言うと、驚かせてすまなかったとハルヒに詫びた。カタカタと震えているハルヒに気づき、アキが彼女とルシウスの間に割り込む。
    「妹が申し訳ありませんでした」
    「彼女はきみの妹か」
    「はい。テロで両親を殺されて、妹はそれからあらゆることに過敏になってしまって……、本当に申し訳ありません」
    「いや、構わない」
     アキにそう言うと、ルシウスはもう一度ハルヒを見つめた。
    「悲しい思いをされたのに、配慮が足りず申し訳なかった。きみのご両親を殺したテロリストは必ず法のもとに裁かれるだろう」
     どこからか拍手が上がり、それは次第に大きくなって裁判所前に鳴り響いた。

    ■□■□■□

     裁判所の一室でレイジは自分を呼び出した人物を待っていた。約束に時間はとっくに過ぎているのにその人物はなかなか現れず、やがて待ちくたびれたレイジはため息をつくと胸ポケットから古びた写真を取り出した。そこには若い頃のレイジと、彼の妻子が写っていた。
     毎朝、鏡に映る自分は歳を取っていくが、妻のヒカリと息子のシュンの時間はもう二度と動かない。全ては失われた。あの風のバルテゴで───、
     部屋の外から聞こえてきた足音に、レイジは胸ポケットに写真を戻した。直後に部屋の扉が開き、レイジを呼び出していたルシウスが戻ってくる。
    「ああ、コウヅキ。待たせたな」
     30歳そこそこであるルシウスはレイジよりも若いが、軍では上官だ。レイジは起立して、とんでもありませんと返事をした。
    「……大佐。その傷は?」
     ルシウスの頬の傷をレイジが指摘すると、子猫に引っ掻かれただけだと彼は苦笑した。
    「B地区以下には裁判の情報は流していないはずだが、あの数ではそれ以外からも群がってきているな」
     まあ、情報は漏れるものだとルシウスは言って、ソファーに腰掛けた。
    「カゲトラ・バンダの様子はどうだ?」
    「変わりありません」
    「そうか。私は外で、かわいそうな娘に会ったよ。両親をテロで亡くしたらしい」
     レイジはただ頷いた。E地区で暮らしていたレイジにとって、それはたいした不幸話ではなかったが、ルシウスは同情しているようだった。爆破テロならば一部くらい死体は残ったのだろうかと、そんなことを考える。レイジの妻子は肉片すら残らなかった。
     さあ、そろそろ裁きの時間だと、ルシウスは時計を見てニヤリと笑った。

    ■□■□■□

     時計の針が、裁判開始時間の15分前に差し掛かった頃には、すでに傍聴席は満席になっていた。ハルヒとアキはなんとか席を確保できたが、集まった人々の中では法廷内に入れない者が多く出た。
     まだ法廷内がざわつく中、5分前になると弁護士や兵士が姿を見せ始める。その中にはルシウスの姿もあった。
     身を固くするハルヒを見て、彼女が過剰なまでにひととの接触を嫌う理由はなんだろうとアキは考えた。いま聞いたところでハルヒは話してはくれないだろうが、それは彼女が女であることを拒む理由と関係があるんだろうと予想できた。
     ザワッと法廷内の空気が変わった。被告人席に両手を拘束されたカゲトラが姿を見せたからだ。立ち上がりかけたハルヒの肩をアキが押さえる。
    「まだじっとしてて」
    「ふざけんな。いまじゃなくていつ……!」
    「座って」
     アキの真剣な様子にハルヒは渋々と座り直す。
    「静粛に」
     裁判長が声をあげる。それを合図に、ざわめいていた傍聴席が静かになった。
    「これよりF地区で起こった軍事施設の爆破テロ事件の裁判を執り行う。被告人、カゲトラ・バンダ。起立しなさい」
     どれだけ殴られたのか、酷い怪我をしているカゲトラはゆっくりと立ち上がった。
    「被告は神聖なる裁判の場において、真実を話すことを誓うか」
    「………」
     カゲトラは黙ったままだ。
    「誓います」
     代わりに応えた声に、法廷がざわめく。ハルヒが目をやるそこには、軍服を着たレイジの姿があった。
    「レ……!」
     叫びそうになったハルヒの口を慌ててアキが塞ぐ。
    「……知ってるひと?」
    「裏切り者だ……!」
    「プライベートでは?」
    「どう言う意味だ?」
    「あのひとはハルヒのことをどこまで知ってるの?そうだ。家族はいるの?」
     思い出したようにアキは聞く。
    「……弟と、父の姉貴が近所に」
     なんでいまそんなことを聞くのか、ハルヒのそんな表情に、アキは眉をしかめた。
    「作戦変更」
    「えっ?」
    「すぐにここを出るんだ」
    「な、なに言ってんだよっ。カゲトラを助ける約束だっ」
     アキはハルヒの口に自分の人差し指を押し当てた。
    「約束は守る。だけどハルヒは先に出るんだ」
     ここまできてレイジのように裏切るつもりか―――。ハルヒの中でアキに対する疑念が膨れ上がる。ふたりが会話している間にも、裁判は進んでいた。
    「被告は野蛮なテロリストですので、首輪を外せば罵声をあげます。代わりに私がお答えします」
    「よろしい」
     裁判官がレイジの代弁を認めると弁護人が立ち上がった。
    「被告代理にお聞きします。被告は爆破テロを行いましたか?」
    「ええ。行いました」
    「それはなぜですか?」
    「この国を憎んでいて、国民を皆殺しにしたかったからです」
    「なっ……!」
     アキと言い合いをしていたハルヒが顔を向ける。
    「【トライデント】は、この国を砂に沈めることを目的としています」
    「だから国を守る軍事施設を爆破したわけですか?」
    「その通りです」
    「てめえ!」
     傍聴席の男が立ち上がる。
    「ふざけやがって!砂に沈みたいならてめえらだけで流砂風呂にでも入ってろ!」
    「あたしの友達は爆破の巻き添えになって怪我したのよ!謝りなさいよ!」
     次々と野次が飛び交った。裁判官は「静粛に」と無機質な声を上げる。誰もカゲトラの味方はいない。彼らは軍の本当の姿を知らずに、【トライデント】を悪と決めつける。
    「ハルヒ。バイクを停めたところで待ってて。カゲトラ・バンダは僕が必ず連れて行くから」
     アキが何度そう言っても、ハルヒの耳にはもう傍聴席の野次馬の罵声しか聞こえなかった。カゲトラを罵倒する声はどんどんエスカレートしていく。裁判官がいくら静粛を求めても少しも収まらない。
    (このままでは埒が明かないか……)
     ルシウスは息を吐き、重い腰を上げようとして、ふと傍聴席にいるハルヒの姿に気づいた。
    (あれを使うか)
     そう決めて、ルシウスはパンパンと両手を叩いた。
    「ここは厳粛な法廷の場です。私語は慎んでください」
     ようやく静まり返った法廷内を満足そうに見回し、ルシウスはカゲトラの前に歩み寄った。
    「カゲトラ。バンダ。判決がどうくだるかはわからないが、きみは処刑されるべきだと私は思っている。きみはその命をもってしか償えない罪を犯した。さあ、その目で見て詫びるがいい!きみに両親を殺されたあの少女に!」
     ルシウスが傍聴席のハルヒを指さすと、そこに目をやったカゲトラが目を見開き、レイジが叫んだ。
    「―――ハルヒッ!?」
     自分の名前が叫ばれたと同時に、ハルヒは傍聴席の前にある柵を飛び越え、周りが呆気に取られている間にカゲトラのもとへ走った。
    「なにをしている!」
     レイジが再び叫んだ。
    「早く撃ち殺せ!あの小娘も【トライデント】だ!はやっ……!」
     カゲトラに蹴られたレイジの体が吹っ飛び、被告人席にぶつかった。予想できなかったハプニングにあちこちから悲鳴が上がる。
    「止まれ!」
     ハルヒの前にルシウスが立ち塞がる。
    「残念だが、ここまで――――」
     瞬間、とルシウスの体が吹き飛んで裁判官席に叩きつけられた。ハルヒは驚いてカゲトラを見るが、彼が蹴り飛ばしたわけではなかった。
    「うわっ!」
    「わぁあっ!」
     背中を強打し、一瞬息を詰まらせたルシウスに続き、ハルヒを取り押さえようとした兵士たちも、何かの干渉を受けてあちこちに吹き飛んでいく。
    「なんだ……!?」
     何が起こっているのかわからないハルヒの髪を、ふわっと風が撫でた。
    「ハルヒ!」
     いつの間にか法廷の扉の前にいたアキがハルヒを呼ぶ。
    「早くッ!」
    「トラ、行くぞッ!」
     ふたりはアキのもとへと走り出す。アキに続き、ハルヒとカゲトラが法廷の外へと飛び出すと、ようやく起き上がったレイジが銃を抜いた。
    「逃がすものか……!」
     ぱんっ!と、短銃が渇いた音を鳴らすと同時に、突風が吹いて扉が勢いよく閉まった。カゲトラを仕留めるはずだったレイジの弾は、逃亡した3人を庇うように閉じた扉に当たって止まった。
    「追え!」
     まさかの事態に呆然となるレイジの背後で、ルシウスが兵士に命令する。
    「全員殺さず生け捕りにしろ!」
     兵士がバタバタと出て行くと、ルシウスは乱れた髪を手で撫で付け、苛立った視線をレイジに向けた。
    「きみは射撃の名人だと聞いていたが、ただの噂だったようだな」
    「……扉が」
    「ああ、強い風だったな」
    「……あれが、風ですか?」
    「他になんだと言うんだ」
     レイジの疑問には耳を貸さず、ルシウスは混乱を極めている傍聴席を一瞥し、あとは任せると言って奥へと消えていった。
     この場の後始末を任されたレイジは、もう一度ハルヒたちが出ていった扉を見た。そこには、1発の銃弾の跡だけが残っていた。

    ■□■□■□

     カゲトラやハルヒにとって、B地区は馴染みがない場所だ。右も左もわからない街中を、兵士の目を避けてとにかく遠くへ逃げるために全力で走った。まだ裁判所での騒ぎは伝わっていないのか、通りの兵士たちは自分たちを追ってはいないようだった。それでもいずれ追っ手は来るし、カゲトラの巨体は目立つ。それに、手枷もかけられたままだ。
     とりあえず人気のない路地裏に逃げ込み、ハルヒはカゲトラの手枷を力任せに引っ張った。だが、カゲトラにもどうにもならないものを、ハルヒの力でどうにかできる訳がない。それでも諦めないハルヒの姿に、カゲトラは胸に渦巻いていた負の感情がどこかに消えていくのを感じていた。
     ただ一心に、自分を救いに来てくれた。まだ17歳のハルヒが、親友の娘が、かけがえのない仲間が。カゲトラは輪になっている自分の腕の中にハルヒを入れると、そっとその身体を抱きしめた。
    「カゲトラ……」
    「ハルヒ!」
     そこへ、ハルヒを捜すアキの声が聞こえた。ハルヒはカゲトラの腕の中から抜け出すと、路地裏に隠れているアキに手を振る。
    「ここだ!」
     カゲトラを救うことができて目的を達成し、笑顔を浮かべるハルヒとは対象的に、アキの顔つきは厳しかった。
    「あのな。俺、おまえのこと信用して―――」
    「まだだよ!」
    「え……?」
     アキを疑ったことへの謝罪と、カゲトラ救出を手伝ってくれた礼を言おうとしたハルヒは、ポカンとした表情でアキを見上げた。
    「すぐにF地区に戻らなきゃまずい!きみはあの裏切り者の男に顔を見られてる!」
     ハルヒの顔から一瞬で笑顔が消えた。家族はいるのかと、法廷でそう聞いたアキの言葉が甦る。
    「早く乗って!」
     真っ青になったハルヒと、明らかに重量オーバーになるカゲトラをバイクの後ろに乗せて、アキはアクセルを踏み込んだ。

    ■□■□■□

    (ナツキ!!)
     ハルヒは祈りながら、アキの背中にしがみ付いた。バイクは砂漠の風を切り、エンジンが焼き切れるフルスピードを出してF地区へ向かって走り抜ける。かなり急いだので、行きにかかった時間の半分でF地区へ戻りはしたが、あたりは暗くなり始めていた。
    「ここから走る!」
     そう叫ぶとハルヒはバイクから飛び降りた。
    「ハルヒ!待ってひとりじゃ……!」
     止めようとしたアキに代わり、カゲトラが手枷をつけたままその後を追う。アキもバイクを乗り捨て、砂の道を走った。
     ようやく家の前まで戻ってきたハルヒは、その周囲に集まっている人々に気づいた。家の前でヒソヒソとささやき合う人々に、嫌な予感は膨れ上がる。それでも家に帰ろうとしたハルヒをカゲトラが止めた。
     無言で首を振るカゲトラにハルヒは抵抗しようとするが、そのまま路地裏へと連れ戻された。そこにやっとアキも追いつき、少し離れた場所に軍用車が停まっていることをカゲトラに視線で教えた。
     一足戻るのが遅かった。いまできることはここから離れることだ。ハルヒにそう言って聞かせたいが、カゲトラは声が出せない。そうこうしている間に、家の中から担架が運び出された。
     兵士が前と後ろを支えた担架は、人だかりをかき分けて軍用車へと運ばれていく。担架の上には頭まですっぽりとブルーシートがかけられていた。ハルヒの呼吸が速くなっていく。
    「ナツ……」
    「うわっ」
     担架を運んでいた兵士が躓き、上にかけられていたブルーシートが外れて落ちた。
     悲鳴を上げそうになったハルヒの口を、カゲトラが押さえる。血と砂にまみれた大きなその手にハルヒの涙が流れ落ちた。
     担架に乗せられて運ばれていた死体はウララだった。ウララの目は驚いたように見開いていて、血を流す口がポカンと開いている。
     ひそひそ、と集まった人々の話が聞こえてくる。
    「あの人、【トライデント】だったんですって。怖いわね」
    (違う。おばさんは【トライデント】じゃない)
    「軍に逆らうからこんな目にあうのよ」
    (違う。おばさんは何もしてない)
    「テロリストなんて冗談じゃないわよ。こっちの迷惑も考えて欲しいわよね」
    (俺のせいで――――)
    「逃げようと思って、子供を盾にしたらしいわよ」
    (―――ナツキ)
    (ナツキは?)
    (ナツキはどこだ?)
    「子供は軍が保護したみたいよ」
    (―――軍)
     ハルヒはカゲトラから離れ、ふらりと歩き出す。家とは逆方向へ進むハルヒをアキが引き止めた。
    「ハルヒ」
    「……ナツキが」
     ボソリ、と呟くハルヒの意識はここにない。いったいどこを見ているのか、視線も虚ろでおぼつかない。
    「……僕の家に行こう」
     ハルヒの家もカゲトラの店も軍が待ち構えているだろう。のこのこ帰るのは愚かでしかない。
    「……離せ」
    「ハルヒ」
    「離せよ!」
    「だめだ!」
     怒鳴り返されてカッとなり、ハルヒは振り上げた手でアキの頬を殴った。アキは真っ赤になった頬をそのままに、視線だけをハルヒに戻す。
    「……だめだよ。ハルヒ」
    「……俺がっ」
     ハルヒが声を漏らす。その目からボロボロと涙が零れ落ちた。
    「俺が……っ、俺が殺したっ……」
     何も知らないウララを巻き込んだ。自分が【トライデント】に入らなければ。軍施設に行かなければ。裁判所に行かなければ。後悔が波のように襲いかかってくる。自分さえいなければ――――ウララは死なずに済んだのに――――。
     がくんとハルヒの体から力が抜ける。アキは意識を失ったハルヒの身体を受け止め、抱き上げる。
    「……行こう」
     アキはカゲトラにそう言うと、ハルヒを抱えたまま歩き出した。

    ■□■□■□

    ―――どうして?
    声が聞こえる。
    ―――どうしてあたしが?
    おばさんの声だ。
    ―――ねえ、ハルヒ。
    振り返るとそこには血塗れのウララの姿があった。
    ―――ハルヒ。どうしてあたしが死ななきゃならないの?

    「――─ッ!」
     悪夢から逃れようとして、ハルヒはベッドから飛び起きた。流れ落ちるほどの汗が体を伝う。心臓も跳ねるように鼓動していた。
    (夢だ)
     そう自分に言い聞かす。
    (だけど―――夢じゃない)
     現実を模倣した夢から覚めた後も、ウララの光を失った目が、記憶に焼き付いて消えない。頭にまでガンガンと鳴り響く鼓動を止めようと、ハルヒは胸元のシャツを千切れるくらい握り締めた。
     しばらくして呼吸が落ち着いた頃、ハルヒは周囲を見回す。そこは知らない部屋で、彼女は知らないベッドの上にいた。見知らぬ部屋なのに危険だと感じなかったのは、シーツからアキの匂いがしたからだったが、ハルヒはそれに気づかなかった。
     ベッドから降りて寝室を出ると、見覚えのあるリビングルームが見えた。F地区の自宅から、いつの間にかアキの家に来たんだとハルヒは認識する。リビングルームにはだれの姿もない。どこかに出かけているのかと思ったとき、バスルームで水音がしていることに気づいた。
     ハルヒは何も考えずに音がしているバスルームまでくると、そこにかかっているカーテンを引いた。
    「ふぇっ」
     気の抜けたような声をあげ、シャワーを浴びていたアキが振り返る。ハルヒはじっとその姿を見つめた。数秒間じっくりとハルヒに身体を眺められたアキは、さすがに恥ずかしいんだけどと苦笑した。
    「……悪い」
     ボソリと呟き、ハルヒはバスルームを出て行った。
    「びっくりした……」
     まさか覗かれるとは思っていなかった。アキは大雑把に身体の水気を拭き取ると、下着とジーンズを履いてリビングルームへ戻った。
     ジッパーをあげながら上半身裸で出てきたアキに、ハルヒの肩を抱いたカゲトラが怪訝な顔を見せる。アキはシャツを着ながら、ハルヒに大丈夫かと聞いたが返事はなかった。
    「……なにか食べるか?」
     カゲトラに言われ、ハルヒは彼を見上げる。カゲトラの首にもう首輪はなかった。手枷といっしょに、昨夜のうちにアキが取り外していた。
     カゲトラの声にいつもは安心するのに、いまはなぜか重苦しく感じた。ハルヒは無言で首を振る。
    「俺のせいでおばさんは死んだ……」
    「おまえのせいじゃない」
     カゲトラはキッパリと否定した。責任はむしろ自分にある。【トライデント】にハルヒを引き込んだこと、それがそもそもの始まりだ。ウララは撃ち殺され、ナツキは軍の手に落ちた。ハルヒの絶望は計り知れない。
     重苦しい空気の2人を横目に、アキはテレビのスイッチを入れた。プツンと音が鳴り、ノイズ混じりの画面が映し出される。砂漠の町での電波障害は日常的なことだ。どうせ電波塔が砂嵐にでもやられたんだろう。
    「おい」
     非難するようにカゲトラが声をあげる。
    「昨日のことやってるかも」
     アキが次々とチャンネルを変えると、他局よりはマシに映る放送局が見つかった。ちょうど朝のニュースの時間にさしかかるようで、女性キャスターが真面目な顔をして手元のニュースを読み上げていた。
     どこかで起こった砂嵐のこと、他国の情勢。それはいつもと変わらない内容だ。次のニュース記事をめくったキャスターが、新たなニュースを読みはじめる。
    「昨夜遅く、F地区で銃を手にした女が、少年を人質に立ちこもると言う事件がありました。鎮圧にかかった軍により、女は射殺、人質になっていた少年は無事、B地区の軍施設へ保護されたと言うことです」
     それでは失礼します、再び女が頭を下げて、画面はいきなり明るいCMへと変わった。
    「罠だな」
     カゲトラが言った。そうだねとアキも頷く。普通、保護した子供の居場所をニュースで流すことはない。軍はナツキを餌にカゲトラとハルヒを釣るつもりでいるようだった。
    「じゃあ、作戦を立てようか」
     アキの言葉にカゲトラは眉間によく深いシワを寄せた。
    「俺からひとついいか」
    「どうぞ。ミスター・バンダ」
    「カゲトラでいい。まだまともな礼も言ってなかったな。脱出の助力に感謝する。それから、こんなことに巻き込んでしまって悪かった」
     カゲトラが淡々と並べる言葉にアキは首を振った。
    「望んで足を突っ込んだことだから、気にしなくていいよ。それに、ハルヒのことを思うなら、いまは僕を使えるだけ使ったほうがいい」
     ハルヒが目覚めたらここを去ろうと思っていたカゲトラの考えを、アキは見抜いていた。
    「テロリストをそばに置いて得をすることは何もないぞ」
     カゲトラにしてみたら、中流階級のアキがテロリストに肩入れする理由がわからなかった。
    「でも、損をするとも限らないでしょ」
     僕は弾除けくらいにはなるかもしれないよと、アキは冗談めかしてカゲトラにそう言った。

    ■□■□■□

     ───B地区、軍施設。その部屋の一室にナツキはいた。そこは客間で大きなソファーがあったが、ナツキは数時間ずっと部屋の隅で膝を抱えて座っていた。泣きはらした目はジンジンと痛んで、枯れてしまったのか涙はもう出なかった。
     あのとき、叔母のウララは、夜遅くまで帰ってこないハルヒと、身体の弱いナツキを心配してたまたま家に来ていた。
     するといきなり軍の兵士がやってきて、ナツキを連行しようとしたのでウララはそれに抵抗した。そして、ナツキの目の前で撃たれた。撃ち殺された。
    (僕も殺されるのかな……)
     ナツキは膝の中に顔を埋める。死はいつも彼の身近にあった。生まれながらに身体の弱いナツキが死にかけたことは一度や二度ではなかった。
     目を閉じるとまぶたの裏に張り付いたウララの最期の顔が思い出される。怖くて怖くてたまらない。15歳のナツキには堪え難い現実だった。
     コンコンと扉がノックされた。
    「……っ」
     ナツキは肩を震わせる。返事をしようかどうしようか迷っているうちに扉は開いた。
    (姉ちゃん……!)
    「ナツキっ」
     自分の名を呼ぶ声はハルヒではなかったけれど、ナツキは救われたような気がした。部屋に入ってきたのは息を切らしたレイジだった。
    「レイジさん……」
    「もう大丈夫だ」
     ナツキに駆け寄ると、レイジは彼の身体を強く抱き締めた。大きな胸の中でナツキはホッと息を吐く。強張っていたナツキの身体から力が抜けていくと、レイジはその口元に笑みを浮かべた。
     ナツキは、ハルヒやカゲトラが【トライデント】であることを知らない。余計なことを知らせて、身体の弱い弟には負担をかけたくないと、ハルヒは常々そう言っていた。おそらくハルヒは、カゲトラを助けに裁判所へ行くこともナツキには告げていないだろう。
    (どうやってB地区まで入り込んだかは気になるが……)
     ナツキを押さえてさえいれば、ハルヒはいずれ取り返しにやってくる。そのときカゲトラもろとも仕留めれば、いまは不可解なことも解明されるだろう。
    「レイジさん、僕、どうすればいいの……」
     信頼する叔母は殺され、唯一の肉親である姉はそばにはいない。自分ひとりでは生きていけもしない脆弱なナツキが頼れるのは―――自分しかしない。レイジはそれを確信する。
    「大丈夫だよ。ナツキ。私がそばにいる」
     レイジはナツキの耳元で囁き、彼の背中を優しく撫でた。
    にぃなん Link Message Mute
    2022/06/10 4:02:29

    ARCANASPHERE1

    #オリジナル #創作

    表紙 アキ、ハルヒ

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品