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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    ARCANASPHERE3 人は嵐に対抗する手段を持ち合わせていない。そのため一度嵐に遭遇すれば、固く窓を閉じ、身を丸めてそれが通り過ぎるのを待つしかない。
     分厚い埃が溜まった窓がガタガタと鳴る。その音でハルヒは目を覚ました。
    「……クサナギ?」
     目覚めてすぐ、ハルヒはそばにアキがいないことに気づく。しかも、昨日は床に座って頭だけベッドに置いて寝たはずなのに、いつの間にかベッドの上で横になっていた。見回しても狭い室内にアキの姿は見当たらない。
     いったいどこへ消えたのかとハルヒが身を起こすと、そのタイミングで古びた部屋の扉が開いた。
    「あっ、おはよ」
     部屋へ入ってきたのはアキで、彼は身体の砂を払ってから持っていた紙袋をベッドの上に置いた。
    「お腹減ったでしょ?僕はペコペコ」
    「……大丈夫なのか?」
     見かけはピンピンしているが、昨日のアキは気を失うように眠りについた。脈も心音も弱い気がして、ちゃんと息をしているかハルヒは夜中に何度も確かめた。
    「平気だよ。ぐっすり寝たから」
     アキはそう言って、ハルヒに袋の中から取り出したサンドイッチと水を手渡した。
    「軍のやつらはまだウロウロしてたか?」
    「外は砂嵐だからね。いまはいなかったよ」
     ハルヒは豪快にサンドイッチに食いつく。いい食べっぷりだと思いながら、アキもサンドイッチを一口食べた。
     砂と風が吹き付け、窓がさらに大きく揺れる。心なしかモーテル全体が揺れている気がするのは気のせいではないだろう。それでもF地区の自宅よりはマシだ。ハルヒはそう思いながら、アキに視線を移した。
    「おまえ、この砂嵐の中を買い物に行ったのか?」
    「うん」
    「うん……、って……」
     アキには不思議な力がある。砂嵐の中、砂を浴びずに買い物に行けたとしてもおかしくない力がある。それがどういった力なのかハルヒにはよくわからないが、何度もその力に助けられた。
    「僕の顔が好き?」
    「は?」
    「熱い視線を感じたから」
    「なんだよそれ。別にてめえのツラが好きで見てたんじゃねえよ」
    「残念。僕の顔は割と好きなひと多いんだけどな」
    「……おまえスタフィルス人じゃないよな」
     ハルヒは思っていたことをそのまま口にした。出会った当初、ハルヒはアキのことを観光客だと思った。理由は、アキの毛色が周りにいた人間とはどこか違っていたからだ。
    「この国に来てもう長いけど、確かに生まれは違うかな。どこ出身か気になる?」
    「別に」
    「えー、ちょっとは気にしてよ」
     ハルヒはアキを無視してサンドイッチを口の中に詰め込んだ。その横顔から、少しも興味を示していないことが見てとれる。
    (……なんか変な感じだなぁ)
     仕掛けても反応が薄いハルヒにアキは心の中で苦笑する。ハルヒはいままでそばにいた女性たちとは違っていた。彼女たちは、アキが少しでも優しくすればその気になって関係を結びたがったが、ハルヒはそんなこと望んでもいない。
    「砂嵐が収まったらカゲトラとナツキくんを探しに行かなきゃね」
    「……おまえを巻き込んだこと、悪いと思ってる」
     こんなこといまさらだとは思う。ハルヒに関わったために、アキまで軍に追われることになってしまった。だが、アキは首を振った。
     ハルヒはアキを巻き込んだと言うが、実際はそうとは言えないかもしれない。逆にこの少女を巻き込んだのは自分かもしれない。アキは胸の古傷がじくりと痛むのを感じていた。
    「僕は巻き込まれたとは思ってないよ」
    「……おまえやっぱ変な奴だよな」
    「そうかな」
    「テロリストと関わって人生めちゃくちゃにされたのに、普通は恨み言のひとつくらい言うもんだろ」
    「そういうものなの?」
     たぶんなと言ったハルヒの顔に笑顔が浮かぶ。それは叔母であるウララが殺されて以来、彼女が久しぶりに見せた笑顔だった。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     レイシャがスタフィルス城のアメストリアのもとへやってきて丸2日が経過した。止むを得ない事情で【トライデント】に属することになったレイシャだが、カゲトラが作戦会議や雑務に追われる中、やることもないレイシャはひとり暇を持て余して庭園で過ごしていた。
     レイシャがスタフィルス城から出ることは許されておらず、市内へ戻れば軍に見つかってしまう。それに、城内ではレイシャに自由がないわけではなかった。城の中は比較的自由に動くことができる彼女は、記者魂から立ち入りが許されている城のあちこちを見て回った。それらが記事にはできないとわかっていても。
     だが、独りよがりの取材もいつかは終わってしまう。レイシャの興味を引くものがなくなったとき、この王城は磨き上げられた牢獄に変わる。
    (帰りたいな……)
     風に戦ぐ白獅子の旗を見上げて、レイシャはそう思った。それができないこととはわかっていても、願わずにはいられなかった。自宅に帰ったところで、家族のいないレイシャを迎えてくれる人はいなくても。
    「退屈そうだな。レイシャ」
     背後からかかったその声にレイシャは驚いて振り返る。そこにはアメストリアが立っていた。その一歩後ろにはカガリヤの姿もある。
    「女王陛下───」
     レイシャはアメストリアの前に跪く。レイシャはここへきて初めて、テロリスト集団だと思っていた【トライデント】が、スタフィルス王家の血を引くアメストリアを、再び国の王とするためにテロを起こしていたことを知った。
    「そう畏まらずともよい。カガリヤ。少し外せ」
    「しかし、」
    「女同士で話したい」
     アメストリアにそう言われ、カガリヤは数歩下がった。本人にしてみれば離れたつもりだろうが、会話は筒抜けになる距離だ。
    (まあ、女王様だもんね……)
     レイシャがアメストリアに何をする気が無くても、警護のカガリヤはそばを離れようとはしない。
    「女王様、その……」
    「アメストリアだ」
    「え?」
    「私の名はアメストリア・ルイ・スタフィルスだ。アメストリアと呼べ」
     レイシャは引きつった笑顔で首を振った。言われた通り呼ぼうものなら、不敬罪で首が飛ぶ。カゲトラの機転で拾った命をむざむざ捨てたくはなかった。
    「では、この部屋でだけはそう呼べ。安心しろ。私以外……、いや、私とカガリヤ以外だれも聞いてはいない」
    「……ご命令ですか?」
    「一個人としての頼みだ」
     レイシャは数秒間考えた末に渋々頷いた。
    「……アメストリア、様」
    「……様、か」
    「こ、これ以上は……」
    「まあいい。時期尚早だった」
     思うようには呼んでもらえなかったものの、アメストリアは気分を損ねたふうはなかった。
    「レイシャ。アキ・クサナギとはどんな人物だ?」
    「……クサナギくん、ですか」
     レイシャは質問されたことをもう一度口にし、アメストリアと初めて出会ったときのことを思い出していた。
     アキはブロッケンビルからテロリストと飛び降りた。それによりレイシャはアキが死んだと思っていたが、アメストリアはそれを否定した。彼女はアキのことを【適合者】だと言っていた。
    「私は会社の同僚というだけで、クサナギくんのプライベートとかはよく知りません。仕事以外では誘ってもあまりきてくれませんし、彼女とかはいないと思いますけど……」
     そこでレイシャは言葉を止めた。女王に対してなにを口走っているのだ、と我に返ったからだ。なぜレイシャが言葉を切ったのかがわからないアメストリアは続きを催促した。
    「そ、それから……、あまり怒ったとことかは見たことないですね。いつもニコニコしてて、人当たりがいいって言うか……女性受けがいいって言うか……」
    「女性受けとは?」
    「その……異性にモテるってことです」
    「モテる?」
     レイシャの口にすることすべてが始めて聞くような単語らしく、アメストリアは右左と首をかしげた。
     一般に王家が存続していることは伝えられていない。そのため、アメストリアはずっと俗世と切り離されて生きてきたのだろう。レイシャは自由に生きてきた自分と彼女を比べ、少し胸の痛みを覚えた。
    「異性として魅力があるってことです」
    「そなたも興味を持ったか?」
    「……まあ、それなりに」
     アキに興味はあった。彼が入社して以来、ずっと隣の席で仕事を一緒にこなし、柔和な笑顔に心惹かれて何度も誘いをかけたけれど、その度に軽くあしらわれた。そして、プライベートがだめなら仕事を利用して隣を歩きたい。そんな子供じみた気持ちを抱いたせいでいま自分はここにいる。
     あのときテロリストと落ちていったアキのせいで、レイシャやレーベル社は軍に【トライデント】とのつながりを疑われた。カゲトラに聞いた話では、アキは【トライデント】ではない。アキにどんな考えがあってあんな行動をとったのかはレイシャにはわからないが、胸を焦がす想いから彼女はアキを憎みきれずにいた。
    「レイシャ。アキ・クサナギに会いたくはないか?」
    「えっ」
    「どうだ?」
    「それは……会いたいですけど」
     この目で見るまで半信半疑ではあるが、生きていると聞いただけでも驚きだったのだ。アキに会えるものなら会いたいし、文句も言いたい。【トライデント】に手を貸した理由も知りたかった。
    「レイシャ。頼みがある。アキ・クサナギをここへ連れてきてくれ」
    「わ、私が……ですか?」
    「そなたは、アキ・クサナギのことをよく知っているようだ。奴の潜伏しそうな場所や、頼りそうな者、そなたに奴の捜索を頼みたい」
    「でも外は軍が……」
    「ああ。だからバンダには頼めない。奴は目立つ」
     カゲトラの巨体は遠目からでも彼だと気づく。レイシャも軍に追われる身ではあるが、カゲトラよりは見つかりにくいと言えた。
    「……クサナギくんを連れてきて、どうするつもりですか?」
     レイシャの問いにアメストリアは微笑を浮かべた。
    「やつもそなたと同じく軍に追われる立場だ。この国の王としてそれを助けたい。それでは理由にならないか?」
     軍のやり方は身に沁みた。いまなら【トライデント】の言い分も理解できると思うほど酷い目にあった。そして、カゲトラがいなければもっと酷い目にあっていただろう。
     レーベル社は軍の望むような記事をずっと書いてきた。それが社長であるハインリヒの方針で、レイシャはそれに対して特に不満もなかった。良く書きすぎている面は確かにあったけれど、軍に反感を持つことはこれまでのレイシャの人生でなかったからだ。だが、一晩でその考え方は変わってしまった。
     【トライデント】が王政を復活させ、アメストリアを王に据えたなら、軍は壊滅し、自分のような目に合うひとを救えるかもしれない。悩んだ末、レイシャはアメストリアに頷いた。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     砂嵐は昼前に収まった。その間、モーテルの中に閉じ込められていたハルヒとアキは、およそ半日ぶりに外へと出た。
    「あー、やっと晴れたっ」
     嵐が過ぎた快晴の空を見上げ、ハルヒは大きく身体を伸ばした。
    「晴れるのはいつものことでしょ」
    「さっきまで砂嵐だっただろ」
     それはごもっともだが、アキはカラカラになるまで大地を焼く太陽を歓迎する気にはなれない。ハルヒはここの天候しか知らないし、慣れているのだとは思うが、他の国で生まれたアキには照りつける太陽は厳しすぎた。強い日差しから目を守るため、アキは買い出しのついでに購入したサングラスをかける。
    「それで、どうやってふたりを探すつもり?」
    「まずはカゲトラだ。前に、非常時で連絡が取れないときは、あいつのほうから連絡してくるから待ってろって言われたことがある」
     アキが聞いたところによれば、彼女が物心つく頃には、カゲトラはハルヒのそばにいたと言う。さすがハルヒの性格をよくわかっている。そうでも言っておかなければハルヒはあちこちを探し回って無茶をすることはわかりきっていた。
    「連絡って、どうやって?」
    「たぶん連絡役」
    「なにそれ?」
    「【トライデント】には、作戦には直接参加しないけど、地区間の情報を伝える連絡役ってのがいるんだ。俺が外に出てれば、その連絡役が接触してくると思う」
    「ふーん……。そうなんだ」
     F地区の【トライデント】はレイジの裏切りにより崩壊した。その連絡役は信じれられるものなのか。アキはそれが気にかかったが、ハルヒはそんな心配を微塵もしていないようだ。
     砂の上を歩いている彼女は、自分が本当は細いロープの上を歩いていることに気づいているのだろうか。アキと出会わなければ、ハルヒは爆発した軍施設の前で死んでいてもおかしくなかった。あの場にアキが居合わせなければ、兵士に撃ち殺されるのではなく、爆発によって飛んできた破片が胸に深く刺さって。
    「クサナギ?」
    「どうしたの?」
    「どうしたじゃねえよ。ぼーっとしやがって」
    「ごめんごめん」
     ふたりが向かったのはD地区の商店が立ち並ぶ市場だった。砂嵐の後片付けを終えた商店は次々と店を開けていて、それに呼応してどんどん買い物客が増えていく。ハルヒの狙いは人目に付くことだった。もちろん軍に見つけられる可能性も高いが、逃げ隠れているばかりでは仲間と合流することはできない。彼女の行動は大胆だと言えば聞こえはいいが、アキがいてこそ成功するものでしかなかった。ハルヒは自分の命を自分で守れないからだ。
    「ねえ、ナツキくんってさ、いくつ?」
    「15歳。ふたつ下だ」
    「じゃあハルヒは僕の7歳下だね」
    「おまえ若く見えるな」
     ハルヒは24歳のアキを見上げ、率直な感想を述べた。
    「それ誉め言葉だよね」
    「受け取り方は人によるんじゃねえか?」
     ハルヒはそんな皮肉めいたことを口にする。最初は野生の動物のようだったハルヒが自分に慣れてきたことを実感しながら、アキはカラフルな衣類が売られている露店に目をやった。
    「ねえ、ちょっと待って」
     アキはそう言うと露店商に話しかけ、晴れた空のような色のバンダナを買って戻ってくる。
    「はい。どうぞ」
    「……?」
    「プレゼントだよ」
    「要らねえよ」
    「ワンピースの代わりの変装だと思って」
     本来ならもっと本格的に変装するべきだがハルヒはきっと嫌がるだろう。そう思ってのアキの判断だった。
    「案外、色が違うものを身につけているだけでわからないものだから」
     ハルヒは渋々と言った様子でアキからバンダナを受け取り、頭に巻きつけた。ふたりは再び歩き出す。なかなか連絡役は現れない。
    「おまえっていつスタフィルスに来たんだ?」
    「8年くらい前かな」
    「家族は?」
    「いないよ。僕だけ」
    「……妹はいないのか?」
     ハルヒの言葉にアキの表情は一瞬だけ消えるが、すぐにその口元は優しく引き伸ばされた。
    「いまはもういない」
    「………」
    「僕だけがこの国に来て、社長に拾われたんだ」
    「社長って……あの?」
    「そう。あの」
     アキは頷いた。ハインリヒのことを思い出し、ハルヒは無言になる。
    「あのひとは大丈夫だよ」
     殺しても死なないひとだからとアキは言うが、ハルヒの表情は晴れなかった。
    「ねえ、喉が渇いたから休憩しない?」
    「そんな暇……」
    「座ってるほうが連絡役に見つけてもらいやすいかも知れないよ」
     なんだか言いくるめられている気がしないでもないが、喉は渇いた。ハルヒはアキと一緒にフレッシュジュースの店に向かった。数人できている列の最後尾に並ぶ。
     生まれてからこれまで貧困層から出たことのなかったハルヒは、こんな店に並ぶことも、水以外の飲料水を飲むことも初めてだった。内心ワクワクしながら順番がくるのを待つ。
     順番がくると、アキはフレッシュジュースをふたつ注文してその出来上がりを待つ。
    「これってさ、デートみたいだね」
    「はぁ?」
     デートなんてしている覚えはない。ハルヒはそう言って、店員が差し出したフレッシュジュースを受け取ろうと手を伸ばすが、その手をアキが掴んで引き戻した。
     パンッとジュースの入ったボトルが店員の手から弾け飛ぶ。中身が砂の上に撒き散らされると、ハルヒは自分の腕を掴んだアキを見上げた。
    「クサナギ……?」
     アキは自分たちの背後の人混みをジッと見ていた。だが、やがてハルヒのほうへ視線を戻して彼女から手を離す。
    「なんだよ。どうしたんだよ」
    「ううん。なんでもない」
     明らかに何かあったのに、アキはそれをハルヒには説明せず、店員に作り直して欲しいと頼む。その様子を、建物の二階からフードを被った男が見下ろしていた。

    □◼︎□◼︎□◼︎

    「……なるほど。B–101か」
     チグサから受け取ったファイルに一通り目を通したルシウスは、納得したようにそう言った。そのファイルの中身は、これまでルシウスが目にしてきた不可思議なことの全てが説明されていた。
    「彼は研究機関が設立されて初めての適合者でした」
     チグサが頷き、ルシウスに近づこうとするのをエルザが身体で制した。まるで番犬だ。ルシウスを守ろうとしているのだろうが、過保護すぎるエルザの様子にチグサは苦笑した。
    「少尉。外で待っていろ」
    「しかし、」
    「命令だ。それに、この女が私に何かできると思うのか?」
     いくらルシウスが手術後の身体であろうと、相手は人体実験しか能がない非力な女だ。それはあり得ない。
     それでもルシウスとチグサをふたりきりにしたくなかったが、命令であれば部屋を出ないわけにはいかない。エルザはチグサを睨み付けながら病室を出た。
    「どうりであの化け物……」
     立っているのもやっとの顔色だったのに、そんな男にルシウスは傷ひとつつけられなかった。そして無様に地を這わされた。あんな屈辱を味わったのは生まれて初めてと言えた。
    「8年前にゴザでロストして、それきりでしたの。最近になってようやく見つけることができました」
    「なぜロストした」
    「単なる内輪揉めです。お恥ずかしいわ」
     チグサは言葉を濁した。思い出したくもない失態ということらしい。ここで聞き出さなくても、エルザに調べさせればわかることだろうと、ルシウスはそれ以上追求しなかった。
     軍に研究機関があることは知っていたものの、自分に直接関係がなかったため、ルシウスがその実態を深く知ろうとしたことはなかった。
    「とにかく―――あんな危険なものを野放しにしておくわけにはいかない」
    「その点に関してはご安心ください」
     チグサはもう一冊のファイルを取り出し、ルシウスに差し出す。ルシウスは無言で新しいファイルを開いた。
    「すでに手は打ってありますわ」
     開いたファイルの中には、真っ白い髪の男の写真があり、B-986と書かれていた。射抜くような鋭い眼光が印象深い男だった。
    「同じく適合者です。B–101の捕獲を命令しました」
    「捕獲などできるのか?」
    「大佐。所詮、B−101は8年も前の遺物。向かわせたのは我が研究機関が誇る最新型です」
    「では……きみたちのお手並み拝見といこうか」
     そう言って、ルシウスはファイルを床に投げ捨てた。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     時間経過とともにだんだんと太陽が傾き、やがてオレンジに色を変える。だが、半日歩き続けてもハルヒが待っている連絡係と遭遇することはなかった。もうすぐ暗くなる。そのため、ひとまずモーテルに戻らないかとアキはハルヒに持ちかけた。
    「まだ日が落ちるまで時間がある」
    「いまから戻ってもモーテルに着く頃には暗くなってるよ。そうなったら、連絡係のひとがハルヒを見つけるのは難しくなるでしょ?」
     それに暗くなればこのあたりの店は閉まり、人通りが減る。ずっとついてくる視線が仕掛けるにはもってこいの状況になる。アキはそれを危惧していた。
    (尾行されてるのは間違いないな)
     刺すような視線が付きまとうようになったのは昼頃からだ。正確には午後2時、露天に立ち寄ったときからだった。ハルヒはそれに気づいていなかった。
    (見ているのが連絡係なら接触してくるはず……)
    「うーん……」
     ハルヒは唸る。もう少し粘りたいのは山々であるが、アキの言い分ももっともだ。ハルヒはオレンジ色の太陽に目を細め、わかったと言った。その直後、アキはハルヒの腕を掴んで引き寄せ、その胸に抱きしめた。
    「なにす……!」
    「離れないで」
     シュンッと空気を切り裂く音がして、ハルヒは本能的に危険を感じて身を強ばらせる。
     パラパラと両脇に迫り立っていた石の壁が剥がれ落ちる音がした。ざわつく買い物客が次々に指差すそこに目をやったハルヒは、そこについた見覚えのある爪痕に息を呑んだ。
    「さすがだなァ」
     孤独な拍手の音が響く。人混みが割れ、その中からフードを被った男が手を叩きながら姿を見せた。
    「でもいまので真っ二つにならなくて良かったよ。それじゃあまりにも楽しみがねえだろ?」
    「なんだおまえ……」
     ハルヒは状況を把握しきれず、男と壁の傷を何度も見比べた。周りにいた人々は、何の手品が始まったのかと、壁にできた傷をわざわざ見にきている。
    「俺か?俺はそいつと同じだよ」
     ハルヒの問いかけに男は自分を指差す。
    「そいつと同じ、風の神様に選ばれた特別な人間だ」
    「風の、神様……?」
     いつだったか、神様を信じるかとアキに聞かれたことをハルヒは思い出していた。あれはこんな傷痕がついたE地区の壁の前だ。そのときはアキにばかにされているのだと思っただけだったが、いまはあの問いかけにも意味があったんじゃないかと思うようになっていた。
    「クサナギ……」
    「大丈夫。絶対に守るから」
     そんな言葉が聞きたいのではなかったが、アキはハルヒの腰を右腕でぐっと抱き寄せた。
    「こりゃァ……お熱いことで!」
     男は右腕を内から外へ向かって振った。それに応えるようにアキも左腕を振る。アキと男のちょうど間で砂煙がぶあっと巻き上がり、バラバラと音を立てて露店の屋根に降り注ぐ。
     何が起こっているのかはわからないが、ここに留まることが危険だと言うことを肌で感じた人々は、そこまで考えが及ばない一部の野次馬を残し、じりじりとその場を離れていった。
    「きみはひとり?」
     周りを見回してからアキは男に聞いた。この場にいると思っていた人物がいない。群衆に紛れているのかと思ったが、どこにもチグサの姿は見当たらなかった。
    「なんだと?」
    「ひとりで来たのかって聞いてるんだよ。ママは一緒じゃないの?」
    「舐めた口きいてんじゃねえぞ」
     男はそう言ってフードを脱ぎ捨てる。顔を見せたのは白い髪の男だった。歳の頃はハルヒと同じくらいで、その話し方と容貌は合致する。そして、その首にはB–986と書かれた首輪がついていた。
    「首輪……!」
     ハルヒがハッと目を見張る。ラッシュが首につけているそれは、爆発があった軍施設から出てきた少年と同じ首輪だった。
    「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はラッシュ・ブリタネルだ。ナンバーはB–986。よろしくなぁ、先輩」
     ラッシュはアキのことを先輩と呼んだ。ハルヒがアキを見上げるが、彼は表情ひとつ変えない。
    「きみの目的は?」
    「あんたは捕獲して、その女を殺す。簡単だろ?それで俺はこの首輪から自由になる」
     そう言ってラッシュは首輪を指でカリカリと掻いた。
    「首輪を外したいのなら僕が外してあげようか?」
    「優しいねぇ、先輩!」
     身を低くしたラッシュの足が砂を蹴る。靴底に風を乗せた彼の動きは恐ろしいほど俊敏で、まばたきの間に距離が詰まる。
    「ここから離れて!」
     野次馬たちはカメラを手に写真まで撮り始めた。危険を顧みない彼らに叫んだアキは、ハルヒを抱えて露店の屋根に飛び上がる。
     地上から露店の屋根までは2メートル半の高さがある。アキにしてみれば風に乗っただけだが、常人とは思えないアキの跳躍を見た野次馬は歓声を上げ、次の瞬間それは悲鳴に変わっていた。
     アキがいた場所へ飛び込んだラッシュによって、野次馬のひとりの腕は切り落とされていた。肉の断面から血が吹き出し、露店や道を赤く染める。珍しく顔をしかめるアキの腕に抱えられたハルヒは、まるで非現実的な状況を、悪い夢を見ているような顔で見ていた。
    「逃げんなよぉ……、センパァイッ!」
     ラッシュはアキのあとを追って露店の屋根へ飛び上がると、アキは隣の店の屋根へと移動する。ラッシュが右腕を振るとアキは右にかわし、左腕を振ると左にかわした。常人には見えない攻撃を、アキはその目で見ていた。
    「ちょこまかと……!」
     イラついたラッシュが足を踏み鳴らすと、屋根板が折れて露店がぐらつく。反対に、アキの足はつま先しか屋根についていなかった。彼に抱えられたハルヒに至っては、ずっとその身体は浮いたままだ。
    「逃げてないで戦えよッ!あのババアは、てめえの適合率を褒め称えてやがったぞ!」
    「嬉しくないなぁ」
     アキはそう言うと、ラッシュに手のひらを向けた。直後、突風がラッシュを吹き飛ばした。1ブロック先の壁に背中から激突したラッシュは、衝撃で崩れた瓦礫の中に埋まって見えなくなった。
    「いまの……おまえがやったのか……?」
     ハルヒの問いかけに、アキは微笑みだけを返して、露店の下に目線を移した。そこでは、片腕をなくした男が数人に抱えられて運ばれていく。離れろと言ったのにそうしないから、腕をなくし、しかもかなりの失血だ。助かるかどうかは五分五分だろう。だが、適合者は別だ。これくらいで死ぬのなら、もとから適合もしない。
     壁が崩れて積み上げた瓦礫から弾丸のようにラッシュが飛び出した。風に乗って物凄いスピードで向かってくるラッシュが右手を横薙ぎにする。そこから向かってくる鋭利な刃のような風を、アキは地上へ飛び降りてかわした。頭上で露店の屋根が次々と刎ねられていく。
    「ハルヒ。大丈夫?」
     とんでもない状況にあちこちから悲鳴が響く中、冷静なのはアキだけだった。ハルヒの安否を確かめると、アキは上から飛びかかってきたラッシュをまたも軽く吹き飛ばす。だが、今度は壁にぶつかる前にラッシュは自力で踏み止まると、雄叫びを上げて両手を突き出した。
    「僕の後ろに!」
     受け止める前からどれほどの攻撃なのかを察知し、アキはハルヒを自分の背中に隠した。そして、両手を突き出してラッシュの攻撃を受け止める。
    「重っ……!」
     思わず感想を漏らしたアキの足が砂を滑る。アキとラッシュと間でぶつかった風は激しく吹き荒れて砂を巻き上げ、周囲の露店をなぎ倒した。
    「こんなもんかよ!アキ・クサナギィ!」
    「わっ!」
     アキの腰に捕まっていたハルヒが、暴風に吹き上がった砂に足を取られて転倒する。
    「ハルヒ!」
     そのまま吹き飛ばされそうになった彼女を、アキが片腕で抱え込んだ。それによりアキの風の威力が弱まる。
    (ばかが……!)
     ハルヒの安全のためにアキが膝を折ると、勝ちを確信したラッシュは渾身の力を振り絞る。
    (押し負ける……!)
     アキがそれを覚悟したとき、不意に風が止んだ。吹き飛ばされかけていたハルヒは、アキの腕の中で顔を上げ、胸を押さえて息を詰まらせたラッシュの姿を目にする。
    「……!」
     優勢だったはずのラッシュは膝から崩れ落ちて動かない。手の甲に血管が浮き出るほど、強く自分の胸を掴んだラッシュの姿はハルヒの目に、ブロッケンビルから落ちたあとのアキの姿と重なった。
    「……リバウンド」
    「え?」
    「なんでもない。いまのうちに逃げよう」
    「は?に、逃げ、んのか?」
    「そうだよ。行こう」
     アキはハルヒの手を引いて走り出す。その背中が見えていながら、ラッシュは刺すような胸の痛みで動けず、ふたりを止めることができない。
    「ちぐ、しょおおおおお……ッ!」
     全身から大量の汗を流し、胸をえぐるほどに掴んだラッシュはその場に頭をこすりつける。額に滲んだ汗に砂が貼り付いた。もう少しで仕留められるはずだったのに、ここで打ち止めになるなんてありえない。怒りで握り締めた拳には血が滲んでいた。
     アキとハルヒの姿が見えなくなると、ラッシュの周りに何台もの車がやってくる。車から降りてきたのは軍の兵士たちだった。
    「B–986!帰還命令が出ている!車に乗れ!」
     兵士のひとりがラッシュの肩に手を置く。その瞬間、彼の腕は肩ごと切断された。
    「俺に触るんじゃねぇッ!」
     腕を切断された軍人は、噴出す血の放物線をその目でたどる。そして、自分の腕が砂の上に落ちたところで、やっとその意味を理解して絶叫した。
    「逃げんじゃねえ、グザナギイィィッ!」
     興奮状態のラッシュは手のつけられない獣と同じだ。叫んだそばから周囲の兵士たちは切り裂かれ、すぐに数体の死体がその場に転がる。恐怖に慄いた彼らがラッシュから距離を取る中、チグサが車から降りてきて、やれやれとため息をついた。
    「負け犬のまま終わりたくないなら落ち着きなさい」
    「うるせえババアァアッ!ぶっ殺すぞ!」
    「仕方ないわね」
     チグサはそう言うと手に持っていた端末のスイッチを押した。
    「……!」
     キィイイイイイイッ!チグサや兵士には聞こえない共鳴音がラッシュの鼓膜を震わせる。強烈な音波に脳神経をやられ、ラッシュはグルンッと白目を剥いてその場に昏倒した。
    「―――運んで」
     チグサの命令でラッシュの右腕を肩にかけた兵士は、彼の肘から手の甲にかけて、まるで硬化物質が劣化した時のようなひび割れができていることに気づいた。そこから皮膚がパラパラと剥がれ落ちている。
    「ドクター。B−986の腕が―――」
    「ああ、それはね―――」
     チグサは赤い口紅を塗った唇を微笑ませ、兵士にその理由を語る。意識を失ったラッシュはその真実を知ることはなかった。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     追手がないことはわかっていたが、ハルヒとアキは出来るだけ廻り道をしてモーテルに戻った。部屋の扉を閉めると、ハルヒは室内唯一の家具であるベッドを扉の前まで押していく。それで簡易バリケードを作ると、ようやく彼女は肺の中の空気をすべて吐き出して床の上に座り込んだ。
    「そこまでしなくても大丈夫だよ。あの子が近くに来たら何となくわかるから」
    「は?」
    「キーンって耳鳴りがするんだ」
    「なんだよそれ……」
    「たぶん同じ能力を持ってるからだと思うけど、僕も初めてのことだからあまりうまく説明できないな」
     アキはそう言って窓のそばで腰を下ろした。
    「それにしばらくは動けないはずだよ。リバウンドを起こしかけてた」
    「リバウンドって……?」
    「神様の力は人間の手に余るってことかもね」
    「……何なんだよ。その神様って」
     アキの話はハルヒのわからないことばかりだった。アキの力もラッシュの力も普通ではない。ここまできて、ハルヒはようやくアキの力について説明を求めた。
    「ハルヒはアルカナスフィアって知ってる?」
     ハルヒは首を振る。
    「この世界の始まりが書かれている創世記だよ。まあ、僕もこうなるまでは本の内容も神様も信じてはなかったけど……」
     アキが指をくるりと回す。すると、小さな竜巻が発生し、それはハルヒの横を通り過ぎて消えた。
    「砂のスタフィルス、火のアメンタリ、水のマーテル、緑のフィヨドル、石のグリダリア、光のコシュナン、そして風のバルテゴ。その七神がこの世界を作ったって伝承がある」
     読み書きができないハルヒでも、アキが言う伝承に出てくる神々については、眠る前に母親に聞かせてもらった記憶があった。
    「僕のこれは、生まれた国の風の神様の力で、さっきのあいつもそうみたい」
     スタフィルス人ではないと思っていたアキの故郷はバルテゴなのだ。遠い海の向こうで生まれたアキの、自分より薄い瞳の色をハルヒはジッと見つめる。
    「あのラッシュってやつも、バルテゴ人なのか?」
    「たぶんそうだと思う」
    「バルテゴ人はみんなそんな力があるんじゃ……ねえよな?」
    「ないよ、手術をしなければこの国の人たちと変わらない普通の人間だ」
    「手術って……?」
    「神様のカケラを身体に埋め込む手術だよ。僕もそれ以上はわからない。研究期間を探ったりしたけど、あそこは軍の中でも機密扱いの部署でさ。かなりガードが硬くて」
     アキは笑ったが、ハルヒの顔は引きつる。アキは伝承と言った。神様が世界を作ったと言うそれは、物語のはずだった。だが、アキは神様のカケラがここにあると、自分の胸を押さえてそう言っていた。
    「信じられないよね?」
     アキの力を見る前ならハルヒは絶対に信じなかったが、いま信じないとはとても言えなかった。アキの力は手品などではないし、同じ力を持った男までいる。
    「神様を信じるか……ってのは難しいけど、おまえに力があるのは……事実だ」
     正直なハルヒの感想に、アキはそうだよねと頷いた。
    「あの子、首輪してたでしょ」
     アキの言うあの子とはラッシュのことだ。ハルヒは頷く。
    「僕も以前、同じものをしてたんだ。研究機関のひとたちは、その手術をする実験対象に首輪をつけて、ナンバーズって呼んでた」
     アキには首輪の日焼けの跡もない。彼の言うそれはかなり前に取り外されたのだとわかる。
    「僕のナンバーはB−101って、」
    「おまえはアキ・クサナギだろ」
    「………」
    「俺にそう名乗ったじゃねえか」
    「……うん。そうだね」
     ハルヒの言葉に頷き、アキはフーッと息を吐く。
    「大丈夫か?」
    「ちょっと……疲れちゃった。また慣れないこと、したからね……」
     言いながら、アキの瞼は重くなっていき、やがてスウスウと寝息を立て始める。ハルヒはアキの身体にそっと自分の上着をかけた。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     カゲトラはアメストリアに言われた言葉をそのまま繰り返した。
     玉座に腰掛けた彼女は、長い金糸の髪を指にくるくると巻きつけながら、隣にいるカガリヤに目をやる。無言の命令にカガリヤはゴホンッと咳払いをした。
    「陛下は、レイシャ・ミナシロがアキ・クサナギの捜索を快く引き受けたとおっしゃられている」
    「……!」
    「アキ・クサナギの件に関して、そなたは腰が重いようだったのでな」
     カゲトラに、満足そうな顔のアメストリアを非難することはできない。彼はただ拳を握り締めてその場を立ち去った。
    「よろしいのですか?」
     無礼極まりないカゲトラの態度に対し、カガリヤがアメストリアに尋ねる。
    「ああ。神の力が手に入りさえするのなら手段は選ばない。レイシャもバンダも役に立たないようなら、アキ・クサナギはおまえが回収しろ」
    「……承知しました」
     アメストリアに頭を下げ、カガリヤはその場を立ち去った。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     昼間とは打って変わった夜の肌寒さにレイシャは体を震わせた。まだ日があるうちに王城を出たが、結局アキを見つけられずにこの時間になってしまった。羽織るものも持ってこなかったレイシャの腕には鳥肌が立っていた。
     街に戻ってきてわかったことは、軍に逆らったレーベル社がテロリスト扱いされていることだった。長年【トライデント】に資金援助をしていたなんて記事もあり、こうなってしまえば何のために軍に媚を売っていたのかわからなくなってくる。
     上着は欲しいが店はどこも閉まっているし、家にも会社にも行けない。だれか頼れる人物はいないか、レイシャが思い出そうとしていると、あっと言う声が聞こえた。レイシャが顔を向けると、そこには買い物袋を下げた若い男の姿がある。
    「ミナシロさん!」
    「……バレシアくんっ」
     レイシャは少し考えた末、会社で自分の前のデスクに座っている男性社員の名を口にする。
     イスズ・バレシアは、レイシャに声をかけてから慌てて周囲を見回した。幸運なことに兵士の姿は見当たらない。それにイスズはホッとして、レイシャを人目につかない場所へ手招きした。
    「いままでどこにいたんですか?」
    「い、色々あったのよ」
     まさか、スタフィルスの王族がまだ存続していて、そこに匿われていたなんてことは口に出せず、レイシャは目を泳がせた。イスズは呆れたような顔をして、買い物袋をまさぐり、中から取り出したコーヒーをレイシャに渡す。
    「ありがと」
     イスズから温かいコーヒーを手にとり、レイシャは栓を開けて一口、二口と飲みながら、冷えた手を温める。
    「……大変だったんですよ」
     その様子を横目で見ながら、イスズは壁にもたれかかってため息をついた。
    「なにも知らずに出社したら、会社は軍の兵士でいっぱいで。社長も行方不明だし、僕も他のみんなも拘束されて【トライデント】との繋がりを吐けとか詰問されて。今朝ですよ。ようやく解放されたのは……」
    「そっちも大変だったのね……」
     レイシャにも色々あったのだろう。疲れた様子のレイシャに、イスズは何となくそれを察した。
    「社長はまだ逃げ回ってるみたいで、そんなことしても拘束時間が長引くだけだと思うけど―――」
    「クサナギくんを知らない?」
     レイシャはイスズの言葉を遮る。ハインリヒの話をしていたのに、彼女から出たアキの名前に対し、イスズはしかめ面を隠さない。
    「知りませんよ……」
     ブロッケンビルでの事件後、レイシャと同じく、イスズも軍に連行されて取り調べられた。レーベル社はテロリストとの関わりなんてないのに、アキのせいで酷い目にあった。イスズはアキのことが好きではなかったが、今回の件が誤解だったとしても、一生好きになることはないと思えた。
     アキは育ての親のハインリヒに可愛がられ、レイシャにも想われ、いつもへらへら、何が面白いのかずっと笑顔で。それ以外の感情がないみたいなあんな男の何がいいのか、イスズには理解できなかった。
    「じゃあ、私そろそろ行くわ」
    「えっ」
     コーヒーを飲み終え、身体が温まったレイシャは立ち上がった。
    「行くって、どこに?」
    「クサナギくんを探さないといけないの」
     レイシャはコーヒーの空き缶を軽く上げてごちそうさまと言うと、イスズに背中を向けて歩き出す。
    「ミナシロさん、待ってください!なんであんなやつ探すんですか!」
     イスズの声にレイシャは振り返る。その顔に浮かんだ笑みが答えだとわかっていても、イスズは彼女を追わずにはいられなかった。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     耳鳴りを覚え、アキは真夜中に目を覚ました。キィィッと耳の奥で、まるで羽虫が飛ぶような耳障りな音。言葉にするなら、これは【共鳴】と言うものだろう。
     立ち上がろうとして、アキは肩にハルヒの上着がかかっていたことに気づく。視線をやると、ベッドをバリケード代わりにしたため、床で丸くなって眠っているハルヒがいた。
    (……決着をつけなきゃね)
     アキはハルヒの身体に彼女の上着をかけると、音を立てないように窓から外へ出た。砂漠のひんやりとした空気が肌に触れ、眠気を吹き飛ばして心地いい緊張感をもたらしてくれた。
     共鳴に導かれるようにアキは市内を歩く。進むにつれ、歩く距離以上に近くなる距離に、向こうも共鳴を頼りに向かってきているのだとわかる。
     砂漠の夜にポッカリと浮かぶ満月が、足元に惜しみない光を落とす。あのひとに手を引かれて逃げ出したあの夜もこんな月で、だからすぐに見つかった。追いつかれた。ゴザで、あの男に。
    「………」
     うやむやな記憶の片隅に残る記憶の海から戻ったアキが顔を上げると、目の前にはズタズタに切り裂かれた露店が立ち並ぶ場所だった。月明かりの下にひとり、崩れかけた露店の上にラッシュの姿があった。
    「やあ」
     アキが声をかけるが返事はない。昼間の好戦的な態度はどこへいったのか、不気味な落ち着きを見せるラッシュは、足下ばかりを見ている。
    『昼間のお嬢さんは一緒じゃないの?』
     アキがラッシュの様子を奇妙に思っていると、その声は頭上からした。アキが顔を上げると、そこにはカメラを積んだ小型ドローンが飛んでいた。どこからか見ている事は間違いないだろうが、それを見つけ出すことは難しいだろう。
    「あなたの目的は僕でしょう?ドクター・ワダツグ」
     ドローンから聞こえてくる声にアキは聞き返した。
    『彼女とはどういう関係なの?妬けるわね』
    「心にもないことを」
    『そんなことはないわよ。でもまぁ、その辺りはあとからラボでゆっくりと聞かせてもらうとするわ』
     このあとの話をするチグサに、アキは首を傾げた。そんな予定は自分にはない。言葉にしなくても表情がそれを物語っていた。
     ざざっ、とスピーカーの音が割れる。また砂嵐が近づいているのか。そして、それを待っていたかのように、ラッシュがようやく顔を上げた。
    「また会えたなあ、先輩……」
     露店の上から飛び降りたラッシュを守るように風が舞い、ラッシュはと重力を感じさせない動きで、ふわりと砂の上に着地した。
    「……先輩として言わせてもらえば、その力の乱用は勧めないよ」
    「ご忠告痛み入るぜッ!」
     ヒュゥッと風が鳴る。ラッシュの放った風の刃が、アキが腕のひと振りで空高くに跳ね上がって霧散する。真夜中ともなれば人通りは極端に少ないが、これ以上被害は出したくなかった。
     ラッシュは左右交互に腕を振り、続けざまに攻撃を仕掛けてくる。アキはそれを最小限の力で受け流し続けた。
     やがて、パキパキという音が鳴っていることにアキは気づく。音の出所はラッシュの右腕の皮膚だ。アキは頬を撫でる風に目を細めた。
     同じ力を持っていてもアキとラッシュの戦い方はまるで違う。アキは防戦一方に見えるが、最小限の力でラッシュの全力を払いのけていた。カメラに映ったそんなふたりの様子を、チグサはモニターでじっくりと眺めていた。
     ラッシュがどんなに刃を振るおうともアキにはかすりもしない。やはりアキはほかのナンバーズとは違う。彼という逸材をこんなにも長い間ロストしていたことを、チグサは改めて悔やんでいた。その間も、腕から身体にかけてラッシュの皮膚の剥離はどんどん酷くなっていく。
    「もうやめたほうがいい」
     アキが言った。
    「細胞が劣化して皮膚が剥がれ落ちてる。リバウンドの初期症状だ。これ以上力を使い続ければどうなるか、優しいママは教えてくれなかった?それでも想像くらいはできるだろ?」
    「知らねえよッ!」
     ラッシュが腕を振る。腹が立ったのか、いままでの攻撃よりも鋭い風を、アキは飛び上がることで避けた。
    「逃げてばっかじゃつまんねえだろ!撃ってこいよ!」
    「嫌だよ。僕はそうなりたくない」
     最小限の風でアキはラッシュの攻撃を避け続ける。ラッシュの皮膚の劣化は、ついに顔にまで達していた。
    「うおおおおおおおおッ!」
     咆哮を上げたラッシュの身体から暴風が巻き上がる。決して小さくはない竜巻は砂と露店を巻き込み、大きく膨れ上がっていく。
    「話を聞かない子だな」
     ぼそりとそう漏らし、アキはラッシュから離れようとして、目を見開いた。信じられないことに、竜巻の向こうにレイシャとイスズの姿を見たからだ。
    (なんで……!?)
     アキを探して、ここまでやってきたふたりは、突如として巻き起こった竜巻に悲鳴を上げるが、すでに暴風圏に取り込まれている。見て見ぬ振りをすれば巻き上げられてズタズタにされるだろう。
    (出来るだけ使いたくないのに……!)
     ふたり同時に助けるのには無理があり、距離もある。それなら元凶をなんとかするしかない。アキは風の防壁を身体に纏って竜巻の中へと突っ込んだ。ラッシュの風とアキの風がぶつかり合い、凄まじい静電気が巻き起こる。
     竜巻の中心で、アキの侵入にも気づかずにラッシュは白目を剥いて叫び続けている。頬から剥がれ落ちている皮膚にアキは顔をしかめた。
    「いい加減に自分の体が崩壊しているのに気づいたらどう――――!」
     不意に竜巻が止んだ。バチッと強い静電気が走ったのは、ラッシュがアキの腕を掴んだからだった。
    「―――やっと捕まえたァ」
     白目のままニヤリと笑ったラッシュは、勢いよくアキを地上へ叩き付けた。物凄い音が響き、それを目撃したレイシャとイスズが悲鳴を上げる。
    「おらよォッ!」
    「クサナギくんッ!」
     ラッシュは腕一本でアキの足首を掴むと、成人男性である彼をいとも簡単に投げ飛ばす。
    「嘘だろ……!」
     常軌を逸した状況にイスズが呻くと、ラッシュの意識がそちらに向く。脳震盪を起こしたアキは動けない。逃げろという言葉が音にならない。
    「あんたらこんな夜中にどうした?見物かぁ?」
    「ひ……っ」
    「だったら見物料でももらおうかァッ!」
     興奮しきったラッシュはふたりに向かって腕を振った。レイシャとイスズは震え上がり、一歩も動けない。アキも間に合わない。
    (まずい……!)
     パ―――ッ、とクラクションが鳴り響き、息を呑んだレイシャたちとラッシュとの間に、砂を蹴散らして大型トラックが飛び出してくる。ラッシュの風の刃はトラックの荷台を真っ二つにして空へと消えていく。
     建物にぶつかる直前で急停車したトラックはバックに切り替わり、ものすごい勢いでラッシュに向かって突っ込んだ。轟音が鳴り響き、砂煙が舞い上がる。
    「ゲッホ!ゲホゲホ!」
     激突の衝撃で白い煙をあげるトラックの座席から、ハルヒが文字通り転がり落ちてくる。レイシャが息を呑む。
    「【トライデント】の……!」
    「クサナギイイイッ!てめぇ、ふざけんなよ!」
     レイシャはブロッケンビルで一瞬だけハルヒの姿を見ていた。だが、ハルヒはレイシャたちには見向きもせず、アキに向かって怒りの声を上げた。
    「ハルヒって、トラック運転できるんだね……」
     ハルヒはもちろん運転免許など持っていない。だが、カゲトラが車を運転している姿は何度か見たことがあった。説明書を読むタイプではなく、完全に実際に身体で覚えるタイプだ。
    「俺に黙って出ていきやがって!」
     ようやく身を起こしたアキの胸ぐらを掴み、探しただろとハルヒは怒鳴る。それに圧倒されたアキはあははと声を上げて笑った。
    「なに笑ってんだ!」
    「いや、ごめん。違うんだ。ふふ……っ」
    「なにが違うんだよ!」
     こんな状況で笑い出したアキに、レイシャとイスズもポカンとなっていた。
     本当は、ハルヒに怪我をさせたくなくて、眠っている間に決着をつけたかったのだが、こうして彼女に助けられているのだからアキにしてみれば笑うしかない。
    「クサナギくん……」
     声をあげて笑うアキを初めて見たレイシャは、アキとハルヒに声をかけることもできずにそれを見ていた。アキとレイシャは2年一緒に仕事をしてきた。だが、アキのこんな顔は一度も見たことがなかった。疎外感。レイシャの胸をチクリと刺したのは、例えるならばそんな感情だった。彼女が自分の気持ちに確信を抱いた瞬間、トラックの荷台が吹き飛んだ。があああッと獣のような咆哮が上がり、そこからラッシュが飛び出してくる。
    「冗談だろ……!」
     トラックが直撃したのにラッシュは生きていた。それも怪我をした様子もなく、その咆哮にイスズは背筋が寒くなるのを感じた。
    「逃げろ!」
     ハルヒがふたりにそう叫び、アキの腕を掴んでその身体を引き起こす。
    「ミナシロさん!今のうちに安全な所へ逃げましょう!」
     イスズがレイシャの手を引っ張る。
    「だめよッ、私はクサナギくんと―――!」
     アキをハルヒに渡したくない。その想いがレイシャをその場に縛り付ける。
    「ミナシロさん!」
     イスズは、アキへの執着心に駆られるレイシャの頬を思い切り引っ叩いた。衝撃に目を丸くしたレイシャがイスズを見ると、彼は初めてひとを殴った手を震わせ、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。
    「あなたが好きです……!お願いです、僕と一緒に逃げてください……!」
     デートをするなら最初は映画館。ランチデートを重ねて頃合いを見てディナーに誘い、B地区にある高級レストランで告白する。それはイスズがずっと思い描いてきたレイシャとの未来図だ。
     レーベル社に入社したその日からイスズはレイシャを見てきた。彼女が気に入っているブランド、苦手な食べ物、興味のあるファッション、好きな男。すべてを言えるくらい、イスズはレイシャのことを見てきた。気色の悪いテンプレートのような笑顔を顔に貼り付けたアキなんかに渡したくはなかった。
    「バレシアくん……」
    「アキ・クサナギイイイッ!」
     ラッシュは右手から風の凶刃を放つ。常人の目にはその攻撃は見えないが、アキはハルヒを抱えてそれをかわした。次の攻撃もアキは紙一重でかわし、次の攻撃は自分の風で受け流す。
     いつになっても攻撃を仕掛けてこず、アキはハルヒを抱えて逃げ回るだけだ。自分を侮るようなその態度に怒りを覚え、額に青筋を立てたラッシュはさらに攻撃を加える。
    (俺は選ばれたんだ……!)
     ラッシュはまばたきを忘れて血走った目を見開く。
    (神に選ばれたんだ……!この世界に存在を認められたんだ……!)
     パラパラと腕の皮膚が剥がれ落ちていく。心臓が破裂しそうなほど痛む。全身の血が沸騰しているように熱い。
    (この俺が、こんなレトロ野郎に負けるはずがねえッ!)
    「おおおおおおおっ!!」

     ぱあんっ!!

     響き渡ったその音と共に、思い切り振られたラッシュの右腕は、まるで陶器のように砕け散った。
    「……!」
     人体が砕け散る。ハルヒたちはそんな信じられない光景に声も出ない。アキと、周囲を飛び回るドローンだけが、冷静な目でそれを見ていた。
    「な……なん……っ」
     数秒間惚けていたラッシュも、肘の下から細かな砂の粒のようになって落ちていく自分の腕にようやく気づき、ワナワナと身体を震わせた。
    「……リバウンドだよ」
     その様子を見ていたアキが言った。
    「リバ、ウンド……」
    「乱用は勧めないって言ったでしょ」
     あのとき、ラッシュが聞いていたかどうかは別にして。自分は忠告したはずだと、アキは言葉を続けた。
    「こうなること、ママは教えてくれなかったみたいだね」
    「こんな……ばかな……っ」
     ラッシュはさらに剥がれ落ちていく皮膚を見つめる。次に砕けるのはここだと教えるように、ラッシュの左腕からは大量の破片がこぼれ落ちていた。
    「皮膚組織の劣化をここで抑えたいのなら、これ以上は力を使っちゃだめだ」
     こうなることを予想していたアキはラッシュをなだめるような声色で話す。少なくともラッシュにはそう聞こえた。
     アキは一度も本気でぶつかってこようとしなかった。初めから相手にされていなかった。その現実がラッシュの頭の中でぐるぐると回る。
    「落ち着いて深呼吸をして―――」
    (俺は選ばれたんだ……)
    「―――力を、身体の奥へ追い込むようにイメージして」
    (認められたんだ……!大勢のナンバーズの中から選ばれたんだ……!)
    「目を閉じて―――」
    (ここで負ければ俺は存在意義自体を失う―――!)
     ざわっ、と風がざわめく。ラッシュの左腕に肩までの亀裂が入る。
    (俺は―――!)
    「てめえを倒さなきゃならねえんだよッ!」
     叫んだラッシュから小さな風の刃が生まれ、周囲へ向けて無数に散らばったそれは、ハルヒをかばったアキの左頬を切り裂いた。
    「―――救えないな」
    「ンだと……!?」
     バーンッ!とラッシュの右脚が破裂した。平衡感覚を失ったその身体は否応なしに砂の上に倒れた。
     レイシャが悲鳴をあげてイスズにしがみつく。人体が次々と破裂して粉々になっていく。
    「ぐ、そおおお……!ちぐしょおおおおッ!」
     左手で砂を掴み、ラッシュは残された腕の力だけでまだアキに向かって行く。
    (俺は選ばれたんだ……!適合者なんだ……!)
     研究施設と銘打たれた場所では、毎日たくさんのナンバーズが死んでいった。そのほとんどが実験による拒否反応でバケモノになるか、もしくは内側からズタズタに引き裂かれた。無残な死体は山のように積み上げられた。
     一進一退を繰り返す実験の中、毎日のように身近な人間は死んでいった。ラッシュの父も、母も適合はしなかった。いつも一緒にいた仲間も、実験施設という地獄の中で想いを通い合わせた恋人も、誰ひとりとして、ラッシュ以外は適合しなかった。

     あなたは選ばれたのよ――――。

     ずりずりと這いずりながら迫ってくるラッシュを見下ろし、アキは頬から流れる血を手の甲で拭った。
    (こんなところでくたばってたまるか……!俺は、俺は……!)
     ――――選ばれたんだ。あの転がる死体の中から、ただひとり。家族も仲間も恋人も死んだけれど、俺は生き残ったんだ。そして、目の前の男に勝てば、この首輪から解放されて自由になれる。あと一歩で自由になれるんだ。
    「死ねよ……!」
     パキパキとラッシュの首から顔に大きなひび割れが生じる。
    「死ねよ、クサナギィ―――ッ!」
     ラッシュの身体から風刃が飛び出した。避ける間もなく迫ってきた風に対し、防壁を作れなかったアキがハルヒを抱え込んで地上に伏せると、その頭の上を風刃は通り過ぎていった。
    「アハハハハァッ!」
     ラッシュが崩れ落ちる寸前の腕を振ると、ふたりを通り過ぎた風刃が向きを変える。
    「ハルヒ、立って!」
     ハルヒを引き起こし、アキは身を隠そうとトラックに視線をやるが、そこにはまだレイシャとイスズの姿があった。あそこに逃げればふたりを巻き込む。
    (受け止めるしかない……!)
     背後から迫ってきた風刃にアキは両腕を突き出した。咄嗟に張った風の壁に、風の凶刃がぶち当たる。ラッシュ渾身の一撃は重く、アキの足は砂に埋もれた。
    「クサナギッ!」
    「動かな、いで……!」
     風刃の勢いに足が滑る。押されていく。だが、これ以上分厚い風の壁を作れば―――。
    「ぐ……ッ!」
     思った矢先にアキの心臓は悲鳴をあげた。アキの異変に気付いたハルヒがその身体に飛びついて砂の上に倒すと、ラッシュの風刃はハルヒの肩を大きく切り裂いてその上を通り過ぎる。その先には―――。
    「―――!」
     振り向いたアキの目に、風刃に刎ね上げられたレイシャの首が映った。
     飛ばされたレイシャの首は地上に落ちて、まるで砂の上をボールが跳ねるように転がる。彼女の身体から吹き出た真っ赤な血を浴びたイスズが、夢を見るようにその光景を見つめていた。
    「ミナ、シロ、さん……?」
     頭を失ったレイシャの身体が崩れ落ちる。彼女から溢れ出た血が、白い砂を赤く染めていく。イスズの瞳孔がキュッと収縮した。
     そのとき、ザザァッと砂の上を滑りながら一台の車がその場に到着した。運転していたのはカゲトラで、その視線の先にはレイシャの首が落ちていた。長い髪でその顔は口元しか見えなかったが、カゲトラには一目でレイシャだとわかった。
    「ミ、ナシ……ロ……さぁっ、う、あっ、あ、あああ、あああッ!」
     ようやく自分が見ているものを認識し、イスズが絶叫した。
    「う……」
     ハルヒの呻き声に、呆然としていたアキは我に返った。ハルヒは肩に受けた傷のショックで意識を失っていて、この惨状を目にしてはいない。
     倒れたラッシュはもう動いていなかったが、レイシャを仕留めた風刃は、まるで生きているようにアキへ向かって戻ってくる。ラッシュの最期の願いを叶えようとでも言うように。
     アキはユラリと立ち上がる。その姿をドローンのモニタから見ていたチグサは、ふわりと浮き上がったアキの髪に身を乗り出す。
     アキが持ち上げた右手をグッと握ると、迫り来るラッシュの風刃は真っ二つに切り裂かれた。二分割された円形状の刃はアキの背後で落下し、半分はトラックの荷台へ衝突して消滅し、もう半分は町の外壁をぶち抜いて消えた。
    「クサナギ……」
     カゲトラが掠れた声を漏らす。
     アメストリアはアキのことを適合者だと言っていた。その信憑性はたったいま自分の目で見た。そして、その足元にはハルヒが倒れている。
     ドクドクとカゲトラの心臓の鼓動は速くなっていく。彼の記憶の中で、首輪をつけた何人ものバルテゴ人が、助けてくれと死に行く運命を嘆いていた。アキが適合者なら自分を恨んでいるはずだ。額に冷や汗を浮かべたカゲトラはゴクリと喉を鳴らした。
    「ハルヒを……おねが、い……」
     だが、そんな彼の気持ちを他所に、車に中にカゲトラの姿を見つけたアキは安心したような顔を見せると、ハルヒに折り重なるように倒れた。
    「おい!」
     カゲトラは車から飛び降りるとアキに駆け寄り、その脈を確かめて息を吐く。ハルヒの傷も見た目ほど深くはなかった。とにかく、ふたりを連れてこの場を離れなければならない。そう決めたカゲトラが立ち上がろうとすると、どこから出てきたのか大勢の兵士があっという間に周りを取り囲み、カゲトラに銃口を向けた。
    「あら。だれかと思えば、バンダじゃないの」
     カゲトラにそう言ったのは、兵士の後ろからやってきたチグサだった。その横にはでっぷりと太った白衣の男がいて、彼もカゲトラを見て久しぶりだと口にする。
    「チグサ・ワダツグ……、タオ・シンメイ……」
    「また会えるとは夢にも思わなかっタヨ。何年振りかナ。カゲトラ」
    「……っ」
    「ここじゃ積もる話もできナイ。後はゆっくりと腰を落ち着けてカラ―――」
     ガガガガッ!!銃声が鳴り響き、数人の兵士たちがふたりのドクターを守って後退する。だれが撃ってきているのかわからないが、このチャンスを逃すわけにはいかず、カゲトラはアキを肩に担ぎ上げ、ハルヒを小脇に抱えると車へ向かう。
    「逃がさないで!」
     チグサの命令でカゲトラへ銃口を向けた兵士の眉間が撃ち抜かれる。どこかに狙撃手がいる。寸分も狂わずに急所を打ち抜いた一発に、両隣の兵士が動揺して逃げ腰になる。その間にカゲトラは車の後部座席にハルヒとアキを放り込んだ。
    「おいッ!」
     そして、レイシャの死体のそばに座り込んでいるイスズに声をかけた。
    「おまえも乗れ!」
     イスズはピクリとも反応しない。彼には周囲の状況も、カゲトラの声も聞こえていなかった。
    「おい!聞いて……!」
     カゲトラの肩を銃弾が掠める。ぐずぐずしている時間はなかった。
    「くそっ!」
     タイムリミットを悟ったカゲトラはイスズを説得することを諦め、車に乗り込むとアクセルを踏み込んだ。車は砂の上を派手にドリフトして砂煙を巻き上げ、その場から走り去っていった。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     ───おかあさん。そう呼ぶと、いつだって母親のフユカは優しく微笑んでハルヒの目線までしゃがみ、どうしたのか聞いてくれる。何を話したのかはよく覚えてない。ただ忙しそうな母に、こっちを向いて欲しかっただけだったから。
     母親とお揃いの黒髪が嬉しかった。いちばん身近にいる憧れのひとだった母親は、ある日突然、あまりにも理不尽に奪われた。
     死んでしまえばそれで終わりだ。犯人の軍人を裁く裁判で、フユカがなにも言えなかったように。生き残らなきゃなにも残らない。思い出しか残らない。

     ハルヒがぼんやりと目を開けると、その視界に真っ先に飛び込んできたのはカゲトラの顔だった。
    「カゲ……トラ……?」
    「ハルヒ!気がついたか……」
     丸一日眠っていたハルヒが目覚めたことで、カゲトラはようやく胸に詰まっていた息を吐いた。医者からは大丈夫だと言われていたが、目が覚めるまでは気が気じゃなかった。まるでハルヒの父親になったようだと思ってから、なったこともないものにどうやってなるのだと、カゲトラはその顔に苦笑いを浮かべた。
    「無事……だったんだな」
     まだ夢うつつの中でも、ブロッケンビルで離れ離れになってしまったカゲトラの無事に安堵し、ハルヒは周囲を見回す。自分の家でも、アキの部屋でも、あのモーテルでもない。そこは見たことのない部屋だった。
    「ここ……どこだ?」
     カゲトラがいなければ見知らぬ場所にもっと慌てただろうが、彼がいることでハルヒは幾分落ち着いて周囲の状況を確かめようとして、身を起こす。
    「いって……ッ!」
     突然、肩に痛みが走った。予想していなかった痛みの場所に顔を向けると、そこには包帯が巻かれていた。
    「……クサナギは?」
     自分の怪我を確認したことにより、気を失う前の記憶が一気に逆再生される。部屋の中にアキの姿はなかった。
    「どこにいるんだ?」
     カゲトラは無言でハルヒを見ている。その無言がハルヒに不安を与える。
    「なあ、クサナ―――」
    「目が覚めたのか」
     聞き覚えのある声に、ハルヒは部屋に入って来た男を見た。
    「カガリヤ……?」
     【トライデント】の連絡係であるカガリヤとは、ハルヒも何度か顔を合わせたことがあった。いつも不意に現れてはカゲトラと話をしていつの間にかいなくなる。カガリヤはハルヒにとってそんな男だった。
     カガリヤがいるということは、ここはどの地区かは知らないが、【トライデント】の隠れ家なんだろうか。ハルヒはカゲトラに答えを求めるが、彼は何も言わない。
    「ここはスタフィルスの王宮だ」
     ハルヒの疑問に答えたのはカガリヤだった。
    「王宮……って」
     スタフィルスの王族は20年も前に滅びた。学校に行けなかったハルヒでも、それくらいは知っていた。クーデターにより政権を手に入れた将軍ゴッドバウムはこの王宮には止まらなかった。だから事実上この場所は打ち捨てられたことになる。だが、ハルヒが見る限り室内は手入れが行き届いていて、20年もの間放置されたようには見えなかった。
     ハルヒひとりが眠っていた部屋には金の装飾がされた家具に、壁には絵画がかかっている。そして、壁際には白獅子の絵が描かれた国旗も飾られていた。
     白い獅子はスタフィルスの旗だった。だが、その旗はクーデター後に黒獅子に塗り潰された。だからいまのスタフィルスの旗は黒獅子だ。王を失った白獅子は、もうこの国に存在しないはずだった。
    「……俺と一緒にいた男はどこだ」
     ハルヒは頭を切り替える。いまは獅子が黒かろうと白かろうと、どうでもいい。ハルヒにとってアキの無事を確かめるのが先決だ。
    「アキ・クサナギにならすぐに会える」
     アキの名前はカゲトラが教えたのだろうか。すぐに会えると言うのなら、無事だと思っていいのだろうか。それだけを教えて欲しいのに、なぜかカゲトラは口を開かない。
    「ハルヒ・シノノメ。詳しい事情を説明する前に、まずバケモノを手懐けるためにおまえの力を貸してもらいたい」
    「バケモノ……?」
     ハルヒは眉をしかめる。バケモノと聞いて思い当たるのは、子供の頃に母親が読んでくれた絵本だった。絵本の内容は子供が暗い森で迷子になるというもので、幼心に風でざわめく森の木々の絵が酷く恐ろしいものに感じたことを思い出す。
    「俺は調教師じゃねえぞ」
    「謙遜するな。おまえには素質がある」
     カガリヤはフッと笑い、ついて来いと言って部屋を出た。ハルヒは一度カゲトラが頷くのを確認したあと、ベッドから起き上がった。
     怪我人に対して、少しも歩調を合わせようともしないカガリヤについて歩くハルヒに、カゲトラが続く。途中で白銀の甲冑を着た兵士たちとすれ違い、彼らはわざわざ立ち止まりカガリヤに敬礼をした。
    「………」
     なぜ【トライデント】の連絡役に白獅子の兵士が敬礼をするのか。その理由をハルヒがカゲトラに聞こうとしたとき、カガリヤが足を止めた。
    「ここだ」
     そこは窓枠に鉄格子のついた鉄の扉の前だった。さっき、バケモノの調教をしろとカガリヤに言われた。どんな猛獣がこの先に待っているのかわからない。ハルヒは息を吐いてから、扉をゆっくりと押し開けた。
     いきなり飛びかかられてはたまらない。ハルヒは慎重に室内に入るが、目の前にはもう一枚の扉と、大きなガラス窓があるだけで猛獣の姿はなかった。
    (ハッタリか……?)
     自分を怖がらせるためのカガリヤの狂言だったのだろうか。そう思った時、ふとハルヒは、ガラス窓の向こう側にひび割れが生じていることに気づいた。そして、その向こうにアキがいることにも。
    「クサナギ……!?」
     ガラス窓の向こうにいるのはアキだった。ただし、アキは目隠しをされて両手足を何重にも巻いたロープで縛り付けられていた。
    「な……、んで……!」
     ハルヒはすぐさま部屋の中へ入ろうとするが、その手をいつの間にか室内に入ってきていたカガリヤが掴んだ。
    「これは忠告だ。入る前に奴におまえだと気づかせろ」
    「……なんでだよ」
    「俺の言うことを聞いたほうがおまえの身の為だと思うがな」
     ハルヒはカガリヤの手を振り払う。そして、一度止められたことで幾分か冷静になったハルヒは、ゆっくりと扉を開けた。
    「だれ?」
     俯いたままアキが言う。その髪が、窓もない密室の中で不自然な風にそよいだ。室内に入って、ガラス窓のほかにも壁や天井に風の爪痕やわずかな血痕が残っていることに気づき、ハルヒはカガリヤの言っていた言葉の意味を理解した気がした。
    「……俺だ」
     ハルヒがそう言うと、アキはパッと顔を上げた。
    「ハルヒ。良かった。無事だったんだね」
     それはこっちのセリフだと言いたかったが、まずはアキを解放してやらなければならない。だが、ハルヒがロープに手をかける前に、アキはパッと立ち上がった。切り裂かれたロープが床に落ち、目隠しを取ったアキはハルヒに両手を広げる。
    「……なんだよ」
    「再会のハグだけど」
    「しねえよ」
     ハルヒはプイッとアキから顔を背けた。そのやりとりを見ていたカガリヤはカゲトラと視線を合わせる。言葉はなかったが、お互いに考えていることはわかった。
     ラッシュとの戦闘で力尽き、運び込まれたときは意識がなかったため拘束できたが、アキはいつだってこの部屋を出ることができたのだ。彼がそうしなかったのは、ハルヒの安否がわからなかったからだと言えた。
    「おまえの娘は良い調教師のようだ」
    「……俺の娘じゃない」
     カゲトラは重苦しい声でそう言い、部屋から出てきたアキとハルヒに目をやる。親友とともに捨ててきた過去が、親友の娘と一緒に自分が犯した罪を思い出させる。そんな気分だった。
    「ご苦労だったな。ハルヒ・シノノメ」
     カガリヤはアキを一瞥したあと、バケモノの手綱をしっかり握っておけとハルヒに言った。彼の言うバケモノとはアキのことだったのだ。ハルヒは納得できない顔でカガリヤを睨んだ。
    「おまえも、この小娘が大事ならばかなことはしないことだ」
    「ばかなことって何です?」
     アキは子供がそうするように首を傾げる。口元には笑みが浮かんでいるが、その目は笑ってはいなかった。
     アキは主君のアメストリアにとって重要な駒になる。だが、その顔を一目見た瞬間から、カガリヤはアキのことが気に入らなかった。アキの存在そのものを不快だと感じた。それは理屈ではなく彼の本能だった。

    「やめろ」
     静かながらも、アキと一触即発の雰囲気に見えたカガリヤは、アメストリアの声にハッと我に返った。
     いつの間にか部屋の前へ来ていたアメストリアはじっとアキを見つめると、その顔に笑みを浮かべる。
    「だれだ?」
     ハルヒが怪訝に眉をしかめる。
    「私はアメストリア・ルイ・スタフィルス」
    「……は?」
     ハルヒはスタフィルスの名を持つアメストリアを二度見して、不思議な感覚に陥る。アメストリアをどこかで見たような顔だと思ったが、それがだれなのかはわからなかった。
    「……つまり、あなたはスタフィルスの王族ということですか?」
    「そうなるな」
     アキの質問に、アメストリアは不敵な顔で頷いた。
    「これはスクープだな。あなたが王家の血を引く本物の王族なら、どうやって生き延びたのか教えて欲しい。軍はなぜ───」
    「無礼者!」
    「カガリヤ」
     怒鳴り声を上げたカガリヤを再びアメストリアが止める。
    「私はやめろと言っているのだ」
    「……!」
     カガリヤは一歩アキから離れる。彼にとってアメストリアの命令は絶対だった。
    「彼の非礼を許せ。主君に忠実であるが故に融通が利かぬ。改めて、私はアメストリア・ルイ・スタフィルス。王家の生き残りであると同時に、【トライデント】のリーダーだ」
     驚いたハルヒはカゲトラを振り返る。カゲトラはアメストリアの言葉を否定しなかった。
    「ハルヒ・シノノメ。そなたのことはバンダから聞いている。同じ女が同志としていてくれることを嬉しく思う」
    「俺は……」
     女じゃない。そう言いかけてハルヒはやめた。光り輝く美貌を持ち、女性であることを誇らしげにしているアメストリアの前でそう言うことが、酷く惨めなことに感じたからだ。
     カゲトラはそんなハルヒの様子を見ていた。本音では、カゲトラは二度とアメストリアのもとへ戻りたくはなかった。実際に手を下したのが彼女ではないにしろ、あの場にレイシャを差し向けたのはほかでもないアメストリアだからだ。
     だが、カゲトラはここへ戻ってきた。意識のないハルヒとアキを抱え、ほかに行く場所がなく、追っ手から隠れるためにもここへ戻らざるを得なかったと言うのが正しかった。
     それに、あのときカガリヤたちの援護射撃がなければ、いまごろは研究機関に捕まっているだろう。彼らの手の内は嫌というほど知っている。考えただけでカゲトラはゾッとした。
    「そして、そなたはアキ・クサナギだな」
     アメストリアがアキに言った。
    「はい。女王陛下」
     アキは恭しく頭を下げたが、どこかおどけたような印象を受けたのはカガリヤだけではなかった。カガリヤはぐっと拳を握って怒りに耐えたが、アメストリアはアキの態度をなんとも思っていないようだった。
    「それは本名か?」
    「もちろん」
     アキは即答する。それに、アメストリアはフッと笑って、カツカツとヒールを響かせてアキとの距離を詰めると、彼の胸に人差し指を当てた。
    「単刀直入に言おう。私はそなたが欲しい」
    「……大胆かつ率直な誘い文句ですね」
     アキはチラリとハルヒを見た。アキを見ていために、必然的に目が合ってしまったハルヒは慌てて目を逸らす。アキが嬉しそうに目を細めたのをカゲトラは見逃さなかった。
     自分が離れている間、ハルヒとアキは一緒にいた。その間に何かあったのかもしれない。そして、それはハルヒの中の何かを変えたのかも知れなかった。
    「それはつまり、僕の身体が目当てってことでしょうか?」
    「貴様……!」
    「いちいち目くじらをたてるな」
     少しも成長がないカガリヤにため息をつき、アメストリアはそれも魅力的だがと前置きした上で首を振った。
    「私が欲しいのはそなたのその能力だ」
    「………」
    「私の悲願はあの憎き黒獅子ゴットバウムを葬り去り、スタフィルスの王政をよみがえらせること。そのためにおまえの力を借りたい」
    「……あなたに力を貸して、僕は何か得るものがありますか?」
     アメストリアが口にすることはお願いではなく、そのすべてが命令だ。彼女の言葉には疑問を抱くべきではなく、ましてや聞き返すことなど許されることではない。カガリヤの怒りは頂点に達した。
     腰に下げた剣に手をかけたカガリヤは、ガチャンッと言う音に床に目をやる。そこには切り裂かれた腰の革ベルトと、騎士の剣が落ちていた。フワッと残り香のように漂った風に顔を上げると、無言のアキと視線が重なる。
     力があることがすでにバレているなら隠す必要はない。ワナワナと震えるカガリヤから、アキは目線をアメストリアへ戻した。
    「そなたが協力すると言うなら、ナツキ・シノノメの救出に協力しよう」
     ハルヒが息を詰めた。
     なるほどと、アキは目を細める。力を持つアキを従えることは簡単ではない。地位やカネで従わせられないのなら、別の方法を取ると言うわけだ。
    「ハルヒ」
     アキが声をかけるが、ハルヒは固まっていた。
     もちろんナツキのことは助けたかったが、軍という巨大な組織を相手に、自分だけの力ではどうにもならないことも、ハルヒは身に染みていた。それでも、目の前のアメストリアが信用できる人物なのかどうか、それを見極めるにはまだ時期尚早だ。
     ナツキの情報はブロッケンビルで途切れた。あのとき、ココレットは何かを言おうとしていたが、それを聞くことはできなかった。ナツキへ繋がる道があるとすれば、それはレイジだ。だがレイジをどうやって探せばいいのか、このスタフィルスに軍施設はごまんとある。
     それに、この選択はアキの人生を変えてしまう。もうすでにアキを巻き込んでしまっているものの、ハルヒは何も言えなかった。ナツキを助けることが、関係のないアキを縛るものであってはいけない。相反する気持ちがぶつかり合い、ハルヒはぐっと唇を噛んだ。
    「わかりました。あなたに協力しましょう」
    「クサナギ……?」
    「僕の決断だよ」
     なんとも言えないハルヒの表情に、アキは大丈夫だからと微笑んだ。
    「では、まずは信頼の証として、そなたに会ってもらわなければならない人物がいる」
     アメストリアはそう言って、どう見てもアキと相性が悪いカガリヤではなく、別の兵士にラボへ案内するように命令した。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     ハルヒたちが案内されたのは王宮の離れにあるラボだった。そこでは白衣を着たたくさんの人間が忙しそうにモニターや計器をチェックしていて、兵士が声をかけるまでこちらの存在に気づかなかった。
    「やっと来たか!」
     声変わりをしていない少年の声がした。声のしたほうに顔を向けると、パタパタと近づいてくる小さな子供の姿があった。年齢は10歳そこそこに見える少年は、大人サイズの白衣を引きずりながらアキの目の前までやってくる。
    「待っていたぞ、バルテゴ神の適合者。それで、おまえのナンバーは?」
    「………」
    「おい。おまえのナンバーを聞いてるんだよ」
    「なんだ、このガキ」
     少年の前にハルヒがしゃがむ。そうしなければ目線が合わないからだ。するとやっとハルヒを見た少年は、得意げに鼻を鳴らした。
    「僕はコード・ステファンブルグ。ここ、白獅子軍研究機関の代表だ」
     ピクッとアキはその名前にわずかな反応を見せた。こんな子供が代表であることに驚きを隠せないハルヒとカゲトラを他所に、アキだけはどこか冷めた目でコードを見ていた。
    「ひとを見かけで判断するのは失礼だな。僕は天才なんだ」
    「ここに連れてこられたってことは、僕を解剖でもしたいってことかな」
     アキの言葉にコードはフンッと鼻を鳴らした。
    「貴重なサンプルにそんなばかな真似はしないが、とりあえずおまえを調べたい。隅々までな」
    「なるほど。健康チェックね」
     ラボにある計器類を見る限り、決して健康チェックくらいでは終わらないことはわかりきっていたが、アキは納得した様子を見せると、ハルヒを振り返った。
    「健康チェックが終わるまで外で待っててくれる?」
    「だけど……」
    「大丈夫だから」
     アキに説得され、カゲトラに背中を押され、ハルヒは渋々という様子でラボから出ていった。
    「さて……」
     ハルヒの姿が見えなくなると、アキはコードに視線を戻した。ハルヒに向けるのとはまるで違う冷たい視線にコードは気づく。だが、気圧されはしなかった。
    「僕のナンバーが知りたいんだっけ?」
    「そうだよ」
    「教えてもいいけど、僕もきみに聞きたいことがあるんだ」
    「予想はつくよ」
    「それなら話は早いね」
     そう言うと、アキはコードの頬に手を当てた。ピリッとした痛みを感じてコードは顔をしかめた。
    「きみの家系に、ヴィルヒムって男はいる?」
    「ヴィルヒム・スタファンブルグは僕の父だ」
     コードはキッパリとそう答えた。
    「だが、やつはやつ。僕は僕だ。血が繋がっている程度の理由でやつと僕を混同するな」
     そう言うと、コードはパシッとアキの手を払った。アキの手が触れていた場所にはじわっと血が滲んでいて、周囲でその様子を見ていた研究員たちがざわめく。
    「なんでもない。手を止めるな。仕事を続けろ」
     落ち着いた態度で周囲にそう言って、今度は僕の番だとコードは言った。
    「……僕のナンバーはB-101だよ」
     ナンバーズとして、研究員たちからはその数字で呼ばれていた。あのひとに手を引かれてあの場から連れ出されるまでは。
    「なるほど。それでは、まずは血を調べるところから始めようか」
     コードはそう言うと、別の研究員が注射器を手にやってくる。アキはため息をつき、昔嫌というほど経験した採血のために上着を脱いだ。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     アキをラボに残し、ハルヒとカゲトラは彼女が目を覚ました部屋へと戻ってきていた。部屋へ戻るその間に、ハルヒは歩きながらラッシュとの戦闘のあとで何があったのかをカゲトラに聞いた。
     ハルヒが気を失ったあと、ラッシュを倒しはしたもののアキも力つき、軍に取り囲まれてここしか頼れる場所がなかったこと。そして、【トライデント】とアメストリアのつながりを伏せていたことを、カゲトラはハルヒに謝罪した。
     ハルヒはカゲトラを責めはしなかった。それよりも、アキを残してきた自分を責めている様子のハルヒに、カゲトラは彼女の変化を強く感じた。
    「あいつが気になるか?」
    「……別に」
    「あいつの力は見ただろう」
    「そう言うんじゃねえよ」
    「だったら何を気にしてる」
    「だから気にしてねえってッ」
    「そうか」
    「……あいつ、あの力を、神様の力だって言ってた」
     バルテゴの神様の力。アキから聞いた話をハルヒは半分信じていて、半分信じていない。信じていない理由は、神様なんていないからだ。そして、信じている半分の理由は、この目でその力を見たからだった。
    「そう言えば……」
     アキとラッシュの戦いを思い出したハルヒは、カゲトラに顔を向ける。
    「あそこにいたやつらは逃げたかな。おまえ見たか?」
     ギクッとカゲトラは顔を強張らせた。ハルヒがだれのことを言っているのかすぐにわかったからだ。
    「……だれのことだ?」
    「たぶん、クサナギの知り合いだと思う。あいつのこと呼んでたから」
     幸運なことに、気を失っていたハルヒはあの凄惨な現場を見ていない。見ていればいま頃もっと取り乱していただろう。現に、首のないレイシャの死体を前に、あの青年は狂ったように叫んでいた。カゲトラは眉間に深いシワを刻む。
    「トラ?」
    「いや……、俺が来たときはいなかったから、きっと逃げたんじゃないか」
    「そうか。なら良かった」
     あとでアキにも、口裏を合わせてくれと釘を刺しておかなければならない。ハルヒを守るため。それを振り翳して、彼女に嘘ばかりついている自分が嫌になり、カゲトラはやれやれと首を振った。
    「傷が痛まないなら、少し散歩でもしないか?」
    「散歩?」
    「この王宮の庭の緑は見事なものだぞ。とても砂漠の国にあるとは思えんほどに瑞々しい。それに今日は天気もいいからな。遠くはない。すぐそこだから行ってみないか」
     カゲトラは嘘や気まずいことがあると饒舌になる。だが。カゲトラの嘘や隠し事は、すべて自分を守るためのものだとハルヒはわかっていた。
    「仕方ねえな」
     どのみち、アキが戻るまでは待つしかない。カゲトラについて部屋を出たハルヒは、ザザッというノイズ音に足を止めた。
     この国では、度々起こる砂嵐のせいで、テレビやラジオ放送は繋がらないことのほうが多い、その上、F地区などの貧困層では電波の受信アンテナが貧弱で、ハルヒもカゲトラもラジオさえノイズで聞けないことが多かった。
     その耳障りなノイズ音が聞こえてきたのは庭園だった。早足になったふたりが庭園に出ると、テラス席のテーブルの上に置かれた小型テレビが、孤独にノイズ音を鳴らしていた。
     画面はチカチカと明滅しているが、何かを映している。ハルヒがその小型テレビを手に取った、そのときだった。
    『……は軍の許可を得て放送しております!フィヨドルからお送りしております!』
     興奮を隠せないアナウンサーの姿が見えた次の瞬間、爆音と銃声が鳴り響く。何が起こっているのかわからないハルヒは、状況を把握しようと小さな画面をじっと見つめる。
    『現在、我が黒獅子軍がフィヨドルへの制裁を開始して2時間が経過しました!城の中では何が起こっているのでしょうか!ここからでは確認することはできません!』
     カメラには空高くまで伸びた大樹と並び立つ荘厳な城が映っていた。フィヨドルの王族が住まうフィヨドル城では、赤い光が散っている。遠目からでは分かりにくいが、それは爆発だった。
    「なんだよこれ……」
    「……おまえが気を失っている間に、スタフィルスはフィヨドルに宣戦布告をした」
    「え……」
    「ゴッドバウムはフィヨドル王に、王族全員を差し出せと要求した。王族を差し出すのなら国民は生かすと、あの男はそう言った」
    「……なんだって?」
    「フィヨドル王は……それを拒否した」
     その結果がいまテレビ画面に映っていると言うわけだ。
    『……ますでしょうか!フィヨドル城ではたくさんの爆発が起こっている模様で……きゃあ!』
     アナウンサーの悲鳴が上がり、画面も激しく揺れてそのレンズは空を映す。画面には見えない場所からアナウンサーの悲鳴が聞こえてくる。ようやく画面が再びフィヨドル城を映したそのとき、内側から何かが城壁を突き破った。
    「……!?」
     ノイズが走り、画面が途切れる。それでも信じられない光景はハルヒの網膜に焼き付いた。
    「木の……枝……?」
     ハルヒがそう口にすると、城から飛び出した木の枝は勢いよく伸び、城下町のあちこちに突き刺さった。そして、凄まじいスピードで葉を茂らせ、花を咲かせると、黄色い花粉が町中に降り注ぎ、それは風に乗ってやっと画面に映ったアナウンサーにも降り掛かる。
    『なにが起こっているので……ぐ、ぅっ』
     降り注いでくる黄色い粉の中、アナウンサーは首を押さえて目を剥いた。
    『な、なにこれ……息が……っ、でき、』
     そして、激しく喉を掻き毟るとその場に倒れて動かなくなる。カメラは再び落下して、そのレンズにはフィヨドル城だけが映っていた。
     フィヨドル城の上では、直径10メートルはあるだろう大輪の花が咲こうとしていた。ゆっくりと赤い花びらが開いたそこには、ひとの顔のようなものがついていた。それが奇声をあげると、花々はさらに毒の粉を撒き散らす。自分の目で見ているものが信じられない。まさに悪夢のような光景だった。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     採血が終わると脳波の検査を受けた。そしていま心電図を取られているアキは、心音が刻むメーターを見ているコードに目をやった。
     コード・ステファンブルグ。父親と自分を血の繋がりごときで混同するなと言ってのけた。自称天才児。どういう経緯で白獅子の根城にいるのかは知らないが、あの口ぶりからして父親を慕っているとは思えなかった。
    (あの男に近づくための駒にできないかな……)
     アキがそんなことを考えていると、コードがそばにやってくる。心の声が漏れていないことを祈りつつ、成果はどんな感じだと聞いた。
    「心臓の動きは普通だな。一般人となにも変わりない」
    「普段はね」
    「普段?」
    「メーターを見てて」
     アキはそういうと、指先で小さな竜巻を作ってみせる。一定の調子で波打つだけだったグラフが大きな動きが加わり、コードは目をキラキラとさせてアキを振り返った。
    「もっと強力なものも作れるんだろう?」
    「やろうと思えばね。でもやだ」
    「なぜだ」
    「乱用すればどうなるか、最近見たばかりだから」
     ラッシュの最期―――あれは未来の自分の姿だ。研究員たちはアキの適合したことで神の力を手に入れたと喜んだが、アキはそうは思えなかった。この力は神の祝福などではない。
    (僕は神の呪いを受けた……)

    「―――ッ!?」
     突如、アキが息を呑んで自分の体を抱き締め、それと連動してメーターが振り切れた。コードを含む周囲にいた研究員たちが、アキを中心にして吹き飛ばされる。
     モニタにひび割れが生じ、被害を受けなかった研究員たちからも悲鳴が上がった。
    「いってて……」
     吹き飛ばされはしたものの、コードはすぐに起き上がってぶつけた腰をさする。コードを助け起こした助手の男が怯えた声で叫んだ。
    「ぼ、ぼぼ、暴走だ!無力化しろ!」
    「待て。落ち着け」
     コードは立ち上がり、自分の身体を抱きしめたまま小さく震えているアキに近づく。
    「いったいどうした?」
    「さあ……こっちが知りたいよ……」
     薄い笑みを浮かべてアキはそうコードに首を振った。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     フィヨドルの城下町に枯葉がヒラヒラと舞い散る。生い茂っていた緑の葉も花も急激に生気を失い、見る見るうちに茶色く変色して枯れていった。例に漏れず城に咲いた大輪の花も萎れて枯れ始める。その前にはひとりの男が立っていた。
     その男は左目に黒い眼帯をつけた男だった。スタフィルスの軍服を身に纏い、たったひとりそこに立っている。その周りには大輪の花が撒き散らした黄色い花粉が積もっているが、彼の頭や肩には一粒も付着していなかった。
    「将軍閣下」
     声をかけられ、スタフィルス軍の将軍であるゴッドバウムは振り返った。そこには白衣を着た初老の男が立っていた。
    「ステファンブルグ」
     ステファンブルグ。そう呼ばれた男は、枯れ果てた巨大花に押し潰されたフィヨドル城の姿に目を細める。そこに数時間前までの荘厳な姿はない。ゴッドバウムがこの戦場に立った。そのときにすでに勝敗は決まっていた。 籠城戦は長引く。ゴッドバウム以外のだれもがそう思っていたのに、それはあっという間の出来事だった。
    「難攻不落のフィヨドル城とは名ばかりだったのか、あっけないものでしたね」
    「……神は死んだ」
     あとは好きにしろと言って、将軍は白衣の男の肩に手を置いた。パラパラと白衣から砂が落ちる。
    「承知しました」
     将軍が去ると、ヴィルヒムは枯れ死んだフィヨドルの神を見下ろした。そこへ同じ白衣を着た研究員がやってきて、彼に耳打ちをする。B−101。研究員が口にした番号に、ヴィルヒムはその口もとに笑みを浮かべた。

    □◼︎□◼︎□◼︎

     夜遅くになってようやくアキは研究所から部屋に戻ることを許された。検査ばかりの1日でさすがに疲労を感じていたアキは、ハルヒに会うのは明日にしようと自分に用意された部屋に向かったが、通路の角を曲がったところで待ち構えていたカゲトラの姿に気づいた。
    「……遅かったな」
    「なかなか解放してもらえなくて」
    「なぜそこまでする」
     カゲトラの質問にアキはフッと笑う。くたくたなのに、どうやら今夜はまだ眠らせてはもらえないようだ。
    「良ければ中に入りますか?」
     砂漠の夜は冷える。こんな広い王宮内の通路では、外にいるのと気温も変わらない。カゲトラは少し考えた末に、ここでいいとアキの申し出を断った。彼には長話をするつもりがないようだが、それでも長くならないとは限らない。
    「おまえにナツキの件は関係ないだろう。それなのになぜ協力するんだ」
    「ハルヒの力になりたいから」
     アキは即答する。
    「それはなぜだ。なぜハルヒのためにそこまでする」
     アキが本気になればここから脱出することは簡単であるはずだ。それでもアキはそうしない。
    「一般的に見て過保護だと思うあなたがハルヒに対する僕の気持ちを聞いたら、ますますその眉間のシワが濃くなりそうだ」
    「………」
     カゲトラが押し黙って沈黙の時間が続くと、アキは小さなくしゃみをする。
    「……俺は昔、バルテゴで働いていた」
     カゲトラはそう言った。
    「俺は……研究機関に所属していた。それは神と呼ばれる存在を研究する機関だった。俺は妻と、友人は妻と息子を連れてバルテゴへ向かった。そして……悲劇は起こった。バルテゴに死の風が……吹いたんだ」
    「………」
    「風の神が死の直前に巻き起こした風は、バルテゴにいた大勢の命を、敵味方選ばず一瞬にして奪った。俺の妻も、友人の妻子も、ほぼ即死だった……」
     カゲトラはぐっと拳を握り締める。
    「……スタフィルス人が憎いかと聞くのは、愚問だろうな」
     アキはすうっと息を吸った。そうすることで、耳に残って消えない同胞の悲鳴を消し去りたかった。何より、妹の泣きじゃくる声を。
    「僕は、……スタフィルス人全員が憎いわけじゃない」
    「……ハルヒを傷つけないと俺に約束するか?」
    「僕はハルヒのためにできることをしてあげたい。これは本心だ。それに、正直バルテゴでのことはあまり覚えてないんだ」
    「覚えてない?」
    「信じるか信じないかは任せるけど、僕は気づいたらこの国にいて、それ以外の記憶はぼんやりしてて、はっきりとは思い出せない」
     つらいだけの記憶なら覚えている必要はない。それが原因で前に進めないのなら、忘れてしまったほうがマシだ。妻を失って心を病んだカゲトラが以前、医者に言われたことだった。
     いまの年齢から考えても、バルテゴが滅びた当時、アキはいまのハルヒよりもまだ幼かったはずだった。自分で自分の心を守るために、凄惨な記憶をどこかに封じ込めたのだと言うのなら、それも頷ける。
    「僕からもいくつか質問したい」
     今度はアキの番だった。自分で言ってから、記者であったことを思い出して少し笑えた。おそらく、この国では二度とその職に就くことはできないだろうが、職業病はもう治らないのかもしれない。
    「スタフィルスの王族と名乗っている彼女は本物?」
     アメストリアは本当に王族の血を引いているのか。スタフィルスの王政が崩壊してもう20年になる。いまになって現れた彼女は失われたはずの白獅子軍を従え、大胆不敵にもスタフィルス王宮に居を構えていた。それを黒獅子であるゴッドバウムが知らないなんてことを、アキはとても信じられなかった。
    「あのクーデターのあと、この王宮は打ち捨てられた。ゴッドバウムはここへ見向きもしなかった。生まれたばかりのアメストリアにも」
     他国を次々と滅ぼす黒獅子にも、赤ん坊を手にかけることに関しては少しばかり躊躇したのか、それともただの気まぐれか。その理由は定かではない。
    「所詮は俺も彼女の駒にしか過ぎない。だから【トライデント】のすべてを把握しているわけじゃないが、彼女を支持する存在が一定数黒獅子軍の中にいるという話は、以前仲間から聞いたことがある」
     それはレイジからの情報だった。いまとなってはそれを信じていいのかどうかはわからなかったが、ゴッドバウムに黙認されている間に、アメストリアという存在が、黒獅子軍内の裏切り者の助力でここまでになったということは事実だ。
    「アメストリアが本物かどうかは俺には確かめようがないが、彼女の周りにいる連中、とりわけカガリヤは本物であることを信じている。盲信していると言うほうが正しいか」
     なるほどと、アキは頷いた。
     ゴッドバウムに殺されず、生かされた王族。それはすなわち、ゴッドバウムにとって彼女は脅威ではないと言うことだ。さしずめ、いまのところは。
    「もうひとつ聞かせてください。あなたはミナシロさんを知ってたんですか?」
    「……ああ。ブロッケンビルで兵士に襲われかけていたところを助けて、ここへ連れてくるしかなかった」
     おそらく、自分がハルヒを庇ったことでレイシャは軍に尋問されたのかもしれない。アキはそう予想した。自分とハルヒのことで精一杯だったとはいえ、レイシャのことまで考える余裕がなかった。それでもすべては言い訳だし、言い訳しようにも、もうレイシャはいない。
    「彼女は陛下から命令を受けて、おまえを探していた」
     カゲトラは口元を押さえる。あのとき、レイシャの遺体を連れて戻ることさえできなかった。【トライデント】の仲間の犠牲はある程度覚悟していたカゲトラだったが、なんの関係もないレイシャの死は彼の心に重くのしかかった。
    「彼が……、バレシアくんがどうなったかわかりますか?」
    「バレシア?」
    「同僚なんです。イスズ・バレシア。あのときミナシロさんと一緒にいた―――」
     ああと、カゲトラはレイシャの遺体の前で叫んでいたイスズの姿を思い出す。
    「ここへ連れて来ようとしたが、おまえとハルヒを連れて逃げるだけで精一杯だった。……すまん」
     ラッシュの最後の風を霧散させたとき、すでに放った本人は死んでいた。だからイスズはレイシャのように殺されはしていないはずだが、安否はわからない。
    「……そうですか」
     アキはただそう頷く。
     カゲトラは思った。まるで荒れ狂う渦の中に放り込まれたように、周りが巻き込まれていくようだと。神の力が生み出す旋風は、ハルヒを、アキ自身を、そしてその周囲を巻き込んでどこまでも膨れ上がっていく。そんな気がした。
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    2022/06/14 14:02:19

    ARCANASPHERE3

    #オリジナル #創作

    表紙 アメストリア、アキ

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