あぶないホットライン百音が料理当番の時に、時折、菅波の懐かしの味が食卓にのぼるようになった。菅波の誕生日に『いつものお祝いごはん』のレシピを聞いて以来、百音が菅波の母親と折々にやり取りをしているらしく、レシピ本に載っていないような『名前もないが、家で作るあれ』といった料理のことを聞いたりしているようだ。
以前に宣言した通り、『菅波の家の味を覚えろ』だの『菅波の味を継げ』だのは菅波も母親もそのつもりはないが、聞かれれば答えていて、それを百音がアレンジしたり、逆に百音が永浦水産から牡蠣を送った時に漁師飯のレシピを母親に教えてもいる。菅波の両親とコミュニケーションが百音の苦にならない範囲であれば、と菅波は、それなりの距離感を保ちつつ交流する母親にひとまず感謝をしているのだった。
が、これはないだろう、これは…と、今、この瞬間、菅波は、母親と百音が直接連絡を交わせることを強く後悔していた。百音のスマホの画面には、複数人の高校生が写っていて、そのうちの一人は間違いなく菅波本人である。…女装の。
男子校の特有のノリと勢いでありがちな事象ではあるが、体育祭では各クラスで三人ずつチアリーダーを出すという伝統があり、化学反応式をいくつそらで書きだせるかという競争で、2個足りずにというところで競り負けた菅波が最後の1名になった、高校1年の時の写真である。すべて処分したつもりだったが、何かで残っていたようだ。
チア役の3人と数名の体操服の生徒が写っている。菅波は写らないようにしている様子だが、周囲に取り押さえられて逃げきれてはおらず、へそ出しこそないもののミニスカートのチア衣装にロングヘアのウィッグをかぶっているのはばっちり写っている。多少の化粧も施されているようで、なんだかんだ3人の中でも似合っている部類である。
「せんせ、これ、お義母さんが送ってくれました」
完全に笑いをかみ殺している表情でスマホを見せてくる百音に、チベスナ顔で答える以外に菅波の選択肢はない。
「あの人以外に送ってくる心当たりもありませんね」
「というか、こんな時代が先生にもあったんですね」
「人間、誰しも16歳の時はあります」
「そっかー、16歳のときかぁ。ふふっ、確かにまだちょっと幼い」
写真と自分の顔を見比べられて、その時から倍以上の時間を過ごしていることに改めて年月の経過を感じる。
「もう、それ、消してくださいよ」
「えー、やですよ。誰にも見せませんから!いいなぁ、先生、足長いし細いから、ミニスカート似合ってる。いいなぁ。あ、すーちゃんには見せていいです?」
「絶っっ対ダメ」
「はぁい」
「これ、どうして先生がやることになったんです?やりたいって立候補?」
「そんなわけないじゃないですか。出場競技が積極的に決まらない数名が候補になって、その連中で化学反応式をいくつ書けるか競争をしたんですが、あと2個というところで競り負けて…」
「というか、決め方がまたわけわかんない」
百音までチベスナ顔になるところ、菅波は肩をすくめる。
「男子校なんてそんなもんです」
衣装選びだなんだに話題が行く前に、強引に菅波が話題を変える。
「というか、母親はなんでそんなものをあなたに送ってるんですか」
「時々送ってくれますよ、光太朗さんが子供の頃の写真、って言って。ほら」
と百音がスクロールする画面には、赤子時代から大学入学式のころまでの雑多な写真が時系列もバラバラに入っている。
「光太朗さんが5歳の時にデパートで迷子になった話とか、教えてもらいました」
「もらわなくていいです」
チベスナ顔の眉間のシワを、百音の人差し指がつんつんとつつく。
「…ダメ、でした?」
小首をかしげて聞かれれば、それ以上へそを曲げるわけにもいかない。なんだかんだ人間関係を円滑に運んでくれていることには感謝の念しかないわけで。
「ダメなことはないけど、さすがにそのチアリーダーは黒歴史すぎます」
「分かりました。別フォルダで鍵かけときます、うん」
「消さないのね」
「消しはしません」
あー、もう、と菅波が笑う。
「じゃあ、僕もお義父さんに連絡して、百音さんの昔の写真もらおうかな」
「えー!ダメ!私からあげますから!」
「いやいや、百音さんご本人のお手を煩わせるわけには」
「そういって変な写真見ようとする~」
「あなたが写っていれば、どれも素敵な写真ですよ」
「ごまかされません!」
「本気でそう思ってますって」
「嘘だ~!目が笑ってる!」
「笑ってない、わらってない」
他愛もない会話を交わしながら、やはりこのホットラインは危険だから、今度ひとりで実家に帰って色々処分したりしよう、と菅波は一人決意を固めるのだった。