洛陽花勝者の慈悲でもなく。
敗者への哀れみでもなく。
ただ、どうにかしたい。
いきるものとして。
同じ、いきものとして。
崩れる肉を支えた理由はそれだけだった。
「あんた、そんなこと毎回してたら、いつか足を取られるよ」
そういいつつ、自分と同じ贄になった皇族の女はやれ仕方ないと、お人よしの男に手を貸した。
南方メラディシアを手中に収めたアラグにもはや滅びの概念など存在せず。
その全てがアラグのため。
アラグの礎となり。
土台になり。堆肥となる。
勝者は敗者の全てを踏み躙り。
食い潰し。
せせら嗤う。
敗者に尊厳はなく。
恨みも。怒りも、妬みも。
全て飲み干して。
「嗚呼、ウネ、これはどうにかならないのか」
「如何にもこうにもこいつは元から研修者共の戯れでいじられたただの失敗作。こうやって死ぬしかもうないだろうさ。現にあたしの治癒魔法も追いつかない。こうしてかろうじて立ってるのも奇跡だったんだろう、いや、意地か。」
支えている肉が溶ける。
肉が崩れる。
ほろほろ。どろどろと。
指の間から。
腕を突き抜け。
見事に、溶けかけた肉を頭から被ってしまった。
腸、脳みそ。
筋、目玉。
溶けたものを浴びた普通の人間なら、それはそれは気持ち悪いだけの体験であろう。
しかし、頭から溶けた肉を、体液を全てかぶった男は、ただ虚しい顔をしていただけだった。
勝者には敗者の全てを略奪する権利が与えられる。
古来から、人が取り決めた掟。
財、土地、女。
そして民。
アラグもその例に漏れず、支配地の南方メラディシアからはさまざまなものを『取り寄せた。』
その1つが鬼神ズルワーンを信仰する人馬族。
アラグにとっては、これはまたとない珍しい玩具だった。
アラグに奴隷として送られた民は、文字通りアラグのために使われる。
形なく崩れたさっきの生き物もそうだった。
人馬族に何かを掛け合わせた生き物。
デミクローンの素体としている自分が尊厳を語る気などない。
「片付けはあの玉っころが勝手にやってくれるさ。研究者どもにはあたしが適当に誤魔化していっておく。とりあえず体を流さないと。」
「…、待ってくれ」
まだ暖かい、掴める部分の肉を両手で拾い上げた。
「もう少し、付き合ってほしい」
男の真摯な表情に女は呆れたようにため息をついた。
アラグから生と死が消えて幾世紀。
嘗ては死を尊び、生を想う文化があった。
皇族しか立ち入れない。
否、そこにしか残っていない霊的な儀式の場。
所謂、墓標である。
その手で穴を掘り、結界で閉じ込めた肉をうめる。
墓石はない。だからせめて、彼が持っていた槍を立てた。
「いいのかい。こんなとこに」
「昔はアラグ人の共同墓地だった。亡骸を送り返す故郷は、我々が踏み潰してしまった。だから、せめて」
「…、本当、どこまで」
人がいいのか。
女はその言葉を飲み込んだ。
今更だと思う。そんなことは。
あれから数日たって同じ場所に来てみたが、あの惨劇がなかったように全てが綺麗に片付いていた。
生き物が。命が。
痛みに呻いて、弄ばれ、消えていったのに。
それさえも、アラグは平らげてしまうのか。
「高貴なる者」
後ろから声をかけられ、振り返る。
数日前。
肉が崩れて死んでいった生き物と同じものがいた。
南方メラディシアから連れてこられた人馬族と何かを掛け合わせた。
レプトイド。
レプトイドはこちらに敵意を見せぬ様子でゆっくりと近づいてくる。
本来レプトイドはアラグの忠実な兵器のために余計なものは取り払ったと。
つまり、目の前にいるレプトイドのように会話をする能力はない。
「高貴なる者。そう警戒するでない。私はただ、謝辞を述べに来ただけだ。」
「なにも、私は。」
「崩れ落ちる肉を支えた」
跡形もなくなろうとも。
言葉にすれば思い出せる。
崩れる肉の温かさ。
痛みにうめく声。
アラグへの怒りを見せた目が。
勝者の慈悲でもなく。
敗者への哀れみでもなく。
同じ生き物がなぜ苦しまなければならないのか。
「私はそれをみていた。偶々だったが。勝者によって弄ばれ、失敗作と呼ばれた者が惨めに死んでいくのはありふれた日常だ。それが同志であっても、我々がどうすることもできぬ。然りとて勝者どもが哀れみを持つわけでもない。溶けて死ぬものを汚いものを見る目で嗤うだけだ。」
そんなものを。
支えて。どうにかしようとした。
結局、どうにもできずに、それは崩れてなくなったが。
「彼は勇猛な戦士だった。アラグの奸計に陥り、負けて捕虜になった。挙句にこのようなことになり、彼の持つ尊厳全てがアラグに踏み躙られた。」
彼の地を無くし。
弄ばれ。
誰にも看取れられずに死んでいく。
あまりにも惨めで、辛く、痛い。
「看取られたのは、最後に残った人らしさ。」
「支配者が今さら何を言っても言い訳にしかならない、あなた方の尊厳を踏み躙っているのは事実で、私はそれから目を逸らしていただけだ。」
口だけで理想を語るのはあまりにも簡単すぎる。
そうであってほしい理想と。
そうならなければならない現実との乖離。
踏み躙られ、笑われて。
苦しみ、呻めき、恨み、怒り、死ぬ。
耳に、目に、脳に焼きつくそれは、果たして自分の行いが正しかったものなのか。
「私には、わかりません。」
「善悪ではない」
崩れ落ちる民を支えたこと。
怒りに手を伸ばしながら死んでいった戦士を見送ったこと。
その命を弔ったこと。
「ただありがとうと。私はそう言いたい。高貴なる者」
笑うこともできず。
しかし、謝意を無碍にするわけにはいかず。
1つ。深く頭を下げた。
「ところで、」
男は純粋な疑問から口を開く。
「レプトイドは、本来の役割を果たすために余計な、先ほどの会話機能すら取り上げられると聞いたが、」
レプトイドは、何かを察したように小さく唸った。
「大抵は。だ。私は彼の国で文官をやっていた故。キメラ化の細胞がうまく定着してもなぜか言語は機能するらしい」
しかし、奴らに見つかるとまた新たなる玩具にされかねないのでね。と後に言葉を続けた。
「奴らの前では理性を失ったフリをするのだが、これがなかなかにおもしろい」
「成程。そうだったか」
男はこの事実を聞いてもこの話を他の誰かにする気はない。
「我々は、常に自分ではない誰かが掠奪をしているのを黙ってみているだけで、こうして話ができるとは思ってもなかった。賢きもの、あなたの名前を知りたい」
「名なぞ、とうに忘れた。」
堆肥に名は不要。
奴隷に名は不要。
「失礼。では、私だけでも名乗っておこう。こうして支配者たる我々に懐疑を持たずに接触を図った貴方を信用して。」
男は名を告げる。
ドーガと。
「斜陽の帝国において、忘れ去られた形だけの者。勝者の慈悲でもなく、敗者への哀れみでもなく、支配者の施しでもなく、祈らせてください。貴方方のことを。」
あの溶け落ちた肉を。
命を取りこぼし。
掠奪に関わらず、見続けてきた自分への枷。
忘れない。
忘れてはならない。
アラグの積み上げた1つ1つの大罪を。
全て背負って、滅びを迎えようと決めたから。