祈る意味を神知らぬキミに話そう神とは。
我々の目を盲目にし、発展を遅らせ。
祈りで人を奴隷にする悪魔である。
なぜ我々は南部の地から撤退せざる追えなかったか。
それは神が我々の目が、祈り1つで曇らず、神とは何なのかという真実を見抜いた故である。
神は我々を否定した。
故に我々はこのような謂れのない迫害にあった。
我は宣言しよう。
神無き世界に祝福を!
真実を知る我々こそが神たるものなのだ!
ガレマルド建国時に国父ソルによってぶちあげられた建国宣言は、後々のガレアンの神というものに対する認識を作るための礎となった。
神は悪魔である。
神は人をお救いしない。
だから、我々は神を否定しよう。
人の生きる時代だからこそ。
祈りは不要だと。
かと言えども、自分は全く祈ったことはなかった。と、言えば嘘になる。
自分だけじゃない。ここにいる全員が。
かつて平穏だった時代に、この泰平は皇帝陛下の日々の御働きにより我々は其れを享受している。
皇帝陛下に感謝と誠意を。
これを祈りと呼ぶのかわからない。
けれども、いうのは憚れた。
だから、結局わからなかった。
エオルゼアからきた奇妙な友人がティルティウム駅に滞在して数ヶ月。
たまにエオルゼアに帰ってはまたここにくる。
足繁く通っているせいか、もう駅の中では外からきた軍隊よりも、住民の一部と化している。
友人。
キール・ブライムの働きは、本来の身分、力無き一般市民以上の働きをした。
周辺動植物の生態調査。データーの取りまとめ。
支援物資資料の作成。
今まで帝国様として属州国を従え、慈悲を与えてきたことはあっても、慈悲を与えられることのなかった人々からしては、こういうものは慣れないものだった。
以前の自分であってもそうだろう。
でも。
生きることが大事なのだ。
泥を啜っても。なじられようとも。
そう思って開き直ってからは、研究職だった両親の技術を活かして何とかやってきたものの。
大概がまだ開き直れない上に、こんな書類仕事などさせられない身分のものが多い。
軍人はもってのほかで。結局自分が四苦八苦して書き上げるしかなかったのだ。
けれども、たまたまこちらに来ていた友人と会って変わった。
元の職場で書類仕事しかしてなかった友人は、その一切をわかりやすく書き上げた。
お陰で支援物資も滞りなく、早く届くようになった。
その力量については、最初はエオルゼア人というだけで警戒し、侮蔑していた人間も、今や全面的に信頼とまではないが、渋々認めざるおえない状況であった。
しかし、書類上の不備。
所謂軍人の不正、着服については見抜くものだから軍人からは未だに評判が悪い。
本人は、僕も神殿騎士団なんて糞食らえなんでお互いいいんじゃないんですか。とは言っていたが。
友人は開拓都市のイディルシャイアから来たというが、本来の生まれは宗教国家のイシュガルドである。
エオルゼア十二神の一柱である戦神ハルオーネを主体とした宗教国家。
軍事、国交、政策。その全てが主教であるイシュガルド正教によって握られている。
それは以前駅に突入してきた神殿騎士団からは聞いたことがある。
軍人家庭でティルティウムの見回りをしていた友人は、キールに対して、友人のユルスを手助けしてくれる心強い協力者だと信じている反面、たった1つのことが気に入らなかった。
朝、ひっそりと行われる祈り。
国父の時代から神は悪魔であると遺伝子に刻まれたガレアンにとってはその行為は非常に穢らわしく、かつ、それを認めれば国家の根本を否定するような重大なこと。
朝、誰も邪魔することなく静かにしてるならそれでいい。ユルスはそう言ったが、その行為がガレマルドに存在することがガレアンへの否定だと。
本人にしてみれば日常の一動作。
宗教国家に生まれた故の呼吸。
やめろと言えばやめるだろう。
しかし、他国の文化を否定するのは己が忌み嫌っていた前の時代と変わらない。
今日も夜明け前に、一人静かに呼吸を済ます。
その真剣な横顔が酷く綺麗だとユルスは思った。
邪魔をすることなく、声をかけることなく。
本日も善き1日を。
そう言った顔は何かに縋るようでもなく、ただそこに対して語りかけている。
「祈りってなんだ」
粗末な木箱の上に広げられた祭壇を片付ける友人に問う。
「考えたことなかった」
答えはあっさりしたこと。
生まれた時。人はどうやって呼吸をしてきた。
「ほとんどがきっと意味がない。」
ハルオーネ像をカバンにしまい直して。
蝋燭だって綺麗に箱にしまう。
最後に布切れて木箱の表面を払えば、そこには何も残らない。
キールは周りが言わずとも知っている。
祈ることは、いみきらわれることだと。
だからといって、1日の祈りを行わないのは不思議と気分が心地良くない。
両親の熱心なエリート教育の結果なのか。
だからせめて。
誰かが起きる前に、片隅で静かに悟られぬように行う。
考えたことがなかった。
意味がないこと。
その言葉は紛れもない事実である。
誰かが石を積み始めたら、周りが石を積み始めたように。
本当にそういうことなのだ。
誰かが思い。
その思いに人が集まり。
それが形を成せば祈りである。
なんでも神様ハルオーネ様どうかどうかしてください。そんなものはきっと、祈りでもないのだろう。
本日も善き1日を。誓いを立て。
本日も善き1日でした。日々を振り返る。
何事もなく、見守りくださり、ありがとうございます。
それは、かつて家族の間に存在したそれと変わらない。
本日も善き1日を感謝いたします。皇帝陛下様。
「大それた野望や命を神に託すのは、祈りじゃないかな」
誰かが名も無き石の墓標に花を手向けるのも。
何物でもない日々に感謝するのも。
生き残った1日に感謝するのも。
誰かを思うのも。
「簡単だから、きっと答えられないんだ。それは」
でも。
傅かえ、首部を垂れ、這いつくばって、乞う。
それは違うかな。といった後、いや、あの正教のクソジジイどもは違うっていうな…と、頭を抱えて呟いたのを、少し面白く思った。
「笑うなよ」
「すまない」
こうしているうちにティルティウムの入り口から薄陽がさす。
「今日も、」
一緒にいれるよな。
その祈りは
願いは。
どちらかの言葉だったのか。