相反、乖離1つ、国があるとする。
1つ、組織があるとする。
その内を形成するものはまさしく十人十色で、全ての人がお互い相入れることはできない。
もはや敵なし。
世界のほぼ全土を掌握したアラグにも、その小さな綻びは存在した。
アラグを形成する小さなものたち。
平民。
前線に出る兵隊。
研究者。
皇族。
奴隷。
召喚士。
アラグの皇族居住区に見慣れない服を見つけた男は足を止める。
「…、サリ、先生?」
呼ばれた男はにこりと笑ってこっちを見た。
召喚士。
従来の人間の兵卒や、合成獣、ホムンクルスを用いらず、演算で召喚獣を作り出し、戦うもの。
皇族が本来持つ魔法とは全く別次元のそれは、アラグの戦いそのものに新しい風を吹かせた。
それが皇帝の目に留まったのか。
皇族居住区の立ち入りは大魔導士くらいの許可しかなかったものが、召喚士と呼ばれるものたちも自由に立ち入りできるようなった。
皇帝陛下の。
最も近いお膝元。
嗚呼、これは。
どこぞの研究者が知れば子供のような癇癪を聞くことになる。と、苦笑する。
「サリ先生。本日は皇帝陛下に…」
「いや、」
サリは笑ったまま、言葉を切った。
「皇帝陛下がご壮健なのも気にはなりますが、今日はあなたに会い来たのですよ。」
ドーガ。と、サリが男の名前を呼ぶ。
「嗚呼、サリ先生自ら御足労いただき何と言っていいのやら…」
「…。ここで立ち話もなんだし、移動でもしましょうか。」
輝ける尽きることない魔力の塔。クリスタルタワー。
眼下に平民、軍人、研究者、魔導士が行き交う大通りを見下ろせる場所。
大魔導士サリと出会ってから、少しした談笑はいつもこの場所で行っている。
サリのいう演算術の話は古流の皇族では到底理解できない話だ。
どちらかというと、そう言う最先端の話はサリーナがよく聞いていた。
専ら自分が好んだのは、サリからもたらされるアラグ帝国外の話と、様々な現象における仮説、演算術から弾き出される未来予想図。
現実的な話ばかり消費される帝国内で、非現実的な話を好むのは、あまりにも夢想家すぎて馬鹿にされるのはわかっている。
けれどもサリは嫌な顔1つせずに、話しを始める。
「ところで、」
ふつり、言葉が切れた。
何かを探るように目が、こちらを射抜く。
「あの下衆の集団からデミクローンという生体技術の名前を聞きました」
やはり、その話は避けられないのか。
「それに君が関わっていることも。」
デミクローンの素体として、自らの身体、遺伝子、血。
それらを全て提供したことは、嘘ではない。
はっきりと頷けば、サリは大袈裟に呆れた。
「脅しでもなければ、やれと言われたわけでもない。」
「それは、彼らの考えに皇族である君が迎合したということでよろしいのですか?」
否定。
「傾いた国には傑出した指導者が必要だと、そう言ったのはアモン殿だった。アラグ建国の祖。始皇帝。」
亡き者を文字通り復活させる。
斜陽の都は、すでに命の倫理を失っていた。
誰が咎められようか。
現に人はその『施策』に対して何も言わなかった。
始皇帝の復活無くして国は蘇らない。
それは子供が描く夢でもなんでもない。
こうしてアラグはほぼ世界の全土を掌握し、民は飽きることない栄華を桜花している。
「皇族としての義務。それに対する対価を払っただけだ。」
脅しでもなく
強制でもなく
賛同でもなく
役目。
己の命を、人権を、尊厳を、他人に預けることを、役目と言った。
「っ、」
笑みが漏れる声がして、サリは音のした方、ドーガの方を見た。
「先生、同じ顔だ。あの日、私がそうしなければならないと言ったときのサリーナと、ウネと、同じ」
嘲笑うようでもない、その顔はどこか遠くの日を懐かしむような。
「サリ先生の言うとおり、非人道的な研究に手を貸したのは事実だ。その対価として満足に死ねることもないのもわかっている。軽蔑されるのも当たり前だ。受け入れよう。」
だが、皇族。
ザンデ直系の血族として、民らが今まで払ってきた犠牲を他人事ですませたくなかった。
皇族だから。
自分たちだけ犠牲を払わずに栄華を安寧を貪るのは、それは見過ごせない。
「自己満足ですよ。そんなものは。」
「相変わらず先生は手厳しい。」
下層の大通りで躓きかけながらも友達と走る子供達。
その一人がこちらを見上げて手を振った。
始皇帝の復活。
死者を甦らせるためのデミクローン。
そんな倫理に反したことに閉口して、自ら進み出なければ、この子達がいる未来もなかった。
手を振り返せば、子供の表情が明るくなる。
あらぐていこくばんざい!
「ノアは多少は手心は加えてくれますかね。」
「先生よりだいぶ、いや、かなり直球的すぎる。」
できることなら顔を合わせたくはないのだが。
「先生、私は後悔はしていない。けれども彼らに賛同する意思もなければ、反する意思もない。」
「自分の意思などない、ということですかね。」
「いや、」
言葉を切って、息を吐く。
「総てを愛するだけ。」
「……。」
「先生?」
首を傾げて名前を呼ぶと、笑う声が聞こえた。
「は、はは、はははっ、そうでしたか。いやぁ、なんと言いますか。初めて会って話をした時、散々話を強請っていた君とは全然違いますね。成長しました。私のとこに弟子としていたらもう卒業を言い渡しているとこでしょうね。だからあえて言いましょう。」
非常に残念です。あの下衆に自分を差し出すだなんて。
その日を最後に、サリは皇族居住区にあまり姿を現さなくなった。
人の話ではなにか、皇帝自らが特別な任務を下したようで、それに時間を取られているとか。
「サリ…、は、非常に賢く、数ある召喚士の中では最も知識があります。ご心配されるようなことはありません…。」
「主にそこまで言わせるとは、相当の男のようだな」
ドーガとザンデに名前を呼ばれ、はっとする。
「失礼いたしました。我々は全てに対して平等でなくてはならないものを、旧知の仲というだけで…」
「良い。主の言葉が愚かな嘘吐きだったことは一度もない。故に主だけは許そう。」
「有難き御言葉にて、」
サリは姿を見せぬども、任務に対する進捗報告は皇帝の耳にはしっかり入っているようで、表情を見る限り何かを失敗した様子はないようにみえた。
定期的にくる進捗報告が突然途絶えて数ヶ月。
アラグは南方メラディシア制圧作戦のために国内が忙しなく回り始めていたせいもあり、誰もが、皇帝さえもそれを気にしていなかった。
1人を除いて。
「君。」
制圧作戦のためにクリスタルタワーの上層で忙しなく動く軍人に白金貨の詰まった袋を渡す。
彼は金さえ有れば、なんでもする男だ。
こんな姿、うっかりウネ見られたら説教どころでは済まない。と、心中渋い顔をしながら、要件を言い渡す。
サリの研究所に行って様子を見てきてほしい、と。
男は白金貨の詰まった袋の重さにニヤリと笑う。
皇族様は金払いが馬鹿みたいに良くて助かる。
白金貨と引き換えに持ち替えられた情報はあまりにも無惨だった。
サリは死んだ。
死んでいた。
男が金だけ受け取って適当に話をでっち上げた。
普通ならそう思うだろうが、自分には少し心当たりがあった。
少し前、定期的なサンプル摂取と言われ、生体研究所に足を運んだときに、自分のデミクローンを見た。
全身だけじゃなく、呪具も血濡れで佇んでおり、声をかけたらわかるのかこちらを見た。
自分に自分を見られるのは変な感じだったが。
デミクローンはこちらを確認するとふらふら近寄ってきて、体に身を預けるように体を寄せてきた。
過酷な実験で痛ぶられたのか。
労わるようにデミクローンの頭を撫でた。
「………」
雑音混じりの言葉が耳元に入ってくる。
デミクローンに会話、言語機能など最初から搭載されてはいない。
けれどもわかる。
さりせんせい、ごめんなさい。と。
皇帝様に報告しときますかい?
ニヤニヤと笑う男の声で、現実に戻ってくる。
「…」
「心配しなくても、あんたが賄賂を渡したことは言わねえよ。様子を見に行くだけには袋が重すぎた。おまけだよ。おまけ。」
「わかった。任せよう」
男の言葉通りに、サリの死は皇帝に伝えられた。
もちろん、男がたまたま研究所に行ったときに見つけてしまった。という体で。
1人で研究所にこもっていたため、目撃者もおらず、サリの死は、事故死として片付けられた。
「ほーんとざーんねんっ!って感じですよねー!未来を担う有力な召喚士様がなんと!事故死!あの時のザンテ様のお顔と言ったら目も当てられないほどに悲しみに暮れていらっしゃって!」
よよよ、と大袈裟に嘆く研究者を一瞥する。
動機はわからない、けれども、だれが、どう、殺したのは、予想がつく。
しかし、それを追求しようとは思わない。
死ぬ前のサリは病的すぎるほど人に対して排他的だった。弟子にさえも。
故に、その排他的な部分で弟子に恨まれ殺されたのだろうというのが、事件の顛末とされていた。
南方メラディシア攻略を始めるにあたり、国内の亀裂はなるべく隠蔽したい。
サリが事故死として処理された理由の1つ。
「まあでも。サリも本望でしょーね!」
「なにがだ」
恨みも、憎しみも込めず、ただ言葉を返す。
「しらないんですかぁ?召喚演算術と生体培養技術。どっちがより効率的でつよーいものを生み出せるか。ずーっと国内で争ってきたんですよぉ?」
ニコッと研究者は笑い、顔を近づけた。
「結果的に召喚演算術なんて子供の計算式!サリの死がその証拠ってことでーす」
「そうか、」
「倫理、倫理、倫理!そうやってくだらないことに縛られてるから技術がそこでとまっちゃうんですよねえ。ほんと、あの綺麗事しか言えない召喚士も集めてなにかにしちゃいましょうかね。嗚呼、そうしましょう!有力候補のサリが消えた蟲さんなんて、そのままだと価値がなさすぎて、可哀想すぎますよね!慈悲です!慈悲!」
身振り手振り。
くるくる回る研究者の様子をただ黙って見ている。と、思い出したことがあった。
「そういえば、」
ぴたり、空気が止まる。
「先日、調子の悪いデミクローンをみた。少し介抱したが、その後アモン殿がきて、それを引き取っただろう?その後どうなったか気になっただけだ。」
「嗚呼、あれですかぁ?」
あまり言葉に期待は持たない。
「使い物にならないんで廃棄でーす。まーったく本人に似た豆腐メンタルどうにかしてくださいよ。」
「…、わかった。」
やはりそう言うことになったか。
サリをアモンが殺した証拠が欲しかったわけではない。
ただ、もう少し、何かをしてあげたかった。それだけ。
「あなたもっと、こう、恨みがましいような顔できないんですか?サリが旧知の男を下衆野郎が連れてきて駒にしてるのを見た時みたいに」
「元から他人を面白がせた記憶がない。」
「はいはーい。そうですよね。期待したこっちが無駄な時間使いましたー。」
話に飽きたのか、研究者はひらひらと手を振りながら背を向ける。
パネルをいじって機械を停止させた。
今日のサンプリングは終了ということらしい。
真実を暴く気はない。
誰かを咎める気もない。
罪があるとすれば。
きっと自分。
研究所内の帰り際にふとポケットに何か入っている気がして掴んだ。
緑色のクリスタル。
あの日、デミクローンが所在さなげに持っていたのをそのまま引き取ってしまった。
「さりせんせい、ごめんなさい」
クリスタルを見ながら同じ言葉を吐く。
じいっと、目の前にシステムが浮いてるのも気づかず、機械的な物音で顔を上げた。
クリスタル、を見ている気がする。
システムにクリスタルを見せれば中央部が静かに開いたので、導かれるようにクリスタルを入れた。
持ち主がなくなったクリスタルを再利用するために集めているのか。
もし、もしそれがサリのものだとしたら。
「…」
目の前のシステムを撫でる。
何かに呼応するように小さな機械音がなる。
1つ栄華を誇り。
1つまた罪を積み上げる。