暁月の巡業アラグに雪は降っていたか。
そう聞かれると万年温暖な気候に調整されていたアラグでは見たことがなかった。と、答えるだろう。
雪深い、山脈を越えた国。
ガレマルド。
新雪に沈むブーツを引っこ抜き、雪を払い先に歩く男の背を追いかける。
わずかに露出した肌に触れる雪風が少し痛い。
どうしてこんなことになったのか。
ことは数日前に遡る。
アシエン・ファダニエル。
基、アラグ魔化学の最高峰アモン。
私たちにとっては、作り主であるあれ。
あれがこの世界に終末を引き起こす際、それはもうご迷惑をおかけしました、レベルではすまないすっちゃかめっちゃかをやらかした。
そんなもの、あいつが勝手にやらかしたんだから、私たちは関係ない。
そう言ったのに、男は、主人の不始末は作られた自分の不始末だ。と、言い。
「東方には謝意をあわらすための、おれいまいりという文化が存在するらしい」
つまり、菓子折りを持ってアモンが迷惑というか、破壊行為を行なってきた国や地域に謝ろうという寸法。
「それじゃあ、あんたはどこまでそのお礼参りとやらをするんだい」
アモンが非道な行いや破壊行為を行なってきた場所や国。
それは今の時代に限定されたことの話ではなく。果てしない過去や、もう存在しない国の話にまでなってしまう。
「…できるとこまでやるしかない」
世界は広い。
そんな広い世界をお礼参りで、一人の男が隅々まで回れるのか。
「しょうがない、あたしとオニオンナイト・ルーネスもついていくよ」
そう言えば、根暗そうだと言われた男の顔がすこし明るくなる。
「嗚呼、そうか、それはありがたい。ところでこれは、星海の記録帯を見た上でルートを組んでみたのだが」
渡された小冊子。
中を広げてみるとなんともまあわかりやすい絵と文字でお礼参りのルートが書かれていた。いわゆる旅行の旅のしおりり。
中身を流し読みし、男を見る。
「あんた、まさかこれって」
言いかけた言葉を遮るように男が口元に指を当てた。
お礼参りを口実に、自分がやりたかった旅を一度はしてみたい。
そう言う真意は黙っていてほしい。と言うことか。
相変わらずそう言うことは抜け目がないな、と、星海から抜け出し、お礼参りとやらをすることになった。
そのルートの1つであるガレマルド。
薙ぎ倒された列車。
降り積もった雪から覗く異形の手。
自分も星海の記録帯は旅に出る前の予習として流し見程度に見ていた。
アモンの最後の根城であるガレマルド。
まあやはり、というか、アモンらしさというか、この国でも随分命を弄んでいたようだ。
あまりよく見ていなかった自分でも思い出したくない無惨な記録帯。
旅の栞とやらを作るために最初から最後から見た男は何を思うのだろう。
ふと前を見たら雪に覆い被された死体に祈りを捧げていた。
深雪は音を吸い込む。
半刻ほど歩いた先に着いたのは、これはまたアラグで見たことないような珍妙なる場所だった。
「コウエン、と言うらしい」
「へえ。」
遊具で遊ぶ家族連れを見て、かつてのアラグを思い出す。
あの時、私たちが見てたのはもっぱらアラグに逆らう叛逆者を締める差別用語の飛び交う始皇帝様ごっこ、だったけど。
もちろん子供の相手は植民地から連れてこられた奴隷。
囲ってよってたかって叩いて。
お前の国主は世界から捨てられた。
アラグへの叛逆者には未来などない。と、口々に言い合って。
「まあ、随分健全じゃないの」
そうぼやけば男は苦笑した。
公園を歩き回りながら目的の場所を見つける。
地下へ誘うように広く開いた入り口。
入り口に立っていた見張りは私たちを不審に思うことなく、中へ通した。
何かしたのかい?
男、ドーガに問い掛ければ、とくに、なにも。という短い答えが返ってきた。
「で、誰にお礼参りするんだい?ここにいる全員だと日が暮れるだろう?」
「…迷惑をかけてしまった人々の代表にお礼参りができればいい。」
ドーガは自信ありげにそういうと、リストを制作してる男に声をかけた。
開拓団のものだが。ここを取り仕切る者と話がしたい。
最初は妙な表現に首を傾げた男だが、開拓団という言葉を聞いて、あっさりとその要求を受け入れた。
開拓団。
見も知らぬ言葉。
思えばこれも、星の記録帯に存在していたものか。
しばらく待っていると、作業をする人を隙間をぬってこちらに誰かがくる。
「開拓団、というのはあなたたちか」
目の前に現れたのは青い髪をした青年。
「今後の復興についての話がある。ここでは周囲の人間を驚かしてしまうだろう。だから、少し奥の方で話がしたい。」
そういうドーガの提案を青年は疑いもなく受け入れる。
開拓団とやらは、この地において相当な信頼を勝ち取っていたようだ。
やってきたのはティルティウム駅の端。
「ここだとあまり話は聞かれない。そこで話とは、」
「テロフォロイ」
瞬間、駅全体の時が止まった。
嘗て我々の主と呼ぶものが引き連れていた終末を招く異形の集団。
これがこの地に何をもたらし、何を成したのかなんて、道中を見ればわかるだろう。
相変わらずこの朴念仁は言葉が足りていない。
「…怯えなくていいよ。私たちはそれじゃない。ただ目的を話すのにそれがあった方が状況を理解しやすいとおもっただけなんだ。」
テロフォロイを引き連れていたアシエンファダニエル。
その人が昔、栄華を誇ったアラグ帝国の異質な研究者であったこと。
その研究の内に人を雛形にして生み出すデミクローンがあったこと。
それに名を挙げねばならぬ存在があった事。
「で、まあ色々あってさ。そいつが世界を滅茶苦茶にしたあと言い逃げみたいに死んじまったのは後味が悪すぎる。主人の不始末はあたしたちの不始末。こうやって迷惑かけた国を回って頭下げてるってわけだよ。」
「そういうことだ。ウネ。すまない。」
話を聞いていたドーガがもっていた紙袋を青年に渡す。
「まあなんていうか、粗品ですがっていうのかねえ。」
「防衛、システム、饅頭?なんだこれ。」
青年は紙袋から出した箱を珍しげに眺める。
「詫びの品。なんて、こんなものしか思いつかなくてね、許しておくれよ」
「この度は、主が大変な迷惑をかけて申し訳なかった。全てを許せというわけでない。許されないのもわかっている。」
深く頭を下げたドーガに青年は一瞬体を震わせた。
「それは、そうだ。俺たちはあいつのせいで何もかも奪われた。でも、」
あの日があって初めて知ったこともある。
人の無力さ。己の愚かさ。
この国がどんなに変わって来なかったのかも。
「きっかけ、だったのかもしれない。」
変わるための。と、簡単にいうけれども、それは、一度死んで、また生まれ、生きる。転生。
「あんたたちがどこからきたかわからない。けれども長い旅をしてここまできた客人に対して、謝罪を受け取らないのは失礼だろ?」
きっと、あの日がなければ。
その言葉だって突っぱねていたはずだ。
「その言葉と気持ちは受け取ろう。顔を上げてくれ。」
ゆるゆると頭を上げたドーガに青年は笑いかけた。
あんた、真面目だな。と。
「…、用はそれだけだ。時間をとらせてすまなかった。我々はすぐにでもここをたとう。」
「待ってくれ」
踵を返し、駅から出て行こうとする3人を青年は呼び止める。
「ここまできたんだ。手土産くらいは用意させてくれ!」
そういうと青年はまた行き交う人混みの中に消えてしまった。
しばらく待っていると、青年は紙袋を抱えて戻ってきた。
「ほら、これ、ピロシキっていって、ここじゃよく食べられてるんだ。」
「へえ。」
ドーガが受け取った紙袋の中をウネがのぞきこむと、4つのパンが入っていた。
「よくあるピロシキは中にシチューとかジャムが入ってるんだが、帝国はついこの間サベネアと国交を結んだばっかりで、その記念品として帝国のピロシキにサベネアにある名物のカレーを入れたんだ。まだ試作段階だけど、味は不味くない保証する。」
「にしては、1個多いね。あたしと、ドーガと、ルーネス。残りの1個は、」
「それは、」
青年は1つ、間をおいて言葉を紡ぐ。
「あんたたちのいう、主の分だ。」
「…」
「なんていうか、まだ生きてるか俺にはわからないし、もし生きてても、何らかの事情があるんだろ?」
ちらりとウネは隣のドーガを見やる。
無に近い顔が、わずかに綻んでいた。
本当に僅かなのだが。
「俺たちは、叩きのめされて、奪われた。その先にあったのは、明日ではなく、終わりだった。それはあんたたちの主とやらの思い通りのことかもしれない。」
けれども、
青年はつづける。
「諦めが悪くて、足掻いて、立ち上がって、また歩き出してる。ざまあみろ。そう伝えてくれ。」
「…、承知した。君のような強い若者がいたら、彼の国も、」
めでたしめでたし。
そんなありきたりで幸せな終わり方ができたのだろう。
「強きもの、名を問おう。」
「名前、ああ、そっか、まだだったか。ユルス。」
「ユルス。そうか、その名、記憶と共に星に持ち帰ろう。どうかあなたの国が広く、長く、繁栄するように。」
ユルスに見送られ駅を出ると相変わらずの雪景色。
「さあで、次はどこにお礼参りに行くのやら。ねえ。」
「つぎは、そうだ、サベネア。そこにしよう。このピロシキの中身のホンバというところらしい。」
「まったく、完全に金持ち息子の道楽旅じゃないか。」
呆れたように肩をすくめると、以前根暗だと評した顔が困ったような顔になった。
「ルーカス、雪に足を取られるんじゃないよ。」
転びかけたオニオンナイトの腕をウネが引っ張った。
第三星歴。
アラグは世界のほぼ全土を力と技術を持って支配した。
故に、世界に国は1つしかなく。
自室の本棚に詰め込まれた多種多様な国をずっと夢見ていた。
国があり、人がいて。それは1つではない。
そんな国々を渡り歩く。
本当に不謹慎だ。謝罪の巡業というふりをしてあの日の夢を叶えているのだから。
この身はそれを思った本人ではないのだけれども。
旅に心を輝かしている気持ちは偽りではない。
「サベネアには2本足で歩くゾウがいるらしい」
「は?」
見事なまでの鳩に豆鉄砲。
吹き出せば、不敬だよあんた、と、ドーガの額をウネの指がはじいた。