オムレツに於けるcadenza神民はイシュガルドの奴隷である。
それを体現したような異端尋問局にも日数は少ないけれども、非番はある。
ぽつんと、寮の相部屋に1人。
今日は貴重な非番。つまり、休み。公休。
殺人を正当化する手続きをしないだけで随分と気が楽になる。
貴重な1日をどう使おうか。
宝杖通りで、今流行りの推理小説を買って、それからいつもの小さな喫茶店で買った本を広げて。
頭の中で1日の計画を立てる。
こういう時は不思議と気分が盛り上がるもので。
私服に着替えてコートを羽織り、さて、貴重な1日を、始めようと扉を開いて、固まった。
そこにいたのは異端尋問局では滅多に合わない。
教皇庁職員の聖職者たちが青い顔をして並んでいた。
「…」
なんだよ。と、少々不満げに顔を見ていると気づいたのか、1人が声を上げた。
「貴様がキール・ブライムだな」
「そうですけど」
全員顔が何かとんでもないものに怯えているように見えるが、さすが教皇庁職員となると、異端尋問官なんてツバを吐きかけていい程度の存在。
あいも変わらず高圧的な態度に、内心呆れ果てる。
「なんですか。今日非番なんで出かけたいんですよ。こっちは」
青い顔をならべている教皇庁職員をかき分けて部屋を出ようとしたら腕を掴まれた。
「教皇庁からの特例だ」
「は?」
話を聞いて、さらに呆れた。
上司と言っても、いまは教皇猊下付きの近衛兵。
そのすごく出世した元上司の機嫌がそりゃあもう悪くて、原因はわからないし、このままだと教皇庁職員の6割くらいが謎の失踪を遂げるとかなんとか。
あの人に関してはここにいるときも、度々機嫌が悪くなる時はあった。こころあたりも、原因もわからない。
性根が子供じゃないから、機嫌が悪くても多少自分で機嫌が取れる人だけど、それも限界がある。
今日はその限界なんだろう。
原因がわからない。
だからこそ、今無事に生存している元部下というポジションの男に助けを求めたのだろう。
教皇庁職員の何割が失踪しようが知ったことではない。しかしこのまま嫌だと拒否する権利は存在しない。
なぜなら、敬虔なる神民はイシュガルドの奴隷なので。
「わかりました。いきましょう」
さらば。代休などない貴重な非番。
教皇庁。
それ自体に足を運ぶことは、仕事で度々あったが、あくまでそれは教皇庁の開かれた場所であって。
教皇猊下の座す上層となると立ち入れるのは一部のみ。
高位の。
はっきり言ってしまえば権力とずぶずぶの人間だけが立ち入れる場所。
そんなとことなると、いつも立ち入れる場所とは空気が違う。
ある意味、どこか日常を覚えるような。
人の隙を日々探し、いつ人を陥れようか。
そんな人の汚い目線。
一見厳かに見えて、その実情は権力に取り憑かれた人間の足の引っ張り合い。
もし自分が、希望通りにここにいたならば。
きっとこの実情を知ることなく、神民としての植え付けられた誇りを生きる理由としていただろう。
ある扉の前でとまると、あとはよろしく、と言わんばかりに聖職者達は蜘蛛の子を散らすように言ってしまった。
下手に生存しながらも縁を切ってしまったという悪運。ここにおいては奇跡的な神の御加護とも言われるらしいが。
そんな悪運は、どうやら明日を生きるための試練を日々供給するようなタイプなのかもしれない。
前途多難。そんなの、望んでない。
扉越しでもわかる。
素人が下手に機嫌を取ろうとすれば、終わる。
そんな空気。
息苦しさをふり払うようにコートの襟首を緩め、扉を叩いた。
誰。
その声はまさしく機嫌が悪い時をランクづけするなら。
本日はかなり機嫌が悪い。何をしたら逆にこうなるのか。わからないからこうなったのか。
「僕ですけど。キール、キール・ブライム。」
返事はない。
わざわざ曖昧な態度をとってまで相手を困らせるような人ではない。
嫌な時は大体いう。あくまでも仕事で関わったレベルの経験則だが。
良。
扉を押し開ける。
華奢なソファに座っていた上司は、今世の終わりまでもう関わりがないとおもっていた元部下の登場に気が抜けたようにこちらを見たけれども、感じられたのは、ほんの一瞬。
「何ヨ。恋しくてわざわざ会いにきたワケ?」
「逢瀬にこんな見窄らしい格好をする人なんてそうそういると思ってますか」
「アラ、アタシはすきヨ」
山の上に建てられた皇都の寒さは、高度が高いほどよく冷える。
故に、教皇庁の上層となる場所は暖炉の火がよく燃える。
大きく揺らめいて、全てを喫むように。
お互いそんな軽い会話を交わしながらも、わざわざ口に出さなくていいくらいにわかっている。
ここにきた本当の理由なんて。
「ちょうど良かったワ。心残りがてら、アンタに1つ課題をあげる。持ち帰っちゃダメ。」
不意に話題を切り出され、顔を上げた。
課題も気になるが心残りというのは。
「こっちにきてからずーっと引っかかってたのヨ。なんであそこを去る前にアンタを殺してかなかったのかって」
「…」
冗談を感じない声色に、選択を間違えたら死は免れない、そんな忘れてよかった、忘れたかった、かつての日々を思い出す。
「アタシ、いますごーくご機嫌ナナメなの」
だから呼び出されたんですけど。と言う言葉は要らぬ怒りを買うので、口を閉ざす。
「ご機嫌にして。ナンテ、そこまで期待しないけど、ご機嫌取りくらいはできるわよネ。」
本来の目的を達成するための解決策は、ここにくるまでに全く思い浮かばなかった。
所謂、ご機嫌取り。それが地雷行為の上司にとって、煽て、太鼓持ちと言った、ごく普通の、誰でも思いつくようなご機嫌取りは、今世の終わりに近づく、或いは、終わりを告げかねない。
そこで思い出したのが、以前にも同じ状況であった無茶振り。
教皇庁の職員に上司本人が霧雲街の生まれを煽られた時。
その時は売り言葉に買い言葉だけで済んだが、後が酷かった。
上司から呼び出されて、告げられた言葉は、うまいものを奢れ、出来なきゃ殺す。という、意味のわからない無茶ぶりで。
そのときはどう生き延びたか。
「厨房、借ります」
ソファから立ち上がって部屋から出ると、物陰からことの顛末を見守っていた聖職者たちと目が合う。
教皇庁のキッチンを借りたい。
それを言うと驚いた顔をして、貸し切りにしてきます!とネズミのように走り去ってしまった。
連れてこられた厨房は既に人払いが済ませてあった。
とりあえずまず保冷庫の確認。
目的の食材を見つけると厨房のコンロに火を入れた。
教皇庁内は広い。
故に教皇猊下の座す場所までに料理を運ぶとなると冷めてしまうことが多々ある。
そのため、厨房にはファイアーシャードを使った保温容器が用意されている。
完全した料理を保温容器に入れて、再度上司の部屋へ。
銀の箱から取り出されたのは、何の変哲もない卵料理。オムレツ。
上層に住む貴族たちにとってはありふれたプリーストオムレツ。
以前、うまいものを奢れと無茶振りされた時に、苦肉の策でつくったものと同じもの。
同じ手が通じるとは思ってない。しかし、生き残るために考えた末、本能的に頭によぎった選択肢。
上司はそれを優雅に完食すると、1つ息をつく。
「今日も生き延びたわネ。アンタ。本当につまらない。何もかも。さっさとかえりなさイ。」
しっしっと虫を払うように追い出されたので、脱いで置いといたコートを羽織って言われるがままに部屋を出た。
何もなかった。ということは、本来の目的は達成されたのだろう。
「いやあ、あんた。すげえな。一体どんな魔法でも使ったんだ?」
部屋を出たところで男に声をかけられた。
右目に傷のある、紫髪のエレゼン族の男。
ニコニコと笑うその様子は、人に取り入るような媚びたものではなく、ただ人好きのするような顔だった。
「シャリベル卿の部屋から出てきたってことは、なだめるために呼ばれた哀れな関係者ってとこかな。どうも自分の兵卒が上手いこと動かなくて、ちょっと前からイライラしててさ。」
「そうですか」
「急に厨房が立ち入り禁止になって。暇だったからこの辺歩いてたら、保温容器を持っている君が部屋にはいって、そして今。何事もなく出てきた。君は料理でシャリベル卿をどうにか宥めたってことだよな。一体どういう魔法の調味料を使ったのか気になってな。」
魔法。
魔法なのか。
いや、ある意味それは魔法のようなものだと誰かが言っていた気がする。
「昨日かな。たまたま食堂に顔を出したから、息抜きにでもって、プリーストオムレツを焼いたんだが、全部平らげといて違うって言うんだよな。」
「……」
「君が部屋に入った後くらいかな。教皇庁職員から厨房の立ち入り禁止が解除されたって聞いてさ、急に立ち入り禁止になって、厨房の何かがこわれたのか、とか気になって。」
「ああ、それは、僕が急にお願いしたもので。本当に失礼しました。」
頭を下げると、男はこれくらいでシャリベル卿の機嫌が直るなら安いものだと笑った。
「そう、で。厨房を軽く見回ったら、ゴミ箱には見覚えがない卵の殻があった。俺の作ったオムレツじゃ満足できないシャリベル卿を宥めたオムレツ。料理人としては是非どんな魔法を使ったのか後学のために知りたいと思うじゃないか。」
つまり、この人は教皇庁の料理人で、そんな選ばれし腕前の料理人からみたら、みたことない素人の料理が気難しい人の機嫌を直した。
それで声をかけた。と
「…、家庭の味付けって奴がたまたま口にあっただけですよ。」
自分は上司と違って上層の貴族の一員だった。
とは言っても社交会を開いたり何か特別なイベントが毎日あるわけでもない普通の貴族だったけど。
貴族となれば使用人がいて当たり前。
老齢のメイドが作る料理が、自分たちの家庭の味だった。
その中で一番好きだったのはプリーストオムレツ。
ふわふわとした卵の中に僅かなヤクの乳の甘み。
オムレツを切った時に溢れ出る柔らかなチーズの絶妙なとろけ具合と、酸味を感じないトマトソース。
食べたくて食べたくて。
誰もいない時に、一人で厨房に立ってたら怒られて。
理由を話したら、給仕が終わった後に秘密だよ。って言われ、教わった。
その老婆はもう実家で働いておらず、自分がアンダリムに進学した時と同時に辞めた。体がもうついていかないと。
「おぼっちゃまは、実に聡明な方です。どうか、この皇都を正しく導く神民になってくだされ。」
節くれだったシワだらけの。
母親のような手の暖かさは、まだ思い出せる。
そうやって人の善意だけを信じて生きていければ。
正教、教皇猊下だけをみて、未来は明るいと、馬鹿みたいにただ祈っていられれば。この話はここで終わったんだ。皇都の美しい穏やかな日常として消費されて。それでよかったのに。
次にあったのは異端尋問局の処刑場で。
老婆の処遇は上司が握ってて。
冤罪で売られた。
その証拠が有れば、不正を告発などできなくても、皇都に殺された。そう思えたのに。
調べれば調べるほど、異端との関わりしか出てこなかった。
理由は明白。
まだ新人で、神殿騎士団入りしたばかりの息子を、負け戦の前線で登用し、見殺しにしたこと。
そして勝手に名誉ある戦死扱いにされたこと。
自分の家に雇われていた時も、異端者との関わりはあり、皇都に恨みを持って生き続けていた。
そんな人物がいて自分たちに被害がなかったのは、ただ父親が文官で、母親が教会に勤めている、戦争とは関係ない家だったから。
「不正があるなら聞いてあげるワ。ねえ、かわいいキール」
万が一、誰かに売られた哀れな冤罪者だとしても、この上司相手に異端者と呼ばれた人が生き残ることはありえない。
けれども、上司の言う不正で、これが冤罪で。
老婆が哀れにも誰かの名誉のために売られた事実があるのなら。
恨むべきは皇都。怒るべきは神民と、自分の中で整理がついていたのに。
そしてこの上司は、自分と老婆の過去を知らないはずはない。
だからこうして、わざわざと申し開きを聞く時間を設けているのだ。
いつものように。
理由など聞かずに殺す事はしないで。
「……。ありません。この方の家が異端者の集まりの1つとして利用されていたこと。異端者と予備軍である神民の繋ぎをしていたこと。なにより、家から竜の血の入った瓶が見つかっています。瓶に異端者の宗派を示す切子細工。なによりワインに見せかけたラベルには特殊な魔法を使わないと見えない透かし細工がありました。濡れ衣を着せるために仕込むとしても、ここまで巧妙な偽物は作れません」
そんな馬鹿げた話があってたまるか。
自分だけは。自分の世界だけはそんな悪意などないと。
ありえないことを信じていた。だから冤罪を探した。
怒り、怨み。全ての矛先を、他人の足を引っ張ることしかしない皇都に向けて。
なんてクソッタレな国なんだ。と、声を上げられたらよかったのに。
1つ1つと吐かれる事実が。
罪であると言う証拠が。
老婆を、これから殺すだけの理由を並べ立てる自分に。
お前はそうやって生きて、今まで善意で信じてきた人を、殺して、殺して、殺して、死ぬんだと。
違うと言いたい。
そうじゃないと叫びたい。
自分はただ。哀れに使われている善良なる神民だと。
そうやって、今までの死を。これからの死を他人のせいにして、自分の人生が善意であることを信じたかった。
老婆を殺す。
老婆が死ぬべき理由を並べ立てる自分。
自ら。
あのありふれた穏やかな日常に刃を突き立てて。
「本当に、」
老婆は頭をもたげてつぶやいた。
「おぼっちゃまは、聡明ですな。」
こちらを見た老婆の顔は、かつてメイドをやめたときに、そうであって欲しいという、願いを託したあの日と同じ顔で。
上司が下手なB級映画を見ているようなつまらない顔をして杖を振り上げた。
燃え盛る。
一瞬で燃え尽きれば楽だったのに。
燃え尽きて灰になって。
嗚呼、夢だったんだなあ。なんて、ないことにすらできない。
その炎は痛みを与えながら、全てを溶かす。
ゆっくり、ゆっくり。
死への恐怖と痛みを感じさせながら。
ごめんなさい。
僕は、綺麗な人にはなれなかった。
誰もがより良い皇都の明日目指し、思い描けるような。
そんな模範的な人には。
かつて、秘密だよ。とたのしそうに厨房にたって、たった一つの好物を教えてくれた人は、竜の咆哮でも、獣の叫び声でも、魔物の鳴き声でもない叫びを上げて、死んだ。
その死に様から目を逸らさなかったのは、罪でもなく、罰でもなく。
自分が見届けなければならないものだから。
どんなふうに死んでいったのか。
それを書いて。提出する。役目だから。
焼け爛れ、変色し、溶けた肉から中の骨まで見える。
かつて、ただしき人であってほしいと、願いを託されたシワだらけの手。
その手を拾って。握る。
ごめんなさい。
許して欲しいとは言わない。
恨まないでくれとは言わない。
ただ。 言わせてください。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あなたが託した願いを果たせるほど。
私は勇を持っていなかったのです。
「ああ、すみません。こんな長話。するはずじゃなかったのに、」
「あ、いやー、なんていうか、俺がなんか言うことじゃないな。」
「まあつまり、貴方の言う魔法があるとすれば、それは家庭の味ってだけですよ。あれを作ってる時だけ思い出せるんです。隣にばあやがいて、楽しかった日ってやつを。」
失礼しますと、男に頭を下げて立ち去る。
教皇庁から出たら、夕日が山に翳っていた。
本当に1日非番を無駄にしたらしい。
寮の相部屋に戻ってくると、教皇庁から呼び出しを受けたと聞いた同室の男がなにをやらかしたんだ。と、あれやこれや聞いてきたが、上司のご機嫌取り。というと、あっさり黙った。
卵を菜箸で混ぜる音。
フライパンから弾ける油。
みずみずしいトマトは日の光を浴びで煌びやかに反射する。
卵をひっくり返すためにフライパンを揺らす手。
聞いたことのない童歌を歌いながら。
「嗚呼、そっか」
プリーストオムレツの先生であった老婆は、こちらが名前を呼ぶといつも笑ってこっちを見ていた。
息子には、こう言うことをしてあげられなかったから。
心優しいおぼっちゃまに料理を教えられるというのは、ばあやとしても嬉しいのですよ。
「ごめんなさい。じゃなくて、ありがとう。なんだ。」
今より少し背が低い自分が隣に並んで。
まだ皇都への明るい未来を信じていた自分が、どんなことをしたいかとかいう途方のない夢を語って。
2人分の包丁の音がやけに心地がいい。
そんな静かで穏やかな日常をくれたプリーストオムレツ。
言うべきはごめんなさい。ではなく、教えてくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。と、気づいたのはずっと後になった今。
異端者には墓が作られない。
だから伝えるべき場所もないのだけれども。
その翌日。
キールを呼びに行った教皇庁の職員の何人かが、謎の失踪を遂げたのは、失踪させた本人と、一部の上層部しか知らない。