七つの海に唯一つの:クロム編「ああ、見たぜ」
その宣言はあまりに美しかった。龍水でなくとも、復活者ならば等しく胸を衝かれることだろう。
未知を暴き尽くさんとする強欲。知識だけでは満たし得ない、渇望。人類石化の生き残りとして初めて、熱気球による飛行を経験したクロム。千空から、失われた科学の薫陶を受け、その知識欲は留まるところを知らない。
彼は今、どんな表情をしているのだろうか。否、地平線に釘付けになる、その背中だけで十分だった。
手縫いの気球にぶら下がる小さなゴンドラの中で、地球の丸みを見つめる姿の、なんと尊いことか。
世界を見たクロムが欲しい。
一日の労働が終わる夕方。図面を抱えてラボに引き上げようとする千空を、フィンガースナップと共に呼び止める。
「ハッハー、聞いたぞ千空。学校を作るそうだな!」
「あ゛あ゛、科学学園な。それがどうした? 教師役なら足りてんぞ。テメーは船の方に集中しろ」
振り向きはしたが足を止めない千空に並びながら、龍水は悪い笑みを浮かべる。
「いや、どういった体制で行うつもりなのかと気になってな。青写真はもう出来ているのだろう?」
「そう大層なもんにはならねーよ。教師三人の青空教室だわ。年齢制限無しでクラス分けもしねー」
「青空教室に教師三人は手厚い方ではないか? どんな面子だ」
「それぞれ他の仕事もあるからな。ルリとゲンと羽京にローテでやらせる」
挙げられた名前に、龍水は勝機を見出す。
「教師陣への給与、教材費、学んでいる時間の生活費の補填……勉学には金がかかる。違うか?」
だが千空は言い切った。
「違う。いや、違わねーが、今回はドラコを噛ませねえぞ」
科学大好き少年の目は、静かに燃えていた。スタスタとラボに入っていくので、龍水も当然のように上がり込む。
「科学学園で教えるのは、主に読み書きだ。それ以外の科目も充実させていくつもりだが、義務教育の範疇を超えるつもりはねー。素人教師だしな。だから学費は完全無料だ。共同生活やってる現状、生活費の心配も無え」
「ならば教師への給与はどうするつもりだ? 労働には対価が必要だぜ」
「石神村の感覚じゃ、自分の役割にいちいち対価なんて求めねーよ。何千年も通貨無しでやってきてんだぞ。……資本主義経済が浸透したら、村長の俺から出すことになるか」
「復活者が二人も居るだろうが。それで納得するわけがない」
「物欲の権化と一緒にすんな。二つ返事でオーケー出したわ」
肉体労働は避けて通りたいゲンと、ボランティア精神の旺盛そうな羽京。それぞれに理由はあるのだろうが、しかしいくらなんでも安すぎる男達だ。貴様らはもっと高く売れるぞと、声を大にして言いたい。
ぐぬぬ、と歯噛みする龍水を、千空はちらと盗み見た。何を企んでいやがったんだコイツは、と顔に書いてあるので、龍水は肩をすくめて見せた。
「奨学金制度を導入するチャンスだと思ったんだがな。完全無償なら仕方がない」
千空は目を剥いて絶句する。龍水が打たんとした一手を、読まれていた訳ではないようだ。結果的に、今回は完封されているのだが。
「てめえ、それは」
「ハッハー、そうとも、青田買いだ!!」
ゲスな表情を浮かべて、天を仰ぐ。今回は無理だったが、いずれは実現させるつもりだ。待っていろ未来の科学学園、と、天井の向こうにあるはずの空へ誓う。
「将来は七海財閥で働くことを条件に、十分な額の給付型奨学金をつける! 少人数の内ならば、生徒全員に行き渡らせることも可能だったが、仕方ない。全く、俺の「欲しい」に優先順位をつけさせるなど、並のことではないぞ。罪な奴だな、千空め」
千空はドン引きしていた。「七海財閥で働くこと」は柔軟性を持たせるのだろうが、職業選択の自由を剥奪するような真似はあまりにも悪どい。
「お前……生徒のほとんどは十歳以下のガキだぞ……」
「そう、そこだ。最初期の今なら、働き盛りの者も多く在籍するだろう。そこを狙いたかった! 特に! クロムだ!!」
龍水は、ビシリ、と明日を指差す。これは宣戦布告でもある。クロムを重用してやまない千空に対して。
「いずれ高等教育が復興すれば、クロムは必ず学びに行くだろう。高校、大学、海外留学、ドクターコース、いやその後の研究まで、必ずや七海財閥がスポンサー契約を勝ち取るぞ!」
「お、おお……。そこまでいくなら、まあ、金はかかるな。太い金ヅルが付くならありがてぇこった……」
「何を他人事な。無論貴様もだぞ、二人纏めて俺の子飼いにしてくれる」
「あ゛ーありがてーありがてー。その時になったら考えるわ」
将来のパトロンの真正面で、千空は耳をほじっては垢を吹き飛ばす。なんという図々しさ。
千空の後ろに並ぶ、各種ビーカーにフラスコ。現状ではガラス製品が最新の実験機器だ。それらを内包するラボは掘っ立て小屋で、施錠できる扉すら無い。
龍水は夢想する。三千七百年前の最新機器が詰め込まれた、免震構造のラボを。そこで科学に邁進する、人類復活の偉業を成し遂げた千空と、世界を見てきたクロムを。
欲しい。
まずは、ペルセウス号の乗組員としてツバをつけておこう。思う存分、航海に連れ回して、物理的に世界を見せる。道すがら、千空が解説を挟んで、クロムの欲を刺激するに違いない。
人生は長い。世界は広い。いずれは、絶対に、手に入れる。