n年後の科学使い「ボイジャーのゴールデンレコード、あれはどうなのかなって、思うんですよね」
それは酔った上での失言だった。宇宙飛行士の息子、というルーツを持つ年下の先輩の前で、宇宙探査に批判的なクダを巻くべきではない。素面ならそう思うのに、そのときの俺はもうどうしようもない酔っ払いで、人間関係の機微なんか一切考慮しなかった。
「ほーん。ご意見頂戴しようじゃねえか」
「だって真空じゃ音が聞こえないじゃないですか。地球外生命体が、大気に頼った代謝を行っているとは限らないでしょう。ただの凸凹で構成された暗号、として捉えたとき、音楽のパートなんかノイズにしかならないでしょう? 想定が甘いんですよ、想定が!」
研究者としてうだつの上がらない俺が、よくもまあ、当時最先端を走った科学者集団の功績に対して、吹いたものだ。
「じゃあテメーならどうしたよ」
「レコードに記録する情報を、もっと精査しますね。音楽を聞かせたい、言語の多様性を伝えたい、その気持ちは分かりますけどねえ! 人類と、地球外生命体とのファーストコンタクトのツールなら、悪手ですよ。人類のエゴだ。誰に恨まれたとしても、言語は一つに絞るべきだし、空いた容量でもっとメッセージを残せた――」
飲みかけのビールを頭からかけられても、おかしくなかった。だが彼はそうしなかった。なぜだ。未だに分からない。
「月にウサギは居まぁす!!」
いろいろぐちゃぐちゃ言った後、俺はそう吠えた。確かそのはずだ。
それが数年前の話。
そして今日、俺は年下の先輩こと石神千空氏の求めで、酔狂なプロジェクトに招聘された。
宇宙開発の第一人者として立身した石神氏を筆頭に、工業用ガラスメーカー、有名セラミックメーカー、幼児向け雑誌編集部、雑用係の俺、出資はなんと七海財閥。
「数千年後の人類に向けて、現在の科学知識を伝達する」
石神氏は、そうぶち上げた。
・目的
ロストアポカリプスに備えた、科学知識の伝達。
・対象
ロストアポカリプス後の日本語話者。
知能は十代後半程度。
ただし義務教育を受けていないものとする。
・手法
ガラス製のレコードに音声として記録。
レコードをセラミックで保護し、永久的に保管する。
レコード再生機の組み立てキットを同様の手法で制作、保管する。
・担当者
耐久ガラスの開発:A社○○氏
保護セラミック開発:N社□□氏
レコード再生機組み立てキット開発:S出版ようちえん編集部××氏
記録内容の精査:K研究所△△氏
記録内容の草案・記録:石神千空
この天才は気が触れたんじゃないか、と思って、すぐに打ち消す。
ロストアポカリプスは大袈裟だが、数千年のうちに詳細不明となった建造物なら、ピラミッドやモアイ像などゴロゴロ転がっている。軍艦島なんか、百年も経たないうちに「どう建てたのか分からない」などと言われている。
科学を愛しすぎた傑物が、科学にそれが起こることを恐れるのは、案外、自然な生理現象かもしれない。
俺を巻き込まないでほしかったけれども。
”これを聞いているテメーのことを、クロムと呼ぶ。今からテメーに、人類が生み出した「科学」ってもんを教えてやる。唆るぜ、これは”
レコーディングスタジオの一室に、石神氏の声が揺蕩う。余分な反響を削除するマイクセット、外の雑音を排す防音壁。本来なら、有名アーティストと音楽のための設備だ。
ガラスレコードへの記録は、石神氏が架空の生徒に語り掛ける形で行われた。そんなの、ちっとも科学的じゃない。俺は、必要な情報を抜き出しやすくするために、簡潔であるべきだと提言したが、親しみやすくなければ意味が無い、というのが、石神氏の強固な方針だった。
科学概論やメートロギーから始まる、基礎科学講座。教師と生徒というよりは、友人に語り掛けるような口調で進められる。
記録内容の決定もほぼ石神氏の独壇場だ。草案が完璧すぎて、俺の仕事は殆ど無かった。まるでロストアポカリプスを経験したことがあるかのように、必要そうな知識をピックアップしてくる。
”次に、近付くとやべえ場所を教えとくぜ。原子から電子を弾き出す、放射線っつーもんがある。その特に強烈なやつが漂う可能性のある地域だ。こらクロム、確かめに行こうとすんなよ。俺らの技術じゃあ、防護服作れる相手じゃねーんだ。これは周りの奴らにも教えてやれ。全部で五十六か所ある。北からいくぞ、北緯――”
俺の意見が採用されたのは、立ち入り禁止区域の伝達、くらいのものだ。
このレコードを聴く者が居るとして、人類は二万年も持たない、と想定した俺を、石神氏は顔では大層嫌がって、口では即断即決で採用した。人類の可能性を信じているんだか、いないんだか。
全五巻になるガラスレコード、本日の録音分はそろそろ終了する。手元の資料を閉じると、その表題が目に留まる。
『Project Chrom』
そういえば、なんでこの名前なんだろう。元素番号24番の金属、対象はその名前を知らないハズなのに。