Candle for minority 言い訳ならいくらでも思いつくけれども、今夜だけは、そのどれだって理由にしてしまいたくない。柄にもなく、皋はそう思う。
びゅうびゅうと吹き荒れる雨風が、窓枠を叩いて喧しい。隣に居る男が静かなせいで、嵐の音が余計に響く。冬の暴風雨は皋の家の上空で猛り狂っていた。
皋と同じ毛布の中で、昏見が内緒話のようにこっそりとささやく。
「お泊まりさせてくれてありがとうございます。所縁くん、優しいですね」
「さすがにこの嵐の中帰すのは気が引けるからな。それから、こんな日に来るなと思ってないわけじゃないぞ」
「こんなになってるお外に出ちゃったら、か弱い私なんてひゅるりらと飛んでいっちゃいますもんね。そうしたら所縁くんもさみしいですもんね。ひとりぼっちは嫌ですもんね」
静謐なスピーカーに無視を決め込んで、天井を見つめる。横顔に刺さる視線が熱っぽくて、眩暈がしそうだった。
「所縁くんって噛み締め癖ありますよね。歯にも悪いし肩こりや頭痛の原因にもなるんですよ。治したほうがいいと思います」
内緒話はまだ続いていたらしく、皋の頬を突きながら昏見が言う。確かに皋には噛み締め癖があった。自覚はあるのだけれど、文字通り癖になってしまってなかなか治らないのだ。わかりきってることを指摘してくるのは勘弁して欲しい。昏見はそのまま奥歯を解すように顎を揉んでくる。まるで犬にでもなった気分だ。
どうせ言っても聞かないので、戯れる昏見の指を掴んで止めさせる。握った指先がやけに冷たかった。あ、と微かに昏見から声が漏れる。視線を向けると、昏見は──驚きなのか恐れなのか──大きく目を見開いて皋を見つめていた。まばたきのたびに音がしそうなくらいだった。繋いだ手が離せなくて、皋の体温で昏見の指先がぬるくなっていく。
皋はなんとなく、その時が訪れることを悟った。
まばたきの一瞬、唇が触れた。すぐに離れていった温もりは珍しく言い淀んでいて、皋への言葉を探しているようだった。
別にいいのにな。散々好き放題してたんだから、どこまでもやりたいようにやればいいと思う。皋は嫌だったら突っぱねるし、それでも昏見が我を通したかったらごねればいいのだし。最初から皋と昏見はそうやってきたのだから。探偵と怪盗だった時も、舞奏でも。
祈りを込めた両手を伸ばして、昏見を抱きしめてやる。皋よりがっしりとした背中が、びくりと揺れた。自分はぐいぐい来るくせに、昏見は皋から歩み寄ろうとすると怯むような気がする。だから皋はあまり、昏見に手を伸ばせない。背中に回した手のひらに触れる長い髪の感触が心地よくて撫でていたら、腕の中で昏見が小さく暴れた。惜しいけれど、腕を解いて解放してやる。自由になった昏見の淡い色彩の髪は乱れていて、その隙間で夕陽が雨に濡れていた。
「ひどい、」
「お前が言えた義理じゃないと思うぞ」
ぱくぱくと口を戦慄かせて、昏見が掠れた声で皋を咎める。ここまで口の回らない昏見は貴重だ。いつものふざけた言動がないだけで、昏見のことがやけに儚げに見えてしまうから、皋はほんの少しだけ困ってしまう。年上の男相手に、かわいいなんて言葉がうっかり出てきそうになるからだ。
「うそだいつから気づいてたんですか私上手に隠せてたでしょうこれじゃあとんだピエロじゃないですかくるくる躍る私を見て楽しんでたんですね所縁くんの悪趣味」
「お前、壊れたオルゴールみたいになってない?」
「所縁くんがいじめる〜」
「どっちがだよ」
薄く笑って、ばら色に染まった昏見の頬を両手で包んでみる。その刹那の琥珀色のアルペジオが奏でた煌めきを、皋は生涯忘れることはないだろう。
いつもの笑顔じゃない、はにかんだ笑顔の昏見の腕が皋に伸ばされる。その手は、確かに皋に届いている。
胸の奥に、やわらかな蝋燭の灯りが燈ったような気がした。
ゆっくりと、唇がもう一度触れる。何度か啄むように触れられた。しばらくして昏見の唇が薄く開いたので、皋も唇を開いた。ぬるい舌が唇を舐める。されるままにしていたら、ゆっくりと舌が咥内に入り込んできた。意思を持った生き物みたいな粘膜が、皋の内側でうごめく。皋も何かしら行動を起こすべきだろうかと思ったけれど、下手に逃げられるのもしゃくなので好きにさせておく。皋がここまで赦したのに、今更二の足を踏まれるのは御免だった。昏見の舌が皋の舌に絡んで、ひとつになる。
どれくらいの間、そうしていただろう。静かに優しく唇は離れていった。うまく閉じられなかった口の端から溢れた唾液を親指で拭う。
「特別な化身があるから、舌の味も特別なのかと思ってました」
昏見がぽかんとした表情でそんなことを言うものだから、皋はなんだかおかしくなってしまった。