第弐話 魔女としての可能性「満足した?」
「うぃ、マム」
スコーンを20個ほどたいらげたところで、あきれ顔のファージから「そろそろ検査するわよ」と言われた。
わたしはこのとき全く気付かなかったが、どうやらファージは微笑んでいたようだ。
「ギフト、あなたそんなに食べちゃって、ランチ食べられなくなっちゃうわよ?
せっかく今日は一から製麺もスープも拵えたラーメンなのにぃ」
「え?わたし燃費悪いのでいくらでも食べられますよ?」
「あら、もしかして食費がかかる系のお子様なの?」
「まぁ、そうですね」
「腕が鳴るわ~」
ファージは上機嫌だ。
料理についても教えてくれたらいいのにと心の中で薄く思った。
いつか独り立ちしたら自分で作らなくてはならない。
前にいた世界では「もし、将来結婚することになっても、結婚式前日まで実家に居座るから」と言っていたほどのめんどうくさがりだったため、実家で料理などしたことがない。
しかし、留学が決まり、致し方なしに管理栄養士である兄嫁に基本だけ叩き込まれた。
包丁で指を切るなんてベタな怪我は一度もしなかったが、ポテトチップスを作るときにスライサーで親指をザックリ削ってしまった。
血まみれのポテトチップスは「揚げればいけるだろ!」と次男とその友人たちに食べさせた。
そんなレベルである。
「ファージさんは良い嫁?良い婿?良い伴侶になれますね」
「まぁ!そんな!
あんた、褒めたってチャーシュー増やしてあげるだけだからね!
お金はあげないわよ!」
「検査お願いしまーす」
ファージが喜び狂っているのが気持ち悪いから殺意ポイントが2増えた。
「ファージ様、ローブでございます」
ゴブリンが布を載せたラックを
恭しくファージの前に運んできた。
「さぁ、あんたのためにわたしが仕立てた特製のローブよ!」
ファージが布を広げると、紺色地に見事な銀色の糸で刺繍された紋章が輝くフード付きのマント、ローブが現れた。
ローブは黒いシルクでパイピングが施されており、なによりもベルベットの生地がまるで夜空のようだった。
紋章には剣を持った二人の子供を載せた大鷲が描かれており、その周りは緻密な模様が施された盾のようなもので囲まれている。
とても贅沢なローブだ。
「これ、わたしのなんですか?」
「そうよ~
わたしの実家の家紋よ
あぁ、言ってなかったけど、わたし、明後日入籍するから」
「へぇ、それはおめで…、はい?」
聞きなれてるような聞きなれないような言葉がファージの口から放たれ、わたしの脳は一時停止した。
「あのね、12歳以下の子供を親の承諾なしに弟子にするのって違法なのよ
だからわたしは彼氏を晴れて婿に迎えて、あなたを養女にするってことよ」
まさかの養女。
わたしは自分の家族を皆殺しにした奴の娘になるってことだ。
早く一人前の魔女になってこいつを殺そうと心に誓った。
「婿って、あー、さっきの男娼さん…?」
「ちがうわよー!
あれはつまみ食いでしょー?
何言ってるのよ!
わたしの彼氏はちゃんと彼氏よ!」
「え、でも、浮気とか…」
「あぁ、あんたのように純愛主義の異性愛者にはちょっと難しいかもしれないわねぇ
わたしたちカップルはつまみ食いはフリーなのよ
つまみ食いっていうのは、『二度会わない』ってことよ
一回だけの関係
そしてそこには必ず金銭を発生させるの」
「なんで彼氏さんと、その、交わらないんですか?」
「それは、彼の性的趣向の対象が女性だからよ」
「え?でもファージさんと結婚するんですよね?」
「えっとねぇ、わたしは男のままで性的にも男が好きな性
彼は男のままで精神的には男を愛するけど、性的に興奮するのは女性だけ、っていう性
だから『子種を撒かない』っていう条件でそこらへんはフリーにしてるのよ
一緒に苦しんで苦しんで苦しみぬいて出した結論なの
彼はわたしといると、とても穏やかな気持ちでいられるんですってっ!
ふふふ!」
少しだけ切なさに揺れる瞳と、桜色に染まる頬を、恥ずかしそうに包んで微笑むファージ。
さっきわいた殺意を忘れそうになるほど、このときのファージは綺麗だと思ってしまった。
「じゃぁ、明後日わたしはパパに会えるんですかね?」
ファージは驚いたようにわたしを見つめ、すぐに顔をそらした。
肩が震えている。
喜ばせてしまったみたいだけど、まぁ、今日はしょうがない。
ファージはハンカチで目元を拭ってからこちらに顔を向け、ニヤリとした。
「ふふふふふ
ギフト、あなたはこの世界でも有数の名家のご息女として扱われることになるでしょうね」
「へー、すごーい」
「気持ちがこもってないじゃない!」
「検査してくださーい」
名家だのなんだの、これ以上の衝撃をうけて検査に支障が出たら困る。
ささっとローブを羽織り、次はどうするんだという目をファージに向けた。
「まぁ、生意気!
でもいいわ
わたしもはやくあなたの属性を知らなければならないし
庭でやるわよ!」
「いえす、マム」
用意されていたローファーを履いて庭に出た。
庭に出たはずだった。
扉を開け、外に出た、と思ったら、そこは円柱状のだだっ広い空間だった。
灰色の石壁に覆われ、床は固そうな…、フローリング?とにかく、細長い木の板が無数に敷かれている。
何もない。
「ほら、ギフト
なにぼさっとしてんのよ
これを右腕につけなさい」
「わぁ、派手な腕輪ですね」
幅の広い金の腕輪には下地が見えないくらい大量に宝石がついていた。
宝石の大きさやカットは不揃いだが、隙間が無いようにきれいに収められている。
「この腕輪は魔力を増幅することができるのよ
あなたはまだひよっこのひよっこだから、いくら潜在能力が高くても、魔力の通り道が狭いの
検査ではちゃんと属性への働きかけを見なくちゃいけないから、こういう装備品でわざと大げさに魔法を使うのよ」
「なるほど」
「じゃぁ、検査キットを出すわね」
そう言ってファージは手を叩いた。
するとさっきまで無かったのにファージの右手にはファージの身長ほどもある長い杖があらわれた。
ファージの性格から考えるとちょっと地味目な、こげ茶色の美しく整えられた木の柄に錫杖のような金色の輪と、その中央に青い丸い宝石が浮かんでいる杖だ。
まったく先が見えない天井に向かって円を描くようにファージが杖を回すと、ゆっくりと卵型の水晶が降りてきた。
初めはわからなかったが、近づくにつれ、それが3mほどもある透明な蕾だということに気付いた。
「さぁ、ギフト、この
花水晶に手を当てて順番に念じてごらんなさい
初めは『火』、次は『水』、『木』、『土』、『金』、『風』、『雷』、『気』、『毒』、『石』、『光』、『闇』というようにね
それぞれの属性を使っている自分を想像しながら念じると簡単よ」
わたしはさっそくやってみることにした。
実は少し楽しみにしていたのだ。
「まずは、『火』…、うわああ!」
念じた直後、蕾が一斉に開き、その中央から5mもの火柱が上がったのだ。
炎はそのまま竜のようにうねり、花びらもろとも焼き尽くしてしまった。
びっくりしたわたしは後ろに倒れそうになった。
ファージはよろめいたわたしを支えながら満足そうに口角をあげていた。
「いい、いいわ!
さっそくわたしとは違う属性を持っていることが分かったし、さらに出力が桁違いね!
ああああ、感じちゃう!
こんなに優秀だなんて、わたしは本当に見る目があるわ!
さぁ、どんどんやっちゃいましょう!」
クネクネと身を捩りながら悶えているファージはこの上なく気持ち悪かったが、自分に与えられた才能に心が躍っていたわたしにはもはやどうでもよかった。
花水晶はファージが杖でノックするとすぐに元の形にもどった。
『水』では開いた花びらから清らかな水が川のようにあふれ出し、『木』ではいくつもの花が咲いた。
『土』では花水晶が肥大化し、7mの蕾になった。
『金』では花びらが金、銀、白金、銅、真鍮、などの金属に変化した。
『風』では開いた花びらがブンブン揺れ、『雷』では膨らんだ蕾の中で電気がほとばしった。
『毒』では花びらは見るも無残に枯れはて、異様な香りを放った。
『石』では花びらすべてがダイヤモンドへと変化した。
『気』ではファージが事前に故意に傷つけた部分が綺麗に直った。
「次は『光』ね!
もう、ここまできたら全種類使えちゃうのかしら!
やだー!
わたしすぐ殺されちゃう!」
ファージはもう立てないほど感じてしまっているようで、杖で身体を支えながら床にへたりこんでいた。
わたしはうんと力を込めた。
「…あれ?」
「…あら?」
ためしに次の『闇』もためしてみたが、蕾はうんともすんともいわない。
「なるほどね~
そういう感じね
あなた本当に珍しい子ね~」
「え、ど、どういうことですか?
これはマズイ事態ですか?」
わたしは不安になった。
『光』や『闇』と言ったら、なんとなく魔法使いには必須な項目なのではないだろうか、と。
「大丈夫よギフト
あなたは近年まれに見る優秀で才能豊かで恵まれた存在よ
『光』や『闇』が使えなくたってそんなに困ることではないわ
『闇』が使えないっていうのは、呪うことが出来ないってことね
『光』が使えないっていうのは、呪いを跳ね返すことが出来ないってことよ
呪いなんて装身具でどうとでもできるわよ!
あはは!大丈夫!」
ファージの楽観的な声が霞むほど、わたしはとんでもなく不安になった。
早急に『無』属性の友人を作らなくてはこの身が危ない。
しかし、そんなタイミング、いつ訪れるのだろうか。
今日は眠れなさそうだ。
「…と、ちょっと!
ギフト、聞いてるの?」
「え?はい?」
「やっぱり上の空だったのね
そりゃ、ちょっとはショックを受ける出来事かもしれないけど、そんなに深刻な問題じゃないのよ?」
「だ、だって、わたしは属性的に呪いになんの対処も出来ないってことですよね?」
もうほぼ涙目だったわたしの背を、ファージが思いっきりはたいた。
「ぐぇえ!」
「何言ってるのよー!
呪いって言うのは自然発生するものじゃなくて、かならずその根元には魔法使いがいるのよ?
それに、呪いにはそれなりの道具を必要とするわ
言いたいことわかる?」
「あ、ということは…
呪いをかけてきた奴を殺すか、道具を木っ端みじんにすればいいってことですか?」
「あら、バイオレンスなこと言うわね
まぁ、そうね、当たりよ
呪いは術者ありきで成り立つもの
おおもとを断ち切れば何の問題もないわ」
「うわあああぁぁ…
よかった…」
わたしは心底安堵した。
ガンガンに魔法が使えるのに、呪い一つで死ぬなんて恥ずかしすぎる。
「攻撃は最大の防御…」
「え?何か言ったかしら?」
「いいえ、何も」
わたしは小声で決意を新たにした。
敵意をあらわにしてくる奴は先に倒してしまおう。
そう、固く心に留めた。
「はぁ、わたしもう腰も膝も
諤々よ~
ランチにしましょう
ランチを終えたら杖を買いに行きましょうね
それから一応呪い除けの装身具と、調剤道具一式に…
大変!いっぱい買うものがあるわ!
彼氏…、あなたの新しいパパを呼ぶわね!
わたしのお古の道具でもいいんだけど、やっぱり最新の可愛い道具で練習したいじゃない?
ギフトの場合、一つの属性を一か月で覚えてもらわなきゃいけないから、最初に全部道具は揃えちゃいましょうね!」
「一か月でひとつなんですか?」
「そうよ~
平凡な魔法使いや魔女は一つの属性を覚えるのに半年もかかっちゃうんだから!」
「わぁ、巻きですね」
「そうよ!ギフトは巻いて巻いて巻きまくるの!
来年の今頃には多属性魔法も使えるようになっているはずよ
急がなきゃ!」
「じゃぁ、わたしの出荷は来年の今頃ってことですか?」
「ちっがうわよ!
そのへんはまたおいおい話すから、今はとにかく出来立てのラーメンを楽しみにしてらっしゃい!
ちゃんと手洗ってうがいしてから食堂に来るのよ!」
「はーい」
ファージはできうる限りの素早さでゴブリンたちとキッチンへ走っていった。
わたしは扉の外で待っていてくれた妖精たちに案内されて洗面所へ向かった。
「なんとまぁ、洗面所に何人入れるつもりだよ…」
飽きれるほどの広さ、そして謎の彫刻の数々。
「わぁ、裸像、裸像ばっかりだ」
白亜の像とはいえ、こんなにも裸体の男性に囲まれたことなどなかったし、きっとこれからもないだろう。
「これからはなるべく自分の部屋の洗面所を使おう…」
わたしはまたもや心に誓うことが増えてしまった。
妖精たちも照れてしまったようで、せかすようにわたしの腕をひっぱる。
洗面所を出て濃いピンク色の絨毯が敷き詰められた廊下に出たとたん、とんでもなく良い匂いがしてきた。
「こ、これは!」
わたしは妖精と共にその匂いのする方へと足を進めた。
香しい、とても胃をくすぐる贅沢な匂い。
すでに美味しい、と言っても過言ではない。
前の世界でもラーメンは魅惑の食べ物だったが、まさかこちらでこんなにも早く出会えるとは。
食欲が脳を満たす感覚がする。
もう、他のことは考えられなかった。
片方だけ開けられた大きくて高い扉。
長く美しいテーブルには、白いクロスがかけられており、二席分ランチマットが敷かれている。
赤いランチマットの上には銀色に輝くウサギの形をした箸置き。
そして美しい白い陶器に曼殊沙華が描かれたレンゲに、黒く艶のあるスラっとした箸。
テーブルメイキングまで完璧にしてくるとは。
おそるべし、ファージの主婦力。
そこへ、シェフのコスプレをしたファージが、今、やってきた。
「お待たせいたしました」
お盆からわたしの目の前へと移されたそれは、もはや神の所業と言わざるを得ない完成度を誇っていた。
薄く、でも黄金色に輝く透き通ったスープ。
見た目から歯ごたえが伝わってくるメンマに、涼やかな風のように折り重なる白ネギ。
そして、絶えず透明なうまみを放出し続ける美術品のようなチャーシュー!
「ちょと、ギフト
伸びちゃうから早く食べなさいよ」
「まだ麺への考察が済んでいません」
「そんなもん、食べてから感じなさいよ!
変な子ね~」
「はぁ、じゃぁ、いっただっきまーす」
「はい、どうぞ~」
もうアレコレ考えるのをやめ、ラーメンに集中することにした。
わたしは無言で食べ続けた。
感想はあとで言ってあげよう。
これは例え世界を滅ぼす魔王が作ったとしても褒められるべき逸品だ。
わたしは心の中で小躍りした。
「あんた、本当によく食べる子ねー!
5杯よ、5杯!
スープまで飲んじゃって!
なんて作り甲斐のある子なのかしら」
「お褒めにあずかり光栄です」
「動けるの~?
満腹で眠いんじゃないでしょうねぇ?
これから本当に大量の買い物をしなくちゃならないのよ~?」
「大丈夫です
一時間もすればまた小腹がすきますので」
「ギフトには携帯食料でも持たせようかしら…」
食後の余韻を楽しんでいた、そのとき、屋敷の外から地面が揺れるほどの大声が大砲のように響いてきた。
「ファーーーージーーーー!」
呼ばれたファージは脱兎のごとく窓に駆け寄り、めいっぱい開いて叫んだ。
「キーーールーーー!」
すると、ササっとゴブリンがこちらに近づいてきて、何やら助言をくれた。
「ギフトお嬢様、奥様方はああしてひととおりの愛の言葉のセッションを毎回しております
しばらくはあのままだと思います
先に外出のお仕度をしましょう」
「えー…、わたしのパパになるひとって、ミュージカル系?」
「あー…、えっと、国境無き魔法魔術医師団の副団長様です」
「マジかぁ」
「はい、マジでございます
優秀な方ですよ?
最年少入団記録を塗り替えた方ですし、何より、見る目がおありです」
「ファージを選んだことについて?」
「左様です」
「ふへぇ」
「では、ギフトお嬢様、本日はお買い物ですし、お外は寒うございますのでロングボトムにしましょう
お色味はどのようなものがお好みですか?」
「あぁ、じゃぁ、秋っぽい色がいい」
「かしこまりました」
ファージはたしかに優しいし、従業員のみなさんに強く言っている姿も今のところは見たことない。
でもわたしは家族を失った。
憎しみの感情だけでは言い表せない何かが、頭の中でピンっと音を立てて張り詰めたような気がした。
わたしが真顔で廊下に突っ立っているのを心配した妖精たちは、そっと頬を撫でてくれた。
そしてわらわらと10名ほどの妖精たちが集合したかと思ったら、一斉に子供の手のひらほどの紙を開いて見せてくれた。
「これは…、移籍証明書?」
妖精たちは「ココを見て!」と言わんばかりにわたしの目の前でぴょんぴょんと踊りだした。
「えっと、所属召喚者…、『ギフト=リリーベル』
わたしに苗字があったっていうのも今知ったけど、みんな、わたしの妖精になってくれたの?
ありがとう!とても嬉しい!」
わたしが抱きしめようと腕を広げると、いっせいに妖精たちが胸に飛び込んできた。
華やかでさわやかなとても心地のいい香りがする。
「みんなも一緒にお買い物行こう!」
妖精たちは嬉しくてたまらないという様子でわたしの髪にもぐったり、肩に座ったり、わたしの上半身は暴風雨にでもあったかのようになっていた。
そのまま部屋にあらわれたもんだから、わたしの支度の準備をしてくれていたゴブリンたちが慌てて駆け寄ってきた。
「な、なにかあったのですか?!」
「あ、ちがうの
妖精たちと遊んでたらこなことに…
ごめんなさい」
「あぁ、いいのですよ
無事ならなんでも
ふぅ、びっくりしました」
ちょっと迷惑をかけてしまったので大人しく素早く用意してもらった外出着に着替えた。
ロイヤルブルーのゆったりとしたブラウスに細い黒いリボン、こげ茶色のツイード生地のセットアップ。
どうやらこのお屋敷のみなさんはクラシカルな恰好が好きらしい。
可愛いメイド服を着た背の高いゴブリン?のお姉さんが髪を結ってくれる。
いつの間にか部屋に設置されていた鏡台はなんとも重厚感ある艶々の木でできている。
引き出しが8個ついているが、きっとわたしは使いこなせない。
「ギフトお嬢様、本日はギブソンタックにおリボンでよろしいでしょうか?」
「は、はい」
ギブソンタックがなんだかわからないが、メイドさんがこの服に合うと判断した髪形なら文句はない。
自分一人だったらきっと適当にポニーテールかみつあみで終わらせていただろう。
「ギフトお嬢様は髪が長くていらっしゃいますね
毛先が少し痛んでおりますので、本日ご帰宅なさったら整えましょうね」
「は、はいい」
「ふふふ
申し遅れました
わたくしは本日よりギフトお嬢様専属のメイドに仰せつかりました、カノンでございます
御屋敷全体では、メイド長補佐をしております
種族はオーガでございます
よろしくお願いいたします
いつでもなんでも何なりとお申し付けください」
「ふぁー!
もう、ついていけない!
わたし、お嬢様なんて呼んでいただけるほどの器量も気品も何もないんです!
こんな小娘にそんな丁寧に接していただかなくて、本当に、大丈夫ですから!」
「うふふふふ」
部屋にいたゴブリンやオーガたちがこらえきれなかったのか、笑いだしてしまった。
「えっと…」
「申し訳ありません、ギフトお嬢様
ただ、あまりにもお可愛いことを申されるので、つい…、ふふふふふ」
「ギフトお嬢様、そのままで十分なんですよ
我々は喜んで仕えているのですから、この楽しい仕事を奪うようなことは言わないでください」
「ふふふ、そうですよ」
「ファージ様は本当に見る目がおありだ」
「すぐ慣れますよ
この世界に階級制度があることはファージ様からお聞きになっていることと存じます
わたくしたちは皆、本来は下から2番目である奴隷階級出身なのです
ファージ様はわたくしたちすべての身分を買い取り、平民の階級をくださいました
ただそれだけで、もう、毎日が美しく、幸せなのです
なので、ぜひ、身の回りのお世話をさせていただきたいのです
心を込めて、アイロンがけや食器を洗っていると、ふと、胸のあたりがあたたかくなるのです」
「それに、今まではファージ様の大人のお洋服ばかりでしたが、今はギフトお嬢様の小さな可愛い、今の時期しか着られないお洋服をお仕立てするのが楽しくてたまりません!」
「そうそう、この間はフリルの形をちょっと工夫しましてね…」
「わたくしはリボンの素材を新しく…」
わたしは目の前で繰り広げられる穏やかで幸せに満ちた光景が、まるで絵画のように他人事に思えた。
わたしから家族を奪ったのはファージなのに、ファージは100人を超える奴隷階級の人々を救った。
今自分に流れているこの感情は何なのだろうかと、余計に怖くなってしまった。
はやく殺してしまいたい。
ファージも、わたしも。
あの二人の支度が整い、玄関で待っているというのでしぶしぶそちらへ向かった。
なんとなく足取りが重い。
理由は様々あるが、今はよくわからない。
「…布の量、多くない?」
遠目からファージが見えた、気がする、が、布がわさわさしている。
あぁ、さらに近寄りたくない。
カノンさんが背中をそっと押してくれるから、まぁ、行くしかない。
「んんまあああ!
可愛いじゃない!」
「ファージさんは巨大ですね」
「はっはっは!
大きいところが最高にセクシーなんだよギフトちゃん」
「え、あ、あの、はじめまして…」
キール、とファージに呼ばれていたこのひとは声から想像したよりも二回り位大きかった。
深緑色のベルベットのセットアップスーツに、白いシャツと銀細工のボウタイ。
ハンカチーフはやわらかな桜色。
胸板の厚さはどんなに厚着をしてもきっとわかるだろう。
とにかく、良いひとっぽいガチムチなお兄さんだ。
「うふふ!
キール、わたしたちの娘よ
ギフト、あなたのパパよ!」
「パパだぞ!ははははは!
いきなり可愛い娘がいるなんて、神はどれだけ俺たちを祝福すれば済むんだ!」
熱い…、熱い人だ。
お願いだからそのテンションで抱きしめないで欲しい、と切に願ったが、まったく神は聞き入れてくれなかったようだ。
一瞬で抱き上げられ、肩に乗せられた。
こんなこと、前の世界でもやってもらったことはない。
というか、標準の体形の男性じゃぁ、無理だ。
ガチムチ怖い。
「ギフト!
どんなことでもしてやるからな!
肩車でも、片手乗りでも、全力高い高いでも…」
「ちょ、ちょっと待ってください
そんなことされたら死にます
いろいろ死にます」
「何?!
じゃぁ、ずっとおんぶしていような!
全力で守る!」
「ちがっ…、そうじゃない…」
「あはははははははは!」
話が通じねぇえ!
ファージもおしとやかに微笑んでないで助けろよ!
だいたいなんだそのロングドレスは!
買い物でしょうが!
裾邪魔でしょ!
わたしだけだよTPOをわきまえているのは!
殺意ポイント80増えたわ!
「もう、お買い物、カノンさんと行きたい…」
「うふふ、光栄です」
お見送りに出てきてくれたメイドさんや執事の皆様に見送られ、わたしは騒々しい車に乗せられた。
運転しながらキールが話しかけてくる。
「ギフト、改めて自己紹介だ!
俺の名前はキール=コーラル=ホリー
しかーし!
明後日からはキール=コーラル=リリーベルだ!
あっはっはっはっは!」
「あ、あはは~」
「俺の仕事は国境無き魔法魔術医師団で、主に紛争地域での救護活動をしている
こんなんでも一応副団長なんだぞー!
おとといまでセントアヴェンナ郊外に行ってたんだ
ギフトはまだこの世界の地理や歴史はよく知らないんだよな?
俺がいっぱい教えてあげるからな!」
「ふぁっ、はい」
どうしよう、ものすごく良い人っぽい。
良い人だとは思ったけれども、たぶん、本当に良い人だ。
ファージはさっきから今日行く予定のお店と、効率的にお買い物を済ませるプランを真剣に考えているらしく、助手席でずっと地図に何やら書きこんでいる。
あぁ、なぜこういうときにそのおしゃべりマシンガンを発揮してくれないんだ。
「ギフトにはまだ洗礼名が無いんだよな?」
「せ、洗礼名、ですか?」
「そう、洗礼名!」
「なにか、宗教に入らなければならないのでしょうか…」
「いやぁ、魔女の場合は違うよ!
二つ名みたいなものだね
ファージだったら『雹血』、って感じの」
「あぁ、かっこいいやつですね」
「あはははは!
そう、そう、かっこいいやつ!
ファージの場合は周りが勝手に呼び始めたあだ名みたいなものだけど、本当の魔女の洗礼名は公的文書にも使うから、名を与えられたらすぐに銀行口座とか保険証とか名前の変更に行かなきゃだめだぞ?
魔女はそういうのが面倒だから婿をとるひとが多いんだ
人生で何度も名前を変える手続きなんてやってられないもんなぁ」
「たしかに…
キ…、パパのコーラルっていうのは洗礼名なんですか?」
「お、おおおお…
聞いたかファージ!
今、ギフトがパパって言ったぞ!
パパって!」
「聞いたわよ~
でもちょっと待っててね
あとで一緒に喜ぶから
ディナーの場所がまだ決まらないの」
「オッケー、ハニー!
ぷふふ、パパだってさ!
録音したい!」
「あの、だから、洗礼名…」
「あぁ、そうだった、そうだった
コーラルは俺のじいさんの名前だ!
魔法使いは洗礼名はいらないんだよ
魔女だけさ」
「え?なんで魔女だけなんですか?」
「うーん、どう言ったらいいか…
この世界では、魔女っていうのはひとつの種族としてカウントされるんだ
オーガとか人間みたいなね
元が何の種族であれ、魔法を専門に学び、実際にそれを使って仕事をする女性は魔女として登録されるんだよ」
「へぇ」
「差別ではないんだよ
これは、うーん、その、魔女っていうのは強いんだ
魔法使いなんかよりもずっと強い
女性には生理があるだろう?
血をためる力があるんだ
それがどこまで関係しているのかはまだ解明されてないんだが、どうやら魔力をためる力もそれと同じで発達するらしい
通常、魔法使いなら三人必要な魔法も、魔女ならたった一人で行えたりする
だからこそ、どんなに異性に変身しようと、洗礼名で魔女だと分かる仕組みにしているんだ」
「ほえー、なるほど」
「だからファージは魔法使いだし、俺も魔法使い」
たぶんいろいろはしょって説明してくれているんだろう。
でも、大方納得した。
魔女で『闇』の属性を持つ子には関わらないでおこうと決めた。
強くて呪い上手ってもはや魔王でしょ。
なんとかパパと楽しく会話が出来ているうちに目的の街に到着したようだ。
すでに色々と疲労が溜まってはいるが、わたしのものを買うためだと思うと、やはり好奇心が勝ってしまう。
さっきからすでに見えている。
空を飛ぶ魔法使いたちが!
わたしは車を降りると大きく息を吸い込んだ。
さぁ、魔女になる支度をはじめようではないか。