第拾漆話 歌うということ「サフィルって身体弱いのね」
「まぁね、王族の負の遺産の賜物さ
お父様からみて、僕のお母様は姪御
僕は絶対に他の一族の女性をお嫁さんにもらうって決めてるんだ
そのためなら、革新的なザボド家に養子に入ってもいい」
6人でよく集まるようになってからというものの、サフィルの考え方はだいぶ変わって来た。
今までは育った環境ゆえの『王族至上主義』がにじみ出ることもあったが、最近はそれもかなり少なくなって来ている。
王族として生きることに関しては疑問に思っていないが、王族が続けて来た慣習が必ずしも正しいとは限らない、ということを様々な葛藤を乗り越えて理解したらしい。
「じゃぁ、私の弟になるのね?」
「いやいや、王位継承権から言って僕が兄だろう」
「え〜、私は弟が欲しいのに〜」
「まぁまぁ、まだ俺たちは子供なんだから」
「ホンロンはいいよねぇ、まともな家に生まれたんだもん」
最近ではみんなで
静狼市国のホンロンの家に遊びに行くことも多く、前の世界のことを記録していた歴史書を読み、ホンロンやギフトがいた世界がどれだけこの世界と違うのかを研究したりしている。
ただ、現時点で確実に言えるのは、この世界の方が愛とそれに付随する責任については豊かで、自由だということだ。
ギフトが以前の世界では同性同士の恋愛があまり歓迎されていなかったということをルルーディアたちに話したところ、「え、なんで?」と言われたのだ。皆、キョトンとしてしまった。
自分の話を不思議そうに聞くみんなの顔を見て、ギフトはこの世界を愛する理由が一つ増えたような気がした。
「王族って大変だねぇ」
「ボクみたいにブルークラスの家もおすすめだよ〜」
「それはちょっと困る」
「そぉ〜?」
「ねぇねぇ、そんなことよりも、わたし、こういうところにくるのって初めてだからドキドキが止まりませんわ〜!」
パルトが瞳を輝かせながらクルクルとまわり、喜びと好奇心を抑えきれないようにあちこちのお店や行き交う大人たちを見てはしゃいでいる。
エイマクラスとオストン=エイマクラスの合同課外授業の一環で、芸術鑑賞をしてそれについてのレポートを出すことになり、そのために6人が来たのは【
花釣】だ。
玖寓の計らいで
燦沙を保護者としてつけることで、とあるショーの観覧を許可してもらったのだ。
「燦沙ちゃん、今日は本当にありがとう!」
「こちらこそだよ〜
ギフトちゃんたちの社会科見学?のおかげでぼくも一緒に観させてもらえるんだから」
燦沙は水色に近い灰色の地に白で雪の模様が入った着物に黒地に赤で牡丹の刺繍が入った角帯を粋に着こなしており、角帯と同じテイストの羽織はなんとも艶やかだ。
足元は黒いブーツを合わせ、左肩に流している薄い水色の髪の繊細さと対になっていてとてもかっこいい。
とても涼やかで綺麗な顔をしている燦沙だが、今日はワクワクとする姿がとても少年ぽい。
「そんなに人気なんですか?」
「すごい人気なんだよ〜、『
Luceat Tulipa』!
半年先までチケットはキャンセル待ちでしか取れないし、完全入替制だからどんなに良い席が取れても長居できないし、もちろん、立ち見もダメだし…
ぼくとは少し世界が違うけど、やっぱり憧れちゃうよね〜、ドラァグクイーン!」
「燦沙先生もとっても可愛いのに、さらに憧れちゃうって相当すごいですね」
「ぼくとか他の
蔭間のみんなが美しい絵画だとしたら、彼女たちドラァグクイーンは景色そのものなんだよね
圧巻、というか、生命の強い輝きを感じるんだ
絵画は波の高ぶりのほんの一コマしか再現できないけど、彼女たちは景色そのものだから常に全力の波で観る者の心に大いなる躍動を与えてくれるんだ
かっこいいよね〜」
「わぁ…、楽しみすぎて胸の鼓動が苦しいです!
玖寓先生ってどうやってチケットをとってくださったんですか?」
「ふふふ、玖寓ちゃんがちょっと困り眉と潤んだ瞳で頼めば太客のみんなはなんでも譲ってくれるんだよ」
「す、すごい…」
「玖寓ちゃんは油田の権利とかも持ってるからね〜」
「…す、すご…」
「ぼくも頑張らなきゃね!
それにしても、みんなお洋服の色お揃いなんだね〜
可愛い〜!」
今日は課外授業ということもあり、タイプは違えど6人で色だけは深緑色で合わせて来たのだ。
ギフトは生成り色の立ち襟シャツに深緑色の中振袖、焦げ茶色の袴に黒いブーツ。
ホンロンは深緑色の厚手の
旗袍に黒いパンツ、白いソックスに焦げ茶色のカンフーシューズ。
ルルーディアは橙色のラインが入った深緑色のセーラーカラーワンピースに黒いカーディガン、黒いエナメルのワンストラップシューズ。
サフィルは深緑色のジャケットに生成り色のYシャツと濃紺のネクタイ、灰色のツイードパンツに黒のローファー。
トニタルアは深緑色のデールに濃い紫色のウムドゥ、焦げ茶色のブーツ。
パルトは深緑色のショートジャケットに白い丸襟ブラウスと黒い細いリボン、焦げ茶色のツイードキュロットに厚手の黒いタイツ、焦げ茶色のローファー。
ホンロンはいつも通りの一本の三つ編みだが、女子たちはお揃いのお下げ髪にしている。
サフィルはオールバックでトニタルアはふわふわのまんまだ。
「今日はもう話は通してあるから、みんなにはノンアルコールの飲み物だけを出してもらえるようにしてあるからね
他のテーブルからご馳走していただいてもアルコールじゃないものに変えてもらえるから安心してね
おつまみは全部チケットをくれた玖寓ちゃんのお客さんへのツケでいけるから気にせず好きなものを頼むんだよ〜
テーブルについてくれたお姉さんたちにも好きなだけ頼んであげてね
ソフトドリンクだからお姉さんたちも肝臓を休めることができていいと思う」
「はい!」
「わああああああ、大人の世界…」
「ぼ、僕も緊張して来た…」
「ギフトも初めてなの?」
「ショーは初めてだよ
ママのお友達のお店には何回か行ったけど、スナックだから美味しいご飯食べて楽しくおしゃべりするって感じだったよ
ママのお友達ってみんなお料理が上手なの
スナックだけどメニューに5種類くらい定食があるんだよ」
「
朔ママのご飯美味しいよね」
「燦沙先生もよく行くんですか?」
「お店には忙しくてあんまり伺えないんだけど、よくお弁当を作ってもらうんだ〜」
「仲良しですね!」
「ここら辺はほとんど知り合いみたいなもんだからね
多少の派閥はあっても、みんな友達だよ〜」
燦沙のいう通り、ここはほとんどが顔見知りだ。
先ほどから何度も「燦沙ちゃ〜ん」とか「ギフトちゃんがお友達と歩いてるぅ」とか「将来有望な子供がいっぱいいるじゃない!職業体験?!」とか話しかけられている。
燦沙とギフトは慣れているようで「どうも〜」とか「今度ママと行きます〜」とか返事をしているが、他の子供達は「ああ、えっと、あの」とか「あ〜」としか言えないでいる。
ホンロンもルルーディアも普段錬金術の練習をするために玖寓の元へと通うときは営業前だし、ルークの絨毯に乗っていることが多いのであまり花釣の人たちと会話することはないのだ。
「ギフトって本当に不思議な環境で育ってるんだな…」
「いやいや、不思議な人が親ってだけだよ」
「なるほど」
「ボクさぁ、リリーベル先生の女装よりも男装の方が好きなんだよね
あの体型はパンツスタイルでこそ輝くと思うね」
「確かに!女性のムチムチした柔らかい細さっていうよりは、筋肉質で固そうな感じ」
「あ〜、なんか最近わたしがいた世界の何処かの国の軍服にハマってるらしくて、パパと一緒に走ったり筋トレして肉体改造してるよ
なんか自分の胸筋のエロさに目覚めたとかなんとか…
子供に何話してんだって感じだよね、うちの親」
「…お、オープンな家庭なのね!」
「そ、そうだよ
ギフトはあんまり早く目覚めないでくれよ…」
ギフトは心の中で謝罪した。
現在は子供だが、前の世界では成人していたため、それなりの経験もあったからだ。
「だ、大丈夫!わたしは魔法の勉強で精一杯だから!」
「え〜?バージニア先輩のことはどうなの?」
トニタルアのどこか隙のある子供とは思えない魅力を持った唇から発せられた質問は瞬間湯沸かし器のようにギフトの耳を真っ赤に染めた。
「え?いや?別に?何もないけど?え?え?」
「怪しいぃ」
「お、おいトニー、その話はやめてくれ」
「そうよ、私手が滑ってズロバ出しちゃうかも」
意気消沈しそうなホンロンと、今にもブチ切れて闇の眷属を召喚しそうな魔女ルルーディアが怖かったのでトニタルアは「ふぅうん」とニヤニヤしたまま口を閉じた。
なんやかんやと喋りながら歩いていると並び立つ建物の間に大きな扉だけの建物が現れた。
重厚な木の扉に何色ものチューリップが咲き乱れ、扉の後ろは斜めに白い漆喰の壁が続いている。
「さぁ、ここだよ〜、お店は地下なんだ
地上だともう土地がなくて広いステージが作れなかったから、地下5階分の高さを使って巨大な店舗が作られているんだよ」
「地下なら光も漏れないし音もあまり制限しなくてよさそうだから良いですね」
「そうそう、そうなんだよね
だから【
煌女恋男宮】も地下の空き部屋をぶち抜いてステージにしちゃおうかって話が出てるんだけどなかなか難しいんだよね〜」
「花釣舞踊も群舞で出来たらもっと華やかになりますね」
「みんなでお揃いの衣装とか憧れちゃうな〜」
楽しくおしゃべりしながら焦げ茶色に染められた木製の
自動昇降階段に乗って地下へと降りていく。
機巧がパタパタカタカタと動く音が耳に心地いい。
地下一階にある受付で燦沙がチケットを渡すと、今日担当についてくれるキャスト4人が迎えに来てくれた。
「あら〜!燦沙ちゃん久しぶりぃ!
抱いて抱いてぇ!」
「ふふふ、じゃぁ明日会いに来てくれます?」
「やだー!その綺麗な女顔に低い声で囁くのズルいぃ…」
「あはは、
辰子さん今日は子供達が一緒なのでセクシーなお話は控えてくださいね」
「はぁい」
「こんにちは〜、アタシは
凜子よ
まだ工事前だから身体はやんちゃなの!
この身も心も工事済みなのが辰子さんで、ストレートだけど女装が完璧なのが
雪美さんで、バイで女装が激しめなのが
珠理よ〜
名前に『子』がついている子はゲイ、『美』がついてる子はストレート、『理』がついてる子はバイよ〜
恋って盲目だからちゃんと意思表示しとかないと始まることすら難しくなっちゃうからね
うちはそのために分けてるのよ〜
もちろん、擬似恋愛を求めずに楽しい時間を過ごしに来てくれてる人も多いけどね!」
「そうそう、あなたたちみたいな可愛いお子様がお店に来てくれるなんてとても嬉しいわ」
「可愛いわねぇ、お人形さんみたい!」
「ねぇねぇ、燦沙ちゃん
この子たちってお化粧体験とかしてあげて良いのかしら?」
「え!お化粧してもらえるんですか!」
「してほしい!」
素早く反応したのはルルーディアとパルト。
なぜならどこからどう見ても辰子も凜子も雪美も珠理も美しいからだ。
珠理は少し化粧が濃いめだったが、それにしても可愛かった。
辰子の藤色の小袖に金の帯も、凜子の真っ赤なマーメイドドレスも、雪美の桜色の漢服も、珠理の濃紺のベアトップのオールインワンパンツも、それぞれの体型にピッタリあっている。
「男の子たちもすごく良いわね〜
旗袍の君はこの中でも一番美人になるし、お坊ちゃんはお人形さんみたいなフリフリのドレスで可愛く出来そうだし、それに…、モジャモジャの君は多分今日から働けるレベルに仕上げられるわ!
あなたエロいわねぇ!良いわよ〜、すごく色気がある!
子供なのがもったいないわ!」
「え〜、本当ですか〜?
ボク、ストレートだけど女装にはずっと興味あったんだよね〜」
「逸材!逸材よ!」
「ちょっとちょっとお姉さんがた〜
まずは席に案内していただけます〜?」
「あら燦沙ちゃんごめんあそばせ」
「じゃぁみんな〜、アタシの絨毯に乗ってね〜
一気に地下5階分下っていくわよ〜!」
「は、はい!」
「おおお」
絨毯に乗って専用の扉をくぐると、そこには別世界が広がっていた。
「う、海の中?!」
まるでそこは海中のようだった。
水面に反射する柔らかな陽の光のような煌めきにあふれた劇場は広い階段状になって降り、ふわりとバニラのような甘い香りが漂っている。
それぞれの段には中央の階段を挟んでボックス席右に2つ、左に2つというように設置されており、全部で60ある。
ボックス席1つで最大8人座ることができるが、大抵は2〜4人のキャストたちがついてくれるのでお客さんは4〜6人ずつで席につくことになる。
今日ギフトたちが座るのはステージが一番見やすい3段目にあるVIP席。
最大で16人が座れるように間の仕切りを取っ払ってある。
劇場はショーが始まるまでは飲み物やおつまみと一緒にキャストたちとの会話を楽しむ巨大なフロアとして機能するが、一旦ショーが始まると出演者はステージだけではなく頭上にまで飛び交って近くまで来てくれる。
凜子の絨毯がゆっくりと席まで降りていく。
真紅のビロード張りの柔らかいロングソファにゴールドに艶めくフカフカのクッション。
敷かれている黒地に山吹色で幾何学模様が描かれた毛足の短い絨毯はとても美しい。
重厚な焦げ茶色の旅行トランクの形をした大きな机には銀色のバケツに氷とともに入った子供用シャンパンがクリスタルの細いグラスとともに冷やされている。
「ひ、広〜い!」
「これは凄すぎる!」
「ヤダァ、反応が新鮮で可愛い〜」
「恋バナしましょうよ!恋バナ!」
「その前に乾杯しましょ〜」
みんなが席につくと凜子がポンっとシャンパンを開け、雪美たちがグラスを配り次々と注いでいき、好きな味を聞いてはそれにあったおつまみを素早く注文していく。
「うちはホテルとか旅館で引退したり定年退職した板前さんとかシェフがお小遣い稼ぎに厨房で働いてくれてるからなぁんでも美味しいわよ〜」
「ポテトチップスなんて厚さと切り方、塩の種類まで選べちゃうんだから!」
「揚げ豆腐なんてそこらへんのチェーン店なんて目じゃないくらい完璧よ」
「海苔の天ぷらとか食べてみる?
抹茶塩で食べるのがオススメよ!」
「卵焼きはどうするぅ?
甘め?しょっぱめ?大根おろし?」
「手まり寿司はお任せでいいかしら?
アレルギーとかある?」
たくさんあるメニューの中から人気のあるものと子供が好きそうな味のものを的確に提案してくるあたりプロの接客業だ。
ルルーディアとパルトは目尻と唇に
紅をひいてもらってる。
ホンロンはまだ緊張しているのか、されるがままに長い髪をコテでくるくるとゴージャスなカールをつけられている。
サフィルは頰に紅をさされており、トニタルアはつけまつげをつけられている。
ギフトも女子たちとともに目尻と唇に鮮やかな朱色をひかれていた。
入店から45分後、アナウンスがあり、徐々に劇場は暗くなっていった。
漣のように声が広がり、ゆっくりと呼吸するように天井から天女の羽衣のように艶やかで儚い長い布が降りてきた。
母なる海が
揺蕩うように光と音が響き、ショーが始まった。
美しかった。
思わず漏れてしまう感嘆のため息。
うっとりするとはこのことなのかもしれない、と、ギフトは心に色彩を焼き付けた。
新しい魔法陣がリケルへと生成されるときのような胸の高鳴り。
甘い痺れが心を優しく包んで行く。
天井からヒトデを
模した傘に摑まりながら降りてくる人魚に扮したキャストたち。
どうやら物語は貝殻の船に乗った美しい白い鱗を持つ真珠姫の婚約祝いのようだ。
漂う魚型のスピーカーから流れる女性の歌声に合わせて人魚たちが祝いの歌を身体全体で表現しながらステージへと降りていく。
布に巻きついて踊る尾ひれが二股に分かれたツインテールマーメイドに扮したキャストたちもその身を輝かせながらゆっくりと降りてくる。
しかし、真珠姫はとても悲しそうな顔をしている。
どうやらマリッジブルーのようだ。
真珠姫は祝いの宴を抜け出し、様々な海の仲間の元へと助言をもらいに小さな家出を決行する。
行く先々で出会う仲間たちは歌い、踊りながら『愛』と『命』の有限について教えてくれる。
「残りの時間を誰と過ごしたい?
それはあなたの心が知っているはず
いずれ必ず尽きる命
それを燃やして掴んだ恋だもの
出逢わなければよかったなんて、絶対に思わない
あなたはきっと知っている
彼とならばどんな小さなことでも輝いて見えること
どんな苦しいことがあっても笑顔を取り戻すことができるってこと
悲しくて心が張り裂けそうな時に誰の胸に抱かれれば安心できるのかを」
「あなたの孤独は終わりを告げるわ
だって、あなたは出逢ってしまったんだもの
あなたを絶対に独りにしないと誓ってくれる、大事な人に」
「失う怖さと戦うほど歳をとってないでしょう?
いずれ分かるようになる
一人でいた時よりも、二人でいる時間の方が長くなった時
これでいいんだ、ってね」
「祝いなさい、あなたの人生を
あなたを心から愛し、思ってくれる人の人生を!」
「こんなにもみんなから望まれた、正しい愛はないわ
幸せになることを恐れないで
これはただの始まり
二人で作る人生の始まりにすぎないのだから」
「さぁ、その心が求める人のところへお戻りなさい
わたしたちではあなたの気持ちを奮い立たせることしかできない
ドキドキするのに落ち着く愛しい人のところへ、いってらっしゃい」
真珠姫は瞳から溢れる涙を歌に変え、愛しい人の元へと泳いで行く。
大小の波に揺られ、髪は乱れ、つけていた宝石たちも取れてしまった。
途中にある大きな岩に擦れて鱗が数枚取れて血が出ている。
海藻に尾ひれが絡み、心だけが焦って行く。
それでも真珠姫は懸命に泳ぎ続けた。
簡単に思い浮かんできたのだ。
愛しい人と迎える暖か朝、愛しい人の笑顔、愛しい人の涼やかな歌声。
自分にとってこの世界で一番重要なものは何なのか。
そして、見つけた愛しい人の白く滑らかな背中。
二股に分かれた煌めく尾ひれの鱗は海よりも美しかった。
水の揺らめきで気づいた愛しい人が、真珠姫の方へと振り返る。
「真珠姫!
その怪我…」
「ああ!瑠璃姫!
私ばかりが不安になって…、ごめんなさい!
私、私、あなただから不安になるんだと気づいたの
他の人ならば、失っても仕方ないって思ってしまう
でも、瑠璃姫だから、失いたくないって思えるの!」
「真珠姫、わたしもだよ
この世界で誰がわたしをこんなに想ってくれるだろう
こんなにも恋しく、会えない日は神にすがりたくなるほどわたしを切なくさせるのは君だけだ
わたしは君のものだよ
愛しい真珠姫」
人魚たちの祝福の魔法が波よりも早く、光よりも暖かく海の中へと広がってゆく。
真珠姫の怪我は光とともになくなり、その代わりに纏うのは白く繊細な生地を幾重にも重ねた綺麗なドレス。
瑠璃姫を覆うのは深く優しい海を表す紺碧のパンツドレス。
二人は世界で一番幸せな口付けを交わし、ゆっくりと上昇して行く。
煌めくたくさんの貝殻が、まるで海の祝福のようで、二人は優しい輝きに包まれていた。
約1時間ほどの演目が終了した。
幸せな夢を見ていたようだった。
ルルーディアとパルトは辰子さんたちに肩を抱かれながら号泣している。
ホンロン、サフィル、トニタルアは貸してもらったタオルで涙を拭きながら使われていた魔法について話し合っている。
物語の内容よりも、使われている技術に興味があるようだ。
ギフトはゆっくりと落ちてくる綺麗な貝殻を見つめながら凜子と一緒に余韻を楽しんでいた。
「素敵な物語でした
不安になるのは、相手のことが愛おしくてたまらないからだよって、改めて勇気をもらった気がします
相手のことを信じていないからじゃないんですよね
大好きだからこそ、不安になるんですよね」
「ふふふ、そうよ〜
愛っていうのは、一見、自分の身を守るために存在している盾のように見えることもあるけど、本当は相手を温めてあげたいと思う毛布みたいなものなのよね
愛だけじゃ雨風は
凌げないけど、愛さへあれば大抵のことは乗り越えられる
とっても大事よ」
「乗り越える…、わたしにもいつかそんな時が訪れたら、相談に来てもいいですか?」
「もちろんよー!
親に言いづらいことってあるわよね
だって、相手のことも愛してるけど、親のことも愛してるんだもん
どちらも傷つけずに何かを成すなんて難しいわ
そういう時は外野の助けを借りるのが賢い選択と言えるわね」
いたずらっぽく微笑む凜子はとても美しかった。
ギフトはファージへの想いで少し困っていたのだ。
あんな事件があって、身に覚えのない恐ろしい事実を知り、ずっと混乱していた。
でも、日々ファージとキールから与えられている優しさは、同情や義務ではないことはわかっている。
不安なのだ。
もし、もし、ファージとキールを失ってしまったら、次こそ自分は壊れてしまう。
手放しで愛することが怖いのだ。
でも、もう引き返せないほど大好きだ。
「ふふふ、ギフトちゃんなら大丈夫よ
素直に家族になっていったらいいんじゃないかしら
親からの愛を恐れちゃダメよ
愛は言い訳には使っちゃいけないの」
「え、何で家族のことってわかるんですか?!」
「あのねぇ、アタシが何年この仕事してると思ってるのよ
顔見りゃ恋愛か仕事か家族のどれかくらいわかるわよ
それに、ここで勤めてるキャストの半分はセックスセラピストの資格を持ってるのよ」
「セッ!」
「まぁ、赤くなっちゃって!
主にSMプレイで罰せられたい願望のある人を罰してあげたり、幼児退行願望のある人をあやしてあげたりしながら肌を合わせて心の問題をいい方向へと導いてあげるのが仕事よ
だから表情や瞳の動き、声の調子を観察すれば何となく何が問題なのかは感じることができるわ」
「す、すごい…」
「
玖寓ちゃんのお母様の
八桂さんがセックスセラピスト協会の会長をなさってて、花釣で働く人なら誰でも無料で講習を受けられるのよ
資格試験は結構難しいけど、素晴らしい仕事だと思ってるわ」
「わたしも受けてみたい…」
「あらあら、今のところ講習は17歳からしか受けられないのよ〜
ギフトちゃんは11歳だから6年後ね
ただ、ちゃんとファージさんと相談しなきゃダメよ?」
「はい!きっと資格を使って働くのはダメって言われそうだけど、勉強するのは許してもらえそうなので説得頑張ります!」
「良い子〜、アタシもそろそろ養子もらおうかしら」
15分後、入れ替えのため再び凜子の絨毯に乗って入り口までエスコートしてもらい、最後にみんなでハグをして劇場を後にした。
ギフトたちは明日ホンロンの家でレポートを作る約束をして燦沙に送ってもらい、それぞれの家へと帰っていった。
☆★☆★☆
次の日、いくら待っても現れないトニタルアを心配しながらみんなでホンロンの家へと集まったギフトたちは遅れてやって来たサフィルから衝撃的なことを告げられた。
「トニーの二番目の兄上が行方不明になった」
「ど、どういうことなの?」
サフィルの顔はいつになく暗い。
まるで今にも泣き出してしまいそうだった。
目を伏せ、下を向いたままサフィルは話し出した。
「トニーの二番目の兄上、キャンドル様は王位継承権第7位を持ったまま他の王族の元へと養子にいった方で、幼少の頃よりお身体が弱く、ずっと入院なさっていたんだ
それが、今日の早朝に回診に来た医師が見たときにはベッドがもぬけのからだったそうだ
トニーがあんなに取り乱しているのを初めて見たよ…
みんな、もしよかったら僕はトニーのそばにいてあげたいんだが…」
サフィルが申し訳なさそうにギフトたちをみると、すでに4人は箒に乗っていた。
「何してるのサフィル!
早く行くよ!」
「トニーは家?病院?」
「あ、ああ、病院で王立軍警察の事情聴取を受けてるよ…」
「じゃぁ、途中で何か食べ物を買っていってあげなきゃですわね!」
「よし、じゃぁ二手に分かれよう」
「サフィルと俺とギフトはトニーの元へ急いで、ルルーとパルトは食料調達よろしく!」
「あ、待って!
わたしはママにも応援を頼んでくる!」
「ああ、それは心強い!
じゃぁギフトはリリーベル先生に!」
「ほら、いつまで突っ立ってんの!
サフィルも箒出して!乗って!」
「…ああ、ありがとう…」
憔悴しているトニタルアの様子を目の当たりにして動揺していたサフィルは、4人のまっすぐな気持ちに心から感謝した。
「泣いてる場合じゃないよ!」
「じゃぁ病院で落ち合おう!」
5人はそれぞれの方向へと勢いよく飛び出した。
ギフトは屋敷に着くとそのままの勢いでファージの部屋へと突っ込んでいった。
もちろん、窓はぶち破らないように風の魔法陣で開けてある。
「ママ!」
「あら、どうしたのギフト?」
「トニーのお兄さんが拐われた!」
「え!どういう事?!」
「イーゴス先生じゃなくて、キャンドルさんって方!
今日の朝病室からいなくなってたんだって…」
ファージは素早く思考を巡らせ必要なものを頭の中で組み立てる。
キャンドルが拐われたなら、それはまた王族たちへの憎悪犯罪である可能性が高い。
「わかったわ
すぐに用意する
ギフトはどうする予定?」
「病院でみんなでトニーを助けに行く
そばにいてあげなきゃ!」
「良い判断ね
あなたたちも気をつけるのよ」
「うん!」
ギフトは再び飛び立つと急いで病院へと向かった。