第拾捌話 悪意は突然に ギフトが病院に着いたときにはすでに王立軍によって
警邏が始まっており、周囲は騒然としていた。
ギフトは病院の屋上でこちらに合図を送ってきているホンロンの
傀儡人形、デンデンの元へと急いで降り立った。
すぐに駆け寄ってきた王立軍兵士に杖に保存されている学生証の魔法陣を出し、身分を証明するとすぐにデンデンの後を追った。
「デンデン、みんなは?」
「ツイテキテ」
「わかった」
傀儡には術者の緊張感や気持ちは伝わらないとされているが、心なしかデンデンの背中は不安と動揺、そして自分たちは何もできないのだろうかという
焦燥が見て取れた。
ホンロンは優秀だ。
きっとその力がデンデンにも十分に行き渡っているのだろう。
階段を2階分ほど降り、ひときわ兵士たちが多い廊下を突き進む。
何度も何度も身分証の提示を求められるのがめんどくさかったため、ギフトはレイユィンをバングルから呼び出すと学生証の魔法陣をレイユィンの頭にくっつけてまるで自分を大宣伝しているような格好で可能な限り急いで歩いた。
2つ目の廊下を曲がり、病院内で王族しか入ることのできない区画へとたどり着いた。
ここはいくら大貴族のギフトであっても勝手に入室することはできない。
透明な硝子の扉に隔てられた廊下の先にギフトが目指していた友人を見つけた。
「いた!ホンロン!ルルー!」
「ギフト!今開けるわ!」
内側からルルーディアが解錠してくれる。
「どんな状況?」
「それが…、あんまり良くないんだ」
「よくないって…、トニーにも何かあったの?!」
「ううん、違うの
それが…、ついさっき、トニーのお兄様が戻ってきたのよ」
「…え?よ、よかったんだよね?
喜ぶことだよね?」
「そのはずなんだけど…」
「トニーが…」
その時、サフィルとトニタルア、パルトがどこか様子のおかしい笑顔で病室から出てきた。
「サフィル!トニー!パルト!」
「ああ、みんな…
お騒がせしちゃって本当にごめんね〜
兄は無事だったよ
ここまで来るので疲れたでしょ?
ラウンジでルルーとパルトが買ってきてくれたサンドイッチでも食べよ〜」
「う、うん…」
サフィルを先頭に王族専用の昇降機に乗り、王族専用の入院患者の家族用ラウンジへと降りていった。
ラウンジは三方を淡い橙色の壁、一方を透明度が非常に高い一面のガラス窓で構成されており、床は爽やかなミントグリーンの絨毯で美しく整えられている。
配置されている大小の応接セットは焦げ茶色のシンプルなソファと横に長い楕円のローテーブルで揃えられている。
中庭が見える一番奥まった席へと陣取ると、窓ガラスを右手に見て壁沿いのロングソファにサフィル、トニタルア、パルトが座り、テーブルを挟んで向かい側にホンロン、ルルーディアが座る。
サフィルに頼まれてギフトは窓ガラスの向かいにあるお誕生日席の一人掛け用ソファに座る。
ギフトの背後とホンロンたちの背後にはゆったりと間隔を開けてそれぞれ応接セットが組まれている。
「ギフト頼む、防音の魔法陣をかけてくれないか」
「…わかった」
サフィルに頼まれてギフトは左右の腕から透化した『拒絶』と『防音』、『擬声』の魔法陣を3つずつ出すとラウンジにいる大人たちにわからないように折り重なるように配置した。
「これで私たちの会話は外の人たちが無意識に子供に望んでいる可愛い会話に聞こえるはずだよ」
「相変わらずさすがだな!
求めることの10も上をやってのけるなんて…、早くギフトと同じくらいの魔法使いになりたいよ」
「ありがとう、サフィル
で、何が問題なの?」
サフィルとトニタルアが目配せし、一度深呼吸をすると、トニタルアが瞳に涙をためてグッと拳に力を込めて話し出した。
「あれは…、あれは兄さんじゃない」
「え…?」
ギフトはどういうことなのかわからずトニタルアをただ見つめるだけだった。
「ギフトが到着する少し前に突然病院の入り口に戻ってきたんだ
キャンドル兄さんが養子にいった王族、エリン家の紋章を提示してたから本人であることに間違いはないんだけど、アレの中身は絶対に兄さんじゃない!
兄さんは生まれつき赤血球が少なくて常に貧血の状態なんだ、血圧も物凄く低い
だから普段は爪も唇も白目も真っ白で、頬に赤みがさしたことなんて一度もない
でも、今日見た兄さんはとてもとても健康そうだった
さっきだって付き添い無しで一人でトイレに行ったんだよ?!
兄さんにとっては付き添いなしでは排泄すら転倒の危険がある行為なのに!
そもそも、兄さんはたった一人で服を着替えることができないのにどうして、どうやって長着と袴に着替えて戻って来たのかもわからないんだ…」
トニタルアはギフトが思わず身を引きそうになってしまうほど動揺していた。
明らかにいつもとは違う。
パルトは今にも身が崩れてしまいそうなトニーの代わりに言葉を引き継いで話し始めた。
「トニーのお兄様は普段はトニーのことを『僕の可愛いモメンティ』って呼ぶんですの
でも…、今日はずっと『トニタルア』としかお呼びにならなくて…
それに、長兄であるイーゴス先生…、サイモス様のことをやたらと触りたがるんですの
周りの皆様はキャンドル様がサイモス様に甘えたいのだろうと言っておりましたが…」
「それは絶対に無いんだ
俺とルルーでさえ噂で聞いたことがあるくらい有名な話だが、イーゴス先生とキャンドル様は物凄く仲が悪い、というか、キャンドル様がイーゴス先生を殺したいほど憎んでいるっていう…」
ホンロンがトニタルアの表情を伺いながらその複雑な環境を哀れんだ。
トニタルアはみんなからの同情に似た複雑な視線を受け取るように自嘲気味にポツリと口を開く。
「あはは…、それはボクが悪いんだ
キャンドル兄さんに一緒に養子に行こうと誘われたときに、ボクはサイモス兄さんと一緒に家に残ることを選んだから…
ボクはサイモス兄さんを守りたかった
兄さんがボクを守ってきてくれたようにね
もしボクまで養子にいってしまったら、父が兄にどんなひどいことをするか…
ボクも含め、家の者たちの大半はサイモス兄さんが早期に家督を次ぐことを望んでいる
父はそれがわかっているから意地でも居座るつもりだよ、イーゴス家の頂点にね
キャンドル兄さんはそんな父と戦わないサイモス兄さんが許せなかったんだ
だからあの人は王位継承権を保持したまま家を出て、外側から
悪辣な父にあがらうことに決めたんだ
サイモス兄さんは本当に優しくて勇敢な人だよ
もし自分と父が争えば、きっと自分が勝ってしまうことがわかっていた
そうなると新たな反乱の芽を摘むために父の側についていた者たちを殺さなくてはならない
だからサイモス兄さんは父との間に微妙な緊張感と
均衡を保ったまま今の関係を維持してるんだ」
ギフトはただただうなだれるトニタルアを見つめることしかできなかった。
この世界に来て王族というものに関わるようになり、どれだけそれが夢物語と差があるのかを思い知ったのだ。
前にいた世界では物語の中でしか想像できないが、王族と言えばキラキラした装身具や艶々でさらさらとした良い布をふんだんに使ったドレスや衣装に毎日取っ替え引っ替え身を包み、国で生産されるものの中でも最高級のものだけを口にして生きている人たちだと思っていた。
王様や女王と言ってもその国のシンボル的な扱いで、実際に国を動かしているのは政治家だし、王位継承のための暗殺や小競り合いなんて遠い遠い事柄すぎて歴史の授業以外は全く意識の範疇外だった。
現実に自分が生きている時間と同じ中でこんなにも悲しい関係しか築けない家族があると言う事実に、少なからず打ちひしがれている。
「(ただ、もし前の世界で自分の家族の本当のことを知ってしまっていたら、わたしもおかしくなっていたのだろうと思うのも本心だ)」
しかし、今目の前で泣いている友人も、その姿にともに不安を感じている友人たちも、全員、王族だ。
自分だけがその重く、息ができないほどの濃霧のような何かを知らずにいる。
「どうすればトニーのお兄さんを救えるの?」
「ギフトちゃん…、ボクにもわからないんだぁ
ただただ兄の養父母たちは兄が元気で戻って来たことに驚きながらも喜んでいるし、様子のおかしいことには何も触れていないよ
ボクの父はどう思っているかまだわからないけどねぇ…
今日はまだ一度も連絡をもらってないんだ」
「イーゴス先生は何て言ってるの?」
「サイモス兄さんとはまだちゃんと話せて無いけど、多分疑ってる
帰って来たあの人物の中身はキャンドル兄さんじゃ無いって…」
ギフトがトニタルアの言葉を遮るように腕を伸ばす。
全員が息をひそめるようにギフトの方を向き、ゆっくりと周りを見渡すように視線を外へと向けると、いつの間にかホンロンたちの背後にある応接セットにエリン家の子息たち5人が座っていた。
彼ら自体も王位継承権を保有して入るが、全員20位以下だ。
先ほどから少しずつギフトがかけた魔法陣へと穴を開けようと針のような魔導具を飛ばして来ているのはエリン兄弟の末っ子で現在5年生のオストン=エイマクラスに所属しているティモル=エリンだ。
真っ白な立ち襟シャツ、翡翠色の長着に濃紺の乗馬型の袴、艶のない黒いブーツと対比するように髪は美しい銀髪が一本に束ねられて左肩へと流れている。
エリン家は代々魔法魔術呪術病理学者の職についている王族で、どういうわけか必ず闇属性を持って生まれてくる特殊な家系だ。
伝統魔法はウィルス改変魔法である【
病】。
倫理に縛られることなく
病巣の移植などの研究をし、王国の医療魔法、医療錬金術の発展に貢献して来た由緒ある一族だ。
「ティモル様か…」
ホンロンの顔が曇る。
いつもはあまり怯えた姿を見せないサフィルの腕が少し震えているのがわかった。
「知ってるの?」
「もちろんだよ
王族の子供なら誰でも知ってる」
「有名な人なの?」
「ああ、ティモル様の双子のお兄様がね…」
「どの人?」
「もうこの世にはいないよ」
サフィルの「この世にはいない」、という言い方が少し気になった。
亡くなった、では無いのだろうか。
「…どういうこと?」
「ティモル様とお兄様のディアボリ様は…、腰から上が2人に分かれている結合双生児として生まれていらしたんだ
しかし、今から3年前、お2人が12歳の時にもともと身体が弱かったディアボリ様は風邪をこじらせていくつかの臓器がその機能を果たさなくなり、このままではつながっているティモル様まで危なくなるということで分離手術が行われたんだ」
「分離手術から3日後、ディアボリ様はその短い生涯を終え、その身体はエリン家で検体として大事に扱われたって聞いてるけど、実際はどうなったのかみんな知らないの」
「でも、有名な理由は…、その手術のせいではないんですのよ」
パルトが自分の震える両腕を抑えるように自身の身体を強く抱きしめながら怯えている。
その様子を見てサフィルが話を引き継ぐように語り出した。
「ディアボリ様は…、物心ついた幼少期より動物を使って病巣の移植実験をなさっていた、と…
しかも、病にかかって死ぬ前の個体から生きたまま病巣を取り出し、健康な個体へと移植する…、あの方は狂ってたんだよ
どうすれば『気魔法』を弾き返すほどのウィルスや細菌が作れるかの研究をなさってたんだ
…これは何の証拠もないから結局不問とされたんだが、ディアボリ様付きの侍女たちの子供が5人行方不明になっている
それとは別に3人の侍女は不治の病で現在も人工呼吸器や
腹膜透析装置が無いと生きていられない状態らしい」
ギフトはあまりに現実離れした話に絶句した。
しかし、追い打ちをかけるようにホンロンが言葉をつなぐ。
「ディアボリ様はこの世にはいないけど、ティモル様の下半身はディアボリ様のものでもあった
だからある意味、まだ生きているってことさ」
ギフトの背中に冷たい汗が流れる。
もしそれが本当ならば、ティモルは本当にティモルなのかどうかわからなかったからだ。
ティモルは針を飛ばすのをやめ、ジッとギフトたちの方を見ている。
興味が抑えられないのだろう。
膝に肘を乗せるように身体を前のめりに倒し、ギフトたち一人一人をうっとりとした瞳で眺めてはため息をついている。
「ママが迎えにきたらすぐに帰ろう
今日はもう、それぞれ家から出ないほうがいいと思う」
「ああ、そうしよう」
「リリーベル先生早く来ないかなぁ…」
ギフトが病院へと到着してから30分ほどしてファージとルークが到着し、イーゴスからの要請を受けてルークがいくつかの魔法を周りの人に悟られないように注意をしながら施した。
ルークの顔が一瞬険しくなる。
ルークはイーゴスの耳とファージの耳に極小さな魔法陣を当て、直接言葉を流し込んだ。
「(サイモス様、キャンドル様の胸骨が他人のものと入れ替えられています。そこから伸びている
傀儡の呪術の糸がキャンドル様の脊髄と心臓に絡みついています。無理に取り出せば命に関わるでしょう。)」
「(ど、どうすれば、良い、で、しょうか)」
「(呪術は俺に任せてもらえれば一本ずつ外せますが、胸骨が
纏っている怨念はどうにもなりません。術者を探し出してキャンドル様の胸骨を返してもらわなければ怨念からまた同じような呪術がまるで細菌のように広がってしまうでしょう。)」
「(イーゴス先生、一刻も早く
弟君をここから連れ出さなくては手遅れになります。おそらく、エリン家の皆様はキャンドル様の体調の回復を
善とし、王位継承権の争奪戦へと本気で乗り出すでしょう。もし、
弟君のお体に入り込んだモノがエリン家だけでなく、王族全てに仇なす者であったならば、エリン家も、イーゴス家も、その脇を固めるカロイアレックス家やその他の王族、協力関係にある貴族にも災いが襲いかかるかもしれません。そうなれば、ただでは済まない事態となります。もはや王族だけの問題ではありませんよ。)」
「(…わ、わかりました。もしもの時は…、ぼ、僕が全ての責任を、と、とります。)」
「(イーゴス先生、もしもの時など無いよう、わたしもお手伝いさせていただきます。万が一、恐れた事態となった時は、我が一族に与えられた権限を行使し、お父上の爵位の返還を求めます。)」
「(リリーベル先生…、い、いつも、本当に…。あ、あなたが、味方で、よ、よかったです。)」
「(ふふふふふ。昔は教え子、今は同僚、そして娘の親友のお兄様ですからね。家族も同然ですわ。)」
ルークによっていくつかの祝福を病室に施し、万が一何らかの魔力の暴走が起きても一発目は相殺できるように仕掛けをした。
キャンドルとエリン家の人たちに挨拶をし、子供達を迎えにラウンジへと向かった。
案の定、子供達はエリン兄弟に見張られるように圧力をかけられて困っている。
ファージ、ルーク、イーゴスは
逸る気持ちを抑えながらなるべくゆったりとした歩調で子供たちへと近づいていった。
「お待たせ〜、みんな帰るわよ〜」
「おや、みんな顔の良さで友人を選んでいるのかい?」
「何言ってるんですかルークさんは」
ホンロンは呆れたように笑いながらもルークの袖をそっと掴む。
ルークは震えているホンロンとルルーディアに気づいて2人の手をそっと握った。
「さぁ、い、家に帰って、あ、明日は、が、学校、だよ」
「あ、レポートやってない…」
学校、と言うイーゴスの言葉に6人のお子様たちは一斉に宿題を思い出してサァーっと青ざめてしまった。
ファージはギフトとパルトの手を取りながら優しい笑顔でハキハキと提案する。
「みんなうちにいらっしゃい!
ルークもイーゴス先生も来てくだされば子供達のレポートなんてすぐ終わるし、みんなで食べたらおやつもディナーもきっと楽しいわ!」
子供達はみんなで顔を見合わせながらホッとしたように笑顔が戻っていく。
「行きまーす!」
「え、あ、じゃ、じゃぁ…」
「兄さ〜ん、ギフトちゃんの家にものすごい洗面所があるんだよ」
「ちょ、そんなもの教えちゃダメだし見せちゃダメ!」
イーゴスはトニタルアとサフィルの手を取るとニコッと笑い、ぎゅっと握った。
トニタルアは嬉しそうにしているが、サフィルはどこか照れて恥ずかしそうにしている。
ルークは床に落ちている何本もの針に、心が冷たく騒つくのを感じた。
子供相手に使うような魔導具ではないからだ。
ルークはそれらを浮遊魔法で浮かべると、全てをエリン家の長男に向けて発射した。
ノチェリ=エリンは自分に向かって放たれた針を全て眼前で止めると、全てをひしゃげさせた。
「相変わらず無礼な男だな…」
ノチェリはそう呟くとひしゃげた針を丸めて球体にしてからティモルへ返した。
「あまり相手を挑発するんじゃない、ティモル」
「ごめんなさいお兄様、つい、ね
兄さんがやりたいって言うから…」
☆★☆★☆
2日後、事態は最悪な方へと進み始めてしまっていた。
なんと、イーゴス家当主とエリン家当主、そして買収された医師の判断でキャンドルの退院と一週間後からの大学部への復学が強引に許可されてしまったのだった。
このことに関してはカロイアレックス家ですら難色を示したが、権力に逆らうことはできず、現存する大貴族であるリリーベル家とメイクェイ家の権限の行使もイーゴス家から妨害を受け、王族のわがままを止めることは出来なかった。
「まずいことになったわ…」
ファージは学院内にある自身の研究室で6年生のレポートの採点をしながら考えていた。
青ざめたイーゴスから謝罪とともに一足早くこのことを知らされていたファージはずっと対応策を練っていた。
現在の大学部にはエリン家の次男、アマラ=エリンが助教授として務めており、三男のインヴィディア=エリンは院生として通っている。
「悪事を起こすには十分な人数が揃っちゃうわね…
あの子達に密偵を頼むしか無いかしら
顔良し、魔法良し、体術も申し分ない、あの兄妹なら楽勝でしょうね
えっと5年生の
翠蘭は4科目を大学1年生と受けてて、6年生の
蒼蓮は…2科目が大学2年生で3科目が大学3年生と受けてるのね〜
なんて丁度いいのかしら!優秀有能!眉目秀麗!」
ファージは教え子の中でもずば抜けて優秀な
赤龍の姉と兄にエリン兄弟とキャンドルの監視を頼むことにした。
カノン達には引き続きギフトと学院全体の護衛を頼んでいるので大学部の授業への侵入は難しいのだ。
「さぁ、あとはルークが教職復帰を受けてくれれば準備はまずまず整ったって感じかしら
夕方にもう一回説得してみようかしらね」
一日の授業が終わり、それぞれが家路に着いたであろう陽が落ちた頃、ギフトは月に一回の最悪な施術を受けにファージと一緒にルークのところへ来ていた。
施術台にうつ伏せになりルークに様々な呪術避けの魔法陣を身体に描いてもらうのだ。
ファージは優雅に紅茶を飲みながら発表されている中で一番新しい改変ウィルスの論文を読んでいる。
時折ルークがギフトに対して不穏な動きをしていないか監視しつつ、今日決まった出来事などを2人に聞かせている。
「えー!ホンロンのお兄さんとお姉さんがママの密偵になるの?!」
ギフトは驚きのあまりうつ伏せになっていた身体を少し起こしてしまった。
「こらこらギフトちゃん
あんまり動くと背中舐めちゃうよ」
「ヒィイ!」
艶めかしく動くルークの手をファージがパチンッと叩き、安心させるようにギフトの頭を撫でながらルークを睨みつけた。
「ちょっと!殺すわよルーク!
も〜、あんたって本当にクズね〜」
「違うよ、欲望にまっすぐなだけだよ
で、その2人の学生はそんなに優秀なの?」
「そりゃもうどっちも学年の首席だし、ツァンリィェンの方は実戦経験が多い分、兵法が必要な団体魔法実戦じゃギフトでも勝てないでしょうね」
「うわぁ、すごいねその子」
「そうよ〜、それにイケメンで高身長で硬派で長い黒髪がとってもセクシーな男の子よ!
ゲイじゃないのが残念だけど、まぁ、わたしにはもうキールがいるから関係ないわね!」
ルークはファージの熱のこもった言葉に、ギフトの背中に『対強化ウィルス魔法』用の魔法陣を描きながら目を丸くして驚いた。
「へ〜!ファージがそこまで言うなんてすごいなぁ
ツゥイランちゃんはどんな子?」
「あの子はおそらく偉大な魔女になるでしょうね
それこそ歴史に名を残すレベルよ!
ギフトのいいライバルになると思うわ〜
外見は…、ギフトは童顔だから仕方ないわよ
今はツゥイランの圧勝ね!色気が溢れて止まらないもの!
でもツゥイランったら野心がないのよねぇ
そこが勿体無いところだわ〜」
「ギフトちゃんこんなに可愛いのにねぇ」
ルークがうつ伏せのギフトの顔を覗き込みながらニコッと微笑んだ。
「いや、ルークさん…
ツゥイランちゃんはすごいですよ…
年齢詐称して花釣で働いても見た目だけなら多分バレないし、なんだったら立ってるだけで尊いし、叱られたい男子女子は列を成すと思います」
「えぇ…、俺どんな女の子でも悦ばせてあげられる自信があるけど主導権は握っていたいタイプなんだよねぇ」
「もう、娘に変な話しないでくれるかしら」
「性教育は隠せば隠すほど厄介なことになるんだよ〜?」
「あんたのは性教育じゃなくてただの
猥談よ!」
「そう?あと7年もすればギフトちゃんも俺の上や下で熱く
掠れた甘い可愛い声を…」
その瞬間、ファージは額に青筋を浮かべながら空中から杖を取り出すと立ち上がって仁王立になりルークに向かって両手から紫色に輝く魔法陣を展開した。
「ルーク、
今生に別れを告げたいのね?」
「ごめ〜ん、冗談だよ、今はね
ね〜、ギフトちゃん」
ギフトは深呼吸をするとファージの方へと顔を向け、瞳をカッと開いてこう告げた。
「…ママ、わたし、成人して一番最初に殺す人はルークさんにします」
「手伝うわ!」
「も〜、リリーベル家って物騒〜」
「誰のせいよ!
もう!今日はあんたを説得しにきたのに!」
「あぁ、教職の話でしょ?
いいよ、受ける受ける」
「あんたってやつは本当にどうしようも…、え?本当?」
今まで何度誘ってものらりくらりとかわされてきた話をこんなにも簡単に受けてもらえると思わなかったファージはびっくりしてキョトンとしてしまった。
「大学で『無属性魔法』と『無属性でも使える複合魔法』の授業をやればいいんでしょ〜?
それと、『対改変ウィルス魔法と錬金術によるワクチンの生成と副作用について』ってやつを望んでるんでしょ?」
「…わかってるじゃない
さすがね、変態だけど」
「変態は長所ですけど〜」
いや、変態は絶対長所ではない、と、ギフトは強く胸に思った。
「今日は描き込む魔法陣が多いから流石に目がシパシパしてくる
ギフトちゃん重い感じとかしてない?
魔力の生成になるべく影響しないようにはしてるんだけど、相手が相手だからちょっと濃いめの術式にしてあるからね」
「いつも通りなぁんともないですよ
試しに何か魔法陣出して見たほうがいいですか?」
「うーん、そうだね
2、3個出して見てくれる?」
「はーい」
ギフトはうつ伏せのまま背中から風と毒と水銀の魔法陣を出したがなんともなかった。
「いいね、完璧だ
今回組んだ魔法陣はいつもよりもちょっと魔力消費が多いから妖精の召喚は気をつけてね
なるべく『気』の妖精は帯同して常に相互供給し合えるようにしておくといいかも
彼らは妖精族の中でも唯一魔法使いの魔力生成を手伝ってくれるからね」
「それにしてもギフトは本当にいろんなとこから魔法陣出すわよね〜
なんだっけ、あの、ギフトの世界のボールを使った運動…、サッカー?の?リフティング?だっけ?
よくそれに例えてるわよね」
「そうそう、そうなんです
なんか魔法を使いたい場所に一番近い部分から魔法陣を出したほうが効率が良いかなって思って
こう、ボールを蹴ったり胸で受けたりするイメージをすると簡単にできるんです」
「へ〜、俺は手か胸かな〜
足の裏からって言うのはたまにあるけど、背中とか腕とか
脛からとか魔法陣出すのはなんとなく痛そう
痛くないのはわかってるけど、なんか痛そ〜」
「やってみると面白いですよ
なんか自分が発光してるみたいな気分になります」
「…ギフトちゃん可愛いのにやっぱりファージの血縁なんだね
どんどん変な子に育ってる
でも大好きだよ」
「ヒィイ!!ママ!」
ここぞとばかりにルークがギフトの耳にフゥッと息を吹きかけながら愛を囁いてきた。
ギフトは全身に悪寒が走った。
「ちょっともう終わったなら一旦ここから出てってくれる?!
ギフトが着替えるから!」
「俺の店なのにな〜」
「早く!出てって!」
「はいは〜い」
ファージにお尻を叩かれるようにしてルークは部屋から退散した。
ルークは店の冷蔵庫を開け、お菓子の賞味期限を確認しながらファージに声をかける。
「お茶飲んでいく〜?」
「いただくわ〜」
「用意しとく〜」
ギフトは長袖のあったかい黒い下着とロイヤルブルーの
旗袍にすぽっと身体を滑り込ませて素早く身支度を整えるとファージとともに部屋を出た。
「今日のお茶はジャスミン茶で〜す
お菓子はパイナップルのチーズケーキで〜す」
「センスが良すぎるのに変態だからどうしようもないですね!」
「そんなに褒めないでよ〜
ギフトちゃんには
石榴ゼリィもあげちゃおうねぇ」
「わーい」
ギフトは知っている。
ルークはギフトがいくら変態と罵ってもそれを喜びいつもお菓子をおまけしてくれることを!
3人は1時間弱ほどお茶を楽しみ、ギフトとファージは手をつなぎながら店を後にした。
今日はキールが早く帰ってこられる日なのでファージはウキウキしている。
ギフトも早くメイルランスに手紙を書きたくてウキウキしているのだった。