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    第陸話 病(やまい)「ここは…」

    「○○ちゃん起きなさーい
    もうお昼ご飯の時間になっちゃうわよー?」

    「お、お母さん…?」

    「どうしたの?
    お母さん、顔に何かついてるかしら」

    「え、いや、でも…」

    「○○寝ぼけてるんじゃないの?
    昨日遅くまで本読んでたみたいだし」

    「お、お兄ちゃん?」

    「まったく、年頃の娘が彼氏も作らず夜な夜な読書って、枯れすぎじゃね?」

    「○○お兄ちゃんも…」

    「お姉ちゃーん?
    起きてこないと一緒にお買い物行ってあげないよー?」

    「○、○○まで、どうして…」

     死んだはずじゃ…。
    わたしは長い夢を見ていたの?
    本当は、本当は事故なんかなかったんじゃ…。

     そう思った次の瞬間、瞬きほどの速さで愛する家族が音を立てて崩れ去って行った。
    燃え盛る部屋、焦げ落ちるカーテン、溶けて行く家族の顔、灰になって飛んで行く思い出たち。
    油のような、可燃性のものが焼ける臭い。
    でも、涙越しに見えたのは次々と復元されて行く崩れかけていた死体。
    凍っているようだ。

     寒い。
    肌がヒリヒリする。
    煙のせいなのか、何か他の力のせいなのか、うまく目を開けることができなくなってきた。

     寒い、痛い、暗い、怖い。
    幸福が煤になる。
    降り積もる塵がこんなにも黒いなんて。
    喉が焦げ付く。

    「ま、待って!
    わたしも連れて行って!
    お願い、お願い!
    なんで魔法が使えないの?!
    わたしは何のために強くなったの?!
    お願い、行かないで!
    行かないでよ!」

     声になっているのかすらわからない。
    もう、なにも感じない。
    わからない。
    心だけが、泣き叫んでいるようだ。



    「…さま、ギフトさま!」

    「ギフト!ギフト!」

     わたしの、名前…?

    「ギフト!ああ、気がついたのね!
    よかった、よかった…」

     わたしの両親と兄妹を殺した殺人鬼がベッドに横たわるわたしの頭上で泣いている。
    こいつは、でも、ファージ…。

    「あ、ああ…、夢か」

    「身体、どこか痛いところはない?
    苦しくない?
    吐き気は?頭痛は?
    大丈夫なの?
    ギフト?」

    「あ、え、えっと…、大丈夫みたいです
    ただの悪夢ですよ」

    「そう…」

     ファージは今までに見たことのないくらい悲しそうな顔をしている。
    その目にはいつから泣いていたのかわからないほどの充血が見て取れた。
     カノンは薬湯を用意しているのだろうか。
    薬のような鼻をつく臭いが漂ってくる。
     キールは外で何かを支持しているようだ。
    聞いたことのない怒鳴るような声がしている。

    「わたしは…、どのくらいうなされていたんでしょうか?」

     ファージは言いにくそうに、困ったように微笑んだ。

    「3日間よ」

    「…は?」

    「あなたは3日間ずっとうなされていたのよ
    本当に、本当によかった…
    良かった…」

     ファージの手はボロボロだった。
    何度も何度もわたしを助けようと強い魔法を使った痕が無数の傷となって残っている。
    ベッドの脇に転がるいくつもの儀式道具がその壮絶さを物語る。
    また、心が混乱しそうだ。

    「わたしは呪われたんですか?」

    「ふふ、あんたって本当にストレートに聞くわよね
    その通りよ、あなたは心壊しんかいの呪いをかけられたのよ」

    「心壊の呪い?」

    「そう、呪いの中でもかなり難しくて、呪術者側にも大きな犠牲を必要とする闇の魔法よ」

    「大きな犠牲って…、動物を供物にするとかですか?」

    「いいえ、ちがうわ
    心壊の呪いに使うのは自分の身体の一部よ」

    「えっ…」

     思わず自分の身体を見てしまった。
    自分の身体をたかだか気にくわない奴を呪うためだけに切り離すとか、わたしには考えられない。

    「身体ならどこでも使えるわ
    腕だろうが、足だろうが、眼球だろうがね
    内臓なら効果は桁違いよ
    あなたにかけられた呪いはあまりにも強かった
    おそらく、肝臓を半分使ったか、腸をいくらか切り取ってるわね」

    「自分の身体を切り開いてまでそのひとはわたしを殺したかったってことですか?」

    「殺す、というよりも、苦しめて苦しめてあなたが音を上げるのをまっていると言った方が近いかしら
    ギフトが『いっそ殺して』と懇願するのを待っているんだわ」

    「はは…、ファージさんよりタチの悪いやつっているんですね」

    「あらー、わたしなんて可愛いもんよ
    とにかく、あんたを呪ってきた奴はわたしが責任を持って殺すわ」

    「でも、なんでわたしはこんなことされるほどその人を苦しめてしまったんでしょうか
    知り合いなんてまだほとんどいないのに」

    「まぁ、この世界でも有数の名家に突如現れて贅沢な生活を送っているからかしらね?
    あんた顔も可愛いし、着てるものも良いものばっかりだし」

    「って、それ、わたし全く悪くないですよね?
    てめぇのせいじゃねぇか」

    「まぁまぁ、どんな世界にも僻んで逆恨みしてくるやつはいるってことよ!
    はぁ、びっくりした
    ご飯食べれそう?
    もうすぐ朝だからお風呂にでもゆっくり浸かってそのまま起きちゃいなさい」

    「はーい」

     腑に落ちない回答だったが、無事だったんだからもうどうでもいい。
    カノンがくれた薬湯を飲んだらホッとして気が抜けたのか、一気に疲れが現れた。
    体がだるい。
    はやくお風呂に入ろう。
     妖精たちは呪われ寝ているわたしに絶えず魔力を補給し続けていてくれたらしく、疲れた顔で微笑むとベッドで崩れ落ちるように寝始めてしまった。

     もしかして、みんな3日間寝てないのか?
    ゴブリンたちにバスルームではなく大浴場へ連れていかれながら後ろを歩くカノンにそれとなく聞いてみた。

    「わたしたちオーガやゴブリンといった種族は体力自慢で有名なのですよ
    徹夜だったら10日間は余裕でできます
    だからお気になさらないでください
    それよりも、ギフトさまが無事でいてくださったことが何よりも嬉しいのです」

     オーガという種族は人間や魔法使い、魔女と比べて肌が赤みがかっている。
    カーテンが締め切られていた薄暗い自室では気づかなかったが、廊下はランプの輝きと朝焼けのおかげで明るい。

     カノンの頬には何度も涙を拭った痕があった。
    わたしは胸がいっぱいになってしまい、ただまっすぐ大浴場へ通じる廊下を見つめることしかできなくなった。
    うつむいたり、カノンの微笑みに応えようと笑顔を浮かべようものなら、容赦なくこの瞳は視界不良に陥るだろう。

    「カノンさん、今日の朝ごはんは何が出てくるでしょうか」

    「そうですねぇ、きっとギフトさまが大好きなダシマキタマゴとトンジルを用意していると思いますよ」

    「わぁ、嬉しいな」

     ギフトは逃げるように大浴場までの数歩を駆け出した。
    だだっ広い脱衣所へ入ると急いで扉を閉めた。
    サンドブラストをほどこしてあるステンドグラス越しにみんながわたしに頭を下げているのが見えた。

    「あのひとたちはわたしのことを大事に思ってるんだ
    ファージも、キールも…
    でも、でも、わたしには忘れてはいけない、忘れたくない家族がいるのよ!
    いつか殺すって誓ったの、誓ったのよ…」

     急いで服を脱ぐ。
    大浴場の扉を開けると、身体も洗わずに飛び込んだ。

    「う、う…」

     手のひらにあるものはお湯なのか、涙なのか、頭の中はかき乱されたようにぐちゃぐちゃになっていた。
    今はもう見慣れてしまたけど、なんて幼く、弱々しい、小さな手なんだろう。
    自分一人守れやしない。
    みんなの前で泣けるほどの無邪気さもない。
    殺意で保ってきたプライドと生存理由があまりに脆く、儚いものになっていることに気づいてしまった。

    「夢で数分前に見ていた家族の顔が、思い出せない
    なのに、ファージの笑った顔もキールの優しい眼差しも、カノンさんのあたたかい声も何もかもが簡単に思い浮かぶ
    わたしは、わたしは…」

     いっそ、いっそのこと…。

     ギフトが心の中で願望を言葉にかえそうになった時、大浴場の扉が勢いよく開かれ、鬼のような形相をしたファージが入ってきた。

    パァン!

     ファージがギフトの頬を平手打ちした音が響き渡る。

    「あんた、今何を考えてた?!
    しっかりしなさい!あなたの目標は何?
    わたしを殺すことでしょう?
    なんのために今まで頑張ってきたのよ!
    簡単に諦めないで頂戴
    わたしのこと、ちゃんと殺しに来なさい」

     ファージは泣いていた。
    大粒のクリスタルのような涙は、もう止まることは無いのかと思われるほど、ポタポタとお湯の上に落ち続けた。
    ギフトはただただ言葉にならない声を上げて泣くことしかできなかった。
    それが自分の家族の仇に縋ることになっても、今はそれしかなかった。
    ファージの声は優しく響き渡る。

    「ギフト、決して相手の思惑に乗ってはダメ
    あなたが自死を願ってしまったら、その瞬間にあなたの心は相手の思考と繋がってしまう
    あなたの心を渡してはダメ
    あなたの心はあなたのものなのよ
    だから隠しておかなきゃダメよ
    そのために心は見えないんだから」

    「うっ…、ひぐっ…、はい…、ううっ…」

     信じたいと、直感で感じたものを信じる勇気が欲しい。
    勇気が欲しい。

    「で、ママ、わたし素っ裸なんでそろそろ出てってもらっていいですか」

    「あーらやだー、いっちょ前に女なのねー」

     いつものファージの調子に戻るとお尻をフリフリしながら大浴場から出て行った。

    「普通に歩けないのかなあのおっさん」

     ギフトも自分が泣いていたことなど棚に上げてもう平気で悪態をついている。
    立ち直りが早くなったのはきっとファージの影響だろうがそれを認めるのが嫌なためつい悪態をついてしまうのだ。

    「はぁ、なんだか余計にお腹すいてきた
    さっさと出よーっと」

     ギフトは素早く頭と身体を洗うとスタスタと大浴場を後にした。
    脱衣所ではいつもは妖精たちが塗ってくれる香油を自分で適当に塗ってタオルで軽く水分をふき取ると下着と用意されていた服を身につけた。

     どうやら今日は白い立ち襟シャツのチュニックに黒いチャイナボタンのカーディガン、下は臙脂の短パン、黒いタイツに猫足のスリッパだ。
    猫耳のカチューシャも置いてあったがギフトは無視することにした。

     脱衣所の扉をあけて廊下に出ると見知らぬ内装が広がっていた。

    「あ、あれれー?」

     ここはどこだ?
    全体的に焦げ茶色になっている。
    以前は白っぽい大理石に赤い絨毯だったのに。

     今足元に敷かれているのは絨毯ではなく焦げ茶色のつるつるに磨かれた板間に琉球畳みが一直線に埋め込まれるようにして敷かれている。
    廊下に畳って…、金持ちがすることは本当によくわからない。

     いつから天井はアーチ状になったのだろう。
    長い金の縁取りが施された赤い布が波打つ龍のように飾られている。
     廊下に沿うようにぶら下がっている極彩色のランタンはなんだ?
    扉の両脇にかかっている赤地に金で竜の模様が描かれている提灯はなんだ?
    所々に配置されている大きな白磁の壺や青磁の花瓶は?
    廊下に配置されている美しい朱色に原色で彩色された綺麗な木製のベンチは?
     メイドさんたちが漢服を着ているのは何故?
    いつからここはあの大陸になったの?

    「とりあえずリビングに行こうかな
    場所は変わってないよね…」

     あっれれー?
    リビングの扉が引き戸になってるぞー?
    しかもあの大陸の優秀な商人の一族っぽい一行が丁寧な描写で掘り込まれてるなぁ。

    「中は…、あ、あぁ…」

     まさかの壁と天井が白タイルに青でモザイク画が施されている!
    なぜここはあの大陸ではなくあの一神教の美術がとりいれられているのかな?
    別に綺麗だからいいけど…。
     テーブルはどこかの高級大陸レストランのような丸くてくるくる回る漆塗りの大きなものに変わっている。
    椅子も一脚一脚に彫刻が施されており、わたしの椅子だと思われるものには雅楽隊のような編成の天女が背面を彩っている。

     それに、なんだあの二人の服!
    時代と国を合わせないあたり完全にファージの趣味だな。
    キールもファージも韓服を着ている。
    ファージは鳳凰でキールは龍の大きな刺繍。
    おい、いつからあんたらは王族になったんだ。
    絶対に触れてやらないからな!
    絶対にだ!

    「おお!ギフト!
    大丈夫か?もう身体は平気なのか?」

    「あ、はいパパ
    今はただただ内装に驚いています」

    「ああ、これはぁ、心機一転っていうの?
    気分転換に作り込んじゃったのー」

    「ファージはセンスがいいからな!」

    「あ、はぁ…」

     素敵かそうじゃないかで問われたら素敵だと答えるけど、いったいいつの間にやったんだか。
    わたしはそんなに長い時間お風呂に入っていたのかな。

    「ギフトの部屋はもっと可愛いんだから!
    ご飯食べたらちゃんと見に行きなさいよね」

    「あ、はい」

    「よし!家族そろったことだし、朝ごはんにしよう!」

    「はーい」

     次々と運ばれてくる朝ごはんはカノンが言った通りギフトの好物ばかりだった。
    ファージが旅しているときに買い揃えた料理本のおかげで、この違う世界でも遜色ない和食が食べられるのは本当にありがたかった。
    本日は寝込んでいたという事実が食欲に拍車をかけたため12回もおかわりをしてしまった。
     いいね、子供は太らない。
    デザートが九龍球なところから見るに、ファージはだいぶアジアかぶれらしい。
    それが今回の呪い事件で爆発したのだろう。
    ストレス解消に身の回りを好きなもので固めたんだろうなぁ。

    「ごちそうさまでした
    では、自分の部屋をみてきますね」

    「ちょー見て!
    テーマは『昼は巡業ジプシー、夜は古代のマッドサイエンティスト』よ!」

    「あー…、こんなにも意思の疎通が難しい事案は久しぶりですね」

    「見たらわかるから!」

     ギフトはしぶしぶ引きつった作り笑いを浮かべながら二人に挨拶をしてリビングを後にした。
    だいたい、リビングだってファージとキールが「食堂だと広すぎて距離を感じる」とか言って増設させた場所だ。
    あの二人はお金の使い方が大胆すぎるのではないだろうか。
    そう思いながら自室…、だと思われる扉の前に到着した。

    「扉からかー!
    扉すら前の部屋の面影がないのかー!」

     色とりどりの磨りガラスが埋め込まれた厚めで焦げ茶色の木製の2枚の引き戸。
    取手はまさかの金。
    もうどうにでもなぁれ、という気持ちで扉を開いた。

    「ふぁー」

     焦げ茶色の宇宙に瞬く極彩色の星々。
    そう表現するしかないほどの色の洪水。
     クッションひとつとっても色鮮やかに牡丹や南天の実が描かれている。
    ただ、部屋に充満している木と薬草の香りは大変好ましいものだった。

     そして壁沿いに設置されている木製の渋い薬品棚。
    くっそう、ファージはわたしの好きなものをここまで熟知しているのか。
    悔しい。
    悔しいが、好きだ、この雰囲気。

     ベッドは部屋の奥に一段高くなった小上がりの茶室のような畳敷きの場所にあり、薄手の紺碧の布に金糸銀糸で桜と鶴の刺繍が施された天蓋までついている。
    床の間には掛け軸ではなく桜色に四季折々の刺繍が施された本振袖が飾ってある。
    いったいいくらするんだ…。

     部屋の床には大小様々なペルシャ絨毯が机の下や窓の下に敷かれている。
    カーテンは真紅のベルベットに金のタッセルがいくつも付いている。
    内側の生成りのカーテンには十二単すがたの日本のお姫様がレースで表現されている。
    ところどころキラキラ輝いているからためしに噛んで見たら…、ダイヤモンドだった。

     インテリアとして置かれている小瓶はアンティークの香水瓶だ。
    あいつはどうしてこんなに…、悔しい。

     本棚には所狭しと魔法や魔術、呪いに関する本が並んでおり、半分くらいの本がファージによって革で表紙がリメイクされている。

     勉強机も、お茶を飲むための小さめの円卓も、琥珀と鼈甲が埋め込まれている。

     そしてなんとも優雅な天井。
    まるでランプが浮かんでいるようだ。
    夜になって点灯するのが楽しみだ。

    「はぁ…、この部屋好きぃ…
    でも絨毯とか高そうだから怖くて踏めないわ!
    でもありがとうという気持ちでいっぱいだから頭痛がする…
    さぁ、ここまで部屋が素敵なんだからバスルームはどうなっていることやら…」

     バスルームの扉は白いタイルとラピスラズリで彩られた引き戸に変わっていた。
    開けて見る。
    もう言葉すら出なかった。

    「ふぁ…」

     扉と同じように白と青のタイルに、クラックガラス(ビー玉の内側にわざとヒビをいれたもの)が埋め込まれた麗しい空間。
     焦げ茶色の棚に設置された真っ白の洗面台に燻んだ金色の蛇口。
    トイレは前と同じで白で木製の便座と蓋がついた洋式だ。
     ガラス戸で仕切られたお風呂は丼のような湯船に変わっていた。
    真っ青な丼に金で描かれた龍。

    「ご利益がありそうなお風呂だなぁ…」

     ギフトは別に用を足したいわけではなかったが、とりあえずトイレに座って落ち着くことにした。
    こんなに豪華なものをあれこれと与えられ、正直、どうしたらいいかわからないのだ。
    何度もまわりから言われているが、「貴族らしさ」がまったく掴めずにいる。
    いい服を着て薄笑っていればいいのだろうか。

    「うわぁ…、学校通うのめっちゃ不安になってきた
    『貴族を舐めてるんじゃなくって?』とかいちゃもんつけられていじめられたらどうしよう
    『貴族なのにそんなことも知らないの?』みたいなこと言われたら困るよ…
    わたしは庶民なの、普通の家庭で育ってきたの
    一眼レフ買った時も一ヶ月悩んで買ったの、分割で…
    お菓子とか食べてるだけで『あら、舌がお安いのね』とか言われたら泣くかもしれない
    学校怖い…、友達の作り方がわからない…」

     ギフトは1時間もトイレから出てこなかった。



    コンコンコンコン

    「はっ!はい!」

     バスルームの扉をノックする音に正気を取り戻し、急いで開けると小さな何かが勢いよくギフトの胸へ飛び込んできた。

    「わああ!元気になったんだね!
    妖精ちゃんたち、わたしを助けてくれてありがとうね」

     妖精たちはキャッキャしながらギフトのカーディガンに潜ったり髪をぐちゃぐちゃにして喜びを表現していた。

    「ギフトさまいらっしゃいますか?」

    「あっ、カノンさんだ!
    いますいまーす!」

     ぐっちゃぐちゃになった髪のままバスルームを飛び出すと、カノンは驚いたように目をまんまるにして駆け寄ってきた。

    「これは…、どうかなさったんですか?」

    「いやぁ、妖精たちが…」

     カノンは状況を把握してすぐに笑顔になるとギフトを鏡台まで誘導した。

    「妖精たちはギフトさまのおそばを片時も離れなかったですからね
    きっと元気なギフトさまの姿に喜びが爆発したんでしょう
    わたしも妖精の中の一人だったらきっと同じことをしたと思います」

    「カノンしゃん…」

    「うふふふふ
    さぁ、髪を結い直しましょう
    奥様がお買い物に行くとおっしゃってましたよ」

    「ほほう、まだ何か買う気なのか…」

    「あんなことがありましたから
    きっとギフトさまに呪いよけのまじないや呪いを弾く祝福をお買い求めになるんだと思います
    いっぱいご購入なさってくださいね
    カノンも心配でございます」

    「カ、カノンしゃん」

     今のわたしにとって一番の祝福はカノンさんの存在ですよ、とキザなセリフが思い浮かんだが恥ずかしいから言うのはやめた。

    「さぁ、かわいく出来ましたよ
    お靴だけローファーに履き替えましょう
    玄関でお色を合わせましょうね」

    「はい!」

     カノンのおかげで頭の左右にお団子と細い三つ編みというなんともチャイナ娘のような出で立ちになった。
    ファージがどんな格好をして待っているのやら、心配だ。

     カノンに続いて廊下をスタスタと進んでいく。
    前方にギフトの悪い予感を体現したような格好のファージが待っていた。

    「ねぇねぇ、お部屋可愛かったでしょ!
    あんたああいう色味絶対好きよね!」

    「はい、まぁ…」

     ファージは全体的に紫色だった。
    チャイナボタンのシルクのジャケットも、プリーツにスリットがはいったロングスカートも、ショートブーツも、ハンドバッグも、口紅もシャドウも、紫だった。
    刺繍も紫の光沢のある糸で施されており、もうどこからみても茄子。

    「何をそんなに主張したいんですか?
    茄子ですか?茄子なんですか?」

    「なによー、いいじゃないの!
    紫はあんたがいた国じゃ高貴な色なのよー!
    それに、わたし、紫が一番セクシーに見えるのよ
    どう?色気でむせかえりそうでしょ?」

    「いや、もう茄子にしか見えませんが」

    「あー!もう!本当に可愛くないわね!
    ほら、さっさと行くわよ!
    今日は大剣に乗りなさい」

    「はーい」

     わたしは自分の素敵な大剣をバングルから取り出すと、ひょいっと乗った。
    ファージはというと…、ギンギラギンの細工まみれの巨大な鉄扇に優雅に乗り込んだ。

    「うわっ、まぶし!」

    「ふふふん
    リリーベル家の当主として華やかでいないとね!」

    「はぁ…、そうですか」

    「さぁ、出発よー!」

    「はーい」



     飛行すること15分、目的の職人街へと到着した。
    比較的背の低い建物で構成された小さめの街だが、所狭しと並べられた品物や見物客でごった返している。

    「えっとぉ、目当ての店はもうすこし中の方ね
    上を飛んでいっちゃいましょう」

    「はーい」

     街の中央付近までやってくると、目的の店の屋上へ着陸した。
    2階建ての建物だった。
     建物に沿うように付けられている階段を1階まで降りると、そこはどうやら美容院らしく、髪を整えている姿が見えた。

    「ごきげんよう」

    「ファージ様!ようこそいらっしゃいました」

    「お久しぶりね
    今日はうちの子の髪に祝福をお願いしにきたの」

    「おお!やっとお会いできましたね
    ギフト様、さぁさぁこちらへどうぞ
    お話はよくキール様から伺っておりますよ!」

     おお、なんか恥ずかしい…。

    「わたしは光と水属性を使う祝福を専門としたの魔法使いで、エルザと申します
    よろしくお願いいたします」

    「よ、よろしくお願いいたします!」

     エルザは優しそうな小太りのおじさまだった。
    ロマンスグレーの髪がかっこいい。

    「ふふふ、緊張なさらなくて大丈夫ですよ
    今日はわたしの魔力が練りこまれている染め粉を使って髪に祝福を施します
    だいたい一ヶ月ほど効き目があります
    ファージ様からギフト様の好きな色で染めるよう仰せつかっております
    何色がよろしいですか?」

    「えっと…」

     なんと、ファージはわたしに色の選択権を委ねたらしい。
    黒に戻してしまおうか。
    でも、そうなると今の自分では鏡を見るたびに悲しくなってしまいそうだ。
    どうせなら、子供だし奇抜な色にでもしてみようかな。

    「エメラルドグリーンってできますか?
    あの明るい色ではなくて、宝石のエメラルドみたいな深くて透明な緑色なんですが…」

    「もちろんでございます!
    さすが、素晴らしい感性をお持ちですね」

    「あ、ありがとうございます」

    「では洗髪して少し毛先を整えてから染色していきますね」

    「はい!よろしくお願いします!」

     施術が始まってからは気持ち良くて気持ちよくてすっかり寝入ってしまった。
    美容院というものはどこの世界でも癒しスポットなのかもしれない。
    だいたい2時間くらい至福の時を過ごしたギフトはそっと肩を叩かれてやっと目を覚ました。

    「ギフト様、いかがでしょうか」

    「つやっつやで綺麗…」

     鏡の中にいた自分は思わず自画自賛をしてしまうほど髪が輝いていた。
    深い緑色でありながらも、軽やかな透明感で初夏の新緑のようだった。

    「完璧です!ありがとうございます!」

    「喜んでいただけて光栄です」

     施術用の椅子から降りるとファージが待つ待合室へ案内された。
    ファージは優雅に紅茶をいただきながら他のスタッフの人と楽しそうにおしゃべりしていた。
    ギフトに気づくととても嬉しそうな顔で拍手しだした。

    「やだー!
    すごーい!可愛いじゃなーい!」

    「お、おお…」

    「なに〜?照れてんのあんた
    すごく素敵な色じゃない
    さすがエルザね、完璧だわ!」

    「お褒めに預かり至極光栄でございます」

     ギフトは褒められたことや、まわりのひとたちの自分を敬う態度がどうもむずがゆく、はやくお店を出たかった。
    そんなモジモジしているギフトを見て微笑むファージはスマートに支払いを済ませお店をあとにした。

    「ギフトは本当にそういう渋い色がすきよねぇ
    あんた本当は中身おばあちゃんなんじゃないの?」

    「ちがうわ!
    ピッチピチの女子大生ですよ」

    「ははん!
    現在進行形でお子ちゃまなのに何言ってんだか」

    「うるさいですよ」

    「うふふふふふふ」

    「で、髪に祝福をするとどんないいことがあるんですか?」

    「ああ、えっとねぇ
    万が一あんたの髪を拾われて呪いの材料として使われたとしても、その呪いはギフトにはかからずに呪いを実行したやつに跳ね返るのよ
    それに、別の方法で呪われたとしても、髪に通う魔力がしっかりと相殺してくれるわ」

    「へー、便利ですね」

    「でしょ〜?
    月一で染めに来なきゃいけないのが面倒だけど、命の方が大事だしね」

    「たしかに
    次はどこに行くんですか?」

    「次はあんたの背中、ちょうど心臓の裏にあたる部分に魔法陣を彫りに行くわよ」

    「…、いやです」

    「いやって、だめよ
    これが今日の本命なんだから」

    「だ、だって、刺青なんてしたら温泉にはいれなくなってしまう…」

    「あんた、ここは日本じゃないのよ
    まったく別の世界
    温泉なんて関係ないでしょうが
    それに、魔法陣はあんたの身体に吸収されるから3日後には見えなくなってるわよ」

    「え、あ、へぇ」

    「ほら、行くわよ」

    「はーい」

     街の奥へとすすんでいく。
    どうやらみんなファージのために道を開けているようだ。
    いったい何で判断しているのかわからないが、貴族だということはわかるらしい。
    子供だとわからない何かが大人には見えるのだろうか。

    「何難しい顔してんのよ
    ついたわよ
    ちゃんと前見て歩きなさい」

    「あ、はい」

     怪しい。
    見るからに怪しいお店だった。
    なんでかって?
    店先に動物の死体がたくさん干してあるし、扉が何かの大腿骨で装飾されているからだ。
    怪しいでしょう、どう見ても!

    「ほ、本当にここに入るんですか?」

    「あたりまえでしょー
    ここは魔法陣屋の中では一番優秀だし、なによりわたしとキールが出会った大切な場所だもんっ!」

    「うわぁ…」

     このままでは馴れ初めを話し出すかもしれない、そう思ったギフトは勇気を出して自ら店の中へ入ることにした。

    「あれ?中はまともだ
    この指輪可愛い…」

     店内は明るくてお洒落な雑貨屋さんという趣だった。
    イチゴやぶどうの形のランタンや、銀細工の可愛いアクセサリーが並んでいる。
    店内中央にはたくさんの髪留めやかんざし、カチューシャなどが並べられている。

    「可愛いでしょー
    わたしの親友のお店なの
    ルーク!来たわよー!」

     ファージが声をかけると店の奥からファージと同じくらい高長身な大変麗しい顔面の男性が現れた。

    「ファージじゃん、予定よりちょっと早いね
    お茶でも飲む?」

    「飲むー」

    「お、この子がギフトちゃん?
    いいねー、可愛い
    俺のお嫁さんにならない?」

    「ダメよ!
    あんたキールに殺されたいの?」

    「あっはっはっはっは!
    じゃぁ、あと10年経ってギフトちゃんがフリーだったらまた口説こうかな」

    「あんたにはギフトは嫁がせないわよ!」

    「あっはっはっはっは!」

     挨拶する隙がない。
    そしてこの世界に来てはじめて口説かれた。
    まぁ、冗談だとは思うけど…。

     それにしても、なんてかっこいいんだろう!
    爽やかな黒髪短髪、すらっとのびた手足、切れ長の目に程よく灼けた肌、優しそうな口角の上がった口元に白い歯…。
    服はなぜか作務衣みたいなの来てるけど、それがまた素敵…。

     お茶をするのに案内された店内奥のスペースもとても素敵だった。
    小さな丸テーブルに可愛い植物模様のクロスがかけられている。
    ソファも猫足のものでとても優雅だ。

    「ギフトちゃんは俺の隣に座りなよ」

    「ギフト、だめよ
    こっちに座りなさい」

    「あ、はい
    えっと、あの、こんにちは…」

    「あはは、こんにちは
    声も可愛いんだね」

    「えっ、あ、その…」

    「ちょっとー、うちの子にちょっかいださないでちょうだい!」

    「なんでよー」

    「ロリコン認定するわよ」

    「でも魂は20歳くらいなんでしょ?
    いいじゃん」

    「はぁ…、わたしはあんたのその軽さが心配だわ」

    「いいの
    俺は世界中の女性を愛しているんだから
    あ、でも付き合ったらちょー一途だから安心してね」

    「うわぁ」

     あ、コイツダメなやつだ。
    さすがファージの親友。
    やっぱり類は友を呼ぶんだな。

    「あれ?ギフトちゃんの視線が一気にゴミを見るような目に変わっちゃった」

    「さすがわたしの娘
    それでいいのよ
    こいつはダメ男よ」

    「はい、ママ」

    「なんでよー」

     とんだクソ野郎だったが、いざ時間が来て魔法陣の施術を受けたらそれはもうとても見事な技術だった。
    まず、まったく痛くなかった。
    すこし熱いかな?くらい。
    そしてなによりすごいのがフリーハンドだということだ。
     なんと、ルークの頭の中には2000種類を超える図案がすべて記憶されているらしい。
    組み合わせ方や繋げ方を合わせると天文学的数字になる。
    その全てを相手の魔力の強弱と量、使える属性で瞬時に組み立てるのだという。
    ルークは【無】属性の中でもかなり特異な存在らしい。

    「ふーっ、こんなに属性が多い子に魔方陣描いたの初めてだよ
    それに、肌がすべすべで気持ちよかったよ」

    「ひいいい!」

     ギフトは急いで服を着なおすと施術用のベッドから飛び退いた。

    「ちょっと!ルーク!
    殺すわよ!」

    「あっはっはっはっは
    だって事実なんだもん
    仕方なくない?」

    「ああもう本当に一発殴りたい…」

    「マ、ママ、このひとこわい…」

    「よしよしギフト
    はやくこっちにおいで」

    「なんだよー、俺色々上手なのにな
    初めては俺がいいと思うよ、色々ね」

    「あんた、その股からぶら下がってるやつ引きちぎるわよ」

    「こわいー
    わかったわかった
    ギフトちゃんには向う10年間は手を出さないから、ね?」

    「一生出すな!」

    「ママー」

    「大丈夫よ、大丈夫
    どんなに忙しくても、ルークの施術の日はわたしがついてきてあげるからね」

    「ちぇー」

     あっぶねぇ!
    危ない大人だった!
    マジのやつだった!
    こんな奴のところに月一で通うとかどんな拷問だよ!
    しかし、何者かに狙われている以上、仕方ない…のか。

    「じゃぁ、ギフトちゃん、また来月ね〜」

    「ひい!」

     ファージはルークからわたしを隠すように立ちはだかりながら威嚇しつつ素早く支払いを済ませて店を後にした。

    「まさかあんたまで射程範囲内だと思わなかったのよ…
    こわい思いをさせちゃってごめんなさいね」

    「はぁ…、でも、ああいう大人もいるんだといういい勉強になりました
    わたしはもっと強くならなくてはなりませんね」

    「そうね、いい反面教師だったわね」

     なんだか二人して疲れてしまった。
    ファージが誰かのせいで疲れる姿を初めて見たギフトはルークの顔を思い出して背筋がゾクッとした。
    帰ったらすぐにシャワーを浴び、夕方ごろ仕事から帰宅するキールに報告しよう、そう心に決めたギフトだった。
    一舞万葉 Link Message Mute
    2018/06/20 23:26:22

    第陸話 病(やまい)

    #創作 #オリジナル #女の子 #小説 #ダークファンタジー #残酷表現有り #魔法 #魔女 #復讐 #和漢洋折衷 #魔法学校 #第1章 #silent_malice.

    第1章 silent malice.

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