第拾陸話 実験室へ行こう 昨夜からずっと雪がちらついている。
身体が大人よりもあったまりやすい子供であることに感謝をしたいくらいの凍てついた朝。
ギフトは顔と髪だけが外に出た状態で布団にくるまりながら唸っていた。
生理2日目の痛みにぐったりしているのだ。
キールから買い与えられた柔らかい長い猫のぬいぐるみがギフトにもみくちゃにされて疲れたような顔をしている。
「んんんあああああああああ、燦沙ちゃんの薬…、く、薬…」
平常時だったら大きなお友達に咎められかねない発言をうわ言のように繰り返しながら妖精たちに指示し、焦げ茶色の大きなアンティークの薬棚にある【燦沙スペシャル】と書かれた引き出しから小さな丸薬を2つ取り出してもらう。
水属性の妖精が召喚した『祝福の水』を火属性の妖精が『夢の炎』で適温まで温めてくれた贅沢なぬるま湯をお気に入りの猫脚マグカップに入れてもらい、丸薬をクイッと飲み干す。
猫脚マグカップは真っ白で滑らかな陶器の深めの器にバスタブについているような金色の猫脚がついたマグカップで、ファージとお揃いのものである。
「はぁあ〜、贅沢な薬の飲み方…
これをおしゃれなカフェで頼んだら確か紅茶一杯で1,500mayzするって言ってたなぁ…」
別段寒くない室内で高級なお湯を平然と飲む自分に気づいてギフトは少し身震いしながら今日の授業について考えた。
今日は1年生の単属性魔法の授業でいくつかの魔法を披露する予定となっているのだ。
ギフトが一緒に授業を受けている4年生が課外授業で一日中学院には戻ってこないので、1年生と一緒に授業を受けることになったのだ。
本当は6年生の授業に誘われたのだが、授業内容が魔法実戦だったのでギフトは全力で辞退した。
負けても勝っても地獄しか待っていなさそうな授業など絶対に受けたくない、と、ファージと6年生の学年主任に正直に話したのだった。
扉をコンコンと叩く優しい音がする。
薬草の香りや飾っている本振袖から漂う白檀の香りを中和するように玉露のような爽やかな香りを身にまとった美しい女神のようなカノンが部屋へと入ってきた。
「ギフトさま、おはようございます
お腹の具合はいかがでしょうか?」
「今よくなりました!」
「まあ、カノンはギフトさまの顔色を見るのは得意なのですよ?
頬が白いですし、眼球の白眼の部分があまりに青白いですねぇ
唇は白湯で少し赤みが指しているようですが、いつもより色が薄い気がします
とてもわかりやすいほどの貧血ですね
痛みに我慢した結果の汗がうっすら額と鼻の周りにあるのも見えますね」
カノンの笑顔の圧力は効果絶大だ。
「んんんあああああ」
ギフトは肋骨からつま先まで達する痛みと、あまり寝付けなかったために悪化した貧血に対する叫びを室内にこだまさせた。
「さぁ、今日は熱めのお湯を首筋にしっかり当てて血行を良くしてくださいね
バスルームへ行きましょう」
「くぅぅう」
カノンはいつも通り優しいのだが、体調が悪いときは割と有無を言わせぬ指導をしてくれるのだ。
少しでも身体の回復を促すために必要なことを無理のない範囲で最大級の行動を要求してくる。
「今日の香油は緑茶ですよ」
「わぁ!嬉しいです!」
緑茶の香油は薄荷のような清々しさがありつつ、薄荷のような身体を冷やす成分は入っていないので冬でも安心してつけることができるのだ。
少女趣味とは言い難いオリエンタルでアンティークな趣味を持っているギフトが好きな香りだった。
今日の制服は黒い厚手のケミスに鮮やかな真紅のバルトゥグ。
動きやすく暖かい格好だ。
この制服は最近ファージによって新たに買ってもらったものだ。
同じような形ならデール型の制服を持っているのだが、ファージが女子学生がケミスを着ているのを見てそのあまりの可愛さに速攻注文したというわけだ。
ギフトからすると少し胸元が空いているような気がしてソワソワしてしまうので、中に生成り色の立ち襟シャツを着込んだ。
「可愛いけど…、制服こんなにいる?」
若干呆れつつもいろんな形のお洋服を着ることができて嬉しいのも本音なのでおとなしく買い与えられるがまま着ている。
カノンにゆるく三つ編みにしてもらい、ギフトは猫脚のスリッパを履くとリビングへと向かった。
屋敷は全体的にキールの魔法陣と暖炉や各所に設置されたストーブでとても暖かく保たれている。
あと少しでオーガ一族の家が完成するということもあり、子供達は広い屋敷を楽しみ尽くさんばかりにあちらこちらで寝ている。
今日は授業の準備のためにいつもよりも早起きしたため、子供達はまだいろんなクッションの上で寝ている。
とても可愛くてついちょっかいを出してしまいたくなるが、もしここで子供達に構い出すとそのまま一緒に寝てしまいたくなるため自重して廊下を歩く。
リビングの扉を開ける。
するとものすごく派手な2人が目に入ってきた。
ファージは艶々した赤い漢服に金糸の刺繍が満載だし、キールは青い漢服に色彩豊かな錦糸で龍が胸元で泳いでいる。
「おはよ〜ございま〜すぅ…、どうしたんですか?」
「うふふふぅ
今日は月に一度の恋人デーよ!」
「ギフトと夕食を一緒にできないのは心が張り裂けそうなくらい辛いしなんなら想像しただけで涙が出そうだけど今日はファージに集中したいんだ
いつもこの日を迎えさせてくれてありがとうギフト」
「ああ、あの日ですか
ゆっくり2人で過ごしてくださいね
お土産楽しみにしてます」
「あぁ…良い娘すぎて我慢してた涙が溢れてきちゃった…」
「キールったらなんて心が美しく澄んでいるのかしら
ギフトが清らかに育っているのもキールのその素晴らしい心根のおかげよ」
「ファージの魅惑的な視線に比べたら…」
「キールったら…」
「はい、朝ごはんいただきまーす」
目の前で官能的な視線の交わし合いを始めた雅な漢服を着た2人をスルーしながらギフトはもりもりと朝食を楽しみ始めた。
今日はファージとキールが恋人のように甘い夜を過ごす月に一回の『恋人デー』なのだ。
いつも通りお互いに仕事をこなし、夜は待ち合わせをしてレストランで食事をし、高級な旅館かホテルで夫婦水入らずの濃い時間を過ごす。
はっきり言ってギフトは週一くらいで夫婦で過ごせば良いのにと思っているのだが、ファージとキールが家族でご飯を食べることをとても大事にしているのでなかなか強く勧めることも出来ない。
ギフトは前の世界では20歳を超えていたから大体のことは2人の態度でわかる。
今回の恋人デーは今までの中でも特別なのだと。
一応、両親のことだからギフト的にはあまり口に出すのは
憚られるが、心だけでなく、身体も許しあえるようになって初めての恋人デーなのだろう。
2人からはいつになく甘い雰囲気を感じる。
不覚にも、「こういう恋がしたい」とギフトは思った。
朝食を食べ終え、子供達を起こさないように静かに廊下を歩き、黒い革の
紐履を履くと学院へと向かった。
「おはよ〜」
「おはようギフト」
「ホンロン早いねぇ」
「まぁね」
教室にはホンロンと数人のクラスメイトだけ。
ギフトはルルーディアより早く学校に来るのは初めてだった。
「いつもこんなに早く来てるの?」
「ん?あぁ、いや?」
「ふ〜ん」
ホンロンは昨日ギフトが早く学校に来ると言っていたから自分もいつもより早く来たとは言えず、言葉を濁しながら曖昧に頷いたのだ。
「デンデンは外廻廊の屋根の上?」
「そうだよ〜
れ、レイユィンが来るのを待ってるんじゃないかな?」
「え〜?レイユィンはモテるね〜」
まるで他人事のようなギフトの言い方に少しガックリしながらも、まぁ自分の言い方も遠回しすぎたなと反省するホンロンであった。
「今日は、その〜、ご一緒に授業が受けられるということだけれども」
「なんか今日のホンロンの喋り方、サフィルとパルトが混ざってるみたいで面白いね」
「え、あ、そう?」
「うん、なんか可愛いね」
「か、可愛い?!
こらこら、ギフト
男に対して可愛いっていうのは褒め言葉じゃないんだぞ…」
「そんなことないよ〜
ママもパパもルークさんも喜ぶよ?」
「ああ〜、うん、そ、そうだね
でも!俺は違うの」
ギフトの周りにいる人たちはちょっと個性が大混戦しているんだよ、とは言えず、ホンロンは空回りする自分のテンションと気持ちの抑え方に四苦八苦していた。
「ふ〜ん
じゃぁ…、ホンロンは今日の藍色の
旗袍、とても似合っててかっこいいね!
ああ!裏地が朱色じゃん!
またお姉ちゃんのデザイン?」
「(かっこいいって言われた…)う、うん!
姉上のデザインだよ!」
「良いなぁ、センスのいいお姉ちゃんだね
しかも珍しくポニーテールなんだね
なんかに忍者みたいで余計にかっこいい」
「に、ニンジャ?
(またかっこいいって…ふふ)」
「あ〜、えっとねぇ
忍者っていうのは〜、隠密機動隊のことだよ!
暗殺もするけど、諜報活動とかの方が多いかな?」
「へ、へぇ〜」
ホンロンはもはやなんの話をしているかよくわかっていなかったが、朝から気になっている子に直接褒めてもらえたからそれで今日一日は良い日だと言い切れる自信があった。
「じゃぁ、わたしは単属性魔法の授業の確認に先生のところに行って来るね」
「お、おう」
「また後でね〜」
ギフトの感情で考えると、年長者が年少の子供を褒めている感覚に近いのだが、いかんせん見た目は11歳の子供だし、相手も11歳の子供だ。
ホンロンからすれば同い年の好きな子に「かっこいい」と言われたのだ。
この精神的な年齢の差を埋めるのはいまはまだギフトには少し難しい。
ギフトは自分の見た目がいくら子供だとは言え、やはり目の前にいるクラスメイトたちは子供として可愛いしかっこいいし愛でたいのだ。
廊下を進み、ラウンジを通り過ぎ、建物の反対側にある研究室へと歩いていく。
研究室側の壁にはランタンではなく可愛い
外灯が取り付けられている。
まるで
雪洞のような形をした濃い灰色の鉄製の枠にすりガラスをはめ込んだまあるいあたたかな色のランプが等間隔に取り付けられている。
見つめていたら眠くなってしまいそうだ。
「え〜っと、属性魔法の研究室は…、ここだ」
12色の真珠の間に透明なクリスタルを挟み込みながらメビウスの輪を
象った綺麗なドア飾りが下げられた焦げ茶色の引き戸。
真鍮色の蝶々の形をした取っ手を掴んで右にスライドする。
「失礼します、…おはようございます
ムルタイ先生いらっしゃいますか?」
ギフトが声をかけると奥の方で頭上にいくつもの魔法陣を浮かべながら何かを計測しているちょっと怪しい女性が手を挙げた。
「リリーベルさん、ごきげんよう
先ほどウッキウキで踊りながらお母様が実験棟へと行きましたよ
親子でも似てないもんなんですね
あなたは魔法は派手ですが身なりはいつも清楚ですもんね」
「あは、あはははは…
母は特殊なんです」
「でしょうね」
イロド=
響毒=ムルタイ。
低学年を担当している属性魔法の先生だ。
他国の華族出身で、この国においての階級は中級貴族。
背は低めで、まるでヘルメットでもかぶっているのかというくらいの完璧なマッシュルームカット。
青光りするほどの黒髪と真っ黒なフリフリの派手なレースのドレスのせいで上級生からは陰で『石炭』と呼ばれている。
年齢は不詳だが、おそらくファージやキールよりもだいぶ年をとっていると思われる。
あまり目を見開いているわけではないが、時折はっきりと見える瞳は面白いオレンジ色をしている。
まるで果物のオレンジがそのまま突っ込まれているかのような鮮やかな色。
「昔は美人だったんですよ」というのが口癖だ。
「では早速計画表を見せてもらいましょう」
「あ、はい
お願いします」
ギフトはバングルから数枚の紙を束ねた計画表を取り出し、ムルタイに渡した。
ムルタイはオレンジ色の瞳でサササっと目を通していく。
「ほう、あなたは嫉妬してしまうくらい優秀ですね
まぁ、リリーベル先生のお子さんですからこのくらいできて当然なんでしょうけど」
「は、はぁ…」
「ごめんなさいね
ワタシはこういうものの言い方しか出来ないもんですから
いいですよ、大丈夫です
この計画表のまま授業でその素晴らしく美しい魔法を披露してください
中庭の使用許可はワタシがとっておきますから大きな魔法陣も展開できます
では、ワタシは朝の研究に戻ります
貴重な時間を使う甲斐のある素敵な計画表でした
ごきげんよう、リリーベルさん」
「え、あ、ご、ごきげんよう…」
ムルタイはまるで歩いていないような、浮かんでいるような、スーっとした動きで机まで戻ってしまった。
ギフトは褒めてもらえたお礼を言う暇もなく会話をシャットダウンされてしまい、少しドキドキしながら研究室を後にした。
「(不思議な先生だったなぁ…)」
ギフトは別に嫌な気持ちはしなかったが、なんと言うか、こちらの気持ちは会話には必要としてないと言うか…、ムルタイは自分が決めた基準さえ満たした回答ならばそれでよし、と言う感じだった。
「無駄のない先生なんだな
1年生は覚えることいっぱいあるしね」
「ギーフトー!」
「あ、ルルーだ」
ギフトが消化不良気味な顔で歩いているとルルーディアが可愛さを振りまきながらギフトの方へと走ってきた。
「うわぁ、ルルーって朝眠くないの?」
「え?眠いわよ?」
「でもいつも可愛さが完璧だよ」
「まあ!私を口説いてくれているの?!
答えはいつでもイエスよ!」
「え?!え〜…、違うよ
ただ褒めてるだけだよ〜」
「うふふ、戸惑うその顔、ごちそうさま」
「…あはははは〜」
ルルーディアは今日も完璧だった。
いつもはふわふわな金髪を今日は艶やかなストレートに整え、細い三つ編みを左右に3本ずつ編み込んだハーフアップはどこの舞踏会に出しても恥ずかしくないお嬢様といった感じだ。
ギフトが古典的な格好が好きと口走ってしまったばかりにルルーディアが速攻買い揃えたミントグリーンの中振袖と
葡萄茶色の袴は見事に似合っていた。
中振袖の中に着ている立ち襟の真っ白なフリルブラウスがなんとも可愛く、その袖口にも施されたフリルは中振袖からも見えるように計算されている。
そして黒いタイツに焦げ茶色の編み上げブーツはルルーディアのハイカラさんルックを芸術作品にまで押し上げている。
ギフトは「友達が可愛すぎてつらい」と言う言葉を本気で口にしたのは初めてだった。
「他の学生からの視線がビシビシ当たって居心地悪いから早く教室に行こう」
「そうかしら?いつものことよ」
「可愛い子って本当にすごいなぁ」
「私の視線はギフトのものよ」
「んんん」
キャッキャウフフしているルルーディアの手を引きながら強制的に教室へと連れて言った。
あのままあそこにいたら悪乗りした上級生がルルーディアとギフトの周りに花やら星やらを浮かべ始めてしまう。
度を超えた美少女に好かれるのも大変なのだ。
教室へ着くとトニタルアが遊びに来ていた。
「おはようトニー」
「ごきげんよう」
「おかえりギフト
おはようルルー」
「おはようギフトちゃんとルルー
ルルーのその格好可愛いね
下心が透けて見えるけど」
「そうよ、ギフトのために着て来たんだもの
下心しかないわ」
「わぁ、清々しい」
「あはははは!
ルルー最高」
トニタルアはもう自分の態度を隠さなくなったのか、怪しい色気を放ちながらフニャッと笑っている。
この急な変化でオストン=エイマクラスの生徒たちは少々混乱してはいるものの、トニタルアはこんな調子なので周りの反応をどうとも思っていないようだ。
「トニーとルルーってどうしてこんなに通じ合ってるのかな」
「似てるんじゃない?貞操観念的なものが」
「まだ子供なのに…」
「そういえば、サフィルの具合はどうなの?」
「あぁ、今日も休みだって言ってたよ」
「風邪はしょうがないよね〜」
「遅くまで勉強してるからだよ」
「でも、お見舞い行っちゃダメなのは厳しいわよね」
「カロイアレックス家はそう言う家だからしょうがないさ」
「早く治るといいね」
「ギフトちゃんがキスしてあげたら治るんじゃない?」
「その瞬間トニーもサフィルも血祭りよ」
「ルルーは真っ直ぐだなぁ」
一通り一緒に騒いだ後、ゆっくりと登校して来たパルトに連れていかれるようにしてトニタルアは自分のクラスへと戻って行った。
鐘がなる。
いよいよ2コマ続けての属性魔法の授業が始まる。
HRが終わり、ギフトはホンロンとルルーディアと一緒に実験室へと向かう。
「一緒に実験室に行くのは初めてだね」
「嬉しいわ」
「いつも席ってどうやって分けてるの?」
「使える属性が近い人で分けてるよ」
「ギフトたちは?」
「複合魔法は魔法の出力の高低で分けてるよ
何かあった時にお互いで防ぎ合わないと大事故になるから」
「うわぁ、大変そう」
「俺たちも早く複合魔法やりたいよなぁ」
「そうそう
もう単属性は自分のなら完璧よ!」
「いっぱい練習してるもんね」
ホンロンは『炎』『雷』『水』『土』『石』『気』『光』の7つが使える。
ルルーディアは『雷』『水』『風』『木』『金』『気』『光』の7つが使える。
ちなみに、ギフトは『火』『水』『木』『土』『金』『風』『雷』『気』『毒』『石』の10属性使うことができる。
今年、『毒』を使うことができるのは今のところ学生ではギフトだけだ。
「ルルーは光魔法に気の魔法を混ぜるの上手だよね」
「ああ、これはザボド一族の得意技というか、伝統魔法というか、一番最初に教えてもらう魔法だからよ
2人とも小さな頃よくやってもらわなかった?
痛いの痛いの飛んでいけ〜って
あれを本気でやるのよ、ザボド家は」
「なにそれかっこいい!」
「うわぁ、かっこいい…
ティエ家は気の魔法を内部破壊に使うからなぁ…」
「それはそれでかっこいい!」
「いやいや、大貴族の娘よ
ギフトは両方できるだろ?
光魔法は使えなくても、気の魔法の治療と破壊、よくやってるじゃん」
「でも伝統とかじゃないもの
うちのはパパの近接戦闘術と治療技術だからなんていうか2人のとはちょっと違う…」
「ギフトは本当に古くから続く系のもの好きだなぁ」
「伝統とか口伝とかかっこいいじゃん!」
「ギフトって実は80歳くらいのおばあちゃんなの?」
「違うよ!」
3人は楽しそうにギャイギャイしながら実験室へと入って行く。
実験室はまるで古くからいる薬売りの部屋のようだ。
焦げ茶色の大きな棚が壁一面に並んでおり、そこには透明なガラス板がはめ込まれた小さな引き出しがたくさんはめ込まれており、引き出しには魔法の補助をしてくれる鉱物や金属、種などたくさんの素材が収められている。
実験室の机はまさに質実剛健。
防魔加工が施された真っ黒の合金で出来た机に、いざという時に盾にもなる軽くて丈夫な椅子。
ギフトの好きな雰囲気と実用性のあるものが混ざり合った、なかなかカオスな部屋だ。
ホンロンとルルーはいつもの席へと座り、ギフトは実験室の一番後ろにある棚の前にポツンと置かれた見学者用の椅子へと着席した。
「(あぁ、なんか緊張してきたかもしれない…)」
1限目の鐘がなる。
廊下を歩く先生たちの音がする中、なんの前触れもなくいきなり実験室の扉が開かれ、ギフトはビクッと肩を震わせた。
しかし、クラスメイトは全く驚いていない。
足音がしなかったということは、やはりムルタイは魔法で少し浮いているのかもしれない。
「ごきげんよう皆さん
今日も賢そうな顔ぶれをこの目にできて何よりです
では早速授業を始めましょうか
では、リリーベルさん、前へお願いしますね」
「はい!」
驚くほど淡々とした進行具合に、緊張していたギフトは拍子抜けしてしまった。
そのおかげで肩に入っていた力は少し抜けたようだ。
「みなさん、ごきげんよう
ギフト=リリーベルです
今日は単属性でも使える複合魔法について実演したいと思います」
ギフトは手始めに右手の指先から3つの小さな魔法陣を出し、手のひらで合わせると、丸い氷を作り出した。
「今わたしは複合魔法の一つである氷の魔法を使い、この丸い氷を作りました
使った属性は『水』『石』『風』です
実はこの氷の魔法は、いくつかの条件が合えば単属性魔法でも再現が可能です」
ではみなさんに最初の質問をします
単属性で複合魔法と同じような魔法を使うためにはどうしたらいいでしょう?」
「はい!」と元気よくホンロンが手を挙げた。
「では、ティエくんお願いします」
「はい!まず、環境で考えるならば多湿で低気圧の場所がいいと思います
雨が降っていれば熟練した魔法使いなら余裕でしょう
水分さえ十分にあれば、『風』の魔法で氷を作り出すことは可能です」
「正解です
その通り、水があれば氷の魔法は風属性だけで作り出すことができます
ではなぜわたしが石属性の魔法を使っているかというと、石魔法で作り出した
塵を核として周りに水魔法で水滴をつけ、風魔法で冷やしているからです
木属性の小さな種を核にしてもいいと思います
熟練した魔法使いならば核を用意しなくても水と風で氷魔法ができます
では水属性しかない場合はどうでしょうか?」
「はーい!」
ルルーディアが元気よく手を挙げた。
「では、ザボドさんお願いします」
「はぁい!多湿ではなくても、零下の地域なら可能です
さらに極寒の地ならば火属性だけでも氷を作り出すことができます
水を火で蒸発させて細かい霧状の粒にしてから零下の空気に晒して結晶化し、浮遊魔法で細かな氷を集めて丸めるたり鋭利な刃にすることが出来ます」
「ザボドさん、詳しい説明をありがとうございます
このように、氷魔法を使う、という目的を達成するためには必ずしも水や風、核となる補助魔法が必要なわけではないのです
では無属性の人が氷魔法を使うにはどうしたらいいかというと、必要な素材を全て用意して浮遊魔法や結合魔法を組み合わせるか、水属性の妖精を連れて行ったり、風属性の妖精を連れて行く、というのが一番手っ取り早いです
しかし、わたしたち1年生ではまだ魔力の生成と消費が追いつかず、妖精を連れて歩くだけで疲れてしまうこともあります
それに、妖精を従えるためには妖精から選んでもらい、一緒にいることを望んでもらわなくてはなりません
この先もっと魔法について強くなれたなら雪を自然発生させられる能力を持った妖魔を同行させるのも一つの手です
では、今日は氷魔法に限らず、単属性魔法で使うことのできる複合魔法を使って見ましょう」
ギフトは単属性ごとに用意したいくつかの『魔法レシピ』を黒板に貼った。
「では、このレシピの中から興味のあるものを選んで早速やって見ましょう
わたしとムルタイ先生がそれぞれの机を回ってお手伝いします
質問はいつでもしてください」
「「「「「「はーい!」」」」」」
生徒たちの元気な声とともに実験が始まった。
ギフトが用意したレシピの一部はこちら。
*硝子魔法を使ってみよう
*霧魔法を使ってみよう
*毒魔法を使ってみよう
*氷魔法を使ってみよう
*樹脂魔法を使ってみよう
*油魔法を使ってみよう
*火薬魔法を使ってみよう
*酒魔法を使ってみよう
*紙魔法を使ってみよう
*インク魔法を使ってみよう
*ガス魔法を使ってみよう
*金属魔法を使ってみよう
*陶器魔法を使ってみよう
…など
これらは全て材料さえあれば単属性魔法で出来るものだ。
実験に必要な他の属性を持っている子と協力してもいい。
この授業で一番大事なのは『工夫すれば出来る』ということを学ぶことだ。
魔法は錬金術とは違い作り出したものが永遠に残るわけではない。
錬金術は【等価交換】が原則であり、そのため、用意した材料を余すことなく使うことができるので最初は料理や薬の分野で目覚ましい発展を遂げてきた。
一方魔法は『防ぐ』『守る』『壊す』『時を進める』『時の進みを鈍くする』などが主な効果だ。
治療の際は回復を早めるために相互作用する魔力を使っているので結果的に対象となる負傷者の魔力や命の一部が必要となる。
魔法は万能ではない。
だからこそ魔法使いが錬金術を習うことには大きな意味があるし、属性魔法を学ぶことによって何をどうかかわらせたらどういう結果が出るかを知ることができるのだ。
ギフトとムルタイは各机を巡りながらアドバイスをしたり実際にやって見せたりした。
ムルタイはさすがとしか言いようのないくらい教え方がうまかった。
指から出した魔法陣と素材を使う順番に上から浮遊魔法で並べ、なぜAに魔法陣を反応させるとBになり、それをCに混ぜるとDになるのかを丁寧に教えている。
不思議な雰囲気の先生だが、授業に感情を混ぜない分、とても理路整然としていて話も見た目にもわかりやすい。
ただなんとなくギフトが感じたのは、学生に対する愛はとてもあるんだろうなぁということだ。
丁寧な話し方もそうだが、生徒が提案した工夫に対して「一度やってみましょう」と一緒になって考えてくれるし、失敗したときは「この方法は選択肢から外せるようになりましたね」と言ってくれる。
大げさにポジティブを振りまくことはしないが、あくまでもフラットに失敗も成功も「いい判断です」と言ってくれるのだ。
ムルタイが1、2年生の低学年担当の意味がよくわかった。
この教え方ならば生徒たちも属性魔法がこの先どんどん難しくなっていっても自信を失わずに対処できるだろう。
「(わたしも両親の超絶スパルタじゃなくてムルタイ先生の授業だったらもっと心にゆとりが持てたのかもしれない…)」
実験室のあちこちで嬉しそうに「できたぁ!」と声を上げる生徒たちの可愛い笑顔が咲き誇っている。
こちらにも嬉しそうな生徒が2人、ビーカーを片手にギフトに向かって手を振っている。
「ねぇねぇギフト!
ルルーが作った毒を中和する毒を作ってみたんだけど、これで合ってる?」
「ああ、ちょっと待ってね
そういう時は〜…、あったあった」
ギフトは棚から
繭玉を取り出すと2人に渡した。
「まず何でもいいからルルーが作った毒に色素を混ぜて、色がついたら繭玉を浸してみて」
「じゃぁ紫色にしようかしら
毒っぽくて可愛いわ」
「毒に可愛いも何も…」
「あら、見た目は大事よ?
ホンロンだって騙されて裏切られるならブスよりも美人がいいでしょ?」
「な、なんてことを言うんだルルーは!」
「でもそうだよね〜」
「そうそう
美女の加虐性って魅力的だよね」
「女子って怖い」
「よし、混ざったわ!
繭玉って意外としっかりしてるのね〜
あらあら、色がついていくわ」
「おお、いい感じいい感じ」
ビーカーの中で紫色の繭玉がしんなりとしている。
ルルーディアが色をつけた繭玉を毒が飛び散らないように触れないように浮遊魔法でゆっくりとシャーレに取り出す。
「じゃあこの繭玉にホンロンが作った毒を一滴ずつかけていってね
中和する毒って言っても、使う量によっては中和を超えて別の反応をしてしまうこともあるから慎重にね!」
「はぁい!」
「一滴ずつ、一滴ずつ…」
一滴、一滴とスポイトでホンロンがゆっくり垂らしていく。
4滴目で繭玉がふわぁっと元の白に戻っていった。
「おお!戻った!」
「成功だね」
「4滴で戻るってちょっと早いのかしら?」
「そうだね
ホンロンが作った毒は少し強目だったかもね」
「俺は優秀なのかもしれない」
「ホンロンはもちろん優秀だよ
ルルーも優秀
わたしの友達はみんな優秀よ
だからわたしみたいにスパルタで血反吐はけばすぐにでも同じレベルに…」
「遠慮します」
「ギフトのことは大好きだけどその提案には同意しかねるわ」
「と、友達でしょ?!」
ギフトは友人たちから修行に関する同意を得ることはできなかったが、1限目の終わりのチャイムも2限目のチャイムも聞き逃すくらい熱中しているこのエイマクラスのみんななら自分と同じメニューの鍛錬をこなしても絶対ついてこれるだろうと心の中で確信した。
…もう一度言ってみても同意は得られなかったが。
その後、残りの繭玉にはあえて多めに毒を垂らしてみたら、繭玉は溶けたり発熱したりといろんな反応を見せた。
ギフトが思わず笑ってしまったのは、ホンロンとルルーディアがずっと危険な魔法ばかりに手を出そうとしているからだ。
この2人は何というか良い意味で子供らしさと「早く大人になりたい」気持ちが同居している。
だからこそギフトは居心地がいいのかもしれない。
早く身体と実年齢が合うようになったらもっと面白いのになぁと、幼い友人の成長に目を細めて微笑むギフトであった。