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    【遊戯王5D's】ウタカタ1.ただいま2.おかえり3.ごまかし4.やくそく5.よかった6.しんじつ7.ウタカタ1.ただいま 鬼柳がふと気が付いたとき、目の前には遊星がいた。あれ、オレは何をしていたんだっけ?と鬼柳はぼんやりと考える。すぐには思い出せず、鬼柳の思考はふわふわと掴み所のない場所を滑るばかりだった。
    「鬼柳、大丈夫か?」
     本当に心配そうな表情で遊星が尋ねた。思い詰めた様子で、今にも泣いてしまうんじゃないか、と思わせるほどだ。ひょっとしたら自分は、チームの闘争でへまをやらかしたのだろうか。サテライトには荒くれ者が多いのだ。鬼柳はデュエルの腕前は際立って優れていたが、拳を使った喧嘩においては、案外簡単に倒れてしまうこともしばしばあった。だからと言って弱いわけではない。多人数を相手取って不足はない力は持っている。ただ、正々堂々真正面から戦おうとする鬼柳の性格と、そうした喧嘩は相性が悪い。卑怯な手を使われれば鬼柳はあっという間に不利になるが、鬼柳自身は小細工無しで臨んでいくので、罠にかかりやすいのだ。
    「平気だから、そんな顔すんなよ」
    「そうか……良かった、本当に」
     遊星は一瞬何かをこらえるように表情を歪めてから、ぎゅっと鬼柳を抱き締めた。その時初めて、膝の上に抱えられていたのだと気付いた。確かに遊星は心配性だとは思っていたが、少し大袈裟だなと鬼柳は思う。たかが倒れたくらいでそこまでしなくても。
    「ダークシグナーは、あの二人以外みんな戻ってきたらしい。決着は付けた。もう闘う必要なんか、ないんだ」
    「……ダーク、シグナー?」
     聞き覚えのない単語に鬼柳は首をかしげた。復唱してみても、記憶にかすりもしない。何なのだろう、それは。
     鬼柳から体を離した遊星が、同じように不思議そうな表情をした。
    「どうした? 記憶が混乱しているのか? シグナーとダークシグナーとか、赤き竜と冥界の王とか、地縛神だとか。一つくらい聞き覚えはあるだろう」
    「いや、全然……つーかここどこだ? オレ、今まで何やってたんだ?」
     段々と不安になってきて辺りを見回す。まったく見覚えがない。そもそも、サテライトならばそんな場所があること自体がおかしかった。鬼柳たちはサテライトを統一したのだから、知らない場所などあるはずないのだ。
     統一した?
     ふと引っ掛かるものを感じた。そうだ。鬼柳たちはサテライトを統一したのだ。それで、自分はどうしたのだったか? 散らばった記憶のかけらを集めて少しずつその後のことを思い出していく。そして、辿り着いた。鬼柳は、すうっと血の気が引いていくのを感じながら、間違えようもない記憶の映像を目の前にする。
    「オレ……確か、セキュリティに捕まって、それで……」
     そのまま、死んだはずだった。ラストデュエルの悲願も叶わずに、たった一人独房で、その一生を終えたはずではなかったのか。何故自分はここにいる? 何故、遊星が鬼柳の側にいるのだ?
    「何でオレ生きてるんだ? それに、お前……」
     鬼柳を、セキュリティに売ったはずではなかったのだろうか。見たところここはセキュリティとは関連のなさそうな場所に見えるのだが、あそこから脱出できたなんて記憶はない。
    「鬼柳……?」
     遊星が不安げに揺れる瞳を向ける。さっきとは少し毛色の違う、怯えを含んだような不安を感じているように見えた。
     死ぬ直前、ほとんど抜け殻のようになっていた鬼柳が、自己を保つために抱いていた思いは、ただ仲間たちに、遊星に復讐したいという気持ちだった。そうでもなければ、裏切られた喪失感と、はらわたを絶つような悲しみに押し潰されて、鬼柳の心はとっくに壊れていたに違いない。憎しみで満たすことで、辛うじて均衡を保てたのだ。しかしその裏側には、どうして、という疑問が常に根を張っていた。仲間だったんじゃないのか、どうして裏切った、どうして最後までオレと闘ってくれなかった、ラストデュエルさえできればその後オレは生きていようが死んでいようが何があってもどうでも良かったのに、笑いながら死ぬことだってできたのに――どうしてと繰り返す度に鬼柳の心は少しずつ砕けていった。その隙間を埋めるように、憎しみが少しずつ忍び込んでいった。ひっそりと、確実に。
     そうだ、オレは遊星が憎かったんだ、と鬼柳は思いながら、何か言いたそうでいて、言うべき言葉が見付からないというような面持ちの遊星を見上げた。
    「オレは、お前に復讐したかった。お前が憎くて、殺してやりたいと思ってた」
     遊星がいよいよ表情を固くする。恐れていたことが現実になったような、そんな気持ちが見て取れた。
    「だが、不思議だな……」鬼柳はふと表情をやわらげて、遊星の頬に触れた。
    「今は何にも感じねえんだ。なんか、洗い流されたみてえにさ……やっぱり、お前を憎むなんて、オレには無理みたいだ。お前らはオレの大切な仲間なんだもんなあ……たとえお前にとっちゃ、オレが仲間じゃなくても」
    「そんなわけないだろう!」
     遊星が突然強い口調で遮ったので、鬼柳は言葉を止めた。強い光を宿した青色の瞳が、まっすぐ鬼柳を見つめている。
    「お前がオレたちと道を違える日があっても、オレはお前のことを仲間じゃないなんて思ったことはなかった。今までも、これからもそうだ」
     秋のすっきりと晴れた空のような深い青色には一点の曇りもなく、ひたすらに真摯でまっすぐな思いが鬼柳に向けられていた。遊星は嘘なんかついていないと、鬼柳にははっきりと分かった。短い間でも、鬼柳は遊星たちのリーダーだったのだ。本気なのかそうでないのかくらいは、判断がついた。
     雨の中、セキュリティの男に肩を叩かれている遊星の姿は今でも鮮明に浮かんで来る。にやにやと品のない笑みを浮かべた男の手を払うでもなく、遊星は黙ったまま見つめていた。いつも通りの仏頂面があの時ほど遠く見えたことはない。所詮、遊星にとって自分はただの余所者でしかなかったのだとその時の鬼柳は思った。だから、あんな風に表情一つ変えないで立っていられるのだと。
     しかし、今の遊星の言葉から偽りや誤魔化しは微塵も感じられない。仲間だと、遊星は言った。その言葉を信じたいと鬼柳は思う。記憶の中の鬼柳を売った遊星よりも、目の前の遊星を信じたい。
    「また……友達でいてくれるのか」
     鬼柳が問い掛けると、遊星は泣き出しそうな顔で「バカだな」とぎこちない笑みを作った。
    「またも何も、元々オレたちは友達だろう」
    「……そう、だな」
     ぼろぼろで、割れたガラスのように尖っていた心の隙間が温かいものに満たされていく。自分の身すら焼いてしまうのに、決して暖めてはくれない憎しみよりも、ずっと安心できて気持ちが落ち着いた。
     こんなあたたかさには、長いこと触れていなかった。遊星とジャックとクロウと、四人でいた時にはいつも側にあったのに、鬼柳は気付くことができなかった。そしていつの間にか見失って、ウタカタのように消えていた。それが今、目の前にある。
    「行こう、鬼柳。ジャックとクロウも、お前を待っているぞ」
     鬼柳は頷いて、遊星の手を取って立ち上がった。遊星の手は、こんなに広かっただろうか。頼もしくて温かい手だった。
    2.おかえり「よお。えーと……多分、久し振り?」
     遊星の後ろから続いて部屋に入り、そんな月並みな台詞を吐きながら鬼柳は片手を上げてみせた。
     鬼柳と遊星が足を踏み入れたそこは、広くはないし古臭い作りの部屋だったが、埃は見当らなく小綺麗に調えられている。その真ん中に位置する皿の並んだ長方形の机には、ジャックとクロウが向かい合わせに座っていた。ちらりと目をやって確認したところ、皿の中身はカレーだ。黄色っぽいルーと白い米を見たら、鬼柳も少し腹が減ってきた。カレーなんかいつ以来だっけなあ、と現実逃避にも近い感慨を抱く。というのも、ぽかんとした様子でクロウが固まっているからだ。スプーンを咥えたままぴくりともせず、鬼柳を凝視している。しかも、黙ったまま。クロウとは喧嘩別れに近い形で別れてしまったから、余計に気まずい。クロウはまだ怒っているのだろうか。この反応からではどちらとも判断がつかない。
     ちなみにジャックは、鬼柳が中に入ったとき一瞬目を見開いたのが見えたが、すぐに表情を取り繕っていた。そして、余裕のある仕草で湯呑みのお茶を啜る。
    「疲れているのだろうか……鬼柳の幻覚が見える」
     湯呑みを悠然と机に置いてからのジャックの一言だった。
    「おいっ幻覚じゃねえよ。本物だ本物!」
    「ジャック、オレもかなりやべーよ。幻覚どころか幻聴レベルまでいっちゃってるぜ。どうしようオレもうダメかも」
    「クロウ、てめーもか!」
    「まだ成仏してなかったか鬼柳……今度しっかりと供養してやらんとな」
    「だから幽霊でも幻覚でもねえっつーのおお!!」
     鬼柳が思わず怒鳴ってジャックに詰め寄ると、ジャックはぷっと吹き出して肩を震わせ笑い始めた。
    「ふっ、冗談だ。お前のこの反応、本当に久し振りだな」
     ジャックが驚くほどやわらかい笑顔でそう言ったので、鬼柳は毒気を抜かれてジャックの胸倉を掴んでいた手を緩めた。
    「つーか鬼柳、本当に、今度こそ生きてんだよな?」
     今度はクロウが鬼柳を見上げてそう尋ねたので、「まあ、一応」と返す。生きているという実感が鬼柳自身まだあまりなかったので、そう答えるしかなかった。しかし、そんな曖昧な返答でもクロウには十分だったらしい。目が覚めたときに見た遊星と同じような表情に変わった。
    「このやろー、心配かけさせやがって!」
     腕で目許を覆い隠しながら、クロウは鬼柳の腹に一発軽く拳を入れる。ほとんど衝撃を感じないくらい手加減されていたので、痛みはない。
     正直、ジャックとクロウに会いにいくのは不安だった。確かに遊星は二人も自分を待っていると言ってくれたが、鬼柳と二人とは途中で離反してしまった仲だ。おまけにあんな事件を起こした後では、今更会いに行っても嫌な顔をされるのではないかと、たまらなく心細い気持ちがしていた。それなのに、二人は昔と変わらない態度で、鬼柳を受け入れてくれた。笑いかけてくれた。そのことに何だか少し泣きそうになった。
    「そういえばよー、お前は知らないだろうがあの後色々すごかったんだぜ。遊星もジャックも大変だった。それに、実はオレもシグナーだったみたいでさ。びっくりだよなー」
    「へ、シグナー? って、何だ?」
     確か遊星もそんな単語を口にしていたような気がするが、やはり耳慣れない言葉だった。そんな鬼柳の戸惑った反応に、クロウは面食らったような顔をする。
    「何寝ぼけてんだよ? ほら、シグナーっつーのは――」
    「無駄だクロウ」
     何か説明しかけたクロウを遮って口を開いたのはジャックだった。訝しげに振り返るクロウに向けて、更に続ける。
    「カーリーも何一つ覚えていなかった。鬼柳も同じなのだろう」
     また、聞き覚えのない名前だ。さっきから、三人と鬼柳の間で噛み合わない何かがどこかに存在している。遊星の最初の反応もそうだったし、今のクロウだってそうだ。何かが、鬼柳の中から抜け落ちているのだ。
    「だが、その方が良かったのかもしれないな」ふとジャックが自嘲めいた笑みを浮かべた。「カーリーだって、あんな記憶などない方が……」
    「ジャック!」
     今まで黙っていた遊星が突然鋭い声で遮った。その途端はっとしたような顔をしたジャックが、一瞬だけ鬼柳に視線を移す。
    「……今、話すべき内容ではなかったな」
     また何でもない調子でジャックは言ったが、鬼柳はあのわずかな時間で視線に込められていたものを既に見抜いてしまっていた。あれは、何か鬼柳に隠しておくべきことを言い掛けてしまっていたのだろう。それを察した遊星が先を言わせないように遮った。多分、そういうことだ。でなければ、ジャックがあんなバツの悪そうな目を自分に向けるわけがない。
     これは、何かあるな、と鬼柳は思った。三人との間で何かが噛み合わないのもきっとそれに関連している。しかし、遊星たちが意図的にその話題を避けている以上、鬼柳が探りを入れるということもできそうにない。取り敢えずは、保留すべきか。
    「今日は、細かいことは無しにしよう」
     見計らったかのようなタイミングで遊星が口を開く。
    「とにかく、お前に言うべき言葉は一つだ」
    「え?」
    「おかえり、鬼柳」
     普段は真一文字を描くばかりの遊星の唇が綻んで、ゆるく弧を描いていた。
    「そうだな。まずはそれを言うべきだった。よくぞ戻ってきた、鬼柳」
     不遜なまでの自信に満ちた笑みの中に、やわらかい優しさが含まれたジャックの笑顔に目を移し、更にニッといたずらっぽい満面の笑みを浮かべたクロウを見る。
    「やっぱりお前がいねーと張り合いがねえからなー。本当に、おかえり」
    「お前ら……」
     胸が熱くなって、視界がじわりと滲んだ。なくしたはずの絆と、見失ったはずの仲間がまた手の届く距離にあるのが嘘みたいで、本当に嬉しかった。
     仮にもリーダーが泣くなんてカッコわりいよな、とは思いつつも涙は止めようと思って止められるものでもない。仕方なく、手の甲で目をごしごしこすって、何とか笑い返してみせる。多分、後で自分が見返したら笑えるくらい情けない顔をしているに違いない。それでも今の鬼柳にはこれが精一杯だった。
    「ありがとな。ただいま……遊星、ジャック、クロウ」
     拳を四人でこつんと突き合わせる。サテライトで走り回っていたときにはいつもやっていたものだ。ひどく懐かしさを感じた。
    3.ごまかし「憎みきれなかった。お前を……」
     遊星の腕の中に抱えられながら、鬼柳が力ない笑みを作る。鬼柳を駆り立てていた憎しみや狂気は既に影も残さずどこかに消えていて、初めて遊星が会った時の鬼柳と同じ目をしていた。遊星が好きだった、澄んだまっすぐな瞳だ。未来への希望も幸せも感じられず、ただ廃棄物に囲まれ黒い煙にむせながら死んでいくしかないと思っていた遊星たちに、鬼柳はちっぽけでも希望をくれた。あんな掃き溜めのようなサテライトでも、掴める未来があるのだと、鬼柳は教えてくれた。
    「しっかりしろ鬼柳! オレは友を見捨てない……!」
     せっかく、もう一度会えたのに、と遊星は思う。たとえ鬼柳の見ているものが遊星とは違ってしまっても、目の奥の光が濁ってしまっても、それでも遊星は鬼柳が好きだった。仲間として、友として側にいてやりたいと思ったし、できることなら元に戻してやりたかった。四人が同じ志を持っていた頃の、皆のリーダーだった鬼柳に。
     今度こそ救いたかった。一度目はどうすることもできず、いたずらに鬼柳の心を傷付けてしまっただけだったから、自分の無力さをただ痛いほど味わっただけだったから、もう一度会えた今度こそはと遊星は強く決意していた。それがどうだ、この有様は。結局、遊星には鬼柳を救えない。土壇場で、最後の最後でまた駄目なのだ。自分という男は、何と無力なのだろうか。友人のたった一人さえ助けられないのだ!
    「泣くなよ遊星……お前は、もうオレを救ってくれたじゃねえか……」
    「救ってなんか! オレは、また何もできなかった……!」
    「お前の、その優しさが……オレをあの地獄から掬い上げてくれたんだ」
     お前みたいな仲間がいて、オレは幸せ者だったな、と鬼柳は微笑んだ。鬼柳の言葉が胸に突き刺さって、何も言えなくなる。力の及ばなかった遊星でも仲間だと認めてくれるのが、かえって辛かった。
    「カッコわりいよな……こんなんじゃ、満足、できねえぜ……」
     突然鬼柳の体の感触が消えた。そのまま灰が何もかもを奪って遊星の手からすり抜けて行く。
     鬼柳が、どこにもいない。遊星の腕の中にも、この空の下にも、どこを探してもいないのだ。まるでウタカタみたいだ、と遊星は思った。跡形も残さず消えてしまった。
    「鬼柳……」
     親友を思って、遊星は涙を零した。




    「ねえ鬼柳! オレとデュエルしようよー!」
     はっと我に帰る。声のした方を見ると、龍亞が鬼柳の方に駆け寄っているところだった。
    「も~、龍亞ったら。鬼柳さんだって、毎日暇ってわけじゃないのよ?」
     呆れたような顔で龍可が腰に手を当てる。
    「いや、オレは別に構わねえぜ」
    「つーか、実際毎日暇だよなお前」
    「何だとクロウ!?」
     にやにやと笑うクロウを振り返って睨み付けたあと、鬼柳は龍亞に挑戦的な笑みを向ける。
    「ふふん、オレのインフェルニティに果たして対抗できるかな?」
    「もっちろん。オレのディフォーマーだって、すごいんだからな!」
    「へっ、そう来なくっちゃなァ!」
     二人はデュエルディスクを手に取ると、デュエルをするために外に出ていった。
    「毎日飽きないわね」アキが窓の外に目をやる。
    「龍亞、なんか意地になってるみたい。今度こそ絶対勝つんだー、って」
     龍可もアキの隣に移動して、窓枠に手を掛けてガレージの外を眺める。鬼柳と龍亞が、モンスターやカードを挟んで対峙していた。
    「そういえばジャックは?」
     遊星が尋ねると、クロウがどさっとソファに座りながら答えた。
    「ああ、あいつならカーリーと出掛けてったぞ」
    「そうか」
    「あーあ、あいつもいっちょまえに彼女持ちかー」
     羨ましいねまったく、と別に羨ましくなさそうな調子でクロウはぼやいて、家計簿のチェックを始めた。
     少し前までは、完全にただの夢の話でしかなかった日々を遊星は送っている。何か強大な敵と命や世界をかけて闘う必要もなく、ただ仲間たちと平穏な生活を送ることができる日々だ。この毎日がいつまでも続いていけばいい、と遊星は思う。
     鬼柳が戻ってきたときは本当に嬉しかった。鬼柳はダークシグナーのときのことを一切覚えていなかったが、最後に分かり合えた、あの気持ちだけは忘れていないようだった。それだけで十分だ。それに、あの記憶を思い出して何になる? あの時ジャックが言い掛けたことは痛いほど分かる。ダークシグナーの記憶などないほうがいい。思い出したところで鬼柳が自分を責めるだけだろう。
    (……いや、これは本当の理由じゃない)
     その時、遊星の中で別の声が囁いた。
    (オレは、あいつを救えなかったことを鬼柳に思い出して欲しくないだけだ)
     確かに鬼柳は戻って来た。それでもこの手の中から鬼柳が灰になって消えたことには変わりがない。二度も間接的に鬼柳を殺した、という思いが、遊星に重たい罪悪感を与えていた。いや、殺したというのは大袈裟なのかもしれない。それでも遊星にとってはそう思えてならないのだ。
     その日の夜、アキ達が家に帰り、ジャック達が眠った後でも、遊星は眠る気になれなかった。昼間、鬼柳が目の前で消えたときのことを思い出してしまったのがどうやらいけなかったらしい。布団を引きかぶっても、ざわざわとした落ち着かない気持ちがまったく消えず、じっとしていればいるほど余計に目が冴えていった。
     駄目だ。諦めて今夜は新エンジンの考案でもして時間を潰すしかない。遊星はゆっくりと身を起こして重い足取りで自室からDホイールのあるガレージの一階へと向かう。
    「……遊星?」
     ぴたっと足を止める。鬼柳が、壁に寄り掛かって立っていた。窓から漏れる月の光に照らされて、鬼柳の水色の髪がほのかに光っている。
    「鬼柳。どうした、眠れないのか」
    「ああ……ちょっとな」
    「実は、オレもそうなんだ」
     何か飲むか?と聞けば、鬼柳はこくりと頷いた。そこで遊星は鬼柳と一緒にキッチンへ行くと、二人分ホットミルクを作り、マグカップの片方を鬼柳へ渡す。
    「熱いから気を付けろ」
    「さんきゅ」
     二人でソファに座り、ちびちびとミルクに口をつけた。暫く沈黙が続く。遊星は元々喋る方ではないのでむしろこの状態が普通なのだが、鬼柳はとなると少し変だった。騒がしさで言ったら鬼柳以上の男はそうそういないはずだ。それなのに、今夜は不思議なほど静かだった。別にジャックたちが寝ているからといって気を使うような男ではないのだが、どうしたのだろうかと遊星はぼんやりと考える。
    「あのさあ……」
     ぽつりと静けさに鬼柳の声が混じる。
    「お前の話だと、お前とオレはシグナーとダークシグナーとかいうやつで、よくわかんねーけど闘ったんだよな」
    「あ……ああ」
    「なあ、その時本当は何があったんだ?」
     鬼柳が真剣な表情で遊星の目をまっすぐ見つめた。
    「オレ、ダークシグナーの頃のこと全然思い出せねえけど、何か……すごく大きなことを忘れているような……」
     鬼柳がふと視線を落として口許に手をやる。
     鬼柳には事実をかなり曖昧にぼかして伝えていた。ただ、遊星と鬼柳は命懸けのデュエルをして、その時鬼柳は負けたが、もう一度この世に戻ってきたのだとだけ言ってある。鬼柳が遊星達を憎んでいたこと、まして殺そうとしていたことなど話せるわけがなかった。
    「何を言うんだ。そんなこと、あるわけないだろう?」
     考え過ぎだ、と遊星が笑って流すと、鬼柳は「そうか……」とまだ訝しげな様子ながらも納得してそれ以上聞いて来なかった。
     どうかこのまま忘れていて欲しい。その思いは、果たして鬼柳の為に生まれたものなのだろうか。それとも自分の為なのだろうか。遊星には分からなかった。
     しかし、どちらにしろ変わらない確かなことがある。鬼柳が屈託なく笑っていられるなら、それ以上は何も望まない、ということだ。
    4.やくそく いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。鬼柳が暇を見てはバイトをして金を稼いでいたのは知っていたし、どこか遠い国の地図を買ってきて一人眺めているときがあるのも知っていた。そして窓の外を見つめる鬼柳の目がずっとずっと遠くに向けられているのも、全部分かっていた。振り返ってみればチームサティスファクションをやっていたときも鬼柳は時たま濁った灰色の空を見つめてはたまにそんな表情をしていたように思う。
    「どうせオレたちはサテライトから逃げ出すことはできない」
     遊星たちの前に初めて現れたとき鬼柳はそう言ってサテライトの地図を広げてみせた。
    「だったら、ここで満足するしかねえ」
     その提案の大胆さと何にも屈しようとしない固い矜持に遊星達は魅せられた。あのジャックまでもが鬼柳の下に付くことを許したのだから、遊星達は大概鬼柳という異端児の存在に酔っていたのだと思う。しかし、酔っていたからこそ鬼柳の内面までは目を向けることができなかった。
     今でもはっきり思い出せる光景がある。四人が勝手に住家にした、今にも崩れ落ちそうな廃ビルの、ヒビが入って割れた窓ガラスの向こうをぼんやりと鬼柳は見上げている。その横顔は、今まで過ごした期間を感じさせないくらい遠かった。放って置いたらそのままどこか知らない場所に行ってしまいそうだった。だから、何に対して、と聞かれたら答えられないような掴み所のない不安を感じて遊星は思わず鬼柳の腕を掴んでいたのだった。
    「うおっどうした?」
    「……分からない」
     びっくりしたように遊星の顔を振り向く鬼柳にもそう答える他はなかった。鬼柳は笑いながら「なんだそりゃ」と遊星の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
    「さてはオレがどっか行っちまうとでも思ったんだろ? バカだなあ。オレたちは逃げる場所だってどこにもないんだぜ」
     行きたくたってどこにも行けやしねえよ、と鬼柳はもう一度笑った。その笑顔にほっとすると同時に、遊星はちくりとした痛みも感じていた。
     今になって思えば、鬼柳のあの少し陰の差した視線はどこかシティに行く直前のジャックに通じるものがあった。ジャックはいつも海の向こうを黙って見据えては何か考え込んでいた。睨むような鋭さの中に、現状に対する不満や焦りが渦を巻いていた。このまま何か大きなことを成し遂げるでもなく土くれとなって死んでいくだろう未来への強い反発がジャックをシティへと導いた。それと同じように、鬼柳もその薄暗い未来を退けようとして失敗し、結局セキュリティに捕まって一度目の死へと向かって行った。
     鬼柳はサテライトから出たかったのだ、と遊星は思う。ここで満足するしかないという言葉の裏側には、脱出への渇望と、それが叶わないどうにもならない挫折感があったに違いない。鬼柳のそういった気持ちが垣間見えた瞬間が、曇り空を眺める時のあの表情だったのだ。

    「行ってしまうのか?」
     いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。
     最低限の荷物だけを持って、早朝のまだ薄暗いオレンジ色の中を進んで行こうとしていた鬼柳がふと足を止めて、決まり悪そうな顔でゆっくり振り返る。
    「見付かっちまったか。誰も知らないうちに行こうと思ってたんだが……」
     旅に出ますと、やけに丁寧な字で一言だけ書かれた小さな紙がDホイールのあるガレージの机の隅にちょこんと置いてあった。旅に出るなどという話をまったく聞かされていなかったにもかかわらず、遊星は今日は何とはなしにこんな早い時間に目が覚めたのだった。勘が働いたのか、偶然なのかは分からない。
    「お前らの顔見たらきっと決心が鈍るから、絶対会わないようにしようと思ったのに……まいったな」
     やっぱり遊星にはかなわねえなあ、と鬼柳は困ったような諦めたような微笑みを浮かべた。
    「だが、オレが止めても行くんだろう?」
    「ああ、そのつもりだ」朝焼けに照らされる鬼柳が空を見上げた。
    「この空の下にオレの知らねえ世界がたくさんある。一度でいいから地平線ってものを見てみたいし、どっかの国のまったく知らねえやつとデュエルをしてみたい。どうせサテライトから出られたんなら、オレは世界ってものを見てみたいんだ」
    「……そうか」
     サテライトの統一を目指していた頃かすかに鬼柳の目を曇らせていた陰は拭い去ったようになくなっていた。太陽に僅かに赤く彩られた、自由を手に入れた喜びに綻んでいる横顔を見ては、やはり止めることなどできはしないと思う。ずっと前から鬼柳はそうしたかったのに違いないし、鬼柳が決めたことに遊星が口を出す権利もない。そんなことは重々承知している。だから、遊星は最低限の短い言葉だけを口にする。
    「満足したら、戻ってこい」
     遊星が、今絶対に伝えておかなければいけないことだ。
    「ここがお前の帰るべき場所だから」
     鬼柳はきょとんとした様子で瞬きをする。それから、照れくさそうに破顔した。
    「ああ」
    「じゃあ、約束だ」
     真面目な表情で片腕を上げて拳を出した遊星に、鬼柳が自分の拳を軽くぶつける。
    「満足したら。また会おうな」
     ああ、と遊星は無表情に頷く。たとえ鬼柳が旅に出てなかなか会うことができなくなったとしても、あの時のように鬼柳が消えてしまったわけではないのだ。寂しくないといえば嘘になるが、そう考えればそんなにつらいことでもなかった。むしろ、鬼柳がこの空の下に存在していて、いつか帰って来るという約束がある今の方がずっとましだ。遊星はそんなことを思いながら、鬼柳の背中が見えなくなるまで、そこに立って見送っていたのだった。
     こうしてガレージの住人は、一人減った。
    5.よかった「ねえ聞いてよ遊星! オレ今日授業で三連勝だったんだ、すごくない!?」
    「龍亞、はしゃぎすぎ」
     龍亞が扉を開いて遊星のもとまで駆けよってくる。その様子をあきれ顔で眺めながら、妹の龍可も歩いてやってきた。いつでも元気いっぱいな兄とは違い、龍可は年齢よりも大人びたところがある。
    「そうか、それはすごいな」
     遊星が笑いかけると、龍亞は嬉しそうな満面の笑みになった。
    「うん! オレもいつか遊星やジャックみたいなカッコいいデュエリストになれるかな?」
    「なれるさ。お前がお前のカードを信じる限り、カードは必ず応えてくれる」
    「そうだよね! ありがと遊星!」
     ねえジャックはどこ?とはしゃいだ様子でガレージの中をきょろきょろ見渡す龍亞に、向かいの喫茶店じゃないかと教えてやった。そのうちクロウも配達から帰ってくる。ジャックがコーヒーを飲んでいる姿を見つけてかんかんになるのも時間の問題だろう。そんな日常が愛おしくて、遊星はふとした瞬間に頬を綻ばせてしまうことが多くなった。自分がこんな風に笑う日が来るなんて考えたこともなかった。
     届いた郵便物を整理していて、遊星は一枚のはがきを見つけ思わず手を止めた。どこにでもありそうなご当地ポストカードだ。その地域の有名な観光スポットの写真が印刷されている。
     裏返すと、AIR MAIL JAPANの文字、それにここの住所と不動遊星様という宛名が見慣れた字で書いてあって、その下に走り書きで「エジプトすげぇ!! ミイラミイラ!」と一言添えてある。確かに写真はミイラのアップだった。たった一行しかないのに、思わず遊星はふっと噴き出してしまった。
     月に二度くらいの間隔で、鬼柳からハガキが一枚届く。そしていつも走り書きで一言だけコメントが付いている。前回は「マーライオンには失望した。おすそわけ」というハガキだった。おすそわけというのは恐らく表の写真の遠すぎて小さく映っているマーライオンを指したものと思われる。
     大体ひと月で常に相当の距離を移動しているが、鬼柳はいったいどういう生活を送っているのだろう。鬼柳からの連絡はこのはがきだけなので、遊星には想像することしかできない。いつか帰ってきたら訊いてみようと思う。
    「遊星、何を見てるの?」
     声を掛けられて顔を上げると、制服姿のアキが立っていた。
    「鬼柳からハガキが届いたんだ」
    「そうだったの」
    「今度はシンガポールから突然エジプトに移動してるがあいつの資金はどうなってるんだろうか」
     遊星がかねがね抱えていた疑問を口にすると、アキは「確かに」とくすりと笑う。そして遊星の隣に腰掛けながら、また口を開いた。
    「でも、渡る世間に鬼は無いって言うから、案外やっていけるのかもしれないわね」
     確かに鬼柳ならば何だかんだでうまくやっていそうだ。それに、バックパッカーが使うような交通手段で移動していけば案外安く世界を飛び回れるのかもしれない。
    「いったい次はどの国から来るんだろうな……」
     現在地がエジプトなら、アフリカ大陸を転々とする可能性が一番高いはずだが、今まで来たはがきから判断するとそうとも限らないだろう。
    「……ふふ、遊星楽しそうね」
     遊星が鬼柳の次の行く先に思いを馳せていると、アキが微笑んでそう言った。遊星はアキの意外な言葉に少し戸惑ってしまう。
    「楽しそう……オレが?」
    「ええ。だって今の遊星、いつもより優しい顔してるわ」
     遊星自身は至って普段通りのつもりでいたので、そう言われてもいまいち自覚がなかった。どんな顔をしていたのだろうか、今の自分は。
    「それに、初めて会った時より雰囲気が柔らかくなったわよね」
    「それを言ったらアキだってそうだろう?」
     するとアキはばつが悪そうに頬を赤くして「あのときはごめんなさい」と申し訳なさそうな声で言う。
    「いいんだ。アキは悪くない」
    「でも……」
    「なら、こう言おう。あのデュエルがあったからこそ、今オレたちはこうして共にいる、仲間になることが出来たと」
     思えばアキとの絆はフォーチュン・カップで対峙した時には既に生まれていたのかもしれない。それは遊星の本心だった。
     アキは遊星の言葉を聞くと、目を細めて「ありがとう」と口許を綻ばせた。
    「オレの雰囲気が変わったとしたら、それは多分たくさんのかけがえのない仲間ができたおかげだろうな」
     それは、紛う方なき事実だと遊星は思っている。アキやジャック、クロウ、龍亞と龍可、他にもたくさんの人たちと出会った。その絆が、今の遊星へと繋がっている。
     だが他にも、一つ理由がある。遊星は、それを自覚していた。
    「……それに、誤解を解けないまま死んでしまったあいつと、和解できたからかもしれないな」
     最後に見た鬼柳の憎しみに満ちた目を思い出す度に、いくら打ち消そうとしても心のどこかで枷のようなものに縛られている感覚に囚われていた。
    「分かり合って、また昔のような仲間になれた。そうしたら、ずっと刺さっていた棘が取れたように気持ちが楽になったんだ」
     鬼柳はもう遊星を憎んでいないし、鬼柳の失くしたはずの未来も戻って来た。それだけで、不思議と安堵が胸を満たす。鬼柳の死が己に与えていた影響を、終わってから初めて思い知った。もっともその影響は完全になくなったとはいえないかもしれないが、以前よりずっと楽になったのは確かだ。
    「そうね……私もわかる気がする」
     アキは考え込むようにゆっくりそう言って少し目を伏せ、胸にそっと手を当てた。
    「もう一度パパと家族になれたら、今までの苦しかった思いがすっとなくなったの。大好きな……大切な人と決裂するのは、自分で思うよりももっともっと辛いことなんだって、そのとき思ったわ」
     アキはそこまで言うと、にこりと遊星に微笑みかける。直前とは打って変わった、明るい表情だった。
    「仲直りできて、本当によかったわね」
    「ああ……よかった」
     遊星は、もう一度絵ハガキを手に取る。鬼柳が旅に出て以来、鬼柳には会っていない。それでも、こうして届くたった一枚の紙きれで、遊星は鬼柳との絆を感じることが出来た。離れていても、鬼柳が親友であることが変わることはないと遊星は思う。
     今度はもう、鬼柳との絆はウタカタのように消えたりしない。遊星はそのとき確かにそう信じていた。
    6.しんじつ ここはどこだ?
     鬼柳ははっとして周囲を見渡す。夜の帳に遮られた視界の中では、状況がよく把握できない。だが、よく見えなくても見覚えがあるここは、間違いなくチームサティスファクションのアジトだった。いつから自分はここにいたのだろうと鬼柳は内心首を傾げた。
    「誰か、いるのか……?」
     微かな不安を感じながら、鬼柳は小さく闇に向かって問いかける。返事はない。恐る恐る、ゆっくりと歩を進めて中へと入っていく。こつこつと、足音がむき出しのコンクリートに反響してやけに大きく聞こえた。
     だが、不意にその足が何かに引っかかって鬼柳は躓きそうになった。反射的に足元を見る。
    「え……」
     その瞬間心臓を鷲掴みにされたような衝撃が襲った。
     血だまりの中に、人が倒れていた。しかもその顔は、鬼柳もよく知っている人物のもの。
    「なんで……クロ……」
     さあっと頭から血が引いて鼓動は大きく加速していく。何だこれは何の冗談だ何が起きてるんだと混乱する頭を必死に動かして、少しでも状況を理解しようともう一度辺りを見渡したとき、鬼柳は絶句した。
    「ジャック……遊星……?」
     どうして。
     初めに気が付かなかっただけで、最初からこの場には己を含めて四人いたのだと、鬼柳は今更のように理解した。ただ、三人とも赤の中で倒れ伏して動かなかったというだけで。
    「どういうことだよ……お前ら、どうしたんだよ!」
     膝を突いて懸命にクロウを揺すり起こそうと試みるが、クロウはぐったりと目を閉じたまま動かない。掴んだ肩が、驚くほど冷たかった。嫌だ嫌だとその感覚を何かの間違いだと否定するが、繰り返し思う度にかえって錯乱状態に陥っていく。
     その時、鬼柳以外の声が聞こえた。はっとして耳を澄ますと、呻き声が聞こえる。
    「う……」
    「遊星!?」
     咄嗟に遊星に駆け寄る。遊星は苦しそうに眉を寄せてから、ゆっくりと目を開けて鬼柳に焦点を合わせた。
    「しっかりしろ、遊星……いったい誰がこんなことを」
     半分泣きそうになりながら、何とか遊星を抱き起す。遊星は苦しそうにぜいぜいと息をしていたが、やがて唇をゆっくりと動かした。
    「……何を言ってるんだ、鬼柳?」
     遊星は、血の気の無い青ざめた顔をしかめて鬼柳を見上げる。
    「全部、お前がやったことだろう?」
     遊星が何を言っているのか、呑み込むのに長い時間を要した。
    (全部……オレがやった……?)
     硬直した後にようやく動いた思考で、かろうじてそれだけ考える。ジャックとクロウが動かないのも、遊星が酷いけがを負っているのも、全部自分がやったというのか。そんなはずはない。自分が、大切な仲間を手に掛けたりするはずがない。何かの間違いだ、そうに決まっている。そう思うと同時に鬼柳は反射的に己の掌に目を落とした。
    「……あ」
     手が、赤い。その事実が頭に沁み込んでいくまで、時間がかかった。心だけ谷底に落ちていくような奇妙な感覚がゆるやかに全身を支配していく。そしてその感覚が完全に身体を満たしきった時にふと、傍にクロウでもジャックでも遊星でもない、誰かが立って自分を見下ろしているのに気付いた。
     鬼柳は顔を上げる。黒い服。腕の痣。嘲るように薄く笑った唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
     ――忘れたのか?



     一瞬状況が把握できなかった。数秒後、自分が固い布の上に横たわっていることに気付く。辺りは薄闇に包まれているが、見覚えがないわけではない。身じろぎすると、自身の身体に毛布が掛かっていることを遅れて認識できた。
     夢だったのか。乱れた呼吸を整えながら、鬼柳はそう思った。そしてそれを実感して、たとえようもない安堵が全身を満たすのを感じた。そうだ。夢に決まっているではないか。今更三人があのアジトにいるわけがないし、簡単に死ぬようなやつらじゃないことは鬼柳が一番よく知っている。
     だが、信じられないほど寝覚めの悪い夢だったのは確かだ。鬼柳は体を起こして溜息をつく。どうしてあんな夢を見たのだろう。現実には何もしていないのに、遊星たちに申し訳ないと思った。
     旅に出て、それなりの月日が経った。遊星とのやり取りは、こちらがたまに出すはがきだけで、多分遊星は鬼柳の所在はまったく把握していないだろう。だがそれくらいの距離の方が、かえって気が楽だった。何故そう感じるのかは自分でも不思議ではある。かつては何が何でも四人でいたかったはずだったのだ。
     今のような夢を繰り返し見るのは、この変化と無関係ではない、という気がした。遊星たちと離れていたいからあんな夢を見るのだろうか。わからない。彼らと暮らしていた頃も似たような悪夢を見ては夜中に飛び起きていたから、耐えきれなくなって一度遊星に気になっていたことを尋ねたこともあった。
     自分が『ダークシグナー』だったとき、本当はもっと遊星が話したよりも多くのことがあったのではないだろうか? 最初に目が覚めた時、遊星とジャックは何かを隠している感じがした。鬼柳自身は覚えていない空白の時間に、本当は何があったのか。遊星に聞いても遊星は答えなかった。考えすぎだ、と笑って流されてしまった。
    (遊星も、オレと何年付き合ってると思ってんだろな。あんな顔で誤魔化せるわけねえのに……)
     だが、嘘だと見抜いても問い詰めなかったのは、紛れもなく鬼柳の方だった。
    (聞けなかった。知るのが怖くて……)
     知ってしまったらもう戻れないと、心の奥底に眠る何かが警告している。旅に出て彼らの顔を見ないようにすれば、この空白に眠る何かもいつか消えてくれるのではないかと淡い期待を抱いていたが、それも外れてしまった。何故か自分は、仲間と居る資格がない人間なのだと薄々感じている。その理由を知りたくない。せっかく取り戻せた大切な絆が、またウタカタみたいにあっけなく消えてしまう気がして。
    (だめだ。もう絶対に眠れない)
     万が一にでもまたあの夢を見るくらいなら睡眠不足で倒れた方がましだと心から強く思った。顔でも洗って目を覚まそうと、鬼柳はベッドを軋ませながら立ち上がる。
     冷たい水で顔を洗うと少しだけ気分がましになった。そして顔を上げた先の鏡に映る己の顔に目を止める。黄色いマーカーを指でなぞってみる。どうしても刑務所での記憶が蘇るので、鏡もマーカーもいつもなるべく見ないようにしていたが、どうしてか今日に限ってはそうしなかった。
     ふと、このマーカーはこの色だったろうかという疑問が唐突に湧いた。何故そんなことを思ったのだろう。黄色以外はありえないはずだと知っているのに。鬼柳はぼんやりとマーカーを見つめた。
     黄色じゃなかった。他の色。何だったか。漠然とした記憶を探るうちに、いつの間にか無関係のはずの直前の夢がフラッシュバックする。夢の中の、黒い人影と、赤く染まった手が瞬間的に重なった。
    「あ……」
     そうだ。赤だった。
     その瞬間、枷が外れたように、記憶の空白に混沌とした映像がなだれ込んでいく。今までなかったことにしていた記憶、忘れていたことの方が信じられないような内容に鬼柳は衝撃の余りその場から凍りついたように動けなくなる。
     ――忘れたのか?
     夢の中で聞いた囁き。その嘲笑を含んだ問いかけの内容と意味は、鬼柳が想像していたよりも遥かに重かった。
     思い出したよ、と鬼柳は力なく項垂れて目を閉じ、呟いた。
    7.ウタカタ「遊星、どうかしたの?」
     気が付けば、ブルーノが首を傾げて顔を覗き込んでいた。
    「さっきから上の空だし……ひょっとして疲れてる?」
    「いや……大丈夫だ。すまない」
    「そう?」
     ならいいんだけど、とブルーノは少し心配そうに遊星を見つめてから、新エンジンについての考察をもう一度繰り返す。ブルーノの出すアイディアはいつでも革新的で、遊星はこれまで何度驚かされたかわからない。まるで違う時代から何かの間違いでこの街にやってきたのではないかと思うほどだった。
    「あのさ……ボクの勘違いだったら聞き流してくれて構わないんだけど」
     プログラムの構成をいかにして改善すべきか思案に巡らせている矢先、少し会話が途切れた時にブルーノがそう切り出した。
    「どうした?」
     ブルーノは少し逡巡するような間を置いてから、気遣うような色を浮かべた目を遊星に向ける。
    「遊星、何か心配事があるんじゃない?」
     そんなことはない。と、咄嗟に返せなかった。自分ではそれを表に出しているつもりはなかったので、指摘されたこと自体に驚いたのもあったが。
    「……あるにはあるんだが。大したことじゃないんだ」
     鬼柳が旅に出てから、色んなことがあった。機皇帝という新たな脅威。ブルーノという新しい仲間。そういったことと比べれば、本当に小さな変化なのだ。
     鬼柳から、はがきが来なくなった。
    「……鬼柳は今どうしてるかと、思っただけだ」
    「あ、その人ジャックから聞いたことあるよ。遊星たちの仲間なんだよね。今は旅に出てるんだっけ?」
    「ああ……」
     以前は月に二回くらいのペースで定期的に届いていたはずのポストカードをもう二カ月近く目にしていない。別にあれを送るのが鬼柳の義務だったわけでもないし、何か事情があって今は送る暇がないだけなのかもしれない。だからとりたてて気にするようなことではない、とは思うのだが、このことは遊星の中にかすかな不安を生んだ。
     鬼柳は今どこで何をしているのだろう。それを確認するすべがないから、こんな気持ちになるのだろうか? 遊星にはそれだけだとは思えなかった。元々鬼柳は遊星の性格上連絡がないと心配することを分かった上で定期的に絵ハガキを送っていたのではないだろうか。それが突然途絶えたことには、恐らくなんらかの意味がある。漠然とした不安感は、その結論から生じているのだ。
    「あ、そういえば遊星、なんか手紙が届いてたよ?」
    「手紙?」
     そう聞いて一瞬鬼柳からかと期待したが、ブルーノから渡された封筒の筆跡は見覚えのないものだった。
    「……誰だ?」
    「あれ、知り合いじゃないの?」
    「と思うが」
     遊星の思い違いでなければ、バーバラという名前の知人はいない。それでもとにかく内容を確かめてみようと思い、遊星は封を開けて、乾いた音を立てながら中の紙を広げた。
     そしてその手紙の最後の一文を読んだ瞬間、硬直して何も考えられなくなるような冷たい衝撃が走った。にわかには信じられず、そんなことがあるわけがないと何が何でも否定したい気持ちに駆られる。だが、直感的にこれは冗談ではないとわかった。思えば、今までの不可思議な沈黙はそういうことだったのだ。
     明らかに顔色の変わった遊星を心配したブルーノが声を掛ける前に、遊星は立ち上がっていた。そして脇目も振らずにDホイールまで直行する。
    「ちょ、ちょっと遊星、どうしたのいきなり?」
    「鬼柳が……!」
     反射的にぱっと振り返って、全てを打ち明けたい気持ちに駆られたが、思い直してまた前を向いて走った。そしてDホイールに跨ると出来る限り素早くヘルメットを被りエンジンをかける。
    「……クラッシュタウンという所に行って来る。二、三日で戻るとジャックたちに伝えておいてくれ!」
    「えっ、ちょっと遊星!?」
     返事を待たずに遊星はDホイールを発進させた。
    (鬼柳が……殺されるだと?)
     手紙の最後に書かれていた文章が、頭の中をぐるぐると廻る。鬼柳が死ぬこと、それだけは遊星にとってあってはならないことだった。チームサティスファクションだった頃だって同じだ。鬼柳が捕まるくらいならば、遊星は自分が身代りになることを選んだ。
    「駄目だ……鬼柳は絶対に殺させない……」
     裏切り者と呼ばれても、それでも鬼柳は大切な仲間で、どうしても見捨てることなどできなくて、腕の中で塵になっていった時は悔しくて不甲斐なくて涙が出た。おれが救えなかった鬼柳。何度も機会はあったのに、この手からウタカタのようにすり抜けていった鬼柳。
    (今まで、オレは鬼柳を救えなかった。だが今度は違う、今度こそ……)
     ――満足したら、また会おうな。
     あの約束を忘れたとは言わせない。もう一度会う前に、死なせるものか。たとえ共に地獄に踏み込むことになろうと、死んでもあいつを連れて帰る。遊星の決意は固かった。遊星は強い光を宿した眼差しで、黄昏に沈みゆく夕陽を睨めつける。
     今度こそ。
    「お前を救いたいんだ……鬼柳!」

    end.
    小雨 Link Message Mute
    2018/06/15 17:31:05

    【遊戯王5D's】ウタカタ

    ダグナー編終了~満足タウン編あたりで、ダグナーの記憶を思いだせない鬼柳と、忘れていてほしい遊星の話。
    #遊戯王5D's #不動遊星 #鬼柳京介 #遊京

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