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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    しおり
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    しおり
    風間受けつめ水面の闇泳ぐのは諦めろエクソダスホームシックラジオ失敗は成功の元[jump:2]
    日→神前提日風

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    日風+綾小路

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    宇宙人新風

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    宇宙人新風2

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    ご飯食べる坂風

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    風間と荒井の喧嘩の、荒井さん涙目ルートの荒風
    水面の闇(日風)
     神田拓郎が死んでからも、日々は変わらず過ぎていく。
     神田が死んだ原因は未だに不明瞭だ。もちろん、死因はわかっている。線路で電車に頭を潰されぐしゃぐしゃになって死んだ。でも神田がなぜそのような死に方をしたのか、誰かが殺したのか自殺だったのか、何が巡り巡って神田拓郎という男の死につながったのか、風間は何も知らなかった。
     風間にとって神田の死はそれほど重大な出来事ではない。へえ、死んだの、残念だったね、の一言で終わるような存在だ。別段彼と仲が良かったわけでもない。岩下明美を彼女にしておきながら一年の女子にも手を出しているなんて、と思えば、むしろいい感情を持ちがたい存在だった。だから岩下にちょっかいをかけて神田をおちょくったが、そんなことくらいで自殺に走るなんてことはないだろう。多分。そういうわけで風間は神田の死に関しては何ら責任感を覚えてはいない。あいつは勝手に死んだ。自業自得だ。遅かれ早かれああなったに違いないのだ。
     風間はぼんやりと夕暮れを窓から眺めていたが、ふと隣で同じように夕日を眺めている友人に目を向ける。赤い陽の光で、彼が身動きするたびに眼鏡がきらりと反射する。その様子を見ながら、この男にとってはそうではないんだろうなと風間は思っていた。
     日野が神田のことをどう思っていたかは知っている。日野が、直接風間に話したからだ。その当時風間達は大して仲がいいとは言いがたい関係だったので、なぜそんなプライベートに深く踏み入った話を他人の自分にするのか、風間にはさっぱりよくわからなかった。けれども日野にしてみれば話せるような相手は風間しかいなかったようだ。同性愛、となると、仲の良い友人ですらいざカミングアウトすればどんな反応をされるかわからない。それどころか友情そのものが壊れるかもしれない。その点風間は友人というよりは知り合いに近い立ち位置にいて、風間の話はいい加減なほら話が多いことで有名だった。仮に日野がホモだなんだと言いふらそうが信じる者はいないし、またたちの悪い冗談でも始めたと思われるだけだろう。
     日野にとっては幸いな事に風間は同性愛に大して別段悪い感情を持っているわけではなかった。他人がどういう恋愛をしようがどうでもいいという方が正しいかもしれない。だからだろうか、日野はそれからも度々神田とのことを風間に話した。神田と過ごした時間や、楽しかった出来事や、喧嘩した時の愚痴や相談など、本当に色々と。最初はどうでもいいと思っていたけれども、日野は聞き手を話に入り込ませる話術が巧みなのか、なんだかんだでいつも最後まで話を聞いてしまっていた。風間もこの頃になると、日野のこともそれなりに友人として認め始めていた。日野は人当たりも穏やかで、人望も厚い。後輩の面倒もよく見るし、責任感も強かった。普段だって自分のことばかり話すのではなく、風間の世間話にも付き合う辛抱強さも持っている。
    「日野みたいなやつにそこまで想われて神田も幸せものだね」
     なんて言ってやると、日野ははにかんだように微笑んで「おだてても何も出ないぞ」と風間を小突く。風間もにまりと笑って、「おや、そいつは残念」と返す。いつもそうだった。緑の芽吹く春の陽だまりのように、穏やかな時間だったと今でも思う。
     それが変わったのは、神田が岩下と付き合い始めたという話が出回り始めてからだった。岩下明美のことは風間も知っていた。長い黒髪が印象的で、静かな空気を持つ綺麗な少女だった。彼女はいつも自分から一人でいて、他人をそばに寄せ付けるような人間には見えなかった。その岩下が、よりによって神田と付き合い始めたのだ。神田も大概目立つ男だったので、三年だけではなく他学年でも話題になっていたようだ。
     それからの日野はまるで別人のように風間には思えた。表面上は何も変わらない。頼り甲斐のある部長で、神田の親友で、優しい後輩思いの同級生。しかし、その眼鏡の向こうの瞳は、前はあれだけ純真な喜びに満ちていたのに、暗い絶望が渦巻きどろりと濁っている。貼り付けたような笑顔の向こうに底知れぬ闇を抱えて岩下と神田の二人を眺めている。日野のことが恐ろしかった。このひとのいい友人をそんな風に思ったのは初めてだった。日野は前のように神田の話を風間にすることはなくなった。ただ、関係ない世間話を時々風間と交わすだけだ。しかし、風間と日野の間には常に神田拓郎の存在があって、影のように決して離れることはなかった。
     風間が岩下に手を出したのはもちろん日野のことがあったからだ。身近でこんなに面白いことが起こっているのに遠くから見ているだけなんて馬鹿馬鹿しいと思った。岩下も、美しい微笑みの向こうで何を考えているのかわからない女だった。ただ、そこだけは日野に似ていると思った。だからだろうか、それとも神田が一年の福沢と浮気をしているという話を彼女も知っていたからだろうか、岩下は風間の目論見に乗ってきた。けれども岩下は必要以上には距離を詰めて来ない。神田がそれでどう出るのか確かめたかっただけなのだろう。それに風間は岩下が好きだというよりは、神田の苦しむ顔が見たいと思っていたから、それを彼女にも見抜かれていたのかもしれない。神田は相変わらず福沢と岩下の間で揺れている。その姿を、日野は親友として間近で眺めている。時々日野は風間にこぼした。苦しいと。黙っていることがこんなに辛いとは思わなかったと。全部ぶちまけてしまいたいと掠れた声で囁く日野を風間はいつも止めた。それだけはやめておけ、誰かに話したいなら自分がいくらでも聞いてやるからと、日野を宥めた。しかし無理だった。日野の想いはそれほどまでに強かったし、風間にはそれを支えられるだけの力はなかった。
     結果は明らかだった。元々、見えていたことだ。神田拓郎がどういう男なのか、風間も日野や岩下との付き合いの中でわかっていた。神田は他クラスの風間にすらわかるほど目に見えて日野を避けた。他の連中は、岩下でさえも、神田と日野が何か喧嘩をしたのだろうかと思っていただろう。そうではない。風間だけが何が起きたかを知っていたのだ。日野の目に宿るどろどろと濁った泥のような暗さは日毎に増した。神田は日野の話さえも聞こうとしない。日野を見るなり気味悪そうに眉を寄せ、日野を無視して小走りに違う友人のところへ向かう。日野は、ぽつんと残され、伸ばしかけた腕をゆっくりとおろして、俯きながら立ち尽くしている。そういう光景を何度も見た。風間はその度に目を逸らし、かける言葉を探しては諦める。その繰り返しだった。
     神田拓郎が死んだのは、それからしばらくしてのことだった。
     ずっと日野の恋に付き合って来た風間としては日野はどんな反応を見せるのだろうと思っていたが、日野は案外、神田が死んでもそれほど取り乱すことはなかった。当然かもしれない。思い人とはいえ、あれだけ邪険に扱われたのだ。百年の恋も冷めるだけの不当な扱いだったと思う。だが、それは表面上そう見えるだけで、決して神田の影が日野から消えてなくなったわけではないのだと気づくまではそう長くなかった。神田の死後、日野は抜け殻のようにぼんやりと何か考え込んでいることが多くなった。風間はただそんな日野を見守っていることしかできなかった。
     窓の隙間から野球部の掛け声が聞こえてくる。新聞部から見えるグラウンドでは、部活に勤しむ学生たちが走り回るのがよく見えた。長く伸びる影法師がゆらゆらと揺らめく。薄暗がりの中、色濃い影がもし形を変えて持ち主を呑みこんだとしても、気がつかないかもしれない。風が吹いてカーテンが揺れる。日野の前に置かれた部誌がぱらぱらとめくれるが、日野は目を向けることすらない。窓の外に向けられた横顔からは、生気というものが感じられない。今も日野は、夕陽ではなくどこかもっと遠いところを見つめているのだ。
    「……なあ、風間」
    「ん?」
     不意に日野は現実に立ち返って来て、風間に目を向ける。その表情は、昔の日野に似た穏やかさをたたえていたので風間はどことなく安堵を覚えた。
    「もうすぐ、旧校舎、取り壊しになるだろ。それを記念してウチで学校の七不思議を集めて特集することになってな。それで今、怪談を話してくれるやつ探してるんだよ。お前、やってみる気ないか?」
    「そうだねえ。別に僕は構わないけれど、この学校の怪談なんて僕あんまり知らないよ。清瀬あたりに任せた方がいいんじゃないの」
    「いや、実を言うとな。この企画、一年の坂上に任せてみようと思ってるんだ。ただ一生懸命なのはいいことなんだがどうも気負いすぎてるとこがあってさ、多分当日もガチガチになってると思うから、テキトーに緊張をほぐしてやってくれ」
    「あー、はいはい。そういうことなら任せてくれたまえよ」
     それならむしろ得意分野なので、風間はにんまりと笑う。何を話してやろうかな、と風間があれこれ候補を立て始めているとき、不意に日野が言った。
    「神田が死んで一ヶ月だな」
     咄嗟に返す言葉が思いつかなかった。日野の顔は相変わらず穏やかだ。いっそ、気味が悪いほどに。風間は、言葉を探しあぐねてから、ぽつりと「そうだね」と一言返す。
    「風間、知ってるか? この学校で七不思議を集めるとな、大変なことが起こるんだそうだ。何が起きるかは、知らないが……ひょっとしたら死者が蘇ったりするのかもしれないな」
    「…………」
     風間は俯いてぎゅっと拳を握り締める。それから意を決して、顔を上げて真剣に日野を見つめた。
    「ねえ、日野。僕じゃ、神田の代わりにはなれないの」
     その瞬間、日野から表情が消える。そして普段の日野からは想像もつかないような強い力で胸ぐらを捕まれ、ぐっと引き寄せられた。風間は言葉を失って、ただ間近にある日野の暗い狂気を秘めた冷たい目を見返すしか無かった。
    「ならお前は俺のために死んでくれるか?」
     風間は、口を閉ざしたまま、答えない。何も、答えられなかったのだ。どのくらいそうしていただろうか。やがて日野はゆっくりと腕から力を抜いて風間を解放する。そして、目をそらして、悪かった、と小さく謝った。
    「なあ風間、俺はお前とは今の関係でいたいんだ。頼むからそんなことを言わないでくれ。俺は、お前が大事だから」
     今日のところは、もう帰ってくれ。日野の言葉に風間は何も言わずに頷く。日野はずっと俯いたまま風間とは視線を合わせなかった。風間もそんな彼に言葉をかけずに、新聞部の戸から外へと出て行く。ばたん、と音が立ち扉が閉まって、風間はずるずるとその場にしゃがみ込む。
     日野の目は本気だった。
     あいつは、本気で言っていたのだ。俺のために死んでくれるのかと。心の底から。
     あのとき、自分はどうすべきだったのだろう、と風間は思う。もしもあそこで、そうだと言えたなら、今自分たちはどうなっていたのだろう。頭をぐしゃぐしゃに潰されて死んだ神田。日野の、暗い目の濁り。風間に唯一わかるのは、あそこで何が起きても受け入れられるだけの覚悟は自分にはなかったということだけだ。日野の抱える闇は夜闇の陰鬱な湖の水面のように、暗く光を通さず、中に内包するものを晒さない。何が待ち受けているのかわからないそこに飛び込む勇気がなかった。怖かった。我が身が可愛かった。自分を彼のために捨てる勇気が、どうしても持てなかった。
     胸に熱いものがこみ上げてきて、風間は嗚咽を漏らす。涙が止まらなかった。頬をつたい、後から後から流れてくる。ぼろぼろこぼれて一向に止まらないそれは、果たして何に向けて流しているものなのか、風間にもわからなかった。
    泳ぐのは諦めろ(日風)

     非常に多数の生徒数を抱える鳴神学園では、授業を行うのにも一工夫されている。特殊教室を使用する授業などは、一クラスごとに一時間割り振っていてはとても数が足りない。だから数クラスが合同で授業を受けることもあるのだ。体育の授業などはその最もたるもので、いくつかのクラスが同じ時間に、用意された選択肢から好きな競技を選択して受けるという方式になっていた。
     とはいえそれほど厳密に分けられているというわけでもなく、人数に余裕さえあれば、直前で違う競技に変えてしまうことも許されている。
     そして今回綾小路は鳴神のその選択授業のやり方を利用して、大川を出し抜くことに成功したのだった。綾小路の作戦は実にシンプルなものだ。あらかじめ受けるつもりのない競技を選択して先生に提出する。それを大川が盗み見て、綾小路と同じ競技を選択する。そしてギリギリまで綾小路がそれについて既に諦めていると思わせておいて、土壇場で別の競技に変えるというものだった。その思わくが大川に看破されるのではと綾小路は直前まで大いに不安だったのだが、これが奇跡的にうまくいき、綾小路は体育の時間だけはあの恐ろしい悪臭からは開放されることとなった。
     体操服に着替えてグラウンドに向かう途中、綾小路はスキップでも始めてしまいそうなくらいウキウキしていた。ああ、清々しい空気のなんと尊いこと! こんなさわやかな空気に包まれていられるのなら、一年中全教科が体育に変わってくれても構わないと綾小路は心から思った。
     しかし綾小路はグラウンドについてから意外な人物を目にすることとなった。綾小路は顔をしかめる。向こうも綾小路の存在に気付いたのか、軽薄な笑みを浮かべてこちらに話しかけた。
    「やあ、綾小路。君もサッカー選択なんだね」
    「風間、なんでお前が居るんだ?」
    「はっはっは、ご挨拶だねえ」
     風間は綾小路の嫌そうな顔にも一切気を悪くした様子はなく笑っている。そういう態度も含めて腹立たしいのだとは風間にはわからないのだろう。
    「相変わらず仲悪いんだな、お前ら」
     そう言って、風間の隣にいた日野が苦笑した。どうやら日野もサッカー選択のようである。
    「僕がこいつと分かり合える日は一生来ないさ」
    「そうか? 俺には案外お前ら意気投合できそうなとこあるんじゃないかって思うんだがな」
    「日野、それを本気で言ってるのならお前の観察眼も大したもんじゃないようだな」
    「頑固だな~お前も」
     日野はからかうように笑って「まあその方が見てて面白いが」と付け加える。日野も食えない男だが、不思議と風間を相手にしているときのようないらだちを覚えないのは日野の人柄によるものかもしれない。だからこそ、彼の人脈は驚くほど広く多岐にわたるのだろう。
    「そもそも風間、お前水泳選択じゃなかったのか? なんでこっちにいるんだよ」
     綾小路は腕を組んで風間に問いかけた。何故そんなことを知っているのかというと、別にわざわざ風間に尋ねたりしたわけではく単純に風間が「水も滴るいい男の季節がやってきたね」などと度々嘯いていたからである。風間はへらりと笑って綾小路の疑問に応える。
    「ん~、考えたんだけど、プールは塩素が入っててお肌にあまりよろしくないんじゃないかと思いなおしてね」
    「ああ……またそういう軟弱な理由で……」
    「なんだよ、大川の体臭で気絶する男に言われたくないね」
    「曲がりなりにも塩素は消毒薬だろ!!」
     声を荒げても風間は楽しそうにけらけら笑うだけで綾小路の怒りをかわしてしまう。そして、それなりに日差しも気温もあるのに、風間が長ジャージを着ている理由も理解した。どうせ、日焼けが嫌だから長袖を着込んでいるという女子のような理由なのだろう。風間みたいな男なら日焼けを気にしてもおかしくない。
    「残念だったよなあ風間。あんなに女子のみんなの目の保養になってあげるんだって張り切ってたのにな」
     しかし、日野がニコリと微笑みながらこう言ったとき、風間がキッと日野を睨んだ。
    「いったい誰のせいだと……!」
    「は?」
     風間の予想外な言葉を聞いて綾小路がきょとんとしたとき、何故か風間が「あ」と呟いて顔を青くする。日野は依然として楽しげに微笑んでいる。いや、どちらかというと意地悪そうな笑みを浮かべている。と、ここまで観察して風間の首元まできっちり閉められたジャージに目を移した瞬間、綾小路はすべてを察してしまった。綾小路は思わず呆れて白い目を二人に向ける。できれば一生気付かないでいたかったものだが。
    「あー、なるほどな」
    「な、何がなるほどなんだい。僕は別に……」
    「お前が悪いんだぞ風間、俺の言うことを聞かないから……」
    「ちょっと黙っててくれ日野!」
     風間はかなり強い調子で日野を遮るが、日野はにやにやと笑うだけで気にする様子はない。綾小路は深い溜息をついた。
    「バカバカしい……お前らのノロケに僕を巻き込むなよ」
    「違う! それは君の誤解だ、違うんだよ!」
    「別に誤解じゃなくね?」
    「日野くんキミいい加減にしてくれる!?」
    「この暑い日にお前らとこれ以上話してたらますます暑苦しくなる、勝手にやってろ」
    「あ、ちょっと綾小路……!」
     風間は綾小路を引き留めようとしたが、その前に日野が何かをぼそりと囁いた瞬間また日野を睨んで口論を始める。これ以上付き合っていられないと改めて感じた綾小路は、お人好しの水科のところへと避難することにした。
    エクソダス(新風)

     この屋上にはうっとり小僧っていう妖怪が出るんだよ、と風間は言った。
     五月の夕暮れ時の、朱に染まった空の下、薄暗い赤い光が屋上の手すりの影を長く引き延ばしている。風間はゆっくりと手すりの方に近付いて、黄昏の橙色に染まった雲のすき間から除く夕日を指さした。
    「夕暮れのきれいな空をうっとり眺めていると、会えるんだって」
    「試したことあるのかよ」
    「もちろん。今試してるじゃないか」
     風間は手すりに軽く寄りかかって、のんびりとした様子で空を眺めている。
     新堂は、その風間の後ろに立ってその背中を眺めていた。今日は部活が早めに終わったので帰ろうと思っていた所、どういうわけか風間が部活棟の方までわざわざやってきて新堂に声をかけた。面白いものを見せてあげよう、なんて自信満々の笑みで言うものだからついつられて屋上まで来てしまったが、結局いつもの風間の与太話に付き合わされてしまっただけだと新堂はたった今気がついたのだ。毎度引っかかってしまう自分もどうかと新堂は思うが、あんまりにも風間が自信たっぷりに声をかけてくるものだから、今度こそなにかすごいものを持ってくるのではと期待してしまうのだ。現状、その期待に風間が応えたことはないとはいえ。
     もうすぐ夜が訪れる。薄暗い残光が辺りに漂い、そして少しずつ消えて暗くなる。冷たい風が吹き抜けて、風間の髪を揺らした。夕日を受ける風間の白いカッターシャツは、血が染みたようにじんわりと赤く見える。風間はあいかわらずのほほんとした様子で手すりに肘を乗せて空を眺めていた。新堂は、ゆっくりと風間に近づき、その背中に手をのばす。
    「……ね、ところで新堂」
     新堂の手が風間に触れそうになったとき、不意に風間が新堂の方を振り向いた。新堂は伸ばしかけた手を引く。それを見ながら、風間は手すりに背中を預けていつものように微笑んでいた。
    「スンバラリア星人は、屋上から突き落としたくらいじゃ死なないよ」
    「……そうかよ」
     新堂が顔をしかめて腕を組むと、風間はおかしそうにくすくすと笑った。
    「ウンタマル星人って、ほんとに義理堅い種族なんだな。僕は同胞のためにそこまで頑張れないよ」
    「お前たちが薄情なだけだろ。俺は皆の無念を晴らしたい。俺の家族も友達も、皆お前たちに殺されたんだからな」
    「僕一人殺しても、何も変わらないのに? 僕がいまさら君を殺そうが生かそうが、ウンタマル星には何の変化ももたらさないのと同じように」
    「そういう考えが、薄情だって言ってるんだよ」
     新堂がまっすぐ風間を見据えてそう言うと、風間は「そうかもね」と曖昧に笑って首を傾げた。
    「ウンタマルや地球人は、個を重んじる種族だから、そう見えるのも仕方ないんだろうな」
    「スンバラリアは違うってのか?」
    「そうだよ。僕らの星では全ての人員が等価値なんだ。そしてそれは地球人の言う平等とは違う。僕らはスンバラリア星という集合体を構成するパーツだ。与えられた役割が違っても、本質は全て同じ存在であると考えられる。だから、古くなったり使えなくなったらすぐに新しい者へと入れ替えられるんだ。細胞と一緒だよ。君だって自分の体では日々たくさんの細胞が死んでは再生していくと知っているけれど、気にも掛けないだろ? だって、君という存在が存続できているのなら、何が欠けて生まれようと関係ないんだから」
     風間はあいかわらず微笑んでいる。それは、新堂を煽っているわけでもからかっているわけでもない、芯からそう思っているのでなければ出せない声の調子だった。新堂は少し言葉に詰まってから、風間の隣に並んで手すりに腕をのせた。
    「じゃあお前は、自分が死んでも、母星から見捨てられても、それで構わないと本気で思ってるのかよ」
    「まあ、困るやつはいないからねえ。僕らの種族って、有性生殖じゃないからほんとに誰であってもおんなじなんだよね。顔も声も背格好も考え方も何もかも。クローンみたいなものかもね。だから、君たちみたいに、かぞくとか、ともだちとか、こいびととか、そういうのに拘る気持は良くわからない。そういう区別を付ける意味も、わからない。不思議だよ、僕にとっては」
    「……」
     新堂は足元に目を落とす。薄闇の中に伸びる濃い影は、どんどんと横に伸びて屋上を横切っている。けれどもきっと、その影が反対側に辿り着く前に、格子状の影は夜の闇と同化し見えなくなるのだろう。空には、星の白い小さな光が散り始めていた。
     もし、今の風間の話に嘘がないのだとしたら、と新堂は思う。こんなにも寂しい生き方をする種族がこの宇宙に存在していたのか。生きる意味も、生きていく幸せも、誰かと育む友情も愛も、まるでないのだとしたら、それはこころのない機械と何が違うのだろうか。
    「そうだ新堂。スンバラリアは屋上から突き落としたくらいじゃ死なないけどさ」
     そのとき、風間がふと何か思いついたような顔で、新堂の手を取った。何をする気なのかとそのまま風間の好きにさせると、風間はゆっくりと新堂の腕を持ち上げ、自分の首に新堂の手のひらを触れさせた。
    「首を絞めればすぐ死ぬんだよ。知ってた?」
     そう言って風間はふふふと笑う。それは楽しそうに、まるで迷路の近道を教えてあげたとでもいうような顔で。
    「どうしてそれを俺に言う」
    「言っただろ、たとえ僕一人死んだところで何も変わらないから。僕が死んでもすぐに変わりの工作員は派遣されるけれど、君の気は晴れるかもしれない」
    「だから、どうしてそういうことをする」
     風間は新堂の手を取ったまま、しばし黙り込んだ。それから、少し目線を落として、軽く肩をすくめた。
    「さあ。僕にもよくわからない」
     風間は、先生に指されたわからない問題をパスするかのような軽い調子でそう言った。
     新堂は何も言わずに風間を見つめる。目の前に居るのは、母星の仇敵だ。自分の家族と友人と故郷を奪い去り、あまつさえ地球まで侵略に来ている生粋の侵略種族であり、許してはならない存在である。新堂は風間の首に両手をかける。風間は抵抗しない。く、と軽く力を入れても、風間の瞳には何の感情も浮かばなかった。ビー玉のように、ただ光を反射して、新堂の行動を見守っている。新堂はしばらくそうしてから、ゆっくり力を抜き、首から手を外す。風間は怪訝そうに眉を寄せるが、新堂はそれを無視して風間の肩を掴むとぐっと引き寄せた。
    「あ」
     目を丸くして、風間は小さく声をこぼす。
     沈黙。
     ゆっくり顔を離した時になっても、風間はまだ唖然とした表情で、新堂のことを驚いたように見ていた。風間は手のひらで口元を押さえてから、ようやく言葉を思い出したように尋ねる。
    「……どうしてこんなことしたの」
     隠し切れない困惑に揺れる小さな声に、新堂は肩をすくめてみせる。
    「さあな。俺にもわかんねえよ」
     新堂は風間に背を向ける。空はすっかり藍色に変わり、星々が一面に広がっている。風間のせいですっかり遅くなってしまった。新堂は近くに置いていたかばんを拾い上げると、風間に「もう帰るぞ」と声をかけた。
    「あ、待ってよ僕も行く」
     風間は慌てて同じようにかばんを拾い上げると、肩にかけて小走りで新堂の横に並ぶ。
    「まったく、結局うっとり小僧なんて出なかったじゃねえか」
    「何言ってるんだい君、うっとり小僧は確かにいたよ。君が見逃しただけだろ」
    「じゃあその証拠を出せ、証拠を」
    「はっはっは、新堂、そういうのは野暮ってもんだよ。心で感じたままをそのまま受け取るのがオカルトへの正しい態度なんだ」
    「風間、世間ではそういうのを逃げ口上っていうんだぜ」
     屋上を後にして階段を下る頃には、新堂も風間もすっかり普段通りの態度に戻っていた。だから、風間が何故あんなことを言ったのか、新堂がどうしてあんな行動に出たのか、どちらも追求して尋ねることはなかった。そして新堂は、風間ととりとめのない話をしながら、あのまま風間の首を絞めて殺すべきだったのかどうかを、夜の闇の中ぼんやりと考えていた。
    ホームシック(新風)
     油断していた。
     全くもって、予想もしていなかった。本当は、ちゃんと予想しておくべきだったとは思うのだけれど。地球はあまりにも平和だった。少なくとも、風間の目から見れば平和そのものだった。多少味方同士の思想の不一致で紛争を起こすくらいで、種の存亡をかけて殺しあうような状況はあり得なかったのだから。そういう環境にいると、どうしても忘れてしまう。いついかなる瞬間に、自分が敵の前に身をさらし、そして死ぬ羽目になるかどうかわからないということを。
     風間は、息を殺して蹲る。時折漏れそうになる声を必死に抑える。鮮やかな緑色に染まったシャツをぐっと掌で押さえ込み、これ以上の出血を避けようとする。腹に空いた穴。傷口が焼けるように痛かった。痛くて痛くて、泣きたくて叫んで助けを求めたかった。でも、そんなことをすれば、彼らに居場所を教えて殺してくれと頼むようなものだ。
     地球に潜んでいるのはスンバラリア星人だけではない。ニャリン星人、ポヒポヒ星人、デベロンダッタ星人。他にも様々な星の者と風間は遭遇したことがある。
    (ボッヘリト星人。まさか、あいつらが、学園にいたなんて……)
     宇宙最強の存在として、名を馳せる暗殺種族であるボッヘリト星人までもがこの星に潜んでいたとは風間は考えていなかった。ボッヘリト星人は、通常の生物とは大きく異なる。彼らは肉体としての実体を持たない、エーテル生命体である。思念のみでこの世に存在しているとも言いかえることができる。だから、誰もその姿を見たことはなく、その存在を察知したとしてもこちらから触れたり危害を加えることはできないのだ。そしてボッヘリト星人はその性質から、半寄生生物としての一面を持つ。世界に干渉するために、実体を持たぬ彼らは宿主を選び、その宿主と同化して活動をするのだ。宿主には、どんな生物でも選ぶことができる。だからこそ、誰に、何に、ボッヘリト星人が寄生しているかは予測できない。そしてエーテル生命体である彼らが寄生しても見た目にはまったく変化はないので、ボッヘリト星人が攻撃を加えて来るまでは風間にはボッヘリト星人の存在を知る術はなかった。
     たまたまだったのだ。たまたま、いつものように冗談を話していた。たまたま、その相手が普段あまり話さないクラスメイトで、周りには誰もいなくて、そのとき風間は無性に故郷が懐かしくてたまらなかった。ほんの偶然がいくつも重なり、何の因果か、風間は冗談という体で故郷のスンバラリア星の話を、ボッヘリト星人にしてしまったのだった。ボッヘリト星人は、名前や具体的な場所をぼかしてもすぐに風間が異星からの侵略者であることに気付いた。そして、問答無用で風間を殺しにかかった。しかし風間は持ち前の危険察知能力を駆使してからくも逃げ出すことに成功し、走りに走って、誰もいない廃屋の中に入り込んで必死に声を殺してボッヘリト星人が居場所を突き止めないことを祈っている。脇腹が焼けるように熱い。脂汗が顎を伝ってぽたりと落ちる。風間は朦朧とする意識で、胸ポケットに入れた小型通信機を取り出した。
     スンバラリアの工作員には、二つの大原則がある。
     一つは、こちらの正体は隠し通し、見破られた時はそれ相応の対処をすること。
     場合によっては、相手を殺すことも許可ないし推奨されている。
     もう一つは、怪我のときや病気にかかった際は、可能であれば死ぬ前に母星に連絡して交代人員を送り込むよう要請することだ。
     風間は通信機の電源を入れようとするが、失血の影響で震えて力の入らない指先は、小さな通信機を取り落としてしまった。かたかた震えながら、風間は緑の中に落ちた通信機を拾い上げようとする。しかし、一瞬持ち上がった通信機は人差し指と親指の隙間からぽろりと滑り落ちた。もう一度手を伸ばす。つまむ。また落ちる。緑にまみれた通信機はますますぬめり、掴みにくくなる。イライラしながらまた腕を伸ばしたところで、視界がくらりと歪んでたまらず手をついた。その手は震えてかくりと折れ、風間はぱたりとその場に崩れ落ちる。頭が痛い。ガンガンする。血が足りなくて、脳が思考を保てないのがわかる。このままだと死んでしまうだろうと思った。早くしなくては。死ぬ前に、母星に報告しなくては。そう思うのに、体は動かない。風間はぼんやりとしながら、ふと使命とは全然関係のない人物のことを考えていることに気がついた。
    「しんどう……」
     風間は彼の名前を呟く。新堂誠。故郷を失った哀れな異星人。何度となく、殺してやりたい、必ずお前を殺してやると風間に言い続けた、かわいそうな男のことを考えた。今ここで死んだら、仇敵として風間のことを敵視し続けた彼の悲願は二度と叶うことはないんだろうなと思った。
     風間は、死ぬことは怖くなかった。怖い、と感じる教育は受けてこなかったし、かつては存在したかもしれない生存本能は遺伝子のレベルですでに身体から失われていた。死ぬことは、息をすることと同じ生理的な現象でしかなかった。だから、遠くなる意識も、着々と失われる血液も、力が抜けて痺れが広がっていくこの感覚も、何も感じるところはない。でも、それらとは別の場所で、風間はこう思っていた。こんなところで、あんなやつにやられるくらいなら、ずっとずっと自分を殺したがっていた新堂に殺させてやりたかったと。



     ふわりと、何かの香りがした。懐かしい香り。どこかで嗅いだ、落ち着く匂い。どこだっただろう。思い出せない……。
     風間は朦朧とする意識の中、ゆっくりと目を開く。そして、少し身じろぎしようとしたところで激痛に呻く。同時に、自分が布団に包まれていることに気がついた。風間は痛みによって覚醒し直前の記憶をすぐに取り返したが、何故このような場所に寝ているのかはさっぱり理解できなかった。どういうことだろう、これは。ボッヘリト星人の仕業だろうか。風間は慌てて辺りを見回す。見覚えのない部屋だ。左側の壁際の本棚には雑然と並んだ、しかしあまり使われた形跡のない教科書やノート類が少しと、シリーズ物の漫画がいくつか収まっている。窓では白いカーテンが揺れ、ベランダ越しに青空が見えた。そのすぐ横に当たる右壁沿いには机があって、そこにも数学や英語といった教材が乱雑に積んであった。部屋はそれほど広くない。風間の寝ていた布団の向こうに、誰かが腰を下せばそれだけで部屋の幅を使い切ってしまうくらいの広さしかなかった。見た感じ、一人暮らしの学生の部屋のように思える。だが、誰のものかは見当がつかない。
     そのとき、玄関の方からカチャカチャと音がした。鍵の回る音だった。風間は固まって、とりあえず窓から逃げ出そうと思ったのだが、立ち上がろうとしたところで痛みに耐えかねて腹部の傷を押さえる。その時初めて、その部分に包帯が巻かれていることを風間は知った。
    「なんだ、起きたのか」
     がちゃりと扉が開いてひょこりと顔を見せたその人物を見て、風間は今度こそ驚きのあまり目を丸くする。
    「なんで新堂がいるの」
     スーパーのビニール袋を片手に、Tシャツとジャージ姿の新堂が現れたことに風間はひどく混乱し、逃げようと思っていたことも忘れて新堂を見上げた。新堂はキッチンに袋を下ろすと中身を取り出し冷蔵庫に移しながら、どうでもよさそうに返事をした。
    「そりゃこっちの台詞だぜ。お前こそ何でいきなりうちの前で倒れてたんだよ」
    「は……?」
    「しかも血まみれでさ。いい迷惑だったぞ。血痕は分子分解銃でなんとかしたが」
     風間はますます頭が混乱してくるのを感じる。廃屋で隠れていたときからはっきりした記憶がない。しかし、新堂の言うことを信じるならば、こういうことだろうか。
    「僕が君のアパートまでわざわざ走ってきたと……?」
    「お前な。それ以外に何があるっていうんだよ」
     新堂は呆れたように眉を寄せた。風間はうーんと考え込み、記憶を懸命に探る。
    「……ぜんぜん覚えてない」
    「お前なあ……自分のことだろうが」
    「ところで傷の手当てをしてくれたのは君かい?」
     そう尋ねると、新堂は少し黙り込んだ。その反応に、このままだと彼の機嫌を損ねるだろうと察した風間は自分でその疑問を拾う。
    「いや、これは愚問か。君以外状況的にありえないものな、今の質問はなかったことに」
    「いいから、ごちゃごちゃ喋ってないで寝てろよ。こんなときくらい黙ってられないのかよ、お前ってやつは」
    「何言ってるんだい君、黙ってる僕なんて僕じゃないだろう」
     はっはっは、といつもの調子で笑ってみせると、新堂は今度こそ呆れ返ったような顔でため息をついた。
    「スンバラリア星人はゴキブリよりしぶといって本当なんだな」
    「なんだいそれは、誰がそんなこと言ったんだ。僕らスンバラリア星人をあんな不潔で気味の悪い生き物と同類扱いしないでくれたまえ」
     スンバラリア星の衛生管理がどんなに優れているかについて滔々と喋り倒そうとしたが、いいから寝ろの一言で一蹴され、ついでに文字通り蹴られてぼすりと敷き布団に風間はまた横たわる。衝撃で傷が疼いて呻く羽目になるが、文句を言っても自業自得と突っぱねられた。仕方なく風間はそっと布団を顔のところまで上げ直して、ほとんど布団に隠れるようにしながら新堂を見上げる。
    「あのね新堂」
    「なんだよ」
    「どうやって来たかは全然覚えてないんだけどね。どうして来ようと思ったのかは、なんとなくわかるんだ」
     すると、興味なさそうに夕食の下ごしらえを始めていた新堂が、少し興味を抱いたような顔で風間の方を一瞥する。
    「僕はあのまま死ぬべきだってこと本当はわかってたんだ。母星に連絡して、代わりの風間を送り込んでもらわなきゃ、いけなかった。僕は傷が付いたから。野菜だって果物だって、傷があるのは売り物にならない。それに僕でなければならない理由も母星には何一つないから。だけど……」
     風間がそこで言葉を切ると、新堂は先を促すようにじっと風間の方に目を向けたまま動かない。風間は少し迷ってから、その視線を受けながら続けた。
    「どうせ代わりの同胞が来るなら、僕がどういう方法で死んでも一緒だと思って……だったら……僕は見ず知らずのボッヘリト星人じゃなくて、ずっと僕を殺したいって思ってた君に殺してもらいたかった」
     風間は新堂から視線をそらして、小さく息を吐く。なんだか、自分でも馬鹿みたいなことを言っているなと思った。そんなことをする論理的な理由が一体どこに存在すると言うのだろう。これでは、無意味なことに邁進していつも時間を無為に捨てている地球人のことを笑えなくなってしまう。
    「まさか君が僕を助けるとは思わなかったが。念の為に言っておくけど、僕を人質に交渉をかけようと思ってるなら無駄な期待だよ。僕はこうなった時点で廃棄対象なんだからさ。キズモノを残しておくほどスンバラリア星人には無駄なリソースを割く余裕はないんだ」
     そこまで言って、風間はふとある大きな事実に気がついた。
    「そうか。僕はもう故郷には帰れないんだな」
     いまさらのようにその事実に思い当たり、風間は驚いてしまった。古くなった細胞が自然に剥がれ落ちて新しい細胞に取って代わられるように、故郷のスンバラリア星では風間のかわりが用意されているに違いない。その新しい工作員が、風間と入れ替わる。風間はこのまま、死んだという扱いになり、故郷での個体情報データは抹消される。そして、このまま、帰ることも外に出ることもなく、地球で命を終えることになるのだろう。
    「……僕はもう帰れないんだ」
     風間はもう一度つぶやく。自分に言い聞かせるように。星のため、種のために、今までの人生を捧げて生きてきた風間にとってそれは果てしない衝撃をもたらす事実であった。風間を風間たらしめるアイデンティティは、母星の繁栄を目指すことの中にあった。それが全てだった。それ以外には何もなかった。それがなくなったということは、今まで風間が風間自身だと考えていたものすべてが突如奪われたということだった。風間は呆然としながら、新堂を見上げる。新堂は何も言わなかった。何の表情もその顔の中にはなかった。
    「……だから、僕を助けたのか?」
     風間がそう囁くと、新堂は手に持っていたじゃがいもをまな板の上に置いて、何も言わずに歩いてくる。そして、風間の横にそっと腰掛けた。
    「…………」
     風間は呆然と窓の方を見る。音もなく、ゆるやかに白いカーテンが揺れている。眩しいくらいの白に彩られた、四角く切り取られたどこまでも続く青い空。透き通るような綺麗な青色だった。宇宙に繋がる、しかし一切の星を隠した青を見つめる。さらさらと砂が溢れるように、胸にぽっかりと空いた穴から何かが抜け落ちてゆく。大切な何かが。二度と拾い上げることのできない虚無の中に、それらはさらさらと流れてゆく。じわりと視界が滲んだ。ぱちりとまばたきすると、熱い液体がぽろりとこぼれて頬を伝った。ぎゅっと目を瞑るとぽろぽろと更に何粒もこぼれていく。風間は呻いた。痛くて痛くてどうしようもなかった。それは腹の傷から感じる痛みではなかった。もっともっと深い部分、心の奥底が上げている悲鳴だった。風間はすすり泣いた。新堂は声を殺して泣く風間の隣で、ただ何も言わずに隣に座り、窓の外をぼんやりと眺めていた。
    「なんで殺してくれなかった。ひどいよ。ひどいよ、新堂……」
     うっ、うっ、と殺しきれなかった声をこぼしながら、風間はただただ新堂をなじった。ひどいよ、ひどいよと、子供のように泣きじゃくり、涙を流し続ける。新堂は、それでも何も言わなかった。風間の隣で、風間のなじりにも言い返さずに、遠い遠い星の海に繋がる、窓の向こうの青空を眺めていた。やがて新堂はそっと風間に手を伸ばして、風間の頭にぽんぽんと手を乗せた。ぐずる子供をあやすような、そんな手つきだった。その感触に、ついに耐え切れなくなり、風間は今までこらえていた何もかもを投げ捨て、大声で泣き始めていた。
    ラジオ(坂風)

     購買でお昼に食べるパンを買うためにレジに並んでいた所、偶然風間さんと出くわした。
    「おや坂上くんじゃないかい、ちょうどいいところで会ったねえ」
     風間さんは僕の姿を見るなりいいカモを見つけたと言わんばかりの顔でにっこり笑う。もうどう考えてもこの場で僕にたかる気に違いないという表情だ。経験上それがすぐにわかってしまうのもなんだか虚しいものを感じるが。
     しかしここで負ける訳にはいかない。僕だって今月欲しいCDをそれなりの数買ってしまって金欠なのだ。風間さんに騙し取られるほどの余裕はないので、いつもの胡散臭い話を次から次へと展開してくる風間さんを相手にしないようにする。けれども風間さんは僕が適当にあしらっているのを知ってか知らずか、僕にあれこれ話しかけてさりげなーく占いとかこっくりさんとかそういう方向に話を持って行こうとする。レジを通過して教室に戻ろうかというときになってもまだ諦めない様子だ。というか多分このままだと無駄話で僕を昼休み中拘束し続けて帰さない気じゃないだろうか……。よっぽど今お金に困っているのかもしれない。そういえばさっきも風間さん何も買ってなかったな。
     ああもう、本当にこの人は、と僕はため息をつく。仕方ない。ここは妥協することにした。
    「風間さんってクリームパン好きですか」
    「え、ああ、うん。中身がカスタードなら」
    「僕実は今日あんまり食欲ないんですよね。買っちゃったけど食べきれるかわからないのでクリームパン風間さんがもらってくれませんか?」
     僕がそう言うと、風間さんは少し目をパチクリさせてから、すぐににこりと笑う。
    「そうかそうか、それなら僕に任せたまえよ。別に僕はそこまでクリームパンを食べたいわけじゃないけれど、残されてしまってはせっかくこの世にクリームパンとしての存在意義を与えられたはずのクリームパンがかわいそうだからね。うん。僕が責任をもって引き受けてあげようとも」
     もっともらしい御託を並べながら、風間さんは僕からクリームパンを嬉しそうに受け取った。まあ風間さんは元々駅前のケーキ屋さんのシュークリームが好物だから、というのもあるかもしれない。同じ類の食べ物だし。
     結局今日も風間さんにたかられてしまったけれど、購買のクリームパンは120円だ、いつもの五百円玉と比べれば多少はマシだろう。弁解しておくなら僕が折れたのは風間さんがあんまりにもしつこいからであって、決して風間さんの懐事情が心配だったからとか僕が風間さんの笑顔に弱いからとかそういうわけではないのだ。断じてないのだ。

     せっかくだからいっしょに食べようという風間さんに付き合うことにして、僕と風間さんは校内の中庭のベンチに並んで腰掛けた。思えば僕と風間さんはよく校舎の中で遭遇することが多いのだが、お昼を一緒に食べるのは初めてかもしれない。僕も風間さんも学年が違うし、僕も普段は違う友人と食べているから当然なのだが。
     もうすぐ夏がくる季節とはいえまだそれほど気温は高くない。涼しい風も、時折僕達の間を抜けて髪の毛をかすかに揺らす。夏が来れば旧校舎は取り壊しになる。僕と風間さんが出会うきっかけになった旧校舎は、綺麗に消え去るのだ。それが終われば秋になり、冬も過ぎたら、春になって風間さんはこの学校を卒業していなくなるのだなと僕は隣の風間さんを見ながら思っていた。今の僕の日常にはだいたい風間さんの姿があるので、それが全くなくなるとなると、いったい僕の生活はどんな感じになるのだろう。僕にはうまく想像できなかった。
     風間さんはあいかわらずのんきなほほ笑みを浮かべながら、クリームパンの包装を破く。その際風間さんは相当上機嫌なのかかすかに鼻歌を歌っていた。ふんふんふーんと適当極まりない感じではあったが、僕はそれが妙に気になって思わずまじめに聞いてしまった。どこかで聞いたことのある曲。僕ははっとする。そのメロディは僕の財布を金欠状態に陥れたCDに収録された歌のものだった。
     僕は正直驚いていた。風間さんが、そのアーティストのその曲を好きになるなんて、意外だった。その曲は曲調こそ明るいものの、歌詞は完全なる失恋ソングだったから。かなり変わった歌詞だったから、買ったばかりだけれどよく覚えている。確か、遠い星から来た少女が現地の少年に恋をして、思いを告げることの出来ないまま故郷に帰るその心境を描いた歌詞だった。
    「風間さん、その曲……」
    「……ん? ああこれ、最近ラジオでよく流れてるから覚えちゃってね」
    「ああ、なるほど」
     そうなのか。僕はラジオはあまり聞かないから知らなかった。確かにCDも売れ筋の場所に置いてあったから、人気のある曲なのかもしれない。
    「でも風間さんがこういう感じの曲好きになるなんて意外ですよ」
    「何を言うんだい坂上くん、むしろこれほど僕にぴったりな曲もないじゃないか」
    「ええ……どの辺がですか」
    「はっはっは、それは自分で考えなさいね。僕が言っちゃあつまらないだろう?」
    「はいはい」
     またそうやって僕を煙に巻いてからかう気なんだろうと判断して僕は適当に流すことにした。風間さんもそれ以上はその話を引っ張るつもりはないらしく、クリームパンを食べ始めて「そういえばこの前駅前の喫茶店で新堂がいちごパフェ頼んでるの見たよ」なんて世間話を始めるのでその話題に乗った。
     まったく、それにしても宇宙人の失恋ソングのどの辺に共通点が存在しうると言うんだろうか。僕は思い返すに呆れてしまう。風間さんが変なつくり話をするのはいつものことだけど、普段なら僕がなんとなく信じそうになる程度には現実味のある話をしてくるのに。今回は輪をかけてひどい。
     だけど、ふと思った。仮に全てが同じではないとしても、どこかは本当に一緒なのだとしたら、どこからどこまでが風間さんと「同じ」なのだろう? 好きな人が居ること。遠い故郷に帰らねばならないこと。黙っていなくなるつもりであること。宇宙人は、さすがにないだろうけれど……もしこの中のどれか一つでも本当だとしたら。僕は、隣の風間さんを見上げる。風間さんはどこまででも続くお喋りを一旦止めて、不思議そうに首を傾げた。
    「どしたの?」
     僕は、風間さんに聞こうかと思って口を開きかける。なのに何かが僕の言葉を直前でせき止めて、違う言葉にすり替えてしまった。
    「最近日野さんがおしるこドリンクを部活内で広めようとしてて困ってるんです。風間さんは日野さんの友達なんだからその好で引き取ってくれませんか?」
    「嫌に決まってるだろ……何が悲しくておしるこを缶で飲まなきゃいけないわけ……」
    「いやいやそれが美味しいらしいですよ、日野さんいわく」
    「日野の言うことなんだから信用できるわけないでしょうが、ていうか美味しいって言うんなら君が飲めば解決するんじゃないの」
    「いやあ僕はちょっと……」
    「自分の嫌なものを他人に押し付けるものじゃないよ、坂上くん」
    「ちょっと、風間さんがそれ言うんですか?」
     聞き捨てならない言葉に僕が眉を上げると、風間さんは「僕はいいんだよ、僕は」と開き直ったニンマリ笑いを返してくる。僕もいつも通りの疲れの入った溜息をこぼしてやった。
     今、僕は聞くべきだったのかもしれない。でも僕にはどうしても言葉に出して風間さんに尋ねることが出来なかった。それを尋ねるということは、僕の中でくすぶっている名前の無いかすかな感情に明確な形を与え、名前を付けなければいけなくなるということだから。僕はその感情が何かは知っている。でもその存在を認めてはいない。認めたくない。
     だから、僕は、もしもどれか一つでも本当だとしたら聞かなかったことを後悔するだろうとわかっていたのに、それ以上追求しなかった。ただ二人並んでパンをかじりながら、とりとめのない話をして、穏やかな午後の風の中、遠い宇宙に続く空を見上げていた。
    失敗は成功の元(荒風)

     非常にまずいことになった。
     そのとき荒井が抱いた思いは何よりもそれに尽きる。何故なら、突然七不思議の集会の語り部として選ばれてしまった上に、そこで話すべき怖い話がどうしても思いつかなかったからだ。
     荒井は、はっきり言って怖い話など嫌いだった。そんな話を聞いたこともないし進んで探そうとも思わなかった。だから、日野から話すように頼まれた日には何かの冗談かと思ったものだ。しかしそうではなかった。僕にはできませんと必死に訴えても荒井が謙遜していると思い込んでいる日野は、「大丈夫。お前なら出来る!」と言い張って、荒井の断りの言葉を綺麗に聞き流しながらにこやかに去っていったのだ。元来あまり積極性の無い荒井には、ムキになって断り切るということが出来ず、困り果てたまま日野を見送る羽目になった。そして断れなかったことに深い後悔の念を抱きながら、その夜自室でしずみこんでいたのだった。
    「やはりあれがいけなかったのだろうか……」
     荒井はベッドに横になって枕を抱えながらぼんやりといつかの記憶を思い出す。
     そう、あれは日野と出会ってからそれほど経っていない日のことだった……。何かの話のついでで、日野が荒井に何か怖い話をしようとした時だったと思う。怖い話など死んでも聞きたくない荒井は、相手が上級生なのも忘れて咄嗟に強い口調で日野の話を遮ってしまったのだ。
    「やめてください!」
     日野はそのとき驚いたような顔で目を丸くする。荒井は焦った。顔には一切出さなかったがこれ以上無いほど焦った。この上級生の不興を買うようなことがあれば、後々命に関わるような事態に巻き込まれそうだという何かの予感があったからだ。
    「……どうしたんだ、荒井? 今、おれ、なんか変なこと言った?」
    「い、いえ……、そういうわけではないのですが……その……」
     荒井は冷や汗がシャツの背中側をじっとりと湿らせるのを感じながら、動揺をなんとか抑えこんで俯く。どうしよう。どうしようどうしよう。何とかごまかさなければ。しかしどうすればいい。どうすればこの場を乗り切れるというのか。荒井の思考はめまぐるしく回る。
    「荒井?」
    「……」
     こうなったら、一か八か。荒井は意を決して、すっと俯きがちに日野を見上げた。
    「日野さんも命が惜しければ、そんな話はしないほうがいいですよ」
     日野はキョトンとした顔をするが、荒井は日野に口を挟む余地を一切与えずすぐに続ける。
    「わからないんですか、日野さん。この場を包む異様な冷気が。そしてこの学校に渦巻く何かの気配、これは明らかに霊的なものの仕業ですよ。ええそうです、間違いありません。この学校は呪われてるんです。呪いの学校なんです。だから今はその話はダメです。今は学校に巣食う悪霊が僕たちのことを見つめていますからね、怖い話なんかに興味が無いふりをするべきなんです。さあ日野さん、悪霊が僕たちから離れるようにもっと愉快な笑い話でもしてください。それがあなたのためでもあるんですよ!」
     荒井は口から出まかせを一気に迸らせ、一切合切全てを悪霊のせいにしてこの場を押し切ろうと試みる。もちろん荒井には悪霊なんか見えていないし、6月の少しじめじめした熱気はむしろ暑いと感じるくらいだったが、とにかく真顔でまくしたてたのだ。
     日野は荒井の言葉を聞き、少し唖然としていたが、やがて何か期待の新星を見るような輝いた目で荒井の顔を見返し、こくりと頷いた。
    「そうか……。荒井、お前がそんなに霊感が強い男だったなんて、知らなかったぞ! すまなかったな、おれが不用意に怖い話なんか始めようとしたばかりに、そんなに怯えた顔をして……もうしないから、安心してくれ。そうか、それでお前はいつも暗い顔で下を向いていたんだな……恐ろしい悪霊から目をそらすために……」
     日野は一人で勝手に納得しているが、別に荒井は悪霊が怖くてうつむいているわけではない。悪かったな陰気で! と、荒井は心の中で毒づくが、ここでボロを出しては元も子もないので抗議はせずに神妙に頷いてみせる。すると日野はキラキラした一種の憧れでも含んだような表情を荒井に向けた。どうやら完全に信じてしまったようだ。日野も案外単純な男らしい。
     そして日野は、少し声量を落としてひそひそ声で言う。
    「なあ荒井、その悪霊ってどんなやつなんだ?」
    「えっ?」
     これは予想外の質問。荒井は焦りながら、なんと答えようか悩んで教室の片隅を見つめる。そして、また適当にでっち上げた設定を淀みなく口にした。
    「そうですね……何かモヤモヤとした黒い煙のようにも見えます……いや、あれは黒いボロ布をまとっているのかな……黒い絵の具を、キャンバスに滅茶苦茶に塗りたくったような中に、骸骨が顔を覗かせている感じで……そう、白い眼窩には真っ赤な目玉がぎらりと光っていますね……」
     ああ、これ、時田くんの新作映画の特殊メイクと衣装そのままだな……と内心思いながら、日野が映画同好会の新作にはまだ触れていないことを祈る。その祈りは天に届いたのか、日野は気味悪そうにぶるっと震えて首を振った。
    「なんて恐ろしい……お前が怯えるのも当然だな、荒井。さて、そいつを追っ払うためにも、俺が笑える面白い話をしてやろうじゃないか! これ、清瀬っていう俺の友達から聞いた話なんだけどな……」
     ようやく日野は荒井の適当な悪霊話から離れてくれて、知人から仕入れた笑い話を始めた。そして確かに面白い話だったので思わず笑ってしまうと、日野も満足そうにその荒井の様子を眺めていた。そしてすっかり怖い話からも荒井のでっち上げた霊の話からも遠のき戻ってくることはなかったので、それですっかり安心していたのだ。それ以来、日野が荒井に何か怖い話を振ることもなかったから、きっとこれからも無いと思っていた。
     なのに今日。突然、思い出したかのように、日野は七不思議の語り部の一人に荒井を選出したのだった。荒井はぎゅっと枕を抱えなおして、今日日野にかけられた言葉を絶望と共に思い返す。
    「荒井、こういうときこそ、お前みたいに霊に詳しいやつが必要なんだと思う。何か起きた時に、きっとお前ならみんなを助けてやれるだろ。一応、お前の他に対処できそうなやつも呼んでおくが、細田はただ霊が見えるだけで怖がりだし、新堂は腕っぷしは一級品だが霊みたいな存在と渡り合うことはできないと思う。お前の力が必要なんだ。頼んだぜ……」
     荒井は回想の中で爽やかに片手を挙げて走り去っていく日野の背中に向かって「無理です!!」と叫んでベッドの中で足をバタバタさせる。しかしいくら暴れても現実が何か変わるわけでは無い。日野は荒井が霊のエキスパートか何かであると勘違いしてしまっている。確かにそういう誤解をさせたのは自分だが、こんな目に遭うなんて思ってもいなかった。あの時素直に怖い話が嫌いだと認めて謝るべきだったのだろうか。今となっては後の祭りだが……。
    「はあ、どうしよう……学校の怖い話なんて、全然知らないし……何か、トリックでごまかすしかないかな。そうだ、それがいいかも。その場で恐ろしいことが起きたってなれば、下手に怖くもない話をするよりマシかもしれない……」
     荒井はこの前テレビで見たドッキリ番組を思い出す。霊を召喚するという名目で、ゲストの芸人を驚かす企画だ。確か、用意するのはテープレコーダーとドライアイスくらいで、簡単に真似ができる企画だった。そうだ、あれを使おう。もうそれしか無い。
     荒井は意を決して、当日までにそのドッキリを準備して練習することに決めた。
     当日、荒井を二度目の悪夢が襲うことになるとは、そのときは微塵も考えてはいなかったのだった。



     購買で買ったパンと紙パックの緑茶を手に屋上の扉をガラガラ開くと、向かい側の扉横に先客が座っていて荒井に向かい手を振った。
    「やあ、荒井くん!」
    「…………」
     荒井が何も言わずに踏み出しかけた足を戻してガラガラと扉を閉めようとすると、彼は憤慨したように声を荒げた。
    「ちょっと、どこ行くのさ!! 君、こうして先輩がせっかく君のことを待っていてあげたのに、何も言わずに帰ろうなんて、そりゃちょっとあんまりなんじゃないの!」
    「……待ってほしいと頼んだ覚えはありませんが」
     ここで帰っては逆に後々面倒なことになるかもしれない。荒井は仕方なく諦めてまた扉を開け直して、屋上に踏み出した。風間は唐揚げ弁当を膝に乗せて、ついでにチョコレートのお菓子やらスナック菓子やらも横に置いてニコニコしながら荒井を手招きする。
    「そうそう、素直が一番だよ。さ、隣に座りたまえよ」
    「……どうも」
     仕方なしなし、荒井は風間の隣に座って、コンクリートの壁にもたれた。風間は相変わらずニコニコしながら荒井を見つめている。荒井は風間に気付かれぬように小さくため息をついた。
     忘れもしない、七不思議の集会当日……。一生懸命練習してなんとかうまくできるようになった降霊術を、まさか始める前から台無しにされるとは思わなかった。恐らく風間も荒井が参考にしたテレビ番組を見ていたのだろう、風間は荒井が用意していたのとほとんど同じドッキリを、よりによって荒井の話す直前に実行した上に、あろうことか大失敗してくれたのだった。
     いったいなんということをしてくれたのか。荒井は風間に対する殺意でいっぱいだった。ネタが被るだけならまだしも、ここまで盛大に失敗して場の空気を白けさせるなんて、いくらなんでもあんまりである。これでは後発の自分も、降霊術をやろうがやるまいが恐ろしく冷めた目で見られるに決まっているではないか。かといって今更違う話を用意できるはずもなく、荒井は困り果てた挙句に、風間に思い切り八つ当たりしながら、風間の失敗をダシに結局自分も同じことをしようとした。が、やはり風間の一件があったせいか、荒井の誘導にも坂上は頑なに乗ってこようとはせずに、結局荒井もお芝居であることがバレてしまった。顔から火がでるかというほど恥ずかしくて、その場でいっそ死にたいくらいだったが、どうにかその場をやり過ごして荒井は小さく縮こまりながら残りのメンバーの怪談を聞き流していたのだった。
     そして永遠にも感じられた時間を耐え抜き、最後の一人の話が終わった段階で、誰よりもホッとしたのは荒井だったろう。荒井は顔も上げずにそそくさと席を立とうとした。けれども、そのとき荒井の制服の裾をちょいちょいと引いたのは、他ならぬ風間望その人であった。
    「ね、君、荒井くんって言ったよね」
    「……そうですが」
     今もっとも話したくない相手に引き止められて荒井は嫌でたまらなかったが、相手が先輩であることと八つ当たりした気まずさも手伝って荒井は立ち止まって対応する。
    「君さ、さっきは失敗しちゃったけれども、僕の見立てではなかなかの素質があるよ。だって、僕も最初は、君が本当に霊が見えるから僕が茶化したことに怒ったんだと思ったもの」
     頼むからもうその話はやめてほしい、死体蹴りもいいところだ、とまた荒井は半泣きになりかけるが、風間はニコニコしながら続けた。
    「ねえ君、これは類い稀なことだよ。だって、誰あろうこの僕が、他人に騙されるなんてことほとんどないんだからね。君には何か……ある種の素質があるよ、間違いなく。どう、僕と一緒に高みを目指してみないかい?」
     高み? 何の高みだ? ひょっとして、詐欺師か? まさか、共に詐欺師になろうと誘いをかけられているのか? 荒井は混乱する。そして、なんだか前にもこんなことがあったことを思い出す。何だっただろう……ああそうだ、これは以前日野に霊感少年であると勘違いされたときに非常によく似ているのだ。
     そう気づいた途端、荒井はとっさに腕を振り払って、新聞部の部室の扉に飛び付いてガチャリと開ける。
    「結構です!」
     そして脇目も振らずに一目散に部室から逃げ出したのだ。その日の語り部たちには、もう二度と出会わないことを切に祈りながら。
     この学校は広い。だから、きっとあのときのメンバーに出くわすこともほとんどないだろう。特に三年の風間に出会うことなど、あるはずないのだ。その点は安心できる。
     しかし、七不思議特集はどうなったのかは少し心配だった。ただでさえ一人足りなかったのに、自分と風間のせいで二話分さらに減ったとなれば坂上はさぞかし困ったことだろう。しかも、あの場に風間のような人間が呼ばれていたのも、元はと言えばあの日荒井が日野に笑い話をすれば悪霊を追い払えるはずなんて言ったことを律儀に覚えていたからに違いないのだ。あの日の荒井の行動は結果として全て裏目に出てしまったということだろう。そして荒井のせいで七不思議が二話も減ったとも言える。坂上は一体どうしただろうか。坂上に大きな負担がかかっているかと思うと、なんだか罪悪感を覚えてしまう。
     が、その心配は無用だったことを、後日発行された校内新聞で荒井は知った。その新聞内では、風間のいたずらで激怒した荒井が、あのとき用意したトリックを使って、風間に恐ろしい悪霊を取り憑かせて終わったことになっていた。荒井はある種の感動を覚える。よくあんな如何ともしがたい出来事からここまでそれなりに怖い話を作り上げられるものだ。今度、時田に脚本担当として坂上を紹介してもいいかもしれない。そんなことを考えていた荒井には知る由もなかったが、荒井はその新聞のせいで今度は学校中から霊を自在に操るゴーストマスターとして影で噂され、霊をお札に151匹封印するのが夢だとか、ゴーストリーグの四天王と敵対しているだとか、好き勝手に言われることとなるのだった。荒井がそれに気づくことはなかったのだが。
     とにかく、それで七不思議の一件は終わったものと荒井は考えていた。ようやく平和が訪れたと、荒井はひそかに喜び友人の袖山と共にサッカーに勤しんでいたのである。しかし、その平和は長続きしなかった。風間が荒井に付きまとい始めたのである。
    「僕とコンビを組んで大金持ちになろう!」
     そう言って、風間は暇さえあれば荒井の教室を訪れて誘いをかけてきたのだ。当然荒井は断った。そんなことには興味はないとにべもなく言い捨てた。けれども風間は一向に諦めることなく荒井に付きまとい続け、同じクラスの時田や赤川などはおろか、ついには部活内でしか会わない袖山にすら風間の存在を認知される羽目になったのだ。人のいい袖山がニコニコしながら「荒井くんは風間さんと仲が良いんだね」と言う言葉に、反論する気力すらもはや無くなるほどに。
     そして荒井のせいで悪霊に取り憑かれたことになっているとはつゆ知らず、今日も風間は楽しそうに荒井に話しかけて、唐揚げ弁当をつついている。荒井にとって風間ははっきり言ってトラウマである。顔を見るたびにあの日の死にたくなるような恥を思い出して自分の不甲斐なさに憤死しそうになるほどの強いトラウマである。なのに、そのトラウマの塊が毎日毎日荒井につきまとう。地獄のような日々である。しかしそれでいて風間に一切悪意はない。余計に辛い。かと言っていくら邪険に扱っても離れてくれる気配はなく、荒井はもはや風間を台風か何かだと思って諦観と共に受け入れ始めている始末だった。ある意味坂上の大胆な創作は当たっていたかもしれない。あのとき、たしかに悪霊はいたのだ。そしてそれは風間ではなく荒井に取り憑いて、毎日こうして終わりのない悪夢を見せ続けているのである。
     荒井がもそもそと力無く焼きそばパンをほおばっていても、風間は元気よく話し続ける。七不思議の集会のときも一人だけ元気いっぱいだったが、やはりあれが彼の持ち味であるらしい。どんなときでもこの調子を失わないのは羨ましく感じる。風間は荒井とは完全に正反対の人間なのだろう。なのに何故、荒井にこだわってコンビを組もうと持ちかけるのかはよくわからないが。荒井としては、坂上と組んで漫才でも始めた方がよほど将来性があるのではないかと思う。たまに風間が坂上にちょっかいをかけているのを見かけるが、そのときの彼らのやり取りで周りに居合わせた生徒が必ず吹き出しているくらいなのだ。荒井と風間とではこうはいかないだろう。
     現在も、風間は荒井の気のない相槌にも嫌な顔一つせず、楽しげな様子だ。
    「……でね、僕のいとこの丈の話なんだけどね。丈ったらそのドキュメンタリー見たら宇宙人がいるって信じこんじゃってさ、宇宙人が見たい見たいって言って聞かないんだよね。僕としても子供の夢を裏切るわけにはいかないからどうしようかって悩んだわけだよ」
    「そうなんですか」
    「そう、で、仕方ないから新堂に協力してもらって一芝居打つことにしたんだよ。つまり、新堂に宇宙人役をやってもらおうってことになったんだ。でも失敗して嘘だってばれたら丈が僕のこと嫌いになっちゃうかもしれないだろ。それは嫌だから、まずは誰かで試そうってことになってさ。怒らせても怖くない子にしようってんで、坂上くん相手にまず試してみたんだよね」
    「そんなことがあったんですか?」
     話半分に聞いていたが、あの日のメンバーの間にそんなことが起きていたとは知らなかったので、荒井は思わず風間の話に真面目に反応してしまった。
    「まず放課後坂上くんが一人になるタイミングを狙うだろ。そしたら、今は部活終わった後部室に一人残って記事を書いてるって情報をゲットしたから、新聞部の人たちがみんな帰った後に僕が部室に飛び込んだのさ。『坂上くん、大変だ! ウンタマル星人が地球に攻めてきたんだ! このままじゃ君も危険だよ!』ってね。で、次に新堂が飛び込むわけだ。『騙されるな、坂上! そいつはスンバラリア星人だ! 本当に危険なのは、俺たちウンタマル星人じゃなくて宇宙の侵略種族のスンバラリア星人どもだ! 危ないから早くそいつから離れろ!』とか言ってさ。坂上くん目を白黒させてて本当におかしかったよ、もう少しで笑っちゃうかと思ったもん」
    「相変わらずなことしてますね……」 
     新堂もよく臆病な相手に高木ババアの話をしては、相手を怖がらせて面白がっていることは知っていた。確かにこういうことなら喜んでやるに違いない。荒井はくだらない悪戯をするなあと呆れつつも、そのときの坂上の様子を眺めてみたかったなとちょっぴり思った。風間だけでなく新堂もそんなことを言い出したとなっては、さぞかし混乱したことだろう。
     しかし風間はにんまりと笑って、まだまだこれからだというように指を立てた。
    「いやあ、面白かったよ。坂上くんを挟んで、僕はスンバラリア星人として地球人と共存するつもりだからウンタマルの侵略から守ってあげるって訴えるだろ。で、新堂はウンタマル星はスンバラリアの侵略によって滅んだんだから、こんな奴を信じるんじゃないって僕を睨むわけだ。坂上くん、どっちの味方になるか迷ってオロオロしてたなあ。でもさあ、そしたらいきなり部室の扉がガチャって開いたんだよ。誰が来たかと思って僕も新堂もびっくりして扉の方見るじゃない。そしたら、日野がいてさ。すごい真っ青な顔してんの。で、こう言うんだよ。『部室が騒がしいと思ってきてみれば、お前ら……宇宙人だったのかよ……』」
    「……ふっ」
     そこまで聞いてついに荒井は耐えきれなくなって噴き出した。日野にそういうことをすぐ信じ込むところがあるのを知っている分、余計にそのときの様子が容易に想像できておかしかった。くすくすと笑っていると、風間がなんだか嬉しそうに微笑んだ。
    「えへへ。やっと笑ってくれたね、荒井くん」
    「え?」
     風間の言葉にきょとんとしてまばたきすると、風間は紙コップに缶ジュースの中身を注ぎながら言った。
    「僕がいろいろ話してみても、君ってばなかなか笑ってくれないからな。どういう話なら笑ってもらえるかいつも考えてたんだけど、やっと君の笑顔が見れたから嬉しいな」
    「……」
     確かに、いつも風間が話しかけてきても、荒井はあの日の苦い記憶が蘇ってきて憂鬱になることの方が圧倒的に多かったので、風間の話で笑ったことはなかったかもしれない。しかし、風間はいつでも誰に対してもあのような調子だから、それを気にかけているとは思いもしなかった。そして同時に気がつく。風間は、荒井が思っているよりもずっと、荒井に対して好感を持って接していたということに。
     荒井は俯いた。別に、それが嫌だとか、迷惑だと思っているわけではない。むしろ、逆だった。頬が熱くなっているのを自分でも感じるからこそ、風間に見られないようにそっとそれを隠したのである。
    「どしたの?」
     そうとも知らず、風間は不思議そうに首をかしげる。荒井は「いえ……」と言葉少なに否定して、それからちょっと頬を手のひらで押さえてなんとか火照った体温を下げようとする。
    「それから、どうなったんですか?」
    「あ、そうそう! それからがまたすごく面白くってね。荒井くんにも見せたかったなあ。あのね、新堂がまた突然日野を指差して『お前はまさか、地球防衛軍の者か!?』とか言い出してさ……あいつもアドリブ利かせるのうますぎだよな」
     風間はまた機嫌よくニコニコしながら、日野を交えた大立ち回りの詳細を面白おかしく脚色しながら話す。荒井も所々くすくす笑いながら、その話に聞き入った。その度に、風間に対して抱いていた苦手意識が少しずつ氷解していくのを感じる。
     あの日、日野に霊感があると勘違いされたことも、七不思議に語り部として選ばれたことも、当日にひどい恥をかいたことも、荒井にとっては思い出すことも苦痛なほどの憂鬱な思い出でしかなかった。あのとき日野に放ったでまかせも、全部裏目に出てしまったと沈み込んでいた。
     だけど、と荒井は思う。全部が全部裏目に出てしまったというわけではないのかもしれない。風間の楽しそうな顔を見ているうちに、荒井は初めてそんな風に思った。
    小雨 Link Message Mute
    2018/06/15 21:42:09

    風間受けつめ

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