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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    ずっと側に 暦は秋に変わっても、セイヴァールの空は夏の青さを保っていた。中天に浮かぶ太陽も、空の青さに負けじと、力強い日差しを放っている。
     ガウディは、その日差しを機体全体に浴びながら、天の恵みに感謝していた。

     ―――セイヴァール響界学園の昼休み。
     生徒たちの多くは、友人たちと連れだって校舎の外に出、思い思いの場所でランチを楽しんでいる。
     ランチ、といっても、様々な種族が集うこの学舎では、食事の仕方も一様ではない。
     サンドイッチを頬ばる者。サモナイト石を加工した魔力貯蓄箱から魔力を飲む者。薄暗がりにろうそくを立てて、その炎を吸いこむ者―――まあ、色々だ。
     ガウディのように太陽光発電システムを搭載している機械たちの「ランチ」は、中庭の真ん中で浴びる陽光である。

     中庭にずらりと並ぶ機械たちの真ん中で、ガウディは浮遊していた。両手を天に広げるようにソーラーパネルをかかげ、日光をあつめる。
     薄曇りの日の、じわりとした光も味わい深いが、やはり今日みたいなカラっとした陽気は最高だ。充電ゲージが気持ちよく溜まっていく。
     胸の装置が、ピッピッピッ、と音を立てた。満充電。
     ガウディは、空に伸ばしていたパネルを機体内に収納した。他の機械たちも皆同じようなタイミングで次々と機能再開する。電子音と機械変形音で、中庭が急に賑やかになった。
     ガウディは、機械の群れのなかに友人の姿を見つけ、互いにやあやあと挨拶した。
    「今日ノ日光ハ最高デシタナ、がうでぃ」
    「エエソウデスネ。ココ数日雨ガ続イテイタノデ、ばってりー残量ガ23.76%マデ下ガッテイタノデスガ、今ノ充電デアットイウ間ニ100.00%ニナリマシタヨ」
     久しぶりに良い食事ができたおかげで、ガウディの思考プログラムは「きわめて良好」な状態にあった。先日変えたばかりのオイルが、陽射しで程よく熱せられて駆動部にしっとりと馴染み、心地よい芳香を放っていることも、ガウディの気分を良くしていた。
     何だか今日は良いことがありそうだ。そんなことを思いながら、友人と連れだって校舎のなかに入っていく。

    「ソウイヤ、がうでぃ」
     隣を歩く友人が、キャタピラに乗っている上半身をくるりと回してガウディの方を向いた。
    「『XDPGRQI』ノ店主ガ、あるばいとヲ募集スルトイウ話ヲ聞キマシタカ」
     ガウディは、廊下をふわふわと浮遊しながら答えた。
    「エエ。先日店主カラ直接聞キマシタヨ。何デモ……」
     そのとき、何かの騒ぎを察知した。1階事務局の方で、誰かの怒鳴り声がする。緊急事態発生。
     ガウディは、直ちに空中で方向転換し、現場に向かった。がうでぃ、と驚く声を背後に残しながら。

    「何で入学できねえんだよ!」
     声の主は、人間の男であった。
     セイヴァールでは見かけないデザインのコートを羽織り、重そうなリュックを背負っている。体の線は細く、年の頃は15、16といったところか。少年というべきか青年というべきか、迷う年頃である。
     その男―――いちおう青年と言おうか―――は、事務局窓口に身を乗り出し、受付の女性職員に食ってかかっていた。
    「ですから、何度も申し上げているとおり、これは規則ですから」
    「だから、俺は途中からでも全然構わないんだって」
    「こちらが構うんですよお」
     職員は半泣きである。現場到着したガウディは、早速、青年に警告を発した。
    「オヤメナサイ。職員ノ方ガ、オ困リデショウ」
     ああ、ガウディさん、と職員が顔を輝かせる。学園の最上級生であるガウディは、職員の大半と顔見知りである。
     突然の第三者の登場に、青年は明らかに面食らったようだった。
    「な、何だ……ロレイラルの機械……か?」
     言って青年は、マジマジとガウディを見つめた。
     そりゃあ確かにロレイラルの機械ですがね、とガウディは内心で思う。ロレイラル製の機械を見慣れていないかのようなその反応は、ここセイヴァールではむしろ新鮮である。
     ガウディは、浮遊しながら青年に近寄った。青年が後ずさりをする。食い入るような視線はそのままで。
    「先程、入学ガドウノト言ッテイマシタネ。モシヤ、入学志望ノ方デスカ」
    「あ、ああ。そうだ」
     青年は力強くうなずいた。
    「途中入学を認めろと言って聞かないんですよ、この人」と、職員がガウディにささやく。青年がまた何事か職員に食ってかかろうとするのを手で制止し、ガウディは言った。
    「今年度ノ新入生ノ受ケ入レハ、終了シマシタ。我ガ学園ノ入学期ハ『4月』デス。今は『10月』デスカラ、次年度入学時期ハ、オヨソ半年後、トイウコトニナリマス」
     ここセイヴァールでは、1年を12月に分かつ、ナギミヤから伝わった暦が採用されている。そしてセイヴァール響界学園の入学期は、同じくナギミヤの教育機関の例に従い、「4月」と定められていた。
    「それはさっき、そこのお姉さんに聞いたよ。だから何とかして途中で入れないのかって、俺は言ってるんだよ」
     不満そうに青年は言った。ガウディは噛んで含めるように説明した。
    「我ガ学園デハ、入学ノ前ニ、『入学試験』が実施サレマス。ソノ入学試験ハ年ニ1回、『2月』ニ行ワレルノデス。試験ハ、入学希望者間ノ不公平ヲナクスタメ、一斉ニ実施サレルコトトナッテイマスノデ、貴方ノタメダケニ前倒シデ行ウ訳ニハイキマセン。中途時期ノ入試ガ認メラレナイ以上、中途時期ノ入学モマタ、認メラレナイノデス」
     ガウディは人差し指をピンと立てて、先生のように講釈した。職員がガウディの背後で、うんうんと頷いている。
     青年は顔を赤くして、なおも食い下がった。
    「俺はそこまで、待てないんだよっ」 ガウディに一歩詰め寄る。「俺は、事情があって、一日でも早く召喚師にならなければいけないんだ」
    「学園に入学したからといって、召喚師になれる訳ではないですよー。召喚師になるためには、あくまでも誓約相手である響友を見つけないと」
     職員が離れたところから、ハイジャック犯に投降を呼びかけている警察よろしく、口元に手をあてて言葉を投げかけた。青年は、うるさそうな表情で職員を見やる。
    「その、響友の見つけ方ってのを、学園で教えてくれるんじゃないのか」

     ガウディは、さすがにカチンときた。
     学園がそんなものを教えてくれるなら、最終学年の卒業間近で、座学成績上位の自分は、とうに召喚師の響友になっている筈だろう。
    「貴方ハ先程、召喚師ニナル、ナドト勇マシイコトヲ口ニサレマシタガ」
     ガウディは、緑の目をぎろりと青年に向け、ことさら慇懃な口調で青年に言った。
    「少シ考エ違イヲシテイルノデハナイデスカ? 本当ニ召喚師ヲ志シ、召喚師ノ何タルカヲ理解シテイルノデアレバ、響友ノ見ツケ方ヲ教エロ、ナドトイウ台詞ハ出テコナイ筈デス」
     青年は、何か言おうと口をひらいたが、返す言葉が見つからなかったのか、むっつりと唇を引きむすんだ。
    「学園ノ入学方法ヤ時期ニツイテモ、事前ニ調ベレバ、容易ニ知ルコトガデキタデショウ。ソレヲ自分デ調ベルコトモセズ事務局ニ押シカケテ、無理ヲ通ソウトスル。貴方ハ本当ニ、我ガ学園デ学ビ、召喚師ニナル気ガアルノデスカネ」
     ガウディ、という気遣わしげな声が飛んでくるのを聞いた。ふと見ると、騒ぎを聞きつけた学生が集まって、人だかりができている。キャタピラの友人は、その人の垣根から頭だけだして、不安そうな視線をガウディに送っていた。
     青年に再び向きなおる。青年の顔は紅潮していた。わなわなと震え、言葉も出てこないといった風だ。
     まだ幼さの残るその顔を見ながら、少し言い過ぎたか、と後悔し、ガウディは若干声のトーンを和らげて言った。
    「数カ月トイウノハ、貴方ガ思ッテイルホド長クハアリマセンヨ。十分ナ下調ベト準備ヲシテカラ、アラタメテ学園ノ門ヲ叩クト良イデショウ。マズハ一度、親元ニ帰リナサ……」
     言い終わる前に、青年の目が見ひらかれた。
    「帰れたら、苦労しないんだよ!」
     叫んで、わっとガウディに掴みかかってきた。予想しない行動に思わずひるむ。
     青年はガウディの頭部を両手ではさみ、のけぞったかと思うと、思いきり頭突きしてきた。ピコン、とガウディの体内コンピュータが音をたてる。ダメージ1。
    「いってえええええ」
     青年の方は、ダメージ甚大であったようである。赤くなった額をおさえ、涙目になりながら、「畜生!」という捨て台詞とともに身を翻し、走り去っていった。
     ガウディと学園職員、そして人だかりの学生は、呆然として、青年の後ろ姿を見送った。
    (何ダッタンデスカネ。サッキノハ)

     放課後。ガウディは公園の石畳のうえを、浮遊しながら進んでいた。
     レールのうえを滑る電車のように、道のカーブに忠実に沿っていく。
     暮れなずむ空から落ちてくる木漏れ日が、青い鋼鉄の機体に、薄い白色を落としていた。

     夕刻、学園の授業が終わったあとに集いの公園を一周するのは、ガウディの毎日の日課だった。
     機械仕掛けの身である。もちろん「運動不足を解消するため」とか「健康のため」の散歩などではない。どちらかというと、儀式的なものだ。
     鳩時計の鳩のように「決まった時刻に同じ動作をする」という行為は、機械の精神に安定をもたらす。
     ただでさえ、学園という無秩序な喧噪に満ちた場に日々身を置いているガウディは、自らの機械としての精神衛生をまもるため、この夕暮れ時の散歩という鉄の習慣を守っているのだった。

     しかし、この鉄の習慣をもってしても、今日起きた心の波を沈めるのは困難であった。

    (マサカ、機械ノ自分ニ頭突キヲシテクル人間ガ存在スルトハ)
     無謀、野蛮、無分別―――とにもかくにも、理解しがたい行為である。

     不可解な非日常体験は、ガウディの機械としての精神衛生に大変よろしくない影響を残していた。
     青年のわなわなと震える肩や、赤くなった顔、頭をむんずとつかんできた手の感触が、回路に焼きついて離れないのだ。頭部に受けたダメージはとっくに回復していたが、あの青年が触れた箇所がうずいて仕方がなかった。

    「アンナフウニ見境ナク、突然ニ激昂シテ……。マッタク、最近ノ若者ハ何ヲ考エテイルノカ分カリマセンネ」
     古今東西の大人が何億回口にしたか分からない台詞を呟きながら、石畳と並行の角度で丘の斜面を登っていく。秋の風が、ふいに機体の横を吹き抜けた。
     その一瞬、走り去る青年の、コートのひらめきを思い出す。
     柔らかそうに揺れる、あの茶色の髪も。
    「……」
     ガウディは、丘をのぼりきり、ふと動作を止めた。眼前には、暮れゆく空と、かげった緑が広がっている。

     ―――やはり、言い過ぎたのだろうか。
     間違っていることは、一切言っていないつもりだが。

     ガウディは、自分の鋼の右手を見た。キュイ、と手のひらを一回転させる。
     頭部にあててみた。異常なし。ガウディは腕をおろし、丘を滑り降りた。

     石畳のレールの終わりは、広場だった。ここから、広場中央の噴水を中心にして時計回りに進み、元来た道をもどるのがいつもの散歩コースである。
     ガウディは、向かって左に方向転換しようとして、ふと、停止した。
    (オヤ)
     キィ、と音を立て、広場右奥にむかって顔をめぐらせる。ベンチに誰かが座っており、こちらを凝視している気配を感じたのだ。それも、つい最近感じとったことのある気配だった。
     さては知り合いか。近視傾向のある青い機械兵器は、ウィン、と視界センサーをこらした。しかし、よく見えない。
     仕方なくガウディは、空中で右に方向転換をして、相手にふわふわと近づいていった。鉄の散歩コースを変えることに若干躊躇はしたものの、視線の強さが気になった。
     ふわりふわり、と平和に揺れる視界のなかで、徐々に像はむすばれていく。ぼんやりとした茶色と白のかたまりが、少しずつ輪郭にふちどられていく。
     残り距離8メートル。ガウディはようやく、相手の顔を鮮明に認識した。
     相手の顔は、「驚愕」の信号を顔全体から発していた。
     時おなじくして、ガウディの回路にも「動揺」の信号が駆けめぐる。
    「貴方ハ、先程ノ」
    「あんた、さっきの」
     ほぼ同時に発声するなり、青年は、発していた信号を「驚愕」から「憤怒」に変えた。むっつりと唇を引きむすび、おろしていた荷物を乱暴に肩にかけて、ベンチから立ち上がった。
     しかし立ちくらみでも起こしたのか、青年はそのままストンとベンチのうえに腰を落とす。
     青年は恥ずかしそうに俯いたが、精一杯の意地をはって、ガウディを下からにらみあげた。
    「何か用かい、大先輩。説教の続きでもしにきたのか」
     ガウディは、心理ゲージを「パニック」の黄色から「冷静」の青色に何とか沈め、青年に近寄った。
    「偶然、通リカカッタダケデスヨ。ソンナ風ニ、他人ニ向カッテ無闇ヤタラニ喧嘩腰ニナルベキデハアリマセン」
     やっぱり説教じゃねーか、と顔をあげて怒る青年を、ガウディはしげしげと観察した。
     昼間は気がつかなかったが、青年のコートは土で汚れ、裾がほつれていた。肩にかけているリュックも、擦り傷だらけでボロボロだ。
     そして当の青年の体もまた、野宿つづきだったのか埃っぽく汚れており、目の下にはクマがくっきり浮かんでいた。
    (―――帰れたら、苦労しないんだよ!)
     昼間の青年の言葉を思いだし、ガウディはぽつりと言った。
    「家出、デスカ」
     青年は、悪戯をとがめられた子供のような表情をした。どうやら当たりのようだ。
    「ゴ両親ガ心配シテイルデショウ」
    「お気遣いどうも。だが、それは、ない」
     強い口調で言い切り、ぷいと横を向いた。やれやれ、とガウディは内心思う。どうやら、こじれているらしい。
     木々の合間から、チチチ、と鳥の声が聞こえてきた。いつも聞く馴染みの声だ。鉄の散歩時間は、刻々と過ぎていっている。が、このシチュエーションで彼を放置して立ち去る訳にはいかなかった。
     どうしたものかと思いながら、ガウディは質問をつづけた。
    「……年ハ、オイクツデスカ」
    「答える義務はない」 そっぽを向いたまま、青年は言い放った。「が、敢えて答えると16歳だ。あと数か月で17歳になる」
     素直なのか素直じゃないのか分からない。ガウディは思わず、ハア、アリガトウゴザイマスとお礼を言った。
    「ソレデ、コレカラドウスルツモリデスカ」
    「どうするって……このままセイヴァールで暮らすよ。あと半年待たないと、学園には入学できないんだろ」
     事も無げにいう青年の返答に、フーム、と唸る。ガウディは面接官のように質問をつづけた。
    「住ムトコロハ?」
    「まだ、ないけど。これから部屋借りるし」
    「部屋ヲ借リルオ金ハ」
    「……」
     青年は、少し遠くを見て思案顔になった。答えは明白だった。
    「普通、あぱーとハ前家賃デスヨ。アト、契約スルトキニ1カ月分家賃ヲ保証金トシテオサメルノガ、せいう゛ぁーるノ常識デス」
    「何だよそれ。都会はせちがらいな」
     言って、足下の石を蹴る。浮遊するガウディの真下の地面で、石がはねた。
    「マサカ、全クナイノデスカ。オ金」
    「ないよ」
    「ドウヤッテ生活シテイクツモリナノデス」
    「そりゃあ、働くさ」
     青年は、開き直ったように、ベンチの背にもたれた。
    「勤メ先ハ?」
    「これから探すんだよ、もちろん」
     何故か胸を張っている。ガウディは、淡々とした機械音声で言った。
    「住所不定ノ家出人ガ、ソウ簡単ニ仕事ヲ見ツケラレルト思ッテイルノデスカ」
     うっ、と青年は言葉に詰まる。
    「いや、そりゃあホラ、何かあるだろ……親切なオヤジさんが住みこみで働かせてくれるとか何とか……。アッ、何だよその世間知らずの田舎者を見るような哀れみの目は」
    「イイエ、別ニ」
     ガウディは、青年の抗議を軽く受け流した。しばらく間を置いてから、次の質問をする。
    「貴方の故郷ハ、ココカラ近イノデスカ」
     故郷という言葉に、青年は明らかに身構えた。
    「近くねえよ。遠いよ。電車使って片道4日かかる」 そう言ってから青年は、何故か勝ち誇った表情になった。「で、もう、帰りの電車賃も使っちまったんだよな。わはは」
    「……」
    「……」
    「……ハア」
    「溜息なんてものつくなよ。機械のくせに」
     抗議する青年の、ぽわぽわした茶髪の頭を見下ろしながら、ガウディは脱力した。
    「路賃ヲ貸シマス。イヤ、贈与シマス。故郷ニ戻リナサイ」
    「戻らねえよ。何言ってるんだ」
    「ココマデ無計画ナ人間ニ一人暮ラシハ無理デス。常識的ニ考エテ」
    「うるさいな。召喚師になるまで俺は戻らない。絶っ対に戻らないぞ」
     ベンチの背もたれにしがみついて、青年は徹底抗戦の構えをとる。毛を逆立てた猫のようだ。

     ―――さて、どうするか。
     ガウディは、顎に手をあてて思案した。警察騎士団に通報して、保護を求めるべきだろうか。
     16歳……というのがまた、微妙な年齢だ。ここセイヴァールの法律上は、16歳はカンペキ未成年である。だが実際には、16歳から17歳あたりは社会で「ほぼ大人」として扱われている。この年で稼働している人間は多くいるし、ひとり旅をしていて咎められる年でもない。都市によっては16歳は成人年齢で、選挙権だって与えられている。
     リィンバウム的には、半分大人、半分子供という、実に中途半端なお年頃なのだ。

    「あんた、どういうつもりで人の節介焼いてるのか知らねえけど、放っておいてくれないか」
     自分の機体に光をさえぎられた影のなかで、青年が声をあげる。
     何回捕らえられても脱走する獣の顔をしていた。今にも牙をむいて唸り声をあげそうだ。
     ガウディはしばしその顔を見つめていたが、やがて、諦めたように言った。
    「仕方ガアリマセンネ。―――ツイテキナサイ」

    ***

    「何だここ。店か?」

     ふたりは、一件の店の前に立っていた。
     古びたトタン板で覆われた、真四角な箱型の建物である。外装に愛想や洒落は一切ない。あるのは長方形の看板。正方形の窓。そして入り口のみである。
     ガウディの後ろから素直についてきた青年は、扉のうえに張りつけられている角ばった看板を見あげた。
    「この看板の文字、ロレイラル言語だな。ええと、『XDPGRQI』……いかん、発音できねえ。何の店か全然分からねえ」
    「おいる専門店デスヨ」
    「オイル専門店? 何だそれ―――っておい、待ってくれよ」
     扉をあけて店内に入るガウディを、青年は慌てて追いかけた。

     薄暗い店内に漂う、独特な匂いが嗅覚を刺激する。
     様々な種類のオイルの匂いが入り混じって、強く香っているのだ。機械心をくすぐる芳香である。
     一歩遅れて店内に入ってきた青年は、恍惚としたガウディの様子とは正反対に、眉をしかめた。
    「油くさ」
     店の奥のカウンターに立つ、一体の鈍色のロボットが、訪問者に気がついたようだ。ゆっくりと頭部をめぐらせ、ふたりを見据える。
     薄暗がりのなかで白く光るふたつの円形の目に緊張したのか、ガウディの背後の青年は体をこわばらせた。

    『ピー、ガガガー』

     鈍色のロボットの体から、高い電子音が発せられた。
     ガウディは浮遊しながら店奥にすすみ、呼応する。
    『ガーガーピーピピガー』
     
     鳥の鳴き交わしのようなやりとりが、しばらく続いた。
     他に客のいない店内で、機械音声が大きくひびく。
     青年は、扉の前に突っ立ち、所在なさげに肩をすくめながら、ガウディと鈍色のロボットとの交信を見守っていた。
     前触れなく、ガウディが振りかえった。
    「青年、名前ハ」
     オイルの匂いを拭おうと鼻をこすっていた青年は、突如声をかけられ、思わず聞きかえした。
    「え?」
    「名前デスヨ。貴方ノ」
     青年はガウディの顔に視線を向けたまま固まっていたが、ようやく質問の意味が飲みこめたのか、勢いこんで答えた。
    「エルスト」
    「えるすと―――デスネ」
     ガウディは、眩しいものでも見るような目をして呟いた。
     そのまま鈍色のロボットに向きなおり、ふたたび電子的会話をつづける。青年は不安そうな顔をして、ガウディの背を見つめていた。

     5分後。
     ガウディは、青年のまえに戻ってきた。
    「オ待タセテシテ、申シ訳アリマセンデシタ」
    「何なんだよ。ちゃんと説明してくれよ」
     口をへの字にした青年を見おろして、ガウディは頷いた。
    「エエ、えるすと。ココノ店ノ店主殿―――貴方ノ言ウトコロノ『親切ナおやじサン』ガ、貴方ヲ雇ッテクダサルソウデス。ソレモ、住ミ込ミデ―――ネ」
    「ほ……本当か!」
     青年の顔が一気に明るくなった。 
    「ココノ2階ノ倉庫ガ空イテイルソウナノデ、自由ニ使ッテ良イソウデス。仕事時間ハ平日ふるたいむ、昼休ミ付。仕事内容ハ、店内ノ掃除ト接客デス。給料ハソレ程高クハアリマセンガ、マア、少ナクトモ食費相当額ニプラスシテ、チョットシタ小遣イ程度ハモラエマスヨ」
     一拍置いて、付け加える。
    「モチロン、コレハ貴方サエ良カッタラ、トイウ話デスガネ。貴方ガコノ話ヲ受ケルカドウカハ、貴方ノ自由デス。―――オ節介デシタカ?」
    「とんでもない!」 頬を染め、目を輝かせて聞いていた青年は、はっとして頭を振った。「ありがたいよ。実を言うと今、心の底から感激してる。ここで働かせてもらえるなら、俺は何でもする」
     店の奥の店主が、電子音をひびかせた。青年がガウディを見あげる。
    「店長、なんだって?」
    「期待シテッカラ頑張レヨ。トノコトデス」
    「よろしくお願いします!―――って通じないか」
    「多分、何トナク伝ワリマシタヨ。店長、頷イテマスカラネ。サテ、ソレデハ私ハコノ辺デ」
    「あ……」
     青年が、途端に心細そうな表情を浮かべた。ガウディは安心させるように、優しくうなずいてみせた。
    「大丈夫デスヨ、ココノ店長ハ優シイ。ソレニ、店長ダケデハアリマセン。コノ街ハ、外カラ来タ者ヲ受ケ入レル。貴方モキット、ウマクヤッテイケルハズデス。ウマクヤロウ、トイウ心意気ト、幾バクカノ知恵。ソシテ、困ッタトキニ誰カニ頼ル、素直ナ心ヲ持チ続ケテサエイレバ」
     青年は、神妙な顔をして聞いている。
     ガウディは一瞬、この青年の兄になったような錯覚を抱いた。幼い弟に言い聞かせるように、言葉をつむぐ。
    「えるすと。夢ヲカナエルタメニ、焦ッテハイケマセンヨ。貴方ノ夢ハ、イツデモ貴方ヲ待ッテクレテイマスカラネ。―――貴方ガ良キ響友ニ巡グリ会エマスヨウニ」
    「あっ、待ってくれ」
     話し終わって戸口に向かうガウディに、青年は追いすがった。
    「あんた、名前は」
     顔だけやや後ろにめぐらせて、ガウディは答える。
    「がうでぃ、デス」
    「ガウディ、か」
     舌のうえで響きをよく吟味するように、青年は唱えた。
     そして、出会って以来初めてとなる純粋な笑顔を、ガウディに向けた。
    「ありがとうな、ガウディ。昼間は、すまなかった。あんた、良い奴だったんだな」
    「ソリャドウモ」
     ガウディは何だか落ち着かない気分になり、あわてて前に向きなおった。
    「ジャア今度コソ私ハコレデ……」
     腕を引っ張る力があった。ガウディは再び振りかえる。
    「悪いガウディ」 機械の腕をがっしりと掴んだ青年は、邪気のかけらもない満面の笑みを浮かべながら、言った。「親切ついでに、飯、おごってくれねえか」
    「デ、ソノ人間ノ青年ニ搾取サレタ、ト」

     ガウディは、手に持ったドリンクのストローを吸った。中身はもちろん、オイルである。
    「搾取サレタ、トマデハ思ッテイマセンガネ」
     学園帰りに友人と連れだって入ったカフェは空いていた。ガウディら以外に客はない。
     重量級ロレイラル客専用席に通されたガウディは、機界の友と差し向かいで座り、くつろぎの時間を過ごしていた。
    「デモ、オゴラサレタンデショウ」
    「エエ、マア……」
     たっぷりと。ガウディは、すっかりと薄くなった哀しみの長財布を思い浮かべた。
    「大変デシタネ、がうでぃ。―――ソレデ、ソノ青年トハ、ドンナコトヲ話シタノデスカ」
     友人は身を乗り出し、興味津々に聞いてくる。
     無理もない。機械にとって、人間の言動というのは常に一番の関心事である。人と機械が接することの多い、このセイヴァールに在ってなお。
    「ソウデスネ……」
     男メカ2体のためだけに流されるには勿体ない、洒落たジャズピアノを聞きながら、ガウディは、昨夜ひろった青年のことを思い浮かべていた。

    ***

    「おおい親父。追加注文頼む。餃子、らーめん、あとチンジャオロース」
     カウンターに向かってかけられる快活な声を聞きながら、ガウディは、「ナンデモ頼ンデイイデスヨ」などと安請け合いをした30分前の自分を呪っていた。

     ―――青年の食欲は旺盛だった。
     細い体のどこにそんなに入るんだろうか、とガウディが不思議に思うほど、彼は食べまくった。
     積みあがっていく皿を見ながら、ガウディは思わず機体の格納スペース入口に手をあてる。
     懐に入っている財布の中身と、現在までのオーダー合計額を計算した。前者に驚異的なスピードで迫っていく後者に、ガウディは機体をさらに青くした。
     らーめんスープを飲み干して人心地ついたのか、ガウディの視線にようやく気づいて、エルストは照れ笑いを浮かべた。
    「悪い。がっついちまって」
    「イエ。随分、空腹ダッタヨウデスネ」
     言ってガウディは、テーブルの上に置かれていたメニュー表をそろりと指でつまみ、自分の背中に隠した。
     エルストは体をかたむけ、メニュー表の行方を目で追っている。
    「実はこの2日ばかり、何も食わずに歩きどおしだったんだ。最後に食べたメシは、俺がおりた都市間召喚鉄道駅で買った駅弁だったかな。そこからセイヴァールまで、こんなに距離があるもんだとは思わなかったよ。しかも道中、飯屋どころか街も村も全くないもんだから、本気で行き倒れるかと……いや、参った参った。ははは」
     ははは、ではない、とガウディは思う。
     つくづく計画性がないうえ、世間知らずな青年である。本当に勢いで、田舎を飛び出してきてしまったようだ。
     こんなので彼は、この先ひとり暮らしができるのだろうか。先程ケリをつけたばかりの不安が、ふたたび頭をもたげる。やはり無理やりにでも故郷に送りかえした方が良かっただろうか。
    「それにしても、本当に助かったよガウディ。見ず知らずの俺に手を差し伸べてくれて、ありがとう。店長にも感謝してる。さすがは、セイヴァールだな」
    「流石、トハ?」
    「セイヴァールは、信じ信じられる関係を大事にする、響命召喚師たちの街だろう? 手を取り合って助けあうという価値観が浸透して、住民の習慣として身についているんだろうな。通りを歩いていると、すれ違う人たちが皆にこにこ明るくて、優しそうに見えた。人を騙したり裏切ったりするようなトラブルなんて、きっとこの都市じゃ無縁なんだろう、ガウディ」
     機体がむずがゆくなってきた。ガウディはカユカユと手を動かす。
     エルストは、両手にナイフとフォークを握ったまま、うっとりと宙をみつめている。
    「互いに信じあって、自分が持っている以上の強い力をだす。素晴らしいよなあ。憧れるよなあ!」
    「―――何カ少シ、勘違イガアルヨウデスネ」
     と、ガウディはこめかみを押さえながら言った。
     エルストは、きょとんとした顔をする。
    「ココハ確カニ、響命召喚師タチノ本拠地トイウベキ都市デスシ、異界トノ文化交流モ盛ンデス。シカシ、ソレ以外ノ点ハ他都市ト変ワリマセン。紛争モアレバ犯罪モアリマス。司法機関ハふる回転、警察騎士モ朝カラ晩マデ働キドオシ」
    「ええっ、そうなのか」
    「最近ダッテ、『病気ノ母親ノ薬代ガ必要ダカラ、チョットノ間金ヲ貸シテクレ』ト嘘ヲツイテ、通行人カラ金ヲ巻キアゲル詐欺ガ横行シテイマス。貴方モ気ヲツケテクダサイネえるすと。―――ドウシマシタ?」
     向かいに座る青年が目に見えて沈んでいる。
    「いや……何でもない。悪い奴もいたもんだな」
     ガウディは、いやな予感がした。
    「マサカ……貴方、コチラニ着イテ早々、ナケナシノ所持金ヲ騙シトラレタトカ」
    「何でもないって。というか騙されたとは決まってないし」
     説得力ゼロの涙目である。ガウディは本格的に頭痛におそわれた。
    「えるすと」
    「なんだよ」
    「本当ニ、大丈夫ナノデスカ。一人暮ラシ」
    「大丈夫だって!」
     手に持ったフォークを、皿に残っていた酢豚にぐさりと突き刺した。そのまま口に放りこみ、眉間にしわを寄せながら、もぐもぐしている。
    「強ガリデハ、ナイノデスカ?」
    「そんなんじゃないさ。何とかなる。人は自分を信じて死ぬ気になれば、なんだってできる」
    「……」
     エルストは口をぬぐい、不安そうなガウディを見つめ返した。
    「俺はなガウディ。召喚師になる、と啖呵切って故郷を飛びだしてきたんだ。その夢もかなえないうちに逃げかえったら、俺は嘘つきになっちまう。これから先、親父やおふくろに何を言ったって、きっと信じてもらえない。弟にも軽蔑される。それだけは嫌なんだ……俺はここで一から十まで……変わるん……」
     突然、電池が切れたように青年の頭がガクンと落ちた。
     あわててのぞきこむ。うつむいたエルストの顔からは、寝息が聞こえた。
    (眠ッテイル)
     ガウディは姿勢をもどし、呆然と、青年のぽわぽわした頭のてっぺんを見つめた。
     同席者が食事中に突然眠ってしまった、というケースには、初めて直面した。どう対処したら良いのかわからない。
     テーブルのうえには、わずかではあるが、まだ注文した品も残っている。代わりに食べる人もいない。青年の睡眠レベルは深く、起こしても起きそうにない。ここに青年を放置していくわけにもいかない。
    「……」
     しばし腕組みをして考えていたガウディは、とりあえず、青年の握られた手をひらいて、フォークとナイフを取りあげた。
     そして皿に残ったまんじゅうを、青年の口に押しこむ。
    「ぐ」
     ついで青年の襟首をつかんで引き摺り、出口にむかった。
     彼の口から、むぐぐ、とくぐもった声がする(あとで考えると、この対応は若干不適切だったのかもしれない)。
     そうして会計をすませ、青年を引きずって彼の新住居に連れて行き、部屋にポンと放りこんで扉をしめ、帰ってきた。

    「―――トイウ訳デス」
    「大変デシタネエ、がうでぃ!」 目のまえに座る友人は、丸い目を光らせながら震えあがった。「ソンナ『るーちん』カラ大キク外レタ、混沌トシタ1日ヲ送ッタダナンテ」
    「トテモ刺激的デシタヨ」
     ガウディは、手に持ったコップを回しながらつぶやいた。下にたまったオイルをかき混ぜる。
    「ソレニシテモ、最近ノ若イ人間ノ考エルコトハ良ク分カリマセンネ。恐レ知ラズトイウカ、無謀トイウカ」
    「ヤメテクダサイヨーがうでぃ。急ニ老ケコンデシマッタヨウナコト言ワナイデクダサイ」
     目をハの字型に光らせて身をよじる友人を横目に、ガウディは残ったオイルを飲み干した。
    「サテ。ソロソロ、店ヲ出マショウカ」
    「ア、ソウデスネ。コノアト、ろれいらる特区ニ寄ッテイキマセンカ、がうでぃ」
     友人の提案に、若干思案顔になったのち、ガウディは首をふった。
    「イエ……。チョット立チ寄ルトコロガアリマスノデ」
    「モシカシテ、例ノ青年ノトコロ?」
    「マア、ネ。ばいと紹介者トシテノ責任ガアリマスカラ」
     それと、渡したい物もあるし。そう、内心で付け加えた。
     扉をくぐったガウディの姿をみて、エルストは、あきらかにホッとした顔をした。

    「ガウディ」
     ガウディはふわふわと浮遊し、薄暗い店の真ん中で、すがるような目をして立ちつくしている青年に近づいていった。
    「ドウシマシタ、えるすと。ソンナニ情ケナイ顔ヲシテ」
     エルストは、店の奥にちらりと視線をやり、うつむいた。ぽつりとつぶやく。
    「店長の言葉が……分からないんだ」
     アア、と納得した。
     というか、ほとんど予想できた壁ではある。
     旧式ロボットであるここの店長は、ロレイラル機械標準言語しか話せない。
     客の多くは、ロレイラル機械標準言語とリィンバウム言語の両方を話せるバイリンガルな新式機械だからいいとして、肝心の上司と意思疎通できずにエルストが途方に暮れるのは、分かり切っていたことではある。
     紹介者としての責任を感じつつ、ガウディは、肩を落とす青年を見下ろした。
    「ろれいらる日常会話はんどぶっくハ、店長カラ渡サレマセンデシタカ」
    「ああ、もらった。この本だろ」
     エルストが手に持っているのは、リィンバウムの住人向けに書かれたロレイラル機械標準言語の入門書である。たいていの日常会話が発音記号付きで書かれており、市販のロレイラル語本のなかでは最も分かりやすい部類のものだ。
    「これを見ているんだけど、その……聞きとれないんだ」
     恥ずかしそうに告白するエルストに、ガウディはウイーンと腕組みをした。しばし思案する。
     薄暗い店の奥に向かって、声をかけた。
    「店長。えるすとヘノ言イツケヲ、モウ一度言ッテミテクダサイ。―――ピーガガガガガ」
     店奥から、声が返ってくる。ガーガガピーガガピーピーピーガガ。
     青年に向きなおる。
    「えるすと。今ノ店長ノ言葉、分カリマシタカ」
     エルストは首を横にふった。
    「ヨク聞イテクダサイ。今ノ文章ノ中ニ、ホンノワズカナ、息継ギノヨウナ間ガアッタデショウ。コノ間ニサエ気ヲツケテイレバ、文章ガ3個ノ単語ニ分カレテイルコトガワカルハズデス。ガーガガピー、ガガピー、ピーピーガガ」
     あ、とエルストが声をあげた。
    「ガーガガピー……取ってくれ?」
     ハンドブックをめくりながら、上目づかいでガウディに確認してくる。ガウディはうなずいた。
    「次が、オイル、か。最後が、34番……あ……『34番のオイル、とってくれ』か!」
    「ソウデス」 と、ガウディは機体を揺らして大きくうなずいた。
    「ソレデハえるすと。『ワカリマシタ』ノ返事ハ?」
     あわてて、青年はハンドブックをめくる。
    「ええと、分かりました、は……これか。ガ」
     顔をあげ、おそるおそる発声する。
    「ガガガピー。―――伝わったか?」
    「大丈夫デスヨ。チャント伝ワリマシタ」
     店の奥で、店主ロボットが頷いている。
    「お、おお!」
     エルストの表情が、目に見えて明るくなった。ガウディを見あげてくる。
     ガウディがうなずいてやると、エルストは満面の笑みをこぼした。
     ハンドブックをエプロンのポケットに入れて、商品棚にむかって駆けだす。
    「34番のオイル、だったよな。ええと、オイルは番号順に並んでいるんだな……8番……15番……」
     ガウディは、オイル棚の数字札をスムーズに読んでいるエルストの姿に、おや、と思う。
     そういえば、はじめてこの店を訪れたときにも、エルストは看板に書かれたロレイラル文字を読んでいた。
    「えるすとハ、ろれいらるノ文字ヲ読ムコトハデキルノデスカ」
    「ああ。ロレイラル機械標準言語は、故郷で勉強してきたからな。文法や単語の意味は大体分かるつもりだ」
     薄茶の瞳に、角ばった独特の文字を映しながら、エルストはつづけた。
    「ただ、発音が分からないんだよな。俺が読んだ語学書は、機械と実際に会話することを前提としたものじゃなかったから、言葉の読み方や発音方法なんて一切書かれていなかったんだ」
     ―――実際に会話することを前提として書かれていない語学書?
     ガウディは、訝しんだ。リィンバウムの本屋に、そんな本があるのだろうか。
     ロレイラル機械言語で記された書物を読み解くための研究書か。しかし、そういったものは一般人向けに市販されていないし、ましてや小さな村で生活する人間が持っているとは考えにくい。
    「あった!」
     思考をめぐらせていたガウディは、目的のオイル箱を見つけて背伸びしているエルストを視界にとめ、ハッとした。咄嗟に飛びだす。
    「危ナイ」
    「え」
     棚から引きぬくはずみに、崩れ落ちそうになったオイル箱を、寸でのところでアームで押さえた。
     ガウディの機体の影のなかで、青年が、びっくりした顔をして固まっている。
     知らず厳しい目をしていたのだろう。ガウディと視線が合うと、エルストは、しゅんとして俯いた。
    「……すまん」
    「……」
     後ろから、店主の声が聞こえる。エルストが不安そうな顔でガウディを見上げた。
    「店長、怒ってるのか」
    「焦ルコタネエヨ。コチトラ人間ガ最初ッカラ完璧ニコナセナイコトヲ折リ込ミ済ミデ雇ッテンダカラ。―――ダソウデス」
     エルストが、安どのため息をついた。
     ガウディは何もいわず、落ちかかっていたオイル箱を元の位置に押しもどした。

     機械は基本的に、人間に優しい。

    ***

    「何だよガウディ、渡したい物って」
     仕事から上がり、自室にもどったエルストは、床のうえにぺたりと座った。ガウディはその前に浮遊する。

     エルストの部屋には、ほとんど何も物がなかった。
     ベッドひとつ。そして、壁にかかっている一枚のコート。目につく私物といえば、それだけだ。殺風景の一言である。
     そういえばこの部屋、人間に必須だという「トイレ」などはあるのかと思い、エルストに尋ねてみると、トイレも洗面所もシャワーも一通り揃っているということだった。元々ここは店長にゆかりのあるひとりの人間が暮らしていたそうだ。その人間が死んでしまって空いたこの部屋を、つい最近まで店の倉庫として使っていたそうである。

     ガウディは、抱えていたカバンの蓋をあけ、引っくりかえした。どさりと何冊もの本が床におちる。
    「なんだこれ。本?」
    「教科書デス」
    「教科書って……まさか、学園の?」
    「エエ。私ガ学園デ使ッテイタモノノ一部ヲ、持ッテキマシタ。入学マデニ、目ヲ通シテオクト良イデショウ。予習ヲシテオケバ、入学後、講義ノ理解モハカドルハズデス」
    「これ、貸してくれるのか」
     エルストは興奮して頬をそめ、早速教科書を手にとった。ページをひらく。
    「差シ上ゲマスヨ」
    「本当か!」
    「モウ私ハ使イマセンシ、教科書ノ内容ハ全テすきゃんシテ、電子でーたニ取リ込ミ済ミデスカラネ」
    「ありがとう、ガウディ」
     今にも抱きつかんばかりに大喜びし、満面の笑みを浮かべる青年に、ガウディは何故かそわそわとした気分になった。
     青年は、教科書を一面にならべて、うわあ、と声をあげた。
    「異界言語学、異界民生理学、地理歴史……面白そうな本ばっかりだな。ん?」
     さりげなく混ざっていた一冊の本をとりあげ、エルストは怪訝な顔をした。
    「何だこれ、『初めてのリィンバウム! 生活講座・基礎編』? おいガウディ、これって異界から来た学生用の教科書じゃないのか。俺はれっきとしたリィンバウムの人間だぞ。何々……『第3章 かしこい消費者になるために。魔道具訪問販売には気をつけろ』―――何だこりゃ」
    「マアマア。読ンデオイテ損ハナイデスカラ。ネ?」
     これを読ませるのが一番の目的であったガウディは、何とか誤魔化した。
    「うーむ、まあいいけど。こっちの教科書は、『メイトルパ言語学』か。へえ、サハギン語なんてのがあるんだな、知らなかった。ガウディ、これ喋れるのか」
    「マア、一応ハ」
     おおっ、と青年が身をのりだしてくる。
    「じゃあ、『こんにちは』って言ってみてくれ」
     ガウディは、コホンと咳払いをして、機体のてっぺんから声をひびかせた。
    「ウコケケクエェッ」
    「『俺はエルストです』は」
    「ウケッウケッウコケケケェ」
    「すごいなガウディ!」 両手を胸のまえで組み合せて、エルストは感激した。「本物に勝るとも劣らない……あれ、どうしたんだガウディ」
     目を輝かせるエルストの前で、ガウディは自己嫌悪でうなだれていた。何とか気力を振り絞って体を起こす。
    「イエ、何デモアリマセン」

     あぐらをかいて、機界史の教科書に目を落としていたエルストは、ふと顔をあげた。
    「なあガウディ。頼みがあるんだ」
    「ナンデスカ?」
     エルストは居住まいをただした。真剣な顔をして、真正面からガウディを見つめる。

    「学園に入学するまでの間、俺の先生になってくれないか」
     ガウディのみるかぎり、エルストの順応力はきわめて高いようだった。
     あるいは、彼にはセイヴァールの水が合っていたのかもしれない。

    「おうガウディ」
     入口をくぐると、明るい声が飛んできた。
     店の奥、青年がエプロンをつけて、店長とならんで立っている。その姿に、もはや違和感は微塵もない。
     エルストは、店長と二言三言言葉をかわし、駆け寄ってきた。
    「よくきたな!」
    「コンバンハえるすと。仕事ハ終ワッタノデスカ」
    「ああ。もう時間過ぎてるから上がっていいってさ。俺の部屋、いこうぜ。ガウディせんせい」
     言って青年は、人差し指をピンとたてた。

     店の外にまわり、外階段で階上へとむかう。
     外はすっかり暗くなっていた。秋の夜だ。
     昼間はいまだに夏をひきずり暑いのであるが、この時間となるとさすがに涼しく過ごしやすい。隣をあるく青年も、すずやかな夜の香気を胸いっぱいに吸いこんで、目を細めている。
    「貴方ノ評判、イイミタイデスネ。オ客サンノアイダデ」
     外階段をのぼりながら何気なく発した言葉に、エルストの顔がぱっと明るくなった。
    「本当か?」
    「エエ。チョットシタ噂ニナッテイマス。若イ子ガ、体ニおいるヲ塗ッテクレルさーびすガ新シク始マッタ、トネ」
    「へえ……」
     エルストは、笑顔未遂の何ともいえない表情をうかべていたが、ふいに深刻な表情になって、声をひそめた。
    「なんか、この店いかがわしくねえ? もしかして」
    「滅多ナコトヲイウモノデハアリマセン!」 ガウディは仰天した。「120年モ前カラ続ク歴史アル店ナノデスヨ」
    「そうなのか? いや、お前の言い方がなんかちょっと……まあいいや」
     部屋の扉のまえでポケットに手を突っこみ、家鍵をさがしながら、エルストはつぶやいた。
    「それにしても、店長はどうして、人間の俺を雇ってくれたんだろうな」
    「ソレハモチロン、客ガ喜ブカラデショウ」
    「え?」
    「人間ニめんてなんすヲシテモラウノガ嫌イナ機械ナンテ、恐ラク存在シマセンカラネ」
    「ふーん」
     青年の手が、ノブに鍵をさしこんだ。カチャン、と開く。
    「そっか」

    ***

    「ドウイウコトデス、コレハ」
     ワンルームの中心でガウディは、わなわなとふるえていた。
     
    「あ、すまんな。ちょっと散らかってる」
     言うなりエルストのつま先は、床に置いてあった空きペットボトルを倒した。

     ―――ちょっとどころではなかった。
     清く正しく美しくをモットーとするロレイラル機械には、信じがたい散らかりようであった。
     ほんの1週間ほど前に訪れた際、ガウディが「殺風景」と評した部屋は、いまや雑然と増殖した物に占領されている。
     ベッドのうえに放り投げられた衣服。適当に床につまれている雑誌。のうえに乗せられているジュースの紙パック。テーブルを占領している空の弁当容器。容器のしたに、プラスチック買い物袋が敷かれているのも妙に頭にくるポイントだ。
     扇風機を買ったのはまあ良いだろう。しかしその梱包に使われていたと思われる段ボールを、当の扇風機に立てかけているのは一体どういう了見なのだ。

    「聞きかじった感じ、男のひとり暮らしなんてこんなもんじゃねえの。多分」
     言って、雑誌タワーを足で壁に寄せたエルストをみて、潔癖症のガウディは切れた。
     機体をカタカタと震わせ、人差し指を部屋の主につきつける。
    「貴方ハ、多クノ客ガ訪レル店舗ノ二階ヲ間借リシテイル、トイウ自覚ガナイノデスカ」
    「自覚って言われても……別に玄関飛びこして外にまで物置いてる訳じゃねえし。ここ、俺のスペースだし」
     青年は、両手をひろげて威張っている。ガウディは頭から湯気をとばした。
    「ソウイウ問題デハアリマセン! 客ノ気持チニナッテ考エテモミテクダサイ。近クニコンナ汚部屋ガアルト知レバ、良イ気分ニナル筈ガナイデショウ」
    「汚部屋!」
     エルストはショックを受けている。
    「汚部屋以外ノ何者デモナイデショウガ。何デスカソノ散ラバッタめも用紙! 文房具! ぽすたーモ剥ガレカカッテマス。かーてんモチャント紐デ結ビナサイ、ミットモナイ」
    「待て待て待て。何なんだ突然! お前は俺のなんなんだ」
    「良イカラ聞キナサイ! 無人島ニ住ンデイル訳デハナシ、他人ノ目ヲ常ニ気ニシテ自ラヲ律シテコソデスネ―――」
     ガウディは演説をしながら部屋を見渡していたが、ふと窓を視界にとめ、あわてて駆け寄った。
     指でつーっと窓枠を撫ぜる。
     鋼鉄の人差し指についた灰色のホコリに機体をふるわせていると、後ろからうぜえええええという叫び声があがった。
    「違うから! それ俺がくるまえからあったホコリだから!」
    「ソンナコトハ関係アリマセン。何故ニ入居後速ヤカニ掃除ヲシナイノデス!」
     ガウディは、言うなり玄関から外に飛び出していった。
     エルストは玄関にかけより、開けっ放しの扉から外階段をのぞいた。蒼い機械兵器が猛烈な速度で消えてしまったのを確認し、奇声をあげて髪をかきむしった。
     ダダダ、と何かを引きずる音とともに、機械兵器は戻ってきた。なぜか白い三角巾とマスク、可愛いエプロンを身につけている。
     ガウディは片手にもった掃除機を天にかかげ、雄々しく宣言した。
    「徹・底・清・掃!」


     ウィーン、という掃除機の音がひびくなか、エルストは、むっつりとした表情で腕組みをし、ベッドのうえに胡坐をかいていた。
     家政婦スタイルの機械兵器は、掃除機をかけながらチクチクと説教をつづけている。
    「マッタク、ヨクモマア、ホンノ一週間デココマデ散ラカセルモノデスネ」
    「……」
     エルストは、口をへの字に結んでいる。
    「トイウカ、コンナニ物ヲイッペンニ買ッテ、オ金ハ足リタノデスカ」
    「……店長が、生活するのに必要なものを買い揃えろって、まとまった金をくれたんだよ」
     ぶすっとした答えがかえってくる。
    「必要ナモノ、ト言ワレテ、マズ買ッテキタノガ秋ノ扇風機デスカ……マア、オ金ガ余ッテイタノナライイデスケドネ。季節外レデ、扇風機ノオ値段モ下ガッテイタデショウシ。トコロデ、ごみ箱ハドコニアルノデス」
    「それが、扇風機買っちまったら金が足りなくなって―――ってバカやめろガウディ!」
     おもむろにヘッドがはずされ、自分に向けられた掃除機ホースがレーザー砲よろしくキュイィィンと奥に光を集めはじめたのを見て、エルストは悲鳴をあげた。
     どうなってんだこれ。と掃除機ホースをおっかなびっくり覗きこむ青年の隣で、ガウディは、ハッとした。嫌な予感がして、台所を見やる。
    (マサカ……)


    「えるすと! コッチニキナサイ!」
     ガウディは、排水口のゴミ受けを手に持って、頭からプンプンと蒸気をたてていた。目は赤く光っている。
    「今度はなんだよ……って何か怖いなお前」
     ロレイラル機械兵器のマジ切れを目の当たりにして、エルストは後ずさった。
    「コレハナンデス」
     ガウディは手に持ったゴミ受けをかかげ、指をさした。
     そこにはエルストの「出来心」が入っていた。
     青年は、上目使いでガウディを見やりながら答える。
    「プラスチックのスプーンとストロー袋……」
    「何故コンナトコロニアルノデス」
    「分別して捨てるのが面倒だったから、とりあえず流し口に入れちまおうかと……」
    「詰マルデショウガ! 常識的ニ考エテ!」


    「これは良いって言ってるだろっ」
     青年の悲痛な声が部屋にひびいた。アームをベッドの下に入れようと這いつくばっているガウディは、機体をつかんで抵抗する青年と揉みあっていた。
    「何故デスカ。べっどノ下ニ数冊ノ本ノ存在ガ確認サレテイマス。取リダシテ整理シナイト」
    「だからこれは良いんだって! 放っとけよ!」
    「ダカラ、ドウシテデス? 本ハ本棚ニ入レルベキデス。ナケナシノオ金デ買ッタ本ヲ粗末ニ扱ウベキデハアリマセン。大体、本ヨリモ何ヨリモ、マズハ本能ニ直結スル必需品ヲ購入スルベキデショウニ、アンナニ何冊モ買ウナンテ」
    「本能に直結する必需品だからベッドの下に大切に保管してんだよ! っていうかもうお前帰れよ!」


    「ジャア、オ掃除終ワリマシタノデ……」
     光りかがやく部屋の真ん中で、ガウディは、三角巾とマスクをはずし、エプロンを丁寧に折りたたんだ。
     エルストは、ベッドのうえに陣取り、ガウディに背を向けて座っている。
    「コレデ、失礼イタシマス」
     ガウディは、ぺこりと頭を下げ、掃除機を片手に玄関へと向かった。
     それまで無言をつらぬていた青年が、突如立ちあがった。ガウディに振り向き、大声で叫ぶ。
    「今日から勉強教えてくれるんじゃなかったのかよ!」
    「貴方ガ帰レト言ッタノデショウガ!!」

     互いに掴みかかって揉み合うこと10分。
     
     ガウディとエルストは、ひとつのテーブルを挟んで、座っていた。
    「……ソレデハ、始メマス」
    「……おお。たのむ……」
     テーブルのうえには、ガウディのお下がりの教科書が置いてある。
     汚部屋だったワンルームで、教科書一式だけは本棚に大切に納められていた。そのことだけは、ガウディは素直に評価してやってもいいと思っていた。もちろん、口には出しはしなかったが。
     かくして、ガウディ先生の「響命召喚師講座」は始まった。

     生徒エルストは、のっけから優秀であった。優秀すぎて、先生としては存在意義を見失うほどであった。

    「デハ、マズハ異界史カラ……」
    「シルターンの歴史は大体勉強したから大丈夫だと思う。というかこの教科書の内容相当古いみたいだな。ナマクラ幕府の成立年は実は1192年じゃないらしいぞ」
    「ヘエー。ジャア物理ヲ……」
    「うへぇ、召喚時空間屈折率の公式だ。やっぱり学園でも勉強するんだなこれ。俺こういうの苦手なんだ。12歳になってからだったかな、ようやく全部習得したのは」
    「ホウー。デハりぃんばうむ史……」
    「おっ、エルゴ碑文。なつかしいなあ、子供のころに読んだよ。至源の界の意思は、想いにて界を成し生命を育みたもう。故に万物は想い、万事もまた想い。想いこそ至源なり。世の理の輪を回すのは至源にして無限の想いの力なり―――」
    「えるすと」
     目を閉じて序章をスラスラと暗誦するエルストに、たまりかねて口をはさむ。
     青年は首をかしげた。
    「ん? なんだガウディ」
    「……私ハ、貴方ノ勉強ニ、本当ニ必要デスカ」
    「えっ」
     青年はリィンバウム史の教科書を持ったまま、目をまるくした。
    「私ガ貴方ニ教エルコトハ、モウ何モナイ気ガスルノデスガ」
     言ってガウディは憮然とする。授業開始日に、卒業生への祝辞のような言葉を口にするとは思わなかった。
    「んなことないよ」
     エルストは慌てて、教科書をテーブルに置いた。
    「前にも言ったが、俺は語学とかは全然ダメだし、召喚獣の生活習慣とかも勉強したことがないんだ」
    「……」
     ガウディは黙し、緑の目で青年を見つめた。
    「あと、召喚獣の価値観や、芸術文化とか、そういったものも俺は分からないし、だから―――」
    「えるすと」
    「なんだ、ガウディ」
    「『召喚獣』、デハアリマセン」
     たっぷり3秒止まった。
     それから青年が、ハッと息をのんだのが分かった。
    「ソレハ、服従召喚術トトモニ世界カラ消エタ言葉デス。異界ノ民ノ中ニハ、ソノ言葉ヲ差別用語ト考エ、忌ミ嫌ウ者モ多イ。ダカラ、金輪際使ワナイ方ガイイデショウ。貴方ニ、思想的ナコダワリガアルトイウノデアレバ、別デスガ」
     若干、突き放した言い方をしてしまったかもしれない。
     青年は見ていて可哀想になるほどに動揺し、やがて意気消沈したようにうつむいて、ぽつりとつぶやいた。
    「……すまん、ガウディ」
    「イエ。何モ私ニ謝ルコトデハ」
     また言い過ぎてしまったか。ガウディは少し後悔した。エルストに悪気がないことは、その口調と表情から、十分にわかっていた。
     エルストは悲しそうな顔で、つづけた。
    「俺さ。実家にある本を使って、いままで勉強してきたんだ。でもその本ってのが何ていうか、相当―――偏っていてさ。だから俺、つい」
     ガウディのなかで、再びひとつの疑問が頭をもたげる。
    (彼ハ一体、ドノヨウナ環境ノナカデ勉強シテキタノダロウカ?)
     黙りこむガウディに、青年は、すがるような目で訴えかけてきた。
    「ガウディ。俺がお前に教えてほしいのは、こういうところなんだよ。俺は、俺の気づかないところで、多分とても『偏っている』。学園に入ってから、召喚師になってから、皆の前でやらかしちまうのが怖い」
    「……」
    「だから、さ」
    「―――ワカリマシタ」
     あごに当てていた手を離して言うと、青年の顔が明るくなった。
    「デハ、ソノ辺リヲ意識シテ、授業ヲ進メテイキマショウカ。普通ノ座学デハナク、貴方ニ沿ッタかりきゅらむヲ組ミマショウ」
    「あ、ああ!」
     どうやら、自分が教師として彼に教えてあげられることは多そうである。

    ***

    「おいガウディ。何かおかしくないか。これ本当の本当に必要なのか」
     早速反抗をはじめた生徒に、先生は、やれやれとかぶりを振った。
    「何ガデスカ? ドコモオカシクハアリマセンヨ」
     言うと、エプロン姿のエルストは眉をしかめた。右手には泡だて器、左手にはボウルを持っている。
     掃除したばかりでピカピカのキッチンで、先生と生徒はふたり並び立ち、「響命召喚術」の授業をしていた。
     生徒は諦めたように溜息をつき、泡だて器でボウルの卵液を混ぜる作業をジャバジャバと再開した。
    「えるすと、アマリカキ混ゼスギテハイケマセンッテバ」
    「はいはい。つうかお前、すごく偏ってないか? 掃除の次は料理とか。家庭科の先生かよ」
     大変に失敬である。
     ガウディは首のあたりに引っかけたフリルのエプロンを翻し、エルストに向きなおった。
    「異界ノ民ノ生活習慣ヤ価値観ヲ知リタイト話シタノハ、貴方デショウガッ! 霊界さぷれすノ民ガ好キナ甘ーイぷりんヲ作ッテミルコトハ、さぷれすノ民ヲ知ルノニ役立チマス。コレモ大切ナ勉強デス」
    「今のお前の言葉でもう、サプレスの住人が甘ーいプリンが好きってことはよく分かったよ……。本当に、この砂糖の山を投入しなきゃいけないのかよ」
     エルストのうんざりとした視線が、ボウルの横に置かれた砂糖袋に向けられている。
    「モチロンデス。実戦第一」
     ガウディは空中に浮遊しながら、エプロンをはためかせてうなずく。
    「わかったよ。ところでお前のそのエプロン、意味あんのか? 機体にまるでかかってないだろ。エプロンの趣旨を誤解しているんじゃないか? ―――よっと」
     エルストは、砂糖の袋をボウルのうえで傾け、ばふっと入れた。袋を完全にさかさまにして揺さぶり、最後の一粒まで砂糖を落とす。
     泡だて器を再び手に持ち、ボウルにつっこんだ青年は、うわあ、と嫌そうな声をあげた。
    「じゃりじゃりする……絶対にプリン以外のものができる気がする……」
    「手ヲ止メナイデ、動ク、動ク」
     へいへい、と気の抜けた返事をしながら、エルストは、ボウルにざくざくと泡だて器を突き立てはじめた。

    「俺が学園に入ったら、ガウディは先輩だな」
     一心不乱に砂糖をつぶしていた青年が、ふと、思いついたように言った。
     徐々に卵液と混ざって黄色くなっていく砂糖の山をじっと見つめながら、ガウディは答える。
    「私ハ、来年3月デ卒業シマス」
    「え。そうなのか」
     泡だて器が一瞬止まる。
    「ハイ」
    「そっか」
     言って、青年は泡だて器のボーリング作業を再び再開した。
    「ガウディは、まだ召喚師と誓約していないんだよな?」
    「……エエ」

     ガウディは結局、召喚師と巡りあうことができなかった。
     落胆がないといえば嘘になる。
     しかし、仕方がないと割り切ってもいた。
     学生が学園在籍中に召喚師あるいは響友を得ることができたという例は、今まで決して多くはない。その事実を、ガウディはよく知っていた。
     このデータに不思議はない。
     セイヴァール響界学園の学生は、皆が皆、魂のパートナーとの出会いを熱望している。しかし求めたからといって会えるわけではない。それが運命の相手というものなのだから。
     
    「ガウディは、卒業したらどうするんだ」
    「ロレイラル特区デ、就職スル予定デス。働キナガラ異世界調停機構ノ召喚盟友ニ登録シ、召喚師トノ出会イヲ待チタイト思ッテイマス」
     本当は、それこそ学園の教師になる道も考えていた。自分は人に何かを教えることが好きだった。
     だが、ロレイラルの親友があるとき「学園の教師になりたい」と目を光らせて言うのを聞いて、なんとなく、ガウディは教職希望を取り下げた。学園の教員枠はとても狭い。その枠を友人と取り合ってまで、教師になりたいとは思わなかった。
    「ロレイラルには帰らないのか」
     言ってボウルの中に指をつっこみ、味見をした青年は、うわ甘え、と舌をだして顔をしかめた。
    「帰ルツモリハアリマセン。ろれいらるニハ、特ニ愛着ガアリマセンノデ」
    「故郷なのに?」
     自分のことを棚に上げ、家出人が不思議そうな顔をしている。
     ガウディは、淡々と呟いた。
    「私ハアノ故郷ニ、ホトンド『思イ出』トイウモノガナイノデス」

     もちろん、製造から数十年ロレイラルで稼働した実績がある。それ相応の「記録」は、体内に残っていた。
     しかしその記録は単なるデータでしかなく、感慨を伴わないものであった。

     ガウディに「自我」というものが生まれたのは、突然だった。
     何がきっかけだったのかは分からない。
     ある日ガウディは、規則正しく、同じ速度、一定間隔ですすむ同種機械兵器の列から、ふらりと抜けだした。
     ガウディの抜けた穴をかかえ、列はヘビのように滑らかに、さだめられた進路に沿って、去っていった。
     ガウディだけが残った。
    「―――がうでぃ」
     自分の個体名をはじめた呼んだ声は、自分自身のものだった。
     ぷかぷかと一所に浮遊し、灰色の空をみあげたガウディは、自分が故障したのだと判断した。そのまま、スクラップ場に移動した。
     スクラップ場には、バチバチという白い光が漏れている壊れた戸枠があった。
     ガウディは何となしに、その枠をくぐった。電撃に撃たれ、約数時間機能停止した。
     再開したガウディは、心配そうに自分を見おろす、幾人もの異世界調停機構召喚師の顔に囲まれていた。
     
    「―――ト、イウ経緯デ、私ハりぃんばうむにヤッテキタ、トイウ次第デス。
     今思エバ、私ガ何トナシニクグッタアノ戸枠ガ、『げーと』ダッタノデショウネ。
     以降私ハ、調停召喚師ヤ、ろれいらるノ先達タチニ導カレ、自我ヲ育テテイキマシタ。ソノウチ、モットコノ世界ノコトヲ学ビタイト思ウヨウニナリ、学園ニ入学シ、今ニ至ル、トイウ訳デス。―――えるすと、手ガ止マッテイマス」
    「え? ああ、悪い」
     生い立ちを語るガウディの横顔を食い入るように見つめていたエルストは、あわてて砂糖を混ぜる作業を再開した。
    「そっか。ガウディは、ゲートをくぐったんだな」
     ぽつりと、つぶやく。
    「……同じだ。俺も、ゲートをくぐりたくて……」
     明度を落とした声音に、ガウディは聞きかえした。
    「えるすと?」
    「何でもない」
     エルストはあわてて首をふり、顔をあげ、明るい声で言った。
    「お前がスクラップにならなくて良かったよ。せっかくこんなにきれいなのに」
    「キレイ」
     突拍子のない発言に、思わず機械音声がひっくり返る。
    「ああ。色も形も、すごくきれいだ」
    「……私ハ、機械兵器デス」
    「知らないよそんなの。―――実を言うと、学園で初めて会ったとき、一目惚れしたんだよ。すごくきれいな機械だなって。バイト始めてから色々な機械をみたけれど、やっぱりお前のが一番きれいだ」
     青年がたてる、ざく、ざくという砂糖の音を聞きながら、ガウディは固まっていた。どう反応して良いか、まるでわからない。
     返事がないことに不安になったのか、エルストはガウディの顔をのぞきこんできた。
    「もしかして、こういう言い方って、お前達にとっては失礼になるのかな」
    「イイエ、ソウイウコトハ」
     ありません、と否定すると、青年は良かった、と白い歯をみせた。
    「ガウディなら、きっと良い響友が見つかるさ。俺が保証する」
    「ソレハ、ドウモ」
     ガウディは居心地が悪くなり、エプロンで、濡れてもいない手を拭いた。
    「で、ガウディ」
    「ハ、ハイ! 何デショウ」
     飛びあがって答えると、青年は泡だて器をふってクリーム色のザラメを落とし、真顔になってガウディの顔をのぞきこんだ。
    「この甘ーい砂糖の塊は、いったい誰が食べるんだ?」
    yoshi1104 Link Message Mute
    2018/09/29 5:00:23

    ずっと側に

    (エルスト+ガウディ)

    ##サモンナイト

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    ずっと側に
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