金糸雀ノ詩 どこからか歌声が聞こえてきた。
「これは……」
少し温み始めた風に流れていった紫煙を見送り、煙草を消した白秋は歌声のする方へと足を向ける。
中庭の、若い芽の付き始めた木々の向こう。
ふわりと薫る白梅の奥に、しゃがみこんだ深い緑のジャケットの背中が見えた。
「そこで何をしているんだい?」
「っ!」
声を掛けてみれば華奢な肩が大きく跳ねた。
悲鳴を上げかけたのか、両の掌で口許を覆った司書は、肩越しに振り返り目を見張る。
「驚かせてすまなかったね」
「しーっ」
そう言いつつ近付こうとすると、司書は唇の前に人差し指を立てた。
どうかしたのかと覗き込んでみれば、しゃがみこんだその足元には、数匹の猫の姿。
そぅっと歩み寄り、隣に同じようにしゃがみこむ。
「これはまた、気持ち良さそうに……」
すぅすぅ、と警戒心もなく、猫たちはそこで眠っていた。
その体を司書が優しく撫でる。
「君の子守唄のせいかな」
囁くように告げれば、司書は驚いたように白秋の顔を見た。
「聞こえてきたのだよ。歌声が」
ゆりかごのうたを
カナリヤがうたうよ
優しい声がゆっくりと歌っている声が聞こえてきたのだ。
「っ…………」
俯いた司書の頬が僅かに朱を帯びる。
まさか、よりによって白秋に聞かれていたとは……と恥ずかしくなって、顔も見れなかった。
「懐かしい詩に誘われて、ここまで来たのだけれど……まさか、君だったとはね」
司書は歌うことが好きだ。
小さい頃から歌ってきたたくさんの歌。
その中でも、好きだったいくつかの詩を作ったのが、今自分の隣でニコニコしている人だということを知ったのは、出会ってからだった。
勿論、作詞者の名前としては識っていたけれど……その名前とこの人とが結び付いた時、司書の中で何かが変わった。
「もう一度、聞かせてはくれないのかい?」
猫を起こさないためだと分かっているけれど、そんな声で、耳元で囁かないで欲しい……司書は今にもそう叫んで逃げ出してしまいたくなった。
そうしないと、暴れだした鼓動に気付かれてしまいそうだから。
「さあ」
チラと向けた視線の先で、機嫌良さそうに微笑みながら強請ってくる白秋に、司書は観念して唇を開いた。
ねんねこねんねこ
ねんねこよ
しゃがんだ膝に肘を付き、優しい声で歌う司書の横顔を眺めていると、くすぐったいような感覚が胸を揺すった。
頬を撫でるように早春の風が吹き過ぎてゆく。
――猫に交代してもらいたいものだね……
などという子供じみた我が儘を口にしたとしたら、彼女はどんな顔をするだろうか?
不意に過ったそんな悪戯心に、白秋はクスリと笑みを浮かべたのだった。