朝蝉 しんと静まりかえっていた窓の外から、夏を象徴する賑やかな鳴き声が聞こえてきた。
それは、ひとつからふたつ、みっつ、と増えていって、いつの間にか大合唱を響かせる。
沙理は、耳に届いたその大合唱にハッとして読み耽っていた本から顔を上げた。
窓に掛けられたカーテンの隙間からは、星明りではなく朝日が薄っすらと差し込んでいて、慌てて視線を向けた時計が早朝の時間を示していることに気づき、しまったと天井を仰いだ。
「やっちゃった……」
休みの前夜は、いつもより少し遅い時間まで本を読むことが多い。
仕事疲れで途中で寝落ちることもよくあるが、夢中になって今日のように気づけば朝になっていることも……たまにはやってしまうのだった。
大きく伸びをしてカーテンを開ける。
窓の外には、研究棟と宿舎棟に囲まれた中庭が朝日に照らされていた。
「あれ?」
その中庭に見慣れた人影があるのに気づいて、沙理は慌てて部屋から飛び出したのだった。
早朝の静寂を破って、蝉の大合唱が中庭に響いていた。
見上げた空は、まだ少し夜の色を残している。
足元からは靴裏が踏みしめる地面の微かな音。
それに混じって、離れたところから軽やかな足音が聞こえてきて、彼は足を止めた。
「おや」
振り返れば、眩しい朝日を背に駆けてくる長い黒髪の女性の姿。
「そんなに急いでどうしたんですか」
くすくすと小さく笑いながら問えば、目の前で立ち止まった彼女は息を弾ませながら顔を上げた。
「おはようございます。乱歩さん」
「ええ、おはようございます」
部屋から姿が見えたから。そう言って笑った沙理に、乱歩は目を瞬かせた。
「早起きですね」
「えっと……」
つい、と逸らされた視線。
首を傾げて見せれば、沙理は苦笑を浮かべた。
「実は……本を読んでいたら朝になっていて……」
思わず、ふふっと笑いが零れてしまう。
「アナタもでしたか」
ぽかんとした沙理に、乱歩は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「実は、ワタクシも本を読み耽っているうちに夜が明けてしまいまして……仕方なく早朝の散歩を、と」
促されてベンチへ並んで座る。
「……沙理さん」
「はい?」
一瞬、乱歩の瞳がどこか遠くを見つめたような気がして、沙理は膝に置かれた彼の手に自分の手を重ねた。
不意に、昨年の今頃のやり取りを思い出したのだ。
「……大丈夫ですよ」
笑みを浮かべ沙理の手を握る乱歩。
「アナタがここを帰る場所と言うのであれば、ワタクシもここを――アナタの傍を帰る場所といたします」
さらさらと髪を梳く指が心地よくて、沙理はそっと乱歩の肩へと頭を乗せた。
「今日は一日、ワタクシと一緒に過ごしていただけますか?」
「もちろんです」
明け切った夜。
晴れ渡った青い空が広がる空の下。
蝉たちの賑やかな大合唱が響く中で……
二人隣り合い寄り添いながら同じ時を過ごす。
これから先も……
共にいたいと願う限り