秋-toki- カーテンを揺らして中庭から吹き込んできた風の冷たさに、本織沙理は司書室の窓を閉めた。
「先生、寒くないですか?」
そう問いかけながら振り返った沙理は目を瞬かせた。
視線の先には、真剣な表情で開いた本の紙面に視線を落とす江戸川乱歩の姿。
彼にしては珍しく、普通の眼鏡をかけ、普通の服を纏い、最近手に入れたらしい新しい本を読み耽っている。
どうりで静かだと思った……
苦笑を浮かべ、そうっと近くへと歩み寄る。
「まさか、このような……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、目は紙面の文字を追いかけて、近寄ってくる沙理に気付いているのかいないのか。
いつものエンターテイナーの仮面はどこへやら、彼は完全に本に没頭しているようだ。
これが談話室の、他の文豪たちの目がある場所だったならば、さすがにここまで無防備ではあるまい。
同じ時間を過ごすことの多い沙理にだからこそ、このような姿も見せるのだろうかと思うと、少しばかりこそばゆい嬉しさが胸に溢れた。
しかし……
「乱歩先生」
ぽつりと小さな声で呼びかけるけれど、応えは返ってこない。
二人きりの司書室で、本に視線も興味も盗られてしまったようで、沙理は小さく唇を尖らせて乱歩の座る椅子の後ろへと近寄った。
いつもならば、すぐに気付いて振り返ってくれただろう。
読書の邪魔をしたいわけではないが、寂しい気持ちも抑えられない。
今日を休日にできなかった沙理の元に、「今日はコチラで一緒に過ごしましょう」と言って訪れてくれたというのに……
「乱歩さん」
もう一度呼びかけた声は、自分が思っていたよりも情けないほど小さかった。
「…………」
身じろぎひとつしない背中が恨めしい。
それならば、と沙理は手を伸ばした。
「そんなに寂しかったのですか?」
「えっ?えっ?」
邪魔になっても構わないとばかりに後ろから抱き着こうとした手は、あっさりと乱歩に捕まって……楽し気に笑んだ青い瞳が驚いた顔の沙理を映す。
「少しばかり意地悪をしてしまいました」
そう言って眉尻を下げるけれど、その目は絶対に悪いだなんて一欠片も思っていない。
「き、気付いてたんですか!?」
「ワタクシが気付かないはずがないでしょう?」
抗議の声を上げた沙理に、乱歩は悪びれもせず笑みを浮かべる。
いつから……と発しかけた声は音にはならず、沙理は目を瞠った。
「誤魔化さないでください」
解放された唇を尖らせて拗ねたように呟けば、クスリと小さく笑った乱歩は手にしていた本を置いて立ち上がる。
「さて。少しワタクシと散歩にでも出かけませんか?」
お仕事は一段落したのでしょう?と視線を執務机に向けて問う乱歩に沙理は頷いた。
「では、まいりましょうか」
「あっ!ちょっとだけ待ってください」
ハッとして沙理は慌てて執務机へと駆け寄ると、どこに隠していたのか何やら包みを一つ大事そうに抱えて戻ってきた。
「そろそろ外も冷えてきたので、これ……」
おずおずと差し出されたのは、青いリボンが結わえられた何か。
「開けても?」
「あ、はい」
リボンを解き開いてみれば、中から出てきたのは見覚えのある――普段から纏っているマントの裏地と同じ柄をした、マフラーだった。
「アナタがこれを?」
珍しく目を瞠って驚いた顔をしている乱歩を満足そうに見つめて、沙理はにっこりと微笑んだ。
「乱歩さん、お誕生日おめでとうございます」
「嬉しいですよ、沙理さん。ありがとうございます」
首へとマフラーを巻いてみれば、なるほどこれは温かい。と、本を読んでいるうちに体が多少冷えていたことに気付いた。
「それでは改めて、まいりましょうか」
「はい」
差し伸べられた乱歩の手を取って、寄り添うように並んで司書室を出る。
紅葉し始めた中庭を並んで二人ゆっくりと歩く。
そんな穏やかな時間も愛おしいと思った。