⑨ご挨拶しましょ学園の闇の鏡に足を踏み入れ、到着した先はイデアさんの地元である嘆きの島だ。
イデアさん曰く、ここからご実家のある場所までは渡舟に乗って向かう。幼少期にジェイドとフロイドと共に、海の上で船に乗っている人間たちを岩間から覗いて見たことはあるが、自分が乗るのは初めてだ。
船乗り場には僕たち以外の人影は見当たらず、舟渡しのような恰好をした人がいるだけだ、しかも見た目だけで言えば年配の男。イデアさんはその男に声をかけた。
「…やあ、じいや元気かい?」老人は声が聞こえた方に顔を向けた。イデアさんの顔を見るに驚きの表情をしてから、すぐに穏やかな笑みを向けてきた。
「これは!イデア坊ちゃん…!しばらく見ないうちにまた大きくなって…!」
「しばらくって、この間のホリデーに会ったばかりじゃない…身長は全く伸びてないよ」
「おやそうでしたかねえ?最近どうも記憶力がねえ~、まあ細かいことは気にしない…おや、そちらのお人は…」老人は僕の方に目を向けてきた。
「ああ…じいや、この人は…その……」
イデアさん、そこはどもってしまう所じゃないでしょう…。僕は自己紹介をしようと口を開いた。
「も、もしや坊ちゃんのその反応…アンタ、坊ちゃんの恋人さんですかな!?」
「ちょ、ちょっと!じいや!?」
「…ふふ、自己紹介が遅くなりました。私はアズールと申します。この度はイデアさんのご実家のパーティーにご招待いただきまして、嘆きの島に来ました」
「それはそれは!このような島に遠い所から…お疲れでしょう、あとはワシに任せておくれ!さあさあ、お二人は船に乗って下され!」
「じいや、張り切り過ぎでは…」
「何をおっしゃる!小さい赤ん坊の頃からみてきた坊ちゃんが!ご実家に初めて人を招くとありゃあ…!それがなおさら恋人さんと来た!ワシの船乗り生命をかけて張り切るしかないじゃろ!」
「…イデアさん、ご実家に人を招いたことないのですか?」
「そこに反応しちゃう!?…そうですよ!小さい頃からオタクでどうせ家で友達と遊んだりなんてしたことないですよ!これ以上拙者のHPに攻撃しないで…!」
「いいえ…自分が、【初めて、イデア・シュラウドに招かれた者】なのが嬉しいので確認しただけです」
「!?…そ、そうですか……うへへっ…」
「か~~!若いの!坊ちゃん!折角の男前が台無しじゃ、恋人さんの前じゃ!シャキッとしなされ!」
そう言いながら、じいやさんはイデアさんの背中をバシッ!と音が鳴るレベルで勢いよく叩いた。
「!?~~~~いっっったあ!!」
「ふふっ、イデアさん背筋が伸びましたね」
「そういうレベルじゃないんですけど!?」
「さあさあ、早く船に乗って下され」
「え、これ僕の反応がおかしいの…?」
「背中はさすってあげますから早く乗りましょう」
「…わかった…」
そういって僕たちはじいやさんが船の船頭に立った渡り船に乗り込んだ。
「今回、観光はする時間は無いから、このまま直接家の方まで頼んだよ」
「かしこまりましたぞ」
「よろしくお願いします」
「若い二人は、ワシの事は気にせずに話でもしていてくだされ、それじゃあちょいと失礼しますぞ」
「…え!?」
そういうと僕たちが乗っている船の周辺だけ結界のような魔力につつまれた。
「これは、じいやの力だから安心して、うちの家近くの海辺には迷える魂が漂っている事があって…、中には厄介な者もいるから、防護魔法を発生させながら運んでもらっているんだ。傍から見たらこの船も見えてないよ」
「なるほど…でも、あの方は結界の外側に出てしまっているのですが…」
「じいやはね、僕が生まれるもっとずっと前から、ここの船渡りをしていてね。どんな魂も悪さはしてこないんだって、正直実年齢は僕も知らない」
「…世の中にはいろんな方がいらっしゃるのですね」
「…ア、アズール氏」
「なんですか?」
「いや、迷える魂とか辺りでツッコミ来るかなって思ってたから…不気味じゃない?」
「ああ…そんな事いったら僕の地元の深海でのハロウィンの時期なんて、そこら辺に似たような存在がいたりしましたし、なんなら陸の人間が海に落ちてきてそのまま…」
「タイムタイム!海の中も物騒なのはよく分かったから!…君が怖くないならそれでいいよ…」
「おや、気遣ってくださったのですか、ふふふっ、ありがとうございます」
そう言いながら僕はイデアさんの背中を擦りつつ、船から辺りを見渡した。
嘆きの島…本島は地元民が暮らしており、観光客も泊まる宿泊場は数件あるそうだ。僕たちは、シュラウド家を含めた旧家がある離島に向かっている。イデアさんが言うには「旧家って言っても、うちの分家とかばかりだから…実質シュラウド家の所有する土地って感じですな」とのこと。
学園では、常にパーカー姿で、授業も殆どタブレットを使ってリモートで受けているから忘れられがちだが、この人も、王族や豪商の家系の子息が通うNRCの中でも、上位の名家なのだ。
「イデアさんはもっと自分の価値というものを正確に把握されるべきですよ」
「えっ、突然のディス?HPがまた減る…」
「島にきて確信に変わりました。イデアさん、貴方、陰キャでコミュ力なんて皆無って言いますけど…自分が懐に入れた相手には、きちんと、コミュニケーションも取れてますよ」
「……アズール氏?ど、どうしたの…」
背中を擦っていた手をそのまま彼の両手に包まれた。そしてマントのパーカー部分を被っていて見えていない顔を覗き込んできた。
「学園でもそうですが……どなたとは言いませんが、僕の知らないところで貴方が誰かと楽しそうにしてるのを見かけると……寂しいような、苛立ちのような感情と言えばいいんでしょうか…正式に恋人になってからは…それが悪化してます。」
「…、アズール氏」
「醜いですね…自分自身でもこの感情をコントロールしようと色々試みたのですが…」
「ねえ、アズール」
しまった、なんでこんなこと、今、口走ってしまったんだ…。
「…それって、嫉妬してくれたってこと?」
(嫉妬…?これが…?)
「……よくわかりません、人魚の頃はこんな感情抱いたことなかったです」
「…そうか~…でも言っておくけど、僕も、今、君が言ったのと同じような感情は、しょっちゅう思ってますぞ」
「えっ」
「君はラウンジの事や、契約関係の事でいろんな奴と話してるじゃないか、君がラウンジの為に努力してることは分かってるから…僕のこんな気持ち伝えるわけにはいかないと思っていたからさ…、学園生活殆どリモートで過ごしてる陰キャラが、生身で部活参加してるのなんでかわかる?」
「…趣味のボドゲは対面でやりたいから…」
「はあ~、それも確かにありますけど~…君と二人で過ごせる時間だから…部活中の時なら、次の一手がどう出るのかって、君は目の前の僕の事だけ考えてくれてるから…」
「!…ふふふっ…あははは!」
「えっ!?待って!?そんな笑っちゃうシーンだった!?少女漫画的には胸キュンしてくれるシーンだったと思うのですが!?」
「あははっ…ははっ!イ、イデアさん、貴方、愉快な勘違いをされています…ふふふっ」
「えっ…!?なになに!?そんなのは陰キャの妄想乙って事…?そうだった拙者のHPはもうゼロ…」
泣きそうな表情の彼にまた笑みがこぼれそうになる。
「ねえ、イデアさん聞いてください」
フードを被って表情の見えない僕の顔を覗き込む彼の顔を両手で包み、グッと顔を近づけさせて耳元で小声で囁いた。
「僕も、ずっと貴方の事ばかり考えてしまうんですよ。なので部活中だけではありませんよ」
「っ!!」
彼の表情は見えないが、いつも違い高い位置で結ばれた青い炎が紅い炎に変わっていく様子に、ふふふっとまた笑ってしまった。
結界の外から「こりゃあ、お熱いの~」という声が聞こえた気がする。