あんまりソワソワしないで百音さんと、念願の同居がかなったのは婚姻届を出してから20か月後のことだった。婚姻届を出したころには、もしかしたら3年ぐらいは遠距離婚かと思っていたから、なんなら早かったな、と思ってしまうぐらいだが、登米方面だけでなく、あちこちからは、やっとか、と言われ倒していて、百音さんと二人で、そうかな、と笑いあったものだった。
新居の場所は、二人の仕事の利便性を鑑みて一関の駅徒歩10分ほどのマンションになった。お互い、物件に希望する条件を出し合って、優先順位を話し合い名が物件を探して。百音さんも、所帯を持つ練習だ、と気仙沼の本土で一人暮らしをしてみたことで、住まいに自分が求めるものの解像度がだいぶと上がったようで、やっぱり、一人暮らししてみてよかったんですよ、と笑っていた。
引っ越しの順番はちぐはぐなもので、気仙沼の元の住まいから1時間程度の距離ということもあって、百音さんが先にこの家で生活を始めた。けど、諸家電は僕が東京で使っているものの方が大きかったりスペックが高かったりしたので、百音さんが生活を始めると同時にそれらが使えるように、引っ越しをさせて。当の僕はと言えば、何もない家でさすがに3週間以上過ごすのは無理があって。
じゃあ、家に帰らず病院で仕事をしてればいいじゃないか、と思っていたら、中村先生に、昨今の働き方改革を知らんのか、と、どこでどう手を回したのか、単身寮に放り込まれ。その後に、一関に引っ越しという流れに相成ったのだった。
僕の引っ越し当日、百音さんが駅まで迎えに来てくれて、二人で歩いて新しい家まで。僕が新しい鍵を使ってドアを開ける。
「えーっと、ただいま?かな?」
僕の言葉に、百音さんがくすりと笑う。
「おかえりなさい、先生」
僕の家具家電を運び込むときはこちらに来て百音さんと一緒に引っ越し作業はしたものの、その後はこの家に帰るチャンスがなかったので、部屋の中に入れば、見慣れない家に、使い慣れた家具家電と二人で新調した家具が入り混じっていて、なんだか不思議な気分。リビングダイニングの一番いい場所に置いた組手什のサメ棚の上には、サメ太朗をはじめとしたサメたちが悠々と鎮座していて、ナルホド、百音さんと僕の家だ、という気分になった。
そうして、二人の生活が始まって数日。百音さんからのスキンシップが多い気がする。
推測含みだけど、先にこの家で生活をしていてなじんでいる分、自分のテリトリーに僕がやってきた、みたいな気持ちがあって、大胆になっている、のかな。もちろん、それは僕としてはただたたウェルカムなことなので、それについては指摘もしないで、百音さんが抱き着いてきたらハグを返すし、わずかな仕草でキスをねだればいつだってキスを贈る。
とはいえ、これは…。
と、僕がソワソワしてしまうのが、台所で食器を洗っているときに後ろから僕に抱き着いてくる百音さん。背中にぴったりと百音さんがくっついてて、そのぬくもりが心地よい、のはいい。のだけど、百音さんと僕の身長差もあって、腰に回された腕と手の位置が、絶妙に、微妙に低い。数回はくっついてきてくれるのがうれしくて、何も言わなかったけど…。
「あの、百音さん」
声をかけると、僕の背中に頬をつけていた百音さんが覗き込んでくる。
「せんせ?」
「ちょっとだけ腕を上の方にずらせますか?」
「上に?」
「もうちょっとヘソの上あたりというか」
「おへそ…」
ピンと来てない様子の百音さんが百音さんらしい。けど。
「場合によっては、ちょっとソワソワしてしまうなぁ、と…」
そこまで言うと、百音さんがはっ!とした顔で、ナルホド、とこくこくとうなずく。
すすっと腕をずらして、このへん?と聞いてくるので、うん、と頷くと、へへっと笑って、腕の力を強めて僕の背中に額を寄せてくる。あぁ、そんなに可愛かったら、腕の位置なんか関係なしにソワソワしちゃうじゃないか。
むぎゅっとしながら、また百音さんが覗き込んでくる。
「先生を意図せずソワソワさせるのは本意じゃないけど、先生とのスキンシップはやめたくないです」
そのかわいい言葉に、うん、と頷きを返したところで、続く百音さんの言葉に思わず泡まみれの皿をシンクに落とすところだった。
「だから、ソワソワしてほしい時は下の方で、スキンシップの気分の時は上の方にしますね!」
…ソワソワしてほしい時…?!
内心の僕の動揺には気付かず、百音さんはそうしよう、そうしよう、というように、また僕の背中に戻っていく。
今は上にずらしたから、スキンシップ…なんだよな?うん。
そしてそれからしばらく、僕は食器洗いをするたびに、今これどのへん?と正解のない当たり判定に一喜一憂することになったのだった。