影あり。仰げば、月あり。既読はついた、と。
手にしたスマホのメッセージアプリの画面を見て、いつもの浜の防波堤に座った百音は足をぶらぶらとさせた。漁師と私塾教師と気象予報士の家の夕食は早い。時折、百音は夕食後に一人でふらりと浜まで散歩をする。それは、三世帯同居の家で、真に百音が一人になれる時間でもあり、亜哉子も耕治も目くばせは交わしつつも何も言わずにいってらっしゃいを言っているのであった。
春にまた来るという菅波を、恵比寿像の前で見送って早1年半。結局、菅波がこの地を再訪することも、百音が東京に行くこともなく、時間だけが過ぎている。どちらかが電話をかけては空振りになることも多く、百音は、とにかく菅波が数日に1回でも既読になればそれで充分、と日々、他愛ない種々雑多なメッセージを送り続けた。
今日の夕方に送ったのは、市民プラザの一角にあるキッズスペースにいるサメのぬいぐるみたちが、全員、ヘソ天で床に気持ちよく寝転んで並んでいる写真だった。市民プラザに連れられた子供たちが、お昼寝させてあげてるの!と得意げな顔をしていた、というエピソードもつけて。
帰宅して夕食の前にはまだ既読は着いていなかったので、おそらく今頃が休憩時間か帰宅の途中か、ないしは本当に隙間時間にチャンスがあったか、と思考を巡らせつつ、百音は下した髪を夜風に遊ばせる。
ふと自分の足元を見下ろすと、自分の膝から下がくっきりと防波堤に影を描いている。見上げると、先ほどは薄雲越しだった満月にいくばくか満たない月が顔をのぞかせている。こんなにきれいな影、東京じゃ見れないな、と思った後で、東京の夜の明るさを今の自分は知っているんだ、とふと笑いが漏れる。
この影の写真を送れるかな、とスマホで写真を撮ろうとしてみるが、百音のスマホのカメラのスペックではうまく撮影できず、全体的にうすぐらいなにかにしか見えない。ならば、月は、と空に向けてみると、雲の塩梅のおかげかそちらはまずまずに月夜の風情をキャプチャーすることができた。
早速、と菅波に送ると、それにはすぐに既読がつく。
その既読を見た百音は、えいっとダメ元で電話のアイコンをタップする。
果たして、1コールで菅波が出た。
「先生、こんばんは」
『百音さん、こんばんは。写真、ありがとう』
「どういたしまして。今、帰り道?」
『うん』
そっか、と百音がつぶやくと、菅波も、また、うん、と小さく相槌を返して、しばらく交わされる沈黙が、しかし二人には心地が良い。
「そう、さっきの写真」
『月の?』
「うん。防波堤に私の足の影がくっきり映ってて、あ、お月さまがすごく明るい、って思ったの」
『うん』
「だけど、影の写真がうまく撮れなくって」
『それで、月の写真』
「そう」
スマホのカメラの限界でしたと笑う百音に、菅波も笑った気配がする。
『こっちも月、見えてますよ。薄曇りだけど』
「そっか」
『きれいな月です』
「うん」
相槌を打ったところで、百音の耳が錠前の開く音を拾う。
「おうち、着きました?」
『うん。これから晩メシ食べます。病院出がけに弁当買ったから』
「じゃあ、ゆっくり食べてください」
百音が言うと、少しの沈黙の後に菅波が口を開いた。
『百音さんとしゃべりながら食べたい』
わずかに甘さをにじませたその声色に、百音の頬が緩む。
「仕方ないなぁ」
島にいると消しきれない、『モネ』の『姉』部分をにじませた口調で返事をすると、菅波の小さな笑い声が聞こえる。
「一回電話切るから、ご飯の支度できたら電話、してください。待ってます」
『うん。ありがとう。待ってて』
通話が切れた画面を、百音はそっと指先で愛でる。
影あり。仰げば、月あり。
こうやって、『一緒に』時間を重ねていれば、私たちはきっと必ず大丈夫、と思いながら。