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    きみのようにはもう視てはいないから──これは偽善ではないかと疑ったことはあるよ。
     さらりと口にされた言葉に、フイイは目を丸くして彼を見つめた。
     余程フイイが面白い顔をしていたのか、コンブフェールは少し笑った。
    「君はそういうことを聞きたいんだろうと思ったんだけど、違ったかい」
     ゆったりと首を傾げる動作は洗練されて、幼い頃から当然のように富と豊かさを享受してきた者特有の匂いがした。
     ランプの明かりは揺れて頼りなく、テーブルの端に座る二人を照らすには足りなかった。光の傍には我らの首領が、中心と共に語り合っている。
     アンジョルラスが自らを燃やして輝く太陽なら、コンブフェールはそれを受けて輝く月だ。陰になり日向になり首領を支える有能な参謀。彼はその役割を好んでやっているように見えた。
     フイイにはずっと疑問だった。彼らのように暮らしに事欠いたことのない者達がどうして革命など。
     嫌味や皮肉に取られないように慎重に言葉を選んだつもりだったが、コンブフェールには無駄だったようだ。
     コンブフェールはグラスの端に、こつんと爪を当てた。揺れる琥珀色が鈍い光を放って揺れる。
    「そんな顔をしないでくれよ。……君からすればきっと当然のように出る疑問なのだろうから」
     コンブフェールは少しだけ慰めるように言う。
     あんまり楽しい話でもないけど、と彼は前置きする。フイイの反応を見てから口を開いた。

     僕はたくさんの死を見てきた。死の瞬間に立ち会ったのはほんの僅かでしかない、ほとんどが金持ちばかりだ。……それ以外の人には冷たい、物言わぬ姿になってから会うことが多かった。
     金持ちは勝手なものでね、死の寸前までは医者に胡麻をするが、いざ死ぬとなると、とっとと出ていけというばかりだ。あとは神様の御許に行くだけだと。
     ……僕が解剖した多くのご遺体は貧しい人たちのものだ。身寄りがなく、引き取り手のない人達だ。そういう人達はパリ中にいる。
     僕はずっとそれが当然だと思っていた。
     恩師の知り合いの病院で亡くなった人を解剖したときのことだ。身寄りのない老婦人だった。
     痩せさらばえて髪は抜け、食べるものもなく、風雨をしのぐ家もなく、倒れても救ってくれる人もなく、……清掃員が死体だと思って起こして見たら息があった。それで病院に運ばれたものの、手の施しようがなかったそうだ。
     彼女は、よく手入れされた、丸くて薄い爪の女性だった。
     僕はそれを目にして衝撃を受けた。あんな手をした女性は上流階級にしかいないと思っていた。そこでようやく気づいたんだ。
     ここで解剖されている人の形をした物も、かつては僕と同じ人間だったんだと。
     彼女はおそらく、自分の手を唯一の宝として生きてきたのだろう。
     ……人が生きていくには喜びが必要だ。例えそれがどんなに些細なものでも、人を支える力になる。
     それから僕は、街の貧しい人たちにできるだけ親切になろうと決めた。物乞いがいれば施しを与えたし、貧しい人達が理不尽な暴力に晒されていれば庇った。
     だがそれが僕の自己満足でないとどうして言えるだろう?
     彼らが貧しく生まれたことが罪でないように、僕が金持ちに生まれたことも罪でもない。たまたまそう生まれついただけのことだ。
     弁解したところで、心の奥底では偽善だと罵る自分の声がする。
     僕は苦しかった。
     いっそあの老婦人に出会わなければ良かったと思ったこともあるよ。
     そんなときに、アンジョルラスに会ったんだ。
     彼は、あの通りの人だろう?
     街頭で演説を打って、偽善だ金持ちの坊ちゃんの遊びだ、と野次られていてね。
     誰かの投げた腐った果物が彼の肩に当たった瞬間、思わず前に出てしまった。
    『彼の言うことが間違っていると思う者だけが、彼を謗れ』
     とね。
    『偽善だと言うなら言えばいい。自分の信じる正しいことをして何が悪い』
     今思えば、どう聞いたって喧嘩腰だね。我ながらどうかしていたよ。
     案の定街頭はざわついて、殺気立つ連中もいた。連中を相手にしてまた演説を始めようとしたアンジョルラスを、無理やり引っ張って逃げたのが僕たちの出会い。
     ちなみにその後、アンジョルラスには同意してくれたことへの礼とともに、どうして逃げたと責められたよ。想像つくだろ?

     懐かしそうに笑うコンブフェールの視線の先にはアンジョルラスがいる。
    「それ以来、彼と行動を共にすることが増えた。彼はきっと、自分の行動が偽善かもしれないなんて考えたこともないんだよ」
    「……羨ましいかい」
     フイイが問うと、コンブフェールは目を丸くした。
    「そう見えるかい?」
    「いや、」
     フイイは首を振り、わずかに逡巡する。
    「とても、眩しそうに見える」
     迷って選んだ言葉はコンブフェールの意を得ていたらしい、彼は小さく頷いた。
    「……うん。そうだね。きっとそうなんだと思う」
     口の端に笑みを乗せた横顔がさびしげなことは、言わないでおいた。
    ユバ Link Message Mute
    2019/11/27 9:42:09

    きみのようにはもう視てはいないから

    労働者であるフイイが、コンブフェールに学生たちの活動は偽善ではないかと問う話。

    後ずさるきみのようにはもう視てはいないから目を閉ざしておやり / 平井弘


    #レ・ミゼラブル #アンジョルラス #コンブフェール #フイイ

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