アンモライトは光り輝く ある朝から彼は人でなしになった。……と、こう言うとまるで人が変わってしまったように思えるが、そうではない。その言葉の通り『人でなし』に、つまり人間ではなくなってしまったのである。ああ、それなら人が変わってしまった、というのもあながち間違いではないか、などと思い直す。
お分かりかもしれないが、俺も大概混乱しているのだ。そりゃそうだろうよ、朝いつも通りに「おはよーさん」と聞こえた声に振り返ったらあるはずの顔が無くてそこに大きくぐるっと渦巻きを描く虹色の石が浮かんでいるのだから。
「おい、どうした?」
「それ千空ちゃんが言う!?」
「あ゛?」
「いや、だってさぁ!? ……えっと、千空ちゃん、何ともないの? それ……」
どれだよ、と訝しそうな声がキラキラした石から聞こえてくる。どうなってんだろ、これ。どっから声出てんのよ?
「顔というか頭というか……」
「は? んだよ、なんか跡でもついてんのか?」
ぺたぺたと両手で平面的な石の表面を触った後、別に何もねーぞ、と彼が言う。何もないことはなくない!?
……いや、彼の自意識では何ともないのなら、ひょっとして俺の目か脳みそがおかしくなったのか? あ~、そっちのがありそう。
「さっきからどうした、メンタリスト。今朝のテメー挙動不審すぎんぞ」
「うん、俺もそう思う。あのさぁ千空ちゃん、こんな感じで虹色のキラキラした石って何かわかる?」
地面にしゃがみ込み、今見えている通りに千空ちゃんの顔の石を描いてみる。なんでそんなことをこの流れで質問されるのか分からないだろうに、彼はきちんと答えてくれた。
「アンモライトか?」
「アンモライト? アンモナイトの親戚?」
「雑に言やあアンモナイトの化石が宝石化したもんだな」
「あ~、なるほどねぇ、成る程……」
「で?」
「俺の気が狂ったのか、千空ちゃんの首から上が白菜からそのアンモライトに挿げ換わって見える」
「ツッコミどころが多すぎてどっから指摘すりゃいいか分からねえんだが?」
まずは白菜につっこんで良いと思うよ、なんて思いつつ、改めて千空ちゃんが不可思議な頭を持つ異形に見えることを説明した。
「流石に現状じゃ脳の検査なんか出来ねーぞ」
そんな表情分かんなくても分かるくらい不安そうに言わないでよ。でも大丈夫よ、多分。
「……うん。よし、オッケー! 慣れた!」
「慣れた!?」
「俺としては千空ちゃんのキレイなお顔が見られないの残念で仕方ないけど、千空ちゃん自身は何ともないのなら声で十分どんなこと思ってるか把握出来るし、問題ないね!」
「問題ありまくりだわ、もし脳出血が原因だったらどうすんだ!」
「それ、どうにかなるの? 今どうにもならないんなら、ひとまず経過観察するっきゃないでしょ」
なんとなくキラキラが減ったように見えるアンモライトちゃんは、他にも異常あったらすぐに言えよ、と悔しそうに告げて引いてくれた。メンゴ。
それから朝ご飯を一緒に食べて(口も何もないのにスプーンにのった食事が消えていくのが面白かった)お互いにやることやる為に別れて、様子見に行ったらアンモライトちゃんは千空ちゃんに戻っていた。あれ?
「千空ちゃ~ん、おつかれさ~ん」
「おう。……どうだ?」
「いやぁ、それなんだけどさぁ。何か、戻った」
「……あ゛?」
「フツーにいつも通りの千空ちゃん。その眉間のシワもよく見えてる」
「……、そうかよ」
あ、ちょっとホッとしてる。そんな不安にさせてたとかかなり罪悪感あるんだけど。確かにサルファ剤と違って君の手で助けられることじゃないもんね、脳科学の知識があろうと機材も環境も技術もない現状じゃ。
「どうした? 何かあったのか?」
「いや、何もねー」
「ンだよ、ま~たテメーら二人だけで隠し事かぁ?」
微妙な空気になりかけた時、クロムちゃんがひょいっと話に割り込んできた。誤魔化すような言い方をする千空ちゃんに、クロムちゃんは不満そうな口ぶりで俺を振り返った。
「あ~っと、違う違う、ホントに何もなかったよ~ていう報告なのよクロムちゃん。今朝、ちょっと俺の調子が良くなかったけど治ったって話」
「そうなのか? あんま無理すんなよ、ゲン。千空のヤツ、すぐゲンのこと使いたがるからな!」
「しゃーねえだろ、使い勝手いいんだから」
「便利な道具扱いはドイヒーじゃない!?」
変な空気は消え果てて、三人でわいわいと騒いで休憩をとって、それからまたひと仕事して夕飯食べて一日が終わって。
な~んか変な幻覚見ちゃったな~、で終われば良かったんだけど、事はそれで終わらなかった。
アンモライトちゃんは、その後も不定期に俺の前に現れたのだ。いや、俺だけではない。千空ちゃんに近しい他の人も、たまに幻視するようになった。皆して脳に何かトラブルが起きたとは思えないので、これは千空ちゃん由来と考えた方が良さそうだ。俺の脳みそちゃん無事でよかったぁ。
ただ、話を聞く限り俺よりはっきりとは見えていないようだし近しいけれど見たことない人も居るようだった。
共通点は、察しが良くて感受性が高いタイプ。見たタイミングは皆それぞれまちまちだが、俺の時で言えば朝起きてきた時と夜に天文台に居る時、星を眺めている時が頻度としては多かった。時間帯? と思ったけれど、羽京ちゃんなんかは昼間に会話して蘊蓄聞いている時に一瞬アンモライトちゃんが見えて叫びそうになったって言っていたし、杠ちゃんは考えながら歩いてる千空ちゃんがアンモライトちゃんに見えた事があったって言ってたし、時間帯は関係なさそうである。
「ぶっちゃけ、不思議なものに見えるな~ってだけだし放置しても良さそうなのよね。俺らが慣れればいいだけで」
「また身も蓋もないことを……」
羽京ちゃんも見えていることは、僕もしかして気付かないうちにストレスでおかしくなったのかな……と相談されて知った。相談を受けた幾人かの中で、わりとよく見ているようだったので、こうして二人頭を付き合わせて知恵を出し合うことになったのだ。
「ただ、法則性は知っておきたいな~ってのも思うので、なんか思いつかない? 羽京ちゃん」
「そう言われてもなぁ……そもそも何であの石、アンモライトだっけ、それに見えるんだろう」
「いや、それを探ろうって話でしょ?」
「ああ違う、僕が言ってるのは、何で他の石でも物でもなく、アンモライトなんだろうってこと。あの石である意味ってあると思う?」
アンモライトである意味。石に意味? 化石が宝石になったもの、と千空ちゃんは説明してくれた。もし実用品であれば、千空ちゃんの性格上その解説もしただろう。となるとあれは宝飾類の石だ、きれいだし。
「石の意味、あっ宝石言葉?」
「それ、花言葉みたいなやつ?」
「うん。どれひとつとして知らないけど、宝石言葉があることは知ってるよ~」
「じゃあアンモライトの宝石言葉を知ってそうな人、誰か……って、そんな人居る?」
「うーん、ダイヤとかルビーとかなら南ちゃんとかだったらもしかしてって思うけど、アンモライトってメジャーな宝石とも違いそうだし知ってる人探すのは大変かも」
だが、これはいいヒントになるかもしれない。
「花言葉って、花の持つ特徴かその花にまつわる伝承なんかからつけられてるのね。宝石言葉も似たようなもんだと思う。てことは、アンモライトちゃんの特徴や要素を上げていけば何か分かる筈」
アンモライトについての知識は正直まぁったく無いし、アンモライトちゃん以外に見たこともないんだけれど、そこから分かる要素と言えば……
「化石であること、変化して出来た宝石であること、虹色であること……って感じだろうね」
「その中でピックアップするなら『化石』であることだよね~。それに変化とか虹とかあんまり千空ちゃんと結びつかないし」
「化石から発想してつけられたなら、これを起点に連想できる言葉ってことか。化石……うーん、古代の浪漫?」
「その意味の宝石言葉はちょぉっと使いにくいかな~? でも古代はありだね、古代……古い時代、遥か昔、悠久の彼方、在りし日……シンプルに過去?」
言って、はたと気付く。羽京ちゃんも閃いたのか、二人で顔を見合わせる。
「……思い出してた時、に」
「……、だねぇ……」
アンモライトは、アンモナイトの化石が宝石となったものだと彼は言った。アンモナイトという『もうこの世界に存在しない生物』の証が輝かしく象られ残ったものがアンモライトだというならば、それを象徴とするのならば、それは。
(百夜パパのこと考えている時に、君は)
朝起きてきた時は、夢で見ていたのかもしれない。夜に星を眺めながら、道を歩きながらですら、君は何かの拍子に思い出していまのだろうか。初めてアンモライトちゃんを見た後、姿が戻っていたのは意識が過去ではなく未来に向かったからだろうか。
「羽京ちゃん」
「うん」
「あれは、何かよく分かんない現象だけど害はないから気にするもんじゃない、ね?」
「うん。……うん、そうだね。ゲン。僕らじゃ考えても分からなかったし、害はなさそうだから気にしなくっても良さそうだ」
きっと君は感傷など知られたくないだろう。だから俺たちも気付かなかったし、そんなこととは全く知らない。
あれは、何かよく分かんない非科学的な現象で、分かんないからそのまんまを受け入れて様子見するしかないもの。それでいい。
羽京ちゃんがさみしそうな笑みを浮かべる。きっと俺も似たような顔をしている。互いに背中を叩き合って、俺たちは大人しく遣る瀬なさを飲み干した。
この不思議な現象は、頻度は変われど結局ずっと続いた。はっきりと見えるときもあれば、瞬きの合間のほんの一瞬だけ錯覚のように見えてしまうときもある。けれど、なくなることは無かった。
「タイムマシンを作る」
その言葉を聞いたときにも、アンモライトは一際大きく輝きを放っていた。今まで一番、目映く美しくアンモライトは輝いていた。
もしタイムマシンが本当に出来たなら、君は父親を、『もうこの世界に存在しない生物』を再び取り戻すことになるのだろうか。ならばきっとその時には、俺の中ではお馴染みになってしまったアンモライトちゃんは消え去ることだろう。
彼に宿ってしまったアンモライトが時を遡り、アンモナイトとなって彼から泳ぎ去る日はきっといつか来る。俺はその日が来るのを、願ってやまない。