ワレラ鳥獣ニアラズ(蛇と蝙蝠/異形パロ千ゲ) 出会いは偶然により起きた。穏やかな春の日々の中に交じった花冷えの雨の昼、その存在は俺のもとへと現れた。
より正確に言えば、俺の暮らす洞穴にやってきたのだ。ひどく緩慢な動きで、ずるりずるりと長い半身をくゆらせ、それだけでは上手く動けぬのか両腕を地面につけ何とか這いずって、雨にも地面を伝い洞に入り込む水にも当たらぬよう奥へ奥へと入ってくる。
俺はその光景をこっそりと眺めていた。
(ふーん。半人って、四つ足の獣以外にも色んな種類が居るってホントだったんだ)
それは上体部分が半分だけ人の姿をした大蛇だった。人に似た性質を持つ人以外の生き物、それらは総称して半人と呼ばれている。人間の性質を持っていようと寒さでは動けなくなるのは蛇と同じなのか。それに上半身……特に口が人のものと同じであるのなら大蛇だろうと俺を丸呑みすることは出来ないだろう。よかった。
それならば、動けるようになるまでの避難所として俺の住処を貸してやるのもやぶさかではない。人が圧倒的に多い世界では、半人は兎角生きにくい。親近感と同情から、俺は自分の縄張りに入り込んだ異物を見逃すことにした。
俺が方針を決めている間に、かの蛇も収まりのよい場所を見つけたらしい。べしゃりとうつ伏せに上半身を投げ出したあと、ごろんと体を捻り……
「っ!?」
とうとう『天井にぶら下がる』俺に気がついたらしい。驚きに目を見開いている、その目の赤さを俺はキレイだなぁなんて見つめ返した。
たっぷり十秒くらい見つめ合ってから、彼は「人……いや、蝙蝠か……?」と囁くような声で呟いた。
いかにも俺は蝙蝠だ。蝙蝠の半人だ。ついでに言うなら群れの中でも断トツに人の性質が色濃くでてしまった個体である。
俺を気にせず休んでいけば良いとペラペラ喋って安心させたげようかな~とか思ってたんだけど、先ほどの声を聞く限りこの蛇もう体力の限界って感じだな。それなら無駄に受け答えをさせるのもかわいそうだ。鉤爪を岩肌から放し、少しだけ奥の天井にぶら下がり直す。顔を背けるように下がれば、こちらからの不可侵も伝わるだろう。
「……、助かる」
辛うじて聞き取れるくらいの声量での呟きと、ずりずりと蛇尾を動かす僅かな音が聞こえた。あとに残るのは、風の音でかき消える程度の静かな呼吸音だけだ。そっと背けた顔を戻して様子を見やれば、蛇はとぐろを巻いて眠っていた。
雨さえ上がれば、遅くとも明日の昼には動けるようになって出ていくだろう。願わくば恩を仇で返すような、俺を害する奴ではありませんようにと思いながら俺もそっと目を閉じた。
次に目が覚めたとき、眼下に蛇はもう居なかった。気温も上がったようだし、動けるようになったから出て行ったのだろ
「オイ」
「ぴょえっ!?」
驚きに叫び声を上げる。何もないと思ってた真横から声が聞こえりゃ誰だって驚くでしょ、そりゃ! 勢いよく振り返ったら、上手いこと岩棚に身を置いたあの蛇が笑っていた。
「なんだ、その叫び声」
「しゃーないでしょ、びっくりしたんだから。言っとくけど此処はあげないからね、気に入ってんだから」
「いらねーし盗りゃしねえよ。俺は俺で、自分のヤサがある」
「あ、そ。じゃあ、どしたの? なんか他に用事?」
「世話になったのに何もせず居なくなるほど礼儀知らずじゃねえわ」
「えー、別にいいのに。蛇ちゃん律儀だねえ」
まじまじと目の前の存在を眺める。淡い緑のような白い鱗、半人の身を覆うのは恐らく人の手で作られたであろう革の服、鱗と似た色の逆立つ髪、それから赤い瞳。他種族の美醜なんか知らないが、この生き物はきっと『美しい』に分類されるものなのだろう。少なくとも人の目から見たらそう評されそうな見た目だ。
「礼がしてぇ。なんか要るものあるか?」
「んー……じゃあ、少しばかり話し相手になってもらおうかな」
何せ同族と暮らしているわけではない俺にとって、誰かとの会話の機会を得るのは久しぶりのことだったから。俺の言葉に蛇……石神千空(驚くことに家名を彼は持っていた)と名乗った彼は、欲がねぇなと笑い声を上げた。
まさか今だけのつもりで『少しばかり』と言ったのにそれからしょっちゅう洞穴にやってきては俺と会話をするようになり、彼の知り合いだという人間たちとも交流するようになるとは思いもよらなかったが、聞くところによれば蛇というのは執着をするものだそうなので、もしもこの時すでに俺を千空ちゃんが気に入っていたのならばそれも納得のことではある。
「俺の名前はゲン、ご覧の通り蝙蝠だよ。君みたいに家名があるわけじゃないけど、そういうの格好いいよね~。うーんと……俺ってば目立つから朝靄とか霧の時によく出かけんのよ、だから人に霧の中の化け物だとかって呼ばれたこともあってさ~。だからそうね、千空ちゃんに合わせて、あさぎりゲン、とでも名乗ろうかな」
こうして俺はその日、物珍しい生き物にあった記念に新たな名前を己に付け、この美しい蛇にふりまわされる今後のことも露とも知らず、ただ久しぶりのまともな会話相手が出来たことに浮かれながら、ペラペラと軽口を叩いたのだった。
これが俺の、生涯の縁となる存在、石神千空との馴れ初めである。
石神千空は、随分と人間染みた蛇だった。
身体の半分(特に上半身)は人間なのだから本来の蛇のように丸呑みはしないだろうことは予測していたけれど、まさか肉以外も食べるとは思わなかったし火を熾して料理をし出すとも思わなかった。
「千空ちゃんって、だいぶ変な子だねえ?」
「半人ってだけで普通の蛇に比べりゃ十分に変だろ」
「その中でもってこと~」
「知らねー。他の同類に会ったことがねえからな、テメーが初だ。……つーか」
拾ってきた枝を焚き火に放り投げながら、千空ちゃんは呆れた顔を俺に向ける。
「俺が変だって言うならそっちも大概だろうがよ、ゲン。蝙蝠が地面歩くとか聞いたことねえぞ」
あら、俺らのことをよくご存知で。だからさっき、歩み寄りながら煙いって文句言いに来たら驚いてたのか。地面に着地したから。
「その辺が人っぽさなのかもね~」
とはいえ、少しくらいは立てるし歩けるってだけで二足歩行が得意なわけじゃない。それに鳥みたいには地面からは飛び立てないもの、そこは普通の蝙蝠と同じとこかな。彼に比べたら中途半端なもんだと思う。
「テメーも食ってみるか?」
「いいの? 器あるんなら貰おうかな~」
煮炊きをしていた彼が鍋の中身を勧めてくる。遠慮なく肯いた俺をなんだか変なモノを見るみたいな顔で千空ちゃんは見返した。
「あれ、社交辞令だった? ほんとは食べちゃダメなやつ?」
「いや、ちげー。……テメー、ひょっとして人の中で育ったのか?」
「いやぁ、まさか。ごくフツーの蝙蝠らしく群れの中で育ったよ。純粋な蝙蝠の群れではなかったけど」
「……そうか」
「でも人間と一緒に居たことがあるのも確かなんだよね~。なんでわかったの?」
「言語と料理」
「ん? どゆこと?」
「テメー、俺に合わせて喋ってっけど、人の近くに居たことがなきゃ俺との会話なんか成り立たねえだろ。俺らが今使ってんのは人の言葉だ」
「……、ああ! ほんとだ、そうね確かに。ていうか、これ人の言葉か。言葉自体久しく使ってなかったから意識してなかったな~、分かるから合わせて喋ってたけど」
ここ暫くは、ずっとひとりだった。コミュニケーションを取る相手など皆無だったから、自分が『何』を使って相手とやりとりをしているかなんてまったく考えていなかった。言われてみれば当たり前なんだけれどね、蛇同士の言葉なんて俺知らないんだし。千空ちゃんだって蝙蝠の言葉など知らないだろう、というか聞き取れなさそうだ。
「料理ってのは? 得体の知れないもんでも好奇心で食べようとしただけかもしれないじゃん」
「そもそも『料理』っつー単語や概念、人間の文化の中に居なきゃ知るわけねえ」
「なるほど、納得」
初対面で声をかけてきた時に千空ちゃんが礼を申し出たあと乗り気で会うようになったのは、もしかして俺も千空ちゃん並みに人間染みた奴に見えて、その親近感があったのだろうか。そして先程の最初の俺への問いかけから考えると、つまり。
「千空ちゃんは人に育てられたのね?」
「ガキの時だけな」
曰く、殻が思いのほか硬くて孵化するのに体力を消費し、疲れて倒れ込んでいたら拾われたのだそうだ。
「ククッ、繁みに隠れて裸のガキがぶっ倒れてるってんで慌てて引っぱり出したらズルズルっと蛇の半身が出てきたもんだからそりゃあ度肝抜かれたぜ、って何度語られたことか」
そう語る彼の声はどこか優しい。
「大凡は人間なんだから大差ないだろって周り言い包めて、俺はそいつに蛇でもある人間として育てられた」
「そ、れは……えっ、ゴイスー肝据わってんね? その人間」
「おー、変な奴だったわ」
人は似て非なる俺たちを排斥したがることもあれば、特別視して崇めたがることもある。皆、理解が及ばないものの置き所に困ってしまうのだ。けれど千空ちゃんを拾ったというその人間は、まったくそのままの千空ちゃんを受け入れて育てたという。いやはや、稀有な人も居たもんだね。
「石神の名前はその人から?」
「ああ、村の名前でもあるがな」
その人間というのは、村の名前になるような群れのリーダーだったのだろうか。それとも所属が家名になっている? 人の文化についてはそこまで俺も詳しくないから分からないが、彼が己の家名を、その所属を、誇っていることは見てとれた。
(なるほど、蛇でもある人間、ねえ)
この人間らしさは、彼が望んで得たものだったのか。
「育ててくれたその人間は、今は?」
「もう死んだ。ずっと前にな」
「そう」
人とは生きるペースが違うから、そういうこともあるよね、と。受け流すような言葉をかけるより先に
「いつ死んだかは分からねえけどな」
と、千空ちゃんが自嘲を含む声音で呟いた。
「百夜が死ぬより前に、俺は起きられなかった」
「……百夜、って言うのは人の名前? 君を育てた?」
「あ゛あ゛」
蛇は冬眠をする。けれど人と暮らす中で彼らが暖をとる側に居たから、千空ちゃんは起きたまま冬を越していたらしい。
けれど、ある厳冬期。その年は秋の収穫が例年よりも少なかったそうだ。自分が冬眠すれば一人分の食い扶持は減る、そう提案して寒い洞の奥で眠りについた。
「だが俺は春になっても目覚めなかった」
そのまま夏になり、秋になり、再び冬が来て、その次の春にも目覚めることはなく、死ぬこともなくただずっと彼は眠り続けたのだという。
「意識はあった。ずっと時を数えて、春になったんだから起きろと自分に言い聞かせたがな、それでも起きられず……気付いた時には人間の寿命より長い時間が経っていた」
そしてようやく目が覚めた春、彼は洞穴ではなくあたたかな土の中に居たそうだ。初めはやわらかかったのかもしれないボロボロの布に包まり、内側からすぐに掘り起こせる程度の浅い土の下に埋まっていたのだと。そこから這い出て、見知らぬ森を当てなく彷徨い辿り着いたのは、すっかり代替わりしていたが自分が昔暮らしていた村――石神村だった。
「本当に蛇神が起きた」
「うん?」
「俺を見つけた奴が叫んだ言葉だ」
そう、百夜という彼の育て親はいつか目を覚ますだろう彼に危害が加えられないよう土の下へ隠し(蛇ってそもそも土に埋まって冬眠するもんだしね)、自分の村へ半人半蛇がいずれ村に訪れるだろうこと、その時に決して排斥しないよう伝承させたのだ。
「どうやら百夜が死んだ後に一度天災で人が大きく減ったそうでな、進歩したものもあったが、途絶えちまった知恵と技術がたくさんあった。俺はその『失われた文化』を知る唯一の生き物ってことで受け入れられたっつーわけだ」
それからはずっと、村からつかず離れずの位置に暮らしながら、彼らに知恵を授けているのだという。
「へー……」
どうやら関心しすぎると気の抜けた声しかでないらしい、と俺はこの時初めて知った。
「その百夜ちゃんは、ほんとに千空ちゃんを人として見ていたんだねえ……」
「……、は?」
俺は感嘆として呟いたのに、千空ちゃんは意味が分からないという顔で振り向いた。
眠り続けてもただの冬眠と同じくやがて起きるだろう、と思ってたというのなら、それは確かに人ではなく異種たる俺ら異形への楽観ではあるのだけれど、その認識と同線上で百夜ちゃんは千空ちゃんを人の枠組みに入れていた。
「だって、人は群れで生きるものでしょ? だから千空ちゃんがいつ起きても群れの中で生きられるように、人間の群れを君に残したんだなって。蛇は個別に生きるものなのに」
たとえ自分の死後だろうと君をひとりにさせまいと手を尽くしたのだろう、それは人の親子らしい振る舞いだ。
「君はまさしく、百夜という人の子として石神千空を名付けられた存在なんだねぇ」
所属や有り様を表すものというより、彼が人間として在る為の名前。いいなあ、そういうものは美しくって、良い。
なんだか嬉しくて笑っていたら、居心地悪そうな顔で千空ちゃんは顔を背けた。照れてやんの、か~わいい。ぐしゃりと髪をかき混ぜ、小さく呻いていた彼は、ややあってじろりと俺に目配せをする。
「そういうテメーは?」
「俺ぇ? 俺のことはまた今度でいいじゃん」
今はまだ君の耳には入れたくないなぁ、人間の善意と悪意に振り回されてコロニーから離れてひとり生きるしかなくなったような俺のことは。
「それより村のこと教えてよ~! 弓と石以外に飛び道具って増えた?」
「真っ先に聞くことがそれかよ」
「ゴイスー大事なことよ? 俺にとってかなり死活問題だからね!」
話をずらした事に気付いていただろうけれど、千空ちゃんはそのままたくさんの事を教えてくれた。
彼の出身、石神村の人間と知り合うのは、それからしばらく経ってからのこと。とんでもない出会いがあるとは思いもよらない俺は、器によそってもらった汁物を啜りながら千空ちゃんの話に耳を傾けていた。
洞穴の中はシンとしている。時折、どこかで落ちた水滴が跳ねる音や風が吹き込んでうなり声のように鳴る事もあるが、それでも他の生き物の気配は希薄で静かな空間だ。
ここに他の生き物があまり寄り付かないのは、俺ら半人の気配が小動物たちへはプレッシャーになるからだと千空ちゃんは言っていた。俺なんてデカくなっただけで生物としては大した強さもないんだけどね、どうやらそういうものらしい。だからこうして特に警戒もせず天井からぶら下がっていても静けさを享受できるというわけだ。
……ちょっと前まではこれが当たり前だったのに、最近はずっと千空ちゃんと連んでいたから殊の外ここがさみしい場所のように感じてしまう。多分、ちょっと腹が減ってるからだと思う。
千空ちゃんと一緒に居ると、だいたい彼が作ったものを分けてもらえるので楽だったが今日は居ないのでそうもいかない。食わせてもらって知ったが、どうやら俺も人間のようにわりと色々と食えるらしい。肉は食った後で胃もたれしたからもういいやと思うが、いくつか食材を放り込んだ汁物はとても美味かった。俺の手は料理するには不向きだし自分で火をつけられる気がしないから作れないけど、今度千空ちゃん来たら食いたいとねだろう。そうしよう。
さて、そんな千空ちゃんは今、彼の出身だという村に行っている。なんでも困り事があって呼び出されたのだとか。昨日、しばらく村に居るとわざわざ言いに来てくれたのだ。律儀。なんなら来るかと誘ってもくれたが、遠慮しといた。行ったところで身の置き所があるわけでも無し。ふたつの意味で。俺がぶら下がっても大丈夫な大きさの木って村の中にあるの?
と、そんなわけで俺は久しぶりの一人なわけである。何か食べるものを採りにいかねばならない、と考えて、イチジクが生っている場所をふと思い出した。あれでいいか。
そうと決まれば、と俺は天井に引っ掛けていた足の鉤爪を外し落下する。腕を広げ、落ちることで生まれた風を受け止め、押し返すように羽ばたいた。
「熟れてるのあるといいな~」
頭の中はすっかり美味しいものでいっぱいだ。鼻歌交じりに洞穴から出ると、外は良い具合に薄暗い曇り空だった。晴れてる日よりは見通しが悪いし、影が地面に落ちないから良い。日中に飛ぶだけでも俺は目立つから、こういう天気はありがたい。気持ちの良い晴天のが、そりゃ好きなんだけどさ。
そのまま出来る限り地上から見上げても樹で見えなくなるような位置取りで飛び続けていた、その時、ひゅッと風を切る音が聞こえた。
(投石音!?)
反射のように高度を上げるが間に合わず、左足首に何かが巻き付いた。石を結びつけた縄だ。
「捕まえたぞ、怪しい奴め!」
鋭く響く声に振り向く。眼下に居たのは、陽光のような輝く髪と晴天の瞳を持つ娘だった。
「ちょっと、お嬢さ~ん? 人間から見て俺が怪しいのは否定しないけど、こんなことされる謂われは……」
「やかましい」
「いや、力強ぉ!?」
然り気なく喋りながら気を逸らし、そのすきに片足の鉤爪でどうにか解いてやろうと思ったのに、ぐいっ! と引っ張られた縄に呆気なく力負けして落っこちた。えっ、お嬢さんジーマーでただの人間?
べしゃっと地面に落ちた俺を、彼女はまじまじと眺めて首を傾げた。
「ふむ……君は人間とはちがうのか?」
「……さぁね?」
「まあ構わん、分からないことは分かる者に聞くに限る」
「……へ?」
「ああ暴れてもいいぞ、倍にして返すからな」
言うや彼女はあっという間に俺を縄でグルグル巻きにし、そして。
「さて、行くか!」
「待っ、ぎゃああああああああ!?」
ガシッ!と腰を抱え込んで俺を肩に担ぎ上げて、すごい速さで走り出した。この子なんなのほんとジーマーでええええ!? どーなんの俺! コレ!! ねえ!?
ちなみにガチで涙目になってたんだけど、これはもう仕方ないと思うんだぁ俺。
そうして獣道よりは歩きやすくなっている道を駆け抜け、拉致された俺が辿り着いたのは……
「千空! 怪しい生き物を捕らえたぞ!」
「あ゛? コハク、テメー今度は何を取っ捕まえてきた……」
「おいコハク、それ生き物ってか人じゃねえのか?」
千空ちゃんの所だった。
「……、何やってんだ。ゲン」
「千空ちゃああああん!! 助けてえええ!!」
「む? 知り合いか?」
「あ゛ー……害のある奴じゃねえ、離してやれ」
「なんだ、それは失礼したな」
よいしょ、とコハクと呼ばれたお嬢さんが俺を下ろす。ずりずりと寄ってきた千空ちゃんは、結び目の固さに呆れながらも何とか縄を解いてくれた。
「よお、災難だったな」
「うえええん、千空ちゃぁん……! また捕まるのかと思った……!」
「……また?」
ぴいぴい泣き叫びながら目の前の千空ちゃんを羽で包むように抱きつく。すぐにべりっと引き離されたけど、これは被捕食者でもある蝙蝠の俺が本来なら捕食者になりうる蛇の千空ちゃんに引っ付こうとするくらいには良好な関係性を築いてる仲だよ~ってのをコハクちゃんたちに見せる為なので邪険にされても構わない。うそ。ちょっとくらいは労られたかった、千空ちゃんたらドイヒー。
「ところで此処が千空ちゃんが言ってた石神村? となると、この子らに呼ばれてたってことね。用事の方どうなった? これから? 成り行きで来ちゃったし、なんか手伝った方がいい?」
「変わり身早ぇな」
「ん~、まぁ殺されるわけじゃなさそうだしね」
千空ちゃんが信頼している人間であるなら、敵対しなきゃ最低限の身の安全は保障されるだろう。彼女に勝てる気はしないので俺から敵対するつもりはない。
「んで、千空。コイツは誰なんだ?」
「どーもぉ、あさぎりゲンで~すシクヨロ~! 千空ちゃんと似たようなもんの蝙蝠版って思っといて。君らは石神村の人? お話は千空ちゃんから聞いてるよ~」
「俺はクロム、お前を捕まえたそいつはコハク」
「コハクだ。手荒な真似をしてすまなかったな、ゲン。今この村では厄介な問題が起きていて、余所者を普段以上に警戒しているのだ」
「ん~、まぁいいよ。どこでも縄張り争いはあるもんだからね~」
喋りながら軽く辺りを見回す。良い感じの木があったので幹に爪を立ててよじ登り、これまた良い感じに張り出た太い枝に足の鉤爪を引っ掛けぶら下がった。
「ふぅ。そんで~? 君たちの俺への疑惑ってのは晴れたワケ?」
「……いや、そんな普通に話を再開されてもだな」
「えっ? なに?」
「よお、ゲン。何で急に逆さまになったんだ? 頭に血ぃ上るだろ、そんなの」
「いやいや、だから俺ってば人に見えようと蝙蝠だかんね? こういう生態よ? 地面に突っ立ってるとか落ち着かないし」
「むしろ逆さまの顔と突きあわせているのが私には落ち着かないのだが……」
「そっかー、メンゴ。改められるもんじゃないのよね~コレ」
そこはもう諦めてほしい。人間と似ていようと俺は人間とは造りが違うのだから。ちょっと困った顔をしてコハクちゃんは千空ちゃんを見るけれど、首を横に振られて小さくため息を吐いた。
「いや……すまない、話の腰を折ったな。実はここ最近、連続して子どもが居なくなったのだ。事故なり獣に襲われたなりしたのなら少しは形跡も残ろう、だが子どもたちはまったく消えてしまって」
「川や沼、崖下に落ちて見つからねえってこと今までだってあるけどよ。それだって一ヶ月で三人なんて多すぎる。そしたらデケぇ鳥? を見たことあるって奴が居て……」
「オッケー、分かっちゃった。つまり大きい肉食の鳥がやってきて小猿ちゃんの捕食よろしく子どもちゃんたちを捕まえたんじゃ~って考えてたとこで俺を発見したってわけね」
この辺りには居ないが、世界にはそれができる程の猛禽類は確かに存在する、らしい。もしそんなものが近くに巣を構えていて自分たちが狙われているかもしれないともなれば、探し出そうともするだろう。
「ここらでチビ共を捕まえられるような猛禽は居ねえっつったんだがな」
「……参考までに聞くが、君ではないよな? ゲン」
「ヒトの子どもぶら下げて飛ぶなんてリームーよ、俺。あんな重たいもの持てない。鉤爪あるけどコレこういうとこに引っ掛ける為のもんだから子どもなんて掴めないしね~」
飛ぶ、というのは中々に難しいのだ。恐らく本来の蝙蝠よりも、半人たちは総じてその能力は劣る。身体がデカくなる分、飛びにくくなってるんだと思う。
「何よりコイツは肉食じゃねえ」
俺の潔白の後押しなのか、千空ちゃんもフォローをいれた。
「蝙蝠って血を吸うんじゃねえの?」
「そういうのもいるね~! 吸血するのも居るし、虫を食べるのも居るし。俺はお花と果物が好き」
「ヒトの性質も持ってるから食えねえわけじゃねえ筈だが、この前試しに食わせたら半日胃もたれで地面に丸まってたぞコイツ」
「千空……オメー、かわいそうなことしてやんなよ……」
「ありがと~、クロムちゃん」
そんな格好悪いことバラさないでよ! と言い返す前に、クロムちゃんが諌めてくれた。やっさし~! 勧められてわりと無防備に乗り気で食べたことは内緒にしとこ。
「しかし、そうなるとまたイチから考え直しだな……」
苦々しい顔でコハクちゃんが呟いた。
「……、千空ちゃん。この辺りって、村の人たちしか人間は居ない感じ?」
「余所者は殆ど来るこたぁ無ぇな。皆無とは言わないがあまりに稀だ」
「ふぅん。そっかぁ……うーんメンゴ! 今は俺が役立てることは無さそうね~。でもこれからは定期的に飛んで異変がないか見ておくよ」
「そうか、ありがたい! 私も目は良い方だが、すべて見通せるわけではないからな」
「りょ~! じゃあ俺はこれで。何かあったら千空ちゃんに伝えるから~」
鉤爪を外してふわりと浮き上がる。見下ろせば、千空ちゃんは何か言いたげな顔をしていた。俺はその目を見返して、けれど何も言わずに更に高度を上げる。
「でっけぇのが飛んでると迫力あるよなぁ……なあ千空、ゲンとか鳥ってなんで羽バタつかせるだけで飛べんだ?」
「あ゛あ゛、揚力っつーもんがあってな、……」
クロムちゃんの問いかけと千空ちゃんの解説の声が遠くなるのを聞きながら、俺はその場を飛び去った。
夜。住処には戻らず適当な木にぶら下がって時間が過ぎるのを待っていた俺は、音を立てずに飛び立った。目的地はただひとつ。
「……ヨォ。待ってたぜ、蝙蝠野郎」
「こんばんは~、千空ちゃん」
村から少し離れた大樹の虚に腰掛けて、千空ちゃんが其処に居た。
「テメーなんか知ってんだろ? とっとと吐け」
「メンゴ、メンゴ! いっやぁ、あんな純粋まっすぐちゃんたちにそのまま話していいもんなのかなぁって思ってさぁ~。あの場ではついごまかしちゃった」
真面目な顔をしている千空ちゃんに、俺はへらへらと笑ってみせる。ぺらっぺらの薄っぺらい笑顔。これで隠せてると良いなぁ。
「子どもたちさぁ、俺の予想だけど『あっち』の人間に連れ去られてるよ。たとえば、未開の地の美しい原住民の子に、自分たちの文化的な生活を与えて『あげる』ためっていう建前のもとに」
ろくでもねえクソみてえな奴らへの嫌悪感を。
「……詳しく聞かせろ」
俺の言葉を受けた千空ちゃんの目が、赤く光ったような気がした。
「その前に確認なんだけど。千空ちゃん、石神村の人たち以外の人間と交流ってある?」
「今は無え」
「次の質問。彼らの現在の文化レベル知ってる?」
「……予想はしてる」
「そ、オーケー認識そんな感じね」
今は無い、と言うのならば以前はあったのか。その『以前』が千空ちゃんの長い冬眠前なのか後なのかは分からないが……なんとなく冬眠前のような気がするし、そう仮定しよう。千空ちゃんの立てている予想というのはきっと、百夜のパパさんが知っていたらしい知識が断絶せず順当に発展していったならば、というものだろう。
「昼間こっそり石神村の様子見てきたんだけどね、正直俺が知ってるヒトの暮らしよりも随分と……なんて言えばいいかな、俺たち寄りの暮らし方してんなぁって思った。千空ちゃんの予想の通り、ここ以外のヒトが持つ技術はここと比べてかなり多いよ。もっと生きることに余裕がある。余裕があると、こっちからしたら余計なことをしでかす余力ができちゃうんだよね~困ったことに」
「ああ」
「村の皆をそういう余裕がある暮らし方まで引き上げる為に協力してる千空ちゃんにはイヤミに聞こえるかもしんないけど」
「いや、いい。それに村のことは、半分以上は俺の頭ん中にある知識を試したくてやってる面もでけぇしな」
曰く、教わった知識以上の事が何故か彼の頭の中にあるらしい。『それ』は幼い頃からあるにはあったが、パパさんと出会い思考方法と言語化を教わらなければ頭の中から取り出すことは出来なかっただろう、とも。
うーん、確かにあっちの人間だってまだ俺らがどうして飛べるのか分かってない。習うことも出来ないその理屈を千空ちゃんだけは知っている。生き物の本能として知ってることはある、その『知っている』事が何故だか膨大にあるとでも考えたらいいのかな。
とにかく千空ちゃんは知識だけはあって、それを使って試行錯誤しながらパパさんが居た頃に追いつけ追いこせと頑張ってる、と。
……つまり。
「未知の技術に驚きはしても物怖じせず、人を疑うこと知らない、言葉が通じる原住民の子ども、かぁ~……! 拐かすのゴイスー簡単だったろうなぁ……!!」
思わず頭を抱え込む。千空ちゃんのやってきたこと裏目に出てんなぁ~コレ! 千空ちゃんは今までも子どもたちからしたらサッパリ分かんない何かをやって、いざ出来上がったら大人たちもビックリしちゃうような物事を披露してきたのだろう。だから見知らぬものへの好奇心はあっても忌避感は薄いはず。
それに石神村を覗いてきて思ったが、あの集落は人が少ない。あの少なさでは内輪もめなどせず皆がきちんと協力し合わなければ生きていけないだろう。だから子どもたちは誰かに騙され利用される、なんて考えたこともないのではないか。ああ、外の世界では子どもにはこう教えるというのに。
『知らない人についていってはいけません』と。
千空ちゃんも思うことがあるのか、苦々しい顔で奥歯を噛んでいる。
「千空ちゃんのやってきたことは間違ってないよ。間違ってんのは気に入った人の子を見つけたから連れてこうって考えの方だ」
「……あ゛あ゛」
それにしても三人の子というのは無事だろうか。初めの子から一ヶ月……、一ヶ月? 長いな?
「……、俺がこの辺に住み着いたのって人が居ない山深い奥地だったからなのよ。実際、それなりに長く居るけど今まで石神村の人間に会ったことなかったし」
「ん?」
話が飛んだと思ったのか、訝しげな視線を向けられる。
「いや……あちら側からしたら随分と遠くに来たもんだなって。こんなとこに何で一ヶ月も居たのかね」
正直不便だろう、人里から離れるのは。野営でもしてるのかは知らないが、俺がヒトなら一人目の子どもを懐柔したらさっさと本拠地に戻る。それから可愛がって宥めすかして村の情報を出来るだけ聞き出し、十分に準備を整えてから再びこの地にやってくるだろう。ここで捕まえたままにしていたら逃げ出されるかもしれないし、親が奪い返しにくるかもしれないのに。
長期間ここに残らないといけない理由がある? 何度も足を運ぶ手間を惜しんだだけ? もしかして子どもを捕まえたのはついでで、本来の目的が別にあったとか?
「何かを探してる、とか……? 村の子よりももっと珍しい何かとか……」
「テメーとか?」
「俺ェ? いや、そ、れはぁ……それは無、いや、有、うーん……いや! いや、大丈夫、心当たりはなきにしもあらずだけど多分今回は無い! それならもっと前に来てる!」
「あんのかよ、心当たり」
「うん、まあ。俺、見世物小屋から逃げ出したクチだし」
「……、あ゛?」
一拍、きちんと俺の告げた言葉を聞き取り理解してから、千空ちゃんがゾッとするほど低い声で聞き返す。これ、そんな大層なことじゃないんだけどな。
「そんな怖ァい顔しないでよ~千空ちゃん。悪く聞こえる境遇だけど、まあまあ楽しくやってたんだから」
「ほーう? 逃げ出したってのにか?」
きりきり吐けコラ、って不機嫌そうに言われてもなぁ、と俺は苦笑いしながら少しばかり昔を話す。なんてことない、ありがちな話だ。
「とっ捕まって、その情報掴んだ興行主が新しい演し物に丁度いいからくれってことで見世物小屋に売っ払われたのがきっかけでね。前座として盛り上げたりパフォーマンスとして舞台で飛び回ったり、ああ町の上からビラ巻いたりもしたっけ。それなりに楽しくやってたんだけど、興行主が芸磨かせるよりもフリーク集めにハマっちゃってさ~、舞台つまんなくなって飽きちゃったから辞~めよって逃げた」
あれは多分、俺という存在で味をしめたのだろう。珍しさはそれだけで話題になる。どこから見つけてきたのか、半人と人との間に生まれた子やら、その血筋の所為で先祖返りした者、少しばかり特徴が目立つ人間、珍しい動物、見た目がわかりやすく奇異な生き物ばかりを興行主は集め始めたのだ。
特異さで居場所のなかった者たちがここで自分の活かし方を覚え生きやすくなるというのならばそれでもいい、けれど当人の望まない晒し上げは悪趣味だ。人間ではない俺ですら分かる理屈を、興行主は無視をした。そしてその悪趣味に浸る奴らの多いこと。
「質問いいか?」
「はぁい?」
「テメーの待遇は」
「優遇させた」
にやりと笑ってそう答えれば、千空ちゃんも喉の奥で笑った。
「何せあの人、俺との遭遇で初めて半人てものを見たわけだしね~! それにクロムちゃんもそうだったけど、蝙蝠のことも良く分かってなかった。だから俺は『珍しい獣』として扱おうとする彼らにハッタリかまして『交渉の余地がある未知の怪物』を装うだけで良かったのよ」
人に近付く為に自分はわざと捕まった、それなりの待遇をするのならば、面白そうだから見世物小屋を手伝ってやってもいい、ただし扱い方には努々気をつけろ、俺はいつだって人に病をばら撒いてもいいし、お前から干涸らびるほどの血を吸い取ってやってもかまわないのだから。そう彼らに笑って言ったのだ。
……ぜーんぜん、そんなこと出来ないけどね~!! でも奴らは俺の嘘を信じた。いや、信じ切れなくても否定する材料もないから『万が一』を考えて安全策をとるほかなかった。怖がりながらも結構な金を払って手に入れた俺を手放すのは惜しかったらしい。結果ほぼ対等な人間としての待遇を彼らは約束し、きちんとそれは果たされた。だから彼らの見世物になってやった。
――誰彼に対してもそうやって遇したのならば、俺だって見捨てずにやったのに。
「まぁ俺の昔の話は置いといて。手に入れた村の子供たちを見世物小屋に連れて行く、って可能性はあると思う。未開の地の子供たちにその集落に伝わる踊りや何かを披露させる、っていうのは興行としてそれなりに需要が見込める。俺の時同様、買い取らないかと持ち掛けそうだよね~。もしくは興行主の伝手で子どもを可愛がりたい金持ちを紹介させよう、って考える可能性もある」
あーあ、いやな話だ、まったく。
「人に比べたら俺の方が一日で見て回れる範囲は広い。あっちの人間が居た痕跡残ってないか少しだけ探してみるよ。俺は一番可能性高いと思ってっけど、今はまだ説得力ないしね」
「頼んだ。俺も……」
「駄目」
心当たりを見て回る、とでも言おうとしたのだろうか。千空ちゃんの言葉を俺は止める。いやいや、ダメでしょ絶対。
「千空ちゃんは万が一を考えて村の防衛準備に回ってよ。ていうか商品価値は千空ちゃんがピカイチなのよ? わかってんの? ていうか捜されてるのが実は千空ちゃんって可能性けっこう高いんだからね?」
ヒトから見れば異形だろう蛇の身ながら、半身の人間部分に蛇の要素はほぼ見られない。色もきれいだし、顔の作りも整っている。つまり受け入られやすい容姿だ。それだけで十分なのに、更にヒト以上の知識を持っている。垂涎でしょ、こんなの。
「動くのは俺がやるから、村へいつ説明するかとか、そういう細かいとこは千空ちゃんお願いね」
「助かる。……が、テメーがそこまで手伝おうとする理由は何だ?」
「大した理由じゃないよ」
もし俺の考えている通りに子どもたちが理不尽に自分の居場所から引き離されたというなら、あるいは自分の意思で選ぶことも出来ず居たくもない場所で生きるしかなくなる子どもがまた増えるというのなら。
「気に入らない。それだけのコトよ?」
俺の言葉に納得できたような疑うような、そんな顔で見てくる千空ちゃんへ、俺は押しきるように笑顔を見せ付けた。
痕跡を探す、となった時、俺には村の面々に比べて利点がある。飛行による活動範囲の広さがひとつ。それともうひとつ、村以外についての知識だ。
想定する団体がこちらに向かってくる場合の方角、そこから考えられるルート、まだ村の人間が捜索していない範囲外でかつ野営地として適している立地――水源の確保や安全性、その他諸々の条件が重なるなんて限られている。ある程度の予測を立てて探してみたら、予想よりも簡単に野営の痕跡が見つかった。先日降った雨で消えたかもしれないと考えていたが、ぬかるみを踏みつけた足跡がくっきりそのまま乾いて残っていたのだ。村の人間以外がこの地にやって来ていたのはこれで確定として良いだろう。ついでにいなくなったのは雨の後、ごく最近。連れ帰られていてもすぐに商談が成立するとは限らない、これは朗報だ。間に合うかもしれない。
俺は一旦戻ると千空ちゃんへ偵察結果を報告した。場所を聞き、千空ちゃんは眉をひそめる。やはりその辺りまではまだ捜索出来ていなかったらしい。子どもの足だ、そう遠くまではいけない。もしや余所者が、という可能性よりも何処かで倒れ伏している可能性のが高いから、近辺をしらみつぶしに探し徐々に範囲を広げていたところだったそうだ。
必要なら俺の昔の事も好きに話して構わないからね、と許可をし、話し終わったらすぐに見つけた場所に人を寄越すよう頼む。ほら、俺じゃ分からない手がかりがあるかもしれないし。
とりま俺ももっかい行ってくる、と告げ再び飛び上がる。
「気ぃつけろよ」
「ありがと~! いってきま~す!」
気をつけろ、って言われても俺は飛んでるだけで目立つのだ。気をつけようとも限度がある。心遣いはめちゃんこ嬉しいけど反故することになるだろうな~って言うのが正直なところ。
……何せこれから俺は、場合によっては古巣に乗り込むつもりでいるので。
千空ちゃんに教えたのは一カ所だけだが、野営地跡は複数あった。伝えたのは一番新しい痕跡だ。引き上げたと考えてはいるが、もしかしたらまだ野営地を変えて近辺に居るかもしれない……とはいえこれはかなり希望的観測だけど。
見つからないなら見つからないで、町に戻ればいいだけだ。興行主のあのオッサン、調べりゃいくらでも人のルールを違反してる証拠でてくるだろうし、手柄が欲しい警ら隊でもけしかければ子どもたちの行方を知るくらいは出来るでしょ。居てくれれば万々歳、今回のに直接関わってなくて居なくても実働した人さらいやそこを動かしてる輩と繋がりありそうだもん。手がかりになるなら何でもほしい。
問題があるとしたら、俺ひとりで動くとなると子どもたちに味方って分かって貰えないかもっていうのと、三人も俺ひとりで連れて帰れんの? てとこか。でもあっちに連れて行けそうな人って居るかァ……?
見世物小屋側の方に手伝ってくれるだろう人間に心当たりはあるが、その人物もこういう搾取される話を心底憎むタイプだし、子ども盗んできましたって話を聞いたら俺の手に負えないくらいの惨劇を引き起こしそうで怖い。うーん、どうしたもんかな。
等々を考えながら飛んでいたら野営地跡まで戻ってきていた。適当に、目についた大木にぶら下がり休憩をとる。
あくまでも俺は今『きっとこうだろう』という決め打ちで行動しているに過ぎない。必要なのはそれを裏付ける、または『違う』と判断するための情報だ。
文字通り羽を休めてからまた出発する。歩きやすいよう枝を払ったりしたのだろう、人が通ったあとが見受けられる。低めに飛びながらその道の上を辿り、やがて見えてきたのは土砂崩れの斜面だった。
「あっりゃ~……」
これは迂回しないと通れない。人さらい(仮)たちがここで時間を無駄にしたのなら向こうに戻るのは更に遅くなる、俺からしたら幸運だ。土砂崩れだろうと飛んでいる俺には問題ない。どっかに居ないかなぁとフラフラ飛び回っていたら、風切り音と共に矢が飛んできた。
「あっぶな!?」
幸いなことに的は外れた、急いで逃げる……のではなく、矢が飛んできた方向へ向かう。あっちから俺を呼んでくれたんだから挨拶に行かなくっちゃあねえ!!
近付くにつれ騒ぐ声が聞こえてくる。矢も飛んできたが、的がデカいとはいえフラフラ飛ぶ俺はさぞ狙いにくいだろう。
「ちょっとちょっと~! 矢なんてドイヒーじゃない? 座長から何も聞いてないの~?」
俺の抗議に男たちは戸惑った顔で見上げてくる。それもそうだろう、あちらの視点からしたら射殺そうとした化け物がさも知り合いや協力者のような顔して話しかけてくるのだから。
「なんだテメーは」
「俺? 俺はしがない蝙蝠よ~、ていうか見たことない? 俺、少し前は小屋ではそれなりに人気だったのにな~、空飛ぶ怪人とか言ってさ~」
人じゃなくて蝙蝠なんだからそりゃ飛ぶよ、って感じだったけど、わかりやすいネーミングは宣伝には大事である。ここでもそれは良いように働いた。
「あっ、俺こいつのこと聞いたことある……」
そう呟いた男は、こそこそと他の男に何か話しかけている。それを名乗れる時点で、俺が森の中にだけ居た存在ではないと分かるだろう。
ここに居たのは男が三人。それから子どもも三人、一人だけキレイな街着を着せられていて二人はコハクちゃんやクロムちゃんと似たような服。そしてこの子たち二人にだけ、腰に紐が巻かれ逃げ出さないように繋がれている。歩かせるのに手足縛っちゃうと邪魔だもんね、子どもの力じゃ解けないだろう。
「コイツだろ、逃げたって座長が切れて懸賞金まで賭けたっていう……」
「え~、ジーマーで? 座長ったら演技下手だからってそんなことまでしたんだ~」
うげ、あのオッサン金に物言わせて何やってんのよ。面倒くさ! なんて気持ちは表に出さず、楽しそうに『さっすが座長~!』と笑ったら、彼らはどういうことかと不思議そうな顔をした。よし、警戒はされたままだがすぐ俺を射るような敵意は薄れた。
「俺はね、座長とこっそり打ち合わせて小屋に役立ちそうなモノを集めるための情報収集してたのよ。人じゃ行けないとこも俺なら行けるからね~! んで、俺が逃げたってことにして慌てるふりしてれば、ホントは『こんなこと』計画してるなんて思わないでしょ? ようするに目眩ましってわーけ♪ ほら商売敵もいるからさ、珍しいものの入荷は極秘じゃないと! だから皆もここに来たんでしょ?」
「俺らに情報を流したのは別の奴らだ」
「その情報くれた人に情報を流したのは誰? 俺が直接座長にお届けできるわけないじゃん、あちこち経由してんの。元を辿って辿り着くのはどこだろうねえ?」
まぁ当然俺じゃないけど。にんまりと悪い顔で笑ったら、そうだったのかって顔で彼らは納得した。よかった、彼らどうやら実働だけの下っ端らしい。こんな適当な嘘にひっかかった。
「そんで? もう帰るってことは情報通りのモノは手に入ったの?」
カマをかける。何を探しに来たのか、少しでも手がかりが欲しい。
「これ見りゃ分かるだろう、見つからなかったよ。どこにも居やしねえ」
居る居ない、が答えになるなら人物か生物を探しに来た、と。
「いや、てっきり他の人が先に連れ帰ったのかな~って」
「そんな人手ねえよ。ま、別のモンが手に入っただけマシさ。言い訳が立つ」
「ふーん……そうだねえ、遠征費もバカになんないもんね~」
他に人は居ない。そして村の子の存在を知ったのは偶発的なもの、それを知ってここに来たわけではないのかな? 彼らだけをどうにかすれば、村の場所は秘匿できそうだな。
「でもそんなに大きなものじゃないし、この人数で十分なのかねえ」
「は? 何を言ってやがるんだ?」
――掛かった。
「あっれえ? 虹色の羽毛がキレイで人の声真似をするあの鳥探しに来たんじゃないの?」
「そんな珍しいもんまで居るのか!?」
この世の中のどっかしらみつぶしに探したらもしかしたら存在してるかもね? 知らんけど。
「メンゴ、もしかしたら俺の話とは別の情報と混ざっちゃったのかも~! 皆はどの話聞いて来たの?」
「半蛇だ」
「チャンピオンが前に『蛇に救われた』っつー話をしててよ。俺らは例え話だろって思ってたんだが、座長はお前さんの事もあるしってんで色々調べさせたみてえでな? そしたら麓に近い小せえ集落に、随分昔に半蛇が山から降りてきて知恵を授けてくれたって逸話が残ってたんだとよ。時代はあわねえが、その半蛇の子孫がチャンピオンと会っててもおかしかねえだろ?」
「へえ~!」
男の口から蛇の話が出たとき、繋がれている子が小さく震えた。きっとこの子も分かってるんだろう、千空ちゃんが狙われていること、もしうまく逃げ切れず村の場所がバレたら千空ちゃんが捕まってしまうこと。……ひょっとして、だから君たち逃げなかったの? 健気だねぇ。
「生憎と俺はそんな賢い蛇は見てないけど……」
ここで上手いことやらないと子どもちゃんたちも村に帰してやれないし、千空ちゃんも危険に晒すことになる、ってわけね。あ~らら、こりゃ大変だね~! こんなドイヒーでリームーな状況なんてさぁ……テンション上がっちゃうじゃない。
「……ね~え? ちょぉっと良い話があるんだけど~?」
さて、それじゃあ――謀のお時間だ。
小声でも聞こえるように近寄れとジェスチャーをする。三人とも怪訝な顔ではあるが、大人しく寄ってきた。
「これからお芝居するから合わせてね」
子どもたちに聞こえないように囁き、彼らの了承よりも前にしゃがみ込んで拳大の石を拾い上げ、……勢いよく目の前の男のこめかみ目掛けて振り抜いた。
「ぎゃあッ!?」
「テメェ何をッ」
続けざまに足の鉤爪で二人目の右足を引っ掛けて掬い上げ、体勢を崩したところで後頭に一発。飛びかかってきた最後の一人へは、大きく羽ばたいて飛び上がり頭上から持っていた石を落とすように投げつけた。空へ上手く離陸できるほどではないが、少し高く飛ぶくらいなら出来るのよね、これが。
三人とも倒れ伏したところで腰縄付きの子どもの側へ駆け寄る。ナイフなんて持ってないから跪いて無理やり噛み切った。
「お逃げ。この前まで寝泊まりしていた場所まで村の人が探しに来ている」
一度見知らぬ大人に騙されている子たちだ、俺のこともきっと信じられないだろう。しかもさっきまでその大人たちと仲良く喋っていたんだから。
「大丈夫、俺は千空ちゃんの味方だよ。コハクちゃんとクロムちゃんとも知り合いだ」
子どもたちにだけ聞こえる声でそう付け足せば、ハッとした顔で俺を凝視する。安心するように頷けば、子どもたちもまた頷き返してくれた。これでいい。
「さあ」
促せば弾かれたように駆け出した。一瞬、良い街着を着せられていた子どもだけは躊躇う素振りを見せたが、急げ置いてくぞ! と叱られ踵を返す。一人になるのは嫌だったのだろう、すぐに後を追いかけて走り去った。えっゴイスー速いね君たち!? もしやあの村コハクちゃんみたいな子たくさん居るの!? これ、考えてた時間から調節する必要あるかもな。
「……、さってと。もう起きていいよ~!」
子どもたちが去ってから、俺は三人へ声をかけた。不意をついたところで、俺の非力な羽で彼らを昏倒させられるわけがないのだ。あれはあくまでも、子どもたちに見せるパフォーマンスである。
「いってぇ……何しやがんだ、テメェ!」
「それにガキども逃しやがって! どういうつもりだ!」
「まあまあ、落ち着いてよ~怖いなぁ~! あれぇ、気づいてなかったの? あの子たち、蛇の話が出たとき何か知っている風だったからさ~、むしろ泳がせた方が利益でるかなぁ~って思って」
「あのガキがその蛇んとこに逃げ込むってか?」
「知恵のある生き物だというなら助けを請いに今から逃げ込むかもしれないし、それでなくても集落の場所は握っておいた方が後々役立つでしょ? とは言っても本当に逃げ切られたら困るから、人が踏み分けた道が出てきたくらいで捕まえようよ、そこまで分かれば十分あとから集落は見つけられるし。俺ねぇ、見ちゃったんだよね~子どもたち探してるっぽい女のコ! キラキラした髪のゴイスー美人さん! 途中で見失っちゃったけど」
俺の言葉に俄然男たちが張り切りだす。好きだよねえ、そういうのねえ。まぁそのキラキラした髪のゴイスー美人さんは、あんたら三人を一瞬でぶちのめせるだろうなって身体能力のお嬢さんですが。
「あとは~、ホラさっきの子どもたち、俺のこと助けてくれた奴って思ってるでしょ? 縄で捕まえてたってことは反抗的なとこもあったと思うんだけど~……助ける為に逃してくれたと思った相手が、実は自分の仲間を誘き寄せる為にわざと逃しただけって知ったらどうなっちゃうんだろうね~?」
にたり、と笑う。出来得る限り、悪辣な顔で。
「もうダメ逃げられないと思ってたところでなんとか逃げ出せて、助かったぁ! って希望を持ったところでまた捕まる、そういうのあったらさぁ……もう逆らう気も失せちゃうよねぇ~?」
希望を潰えさせられても反骨心を持ち続ける、というのは難しい。そして悲しくも諦めてしまった者たちの例を彼らはよく見てきている。
ニヤニヤと、気っ持ち悪ぃ笑顔を浮かべて、彼らは俺の案を採用した。
「悪い奴だなぁ、テメェ」
そんな軽口に、俺もまた笑顔で軽口を返す。
「蝙蝠は裏切るものって決まってるんでしょ? ヒトの物語の中じゃあさぁ~♪」
違いない、と彼らは声を上げて笑った。
子どもたちは野営地を目指して逃げるように誘導したことを告げ、ある程度の余裕を持ってから移動を始める。子どもの足なら十分追いつけるし、あまり早く追いつきすぎても集落が分かるところまで逃げてくれないかもしれないから、という理由に彼らはあっさりと肯いた。一度は捕まえているし、子どもだし、しかも彼らからすると自分たちより文化が遅れた人間たちだ。危機感なさすぎじゃん? ってくらい侮っている。うーん、こう都合が良いと俺のほうが実はハメられてるのかなって疑わしくなってきちゃうほど。
「俺、山道歩けるほど適した脚してないから飛んでくね~! ついでに子どもたちの位置もこっそり見てくるよ」
とか何とか適当なことを言って彼らの近くから離脱した。さてさて、子どもたちも大事だけれど、一番大事なのは村の人間が野営地までやってきてくれているかどうかである。
だって子どもの足じゃ無理だもん、日が落ちるまでに村へ辿り着くの。肉食の四つ足たちがうろつく中を子どもだけで野宿なんて『食ってくれ』と言ってるようなもんだ。
コハクちゃんは別格としても、あの子どもたちの駆け足を見るに村の人々は結構な身体能力を持っているだろうと思われる。千空ちゃんから俺の話を聞いて即座に向かってくれているならば間に合うかもしれない。もし野営地に村人が辿り着くよりも前にあの三人がここへ追いついてしまったら、口車に乗せて村の人々と鉢合わせるようなルートを誘導しよう。
逃げている子どもたちを見落とさないよう、少し速度を落としつつ野営地があった場所へ向かう。どうやら順調に逃げているようだ、まだ距離はあるが体力を使い果たす前には到着できるだろう。そのまま追い越して野営地へ先回りをするが、まだ村人たちは居なかった。通り越し、村人がこちらへ向かっていないかと探すように飛び回っていると、ピィ! と短く甲高い音が響いた。あれは鳥の声ではない。
すぐさま音に向かって飛べば、こちらだと知らせるようにもう一度音が響く。
果たしてそこには、汗みずくになって走ってきたのであろう待ち人、コハクちゃんが立っていた。
「ゲン! 手がかりとなる場所があると聞いたぞ!」
「待ってました~! コハクちゃんの他にもこっちには向かってる!?」
「ああ、父上とジャスパーと……いや、君に名前を言っても分からないな。村の大人が数人だ、私は先行してきた」
「良かったぁ、話聞いてチョッパヤで向かってくれて~! 子どもちゃんたち見つけたの、急いで保護して! あの子たちも野営地へ向かって逃げてるから」
「なんだって!? どうやって見つけたんだ!?」
「運が良かっただけよ~。話はあと。案内する、行こう」
「ああ。かたじけない!」
走り出す前に、コハクちゃんは小さな笛を吹いた。ピッピッピッ、ピーピーピー、ピッピッピッ、と少し変わった吹き方をする。
「今のは?」
「千空に言われて事前に取り決めた、救援を求める音だ」
コハクちゃんの笛の音に呼応するように、ピィー、と長い音が微かだが聞こえてきた。
「よし、これで父上たちも急いで駆けつけてくれるだろう。待たせた、ゲン。行くぞ!」
「オッケー、まずは野営地があったところへ! その先は誘導する!」
「わかった!」
木々を飛び越し野営地へ戻る。この短時間では流石に子どもたちも到着していなかった。よしコハクちゃんが追いつくのを待って案内を、って思ったのにほぼ同着だった。しかも、
「俺が飛んでいく方向に追ってきて」
「ああ!」
って答えたと思ったら、シュバッ! って飛ぶように木を登って、そのまま木々を飛び渡って俺を追いかけてきた。ねえ、この子ホントにただのヒトなの? そして不意にじっと一点を見つめたかと思うと、
「……居た!」
と鋭く呟いて、更にスピードアップした。俺の案内はもう大丈夫らしい。わぁー……コハクちゃんが敵じゃなくってジーマーで良かったぁ……!
若干その能力に引きながらも彼女の後を追いかける。
「……っ、コハクねえちゃんっ!!」
彼女の素早さのおかげで、子どもたち三人とはなんとか無事に合流ができた。ふう、ひとまず勝利条件そのイチは達成できたようだ。
「みんな、無事で良かった……!」
「コハクちゃん、ここじゃ追ってきてる村の大人と合流できない。戻ろう」
「ああ。それにこの子たちを追ってきてる奴らも居るんだったな。君、上手く追い払えなかったのか?」
「ちょっと事情があってね~……絶対ここにはもう来ません! ってくらい脅してからじゃないとおウチに帰ってもらうには難しいかなって」
「コハク姉! あいつらね! 村長のこと探してるの!」
「なんだと、千空を!?」
「まって千空ちゃんって村長なの!? 初耳なんだけど!?」
「ん? ああ色々あってな、父上から千空へ代替わりしたんだ」
「へ、へえ~……って、ここでおしゃべりしてる場合じゃなかった。皆まだ走れる?」
「案ずるな、三人とも私が抱えよう。あの距離なら、同じ速さは無理だが連れて行くくらいなら出来る」
「……あ~ね、そうね、俺のことも抱えて走ったもんねコハクちゃんてば……」
かくして一人を背負い、更に小脇に一人ずつ抱えたコハクちゃんは、普通のヒトよりちょっと速いくらいの速さで走り出した。軽業師として小屋で色んな見世物したら大人気になるだろうなあ、なんてくだらないことを考えながら、俺はその後を追いかけた。
無事に野営地まで戻ってきた俺たちは、コハクちゃんのパパさんたちがやってくるまでしばしの休憩を取ることにした。もちろん俺は枝にぶら下がっている。子どもたちは俺を不思議そうに見上げ、揺れる俺の髪の毛をジャンプして触ろうと遊んでいた。元気ね、君たち。
「そういえば、此処までの道ってすぐ分かった?」
地図があるわけじゃなし、場所を詳しく千空ちゃんへ説明するのもなかなか難しかったのだが、皆はすぐに分かったのだろうか。雑談の取っ掛かりとして問いかけると、大丈夫だったとコハクちゃんは笑った。
「クロムは素材がどうのと言って私にはよく分からない石やらを集めにあちこち行くんだ。今回も、千空の話でもすぐに場所を把握して案内を買って出てくれた。今も父上たちと一緒に此処へ向かっている」
「へ~! そうなんだ」
「あれでクロムは頭が良いぞ、千空の知識を一番吸収して理解しているのはアイツだからな」
「うわぁ、クロムちゃんも別格の人だったかぁ……」
何なんだろうね、石神村の人たちって尽く俺の見てきたものより『規格外』の能力持ってんだけど。これ絶対に今のままじゃ外の人間にバレるわけにいかなくない? ある程度、他所の知識を得て自衛手段を持ってからじゃないと利用されそう。
「ゲン、それよりも奴らが千空を狙っているというのはどういうことだ?」
「ああ、なんかねぇ此処へは『珍しい蛇』が居るらしいって話を聞いて探しにきたんだって。どうも昔に千空ちゃんに会ったことがある人間がいたみたいでさ、その話と千空ちゃんの冬眠前か後か知らないけどずぅっと昔の伝承とを聞いて、もしや本当に居るのでは? って調べに来たら、蛇じゃなくって良い感じの子どもたち見つけたから連れて帰ろうとしたみたいね」
「子を見つけたから連れ帰ろうとするなど意味がわからないぞ? 保護のつもりか?」
「ね~、ジーマーでなんでだろうね~」
同じ人と思っていないから『珍しい石を拾ったから持って帰ろう!』『キレイなお花だ! 摘んでいこう!』程度の気持ちで捕まえるんだろうね、とは言わない。そういうの聞かせたくないし。
「子らを捕まえようとした、そいつらがこの後ここまで追いかけてくるのだろう? どうするんだ?」
「もちろん懲らしめるつもりよ~。でもそれはコハクちゃんよりパパさんたちのが適任かな」
「何故だ」
「見た目の問題かなぁ。たとえ実力はコハクちゃんのが強くっても、自分より小柄な女の子に脅されるより怖いおっさんに威嚇される方が効果があるから」
真の理由はそれじゃないんだけどね。表向きのその理由はコハクちゃんなりに納得のいくものだったらしい。なるほどハッタリも大事だからな、と頷いた。
「ならば対処は父上たちに引き継いで、合流できたら私たちは先に戻ることとしよう。……本当によかった、これで村に帰れるからな」
最後の呟きは、俺の髪で遊ぶのに飽きて座っていた子どもたちに向けての言葉だ。そうだね、と俺は相槌を打とうと口を開き。
「別に、よかったのに」
聞こえた呟きに舌を硬直させた。鉤爪を外し、落っこちるように地面へ着地すると発言した子どもの前にしゃがみこむ。呟いたのは、ひとりだけキレイな街着を着せられていたあの少女だった。
「帰りたくなかった? ……いや、聞き方が違うか。あのまんま、あっちに行ってみたかったの?」
怖がらせないよう、優しい声を意識して問いかける。ちょっとだけためらった後、少女は小さく首肯した。
「なん……っ」
「コハクちゃん」
絶句していたコハクちゃんだったが、少女の肯きを見て我に返ったようだ。叫ぶように批難しそうになる彼女を視線で留める。眉間にシワを寄せ、悔しそうにしながらも彼女はぐっと言葉を堪えてくれた。
「どうしてそう思ったか、教えてくれる?」
「……この服、とっても気持ちがいいの。あのおじさんたちが、もっと良いもの、あっちにはいっぱいあるって」
「うん」
「寝るときに包まる布もね、とっても柔らかくてあったかくて」
「うん」
「あっちではね、ベッドっていうもっとふかふかにやわらかい場所で寝るんだって。鳥の羽で作った掛け布団っていうのもあって、ふわふわに軽くてすっごくあったかいんだって」
「うん」
「お食事もね、あっちにはパンっていう柔らかくて甘くてとっても美味しいものがあるの! ラーメンもおいしいけど、あたしパンのほうが好きだなって」
「うん」
「あとね、甘いものも! あのね、前にね、千空があめっていうのをね、作ってくれたの! あの人たちもあめをくれたよ、千空がくれたやつよりもっとおいしいやつ! 甘くてちょっとすっぱくていい香りがしたの! おいしかったの、あのね、とってもおいしかったんだよ!」
「うん」
「……なんでダメなの? なんで、いいなぁって思っちゃ、ダメなの……?」
震える声で、必死に泣くのを堪えながら彼女は俺に問いかけた。
「ダメじゃあないよ」
だって快適に生きたいって思うのは悪いことじゃない。そういうものを知って、良いな欲しいなって思うのは当たり前のことだ。
……ああ、千空ちゃんが此処に居なくてよかった。この子たちを含め、村の皆へそういうものを与えたくて千空ちゃんは頑張っているのだから。施されるのではなく自分たちの手でそういうものを生み出し、自ら得るため努力している彼らにはこの言葉はいささかツラい。
「本当にあっちのほうが良いって思うんなら、このまま此処に残ればいい。追いかけてきた彼らに、私は村に帰るよりついていきたいですって言えば連れ帰ってくれるよ」
「ゲン!? 君、何を言うんだ!」
「でも俺は、向こうのことを知ってる俺としては、今はまだ行かない方がいいと思うよ」
「……なんで?」
「君が欲しがったものは確かにあっちにある。でも本当にそれが君のために用意されるかどうかはわからないよ。ふかふかのベッドの横のかたい床で寝ろって言われることが絶対に無い、とは俺は言えない」
可愛がるために連れて帰るんなら待遇は良いかもしれない、でも他人に見せびらかす時だけは着飾らせて他人の目がない時は放置ってこともあるだろう。
「行きたいなら行けばいい。でも、行った先じゃ君はひとりだ。村のように皆が皆やさしいなんてことはない。むしろ人がたくさん居る分やさしくない人に会うことの方が多い。そんな場所で、君はひとりでも大丈夫? それとも、そんな場所でもやさしくて守ってくれる味方を作る自信はある?」
顔をくしゃくしゃに歪めて、ぼろぼろと泣きながら彼女は首を横に振る。そうだね、かなしいね、行ってもいいよって言ってるくせに行かない諦めるって答えさせようとしてるのわかるんだもんね。俺の話を聞いてひとりきりになっちゃうのイヤで怖気づいちゃったもんね、くやしいね。
「あっちにはね、俺みたいな嘘つきでズルい大人はたぁくさん居るよ。だから、本当に行ってみたいならもっとたくさんの事を知ってからの方がいい。それに今の君にはとぉっても遠い場所なんだよ~! やだ、帰りたいって思っても帰れないかもしれない。だからもっと大きくなって、いっぱい歩けるようになってからの方がいい。……それまでは、君が知った新しいものを千空ちゃんと一緒に頑張って作り出して、村の人たちに教えてあげよ。ね?」
ちゃんと何かを答えようとしてくれたが、しゃくりあげてマトモな言葉にはならなかった。それでも言葉の代わりに彼女は大きく肯いてくれた。そっと近づいてきたコハクちゃんが少女を抱きしめる。コハクちゃんのお腹に顔を押し付け、彼女は唸るようなさみしい泣き声を上げ続けていた。
「コハク! 無事か!?」
やにわに騒がしい気配が近づいてきた、と思ったところでクロムちゃん含む数人の大人たちが野営地へと飛び込んでくる。先頭でやってきたコハクちゃんと同じ髪色で厳つい男性がおそらくコハクちゃんのパパさんなのだろう。そういえば、パパさんから千空ちゃんへ村長が移ったとか言ってたっけ。この中でのリーダー格はこのパパさん、と。
俺のことも一瞬警戒したようだったが、その隣で悪ぃ助かったぜ! とクロムちゃんが声を上げたことで敵ではないと判断してくれたようだ。
「チビたちまで見つけたのか」
「運良くね~! でも見つけたって俺だけじゃ連れ帰れないし。話を信用してすぐに来てくれてよかった~!」
「当たり前だろ、ダチの言うこと信じるのは」
俺もうクロムちゃんのお友達枠に居るんだ!? 今日一番の驚きなんだけど!? どうしよう、なにこの純粋な生き物!? え~、いずれ村から出て外の世界と交流した方が良いってわかってるけど出したくねぇな~!? わー……その時が来たら絶対ついてこ……俺が目立つとか知らん、フォロー要員に俺がなる……!
「良かったわ、アンタたち皆どこも怪我してない?」
「私も軽く見たが、せいぜい擦り傷くらいだ。ターコイズ、この子を背負ってくれるか? 寝てしまった」
「はいはい。あら、珍しい服ね」
「めっぽう触り心地が良いぞ! 戻ったら千空に見せて、私達でもこれが作り出せるか聞いてみよう」
散々泣いたせいか、あの少女は泣きつかれて寝てしまっていた。パパさんたちと同年代くらいの女性の背に載せられる少女を眺めながら、俺はついさっきのやりとりを思い出す。
あの子が寝た後、捕まっていたひとりにこっそりと耳打ちをされたのだ。あの子が自分を誘ったんだと。とても良いところに連れて行ってもらえる、一緒に行こう、って。居なくなったあの子を探していたら、そう誘われ、断りきれずについて行ったら捕まったのだと。もうひとりの少年については、最初の子と同じように偶然出くわして捕まったらしい。きっと二人目の居た辺りまでは子どもの行動範囲内だと学習したからだろう。
「仲良しだったのに」
それは悲しそうな、すねたような声音だった。無理もないか。
「仲良しだったから、君にも良いものがたくさんある場所を教えてあげたかったんだね。あの子は心からの善意で誘ったんだろう」
「でも」
「うん。いいよ。悪気がなくっても、怖くて悲しい気持ちにされたのは事実だもの。許せなくってもいいよ」
「……うん」
さみしい、けれどどこかホッとしたような顔で彼女は頷いていた。
あの子たちの関係は今後変わってしまうのだろう。閉じられた世界にいた子どもたちへ見せなくてもいいものを見せた余所者のせいで。
「そこの蝙蝠。ゲンと言ったか」
考え込んでいたところで、パパさんから声をかけられた。
「よくぞ子どもらを取り返してくれた。村を代表して礼を言おう」
「い~よ、気にしないで~! ところであのね、コハクちゃんのパパさん」
「コクヨウだ」
「コクヨウちゃん。あのさ」
――村の存在を嗅ぎつけたのは、今ここへ子ども追って向かっている三人だけだよ。
俺の囁きに、彼はぎらりと目を光らせた。
「あっちは俺を味方だと思ってる。わざと逃して子どもたちがここへ逃げ込むように誘導させた、上手く追えば村の場所がわかるかもしれないって唆したの。時間的にそろそろ来てもおかしくないし、もしかしたらもう近くに居るけどコクヨウちゃんたちに気づいて様子を伺っているかもしれない」
「……そうか」
「それとコハクちゃんにも伝えたけれど、彼ら『半蛇を探しに来た』んだそうよ」
「わかった。ジャスパー!」
「あ、コクヨウちゃん。ちなみに子どもたちが逃げてきた方向はあっちね」
俺の追加情報に頷いて、コクヨウちゃんはジャスパーと呼ばれた白い髪の男の人にひそひそと指示を出す。ジャスパーちゃんが他の大人たちを連れて離れたのを見やりながら、コクヨウちゃんがコハクちゃんを手招きした。
「コハク。子どもたちを連れて先に村へ戻れ、後始末はこちらがやる」
「ああ、わかった」
「……やけに聞き分けがいいな」
「ム、私だってワガママばかり言うわけじゃないぞ! そりゃあ子どもたちを連れて行った奴らに物申したいところだが、さっきゲンに言われたんだ。脅しをかけるなら私のような娘より父上たちのような男の方がハッタリが効く、と。千空もよく言っているしな、適材適所と」
「そうか……。クロム、ここまで来たときの最短距離の道は子ども連れでは歩きづらかろう。歩きやすい箇所の案内を頼む」
「オウ! とっとと帰って村の皆を安心させてやんなきゃな。ゲンはどうする?」
「俺は残るよ、あっちのこと知ってる奴が居ないと交渉は不利でしょ?」
「それもそうだな。んじゃ、またあとでな!」
あっ、終わったら俺も村に行くのは決定なのね……いや、千空ちゃんに報告するつもりではあるからそれはまあ良いんだけど。多分今日は帰らないと思うよ、俺。
一行が出立したのを見送ってから、コクヨウちゃんは深々とため息を吐いた。
「気を使わせたな」
「いやぁ~、俺はコハクちゃんやクロムちゃんには向いていないだろうから居ない方がいいなって思っただけよ。邪魔者の処分なんて」
俄に辺りが騒がしくなる。怒声と悲鳴、地面を踏み荒らす音と揺れる木々、それから何かを打擲する音。俺は騒ぎの方向をじっと眺めた。
ややあって、この少しの間に随分とぼろぼろになった男たちが村の人に引きずられて現れた。
「やっほ~! 自分から捕まりに来てくれて、あ・り・が・と・う♪」
「蝙蝠ぃ……! テメェ、裏切りやがったな!?」
「裏切ったなんてそんな、人聞き悪いな~! 元から仲間じゃなかったでしょ? 俺ら」
「くそったれ!」
「もし仲間だとしてもさ? 言ったじゃん、俺。蝙蝠は裏切るものだ、ってね」
お三人も違いないって笑ってたじゃ~ん、と言ったら、ゴイスー怖い目で睨まれてしまった。やだな~、こわぁ~い♪
「か……金をやる! だいぶ減っているが保存食も、俺らが持っている荷物も全部やる! ここじゃ手に入らないもんばかりだ! だから助けてくれ!」
「なんで?」
「……は?」
「助けなくっても奪えば荷物は手に入るもの」
この三人が子どもたちを連れ去ろうとしたように、俺たちも荷物を持って帰ればいいだけの話だ。差し出されなくても手に入るものを交換条件に出されてもねえ?
「子を狙えば、阻止するために親が来る。縄張りを荒らされれば、荒らした奴を排斥するために動く。狩るものがいれば狩られるものがいる。そういうもんでしょ?」
「座長の世話になったんだろ!? 恩を仇で返すのか!?」
「いや恩ないし。あったとしても、あんだけ稼ぐの手伝ってあげたんだからもう返し終わってると思うよぉ、俺」
ていうか、勝手に人間社会に連れ込んだんだから世話をするの当然だと思うな~! 連れ込まれたから楽しんだけど、俺が行きたくって行ったんじゃないのよ? あ、近付く為にわざと捕まったんだ~って嘘ついたんだっけ。座長信じてなかったからノーカンで。そりゃあ俺の見た目はかなり人間ぽいし? 何だかんだ千空ちゃん程じゃなくっても人間染みている方だとは思うよ? でもさ?
「さっきから俺に助けてって言ってくるけど、人間同士の諍いなんだから俺に決定権あるわけなくない? 俺、蝙蝠なのよ?」
俺は千空ちゃんの味方で、千空ちゃんが村に肩入れしているから俺も村の皆のお手伝いをしている、っていうスタンスなわけで。俺と千空ちゃんの不利益にならなきゃそれでいいのだ。
「獲物狙って縄張り荒らしたら反対に狩られちゃった、ってよくあることだよね~としか」
「ヒッ……こ、この悪魔! 人殺し!」
「え~……そっちのルールに人が人を殺しちゃいけないっていうのがあるのは知ってるけど、蝙蝠に人を殺しちゃいけないってルールはないよ? 人だって蝙蝠殺しちゃだめってルールないでしょ」
人間のそばに居るときは人間のルールに合わせるけど、本来は別に合わせる必要ないし好みでもない人間のために従う義理はないのよ?
「……こんな不快な奴らは見たことがない」
俺とのやりとりを見ていたコクヨウちゃんが吐き捨てる。うーん、俺もなんか、こんなののために村の人たちが労力使うのイヤになってきちゃったなぁ。
「この辺ってどんな獣居る?」
「野犬の群れがこの辺りを縄張りにしている」
「そっかぁ~……コクヨウちゃん。こいつら、俺の言う通りに縛ってもらっていい?」
「なにか案があるのか?」
「俺は運良く子どもたちを見つけた。だから彼らも運に任せてみない?」
そうして俺は、暴れる彼らを押さえつけて後手と両足を縛り付けてもらった。
「こうか?」
「そうそう、そこをくぐらせて~……」
「ふざけんなっ、解け!」
「まあまあ♪ 頑張れば解けるかもしれないから~」
這いずる彼らをにんまりと笑って覗き込み、俺は言う。
「その結び方は小屋で教わった縄抜け用の結び方だよ~! やり方を知っていれば解けるの、まあ知らずに解くのは難しいかもしれないけどね? 血の匂いに肉食の奴らが寄ってくる前に解けたら助かるかもしれないよ」
「……もし生き延びたとしても、復讐など考えないことだ。次に会ったらこの程度では済まさんぞ」
「畜生ッ! ふざけんなっ!」
「おい、止めろ置いていくな! 解け!」
「助けてくれ!!」
ばいばーい、と地面に伏している彼らに手を振って俺らはその場を後にした。歩きながらジャスパーちゃんがあれで本当に良いのか? と問いかけてきた。
「ああ、あれ嘘。逆なのよ。絶対に縄抜けできない結び方なの。捕まえた罪人が逃げないようにするやつ。頑張っても解けないよ」
こういうのって惨いって言うんだったかな、人は。でも腹を空かせた犬たちがあれを食べてくれれば、村の人が襲われることもないだろうし別に良いと思う。
「弱かったら狩られちゃうのは、よくあることよ」
俺だって狩られた、生け捕りだったけど。人に狩られるのも獣に狩られるのも、そのへんにありふれたことだ。
ちら、とジャスパーちゃんがコクヨウちゃんへ目配せをする。それを受けてコクヨウちゃんは肯いた。何をわかり合ったのか知らないけれど、あの三人についてはあとは彼らに一任しよう。確実に仕留めるのか憐れんで逃がすのか見捨てはするがせめて弔ってやるつもりなのか、その判断は俺が関知することではない。
「とりあえず、これで子どもたちのことは一件落着かな~。あとは……」
会いに行くか。千空ちゃんの話をしたという、彼に救われたというチャンピオンに。人類最強なんて謳われてしまうほどの格闘家で、行き場がなくて成り上がるしかなかったさみしい目をした青年に会いに。
月が隠れた夜だった。レンガ造りの劇場の、明かりが落とされた舞台の上は真っ暗だ。そこに、ひときわ大柄な青年が手燭を片手に立っている。
「こ~んば~んわ~♪」
「やあ、待っていたよ。……ゲン」
ここから入れと言わんばかりに鍵を外された明かり取りの窓から入り込めば、彼はうっすらと笑いながら俺を迎え入れた。
「先触れも出してないのにお出迎えありがと~。久しぶりだねえ、司ちゃん?」
「うん、朝靄の中を飛ぶ鳥の化け物を見たって話が聞こえたから、きっと君だろうと。そうしてもし君ならば、目的地はここだろうと思っただけだよ」
「あ~らら、そりゃ鳥からしたらいい迷惑だろね~」
舞台の上の梁にぶら下がり、彼を見下ろす。敵意を向けられたらそれだけでビビって気絶しちゃいそうな気配の持ち主。ほぼほぼ人ではあるけれど、多分その血筋を辿ればどこかで猛獣の半人が血が混ざっていることだろう。能力だけ突出した先祖返りは稀に現れるものだ。
この見世物小屋に少年の頃から彼は居る。初めの頃は珍しい武術の演武を、長じるにつれて力自慢たちとの闘技を、俺がここを去る頃は人ではなく猛獣との戦いも披露していた。病弱な妹を養うのに金が要るけど子どもの俺が稼げる場所はここしか思いつかなかったんだ、と少年だった彼が言っていたのを覚えている。
……こんなにデカくなったんだから、どこでだって稼げるだろうにね。
「それで、ゲン。君はどんな用事でここへ来たんだい?」
「司ちゃんへ、調査結果のご報告に」
「……調査結果?」
「とある蛇についてのお話があってね~」
俺の言葉に、司ちゃんは剣呑な目を向ける。どうやら触れられたくない話題みたい。
「何故君がそれを調べているんだ?」
「どっかの誰かさんが司ちゃんの話を聞いて、その蛇を探そ~! って思って動いたからかな」
気合を入れてにっこりとした笑みを顔に貼り付ける。さも俺が司ちゃんを出し抜いた誰かの依頼を受けて調べたのだと言わんばかりの物言いに、司ちゃんが恐ろしいほどに冷めた視線を俺へ向けた。
この反応を見るに、どうやら彼は千空ちゃんを探したかったわけではないようだ。……良かった、彼を見限らずに済んで。
「そうか。……うん、ゲン、それで? 彼は見つかったのかい?」
「居る可能性の高い土地を見つけることはできた、そこにお探しの半人半蛇は……」
視線だけで射殺されそうな瞳を見つめ返して、俺は答えた。
「『石神千空』は居なかった。影も形も見つからなかったよ~♪」
俺の返答に、司ちゃんは目を見張った。そりゃそうだ、誰にも明かしていない蛇の名を俺が知っているわけがない。蛇本人が名乗ったか、その名を知る蛇に身近な誰かと知り合わない限り。
「見つからなかった。見つけられなかった。だから、彼がここへやってくることはないよ。絶対に」
君の知らない村の皆も、俺も、彼の意思を無視して連れていこうとすることを許さない。利用しようとする者になど見つけさせやするものか。言外の含みも過たずに読み取った司ちゃんは、ようやく剣呑とした気配を緩めた。
「うん、そうか……ゲン、君が言うのなら、そうなんだろうね」
「もしまだ探すって言うのなら、もっと別のところがおすすめよ~って伝えといて」
そうして無駄金を払って無駄骨を折り続けて諦めてくれ。
「そうするよ」
応じながら司ちゃんが苦笑する。きっとまったく見当違いの土地を適当な理由とともに勧めてくれることだろう。
「俺のお話はコレだけ。じゃあ伝えたいことは伝えたから、俺は行くね。司ちゃん」
「ゲン、君は……また此処へは来るのかい?」
「ううん、きっともう来ない」
また迷惑をこうむることがあれば別だけれど、そんなことは稀だろう。稀であってくれ。いや、こんな身の上だからわっかんないんだけどさ~! めんどくさいからもうありませんように!
「なら最後に聞かせてくれないか?」
さっきまでとは違う、静かな風情で司ちゃんが問いかける。
「どーぞ?」
「どうして君は此処から出ていったんだい?」
「ん~……飽きちゃったからかな~? なぁんかつまんなくなっちゃったんだもん」
「そう。うん、なら、聞き方を変えようか」
ゲン、と彼が俺を呼ぶ。
「どうして、俺を置いていった?」
問いかける表情に、寄る辺ない少年だった頃の面影が被る。人とは異質な少年と、人ではない異質の俺は、確かに揃ってさみしい生き物だった。お互いさみしい生き物なのだと、きっとお互いに知っていた。
「司ちゃんがもしもここに居る必要がなくなって、けれど何をしたらいいのか分からなくなった時、居なくなった俺を探してみることから始められたらいいなと思って」
余所もあるんだと俺が手を引くのは安易だ、でも俺はその後まで責任とれる自信はなかった。ならば心の引っかかりになろう、と決めたのだ。逃げるという選択をしてひとりで居なくなった俺を見たら、君は何らかを考えるキッカケにしてくれるだろうかと考えたのが連れ出さなかった理由のひとつだ。
もし彼がここ以外で生きることを決めたとしても、いざここを離れたらどうしていいのか分からなくなりそうだけれど、そんな途方に暮れてしまった時、そういや逃げ出した俺はどうなったんだろうか、とでも思い出してくれたなら、少しは動きやすくなるんじゃないか、と。
俺のことなんか忘れちまってそう、って? それならそれでいいのよ、別に。
「連れて行けるほど俺に余裕がなかった、ってのもあるケドね~。でも、そう思っていたのも本当だよ」
司ちゃんが小さく笑う。俺の言葉を信じたかもしれないし、信じてないのかもしれない。けれど聞いた以上、彼は忘れないだろう。そうしていつか、ふらりと俺を探しにやってくるかもしれない。ああ、俺じゃなくって千空ちゃんを探してかもしれないけど。
「じゃあね、司ちゃん。またいつか」
「ああ。うん、またいつか。ゲン」
案外その『いつか』はすぐに来るのかもしれない。彼なら村の皆にも馴染むだろう、彼が戦力として加わるならば千空ちゃんの守りも万全になりそうだ。
見送りの視線を背中に浴びながら、俺は入ってきたのと同じようにして劇場を後にした。
「――と、まぁ、おおよそは聞いてるだろうけど補足するならこんな感じかな~」
俺の住処である洞穴で、俺は事の顛末を千空ちゃんに語っていた。司ちゃんの元へは、実行犯たち三人を見捨てた足で向かったもんだから、千空ちゃんへの説明が随分と後回しになってしまっていたのだ。当事者だってのに。
どうやら相当やきもきとさせたようで、ただいま~と村に会いに行ったら、まだ着地しようともしてないのに伸び上がって足を掴まれて引きずり降ろされた。そんでそのまま服の襟首ひっつかまれて引きずってくんだからドイヒーだよね、村の皆はそれ見て微笑ましそうな顔でいってらっしゃ~いって手を振ってくるし。
ついでに言うなら今の俺は千空ちゃんの蛇体にぐるっと巻き付かれている状況である。なんでよ。寂しかったの~? とからかったら無言しか返ってこなかったので、諦めてなすがままぐるぐる巻きに甘んじていた。心配かけた自覚はあるので、ここは大人しくしておこう。
「多分、司ちゃんからしても今回は予想外だったんだろうね。千空ちゃんの暮らしを脅かしたかったわけじゃなさそうだったし、探しに行こうなんて思ったこともないだろうねぇあの子」
「そうかよ」
「うん。それにしても驚いちゃったな~、千空ちゃんてば司ちゃんと知り合いだったのね? どうやって知り合ったの?」
「あ゛ー……今は石神村に移住してる奴でここから一番近い……っつってもかなり距離はあるが、とにかくその村に住んでた奴が居たんだ。体力バカのガキでな、食いもん探すのにこんなとこまで平気で分け入って平然と鹿担いで帰るようなとんでもねー奴。んで、ある時そいつが司を背負って飛んできたんだよ。おっさんにボコられて倒れたの見つけたっつって。で、手当して食いもん持たせて帰した」
そんだけだ、と千空ちゃんは言う。そう言いつつも、きっと『そんだけ』ではなかったんだろう、そうでもなきゃそんなに懐かしそうな目はしないでしょ。
彼が何故そこに居たのか、どうして傷つけられていたのか、彼らの間にどんな会話があったのか。千空ちゃんは語らなかったし俺も聞かなかった。そういえば俺が見世物小屋で働くようになって間もない頃に、一度だけ巡業をしたことがあったなぁと勝手に思い出すだけだ。あの頃にはもう司ちゃんも居たし、もしかしたらこの辺りにまで来たのかもしれない。街の子だったはずだから、彼がここへ来る機会などその時くらいのものだろう。ちなみに俺はその時の巡業には不参加だ。最中に逃げ出されたら困る、という理由で旅に不向きな数名のスタッフと一緒に留守番させられていたので。
「テメーこそ司の知り合いだったんだな」
「うん、まぁね。いや~世間って狭いね~! おっきくなったよぉ、司ちゃん。俺が地面に立ったら見上げないといけないくらい」
「ククッ、どいつもこいつもデカくなりやがって」
「ああ、さっき話してた体力ゴイスーな子もおっきくなったんだ?」
「とんでもねえデカブツだよ」
「へえ~! 人の子は成長が早いねぇ」
出会った時は幼さの残る少年だったのに、今では俺の人部分の見た目と同じくらいになってしまった。あの子たちが早いのか、俺たちが遅いのか。
「……、そういや俺らの寿命ってどんなもんなんだろうね?」
俺が育ったコロニーは、半人と呼ぶには人から遠く、けれどただの蝙蝠というには人に近い、そんな生き物が寄り集まっていた。彼らと共にいる時に、遠目で見て化け物に拐われた人の子と間違われて襲われたことがある。殺されたら普通に死ぬのはその時に見て知っているが、それをきっかけにしてコロニーから離れたから、それ以外の同族の死の例を俺は知らない。人より長い気はするが、俺と千空ちゃんの種族ごとの寿命の差ってどうなんだろう。
「さあな」
すり、と蛇の尾が動いて、少しばかり締め付けがキツくなる。
「メンゴ」
「何が」
「謝りたくなっただけ」
軽率なことを言ってしまった。寂しいことを思い出させたかったわけじゃないんだ。
何故かムッとした顔をして、千空ちゃんは更にぎゅいっと俺の身を締める。ぐえっ。
「ちょっとちょっと! 千空ちゃんてば苦しい~!」
「うるせー知らねー」
「何ちょっと楽しそうな顔になってんの!? ドイヒー!!」
大げさに抗議をしたら、千空ちゃんもノってきた。抜け出そうともがくフリをして、出れるもんならやってみろとばかりに閉じ込めるフリをされる。さっきの空気をなかったことにしたがって、お互いわざとじゃれ合ってみた。
「え~ん、全然抜け出せない~! ハッ!? まさか千空ちゃん、俺を食べるつもり……!? きゃ~コワーイ!」
「食って良いのか?」
「そん時ゃそん時で、しゃーないんじゃない?」
「……そこは食うなって言えよ」
言わないなぁ。だって俺ら捕食者と被食者だもん、本気で喰らおうとされて勝てなかったら仕方がないよねくらいの諦めはあるよ。俺だってガチの抵抗はすっけどさ、それでダメなら仕方ない。……でも、まぁ。
「言わなくたって食わないでしょ」
君は人ではないけれど、人と同じく持つ理性を好んでいるのだから。そういう風に生きていきたい生き物なんだから。俺を食えるものと認識していようと、君は俺を食わない。
「テメー食うとこ少なそうだしな」
やっとこさ締め付けが緩くなり、俺はちょうど良い塩梅で巻き付く蛇身に寄り掛かる。巻き付かれて気がついたけど、苦しくなければ存外とここは居心地が良いものだ。
「村の子はちゃんと帰ってきた、千空ちゃんも見つからなかった、今後は追ってこないよう司ちゃんが情報をコントロールしてくれる。改めて思うといい感じに収まったんじゃない?」
「いい手腕してんじゃねえか、蝙蝠野郎。百億万点やるよ」
「ありがと~♪」
「丁度いい、今後も頼むぜ?」
「待って千空ちゃん俺に何をやらせるつもり!?」
いや良いけどね、なんだってやったろうじゃん。千空ちゃんと一緒に居るのは、何だかんだ退屈しなさそうだから。
縁とは異なもの妙なもの、とは何で聞いた言葉だったか。確かに妙だ、でもそれが楽しくて仕方ない。せっかく出来た君との縁はどうかこのまま続いてほしい。
「俺も期待してるよ、千空ちゃん。俺、飽きたらどっか行くからね?」
そりゃ頑張らねーとなぁ、と、自信に満ちた顔で千空ちゃんが笑った。#