地に足のつく「あれ、千空ちゃんどっか行くの?」
飛びやすい早朝でもないのに、千空ちゃんが気球を飛ばす準備をしていた。今日そんな予定話していたっけな、それとも緊急か? もし緊急で移動が必要なことが起こったというなら現状を把握しておきたい。小走りになって指示を出している千空ちゃんに近寄ると、彼は首を横に振った。
「ちげー。麻布の補修とバーナーにもちっと手ぇ入れたからな、テストで上がるだけでどこも移動はしない」
「あ、そうなのね。通りで龍水ちゃんが居ないわけだ」
「んな無謀なことしてたまるか」
「だよね~、びっくりした」
まぁびっくりはしたとはいえ、焦ってる様子はなかったから緊急事態ではなさそうってのには声掛けてすぐ気付いたんだけど。
「乗るか? テメーも」
「うん?」
「試してねえだろ。気球」
そうね、だって怖いし。全力で安全対策を徹底している当時の飛行機とちがって、限られた資源でハンドメイドした気球よ? 千空ちゃんの作る物を否定するわけじゃないけど無防備に空飛ぶとか普通に怖い。
「いや~、俺はこのあと……」
とはいえ乗りたくない、とすっぱり言ってしまっていいものか。角が立たないよう適当に用事があることにして
「……興味ねーか?」
「うんそうねちょっと上がって降りてくるだけなら時間にも余裕ありそうだし、せっかくだしね!」
そういう事を言うの反則じゃねえかなぁ!? なにちょっと残念がってんのよほんのり寂しがってんのよ! 分かったよ乗るってば!
俺の返事を聞いて、ならさっさと乗り込めと千空ちゃんは言って気球のかごによじ登る。機嫌よくなってんじゃないよ~、ったくもうさあ~。なんて、俺もまた千空ちゃんのそういう態度が満更でもないので、ちょっとくらい我慢でこの千空ちゃん見られるんならいっか~と機嫌よくいそいそとかごの中へ乗り込んだ。
合図を出したら降下を始めると手伝ってくれている面々に告げてから千空ちゃんはバーナーに点火をした。大きな袋は段々と膨らんでいき、やがて地に着いている筈のかごと足元がどことなく不安定になっていく。
「上がんぞ」
やがてその宣言通り、かごはとうとう浮き上がった。
「ひえ~……」
「安心しろ、ロープは繋いだままだ」
それはとてもありがたい。たしかに飛ばされちゃったら困るもんね。わあ、俺らこんな長いロープ編んだんだ……そういやこの前、追加を皆で作ったっけね……。
「うっわぁ、ジーマーで飛んでらぁ……」
縁をぎゅっと両手で掴んで思わず呟く。まさに地に足がつかない心地~、などとつまらないジョークを脳内でだけ呟いた。
「おいメンタリスト」
「なぁに千空ちゃん」
どことなく支えるように俺の二の腕あたりを掴んで、千空ちゃんは俺の顔を覗き込む。
「ん? ……、えっ、なになに?」
ゴイスー探り入れてますって顔してるけど、どしたん千空ちゃん? もしや俺が乗せられたのって逃げ場のない場所での尋問のため? えー……なんだろ、千空ちゃんに言ってないようなこと山ほどあるし心当たりありすぎて逆にわかんないな。
「テメー……もしかしてガチで高いとこ苦手だったか?」
「へ?」
ちょっと困りつつも笑顔のポーカーフェイスでいたら、思いもよらない問いかけをされた。
「見ても誤魔化し上手すぎるテメーの顔色なんざ俺に分かるわけねーわな、だから直球で聞いてんだが……」
もしそうなら無理させて悪かった、と眉を下げて千空ちゃんが謝った。……てことは、俺が見せかけじゃなく気球に乗るの尻込みしてんの気付いてたワケね。それでもちょっと怖じ気づく程度なら強引と分かってても乗せたかったんだ、見せたかったんだ、自分のクラフトの成果。そんで俺が絶叫系アトラクション乗ったような騒ぎ立てをしないもんだから、本気で苦手なのに気を使わせて無理させたんじゃ、ってやっと思い至った、と。
うわぁ~……うっわあ~……!!
「情緒育ってるねえ千空ちゃん……!」
「何をどうしたらその感想でてくんだよ」
冗談めいた俺の返しに千空ちゃんは呆れてツッコミを入れたけれど、どっかホッとした顔にも見える。冗談言えるくらいの余裕が俺にあると判断したのだろう。
「俺さ、別に高いとこ苦手ってわけじゃないよ」
「そうか」
「うん。でなきゃ屋根とか柱とか登んないでしょ、いくら視線誘導させる演出のためとはいえ」
「……それもそうだな」
やっと納得したんだろう、相変わらず持っててくれてるけど、俺の二の腕掴む力がちょっと優しくなった。
「でもここは怖い」
俺の顔を覗き込んでいた千空ちゃんを見返して、俺は笑う。
「だって空だよ、空! 飛んでんのよ!? お手製の気球で! ほんっとゴイス~!!」
千空ちゃんは笑わなかった。ただじっと、あのキレイな赤い瞳で俺を見ている。
「乗れて三人、そんな気球に俺が乗ってトラブルがあったとしても、俺には為す術がない。何もできない。ここで何かあったら二つの意味で、何も出来ずに死ぬしかない。だから怖い」
イチかバチかの博打が嫌いってわけじゃないけれど、何かあったら即死ぬようなのは怖いよ。
「あとシートベルトなしで高速すっ飛ばしてるみたいな感じでソワソワして落ち着かない。……あっ、もちろん不備あったら取り返しつかないからって千空ちゃんが色々としてくれてんのは分かってんのよ? 今回の確認だってその為だしね? 分かってんのと、分かってても落ち着かないのは別問題ってだけで」
「そうかよ」
「ありがとね、千空ちゃん。気球試させてくれて。ロープ繋いだままで上げてすぐ降りるって条件でもなかったら勧められても乗らなかったよ。……本当の緊急事態じゃない限りは乗るのちょっと遠慮したいかな。メンゴ」
「わかった」
腕を掴んでくれていた手が、するりと背を通って腰を抱く。おや。
「……ミジンコ腕力でも無いよかマシだろ」
ぐ、と手に力が入り、さっきよりも引き寄せられた。優しーんだ、こういうとこが。俺もおそるおそるかごの縁から片手を外し、千空ちゃんの背中の服を掴む。それだけで背筋の力が抜けた気がした。
「いや~、でもこの景色が見られたのは良かったかな! あーあ……こんなのフィクションでもなきゃ見たことなかったのに」
空と海。木々に草原、岩石。そういうものしかここには見えない。壮大な自然。そんな景色を眼下に見ることになるなんて、あの頃は思いもしなかった。
「ねえねえ、千空ちゃん」
「んだよ」
「人類みんな起こして世界復興したらさ、また高いとこ連れてってよ」
前の世界とまったく同じではない、けれど人の手で作り上げられた物がたくさん建ち並ぶ景色を見せてくれ。誰でもない君の手で。
「東京スカイツリーの展望台が450メートル」
「へえ?」
「飛ぶよかテメーにはそっちのが良さそうだな」
「そうね~、俺って地に足がついた生き方が似合う男だから~」
「ククッ、芸能人サマなんつー浮草稼業みてーなことしてた奴が何言ってんだか」
笑いながら千空ちゃんは、これから降りると知らせるように地上へ大きく手を振った。