Twitterまとめ4午前零時に消えゆくロジック 蒸れた汗と花の匂い、掌に吸いつく汗ばんだ肌の質感、煮えたように上がる体温、脈動、息苦しさ、脳内でまとまらない言葉、脳内を埋め尽くす感情、喰らっているのかそれとも喰らわれているのか、それすら思考がままならな
「そんなモノはクソくらえだよ」
囁きが耳に注ぎ込まれる。
たおやかな腕は笑いと共に、とっとと溺れろと、縋りついた。
(同人タイトルスロットメーカーより)
篠突く雨、遥か遠くの微睡み 暑さを掠うように雨が降る。止むまでは畑仕事もお休みだ。君たちの石油探しもお休みだろうか、いや丁度良い機会とばかりに屋根の下で出来る作業を進めているのかもしれない。
木の根に腰掛け、頬杖をついて明るい雨空を眺める。空の向こうを思いながら、俺は大きな欠伸をした。
(同人タイトルスロットメーカーより)
透明の美しい扉の向こう あの人はわりと優しい。
あくどい顔して他人を動かしたりるするけれど、後になって全体的に見れば良い方向に進んでいることも多い。何より精神的に疲弊した人間を見付けるのが上手いんだ、それのフォローも。
でも俺らを見透かして救うわりに、あの人のことはよく分からない。隔てられている。その壁には施錠された透明な扉があって、そこから覗いて皆それぞれが見たい姿を見つける。見せられる。
そんな気がしている。
「次どうすんの~、千空ちゃん!」
その鍵を外してもらえるのは僅かな人だけで、無造作に開ける許可を持っている唯一人はきっと。
楽しそうに駆け、あの人は俺の傍をすり抜けていった。
(同人タイトルスロットメーカーより)
星と揺れる海の果て 灯台の明かりもない。遠くを渡る他船もない。陸地の街の家々にともる光だって勿論ない。頭上に一面の星だけが光っている。
テレビでしか見たことないような星空と揺れる船の浮遊感。これは本当に現実なのだろうか、なんて思ってしまう。紛うことなく現実だよ、手作りの帆船で外海を渡る怖いもの知らずたちの旅の真っ最中だ。こわいね、こわくて仕方がないね。
(それでも君が来いと言うなら俺は)
海の果てでも何処へでも、言い訳しながらついていってしまうんだ。
波の音が聞こえる。それに混じって早く戻れと声が聞こえて、俺はしょうがないなと踵を返した。
(同人タイトルスロットメーカーより)
恥、とは その男は他人との距離を詰めるのが上手かった。精神的なことだけでなく、物理的な距離も警戒させずにするりと他人のテリトリーへと入り込む。そして、良くも悪くも、自分はその事に対して頓着が無かった。
結果。
「っ!?」
「っと」
ひょいと手元を覗き込んできたゲンと、気配に気付いて話しかけようと振り返った俺とが接触をした。
……接触、っていうか、まぁ、アレだ、奴の頬に思い切り口付けちまった。
反射的に仰け反って距離を取る。ふざけんな、何でそんな近ぇとこに居るんだよテメー! そう言おうと口を開きかけたが、それより早くゲンは軽く眉を上げ、
「メンゴ、寄りすぎたね」
と何でもない事のように告げ、普段通りの距離の隣に立ち位置を変えた。
「んで? カセキちゃんがこれ作る為にクロムちゃんは素材探しに行くって感じなわけね~。クロムちゃん的には作る方にいたいんじゃないの~?」
「そうなんだけどよぉ、見付けたことあんの俺だけなんだよ」
「そっか、流石は素材王クロムちゃん♪ 初回はおまかせするけどゆくゆくは他の子も見付けられるようになれば万々歳って感じかな~」
「護衛がてら私たちもついていく予定だ、道は覚えてくるから任せておけ」
「助かる~コハクちゃん! ついでに狩りもしてきてよ、俺お肉食べたいなあ」
「ゲン! それならスイカこの前、鹿のふんを見付けたんだよ!」
「ジーマーで!?」
「本当か、スイカ! お手柄だぞ!」
「おう! それなら鹿狩った後のこと考えて行くメンバーを……」
「イヤちょっと待って!?」
和気あいあいと話す奴らの会話を遮るように銀狼が大声を上げた。
「なんで千空がゲンのほっぺたにちゅーしたのに皆そんな普通なの!? 笑いそうになったの僕だけ!? ていうかゲン、何でそんな反応薄いの!? 男にほっぺたちゅーされたんだよ!?」
空気を読め、蒸し返すんじゃねえ。しかも笑うつもりだったのかよ、テメー。
だが正直なところコイツが空気読まずに言ったことは、俺も気になっていたことでもある。よくも言ったな、と、よくぞ言ったな、とが混ざり合い複雑な気分である。
「何言ってんの、銀狼ちゃんってば。ちょっと口がぶつかっただけのことでしょ? 俺が寄り過ぎちゃった所為だし、第一そんな騒ぐことじゃないしねえ」
対して奴は、さも特別なことは何もなかったという声で返答をした。
「え、ええ~……? でもさぁ、」
「ただの事故だし、うっかりお互いに頭突きして痛~い! ってなるより良くない?」
「ああ、お前らしょっちゅう顔つき合わせて相談してっから、頭ぶつけんのもありそうだよな」
「ハハッ、確かに! 仲が良いのも困りものだな?」
話はそのままズレていき、結局俺のクソ恥ずかしい事故については有耶無耶なまま流され、銀狼も笑うようなことではなかったと納得でもしたのか、それ以上は特に触れることもなく。俺も俺で、何も気にしないふりをしたまま会話に混ざり、彼らとの打ち合わせを終えた。
「なあ」
解散したあと、ゲンの後を追いかけ呼び止める。振り返った彼は何故呼び止められたのか分からない、と言いたげな顔で首を傾げた。嘘こけよ、全部分かってるくせに。
「さっきの」
「うん。千空ちゃん、あれホントにただの事故だし、ちょっと口がぶつかっただけのことだよ。ジーマーで。恥ずかしいことでもないし、笑われる必要もないことだから、何も気にしなくて良いんだよ」
ほら見ろ、分かってんじゃねえか。俺が言おうとしたこと。
「話が早過ぎんな、相変わらず」
「お褒めにあずかり~」
「悪かったな、気ぃ使わせて」
あの時、もし俺が動揺のまま騒いでいたら。銀狼は囃し立てただろうし、そうしたらきっとコイツは殊更自分を道化のようにして場の流れを変えようとしていたのだろう。……コイツの振るまいのおかげで俺は恥をかかずに済み、そして、コイツに恥をかかせずに済んだのだ。
側へ近寄り手を伸ばし、先ほど口が触れてしまった辺りを指で拭う。
「サンキュ」
僅かに目を見開いたゲンは、困ったように眉を下げると
「……ほっぺに事故チューされるより、こっちのがよっぽどハズいんだけど」
そう、照れくさそうな顔で笑っていた。
炉にくべる薪のはぜる音、聴き慣れた呼吸、心音、遠ざかる声「おい、メンタリスト」
どうだ? と声をかけながら部屋を覗く。お疲~、なんていう気の抜けた返事をしながら、探し人は振り返った。
「……、何だそれ」
「クロムちゃんだけど? 見ての通り」
珍しく胡坐で炉の前に居たその膝の上に、見慣れた頭が乗っかっている。村の人間に呼ばれて居なくなってから戻ってこねーなと思っていたら、こんなとこに居やがったのか。
「昨日あんまり眠れなかったみたいよ。ホラ、朝からゴイスー元気だったじゃん?」
「あ゛ー、朝っぱらから質問攻めにされたアレか」
「夜中に思いついて興奮して寝付けなかったんだってさ。ふらふらし始めたから少し寝なよって勧めたら、スイッチ切れたみたいにばたんきゅーと」
「遊び疲れたガキかよ」
ほんのついさっき寝たばかりだから、せめて三十分くらいは眠らせてやって、とゲンは笑いながら手を伸ばし、傍らの籠を引き寄せる。
「はい、これひとまず出来た分」
「あ゛あ゛」
「……、うん?」
籠を受け取ったというのにそのまま床に置き直した俺を見て、ゲンが不可解そうに首を傾げる。それはそうだろう、コイツの考えた通り、出来た分だけでも回収しようと俺は此処へやってきたのだから。
答えを待つ相手へは何も言わないまま、俺はその後ろ側へ背中に触れるようにして座り込んだ。
「あ~……そういう?」
「クロムが起きたら連れてく」
「はいはい」
くつくつ笑う振動が背中から伝わってくる。抗議のように寄りかかれば、同じ重さで寄りかかられた。
「やきもち?」
「んな訳あるか」
「え~?」
にやにやと笑っているのが分かるような声音で喋りながら、奴の後ろ頭が俺の耳辺りに擦り寄る。擽ったさに避ければ、また小さな笑い声が聞こえた。
「じゃあ、そういう事にしてあげる」
「してやる、じゃねえだろ。気持ち悪ぃこと言ってんじゃねえよ」
俺は、ただ。
(今なら許されると思っただけだ)
お前に理由なく触れたがっても、今だけは。
「千空ちゃん、照れ隠しでも俺以外にはそういう言い方しちゃ駄目だかんね?」
「今はテメー向けだから良いんだろ?」
「分かってて言ってるんなら良いよ」
「緩すぎんだろ、基準」
「俺が千空ちゃんに甘いのは今更のことよ~」
背中が揺れる。ぱちりぱちりとはぜる音。薪を足しているらしい。動いたコイツの振動の所為だろう、クロムが唸るような声を上げる。それでも起きる気配がないようだから、余程に眠かったのだろう。
「千空ちゃん」
「何だよ」
「もっと寄っかかってくれても大丈夫だよ」
ゲンが言う。応えるように少し体重をかけたら、満足そうな含み笑いが返ってきた。
別に重くないよ、こんくらい。
(起こさないように、ひそめた声)
背中もあったかいし。
(静かで、おだやかな呼吸が聞こえる)
作業の邪魔にはならないよ、千空ちゃんの重さくらい。
(心臓のひびきを、背中全体で拾っているかのようだ)
ああ、でもトイレ行きたくなったら退いてね?
(いや、そん時は遠慮なくすっ飛ばせばいいだろうが)
千空ちゃん。千空ちゃん?
(なんだよ、)
いや、いいよ、ゆっくりしていたら良い。ねえ千空ちゃんさぁ、石化前にラジオとか聞きながら……人の声を聞きながら、寝落ちしていたタイプだった? 俺、ラジオにも出たりしてたんだよ、案外聞いたことあったかもね。そうそう、俺が初めてラジオにゲストで呼ばれた時のことなんだけどさ、……――
遠ざかる声に混ざって、ぱちりと、また、薪のはぜる音が聞こえた気がした。
(#千ゲ歌物語 / 作歌 ベルト様)
南南西季節外れの夕立に降られて俺らは今少し無邪気 まるでバケツをひっくり返したかのような雨だ、そんな言葉を思い付く。思い付いたあと、作ってないからバケツと言っても村の奴らには分からないんだな、と気付く。分かるのは。
「うひゃあ~、ゴイスーに降ってきたねえ~!」
走る俺の後ろを同じようについてくるコイツだけだ、今は。
「あ゛あ゛、すっげぇ夕立だな」
「ねえ、本当に」
「「バケツをひっくり返したみたい」」
声を重ねれば、僅かな間をあけてゲンが弾けるように笑い上げる。
「ハモった!! いいねえ、気が合うんじゃなぁい? 俺らったら!」
「何でもいいからペース上げろ」
「いや、千空ちゃんが大丈夫なの? それ」
あまり大丈夫ではないが、さっさと戻る為には仕方がない。
「テメーこそ仕込みと服が水吸って重いんじゃねえのか?」
「あっはっは! そうなんだよねえ、いやぁクッソ重いよ。ジーマーで」
「笑いごとかよ」
何が愉快なのか、笑いながらばさりと羽織を広げて見せる。その裾の動きは普段と違い、確かに重たそうである。
「……うっわ、まだ強くなんの!?」
「クソ、急ぐぞ」
「うひゃ~」
デカい雨粒がバタバタと叩きつけるように身体へ落ちてくる。川に転げ落ちてきたのかってくらいずぶ濡れだ、靴の中もぐしゃぐしゃで気持ちが悪い。雨に溺れそうで息苦しいのか、走ってるから息苦しいのか、割合がデカいのはどっちだなんて益体もないことが頭を過る。
雨が叩きつける音。木々に雨が当たる音。地面に水たまりを作る音。自分の荒い息づかいの音。ばしゃばしゃと泥を跳ね上げる音。
音、音、音。重なり合って、纏わり付いて、それしか聞こえないかのようだ。
「――せ くうちゃ 」
音の隙間を縫って声が聞こえた。振り返る。真後ろに居ると思っていたのに、何故か少し距離がある。
「どうした!?」
あっちから聞こえる声があんななのだ、聞こえないだろうからと声を張り上げて聞き返す。
「せ ちゃ 」
「あ゛!? 何だよ、聞こえねー!」
「 だ 」
「だーからぁ!」
舌打ちをして立ち止まり、振り返る。
「聞こえねーって言ってんだろ」
この音の中でもちゃんと聞こえるだけ間近に顔を寄せてそう告げれば、濡れた短い前髪を額にべったりと貼りつけた男は幾分か子供染みた笑みを浮かべ
「だから言ったんだよ」
と、やけに大人びた声を俺の耳の中へはっきり聞こえるように注ぎ込んだ。
「っ!?」
「さ、行こ」
ばしゃりと泥を跳ねさせて、俺を追い越しゲンが走る。
「なに言った!?」
「さぁね~!」
「おい待て!」
「うふふ、捕まえてご覧なさ~い!」
「ぶっ!? ククク、バカかテメーは!」
「ええ~、お約束でしょこういうの。千空ちゃんてばドイヒー!」
楽しそうな背中が駆けていく。ぜえはあ言いながら俺はそれを追いかける。
この野郎、口の動きくらい分かるっつーの。
(好きだよ)
聞こえるように言え、そういう事は。
戻ったら絶対ネタばらししてやると決意しながら、先を行く愉快犯の揺れる羽織を睨み付けた。
(#千ゲ歌物語 / 作歌 たみ様)
おやすみ、良い夢を いつの間にやら同室内から聞こえてくる音が呼気から寝息へと変わっていた。
音の出所たるメンタリストを見やれば、さっきまで読んでいた俺の手書きの指示書は手からこぼれ落ち、五分二十八秒前に相槌を打って視線を向けた時と同じ姿で寝落ちていた。そりゃ、こんな夜更けに寝転がりながら読んでたら寝落ちもするわな。
このまま転がしておいても構わないが、下手に放置して風邪をひいたり喉を痛める事があっても困るだろう。石化前のように医者へかかって簡単に薬を受け取れる物ではないのだから。
せめて何か上に掛けてやろうと置いてあった彼の上着を掴んだが、何やら重みでずっしりとしている。上着の内側を見たら、あちこちにポケットやら紐やら仕込みのための仕掛けがあった。
(……似たようなヒョロガリの癖に)
よくもまぁこんな疲れそうな上着を毎日羽織っているもんだ。ひっそりと笑いながら、その上着は畳んで戻し、代わりに自分の上着に手を伸ばす。本当は今のうちに中を見てやりたいところだが、流石にそれはマナー違反というものだろう。職分に踏み込んで容易く許すほどこの男の矜恃は低くない。
丸まった身体に被せてやると、やはり寒かったのか、上着の下で見えない筈なのに弛緩するのが見て取れた。心なしか顔つきまで緩んだような気すらする。
(……、寝てんなぁ)
起きる姿は見たことがある。起こされる姿が開いた視界に飛び込んでくることもある。こうしてすっかりと寝ている姿は、死にかけたあの時以外では、あんまり、無い。こんなにも身体から力を抜き、間抜けな面を晒して、静かな寝息を立てる姿など。
(よく、寝てる)
座ったまま、ちょっとだけ傍ににじり寄る。首の下から手を差しこんで頭を持ち上げ、枕代わりに胡坐で座る自分の太腿へ下ろす。コイツ、後ろ頭すげー丸いな。
呼吸、目蓋の動き、太腿に乗る荷重。どれもがこの男がすっかりと寝入っていることを伝えてくる。穏やかに、静かに、傍らで眠りに沈んでいる。
(例えば、)
この男がスイカや村の子どもに膝を貸してやっている時に思うことだとか、ずっと昔の幼い日に百夜の膝を借りた時に俺が思ったことだとか。違う人間である以上、感じ取るものが同一であるだなんて俺も思っちゃいない、が。
それでも、自然とこの髪を手で梳いてやりたくなるあたたかな衝動や、夜に揺蕩う穏やかさに似た好意が、共通の物であればいいと、思ってしまった。
「千空、ゲン、まだ起きてんのか?」
ごと、と入り口が開く音と共にクロムがひょいと顔を覗かせた。ハッとして無意識に触り続けていた髪から手を上げる。
俺と目が合ったクロムはきょとんとした顔で視線を下ろし、それからもう一度俺を見た。苦笑しながら肯き、口元へ立てた人差し指を当てて見せれば、彼もまたへっと笑って肯いた。
「寒いだろ? 毛布持ってきてやるよ」
「おありがてえ」
「オウ、ちょっと待ってろ」
囁くようにそう告げると、彼はすぐさま梯子を下りていった。真下から響く物音を聞きながら、中途半端に浮いていた手を再び膝の上の頭に戻す。乱れ、頬にかかっていた長い白髪避けてやり、覆い隠すように目元へ掌を乗せ、呟く。
「今更だからそのまま寝とけ」
掌に触れる眼球が動いた感触が何だか妙にこそばゆく、俺は思わず笑ってしまった。
(根矢崎様イラスト作品に寄せて)
いつか呼べるだろうか あっちの校舎とこっちの校舎を繋ぐ渡り廊下には屋根がない。雨の日なんかは最悪だ、こっちのが近いのにわざわざ下の階へ降りて行かないといけないから。けれど、丁度良い季節の晴れた日なんかは最高だ。昼休みに立ち話したり、みんなでお弁当を食べたり、溜まり場になったり。
今も、ほら。
朝練の子は来ているけれどそれ以外はまだ登校していないような早い時間に、その彼は居た。朝食だろうか、パンを食べながらスマホをずっと眺めている。
廊下の塀に背中を預けて日陰の中で座っているのに、特徴的な天に逆立つ髪だけが手摺りよりも少し上にあるからそこだけ光が当たって、きらきらと、きらきらと明るく輝いていて、私は今どこに居るのだっけとふと不思議な気分に見舞われるほどだった。
彼のことは知っている。クラスは違うけれど同級生で、校内の有名人。1年生なのに科学部の部長になって、よくは知らないけどとにかくとんでもなく頭が良い人、らしい。
渡り廊下の真ん中。脚を投げ出して彼はそこに座っている。通り過ぎないと、教室へは向かえない。不可侵に足を踏み入れる気持ちになりながら、ゆっくりと歩き出す。
「よぉ、お目覚めの時間だぞ」
それまで微動だにしないでスマホを眺めていた彼が、ふと決められた行動のように電話をかけた。
「いいからとっとと起きろ、二度寝の責任は取らねえぞ。じゃあな。……あ゛? あ゛ー……分かった、コーラはテメーで買って来いよ。ん、じゃあな」
友人かな、モーニングコール? 見た目のわりに案外と面倒見が良いんだろうか。
通話を終え、ぱっとこちらに彼が振り返る。角度が変わって、赤い瞳がこちらを見た。一瞬、足が止まる。私を見た彼は投げ出していた脚を縮めて座り直し、置いてた紙パック飲料に片手を伸ばしながらスマホにまた視線を向けた。
小さく会釈をしながら、私はそこを小走りに通り抜けた。
(ありがとう、とか、邪魔してごめんね、とか)
今なら声を掛けられたのに。
そっと振り返る。彼はもうさっきと変わらず、まるで声をかけてはいけない人のように座っている。
(毎朝通えば、話しかけられるだろうか)
いつか、例えば。
「おはよう! 教室に居ないと思ったらこんな所に居たのかー! 今日は早いな!」
「あ゛ーうるせーうるせー、朝からお元気いっぱいで結構なこった」
あんな風に何でもない、ただの同級生に戻すみたいに。
(名前を、呼べるだろうか)
彼の名前は、石神千空というそうだ。
(#イラスト投げたら文字書きさんが引用RTで勝手にss添えてくれる / Y様イラスト作品に寄せて)
おさなごのゆめ とある日、千空ちゃんが小さくなった。小学生低学年くらいだろうか、下から俺をじっと見上げて眺めている。
何コレ、石化するより非科学的じゃない? 時間が逆行するのは流石に有り得ないでしょ、そんなまさか
(夢でもあるまいし)
思った途端、ぱちんと頭の中が冴え渡る。いや、これ、夢だ。なんだ、そうか。いわゆる明晰夢ってやつだろうか、その割にはあんまり思い通りになりそうって気はしないけど。
「なぁ」
考えていたら、小さい千空ちゃんが俺に呼び掛けた。幼い子ども特有の高い声。君そんな声だったんだね、いや、俺の想像の産物かもしれないけれど。
「なぁに~?」
へらっと笑ってしゃがみ込む。距離の近くなった彼はちょっとばかり臆したように身を引いたが、すぐに気を取り直して俺を真正面から見た。
「人を、探してんだが……見なかったか?」
「んーん。メンゴ、分かんないや」
あはは、こまっしゃくれて小生意気な喋り方。君そんなんでよく余裕のない大人の神経逆撫でして殴られたり怒られたりとかしなかったねえ?
「人探しねえ。お手伝いしようか? 千空ちゃん」
「は? 何で俺の名前……っ」
「さぁて、何ででしょうか?」
「……この前、科学誌の公募自由研究で賞獲った時の記事でも見たのか? 顔写真も載ってたろ、あれ」
「えっ、そんなこともしてたの!? ゴイスーじゃん千空ちゃん!」
ありそうだけどさぁ、確かに。ていうか、そんなんあるの? 自由研究って夏休みの宿題で適当にそれっぽいことやって終わりじゃないんだ、科学誌の公募って何よ。ホントにあんの? 俺の妄想ではなく?
「ちげーのか? どっかで会ったか?」
「うーん、どうかな。今の千空ちゃんに会うのは初めてかなぁ」
俺と会うのは3700年ともう少し後の話だからね。にっこり笑ってから立ち上がる。
「まあ、俺のことはどうでもいいじゃない。旅は道連れって言うしさ」
「……胡散臭ぇことこの上ねーな、テメー」
「お褒めに預かりまして~」
褒めてねえよ、とうんざりした顔をしながらも、彼は俺の手を取り
「あっちを探しに行くとこだったんだ」
そう言って俺を引っ張って歩き出した。
手をつないで俺たちは歩いている。あの石の世界よりは少し野性味の少ない自然の、牧歌的な一本道。誰の原風景なんだろ、俺はこんな風景を懐かしいと思ったことはないんだけどな。
「なあ、名前は?」
「俺はねえ、あさぎりゲンっていうの」
「ゲン」
「そう。シクヨロ~」
「さっきからその変な言葉何なんだ?」
「うわぁ辛辣~。倒語っていう、うーん……言葉遊びみたいなもんかな」
「ほーん……」
歩く。歩く。歩く。時間の経過は分からない。
「歩き出してからどれくらい経った?」
「1558秒」
「ええと、60で割って……あとちょっとで30分てところか。千空ちゃん疲れてない?」
夢だからか、それともあの世界で鍛えられてるからだろうか、代わり映えのない一本道を歩いていても全く疲労感はない。けれど小さい千空ちゃんはそうでもなさそうだ。
「疲れなんか無視すんのが合理的だ」
「リミットきて倒れたとして、その回復に通常より時間かかるってこと考えると一概にはそうとは言えないんじゃない?」
こんな頃からそんなこと言ってんのね、君。休息は大事なんだよ、ジーマーで。
やれやれと思いながら、俺は千空ちゃんに手を伸ばし抱え上げた。
「うおっ!?」
「とりま暫くは抱っこしてあげる」
「下ろせ、歩けるって!」
「えー、でも俺のが身長的に足長いから歩く距離稼げるよ? 俺も腕が疲れたら千空ちゃんを下ろすけど、それまでは運んだげる」
その方が合理的なんじゃない? と首を傾げて問えば、彼はあっさりと切り替えたらしく、こくりと頷き前を向いた。
「ガキ一人分ったってそれなりの重さだかんな、無理はすんなよ」
「そりゃ俺けっこうヒョロいけど、千空ちゃん抱えるくらいは大丈夫だってば。信用ないな~」
「……だって身体のデカさが全然ちげーし」
『誰』と比べて違うのかはすぐに分かった。そうだね、君を抱き上げる腕はきっともっと逞しかったんだろう。もっと安心して抱えられていられるような、そんな大きな人の腕。
とんとん、と軽く抱えた手でもう一度大丈夫だと伝えるように背を叩いて、俺はゆっくり歩き出した。
それにしても夢だなあとしみじみ思う。山道だったり海だったり、かと思えば都会の街並みになったり、外国みたいな風景になったり、ただてくてく歩いているだけなのに世界は随分と目まぐるしい。あり得ない光景なのに、千空ちゃんは当然見たいな顔をしているし、俺もまぁそんなもんかなぁなんて思っている。
「ゲン、あっち」
「はいはい」
確証があるのかないのか、千空ちゃんは時折こうして俺に行く先を指差す。俺はそれに従って歩く。歩く。歩く。誰にも出会えない道を、ただひたすらに。歩く。てくてくと、誰を探しているのかも分からないまま。
(いや、まぁ、何となく分かってるけどさ)
この千空ちゃんが探すような人、ひとりっきゃ居ないでしょ。
何処かな、居ないなあ、まだ見付からないね、そんな言葉を口には出さないように、小さい千空ちゃんを腕に抱えて、歩き続ける。
「っ、ゲン! 下ろせ!」
不意に千空ちゃんが身動いだ。落とさないよう、慌てて彼を地面に下ろす。
「聞こえた!」
言って、彼は走り出した。俺には何も聞こえない。それでも彼について走り出す。
辺りが変わる、でも俺の視界にはあんまり入っていない、見えているのは走る子どもの小さな背中。
(……、ああ)
俺にも聞こえてきたよ、人の声だ。ねえ千空ちゃん、けれどこれは、ああ、俺はこれを知っている。
見えてきたのはあの村で作った機械で、回っているのはあのガラスのレコードで、聞こえているのはあの日に聞いたよりもっと鮮明な……彼の、父親の声で。
「ゲン」
立ち尽くす小さな千空ちゃんは
「分かってても侭ならねーな」
俺の知る今の千空ちゃんの声で、そう呟いた。
「千空ちゃん!!」
「うおっ!?」
「……へ?」
「……テメー、どんなダイナミックな起床だよ。ビビるわ」
其処に居たのはいつもの千空ちゃんで、俺は寝床から上半身跳ね起こしてて、ああ夢は終わったのか、あの小さな千空ちゃんを抱きしめる前に起きてしまったな、いやそもそも俺の夢なんだからあんなさみしい小さな千空ちゃんを生み出してしまったのは俺じゃないか、などとつらつら考える。
「おい?」
「ひっくるめて言うと消化に時間かかる夢を見た」
「作業始めるまでには消化しとけよ」
「はいよ」
先に身支度を整えて出て行く千空ちゃんの背を見送る。
(分かってても侭ならねーな)
本当にね、なんも侭ならないことばかりだよね。
(でも、せめて)
それを思い出す回数を少しでも減らしたりとか、侭ならないねぇと言い合って憂さを晴らすとか、そういう事が出来るよう隣に居てやりたいと思うのは俺のエゴだろうな。
じっと手を見る。実際には握られていないはずの掌に、あの子の手の感触が残っているような気がした。
(#イラスト投げたら文字書きさんが引用RTで勝手にss添えてくれる / 背様イラスト作品に寄せて)
落花流水 あの日あの時あのモールス信号を受信し、それから。「Whyman」と名付けた謎の存在を追う、そういう事になった。
物事が前進するのは良いことだ、俺だってさっさと文明復活させたいしさ。
(それでも、ちょっとくらいはねぇ?)
目まぐるしく変わり続ける中で頭を休めたいなぁってくらいの欲は許されると思うのだ。ばれても呆れられる程度の些細なサボりなら良いよねぇ、良いことにする。
重曹用の炭酸水を用意する代わりに飲む分も確保する許可をもらって仕込んだのが午前中、もう良いだろうと誰も居ない沢にやってきた。本当はあんまり単独行はおすすめできないし控えた方が良いのだけど、行き先を告げてきているだけマシでしょう。
落ちる水の流れを動力にからころ回り続ける機械をぼーっと眺める。さわさわと葉擦れの音が鳴る。ああ落ち着く、けど、いつまでも此処に居たいってのとは違う。
……とっとと戻るかねぇ、また千空ちゃんが何か面白いこと始めるかもしれないし。
ふうと息を吐き、炭酸水の入った竹筒を回収しようと沢にばしゃりと足を踏み入れ、
「ぎゃあ!?」
踏んだ石がごろっと動いた所為で盛大に後ろへひっくり返った。
(あーあ)
何となく気が抜けて、仰向けのままぷかりと浮いてみる。空が青くて良い天気だ。気持ちいいな、水。
あ、ていうかコレだめじゃん流されるわ、いけないうっかりしてた。
「何をしてるんだ、貴様は」
不意に青空は隠されて、呆れ顔が視界に入る。龍水ちゃんが何でか其処に居た。
「オフィーリア気取りか?」
「何でよ、どこにもハムレットは居ないのに」
差し出された手を素直に取って起き上がる。羽織と仕込みが水を吸って重い。振り返ったら辺りに花がたくさん流れていて、成る程こういう連想ねと合点した。
「ミレーの」
「ん~?」
「ミレーのオフィーリアを見たことがある。もう見られないと思うと惜しいな」
流れていく花を見送りながら龍水ちゃんがそんなことを言う。
「そもそも元となる『ハムレット』ももう無いけどね~、いや、劇団の人たち復活させたらそれはワンチャンいける? 台本覚えてたらやれるかもね」
「ハッハー! 良いな! ゲン、貴様見たことは?」
「無いねぇ、付き合いでチケット貰って見に行ったのは現代劇だったし回数も全然」
「よし、決まりだ。いずれ作る歌劇団のこけら落としはシェイクスピアをやる!」
いつものハンドスナップと自信に溢れた宣言に俺も笑う。まあ実現しちゃうんだろうなあ、龍水ちゃんだし。
「じゃあ、早くその日が来るよう……ジーマーで頑張らなくっちゃねぇ~」
目まぐるしさから振り落とされないように。やだねぇ、おちおち休んでもいらんないなんて。
「そういや龍水ちゃん何しにこんなとこ来たの?」
「俺も炭酸水が欲しい」
「なるほど。じゃ、持って戻ろっか」
抱えるサイズの竹筒を一本龍水ちゃんに押し付けて水から上がる。
「ゲン。息はつけたか?」
「俺はいつでも気楽に呼吸してるよ、龍水ちゃん」
したり顔の男へにやりと笑ってそう言えば、それもそうだなと彼は破顔した。
(#イラスト投げたら文字書きさんが引用RTで勝手にss添えてくれる / とりした様イラスト作品に寄せて)
half わしゃり、と無遠慮な手が後ろ頭をかき混ぜた。
「オイ」
「流石に抑えつけたら潰れんのね、千空ちゃんの髪」
「当たり前だろ、テメーは人の髪を何だと思ってんだ」
「特殊繊維」
触り続ける手を振り払って振り向いたら、思いの外顔が近くて面食らう。あっちもあっちで驚いたのか、少し目を見開いて身を引いた。
「えーと、ね。さて、此処に取り出したるは~」
動揺は一瞬。すぐにへらりと笑い、いつもの早業でどこからともなくその手に持った物は。
「櫛か」
「そう。柘植の櫛、作ってもらっちゃった」
「ほーん。で?」
「売り出す前に強度の実験ってことで、千空ちゃん実験台よろ」
そういうことならと頷いて背を向ける。それじゃあ、と言いながら側頭部に軽く手を添えながら俺の髪に櫛を通した。
「思ったよりも櫛の歯通るとはいえ、やっぱり髪質良くはないよねぇ」
「そりゃシリコン入ってるようなシャンプーだのコンディショナーだの使ってた時代とはちげーだろうよ」
「だよねぇ。ん、でも櫛が負けることはなさそう。いいねえ、良い感じ」
時折髪が引っかかって頭皮が引っ張られるが、それでも無理をさせないようにと気遣って髪を梳かれているのは分かる。よくよく他人の面倒をみるのが好きな男だ。
「千空ちゃん、ついでに髪結んで良い?」
「何でだよ」
「いや、ハーフアップなら髪も下りるかなって。単なる好奇心」
「どーでもいいわ、好きにしろ」
「じゃあ遠慮なく~」
ゴム無いから結びにくそう、などと言いながら髪を引かれ、梳かれ、あっという間に後頭部に普段感じることのない感覚が生まれた。
「でーきた」
とん、と肩を叩かれたので振り返る。俺と目が合った奴は、眉を下げうんざりした顔をすると、
「むかつくくらい顔が良い~……」
と暴言を吐き出した。
「面の皮の美醜なんざどーでもいいわ」
「そう思わない人間たっくさん居るんだからそういうこと言わないの。それに見た目で印象の良し悪しは変わっちゃうのよね、どうしたってさぁ」
「テメーもか?」
「そうね、きれいなもんは好きよ、俺も」
千空ちゃん、とゲンが呼ぶ。ひたりと俺を見て、にまりと俺に笑って、呼ぶ。
「使いな、それも君の持ち物よ? たとえ興味なかろうと、それは持って生まれた得難きもんなんだから」
延びた手がゆるりと俺の垂れた前髪の一房に触れ、くるりと指に巻き付けられる。
「見極めて、利用したらいい」
それは誑かすという言葉がぴたりと当てはまりそうな、薄っぺらくて白々しくて胡散臭くて、最高に唆る顔だった。
「そういうのは全部テメーに任せるって言ってんだろ」
「ええー?」
「だから必要と思ったら、テメーが俺を使えば良い」
どうせ俺には向いてねえんだ、必要とテメーが判断したなら人形にでもなってやる。他に俺を使いこなせるような奴も居ねえし。
きょとんと目を瞬かせた男は、次の瞬間には顔を背け吹きだして笑った。
「んふふっ、いや、そういうとこがさぁ~! まぁいいや! オーケー、いざって時は利用させてもらうよ」
からからと笑った彼は、それから、
「じゃ、その髪型ジーマーで似合ってて格好いいから出し惜しみしたいし、あんまり俺以外の人前でやらないでね」
と小さな約束事を取り付けた。
君死に給うことなかれ 例えば背後に擦り寄ってみたり。
「……何だよ」
「別にぃ?」
そのまま体重かけてくっついて、肩に顎なんか乗っけてみたりして。
「おい」
「何~?」
「……チッ」
無防備なんだよなぁ、この子。俺に対して。今も邪魔って言われてるの分かった上で俺が素っ恍けてるの理解してんのに舌打ちひとつで許容してるし。
(司ちゃんは、)
この首を、賢しらな頭を支えるこの細い首の骨を、一撃で、砕いて、
「おい、くすぐってぇから触んな」
この子を殺したんだそうだ。
(ちょっとくらいは気にしようよ)
こんな簡単に俺なんかを近寄らせちゃって、さあ。こんなあっけらかんと急所を晒してしまう、ような。
「千空ちゃん、根詰めない程度で切り上げなよ~? 俺もう先に休むから」
「おー休め休め、明日の朝にゃたっぷり仕事が待ってるからな」
「うっわあ、出たよスパルタ科学王国のドイヒー作業……」
喉の奥で笑う振動が触れてる肩から伝わってくる。はいはい、楽しそうで結構なことで。小さくため息を吐いて背から離れる。
「じゃあ、ほどほどにね」
手を伸ばして、とんと指先で盆の窪に触れる。ああとかうんとか適当な返事をするだけで、彼はそれを気にも留めない。
「おやすみ」
「ん」
君が俺に急所を晒すなら、俺がそれを隠せばいいや。うん、そうしよう。甘え上手は甘やかし甲斐もあるってもんだよ。なんて、振り向かない背を見て思う。
俺がこんなことを考えてたからだろうか、千空ちゃんが大きなくしゃみを連発した。
(惜しげなく人に急所を晒すよな 甘え方をするなよ、少年)
(晒された急所をそっと覆うよに 甘やかしてくださる年上)
血潮「うわ、どしたの羽京ちゃん」
顔ドイヒーね、と言いながらゲンが少し心配したような声で問いかけてきた。何でもないと返してもきっと曝かれるだけだろう。大人しく最近眠れなくって、と告げれば彼は眉間に皺を寄せた。
「何かあった?」
「大アリでしょう、君らとこっちとの諍い終わったんだから」
気が抜けた、というのに近いのかもしれない。そして張っていた気が緩んだ所為か、身体の中から聞きたくない声が、音が、こぽりこぽりと内側から湧き上がって、叩き起こされるのだ。
「音が気になっちゃって」
「……ふぅん? 自衛隊の独身寮とか潜水艦なんて所で生活してた羽京ちゃんが『音が気になって』眠れない、ねぇ?」
「そういう時もあるよ、僕にだって」
目を眇めて、小首を傾げて、じいっと見透かすように僕を見る。笑みも薄れて、内側すべてを観察するみたいな顔。そわりと背筋に鳥肌が立った。
「ゲン、ええと……」
「羽京ちゃん。お昼寝しよっか」
「は?」
「ちょっとアレコレ人の調整してくるからその辺で待ってて~」
「え?」
言うや、ふら~っと彼は歩き去ってしまい、呆気に取られている間にゲンは行きと同じくふら~っと戻ってきた。
「三時間。もぎ取ってきた」
「その時間どうやって計るの?」
「鳩時計ならぬ人間時計がお知らせしてくれるってさ」
千空にそんなことさせていいの? と突っ込みたいが、彼らの間で話がついているならまぁいいのだろう。ゲンに連れられてやってきたのは僕の寝床代わりの洞穴だった。
ごそごそと毛皮や枯草で大きなクッションのようなソファのような塊を作った彼はそこに腰掛け、僕を手招きする。
「はい、羽京ちゃんここの床座って。俺の足の間」
「ここ?」
言われるがまま、ゲンが腰かけるクッションに背中を預けて座る。昼寝なのに横になっちゃ駄目なの? この格好でも眠れないことはないけれど。
不思議に思っていたら、両耳を、温かいものが覆った。
「ゲン?」
「羽京ちゃんが眠るまでこうしてるよ」
「ははっ、お気づかいありがとう。これくらいじゃ聞こえなくなることは無いけどね」
まさか彼がそんなは幼いこどもの思い付きみたいなことをするとは思わなかった。くすぐったい気持ちで笑ったら、
「違うよ、羽京ちゃん」
――聴かせているんだよ、俺は。
掌越しに声がした。
「人が生きている音が聞こえるでしょ」
ザァー、と。確かに。人の中を流れる命の、音が。
「……、うん」
「子守唄の自信はないからさぁ、こんなBGMで勘弁してね」
「ううん」
凭れていいとの言葉に甘えて、身体の横にあるゲンの脚に頭を寄りかからせる。目を閉じる。あたたかな耳元から聞こえるのは、己を糾弾する声でも石の砕ける音でもなく、
(海の、中の、音が)
おやすみなさいという呟きは、掌越しではまともに聞こえなかった。
化粧品「そう? なら、いつか」
そういえばデパコスの限定リップ買ったばかりだったのに、なんてことを思い出して悔しくなった。なんてことをついボヤいたら、傍に居た彼女は少し困ったように、あたしは化粧なんてしたことなかったから、なんて言って笑った。
そうか、校則でダメなところも多いし、ニッキーは部活部活で忙しかったもんね。何となく、この子はきっと色付きリップすら気恥ずかしくて買えなかったんだろうな、なんて思う。
「ねえ、ニッキー。いつかお化粧品もたくさんある世界になったら私がやったげるわ」
「え!? い、いや! いいよ! 何を言うのさ、南! 私なんか、その、そういうの似合わないし!」
「ちーがーう、化粧はね、似合うようにするの!」
力強くて逞しい姉御肌で、でもこういう事はからっきしの、かわいい年下のお友だち。
杠ちゃんも巻き込んでフルコーディネートで飾り立ててしまいたい。いつも真っ直ぐ立つ貴女が途端に背中を丸めてしまう、そんな「私なんか」なんて言う機会が減るように。
「きっと」
すぐ傍の樹に咲いていた、名も知らない淡いピンクの花の花弁を千切る。それから、そっと彼女の唇に押し付けた。
「……うん」
ホラ、やっぱり似合う。例えばこんな愛らしくて優しい色なら、鏡見ても違和感なくお化粧してることに照れずに済むと思うのよね。
「かわいい!」
勘弁しておくれよ、と真っ赤に照れて眉を下げた彼女は、やっぱりとても可愛かった。
ゆれる、ゆれる 揺れる髪に手を出した。
「どしたん?」
横目に俺を見て、薄く笑う。鬱陶しいなどと咎めずに、受け入れ、構わないとばかりに笑う。
「いや、……揺れてたから」
だからつい、何となく手が出てしまったのだ、と。言い訳にもならない事を口にしながら手を引いた。
ぽさりと白く乾いた髪が落ちて、笑みを深めた顔を少しだけ隠す。
「動いてたから手が出るって、猫ちゃんじゃあないんだから」
笑う。また揺れる。ゆらりと揺れて、顔を隠す。
「ま、分からないでもないけど」
ようやく真正面で俺を見た彼は、ついと指先を伸ばし人差し指で俺の前髪を一房掬うように指に絡めると、
「揺れてたら、手もでるよね?」
どうしようもない言い訳を肯定して、笑った。
「.……そうか」
「そうよ」
「そうか」
そうして、俺がもう一度揺れる白に手を伸ばすのと、絡まる髪から離れた指が頬に伸ばされたのとどちらが早いか分からぬままに、寄せた額が触れ合った。
たとえばこんな雨の日に(現パロ) ざあざあと外からは雨音が聞こえてくる。欠伸をかみ殺してベランダへ出る窓のカーテンを開けば、横殴りの雨が普段なら濡れていない箇所までベランダを水浸しにしていた。
「うひゃあ~、こりゃまたドイヒーな雨だこと……」
まるで台風のようだとぼんやり眺めていたら、カチャリと扉の開く音が聞こえた。
「なぁ、俺の着てきた服どこやった?」
振り返れば扉の影から顔だけひょいと出して、千空ちゃんが問いかけてくるのが見えた。
「おっは~。 お洋服なら汚しちゃった下着諸々とお洗濯中だけど。着替え置いといたでしょ?」
「あれテメーの部屋着だろ、今日出掛けるって……」
そこまで話し、やっと窓の外の天候に気が付いたらしい。
「新しく見つけた喫茶店のモーニングはいいのか?」
「この天気で?」
「俺なら別の日にする」
「だよね~」
顔を見合わせて、笑う。
「てことで、代わりにカフェ千空開店してよ」
「食材は?」
「あんまり無い」
無えのかよ、とツッコミされて笑われた。でもきっと、在り合わせで作ってくれる事だろう。
「んじゃ、喫茶あさぎりもよろしく頼むわ」
「オッケー、本日のコーヒーは愛情マシマシ特製ブレンドとなっておりまーす」
「ククク、そりゃ美味そうだ」
部屋に引っ込んで扉が閉まる。すぐに着替えて出てくるだろう。さて、それじゃ用意しましょうかね。
弱まる様子の無い窓の外をもう一度見やる。こんな雨の日も、たまのことなら悪くない。思いながら、そっとレースカーテンを閉め切った。
熱病 寒気がするのは昨日より気温が低いからだと思っていた。そうではないと気付いたのは、皆は特に何とも感じていなさそうに見えたことと、身体の動きが鈍いことからだった。試しにその辺の石でジャグリングをしてみるが、どうにも集中力に欠けている。
「なに遊んでんだ、メンタリスト」
さてどうしよう、と思っていたら我らがリーダーが顔にでかでかとサボるなと書いて俺に声をかけてきた。
「千空ちゃん、面倒かけるから先に謝っとくね。メンゴ」
「あ゛?」
「風邪引いたっぽい」
俺の言葉に軽く目を見張った彼は、大股で俺の目前まで寄ってきて額を触り、下瞼の色を見、扁桃腺の腫れを確認し、最後に口を開けさせて喉の奥を見た。診察はありがたいのだけど、診るって言ってからやってよね。ビビるから。
「いつから」
「朝からちょっと寒気あったんだけど、気温低いのかなって思ってたから気付くの遅れちゃってさ」
「鈍すぎんだろ、熱わりと高ぇぞ。あとで解熱薬持ってくから寝とけ」
「伝染すといけないから隔離はされるけど、そこそこ元気だしちょっとくらいなら作業するよ?」
「寝、と、け!」
「は、はい……」
めっちゃ睨まれた。そんなに熱いか? と額に手を当ててもイマイチ分からない。
追い払われるように手を振られ、仕方なくいつもの寝床へ戻りゴロリと横になった。寝ていいなら寝とくか、そう気を抜いた途端、どっと身体が重くなる。
(……あれ、もしかして俺ってば結構高熱?)
自覚はなかったが、かなり体調は悪かったらしい。そりゃ寝ろって言われるわ。大人しく、邪魔にならないよう一人ひっそりと寝ている事にしよう。そう思いながら、目を閉じた。
「起きたのか? 今、丁度水を持ってきたところだ、飲むと良い」
「ゲン、大丈夫なんだよ? スイカたくさん薬草摘んできたんだよ!」
「おっ、目ぇ覚めたか。ずっと寝てて腹減ってねーか? 何か持ってくるな!」
不思議な気分だ。熱の所為でずっとうつらうつら寝たり起きたりしていたが、目が覚める度に誰かが視界に入る。水差しを持ったコハクちゃんとか、心配そうに俺を覗き込んでたスイカちゃんとか、額に乗せる布を水桶で絞ってるクロムちゃんとか、俺へ世話を焼く人の姿が其処にあるのだ。
「具合はどうですか?」
「ルリちゃんまで……巫女様に、看病させる、なんて……村の人に𠮟られちゃいそう」
解熱の薬湯を持ってきたのはルリちゃんだった。手を借りて上体を起こし、如何にも効きそうな匂いと味の薬湯を何とか飲み干す。
「私が好きでやってることですよ。それに千空にも頼まれましたから」
「千空ちゃん?」
「どうしても手が離せないから、代わりに様子見を、と」
「……、寝ておけば治るし、大丈夫なのに」
「ええ。でも病は辛いですから。身体も心も」
「ルリちゃんにそれ言われちゃうと、弱いなぁ」
病を長年患い、苦しみに耐え切った彼女に意地を張っても仕方がないか。うん、目を覚ます度に誰かが居て声をかけられて、それだけで病気も癒えるようなあたたかな気分だったよ。本当にありがたい。
礼を言って湯飲みを預け、再び身体を横にする。ゆっくり休んでくださいね、の声と掛け布団の上からぽんと叩かれる感触。気恥ずかしさを覚えながら、また目を閉じた。
物音が聞こえた気がして意識が浮上する。あれからまた随分と寝てしまったようで、部屋の中には明かりがついていた。
「起こしたか?」
物音の正体は千空ちゃんだったらしい。気にしないでくれと首を横に振り、背を支えられながら身体を起こす。
「……大分マシになったな」
汗ばんだ額を触って千空ちゃんがそう呟く。そんなやさしい声で言わないでおくれよ、大袈裟だ。そう笑い飛ばしたい反面、このストーンワールドじゃ些細な風邪から一気に重篤化して助からない可能性だってあるから、千空ちゃんの気持ちも分からないではないのだ。きっと逆だったら俺もゴイスー心配してただろうし。
「心配かけたね」
「いい。治ったならその分きっちり扱き使わせてもらうだけだわ」
「えぇ~、病み上がり直後はお手柔らかにお願いしたいなぁ……」
俺の言葉に千空ちゃんが小さく笑う。考えとくわ、なんて言って。
「上脱げ、背中拭くから」
「へっ?いや、そりゃ汗はかいたけどそこまでは……」
「清潔第一。いいから脱げ」
どうやらさっきの物音は桶を置いた音だったらしい。わざわざお湯を持ってきてくれたのか。むず痒さを味わいながら、上を脱いで背中を向けた。あたたかな布が、首と背中を丁寧に拭っていく。心地よさにほっと息を吐いた。
「前は自分で拭け」
「ありがと。至れり尽くせりだねぇ」
「テメーだって毎日人の世話焼いてんだろ」
どうかな、俺こんなに丁寧じゃない気がするけれど。参ったな、お返しのつもりだとしても貰いすぎでしょ。なんて考えながら身の清拭を終わらせた。
「飯とってくるわ。んで、また薬飲んで寝たら明日には回復してんだろ」
「だろうね。自分でもマシになってるの分かるし」
「そうかよ」
服を着直した俺の肩に上着をのせて、千空ちゃんが立ち上がる。
「千空ちゃん」
呼びかけて、服の裾を掴む。振り返った千空ちゃんは、どうした? と言いながら座り直した。
「皆に声かけてくれてありがとね」
「あ゛ー……」
「体調崩して寝込んでるときに誰かが世話してくれるなんて久しぶりだったから心強かったよ」
「……当人たちに言え」
「言うよぉ、勿論」
だから一番気を配ってくれた人に一番最初にお礼言ってんの。有難うの言葉に少し居心地悪そうな顔をした千空ちゃんは、視線をうろつかせてから立ち上がる。今度こそ食事を取りに行くのだろう。
「千空ちゃん、お腹空いた」
「食欲あんなら大丈夫だな」
くつくつ笑って俺の背中をぺしりと叩いて、千空ちゃんは立ち去った。
(彼が風邪を引いたなら)
父親や、不在の時には大樹ちゃんや杠ちゃんが様子見したり看病したりしていたんだろうか。それならば君の慈しまれた過去が俺にはうれしい。それとも一人のことが多かったから、こうして面倒をみてくれてるんだろうか。それならば君の優しさが俺にはうれしい。熱の所為で潤む目を擦る。
空調設備の整った部屋じゃない、フカフカのベッドでもなければ、良く効く処方箋薬もない。環境的にはあの頃に比べたら到底劣る筈なのに、ひとり暮らしのあの部屋で寝込んでいた時よりも、余程に早く治りそうな気がした。
サルナシの実 呼ばれた気がした。確かに。
「コハク、ちょっといいかい?」
「どうした? 羽京」
「あっちの方に誰か居ない?」
どれどれ、と呟き、じぃっと木々を眺め、ややあって彼女はため息を吐いた。
「何をやっているのだ、あの男は……」
「誰か居た?」
「ゲンが高い木の上に居る」
本当に何やってんの? 呆れながらも、自分が行こうかと言ってくれた彼女に断りと礼を告げて、示された場所へと向かう。
段々ハッキリしてきた声に足を速めて近寄れば、けっこうな高さの枝に座るゲンが見えた。
「ゲーン! 来たよー!」
「羽京ちゃぁーん! 待ってたー! ねえ、ロープ投げてくれなーい?」
暢気に大きく手を振ってくる彼は、怪我などはなく無事のようだ。やれやれと思いつつ、矢に縄を括りつけて放つ。あれで身軽いから大丈夫だろう。
「ねーぇ! 荷物落とすから受け取ってくれる~?」
分かったとジェスチャーすれば、彼は上から少し大きな巾着のようなものを落としてきた。僕がきちんと受け取めたのを見て、彼はするすると下りてくる。
「おかえり」
「ただいま~! ありがと、羽京ちゃん」
「何してんのさ、君……」
「いや~、それが降りる途中で枝折れちゃって」
「何で登ったの、そもそも」
僕の疑問にゲンは先に投げ落とした荷物を指差した。開けて、の言葉に従うと、そこには小さな緑色の実がたくさん入っている。
「これは?」
「サルナシの実。んーと、キウイみたいなやつ」
ひょいと彼の指が一粒摘まみ上げたと思ったら、僕の口に放り込まれた。
「んむっ、……あ、美味しい」
甘酸っぱい味が口に広がる。うん、これは確かに見付けたら採りたくなるね。
曰く、足下に落ちていた実から頭上に実るサルナシを見付けたのだという。それほど難しくなさそうだったので登って採取し、さぁ戻ろうとしたらうっかり足場となる枝を折ってしまったそうだ。
「皆お勉強頑張ってるからね~、たまにはこんなご褒美があっても良いでしょ? 羽京先生?」
「それで採ってたの?」
「これでモチベーション維持してもらえんなら安いもんじゃない」
よく言うよ、後付けの言い訳だってバレバレだ。あげたいだけでしょ、ご褒美。
「あははっ、そうだねぇ」
「ちょっと~? 何か含みある笑い方じゃなぁい?」
「そんなことないよ、優しい優しいあさぎり先生?」
「ま~たそういう事言うんだから」
拗ねたような口振りで僕の二の腕あたりをぺしぺしとゲンが叩く。いいじゃん、僕は君のそういう所が気に入ってるんだ。
「さて、それじゃ明日のかわいい生徒たちの為に戻ろっか」
ばしんと背中を叩いたら、彼は痛いと悲鳴を上げた。
海と足音
ひたり、ひたりと。
べたり、ぴちゃり、と。足音が聞こえる。
ひた、ひた、ひた、ひた、ゆっくりとこちらへ近づいてくる足音が聞こえる。
俺は頬杖をついてうたた寝をしている。重すぎる目蓋は接着でもされたかのように開かず、身体も指ひとつとして動かすことはできない。
ひたり、ひたりと。べたり、ぴちゃり、と。足音はゆっくりと近づいてくる。
扉の向こう、揺れる船内の廊下。物音だらけの中、聞こえるような音ではないというのに。俺の耳は我らがソナーマンのような特別製ではないにも関わらず、その音は聞こえるのだ。
ひたり、ひたりと。ぺたり、びちゃり、と。足音はゆっくりと近づいてくる。
俺は頬杖をついてうたた寝をしている。身動きもとれず、そこで。
ひた、ひた、ひた、ひた、その足音が、ピタリと。
止まる。
「お出口はあちらで御座います」
声。沈黙。それからまた、ひた、ひた、ひた、ひた、と足音はゆっくりと遠ざかっていった。
「……フランソワ」
さっきまで開くこともままならなかった目を開けると、俺の執事が普段と変わらず其処に控えていた。
「おはようございます。龍水様」
「今、誰か来なかったか」
「何かご用事でも御座いましたか?」
来たとも来なかったとも言わず、フランソワはそう答えた。相変わらず涼しい顔の執事に、いや何もない、と答える。
「貴様の目に適わないのならば、俺も特段見る必要はないだろう」
「左様でございますか」
素知らぬ顔でフランソワは控えている。
「フランソワ」
「はい」
「海というものは奥深いものだな」
扉の向こうでは、水浸しの廊下に文句を叫ぶ声が上がっていた。
父の日 手をつないで歩くことはあまり無かった。
首根っこはよく掴まれていた。それから容易く抱え上げられて、腕の中に収まるまでが一連の流れ、お決まりのパターン。
普段より高くなった視界に普段より近くなった顔があって、ああだこうだと意見を交わしあいながら家に帰る時間を特別と思った事はなかったが、いつまでこの腕は自分を抱え上げるつもりなのだろうかとは考えた事ならあった。
結局あの父はこちらがヤメロと言うまでいつまでも抱き上げようとしたものだったが。
大した話じゃない、ただあそこで抱き上げられてる村のちびっ子が居たから思い出した、ただそれだけの話だ。
逃走中 逃げていた。逃げている。逃げ切りたい。どうしたもんだろうねぇ、コレは。
あさぎりゲン、ただいまバイヤーな敵ちゃんのテリトリーでガチ鬼ごっこ開催中でっす! と軽く言った所で現状が変わるわけもなく。持久力に自信はあるが、足が速い訳じゃない。追いつかれるのも時間の問題だろう、このままじゃ。
(あっち大丈夫だったかな……)
南ちゃんたちは気付かれずに逃げられただろうか、少なくともニッキーちゃんが一緒に居るから俺よりは安全だろう。
二人が本陣に戻れば必要だった情報は伝わる。あとは撹乱要員として散らばったバトルチームの居る辺りに俺が逃げ込んだら助けてもらえる、筈。
なんか思い出すなぁ、俺を逃がすためにクロムちゃんとマグマちゃんが囮になってくれた時の事。とはいえ、あの時の司ちゃん達よりずっと剣呑な連中だ、捕まったら無事でいられるか分からない。
「居たッ」
「見なかったことにして!」
「っうわ!?」
曲がった通路の角で鉢合わせたが、その顔に目掛けて砂を包んだ布を投げ付ける。念の為で持ってきた目つぶしが役立つのは複雑な気分だ。こっちの道はダメか、脳内で覚えた地図を広げながらルートを変える。
(あッ、クソこっちに来たか!)
背後で怒号と足音が聞こえた。ちらと振り返ったら二人の男がこっちに向かって走っ……速くない!? 退避ルートは確保できてる、そこまで逃げ切れそうだったのに! 逃亡中のハンターかよ、あれ出てみたかったけどこんな疑似体験はお断りだなぁ!?
みるみるうちに足音が近づいてくる、確認したいが駄目だ、そのタイムロスでまた追い付かれる。足はこれ以上速く動かせない、足音だけでなく息づかいも聞こえてきた、出口はまだ遠い、仲間は見えない、足音が近づいてくる、息づかいが近づいてくる、俺はこれ以上速く走れない、誰か、いや違う、足掻くのは俺だ。
「回れェ!!」
聞き覚えある誰かの叫び声。誰の声かを判別するより先、反射のように身体は声に従った。
「イチ!!」
踏み込んだ右足をそのまま踏みしめ、上体をぐるりと捻って反転させる。
「ニ!!」
左足を着地させ、それを軸足に右脚をとにかく上へ思い切り振り抜いた。狙うは顎より少し横、衝撃が真っ直ぐ脳天へ届く角度。足首と足の甲に、かたくて重い感触が響く。
「がァッ……!?」
あちらから突っ込んできていた事もあったからか、ものの見事に決まった上段蹴りにフラついた男が壁に倒れ込む。一度は動こうとしたようだったが、そのまま膝をついて床の上に沈んだ。
「ウェーイ! ナイスキック!」
どうやら俺を見つけて後ろから追い付いてきてくれたらしい、呆気なくもう一人を無力化した陽ちゃんが笑う。
「エグい蹴り持ってんじゃん。もっと鍛えたら結構イケんじゃね?」
「いやいや、声かけてくれたから出来ただけよ、あんなの。足も痛いし、人蹴るの怖いよ」
「ま、向き不向きはあるわなぁ。とりま、この陽くんが来たからには安心しな!」
「いよっ! 陽ちゃん格好いい! さすが警護はお手の物!」
茶化し合ってから、前を行けという陽ちゃんの指示に従って走り出す。右足が少し痛いが、気にせず走る。
多少は護身の方法を覚えておけ、倒そうとは思うな逃げ切るためだ、と鍛えられた甲斐はあったらしい。戦う皆からそれぞれどんな時にどんな対処が良いか色んな話を聞かされた、あんな掛け声だけで咄嗟に動けるようになっていたのもありがたい。でも。
(やっぱり向いてないなぁ、俺には)
任せるばかりじゃ駄目と分かってるんだけど。怖いもんは怖い。さっきは勢いで出来たけど、人を加減なく思い切り蹴飛ばすとか普通に出来るわけない。
向き不向きはあるわなぁ、という陽ちゃんの言う通りだ。俺には俺に向いたやり方がある。彼らが俺らを力で守るように、俺は彼らを情報と交渉で守るのだ。
俺の横をすり抜けて、陽ちゃんが前から走ってきた相手をトンファーでぶん殴って無力化させる。俺はそこを横目に駆け抜ける。
歯を食いしばる。脱出まで、あと少し。
(上段蹴りするゲン / ぜろいち様のフリーネタ拝借しました)
独りよがり/得手勝手「好きだ」
言葉が、まろびでた。
何でもない瞬間だった。ただ普段と変わらず、俺にはあんまり理解できない理屈で何とかという化学物質を取り出す為に加熱処理をしている横顔を見ていたら、つい口に出していた。
「……おう、……?」
俺の脈絡のない発言に呆気に取られた顔はしたが、受け流すこともせず、ただ受け止めた。……茶化したり気持ち悪いとかは言わないんだな、それならそれで乗っかったんだけど。やさしいな。いや、単に意味が分からなくて相槌打っただけかも。
「待機時間がある感じなら、お茶でも持ってくる? 千空ちゃん」
「……あー、いや、それより手ぇ空いてんならそこの棚の整理がしてえ」
「はいはい、瓶が増えてきたもんね」
休憩の打診をしたら新たな軽作業を振られてしまった。大した事じゃないから構わないけれど。
俺もそれ以上は何も触れなかったし、彼も追求はしなかった。
まろびでた言葉は受け止められはしたけれど、行き場をなくして消えていく。それで、何も構わないのだ。恋なんて独りよがりなもので、俺は今それを楽しんでいるのだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「好きだ」
言葉が、こぼれた。
顔をあげたら、呟いた本人は俺というより淡々とカードをシャッフルする手の辺りを眺めていた。何でもない瞬間だ、ただ君がくれたトランプを手慰みに触っているだけの。
「……うん、」
座る俺の背後に立って、上から屈んで覗き込んで、君がそんなことを言うもんだから。俺はただ頷くしか出来なかった。
「改良点は?」
先ほどの呟きなんてなかったかのように、彼はトランプを指差してそう問いかける。
「んー……滑りの良さと、弾性? でもまぁトランプがあるってだけで感謝感激雨あられ~って感じよ、ジーマーで。そりゃ勿論当時のカードに近いなら嬉しいけど、これはこれで腕が鳴る」
俺の返事に彼は愉快そうに、そう、本当に心から楽しそうに嬉しそうに、喉の奥で小さく笑い
「流石だな」
と、褒め言葉を投げてくれた。
「そっちも似たようなもんでしょ?」
「何が」
「こんな機材も器具も薬品もない世界、あるもんだけでどうにかやってんじゃない。千空ちゃんだって」
「……、だな」
「ね?」
「ああ」
柔らかく目尻が下がる。その顔を見ながら、俺の口角も上がる。
ああ、良いなぁ。好きだ。
相変わらずついて出てしまう好意の言葉は俺たちの間で投げられては行き場をなくして消えていく。消えていく? いいや、見ないふりしてお互いきっとどこかにこっそり隠して抱えている。
恋愛にリソース割く余裕がないだとか、勝手な言い分で進んで宙ぶらりんになっている。独りよがりでろくでもないなぁ、お互いに。それでも俺らはそれが楽しいから、今日も受け止めた言葉を掌からそっとこぼすのだ。
こんなお話いかがですか1(復興後パロ) 髪を切ったから、もしかしたら気づかないかもしれない。
有名人と言ってもたかが知れてるものさ。白髪は黒く染めて、アシンメトリーヘアもただ短いだけの髪にして、服装も特徴のないシャツとジーンズで。俺たらしめる外見的な特徴はみんな捨て去り、人の中に紛れ込もう。しばらく俺を休業するのだ。
すっかり俺という人間は君の為になっているので、せめて君がこの星に居ない間くらいは『俺』にバカンス与えて誰でもない誰かになっても構うまい。君の弱点のひとつになって何年経ったかな。ヘマはしないよ、任せな、大丈夫だって。狙われて死にかけたのなんて、もう随分と昔の話だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
診断メーカー #こんなお話いかがですか
桐人の千ゲのお話は
「髪を切ったから、もしかしたら気付かないかもしれない」で始まり「もう随分昔の話だ」で終わります。
こんなお話いかかですか2 幸せになってください、と言われたのだそうだ。フッた相手から。なんと素敵な捨て台詞だこと。パートナー居るって公言してる人に告白する是非は置いといても、それを受けて千空ちゃんが浮気するタイプと思われたのは複雑だ。
それにしても祈りのような呪いだねえ、でもいつか不幸せと思った時に祝福してくれた人へ顔向けできないなんて思う人間じゃないし、あの時に祝福してくれた相手をもし選んでいたらとか絶対考えないよ、この男。君の精一杯の言葉は記憶に残ろうとも見向きされないことでしょう。ていうかさ。
「幸不幸で人生考えてないでしょ、千空ちゃんは」
俺の言葉に、そう言うテメーだから選んだんだと機嫌良く彼は笑い俺に手を伸ばす。その後どうしたかなんて野暮なことは語るまでもないだろう。
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診断メーカー #こんなお話いかがですか
桐人のお話は
「幸せになってください」という台詞で始まり「その後どうしたかなんて野暮なことは語るまでもないだろう」で終わります。
帰る場所お前は何処へ帰るのかと問いかけた。
対して奴は自分の居所は俺の傍らだと宣うものだから、俺はほとほと困ってしまう。俺もお前の元へ帰りたいのにこれでは何処へも帰れないじゃないか。そう言えば、なに浮草稼
業も二人ならば悪いもんじゃないだろうよと、隣で奴は笑い声を上げた。
そんな、夢を見た。
冬のねむり「寒い!」
「うるせえ」
「だって寒い!」
だってじゃねーわ、言葉のつながりおかしいだろ、入れようとしたツッコミは
「つっめてぇ!?」
出てしまった叫び声に上書きされた。
「うるさっ」
「叫ばしたなぁテメーだろうが! 何をヒトの寝床に入り込んできてやがんだ、出てけ」
ずるりと伸ばされた行儀の悪い足がぺたりと俺の脚に触れる。何でこんなに冷たいんだよ、テメーの足。日中も俺より着込んでるし今は靴も履いてるだろうに。蹴っ飛ばしたら渋々と長い脚が引き下がる。
「じゃあ交換して、俺のお布団冷えきってて寒い……」
「はぁ? 同じ素材でほぼ同時に入ったんだから、大して変わりねえだろ」
「俺、千空ちゃんみたいに代謝良くないの~! 俺の体温じゃなかなか布団ぬくぬくにならないのよ」
いかばかりも温もりを逃してなるものかと言うように毛布に包まって横になる相手を呆れながら眺めつつ、はあとため息を吐いて手を伸ばす。
「……マジで何となくテメーの方が温かくねえな」
隙間から手を布団の中に入れたら、自己申告通りで笑ってしまう。体温の差とはいえ、こんなに差があるものか? ガキの頃から布団が寒くて眠れないなんて思ったこともなかったわ。
「もう少し、こっち寄せろ」
「うん?」
「布団。遠い」
「……はい?」
「重ねりゃ少しはマシだろ」
いや、コイツ動かすより自分で動いた方が早いか。起き上がって、ぴったりと布団を寄せて、また布団に潜り込む。呆然と見返してくる瞳を、鼻で笑い飛ばした。
「寒ぃんだろ?」
「……うん」
「そのまんまだとなかなか寝付けねーんだろ?」
「うん」
「寝不足で元からたいして無い体力落とされるよかマシだわ」
上掛けを半分以上相手の方へ乗せ、さっきやられたのと同じように脚を伸ばして絡め取る。服の上からでも脚が冷えているのがわかる。
「……あったけぇ~」
強張りから解かれたような囁き声が耳に届いた。ぺたりと両足で冷えた足の指先を挟む。ほうと息を吐く音がする。俺の足は逆に寒さにすくんだが、徐々に分け合ったぬくもりは再び熱を持ちだした。
「もっと」
「へえへえ」
「あー……助かる……」
脚を絡ませ、ぎりぎりまで身を寄せて、頭まで布団に潜り込ませ、額を鎖骨にすり寄せる。ここまでするなら、もういっそ俺を湯たんぽ代わりに抱きついて寝たら良いだろうに、最後の線引きのつもりなんだろうか。
(今更だろうに)
あまりにくっつかれ腕の置きどころに困ったから、乗っけるように相手の背中へ回す。ぴくりと跳ねた身体を宥めるように、とんとんと叩いた。
「寝られそうか?」
「……うん」
「そうか」
とん、とん、とん、と。本当に幼い頃にだけされたような仕草を思い出しながら背中を叩く。
「バイヤー……年下にあやされている……」
「いーから寝ろ」
「んふふ、そーね、うん……よく眠れそうだよ」
くふくふ笑うささやかな振動と、鎖骨に触れる吐息、さらりとした髪が少しくすぐったい。
おやすみ、と囁きが聞こえる。おやすみと返して目を閉じる。あたたかい。人のぬくもりとはこんなにも。
そっと吐き出した息は、我知らず安堵にまみれた音をしていた。
ある会話 前を歩く見たこともない女が、あさぎりゲンについて語っている。いかにテレビに出始めた頃の彼と最近の彼の売り方が違うのか、といった内容を連れに話しかけている。
成る程、俺の知らない、興味が無かった頃のあさぎりゲンはそういうキャラクターだったのか。そして今はファンからそう見られているのか。
会話の途中で彼女たちとは道が分かれたのですべては聞こえなかったが、なかなか面白い話であった。
相変わらずあの男は夢幻の姿を見せるのが巧いものである、と思いながら家の扉を開けば、おかえりと俺へ声を投げかける、先程の会話からはかけ離れた何処にでも居そうな休日にだらける年上の男が其処に居て、俺は呆れるほどの優越感にうっかり笑い声を上げゲンから訝しげな目を向けられてしまった。
ひとことで言えば あの男は多面性を持つ生物である。
酸いも甘いもかみ分けて、清濁を併せ呑む(と言うにはやや根っこの部分では悪人に成りきれない気質もあるが)そういう類の奴だ。
ひと言で表すには些か苦労する、その性質の悪さを好ましく思っているのも事実ではあるが。
「ゲン? ああ、彼は善い奴だよね」
衒いなく、臆面もなく、たったひとつの言葉で表し言い切った我らがソナーマンへほんの欠片ほど妬ける気持ちが湧いたことは、地獄の底まで隠し持っていこうと決めた。
君とだからできる――誰でもない君に賭けているからこそ、俺は何処にだって駆けていくし何だってやってきたのだ。
珍しく酒を飲んでしまってへろへろになった男を何とか引きずって寝床まで連れてきてみたら、奴は肩を組んでた俺ごと毛皮の上に倒れ込んでそんなことを呟いた。
「俺、君以外の片棒担ぐ気ないよ」
それきり言い逃げて寝落ちた顔に手を伸ばす。あの欲しがりやが俺に話していたのを聞いていたのか。適当にそれをはぐらかすことしか出来なかった俺の言葉も、多分一緒に。
悪いな、好条件も出せねーのに手放す気になれなくて。
「……俺もだわ」
企み事は、テメーとだから出るのだ。
応じた声にぴくりと瞼が動いて、俺は狸寝入りしてんじゃねえとその額を指で弾いた。
お題:晩秋 視界の端に鮮やかな色が引っかかった。
今、自分は何を見たのだろうかと視線を巡らせると、木に絡まるようにして烏瓜が実っていた。秋に相応しいつややかな朱色。あれで食えないのだから惜しいものだ。
そういえば去年も同じように烏瓜を見付けたのではなかっただろうか。あるとも思っていないのに、視界に必ず引っかかり、つい視線を巡らせて其処にいると確認してしまう存在。
「何だ?」
「い~や、何も? 烏瓜あるな、って思っただけ」
こんなことにも君との共通点を見出しているなんて相当俺は君に参ってるなと呆れ果てる、そんな秋の午後。
(ひときわに視線とらえる烏瓜 目につく有り様、生き様に似て)
お題:お鍋 やっぱり寒くなってきたら鍋を囲みたいじゃないかと主張する男に従って、今宵の晩飯は水炊きである。
「自菜と葱だらけじゃねーか」
「つい買っちゃって」
だって彷彿とさせるもんだから、などという揶揄いを口にしつつ奴は手際良く準備を整えていく。
「人を思い出しながら煮込むのかよ」
「本人は煮ても焼いても食えないんだけどね」
にたりと笑い、奴が言う。
「おいしく食べられて俺の血肉になってね〜、ジェネリック千空ちゃん♪」
「変態かよ」
言いつつも俺の身が相手を構成する妄想にちらと唆ってしまったことは、どうかバレませんように。
(白葱に白菜わんさか入れながら血肉になる君などと思い)
骨休め「ゲンって『あさぎりゲン』をお休みにはしないの?」
疲れたもうヤダ労って! と駄々こねる子どものような態度で騒ぎながらやってきて、一通り愚痴を吐き出したと思ったらケロッとした顔に戻った一人上手に、僕は思わず問いかけた。
メンタリストを名乗る彼はいつでも求められる自分を作り上げ他人に見せている。それを悪いとは思わないが、疲れないのかなと疑問にはなる。いや、実際疲れているのは事実だろう。だってこうして泣きつきにくるのだから。
「するよ」
でも羽京ちゃんにも見せてあげな~い、とおちゃらけた声で彼は笑ってのけるから、僕は全くこの彼には敵わないと脱帽するしかなくなるのだ。
そんなやりとりがあったことをふと思い出したから、僕は同じく皆から遅れて昼ご飯を食べている目の前の千空に問いかけてみた。
「ゲンが『メンタリスト』だけじゃなくて『あさぎりゲン』もお休みしてるとこって見たことある?」
彼はどんな質問だよ、と言いたげな胡乱な目で僕を見遣ると、
「そりゃ、隙を見ちゃいつでもサボりたがる奴だからな」
と、パンを飲み下してからそう答えた。
「ふぅ~ん?」
「……んだよ、その顔」
「君たちは仲良しだなと思ってね」
「はあ?」
何だそりゃ、と千空が呟いた。それを聞いてまた僕の笑い皺が深くなるのを感じる。
適度に近くて適度に放って置いてくれる千空の傍は、きっと励まされたいわけじゃない彼には丁度良い休憩所なのだろう。そういう場所があるんなら、よかったよ。
「ご馳走様!」
二重の意味を込めて告げて席から立ち上がっる。そんな僕を千空は、どこか不貞腐れたような目で見上げていた。