Bonus Track(Home,sweet home再録本書き下ろし) 幼馴染の通う大学の学祭でやるファッションショーに友人がモデルとして出演する、紹介したのは俺だから関係者席を用意しておくので見に来ないか。そう誘われたので、遊びに行くことにした。
この幼馴染と友人が偶然同じ日に俺の家で遭遇した時にそんな話をしていたのは覚えていたが、どうやら本当に学祭にゲストとして呼ぶ芸能人枠にあの男をねじ込んだらしい。わざわざ呼ぶのがアイツで良いのかよ? と言ったら、むしろこれ以上の人選ないし『どんな伝手があったらあさぎりゲンにオファー受けてもらえるの!?』と周りに質問攻めにされたけど? と真面目な顔で返されたのは記憶に新しい。
そんなもんか、と腑に落ちないものを感じながらも、俺は幼馴染の彼氏でもあるもう一人の幼馴染と連れ立って学祭へ赴き、今――学内の盛り上がりに些か引いている。
「活気があっていいなあ、千空!」
「活気っつーか、殺気立ってるっつーか……」
ゲンの写真の載ったポスター前で写真を撮っている女子集団がいるかと思えば、「まだ更新ない~! ゲンくんいつもなら準備の写真あげてくれるのに~!」と騒ぎ合っている奴らが居たりだとか、掲示されている整理券配布開始までまだまだ時間があるというのに列をなしていたりだとか。学祭内の出し物ももうちっと楽しんでやれよと思わないでもないが、その辺りは個人の自由だ。何も言うまい。
「あ゛ー……ショーの楽屋に頼まれたもん届けたいんだが、場所は……」
こりゃ声高に言うわけにはいかねえな、と入場受付で声を潜めて尋ねると、少々お待ち下さいと言いおいて責任者らしき大学職員を連れてきた。
「はい、お名前確認させていただきますね。えー、石神さんと大木さん……はい、確かに。小川さんからお二人の事は聞いています。場所はここです、あとこちらの名札を分かるように首から下げておいてください」
名札には学名と『関係者』とだけ書かれていた。建物の入口付近に警備員が居るが、名乗れば通れるようにしてあると職員は言って俺たちを見送った。
「早速行くか! 場所どこだ?」
「テメーは普通に喋ってても声でけぇから教えねー。ついて来い」
「そうか! わかった!」
学内の奴らは楽屋の場所を知っているのかもしれないが、だからと言って気をつけない理由にはならないだろう。さっきの様子を見る限り、何処が楽屋が分かったら出待ちや入り込みもされそうだ。ついでに軽く学内の屋台なんかも冷やかしながら向かうとしよう。
「杠ー! 差し入れ持ってきたぞー!」
「あっ、来たね大樹くん! 千空くんも! ……あれ、千空くん?」
「おう、お疲れさん、杠……」
「いやいやいや、こっちの台詞だよ。どうしたね千空くん、ぐったりして」
楽屋代わりの扉を開けると、最後の微調整をしていた杠がいち早く気づいて声をかけてきた。疲れた顔で部屋に入ってきた俺を見て、不思議そうに首を傾げる。
「あ゛ー……学祭の客引きを舐めてた」
「はい?」
最短距離だろうルートは、模擬店で盛り上がっている場所と重なっていたのだ。冷やかすつもりだったから丁度良いとそこを通り抜けたら、焼きそばいかがですか、お好み焼きどうですか、クラシカルメイド喫茶やってますサービス券どうぞ、自主制作映画の上映時間まもなくです是非、お化け屋敷いっしょに入りませんか、等々……とにかくグイグイと勧誘をされまくり、避けても避けても回り込まれ、最終的には大樹を盾にしてなんとか道を切り開いてここまで辿り着いたのだ。おかげで殆ど見ていない。
「それ客引きじゃなくってナンパなんじゃない? あわよくば的な」
「あ゛?」
「おっつ~、千空ちゃん。大樹ちゃんも久しぶり~!」
「久しぶりだなあ、ゲン! 今日のショー、楽しみにしてきたぞ!」
「ありがと~! 相変わらず善人ド健全オーラが目に眩しいね~」
入り口に背を向けて座っていた男が振り返り、手を振りながら俺たちに声をかけた。あさぎりゲン。今日のファッションショーの目玉。普段のさらりとしたまっすぐなアシンメトリーとは違い、長い横髪は緩くうねり前髪はかき上げている。これだけで随分と雰囲気が変わるものだ。
「ナンパぁ?」
「宣伝と客引きって正当な理由持ってるんだし、せっかくだからイケメンに声かけたいでしょ~そりゃあ! どしたの、いつもより洒落てんじゃん。髪なんか結んじゃって」
「普段のままじゃ後ろの席のやつの邪魔になんだろ」
「あー、そういう配慮なのね~千空ちゃんなりの。声かけられまくってんの、その所為だろうねえ……いつものエキセントリックな髪型に惑わされないで済むもんな。つっても、千空ちゃんさぁ……」
「あ゛?」
「ちょっとこっち来な? 結ぶんなら結ぶでもうちょっとキレイに結びなよ、勿体ない」
立てた人差し指を俺を呼び寄せ、自身が今まで座っていた椅子を鏡の前に移動させ座らせられた。ぐ、と頭が引かれる感触と共に、軽く突っ張っていた髪が自由に跳ねる。ジーマ―でどうなってんのよこの癖毛、と呟く声が後ろ頭から聞こえた。ほっとけ。
「さっきみたいにひとつ結びにしとくのとハーフアップと、どっちがいい?」
「知らねー。逆立たなきゃ何でもいいわ」
「んじゃ、俺の好みでハーフアップにしーようっと」
軽く整髪剤を揉み込み、ブラシを通し、何だこの特殊繊維とぼやきながらもあっという間にゲンは俺の髪を整えた。
「はーい、いっちょ上がり! ……うわぁ、改めて見ても出来の良い面してんなぁ相変わらず」
鏡越しに俺の顔を見て、しみじみとゲンが呟いた。どうでもいいわ、と言い返そうとして、違和感に眉をひそめた。
「……、ゲン」
「何さ」
「テメーなんか変な顔してんな?」
違和感は髪型の所為かと思っていたが、それだけでは無いようだ。何と言うか、こいつの顔だけ浮いているような、妙な存在感がある。
「その言い方ぁ、って、ちょい」
座ったまま顔を上向けて、覗き込んでいたゲンの顔を掴んで引き下げた。よく見えるように。傍で見たら、すぐにその違和感の理由が理解できた。
「化粧か、これ」
「そうよ~ガッツリ塗りたくってんの。ファンデーションよれちゃうし離して、それに千空ちゃんの手も汚れちゃうよ?」
「こんな塗る必要あんのか?」
「あるんだよね~、それが。ライトにさらされて遠目で見られるもんだからね、しっかりはっきり顔作っておかないとぼやけちゃうのよ。これからもっと盛る予定~」
「ほーん」
そういうものなのだろうか。普段と違う顔がいっそ奇妙に見えるが、自分で言うくらいだから舞台の上で見たらまた違うのだろう。ぺしぺしと叩かれ、掴んでいた顔を開放する。
「それより差し入れ買ってきてくれたんでしょ? ありがとね。飲み物ある?」
「ほらよ、コーラ」
「さっすが分かってる~! ねえ、皆も今のうちにちょっと食べといたら?」
「なあ杠、これどこに置い……あ゛? どうした?」
振り向くと、何故かそこに居た全員が動きを止めて俺たちを見ていた。先程まで、こちらのことなど気にせずバタバタと作業を続けていたというのに。
「えぇっと~……」
「今日も千空たちは仲が良いな!」
苦笑いで言葉を濁す杠と、デカい声で笑う大樹。大樹の言葉に少しだけざわつく周囲。一体何なんだと顔をしかめると、ゲンが取り成すような声で言った。
「そりゃ芸能人にだって一般人で仲良しの友人くらい居るってば~! そりゃテレビじゃミステリアスなキャラも作ってるからこういうの意外かもしれないけどね~」
「ミステリアス? リアクション芸人じゃねえの?」
「ドイヒー! そんなお笑いキャラ、テレビで出したことないんだけど!?」
こんなにノリノリでリアクション見せておきながら何を言っているんだ、説得力ねえな。そう俺が思っているのが伝わったのだろう、呆れたように溜め息を吐いて、ぐるりと俺の座っている椅子を回転させて俺と向き合った。
「これでも、それなりに売れるように手ずから作り上げた『商品』なのよ~?」
わりとデカい手が俺の顎を掴み、ぐっと上向かせられる。動かぬ顔を覗き込み、至近距離でゲンがにんまりと笑って、言い放つ。
「あんまり『あさぎりゲン』を軽く見てくれるなよ、千空ちゃん」
なんだ、そりゃ。
「テメーが俺の手に負えねえ程とんでもねえ奴だなんてこと、知り合った時からこっち思い知らされてばかりだわ」
「突然に! デレよる! あークッソこれだから千空ちゃんは!! かっわいいな畜生!!」
「キメェ」
「俺もそう思う!」
一瞬で作り上げたキャラクターを崩壊させ、がばっと両手で顔を覆い悶ている。やっぱりリアクション芸人枠でもやっていけると思うんだがな、こいつ。高校生になりたての頃なら幼さを理由とすればまだ分からなくもないが、成人目前の野郎を相手にして『かわいい』と評するのは率直に言って理解ができない。
というか、今こいつ自身が『あさぎりゲン』のブランドを落としている気がするんだがそれでいいのだろうか?
「ね、ねえ杠……? これ、何……?」
「うーん、えっとねえ……!」
「千空とゲンならいつもこんな感じだぞー!」
「えっ」
「仲が良い友人が増えるのは良いことだな!」
「あの距離感ただの仲良しで済むの!? 私の目がおかしいの!?」
「あははー、うん大樹くんですから!」
「……杠的には?」
「……、うん、千空くんとゲンくんだからね! こんなもんだよ!」
「アンタらはいつも何を見てるの?」
全部聞こえてんぞ、テメーら。距離が近ぇのは自覚済みだ、慣れさせた百夜と許容しちまうゲンが悪い。あの時の、あのたったひと夏で縮まってしまった距離感は、会っていなかった期間を経ても変わらなかった。変えるつもりも特段無いが。
ひそひそと騒ぐ幼馴染たちとその友人らしき学生を眺めてからゲンを見やれば、彼もまたどこか呆れた顔をそちらに向けていた。俺が見ていることに気づくと肩をすくめて見せる。俺も同じように肩をすくめて見せてから、大樹たちの方へ向かった。
「あんま此処居ても準備の邪魔になっからな、そろそろ出るわ」
「わかった、差し入れありがとう!」
「本番までいよいよだな! 杠たち皆で頑張って作ったものだ、絶対成功する!」
「……うん! もっちろんです!!」
大樹の言葉に杠が自負を背負った笑顔で応える。さすがの職人気質だ。
「んで、その杠センセイの成功如何はそっくりそのままテメーの背中に乗っかるわけだ。なぁ、メンタリスト?」
「だ~れに物を言っちゃってんのかなぁ、千空ちゃん?」
煽り言葉を受けて立ち、ゲンがにたりと笑う。悪辣な笑みのまま、言い放つ。
「見てろよ」
「あ゛あ゛」
その一言だけで、きっとショーは盛り上がるのだろうと確信できた。何を仕込んでいることやら。
「あっ、そうだそうだ千空ちゃん。これ持ってきな」
「あ゛?」
小さな何かを放り投げられる。電灯が反射してキラリと光る何か、受け取って見たその正体は男物のシルバーリングだった。
「開場まで時間あるし、まだ学内うろつくんならまた客引きに埋もれるだろうから。それ薬指に嵌めてたら、ちょっとは引き際良くなってくれるでしょ。ひとつ貸したげる」
「そんなもんか?」
「気休めだけどね~。サイズどう?」
「ちぃっとデケえ。すっぽ抜けそう」
「あらま。まぁ俺も右手中指で使ってる奴だからね~そりゃデカいか。絆創膏でも巻いて、その上から嵌めたならまだマシじゃない?」
「持ってるか?」
「ない。誰か持ってる~? あっ、ある? 小さいやつか、なら二枚もらっていい? ありがと~!」
ぐるりと辺りを見回しながらゲンが声をかけると、おずおずと手を上げた学生が居た。足早にゲンへ絆創膏を持っていった彼女は、愛想の良い礼を受けて恥ずかしそうに頭を下げる。けれどその照れた様子を一瞥もせずにゲンはこちらへ踵を返した。
「ん? どうした?」
「何も」
「あ、そ。はい、手ぇ貸して~」
敏いこの男があの反応に気づかないわけがない。きっと慣れているのだろう、ああいう種類の淡い思慕や憧れ、好意のようなものを向けられることに。無暗に拾い上げずに受け流すその卒のなさに、ああコイツ本当に人に見られる為の職業人なんだな、と変に納得をしてしまった。
俺がそんな感心をしていることなど知りもしない目の前の男は、俺の指から指輪を引き抜き、甲斐甲斐しく絆創膏を重ねて俺の指に巻いている。捨てといて、と俺のシャツの胸ポケットにゴミを押し込んでから、左手薬指に指輪を嵌め直した。
「まだ余裕はありそうだけど、抜けることはなさそうね」
「……、今更なんだが」
「はぁい?」
「テメーに指輪嵌められてるこの状況、クソ寒ぃな?」
「いやぁ、俺もいくら待ってもツッコミ来ないから、おかしいなぁ千空ちゃん実利取って何も気にしてないのかなぁと考えちゃてたよ」
実際、何だコレと思わないでもないが、コイツの世話を焼くのも世話を焼かれるのもいつものことだ。その延長線上にあるだけの行為を今更気にするわけがない。
感情のこもらない行為に意味を見出して気にすることは、ない。
「見えなきゃ意味ないからポケットに手ぇ突っ込んで歩くんじゃないよ。さりげな~くアピール……千空ちゃんじゃ無理か、まぁ上手いこと使って」
「おう」
改めて手を眺める。シンプルではあるが、ややゴツい彫金のシルバーリング。円周に掘られた唐草のような図案のモデルは何の植物なのだろうか。本人の振る舞いや見た目のやや軟派な雰囲気とは違い、こういうデザインの方が好みなのだろうか。そういえばいつか大型バイクを手に入れたら着るのだといって意気揚々と厳ついライダースジャケットを買っていたのを思い出す。
「なんか嬉しそうだな千空!」
やめろデカブツ。
「いいでしょ、ここの好きなんだよね~。気に入ったんなら今度見に行く? 連れてったげるよ」
「気が向いたらな」
「杠ちゃんは? こういうデザイン、大樹ちゃんにどう?」
「……っ、今後の参考に、見に行こうかなぁ~……」
「大樹ちゃん、ここレディースもあるから、杠ちゃんに似合いそうなのもあったよ」
「!」
「というわけで千空ちゃん。気は向いたね?」
「力技過ぎんだろ」
「いいじゃん、似合うもん選んであげっから」
「へいへい」
日程についてはまた後で、と話を切り上げて楽屋を出る。閉めた扉の向こうがなんとなく騒がしいような気はしたが、何を言われていようとあのメンタリストがすべて上手いこと収めるだろう。
「屋台でなんか食おうぜ」
「いいな! さっきお好み焼きが美味そうだったぞ!」
さてそれじゃあ指輪の効果のお手並み拝見といこうじゃねえか。俺たちは連れ立ってあるき出す。開場まで、あと一時間。
会場で用意されていたのは、ランウェイの真正面がよく見える席だった。席の隣のスペースには記録用だろうカメラが設置されている。反対隣には大樹……ではなく、何故か学科長だという婆さんが座っていた。アイツが、こんなデカい自分が前の席じゃ迷惑になってしまう、と言い出し、スタッフに頼んで後ろの席と交換してもらったのだ。結果、学内のお偉方の席に俺一人が混ざる席次となってしまった。
お有り難いことに開場までの時間つぶしでも当初よりは絡まれずに済み、二人で落ち着いて飯が食えた。マジで効果あんのかよ、指輪の結界。早めに入った会場でも、ちらちらと視線は感じるが席が席のため声をかけられることもなく、俺はゆっくりと開始を待っている。
「この度は、うちの学生にあさぎりさんをご紹介頂いてありがとうございました。おかげで話題にもなったようで、見に来てくださる方も増えたんですよ」
先程やってきた学科長は席につくなり、俺に向かってそう言った。
「才能のある子たちは幾人も居るけれど、それだってまずは目に止まらないといけないのです。見いだされないといけない。それには、たくさんの人の目に触れる機会を得ないといけない。今年の学生たちは得難い機会をもらったのです。あなたのおかげで」
「あ゛ー……それは俺じゃなく、実際に動くゲンに言うべきじゃねえか、と」
俺は杠とゲンを引き合わせただけで、それだってアイツが偶然やって来なければ紹介することもなかっただろう。少しの居心地の悪さを感じながらそう答えると、学科長は品よく笑う。
「あなた達、ふたりとも同じことを言うのねえ。あさぎりさんも言ってましたよ、それは自分を動かす縁を繋いだあなたに言うべきだ、って」
微笑ましそうな顔がいたたまれない。言葉に詰まる俺を見てにこにこと笑いながら、学科長は舞台へと視線を動かす。
「うちも伝統はあるんですよ。それでも有名なデザイナーが関係する専門学校の方が注目度は上。そこが開くショーに比べて、うちは『ただの学祭のイベント』と思われてしまうことが多いんです。あさぎりさん、それを聞いて最初は無名の友人として参加するつもりだったのを、仕事として出演する事で話題を作り、自身の宣伝を兼ねるからとショーの演出にも積極的に関わってくれて、本当に感謝しているのですよ。学生によってはお笑いの芸人さんが来たり、俳優さんが来てトークショーなどをしてくれる方が嬉しいのかもしれませんがね」
ああ、なるほど。あの男らしい。先程から、ただ芸能人との伝手があっただけで何をそんなに感謝されているのかと不思議だったが、得心がいった。
「……あさぎりゲンは、仕事についちゃクソほどプライドが高ぇ男なんで。今日のこれも友人の手伝いじゃなく『仕事』として請け負ったなら、勝ち戦も同然っすよ」
俺の言葉に学科長は、それは良いことを聞きましたね、と笑いながら頷いた。
その後は特に会話もなく、やることもないので数を数えつつ居眠りをして開始を待っていた。注意事項のアナウンスが流れ、照明も落ちる。いよいよ開始らしい。席は満席。立ち見も居る。あの男が手ずから作り上げた『あさぎりゲン』の商品価値をまざまざと思い知らされるようで小気味良い。
音楽がかかる。スポットライトが舞台を照らす。目映い光に照らされて、鮮やかな人々が浮かび上がる。居並ぶモデルたちは、一人ずつランウェイを歩き出した。
(いろんな服があるもんだ)
杠他この服を作った奴らには申し訳ないが、俺に服の良し悪しなどわからない。特に女性服などさっぱりだ。ただ漫然と眺めるばかりである。それでも微かなざわめきを聞く限り、それぞれ良い作品なのだろうというのは察せられたし、少ないなりに居る男性モデルの衣装がその男によく似合っているものだということくらいは理解できた。これも、俺に服飾の知識があったなら別の見え方があったのだろう。知識と興味を得て世界の見え方が変わったあの夏のように。色とりどりの姿が舞台を行き来する光景を眺めながら、そんなことを考えていた。
一人、また一人と花道を歩き、己を見せつけて立ち去っていく。そうして舞台からモデルが誰も居なくなり、ようやくあの男が舞台の上に現れた。
華々しい今までのモデルたちと違って、彼は黒一色の衣装を着ていた。オーバーサイズのジャケットとロングスカート。普段より背が高い、目測で七センチほどか、翻るスカートの裾からハイヒールのショートブーツがちらりと見えた。化粧もなるほど、確かにあれは必要なものだったのだと納得した。更に盛ると言っていたのはアイメイクのことだったらしい、無彩色の中で目の周りだけが紫と緑の偏光ラメがギラギラと光っている。
男なのにスカートなのか? という疑問は、ひと目見ただけでは浮かんでこなかった。男性としては細身でかつ身体のラインが見えず、そのわりに歩き方や服から覗く首周りと手は雄々しく、けれどメイクを施した顔はどちらとも言い難い中性的なもので。明らかに女性ではない、それなのに男性らしくも思えない、アンバランスな存在が其処に居た。
ざわついたのは舞台に現れた一瞬だけ。あとは皆、堂々と歩く長身に魅入られている。普段はころころと変える表情が、今は人形のように静かだ。あんな顔も作れるのか。視線をひきつけてやまない男はその視線を外さぬように歩き、ポーズを取り、身を翻す。他のモデルたちと同じ動線を行き――なぜか、袖には戻らずに立ち止まった。
皆から一番見える場所でもう一度振り返り、ポーズを決める。ゲストだからサービスか、そう思ったその時、音が消え、ゲンの指がパチン! と弾かれた。瞬間、ライトが消える。小さく驚きの悲鳴がいくつか上がった。それも束の間、一秒も経たずに再びライトがついた時。
まったく違う衣装に変わったゲンと、先程とは違う衣装を着たモデルたちがずらりと舞台に並んでいた。
どよめきが会場内に響き渡る。流石はマジシャン、ファッションショーだろうときっちり仕込みをしていたようだ。
まだ興奮冷めやらぬ会場など意に介さず、先程同様の静かな顔でゲンは再び歩き出した。今度の衣装は袖口や首のスカーフなどで全体的に布がひらひらしたシャツと、足の形がはっきりと分かるスキニーパンツだ。これもまた男物なのか女物なのかイマイチ分からないものではあるが、不思議とゲンが着るとしっくりとくる。悠々と歩き、花道の先端に立ち止まり、辺りを見渡すように動く視線と目が合った。
それまでは一切動かさずにいた表情が、ぴくりと動く。どこか見下すように目を輝かせ、口紅をひいた唇の片端が僅かに上がった。
(見てろよ)
楽屋で言われた台詞が耳の奥で蘇る。あ゛あ゛、まったく恐れ入った。勝利宣言の笑みを受け、俺は負けを認めるように左手を軽く振った。満足そうにほんのりと目を眇めたゲンは、また無表情に戻り視線を外して踵を返す。それから先はまた同じだ、別のモデルたちが同様に道を歩く。すべての衣装を見せ終えてショーが終わった時、会場は割れんばかりの拍手で包まれた。
「……本当に勝ち戦だわ」
拍手の音に紛れて隣から聞こえた称賛が、今日のショーのすべてを物語っていた。
呼ばれてきたとはいえ自分たちは部外者だ。片付けを手伝うか、あるいは終わるまで何処かで待つか連絡を入れると、楽屋に来ても大丈夫だと返事がきた。その言葉に従って再び楽屋へ赴くと。
「千! 空! ちゃん!」
「あ゛ァ!?」
扉を開けた瞬間、ゲンに飛びかかられて抱きしめられた。その勢いに倒れかけたが、後ろにいた大樹のおかげで事なきを得た。……いや得てねぇよ、テメーら俺を潰す気か!?
「ゲン! すごかったなあ、あれ! パッと消えたら皆が居て! ゲンの服も変わって!」
「でっしょ~!? 俺の早着替えもだけど、皆の出現も完っ璧じゃない!? 練習あんまり見てあげる時間なかったのに、この出来!! それに杠ちゃんの衣装!!」
「ああ! 流石杠だな! 俺には詳しいことはわからんが、でもすごく似合ってたぞ!」
「だよね、だよね! もう最っ高~!」
「テメーらそのまま喋んな! 潰れるわ!」
「え~、千空ちゃんからお褒めの言葉はないわけ~?」
舞台で作り上げた顔は何処へやら、期待するガキか犬のように目を輝かせ、ゲンは俺の言葉を待っていた。テメー本当に俺より四つも年上なのかよ。
「……クククッ、ああ最高だったわ。百億点やるよ。やっぱスゲーなテメー」
抱きしめ返して背中を叩き、ついでにぐしゃぐしゃと後ろ頭を撫でてやる。
「あっはっは! そうでしょう、そうでしょうとも!」
「ぐっ」
テンション爆上がりのゲンは、俺の後ろにいた大樹諸共にもう一度きつく抱きしめ直してからようやく離れた。
「珍しいな、千空。こういう時に嫌がらないのは」
「……今の逃げ場ねーだろ」
「そうか?」
「そうだろ」
開けた瞬間抱きつかれて、後ろに居るテメーに押し付けられて、どう逃げろって? ヒョロガリのミジンコ舐めんじゃねえぞ。
「大樹くん! 大樹くんや! ごめん搬出手伝ってもらっていい!?」
「任せろー! 何を運べばいい?」
「ひとまずあっちの箱に入ったやつ全部! 運ぶ場所は都度誰かに聞いて!」
「わかった!」
「杠ちゃん、俺も何か手伝おっか?」
「えっ!? いや、それは駄目だよ! ゲンくんのお仕事にそれ含まれてないし!」
「いーの、いーの。これはオトモダチとしてのお手伝い~♪ ってことで、力仕事以外で俺らにできること何かある?」
「……じゃあ、衣装畳むのお願いしていい?」
「おっけ~」
「千空くんはコレいい? あそこの備品の個数チェック、リストのこっからここ」
「ん」
「小川さーん! ちょっと来てー!」
「はぁーい!」
今回のショーは杠がチームリーダーだったらしい。あちこちに呼ばれては差配をしている。
「さくっと片付け終わらせて帰ろ」
「打ち上げとか呼ばれてんじゃねーの?」
「それは流石に行けないかなぁ、女子大生侍らせた飲み会って記事作られちゃったら困るし」
さあ最後のお仕事だ、とゲンは笑って、衣装をたたむ学生たちの中に「お手伝いにきたよ~!」とおちゃらけながら混じりに行った。マジであの舞台の上のあさぎりゲン何処から来たんだよ、と込み上げる笑いを誤魔化しながら、俺も割り振られた仕事に着手した。
片付けは思うより早く進み(なにせあの体力バカが居るのだ、あっという間に運び終わる)俺とゲンは大学を後にした。大樹は杠に誘われて打ち上げに参加するという。俺も誘われたが、返事をする前に
「メンゴ~! 千空ちゃんは俺が持って帰りま~す!」
とゲンが言い、全員に『どうぞどうぞ』と了解された。解せない。元よりゲンが行かないなら参加するつもりはなかったから、断り文句を考えずに済んだのは楽ではあるのだが。
「なあ、ゲン。同級生ごっこは楽しかったか?」
助手席に乗り込み、問いかける。シートベルトをしながらゲンが振り向いた。
「……バレてんの? はっず」
「浮かれすぎだろ。むしろ隠してたのかよ、あれで。メンタリストの肩書何処行った」
「だって俺、通ってたのあっちの大学だったしさ~! 新鮮だったよね、今日の」
「席の隣が学科長だったんだが、べた褒めだったぜ? ショー盛り上げる為にとても協力してもらったって」
「そりゃそーでしょ、コレが盛り上げればそれだけ俺の功績アップすんのよ?」
「そういうことにしとくわ」
「待って何を聞いたの、何その顔! ちょっと千空ちゃん!?」
「さぁな」
言えばきっとこういう返事をするだろう、そう思っていたことをそのまま言うものだから笑っちまっただけだわ。己の強みを最大限に利用して、学生たちの将来の為に手伝ってやりたかっただけのくせに。自分と同じように、己の腕をかけて挑戦する彼らの後押しになればと行動したくせに。自分の利益の為ですと言い訳して、それが通用すると思っていやがるんだ、この男は。面倒くさい奴。
「……あ~、そうね、まぁ同級生気分は置いといてさ」
拗ねたような顔をしてこちらを睨んでいた男は、小さな溜め息を吐いてシートに背中をもたれさせる。
「千空ちゃんたちの仲間に入れたのは、楽しかったよ」
そうして、へらりと、他愛のない笑みを浮かべた。
「また呼んでよ」
「呼ぶも何も、次はアクセサリーショップ行くんだろ。四人で」
「ああ、うん。そうだ、そうだったね。また、今度。……ははっ!」
楽しみだ、と。あまりに嬉しそうに呟くものだから、俺も思わず、そうだなと返してしまった。テメーがそんなに喜ぶのなら、俺もその日が楽しみだ。
「そうだ。忘れる前に返すわ、サンキュ」
「効果あった?」
「予想よりあった」
「良かったじゃん、あげようか? それ」
「いや、いい」
話しながら指輪を外す。近くにあった左手を掴み、その薬指にするりと嵌める。彼にとってもこの指輪は僅かにサイズが大きいようだ。
「……似合うのあるといいねえ、サイズもぴったりの」
「あ゛あ゛、そういうの分かんね―から頼むわ」
ナンパ避けとファッションとして買うだけだ、そして明らかに俺はその手のことに疎い。だからコイツの言い出したことに他意はなかったんだろう。それでも、なんてことないように自分の選んだ指輪をつけろと言い出す相手に少し喜んでいるだなんて、大概俺もどうかしている。それから。
「お腹へったな……千空ちゃん、近辺に駐車場あるラーメン屋ない? 美味しいとこ」
「チャーハン美味いとこと餃子美味いとこ、どっちがいい?」
「うーん……餃子!」
「んじゃ、まずは駐車場出たら道なりに行って2つ目の信号左折な」
俺の嵌めた薬指の指輪をそのままにする、お前も大概どうかしてるぜ。
「それじゃ、行こうか」
「おう」
エンジン音が響く。どうかしている素振りから目をそらした俺達は、今日も友人に戻って飯を食いに行くのである。