指が踊る「ね~ね~、千空ちゃ~ん。この石ってもう少し薄くなるよう削れたりする?」
「あ゛?」
どこをほっつき歩いていたのか、先ほどまで姿を消していたメンタリストは現れるなりそう訊いてきた。
「出来ればね、せめてもう少しぺったんこになってほしいのよ。同じ薄さは無理でも、大きさはそこそこいい感じなんだよね~コレ」
差し出されたのは、川原ででも拾ってきたのだろう、丸く平たい小石だった。同じ薄さとコイツは言ったが、一体何を想定して『同じ』と言ったのか。
「何の代わりにしてえんだ? コイツを」
俺の問いに奴はにんまりと笑い、指で小石を挟んで掲げてこう言った。
「ハーフダラーコイン」
「いっやぁ~、流石にコインよりは分厚いけどこれはこれで大丈夫そ~! ゴイスーうれしい! ありがと~千空ちゃんカセキちゃん♪」
俺が削って表面がガタガタになるくらいならカセキに頼んだ方がいいだろうと仕事ついでに研磨を頼んだところ、片手間程度の時間であっという間に仕上げてしまった。
弾んだ声音の礼の通り、うれしそうな顔でゲンは手のひらに載せた小石を撫でている。そんなゲンを見て、カセキが不思議そうに首を傾げた。
「喜んでくれるのはうれしいがの、なぁにがそんなにうれしいの? ただの平たい小石よ? これ」
「んーっとねえ、これと似た感じの金属の円板を使ってね、よくマジックやってたの。定番の小道具ってコト」
にこにこと笑いながら、カセキの目の前でゲンは小石を右手へ左手へと軽く投げ渡す。次は右手から左手……と投げようとして、パッと地面に向かって右手を開く。だが、そこから落ちる筈の小石が落ちてこない。軽く握り直された手が天に向かって開かれれば、あるはずの小石は行方不明。にもかかわらず、また握り込んだ右手からは、さもさっきから居ましたが? というように小石が左手へと飛んでいく。
超絶シンプル、俺でもこうしたんだろうとタネが分かるほどのド定番。けれど、本当に消えていたのではと思うほどの鮮やかな手捌き。
「オホーッ! スゴいじゃないの、ゲン! ワシせっかく作ったのにもう無くしちゃったのかと一瞬思っちゃったわい!」
「やだやだ、そんなもったいないことしないよ~!」
「ククッ、やるじゃねえか流石だなぁマジシャン」
「お褒めにあずかり~♪」
「すごいのう、もっと見せてちょ!」
カセキの声が聞こえたのだろう、なんだなんだとクロムがやってくる。似たことをやって見せ、クロムがヤベーッ!! と叫び声を上げ、それを聞いてまたスイカやコハクたち鍛錬組をやってきて……といつの間にやらゲンを囲むように皆が集合していた。
「コハクちゃんの目にだったらバレちゃうかもな~♪」
などと言いながら、コイン代わりの小石を消しては現し消しては現し、と目まぐるしく動かしていく。
「さあ小石はどーこだ?」
「……絶対に左手だ」
「本当に? はい、左手オープン!」
「なっ!? 間違いない、確かに左手の中に小石が入ったんだ! 無い筈が無いぞ!?」
「ぴんぽん、ぴんぽん、大正解♪ さっすがコハクちゃん引っかからなかったね~!」
「なんで今なかったのに握って開いたら小石があるんだよ!?」
「オイ千空! これどういうことだ!?」
「あ゛ー……マジシャンの目の前でネタバレはご法度だろ」
「うん? いいよ、こんくらい。誰でも知ってるようなマジックだし」
「そうかよ。……バックパームと同じだろ、開く時に指で挟んで隠してるだけだ。だろ?」
「ご名答~! こんな感じ」
ひょい、とゲンが皆に向けて手の甲側を見せた。真っ直ぐに伸ばされた指のぎりぎりの位置に小石が挟まっている。そのまま手のひら側を見せるが、指の後ろに小石があるとは全く思えない自然さだ。全員が、感心の声を上げる。
「あとは~……こういうのの方が盛り上がったりすんのよね~」
そう言いながら、小石を挟んでいた指を軽く皆に差し出すように向ける。そして。
「ヤベーッ!! なんかカッケェー!」
「石が生きてるみたいなんだよ!」
くるくると回転しながら、小石が指の背を渡り歩いた。親指側から小指の側へ、手の中を通りまた親指の側から小指の側へ。数周回してから今度は逆回り。ただそれだけのこと、だというのにやけに目が離せない。
「あっはっは! ゴイっスー楽し~!! やりがいある~!!」
ケラケラと上機嫌で笑いながらも、小石は右手を渡り終え、添えた左手を渡り、両手使いで動き回る。大盤振る舞いだな、こいつ。
「ねえねえっ、それってさ、僕でも出来ちゃったりする!?」
「もちろん♪ 慣れれば銀狼ちゃんでも誰でも出来ると思うよ~」
「ホント!?」
「うん。平たい小石を見つけたら俺んとこおいで、教えたげる」
「ええ~、それ貸してよぅ」
「だ~め。これはカセキちゃんから貰った俺の為の道具で~す!」
小石を動かすのはやめ、けれど手持ち無沙汰なのか、ゲンは小石を左手で持ち上げては右手に落とすということを喋りながらも繰り返している。上から下へ。上から下へ。上から下へ。下から上へ。
「……あ゛?」
何となくその動きを皆も目で追っていたのだろう、全員がぴたりと動きを止めた。
「あれ? どしたの、皆」
「……今テメー、何した?」
「ん? ……あ~、これ?」
無意識にやっていたのだろう、少し考えたあと、ゲンが先ほどの動きを再現する。右手に乗った小石が、重力に逆らうように少し上にある左手の中に吸い込まれた。
「はあああああ!?」
「い、石が浮いたんだよ!?」
「これは……まさか本当の妖術か!?」
「千空!」
ざっ! と全員が俺を振り向く。が、俺もこれは知らない。ブンブンと首を横に振ると、今度は一斉にゲンへと振り返った。
そんな俺たち全員の顔を見渡し、ニンマリそりゃもういけ好かないドヤ顔をして、ゲンは
「タネも仕掛けもございませ~ん♪」
と、お決まりの文句を言ってのけた。
「……で、実際ありゃどうやったんだ?」
「ネタバレはご法度なんじゃなかったの~?」
あのあと大騒ぎになった面々を上手いこと宥め、青空即席マジックショーは終演した。口々にどうやったんだと聞かれてもゲンははぐらかし続けたが、やはり気になるものは気になる。寝る前にやはり気になり訊ねたら、ニヤニヤと笑われてしまった。
「物を浮かすっつったらテグスなんかの見えない糸が定番だったろうが、ここにんなもん無えからな。正直サッパリわかんねえ」
「千空ちゃんでも見破れないって気持ちいい言葉だねえ」
ゴソゴソとあの小石を取り出して、もう一度あのマジックをゲンは見せる。下から上へ。下から上へ。
「さあ、どうやってるんでしょうか?」
「……手ぇ見せろ」
「はい、どーぞ」
差し出された両手をとってじっくり眺める。何か仕掛けの跡でもないかと探してみたが、どう見てもここに仕掛けがあると思えない。
「クッソ、わかんねえな……」
「言ったでしょ、タネも仕掛けもございませんって」
「んな訳あるか、どんなトリックにも仕掛けは」
「だってこれ、トリックっていうよりテクニックだもん」
「……は?」
まあ見てご覧よ、とゲンは手のひらに小石を乗せる。はい、というかけ声と共に、小石が浮いた……というよりこれは、跳ねた、のか?
「このテクニックをマッスルパスと呼びます」
「マッスル、パス……あ゛!?」
「いえ~す♪ つーまーり! 正解は、手のひらの筋肉を使って飛ばしました~でした!」
「力技じゃねえか!」
「そうだよ」
まさかマジックにそんな脳筋な答えがあるとは思わなかった。
「俺も知ったとき『そんな力技ある!?』って思ったよね~、爆笑しちゃったもん。絶対モノにしようコレって」
下から上へ。下から上へ。笑いながらゲンは小石を動かし続ける。
「これ単体で見せるというよりコインマジックに組み込むための一技術って感じかなぁ、俺としては。出来る範囲が広がるからね」
そういうものか。そうか、だからあの時こいつは俺たちに『見ろ』と注意を引きもしなかったのか。動いていたから何の気なしに見てはいたが、あれは正しく手持ち無沙汰の手慰み程度の気持ちだったのだろう。
「……もっかい、手ぇ見せろ」
「見てどうすんの? 別にいいけど」
差し出された手のひらを、両手で持って確かめる。身長体格から考えてもややデカい手、指、そう思って触ると確かに俺の手とは違う鍛えられたものに感じられた。これは、時間を積み上げて作り上げた技術者の手だ。
くすぐったいから止めてくれ、とゲンが困った声でストップをかけるまで、俺は妙に感じ入ってずっとその手を眺め続けた。
(……、ん?)
深夜、不意に意識が浮上する。雲が切れたのだろう、月明かりが顔に当たっていささか眩しい……と、思ったところでふと翳った。うっすら目を開けると、起き上がっているゲンの姿が見えた。コイツの身体で光が遮られたらしい。
逆光の中でシルエットが浮かぶ。軽く手を突き出して、ゆるゆるとコインロールを続けている。こんな夜更けに、静かに。
声をかけるか迷っていたら、掠れた小声が聞こえてきた。
「大丈夫」
呟きは、確かにそう聞こえた。
「大丈夫。まだ動く。まだ分かる。……大丈夫、大丈夫だ……――」
事実を確かめるように、自分へ言い聞かせるように。小さく小さく、囁いて、ひらひらと指と小石を踊らせ続けている。
(……、油、を)
なにか、手荒れのケアが出来るものを用意しなければ。薬品で荒れまくった俺の手に比べればマシとはいえど、あの指も傷んでいた。丹念に手入れされていただろう、商売道具の手指だ。こんなに傷んだことなど今までなかったのではないか。
現時点で、カセキに次いで器用なのはこの男だ。それにマジシャンは指だけでカードの厚さなど覚えているもんだ、その感覚が鈍るのは今後の工作を任せるにあたってもよろしくない。
(いや、こんなもんは後付けの理由か)
きっと俺は嬉しいのだろう。この男が根っからマジシャンであることが。
人が、コミュニティがあるのなら、メンタリストとしての能力は有用だ。だが、マジシャンとしての能力はぎりぎりの生活の中では不要なものだ。衣食住が不安なく満たされ、生活に余剰が出来て初めて見向きされるものだ。文明社会があってやっと成り立つ余暇のための職業。
けれど、この男は石だらけの原始世界ですらそれを捨てていない。
俺は、その矜恃が、嬉しい。
お前が矜恃を持ち続けるというのなら、俺はそれに報いてやりたいとも思うのだ。
いまだ眠る気配のない男から視線を外し目を閉じる。目蓋の裏で美しい指がひらりと踊る様を眺めながら、俺はゆっくりと意識を手放した。