Twitterまとめ6戯れる猫が二匹 羽織の内側にあれこれ仕込みをしているくせにガチャガチャと物音がしないのはどういうことなのだろう。普段はあれだけ喋り倒して身振りすらも騒がしいのに、足音を立てずにするりとラボに入り込んできた存在の静けさに目を見張る。
「どうした、メンタリスト」
「ん~? ああ、まぁ」
「ゲン」
顔だけ向けて呼びかければ、彼は短い眉を下げて薄く笑う。それを見て身体ごと振り返ろうとするが、彼は手を伸ばして俺を押し留めるように肩に手を置いた。
承知したと身体の向きを前に戻したら、手が離れた代わりに丸くて固めの重さが乗っかる。
「オイ」
「うん」
そのまま乗せた額をぐりぐりと肩に擦りつける。揺れる髪が頬と耳に当たってこそばゆい。
あのな、俺をテメーが分かるみたいには俺はテメーの考えてることなんざ分からねえんだよ。そこまで情報持ってねえから心当たりだって思いつかない。
「……お疲れさん」
今テメーを悩ませている理由が分からないから、ただ在り来たりな労いの言葉をかけるしか出来ない。
肩に乗る頭へ、先ほどのお返しとばかりに頬というか側頭部を擦りつける。耳同士がぶつかってくんにゃりと折れ曲がる。
「……んっ、ふふっ」
堪えきれない、というように笑う声が漏れ聞こえてきた。それからまたぐりぐりと、今度は戯れるように肩へ額を擦りつける。
「やーめーろ、くすぐってぇんだよ」
「え~? ふっ、ははっ」
動く頭を押さえるようにぐいぐいと側頭部を押し付けたら相手も同じように押し返してきた。押して押されて、と暫く遊んでいたが、ややあって彼は力を受け流すように首を傾け、するりと俺に頬擦りをした。
「機嫌は直ったのか? メンタリスト」
「おかげさまで絶好調~」
「そりゃ重畳だ」
僅かばかり振り返って顔を寄せる。やわらかな頬に鼻先が沈む。するり、またあちらが動いて鼻先が触れ合う。
お互い小さく笑ったら、ほのかにあたたかな吐息だけが混ざった。
「よし」
触れていたぬくもりが潔く離れていく。構われたい時だけ寄ってくる猫が、人に戻る時間がきたようだ。
「いってきます、千空ちゃん」
「おう、行ってこいメンタリスト」
振り返らずにかけた声へ応じるように、羽織が翻る音が聞こえた気がした。
嵐の昼に 嵐が来ると言われたので引きこもることになった。
それならそれでやれることはいくらでもあったのだが、
「千空ちゃ~ん、俺と悪だくみしよ~♪」
と何処ぞのメンタリストが悪い顔をして唆るお誘いをするものだから、人払いをして(というより皆が「聞いて片棒を担がされるのも面倒だから」と自主的に離れた、が正解だ)部屋で向かい合う。
「で? 今度は何を思いついたんだ?」
「うっわぁ~、わっるい顔すんね~」
「ククク、テメー程じゃねえわ」
にやにやと笑う男は、誰も聞き耳など立てていないというのに口元に手を当て耳打ちしようとすり寄ってくる。この風の音では近寄らないと聞き取りづらいのも確かではあるか。相手のノリに合わせて身を寄せ……たところで、するりと身体に回った腕がぐいと俺を引き寄せた。
「あ゛!?」
勢いに任せて床に倒れる相手を押し潰さないよう、なんとか手をついて身体を支える。
「……これが悪だくみの正体か?」
「そ。真っ昼間から俺とイケないことしよーよ」
「テメーなぁ」
「ちなみに周りから『あの時の悪だくみとやらはコレだったのか』って思われるドラゴ稼ぎの案もいくつか用意してあるよ」
冷静になってから話するね、と目の前の男は笑っている。冷静に、なってから。
「今は? 冷静じゃねーのか?」
額を合わせて問いかければ、さぁどうでしょう? とはぐらかす。熱に浮かされようと一瞬で頭を冷やせる男が何を言っているのやら。
「あ゛ー、そうかよ」
込み上げる笑いを喉の奥で殺す。まったく、よくぞ毎回こうも唆る『悪だくみ』を思いつくものだ。
そういえば、と思い出す。声を抑えるのは嫌いじゃないが結構息苦しいのだと言っていたことがあったな、と。
「ちなみに俺は、わりと興奮してるわ」
告げれば、組み敷かれた相手は満足そうな顔で俺の背に回した腕に力を入れた。
鳩の棲家 ずっと世界各国を忙しく駆けずり回っている(回らされている)男が久しぶりに捕まった。
会わずとも資料を送って電話で補足を伝えれば済むような用件ではあったがそれを前置きした上で時間があるなら久しぶりに飯でも食いながら話さないかと誘ったら、運良くこちらでやる仕事の期間とかち合ったらしく、会いに行く! と弾んだ声で返事をもらったのが一週間前のことだ。
さっさと用件の打ち合わせを済ませ、こっからの会話はプライベートだとばかりに仲間内の近況をだらだらと報告しあう。
「そういや、テメーは結婚とかどうなんだ?」
土産だと鞄から様々なものを取り出してローテーブルに並べる男を見ながら、ふと結婚記念日が近い親友夫婦を思い出して問いかける。
一体何を急に、と片眉を上げて訝しそうにした男は、手に持った土産に目を落として、ああ、と納得した呟いて俺にその土産を放り投げた。
「出会いは大量にあるんだけどね~、いかんせん忙しすぎて余裕ないのよ」
それ大樹ちゃん好きそうだからって買ったやつ、とキャッチした俺の手元を指差しながらゲンは言う。成る程、コレを見て俺の唐突な問いかけが親友夫婦を思い出したからだと気付いたのか。相変わらず察しが良すぎる。
「あんのか、大量に」
「そりゃあね。どんだけの人間と接してると思ってんのよ、老若男女多種多様に出会ってるって」
「そりゃそうか」
メモに大樹の名前を書き、受け取った箱に貼り付ける。多分、菓子の類いだろう。ついでに立ち上がってコーヒーポットを手に取る。空のカップ二つに注げば、淹れたてではないけれどふわりと香りが漂った。
どさっと音が立つ。ソファに勢いよく背を凭れさせたゲンを一瞥して、俺も仕事机の椅子を引き寄せて腰かけた。
「一晩だけのお相手~とかもねぇ、ぶっちゃけ俺かなり顔が売れちゃったから……目立つわけにも、ね?」
「こんなになってもパパラッチは居るもんか?」
「当たり前でしょ、スキャンダルほど楽しい娯楽はないもの。俺も流石に不誠実なことはしたくないよ、どこで誰に迷惑かかるか分かんないもん」
「ふぅん」
それでもコイツならば上手くやるだろうと思っていた。仕事が忙しかろうと、人へ情と愛を振る舞える類いの人間だ。受け取れば惜しみなく返す男だ。世の中の目が悪いのか、それともコイツが周りの目を眩ませているのか。
「白状するとさぁ」
「あ゛?」
「居たのよ? ついこの間まで。それなりにいい感じに続いてた人」
「ほ~、ジーマーで?」
「んふっ、そう、ジーマーで」
わざと口調を真似て返せば、くつくつ笑って彼が頷く。少しばかりこの男が目をかけたのはどんな奴だったのか興味をそそられたが、俺が知らない相手だからだろうか、それとももう別れたからだろうか、どんな相手だったかの説明はされなかった。
「フラれちゃったの、ほんとつい先日」
「へえ」
「千空ちゃんとこ行くって話したら、フラれちゃった」
「……、あ゛?」
待て、破局の原因がまさかの俺だと?
「仕事に負けるのは耐えられるけど、絶対に勝てない人間が居るのには耐えられないって」
なんだそりゃ。どう考えても向ける情の種類が違うだろう、なんで俺と張り合う?
呆気にとられた俺を見ていたゲンは、しばらくじっと見つめた後、ふっと表情を緩めた。
「唯一にはなれないのは分かってる、それでも一番にしてくれるだろうことも理解してた、でも『絶対』があることを飲み込み続けられるほど私は物分かり良くいられない」
そう言われちゃった、と。笑う。
絶対。絶対? 何が、ちがう、誰が。俺が。コイツにとっての、絶対の存在らしい。
「……そうか」
「うん」
あの時に司と俺とを天秤にかけ、俺を選んでから、この男はずっと隣に居た。俺も隣に置き続けた。居心地が良く、都合も良く、何というか相性が良いとはこういうのを言うのだろうと思っていたから、ずっと。
間違ってはいない。あっちも同じことは感じている筈だ。けれど、この男は、ゲンは、それだけではない位置に俺を置いているらしい。
情深い男だ、分け隔てて誰かを唯一になどしないだろう。博愛というわけではない、優先順位をつけて誰かを一番に愛することもあるだろう。そんな情からも、愛からも、影響を受けることがない埒外の、絶対。
「だから、もういっかなって。結婚とか、そういうのは」
目を逸らさず、緩やかに笑う。目尻に僅かに皺が出来る。この笑みを武器にこの男は戦い続けて生きてきた。俺を傍らに置いて。
そうか。
「……それなら」
お前が、俺をそこに位置づけるというならば。
「俺も、いいわ。そういうのは」
お前がそこに居るというなら。
「そっか」
「ああ」
「……そっかぁ」
「おう」
感慨深げに呟いてから、彼はカップに手を伸ばし口を付ける。
「飲み終わったらご飯行こっか」
そう告げた時の口振りと表情はすっかりいつもと変わらぬものとなっていた。頷き、俺もカップを手に取る。コーヒーはすっかりと冷めていた。
相も変わらぬ雰囲気で美味い飯と、少しの酒を楽しんで、互いに仕事があるからと早々に切り上げる。
「じゃあ、またね。千空ちゃん」
いつも通りの別れの挨拶を告げられる。
「あ゛あ゛、またな。ゲン」
いつも通りの別れの挨拶を告げる。
いつも通り、そうだ、いつも通りだ。俺はいつも、こいつの『またね』という言葉を疑ったことは無かった、と今更ながらに気が付いた。お前は必ず『また』俺の所へやってくると。
「待ってる」
当たり前すぎて、俺自身言い忘れていることにすら気付いてなかった。お前の告げる別れの挨拶はいつだって俺に離別を感じさせないから、俺も何の不安も持たずに待っていられた。今までも、これからも。
付け加えた俺の言葉を聞いて、ゲンは小さく息を飲み、
「うん」
破顔して頷き、帰っていった。
あの男はこれからも俺の所へやってくるのだろう。あの笑顔を携えて帰ってくるというのなら、それはなかなか良い未来なのではないだろうか。
ああ、歳を取ると涙腺が緩むんだと言っていたのは百夜だったか。全く以てその通りだ。
日々よ、このまま積み重なれ、と。柄にもないことを、願ってしまった。
樹皮のぬくもり ちょっと休憩とばかりに木の根に腰を下ろした。もう冬に向かうというのに今日は日射しも穏やかで暖かい。陽だまりの樹に背をつけたら、ほっこりと温くて思わず気の抜けたため息が出てしまった。
目を瞑る。目蓋を透けるほどの明るい光。葉擦れのささやき。小鳥のさえずり。通り抜ける風が肌を撫でて過ぎていく。
例えば世界が壊れずにあったならば、俺はきっとこの心地好さを味わうことは無かっただろう。ピクニックに行こうと思い立つタイプではないからねぇ、俺。それにこんな立派な樹もそんなに無いだろうし。
(樹、大きな、……そういえば、あれは何の樹だったっけ)
論理的思考を放棄した頭は、飛び飛びに記憶の中から言葉を拾い上げていく。まざまざと目蓋の裏に思い浮かぶのは、人為的に樹皮へ刻まれた傷、失われた筈の暦の概念。俺に与えられた希望。
希望。光。電気。顔を背ける。灯り。試行錯誤。樹皮の感触。工作。かりりと引っかかる頬の傷み。ぬくもり。研究。薬品。
(ああ、そういえば)
あの荒れた指先は昔からなのだろうか、決して器用な方ではない彼はああして傷ませながらも瞳を輝かせて何かを成し遂げていたのだろうか。
(あれもまた軌跡だねえ……)
良いなあ。何をとは具体的に言葉に出来ないしするつもりもない、ただあの傷ましい手が良いなあと思うのだ。
頬を押し付ける。少し痛い。けれどほのかにあたたかい。樹が吸い上げる水の音も耳が良ければ聞こえるのだろうか。
(あの手がこうして俺に触れることはない、から、知りようがないけれど)
きっと同じように少し痛くて、もっとあたたかく感じるのだろう。
日射し。ぬくもり。葉擦れのささやき。小鳥のさえずり。樹皮の感触。草の匂い。土の匂い。風の涼やかさ。小犬の鳴き声と、聞き慣れた少女の笑い声。益体もない時間もこれまでか。
目蓋を上げる。今日も世界は目がさめるほどに鮮やかで、こちらへやってくる少女と君がまるで輝いて見えるようだった。
コケコッコー あれだけ産業として養鶏をしていたんだから、石化後に人が居なくなってからもなんとか小屋から抜け出したり、元から放牧されていたりで生き残った鶏は居たと思うのだ。長い年月で環境に適応して、あの頃とは変わっているかもしれないけれど、探せば近くに生息していそう。
なんでそんなことを言いだしたのかって言えば、単純に魚以外にもタンパク質が手軽にとれるようになればいいなぁと思ったのと、鳥や獣を狩るよりはリスクも少ないし、何より自分が食べたかった。他の物も食べたいのよ、贅沢な旧時代人としてはさ。
ということで、スイカちゃんに『こんな鳥見たことなぁい?』って聞いてみたら、流石によく知っているもんで、たまに見かけるという場所を教えてもらった。
適当に作業を他人へ受け渡し、どんなもんかなと思いながら鶏を探しに行く。野生であるなら警戒心も強いだろう、姿は見えないかもしれないけれど、目的は玉子だし。どんなところに巣があるのか、というのも教えてもらってきた。
探すこと数十分、果たして玉子は見つかった。サイズも見た目も、スーパーで見かけていた玉子そのものだ。よくよく探せば他のところにもあるだろうか、いくらなんでも一個二個だけじゃ……と玉子に手を伸ばした時、羽の音が聞こえた気がした。
音の方向、斜め上を何気なしに見上げ……びくりと身を竦ませた。
振り返った枝の先に、鶏が止まっていた。一羽じゃない。何羽も。目立つ真っ白なアルビノの雄鶏を中心に、雄も雌も、大きな木の伸びやかな枝に、何羽も止まってこちらを感情の分からない瞳で俺を見ていた。
背筋が凍る。指先が冷える。得体の知れないものたちから目を逸らさないように、そうっと玉子から手を引いた。
「……はーい、玉子泥棒は退散しまーす」
降参を示しながら両手を上げて、じりじりと後退する。身じろぎしたり、ばさりと羽ばたいている鶏もいるけれど、基本的には無言でこちらを見ている。見張られている。
不意に白い雄鶏が動いた。
「コォッケコッコォーッ!!」
肩が跳ねる。なんて迫力ある声だ、と思うのも束の間、
「コーケコォッコー!!」
「コッケコッコォー!!」
「コーケコォッコー!!」
「うっわ……!?」
競い合うように鶏たちが騒ぎ立てる。なんかこれバイヤーじゃない!? などと言う余裕もなく、俺は慌ててその場から走り去ったのだった。
へとへとになって戻ったところで千空ちゃんと出会した。
「どうした?」
「……いっぱいの鶏に追い立てられた」
「ゼルダかよ」
だが鶏が居るっていうんなら、人が増えたら家畜化すんのもありだなと千空ちゃんが勝手に納得している。家畜化するんなら、あの白い雄鶏に頭を下げたら何羽か村に来てくれるかもな……なんて馬鹿なことを考えながら、耳の奥にあの鳴き声がまだ残っているような気がして背筋をぶるりと震わせた。
(リクエストお題:ストーンワールドの玉子)
春告げる日 俺の生まれた日は春である。
石神千空が定義した『春』の日付、それが四月一日であり、偶然にも俺の誕生日だったわけだ。
「別に自分の誕生日に思い入れあるってわけでもないんだけどね~、俺」
「そうなのか? てっきり自分の誕生日にかこつけて色んな企画うってたのかと思ってたわ」
ひとの誕生日の話題から俺の誕生日を聞かれて「いやあ~実はその情報は事務所NGなのよね~! いつか復帰するかもだから教えらんないのよ、メンゴ!」と躱してたのを聞いてたらしい。二人きりになってからその話題をふられたので、千空ちゃんには隠すことじゃないので教えたら、何だか面食らった顔をしていて面白かった。
「ま、キャラ作りの一環でね~。内緒ですって言うだけで、キャラ作ってんな~ってウケたから」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ」
本当の誕生日を言って、出来すぎてるだとかキャラ作りだとかって笑われ、それで本当は? と悪意なく問われるのよりはずっといい。
「それで~? 千空ちゃん、知ったとこでどうすんの?」
「あ゛ー……どうってこともねえが。知ったからには何かやるよ、ちぃっと過ぎたがな」
「え、要らないけど?」
そもそも普段から千空ちゃんの恩恵を俺含めて皆で受け取っているんだから、わざわざ誕生日だからって貰うつもりはない。テスターに丁度良いからか、わりと優先的に貰ってるし。
俺の言葉に千空ちゃんが憮然とした顔をする。ありゃ。
「流石にあんなもん貰って貰いっぱなしにできるかよ」
「ええ~? いや、あれは俺ひとりからじゃないし……」
「テメーひとりにだけ返さないってのもケツの据わりが悪いんだわ」
ああ、ちゃんと皆にお返しするつもりなんだ。こういうところ、千空ちゃんの育ちの良さが見えていいなと思う。
……とはいえ、そうだな、本当に物はなんも要らないんだけど。
「んー、と……ならさぁ、俺いっぺん千空ちゃんに言いたいなぁ~って思ってた事があんのよ。それ、茶化さずに黙って頷いて聞いてくれる?」
「あ゛?」
流石に予想外だったのか、少し驚いたあと、探るような目つきで俺を見遣る。ま、そりゃそうよね。
「無理? ならいいや、えーと……あと他、なんかあるかなぁ……」
「無理とは言ってねえだろ。わかった、聞く」
だろうね、うん、ありがとう。引いたら乗ると思って言ったわ、今のは。
にこりと笑えば、千空ちゃんは僅かに構えるような顔をする。きっとどんな小言を食らうのか、とか思ってるんだろうね。
ちがうよ、千空ちゃん。俺が、言ってみたかったのはさ。
「俺の生まれた日を特別に思わせてくれてありがとね」
あの、刻まれた日付への感謝だ。
「春に起きるのが絶対の条件、だっけ。千空ちゃんにとっての春の定義を暦に表したら四月一日だったっていうのは偶然でしかないんだけどさ、勿論」
けれど君はその日に目覚めて、失った文化のひとつ、暦の概念を復活させた。樹木に日付を刻み込んだ。ぶっちゃけ俺には本当に君の数えた秒数が正しいのかなんて分からない、もしかしたら間違って誤差があるのかもしれない。それでも君が春だと定めて目覚めたのが俺の誕生日だったという『縁』がうれしい。
「この世界で俺が叩き起こされて初めて目にした文化的な物が俺の誕生日の暦だった。な~んも千空ちゃんの意図したことじゃないんだけどね? でも俺は、その日に君が目覚めたっていうだけで感謝してんの」
言ったでしょ、会う前からわりと好きって。他にも理由はあるけれど、これも好きの理由のひとつだ。
「以上。聞いてくれてありがと、千空ちゃん」
俺みたいなのから、こんな真正面に感謝や好意を伝えられると思ってなかったのか(天体望遠鏡のプレゼントの時には、ちゃんと逃げ道用意してあげたしね)千空ちゃんは痒くて仕方が無いのに手が届かないみたいな顔で視線をうろつかせている。茶化さずにただ頷いて聞いてくれ、と先に言ったから何も言えないらしい。
「あ゛~……」
俯いてガシガシと髪をかき回し、ブツブツと何かを呟いてから、
「ゲン」
真っ直ぐに、生真面目に、俺を見て。
「あの日がテメーの……いや、ちげえな。テメーの生まれた日が、あの日で良かった」
告げた。
学年が変わるだとか進学で散り散りになるだとか、何かと忙しくて祝われにくい日程で。本当とも嘘ともつかないペラペラと軽く話すからってそんな設定まで作らなくても、と言われる日付で。他人を祝うのは楽しいけれど、自分からは祝われることを避けていた、この日を、彼は。
「──今までで一番の言祝ぎだよ」
たった一言で、愛おしい日に変えてしまった。
「前言撤回して、皆に誕生日言い触らそうかな……」
「なんだそりゃ」
「いや……今のでめっちゃ四月一日が誕生日なこと、うれしくなってきた」
「キャラ作りどこ行ったんだよ、ブレブレじゃねえか」
「えー、だって」
「祝える限りは俺が毎年祝ってやる」
皆からのお祝いが、君ひとりからのお祝いと等しい重さだと思ってるの? やだねぇ、これだから愛され慣れた子は。
「そーお? なら今のところは従来通りミステリアスなあさぎりゲンのままで居ようかな」
俺、その可愛らしい傲慢さと独占欲と悋気、嫌いじゃないよ。千空ちゃん。
なにがミステリアスだよ、と呆れながらも満足げな顔をする科学少年へ、俺はにこりと笑いかけた。
(リクエストお題:自分の誕生日に千空が目覚めたんだなあと改めて思うゲン)
伊達メガネの影響 待ち合わせ時刻は十一時半、場所は店のすぐ傍。救護の為の発車時刻遅延で五分くらい遅れるから先に店内に居て良い、とメッセージが届いたのは待ち合わせの十五分前。
(……つっても、なぁ?)
現地に来てみれば、その店はどちらかと言えば女性客で賑わうイタリアンだった。気にする程でもないが、あの中で一人待つのも落ち着かない。店先で待ってる旨を返信して、読みかけの論文に目を通していることにした。
「メンゴ~! 待たせちゃって!」
時折、駅からの道に視線を投げながら待っていたら足早に歩いてくるひょろ長い男の姿が目に入った。あちらも気づいたのか駆け寄ってくる。
「おう、久しぶり」
「うん。こんなとこで待ってないで中に居たら良かったのに。今日寒くない?」
「あ゛ー、昨日あったかかったから余計な」
「ホントだよ油断した~、あったかい日続いたから今年こそは無精せずに! って早めに冬物コートまとめてクリーニング出したとこだったのに」
「ククク、そりゃ残念だったなァ? 裏目に出ちまって」
喋りながら扉を開けて店内へ入る。店員に席まで案内されながら、だからかぁ、という呟きを背後から拾う。
「何が『だから』なんだ?」
向かい合って座ってから問えば、眉を下げてゲンは小さく笑い
「いや。やっぱり俺が遅れちゃったのが悪かったなぁって」
「不可抗力に文句言ってもしょうがねぇだろうが」
「それもそうなんだけど」
どうやら店の雰囲気を見て、俺が一人で待つのに気後れしたことがバレたらしい。確かにコイツなら気にせず待てるだろうからすぐに思い至らず、ってとこが気になったんだろう。謝られることでもないんだが。
「そういや、ソレどうしたんだ?」
気にすることじゃない、と言う代わりに話題を変えれば、意図を汲んだ奴はあっさりとそれに乗っかった。
「あっ、これ? この前見かけてつい買っちゃった~! どう? 似合う~?」
にまっと笑って触るソレ、顔面に鎮座するデカい眼鏡。視力が悪いわけじゃないから伊達だろう、べっこう色で妙に存在感がある。どう、と言われると……そうだな。
「胡散臭え」
「ドイヒー! いい感じじゃ~ん!」
「似合わねえとは言ってねーだろ。いつものクソでけぇグラサンどうした?」
「胡散臭いもんが似合ってるってなかなかの暴言よ……? いや、ほら今日ラーメンじゃないし」
返答に首を傾げる。何故ラーメンじゃないからグラサンではなく伊達メガネになるのか。
「ラーメンはメガネくもるじゃん。それにあっちは客層と俺のファン層と被る割合低いし、滞在時間も短いからね~。そうバレないし、バレたとこで興味そんな持たないだろうから良いんだけどね」
「……テメーそういうの気にしてたのか?」
「気にしますけど!? プライベートはある程度分けたい派よ、俺」
「いや……」
思い返す。知り合って、気が合って、それから今までで何度か出掛けた時の姿を。
「どう考えても人目気にして変装してるって感じじゃなかったろ?」
ほぼグラサンしてただけじゃねえか、それも目が見えるくらいの淡い色の。たまに帽子も被ってたか?
「ああ、千空ちゃんと並んでっと皆その髪型に目が行くからね~! 隣に居る俺のことまで気付かないのよ。有難いことに。だから顔がすぐに分からない程度で十分なの」
このメガネと同じでさ、と奴がにんまりと笑う。
「派手なもの、キレイなものって、目眩ましにピッタリなんだよね~!」
「……成る程なァ」
確かに、いつもの人を煽り立てる笑顔を浮かべているというのに、派手なべっこう色の伊達メガネの印象が大きくて……邪魔だ。顔が見えない。
「道理でいつも隠したいんだか隠すつもりないんだか分からねー雑な格好してる訳だ」
そんな感想を口に出すわけにはいかないので、次点で思った事を伝えたら笑われた。
「そう言わないでよ~、雑で良いから千空ちゃんと居るの楽なのよ」
「隣の奴のが目立つ方がいいってんなら司もだろ」
「いや、司ちゃんはそれどころじゃないっていうか……むしろ俺もバリバリの芸能人オーラ作って『話しかけたい!』って思われないようにしないと……囲まれるから……」
「囲まれる……」
「司ちゃん人が良いから声掛けられたらきちんと対応しちゃうし、それ見て『自分も!』って集まってきちゃうのよ……もう最初から『ここ世界違いますから~!』ってバリア張っておかないと、おでかけ楽しみにしてた司ちゃんの休日がファンサで終わってしょんぼりさせちゃう」
「俺と出掛けた時そうはならなかったぞ?」
「そりゃ千空ちゃんと一緒だもん、ならないでしょ。コンビとして見た目が異質過ぎて声かけづらいもん」
「そんなもんか」
サッパリ分からないが、そんなもんだよ、とコイツが断言するのならそうなんだろう。
「たかがその辺に出掛けるだけでも面倒くせーもんだな」
それこそ、仕事仲間の友人がやっているという店に行ってみたい、なんて今回の場合も、コイツからしたらいちいち考えないといけないことが多いらしい。そういうお仕事だからねえと笑う、コイツの苦労を理解するのは出来ないだろうが。
「時間取れる時ならいつでも付き合ってやるから、目眩ましに利用したい時は呼べよ」
盾として優秀だと思われるのは、存外悪い気分じゃない。
「──いい男に育っちゃって、まぁ」
「どっかのオニイサンの教育の賜物だわなぁ」
「やっだ~、誰だろ~そのゴイスー優秀なメンタリストって~!」
「それは言ってねえよ」
茶化した口調で返事がくるが、顔のニヤけが抑えられてねえぞ? 自称ゴイスー優秀なメンタリストさんよ。
「あー、と……えっと、目眩ましにしたいからって呼んでるわけじゃないからね?」
「あ゛? んなもん分かってるわ」
「あっハイ……ですね……」
へらりと笑う、珍しく本気で照れている顔。でもその顔の真ん中には普段ないものがある。やっぱり、邪魔だ。
「え」
「あ゛? ……、あ゛!?」
手を掴まれた。何故か。俺がコイツの顔に……伊達メガネに、手を伸ばしたから。まったくの、無意識で。
気付く。気付かれる。互いに顔が引き攣っている。
「いや、ぁ……この店、暖房わりと効いてるねぇ~」
「あ゛あ゛……今日、外、寒ィからな……」
ご注文はお決まりですか? と声をかけられ慌ててメニューを開くまで、二人で顔を染めたまま固まっていた。
(リクエストお題:三寒四温と伊達メガネ)
菜の花 夜明けの直前、二人でそっと寝床から抜け出した。
用事、という訳ではない。変な時間に目が覚めて寝返りを打ったら、同じように起きてしまったらしい赤い瞳と目があったのだ。千空ちゃんもう起きたの、そっちこそ、なんてぼそぼそ喋っていたらすっかり頭も起きてしまって二度寝もうまく出来なくなってしまって。散歩でも行く? と誘ったのは俺の方。元旦じゃないが日の出でも拝むか、と答えたのは彼の方。そうしてまだひっそりと眠る村の中を通り抜け、うす暗い中を並んで歩いた。
寒さも大分和らいだとはいえ、日が昇る前はまだ些か冷える。暖を取ろうと腕に引っ付いたら、歩きにくいと顔を顰められてしまった。それでも振り解かれないのを良いことに、邪魔にならない程度にくっついて歩き続ける。
少しずつ空が明るくなってくる。今日の朝焼けも美しい。目的なくふらふら歩いていたが、ふと不思議なにおいが漂ってきた。決して良い香りではないが、動物臭とも違うようだ。千空ちゃんも気付いたらしい。二人でそちらに足を向ける。
「……へえ」
「わお、ゴイスー」
明るくなってきた空の下、見つけたのは菜の花の群生地だった。やわらかな黄緑色と鮮やかな黄色。春めいた色彩に俺は思わず呟いた。
「咲く前に見つけてたら料理に使えたのに……!」
隣で千空ちゃんが吹き出すのが聞こえた。振り向いたら、顔を背けて笑っている。いやいや、野菜のひとつだって大事よ? 食の重要さは君が一番分かってんでしょうが。
「咲いたら咲いたで利用出来んだろ」
「んー? 菜の花、菜の花、いちめんのなのはな、いちめんのなのはな、いちめんの……あっ菜種油」
「水車もあるから搾油も問題ねえ。……なあ、さっきの何だ?」
「ん?」
さっきのとは何だろう。今の一連のやりとりで何かおかしなことはあっただろうか。
「なんで菜の花始点で連想すんのに『一面の』って指定したんだ? 何か意味あんのか」
純粋に、思考パズル的な理由があるのかと問いかけてきた千空ちゃんに目を瞬かせる。
「いんや、これ有名な詩。意外ね、博覧強記の千空ちゃんもこういうのは守備範囲外だった?」
「そうそう何でも知ってるわけねーだろ」
苦笑交じりに言うけれど、俺は君が知らないことなんて殆ど無いんじゃないかくらいの気持ちだったよ。
「ええと、見たこととか聞いたことない? こういう詩なんだけど。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな」
「いや、こえーわ。そこまで重なると」
「コレが三節あります」
「……へえ」
「まっ、詩をどう受け止めるかは人それぞれの感性に依るからね~。ただひたすら積み重なって続くものがちょっとこわいなと思う感覚は分かるよ、俺も」
たとえば? と彼が聞く。たとえば、と俺は答える。
「……君が三七〇〇年ずっと秒数を数え続けていたこととか」
狂気の沙汰でしょう、そんなもの。正気を疑うし、なんてイカレた奴だと思うもの。
そんな俺の暴言を、千空ちゃんは静かに聞いている。口元には僅かな笑み。多分、俺も笑っている。
「残念だったな、そんなイカレた野郎に捕まっちまって」
「いやぁ、こんな世界じゃ程好くイカレてるくらいじゃなきゃ生き残れないっしょ? イカレた野郎にこそ俺はいかれちゃったのよ」
いつの間にやら朝焼けの赤はいずこかへ消え、白々と辺りは朝日に晒された。風が吹き、それに揺られる菜の花たちに千空ちゃんは顔を向ける。
やわらかな日射しは彼にも注がれて、まろやかな頬の産毛を輝かせる。まばゆさに目を細めるその横顔を見るこの特等席は、限られた人間しか得られない。触れる権利なら、なおのこと。
少しだけ屈んで顔を傾け、頬へ産毛にだけ触れるかのような口付けを落とす。横目で見てから、彼は俺を振り返った。
「そっちじゃねえだろ」
温もりだけが触れる距離で頬に伸ばされた指先が促す。それは失礼、ともう少しだけ屈めば、かさついた唇が迎えに来る。食むように触れて、あっさりと熱は離れていった。
「戻るか」
「そうね~、日も昇ったし」
時間切れだ。踵を返す彼の半歩後ろをついていく。行きよりほんの少しゆっくりした足どりに思えるのは俺の願望だろうか。
「今日もクッソ地道に働きましょ~、ってね」
「テメーの大好きなドイヒー作業も待ってんぞ」
「それはご勘弁」
皆もう起き出したのだろう、人の気配、ざわつきが何となく感じられるようだ。さあ、君と人類史を取り戻す一日がまた始まる。伸びをしたら、雲雀の鳴く声が響いた。
引用:山村暮鳥『風景 純銀もざいく』
(リクエストお題:菜の花、産毛)
あした天気になぁれ 私ね、すごい子だったの。同じくらいの大きさのみんなよりずっと長く息を止めていられるし、ずっと海の深くまで潜れるの。もちろん大人に比べたらまだまだだけど、みんなよりたくさん貝を捕れた。
みんなも、私より小さい子たちも、大人だって私のこと『すごい!』って褒めてくれた。だからね、私ね、すごい子なの。すごい子だったの。なのに。
千空が村に来て、村長になって、色んなことが変わった。病気の巫女さまは元気になったし、美味しいものもたくさん食べられるようになった、冬の寒い寒い日だって家の中があったかくなったし、夜の真っ暗も真っ暗じゃなくなった。村に今まで居なかった大人がいっぱい増えて、にぎやかになって、私たちにやさしくしてくれる人もいっぱい増えた。何してるのかよく分かんないけど、千空とゲンが言うことを手伝ったらあとで村のみんなにとって良いことがあるから頑張って手伝ってる。
たのしいこといっぱい増えたよ、良いことだってたくさん増えたの。私、いまの村だって大好き。
でも、私、もう、すごい子じゃなくなっちゃった。
学校っていうので、文字っていうのを教えてもらった。海の深くまでうまく潜れないっていってたあの子はもう全部おぼえてる。全然息を止めていられないっていってたあの子もキレイに書けたねって褒められてる。
私は、まだ、書けない。読めない。何度見てもヘンテコなぐにゃぐにゃの線にしか見えない。でもみんなどんどん覚えてく。私はまだ覚えられない。
「羽京! これ見てなんだよ!」
「どれどれ? わ! すごいな、スイカ。もう完璧だね!」
またスイカが褒められてる。スイカは最初に千空がここに来たとき、コハクやクロムたちといっしょに居たから、私やみんなよりは新しい人たちと仲良しだ。千空たちのおかげで目がボヤボヤ病が治ってから、スイカは役に立つんだって頑張ってる。教えてもらったんだよ! って言って、色んなことが出来るようになった。今じゃ私たちのリーダーみたい。
(スイカはなんにも出来ないんだよ……)
うそつき。そう言ってたくせに。ズルい、なんでスイカはなんでも出来るの。
俯いて持ってる紙を見る。ここに書いてあるのが何なのか、見つめてもやっぱりわからなかった。
もやもやするから海に向かった。今日は波も穏やかだ。勢いよく飛び込んで泳ぎ回る。一度海面に顔を出し、息を整えて、たくさん吸ってから潜った。深く、深く、深く。そうして潜ったら、おおきな巻き貝を見つけた。素早く捕まえて、岩を蹴って上に戻る。岸に上がって、さっそく誰かに見せようって思って、きっとすごいって言ってもらえるって思って、
(でもみんなが覚えてる文字もわからないくせに)
……急にこわくなった。
だれもそんなこと言わないよ、でも本当に? おおきな巻き貝捕れたって文字も分からないんじゃ全然すごくないよって言われたらどうしよう。
私、すごい子なの、すごい子だったのに、いまは、何にもすごい子じゃなくなっちゃった。
「ふ、……ふぃ、う、ぐぅっ……う、うぇぇぇぇええええん! うわあぁぁぁ~!!」
かなしい、かなしい、かなしい。私、みんなよりすごかったのに、すごかったのに! このおっきな貝を見て! 私たくさん潜っていられるの、前よりもっと深く潜れるようになったの! でもみんな出来てることが私には出来ないから、誰ももうすごいってきっと言ってくれない。かなしい、かなしい、かなしい!
「どうしたの? 何かありましたか? もしかして怪我?」
声がして振り返ったら、巫女さまがこっちへ走ってくるところだった。
「み、っみこしゃま、っく、ひっぐ!」
「あらあら、どうしたの、そんなに泣いて」
「わた、わたしっ、すごい子じゃ、なぐ、なくなっちゃっだ、の!」
「まぁ……どうしてそう思ったのですか?」
巫女さまは、背中を撫でてくれながら私の話を聞いてくれた。しゃくり上げてうまくしゃべれなかったから、やっと話し終えた時には私はすっかり疲れてしまっていた。
「たしかに文字は覚えた方が便利でしょう、でもね、千空たちの居た旧世界にも、とっても有名で尊敬される人だけれど文字が読めない人も居たそうですよ」
「……ほんとう?」
「ええ、それは生まれ持ったものだから、決してあなたが悪いわけではないのです」
「なんでみんな、あんなぐにゃぐにゃの線のこと覚えられるのって思ってたの……巫女さま、私だめな子じゃない?」
「ええ、もちろん。色んな人が居ていいんです、それこそが大事なのですから。出来る人が居て、出来ない人が居て、それで良いんですよ。私にだって出来ないことがたくさんあります」
出来なくても大丈夫、と巫女さまが頭を撫でてくれた。あたたかくて、やさしいおてて。
「巫女さま、あのね、私、文字がわからないの。でもね、これ、さっき海で獲ってきたの」
「わっ、おおきな巻き貝!」
「私、海に深く潜ってこれ獲れるよ、みんなが出来てること出来なくてもね、あのね、」
「うん、なあに?」
「……私のこれ、文字が読めなくてもすごいことのまま?」
巫女さまはにっこり笑って、巻き貝ごと私の手を両手でぎゅっと握って。
「はい。文字が読めようと読めなかろうと、あなたの特技はすごいことのままよ」
よかった。よかった! ほっとしたらまた涙がボロボロ落ちてきた。つらかったのね、って巫女さまが抱きしめてくれる、だから私もぎゅっと抱きついた。
「みんな私に出来ないこと出来るようになって、でも私、みんなが出来ないこと出来たときみたいにみんなのこと『すごい!』って言えなくて、なんで私は出来ないのに、ズルいってばっかり思ってて」
「でも言わなかったのね?」
「うん……」
「そう。かなしいのに我慢してえらかったですね、いいこ、いいこ」
褒めてもらえたの、ずいぶんと久しぶりだ。ぐしゅぐしゅとずっと泣いている間、巫女さまはずっと抱きしめてくれていた。
頭がぼんやりする。あったかい。あれ、巫女さまに抱きしめてもらってたんじゃなかったっけ、なんかゆらゆらする。
「……です、ぐにゃぐにゃの線だと」
「うーん、やっぱディスレクシアの可能性高いねえ。千空ちゃんに相談してみるよ」
「その時は私も一緒に聞かせて下さい。この子にももう少し詳しく聞いてみますね」
「お願いね、ルリちゃん。俺や羽京ちゃんよりも巫女さまのが適役だし。こんな泣き疲れて寝るほどだもん、相当しんどかったろうねえ」
「ええ。ゲンがいち早く気付いてくれてよかったです」
巫女さまの声とゲンの声がする。何を話しているのかはよくわかんない。またまぶたが重くなってきた。
明日も学校だ。寝て起きて朝になったからって文字が読めるようになるわけじゃないけれど、出来なくてもいいって巫女さまは言ってくれたから、もうちょっとだけ頑張ってみよう。それからもしも明日も晴れてたら、文字を書いて褒められている子のことを『すごいね』って言ってあげるんだ。私のことを言ってくれたみたいに。
どうか晴れますように。遠くなる声を聞きながら、そう祈った。
(リクエストお題:科学王国のこどもたち)
起きた後が恐ろしい「大丈夫?」
声が聞こえる。頭のすぐ横。身体の右側がぬくい。
「珍しいね、千空が酔い潰れるとか」
「毎日これだけフルスロットルで働いてりゃあねぇ~、疲れも溜まってたんじゃないの?」
酔い潰れる? 誰が。俺か。そういやそうだな、頭が働いてないし船の上でもないのにふわふわと揺れている。状態を自覚出来る程度なので普段よりは酔っているとはいえ泥酔とまでは言えないのではないだろうか。いや、だが動くのがとにかく億劫だと感じるのだからやはりしたたかに酔ってはいるのだろう。
「連れて行こうか?」
「ん~? そうだねえ……」
そうか、身体の左側がぬくいのは寄りかかっているからか。下手に動かされると目が回る気がする、せめてもう少し待ってくれ。
「っと」
身動ぎされて身体が傾ぐ。なんだよ、動くな。頬に接している側面を辿るように肩口まで頭を持ち上げ、乗せる。何だか据わりが悪くてずりずりと頭を動かし、ようやく丁度良い位置を見つけて満足する。
「……ぷっ」
「ンふっ……! 酔ってんね~」
そうだ、酔ってる。でなきゃ、こんなことしない。酔っているに決まってる。
「あはは、どうやらこのままのが良さそうだね」
「しょーがないな~、暫く我らがリーダーの枕になってあげましょっかね」
「肩掛けになるものとってくるよ」
「ありがと~羽京ちゃん。あと水も持って来といてもらえる?」
「了解」
離れていく足音が聞こえる。そういえば他の声が遠い、離れた席ではまだ盛り上がっているのだろうか、それとももうお開きなのか。目を開けば、ぼんやりとした視界にはほぼ片付けられた机だけが見える。
「……悪ィ」
けれども、もう少し、まだ酔いが醒めないから。
「いーよ。役得だ」
「……ン」
そうか、それなら、いいか。酔っ払いなんか他人に絡むもんだ。触れてきた指を握り返し、ぐるりと回る感覚に任せるがまま目蓋と意識を暗やみに落っことした。
もらった台詞でSSを書く
【お手をどうぞ、ハニー】
「お手をどうぞ、ハニー」
「そいつはおありがてえなァ、ダーリン」
ゼェハァと息を吐き、疲労困憊を全身で表して倒れ込み、それでも俺の手を掴んで立ち上がろうとする。
まだ手を貸せる。いつまで手を貸せる? こんな軽口すら叩けるようにもなったのにねえ。
(出来ることは、やるけどさ)
俺の手が貸せることには限りがあるよ、分かってんだろ? 千空ちゃん。
握られた力はもうすっかりとミジンコなんて呼べなくなっていた。
【俺が守るよ】
「フィジカルな意味じゃあ司ちゃんもコハクちゃんも大樹ちゃんだって居るし、権力的な意味じゃあ龍水ちゃんも居るし。いやぁ~守りは万全な布陣だよね~!!」
ぬけぬけと言う、まるで他人事めいた口ぶりで。その全員が可能な限り最良のパフォーマンスで動くための援護と筋書きをしてんのはどこのどいつだ?
「もっちろん俺~♪」
言えば、にんまりと、嫌らしく、悪辣であると殊更に見せつける笑みで横髪を揺らす。
「勝ち馬にはそのまんま勝ち抜けて貰わなきゃあ困るからねえ」
建て前を口にして、偽悪者は侍る。
「俺が守るよ」
そうして今日も笑う石神千空の後ろには、悪魔の顔をした守護者が立っている。
【俺をこんなに我が儘にしてしまって】
「俺をこんなに我儘にしちまって」
どうしてくれんだ? と問えば。
「元からわりと我儘でしょーが」
と懐の中で奴は返す。
「それを更に増長させたのはテメーだな」
「うわぁ責任転嫁しやがったよ、この子」
笑う振動が伝わる。笑みの吐息が胸元を温める。別に良いんじゃないの、と奴が言う。
「俺きっと得意よ、甘やかすの」
「掌ン中で転がすって宣言に聞こえんのは気のせいか?」
「まあまあ。そんで我が儘坊主の千空ちゃんは、今朝はどんなことをお望みで?」
寝起きで掠れていた声が、段々とハッキリしていく。それが惜しくてしょうがない。
「……先に起きねえで、もうちっと、このまま……」
「三分?」
「……、五分」
はいはいと軽く返された筈の言葉は何故だかひどく優しく聞こえ、たまらず腕に力を込めたら呻き声に抗議をされる。そんなシーツの中の五分間。
【信じていいなんて言ってないけど】
じゃーそれでいいわ、と千空ちゃんはこっちを見もせずに俺の話を受け入れた。
「信じていいなんて言ってないけど」
ちょっとくらいは丸投げしないで吟味なさいよ、まさか聞き流してんじゃなかろうな?
「信じてんじゃねえよ、疑う手間かけてねーだけだ」
ようやく手元から俺に視線を向けた彼は臆面もなく言いやがる。
「どうせ疑おうとテメーにかかりゃ騙されるに決まってんだ、そん時ゃそん時だろ。裏に何かあるか考える時間が無駄だ」
呆れた顔を、俺に向けて。
「第一、何企もうと俺らの不利になることしねーだろ。テメーは」
「~~ッ」
そういうとこだよ、この野郎!
(人はソレを全幅の信頼と呼ぶんだよ!)
【俺にはお前だけだったが、お前は別にそうじゃないだろ?】
「俺にはお前だけだったが、お前は別にそうじゃないだろ?」
「うん、そうね。惜しいもんだよ」
伸ばした指に指が絡む。柔らかな指はそれだけで別の生き物のように俺の手を弄ぶ。
「君も俺だけじゃなければ良かったのに」
にこりと毒気のない笑みを浮かべて、
「他も知っていて、その上で俺しか選べなくなる姿も味わってみたかったな」
どこまでも自惚れた事を言った男は、けれどもう余所見は許さないからないものねだりだと指先に口付けた。
【そう簡単に捕まると思わないでよね】
言葉にしなくとも分かるだろうと、言葉よりも雄弁に瞳と表情と仕草と態度とありとあらゆる言外の表現で伝えてくるのは不器用なのかそれともいっそ器用なのか。
けれども生憎と俺は君と違って、他人に分かりやすく伝える術の補助としてのそのありとあらゆる表現ならば許すけれど、君が敢えて避けている『言葉』ってやつを重要視している人間なので、君が明言をしない限り俺は君の近くに留まっているのみに過ぎないわけで。
なので君が掴もうとしていると俺が理解している筈なのにその手が空振りしたことへ呆気にとられる資格は君にゃ無いのよ、千空ちゃん。
「そう簡単に捕まると思わないでよね」
さあ君が気付くのはいつだろうねえ?
眩しい方へ ただそこにあるべくしてあるかのように三人が居る。
どこまでも対等で、それぞれの有利不利をあるがまま利用する、安定のとれた三人。談笑する姿には気負いもなく、自然で、何というか収まりが良い。
「何を見ているんだい? ゲン」
稽古中だった筈の司ちゃんが隣にやって来て俺に声をかける。ああ、休憩なのね。大丈夫かな銀狼ちゃん。
「きれいな生き物だなって思って」
俺の視線を辿って、司ちゃんも彼らを見る。
「うん。......うん、そうだね」
横目で覗えば、寂しさと眩しさを混ぜこぜにして司ちゃんは目を細めていた。
(君の負い目は、まぁまぁ想像つくけれど)
それでもまだたった四人、彼らと司ちゃんだけが目覚めている時に対立した、その時から今までに君が感じた全ての考えを俺が把握している訳ではない。
でも少しだけ、あの日のスタジオに居た青年の孤独は知っている。
ぽん、と手を伸ばして背中を叩く。司ちゃんがこちらを見た。俺も見返して、もう一度ぽんぽん、と。
大丈夫だと背中を叩く。
「…..…..、うん」
正しく伝わったかは分からない、けれど何かは受け取った司ちゃんはちょっとだけ気が抜けたように微笑んだ。
「うん」
俺も頷いて、笑う。 それからもう一度あちらを向いたら、何故か三対の鮮やかな瞳がこちらに向いていた。
「丁度いい、テメーら手ぇ貸せ!」
潮風に乗って声が響く。
「あ~らら、ご指名みたいよ司ちゃん」
「うん、そのようだね」
顔を見合わせて笑い合って、俺たちは眩しい方へ手を振り歩き出した。
ゆるしの音 その男は部屋の隅、座ってカードを触っていた。カシュカシュと小気味よくカードをシャッフルする音がする。暫くすると、ただ切られるだけだったカードの動きが変わった。数束ずつに分けられては、踊るように動いて一つの束に戻っていく。長い指が広げられ、カードの束を器用に挟み込んでは掌の山へと重ねられる様はそれだけで見応えのあるものだ。或いは滝のように上下からカードが流れ、また或いは片手だけでカードをシャッフルし、ひとつひとつ確かめるかのように動きを繰り返す。
(分かっちゃいたが、やっぱスゲーな)
ある時、思わず声をかけてしまったことがあった。
ぴたりと動きを止め、手元から顔を上げたメンタリストは、きょとりとした目で俺を見ていた。まるで不可解なものを見たような、どうして声がするのか分からないと言うような、――何故人が、俺が居るのかと驚くような。
(……ん、アリガトね~)
少しの間をあけ、それだけを返して彼はまた手元に目を落とした。その時の俺は、この男に備わるサービス精神でこんな技もあるよと披露されたり、もしくはこの程度は何てことはないと自負の言葉や軽口が返るとばかり思っていたのに、おざなりにも思える程あっさりとした礼だけ言われ会話を切られたことに面食らったものである。
今は理解している。これは他人に見せるためにしている行動ではないのだと。マジシャンが他人の目の前で仕込みなんかしない、練習だとて人目にはつかないようするものだろう。あさぎりゲンという男は骨の髄からの職業人だ、その矜恃を持つ野郎がこんな姿を晒したがるわけがない。けれど現実、この男は今まさに俺の目の前で練習をしている。
つまり俺はどうやらコイツの中で、その姿を見られても構わない、という位置づけのようである。
それに気付いた瞬間の、あの動揺を起こした感情を子細に説明する言葉を俺はついぞ持たないが、頭を抱えて机に突っ伏した俺は集中していただろう奴がカードを思わず取り落とす程に『異常』だったと言えば幾分かは伝わるだろう。
こちらを見ない。意識もしない。他人への見せ方を知る男が、見せる事を放棄してそこに居る。俺の傍らに。
カシュカシュと小気味のよいシャッフル音は続いている。あの男が奏でる存在をゆるす音を聞きながら、俺もまた思考の海へと潜り込んだ。
堪え性のない人たち 伸びた手はこちらの顔に向かってやってきた。てっきり頬かどこかに汚れでも付いていたのかと思ったのに、その手は、より正確に言えばその親指は、俺の唇をそっと押した。
目を瞬かせ、何がしたいんだろうと相手を窺う。向こうも、千空ちゃんもまた俺を窺っていた。人の唇に触れながら、ただただ俺を見ている。
(――待たれている)
俺のリアクションを彼は待っている。冗談とするなり、これを引き金に誘い言葉をかけるなり、俺が何らかの言葉を投げかけて物事を進めるだろうことを、彼は待っている、らしい。
僅かに顔を傾けて唇を指の腹へ押し付ける。薄い唇の張りよりも肉厚な親指の腹の方が強い。口唇は潰されて、一ミリ程だけ口が開く。歯が触れる。君は待っている。俺は何も言わない。
きゅ、と拗ねるように彼の口が尖る。普段ならば察しよい俺が何も言わないから焦れているのだ。目尻を下げる俺を見て、反応を待たれている事を知った上で何もリアクションを取らずにいる、と気づいたらしい彼の眉間に皺がよった。
君は待っている。君が俺に何かをする、その行動の許しを。俺が与える筈の大義名分を。三七〇〇年すら待つことの出来る君が焦れながら。
(か~わいい、ねえ?)
そうだね、俺は君を甘やかすのが好きで好きで仕方ないから、いつでも君が望む通りにやれるよう建前を用意しているものね。待てを覚えた犬のように俺の許しを得るのを当然とする、その甘えが可愛くって愛しくって俺はどうにかなりそうだ。
でもねえ、千空ちゃん。俺はそんな君が焦れて我慢が出来なくなった瞬間の、苛立ちにも似た強い瞳もまた好きなのよ。何の言い訳も出来ない衝動に、誰よりも理性的であろうとする君が抗うのをやめる姿もまた俺には堪らないご褒美となるのだ。
何にもしない俺と、何にもしない千空ちゃん。にんまりと目を弓形にする俺を見て、千空ちゃんは小さく目を瞠り、それから片側だけ口角を上げた。するりと撫でるように親指の腹が少しだけ動く。
――さて、先に堪えがきかなくなるのはどちらだろうか。
Free hug 疲れてんなあ、とは思ってた。時々眉間にしわ寄せてるし。
「おっつ~、千空ちゃん。大分キてんね~! 顔バイヤーだよ?」
これは一旦作業から引っ剥がしてでも少し気を緩めさせた方が良さそうだ、そう思ったから。
「お疲れならハグして労ってあげよっか~?」
両手を広げて、ニヤニヤ笑ったりなんかもして、冗談交じりにそう言った。俺としては、呆れるなりイラッとするなりしてもらって作業への集中力を削いで無理やり休憩する方向へ持っていくつもりだったのだ。本当よ、本当。
「……ぇ」
まさか真に受けて腕の中に収まりにくるとは思わないでしょう?
だらんと腕を落として、俺の肩に顎乗せて、寄りかかって。ちょっと千空ちゃん、君そこまで疲れてたの? 言いなよ、休めよ、何やってんだよ。
「……がんばるねぇ」
無駄に虚空をうろつかせてしまった手を、彼の背中に回す。負担にならないよう力は込めずに背に触れた。腕の輪の中で身じろぎもしないで、千空ちゃんが呼吸をしている。吸って、吐いて、吸って、吐いて。合わせるように俺も呼吸を繰り返す。吸って、吐いて、吸って、吐いて。
徐々に力が抜けてきて、俺にのし掛かる重さが増える。それに応じて俺もまた、支えるように腕の力を込めていく。脚の力抜けてガクッといかれたら支えられっかなぁ、俺いっしょに膝ついて潰れるかも。
「……、べつに」
耳の横で、ぼそりと千空ちゃんの低い声が響く。
「疲れてんのなんか無視だ、って、思ってたわけじゃ、ねえ」
「うん、だろうね。自分の意識の中での疲労ゲージ満タンになってなかったから休まなかったとか、そんなとこでしょ?」
「……ん」
「頑張りすぎて鈍ってんね~、そのセンサー」
「そうらしいな」
とんとんと背を叩く。寝かしつけかよ、と肩の上で彼が笑う。
「やめろ、寝ちまうだろ」
あらら、ずいぶんと素直だこと。でも受け答えはしっかりしてる、そんなこと言っても寝落ちすることは無さそうだ。
「仮眠とったらいいんじゃないの?」
「キリが悪い、寝るにしてももう少しやってからじゃねえと」
「そう。んじゃ、もうひと頑張りかな」
わかりやすく、ぎゅうっと力を込めて抱きしめてから身体を離す。それから両手でわしゃわしゃと、特徴的な逆立つ髪に手を入れ、かき混ぜるようにして撫でる。作業から引っ剥がすより、彼の気の済むまでやらせてからでないと半端な休み方しかしなさそうだ。
「じゃ、俺はお茶取りに行ってこよっかな~! それ飲みながらキリのいいとこまでやって、そしたら休む! いいね?」
鼻先が触れそうな距離で俺は笑う。間近で覗いた瞳は、疲れながらもまだ輝きを無くしてはいない。
「熱めの頼むわ」
「りょ~!」
彼はもう俺に寄りかかってはいない。まっすぐ立って、作業机へ向かい直っている。彼はまだ倒れやしない。
「千空ちゃん」
「あ゛?」
「俺のハグで良ければいつでもどーぞ?」
「んなこと俺にしたがる奴、今じゃテメーくらいだわ」
仕方がない奴を見る顔で彼は笑い、とっとと行けと手を振った。
ふぅん、『今じゃ』ねえ? 昔は……うん、居ただろうね。君のお父さんとか。今だって俺以外にもた~くさん居ると思うけど、そう思うなら思っててもらおう。特権ってことで。
「スッキリした味のやつ、フランソワちゃんにお願いしよ~っと」
さて、それでは頑張り屋のリーダーの為、俺もささやかに頑張るとしましょうか。肩の重さを思い出しながら、俺はちょっとだけ歩幅を広くして歩き出した。