先生の『見せつけますか』の匙加減2016年12月24日の夕方。登米夢想の森林組合によるてんやわんやのクリスマス会でもみくちゃにされた百音と菅波は、コートを着込んでオランダ風車のふもとにいた。百音が「久しぶりにオランダ風車にも行きたいです」と言ったところ、じゃあ先生と行ってきなさい、行ってきなさい、としばし送り出されたのである。もちろん、隣り合って並んで歩いていく二人を、全員が隠れているつもりの物陰から見守っていた。
冬の早い夕陽に照らされた風車を見上げて、百音が「これも懐かしいです」と、少し鼻先を赤くして笑うのを、菅波は優しく見つめる。のんびりと風車の周りを歩きながら、目に入った滑り台に雪が積もっていて、滑れたらなぁ、と残念そうに言う百音に、菅波がまた、春に来てください、と言い、その言葉に百音の表情がぱっと明るくなる。春に、と百音が言い、菅波がうなずいて、百音の額に軽いキスを落とす。
陽が落ちるのも早く、風車の周りをぐるっと一周した二人は早々に戻ることにして、また並んで歩く。歩きながら、ふと百音がそういえば、と菅波を見上げた。
「さっき『見せつけますか』って言ったじゃないですか」
そういう百音の頬と耳が赤い。
「はい、言いました」
しれっと答えているようで、菅波の頬と耳もわずかに朱に染まっている。
「あれ、何を見せつけるつもりだったんです…か…?」
その問いに、菅波の足が止まる。
「何だと、思いました?」
百音の足もつられて止まり、頬の赤みが増す。
「あ、あのぉ…キス…するのかな…って」
こうして二人で過ごすようになって百音が初めて知ったことの一つに、菅波が意外(?)とコミュニケーションとしてキスをする人だ、ということだ。明日美などは、先生モダモダしてキスすらも遅そうと評していたが、サメ展の次のデートでは二人はキスを交わしている。以来、逢瀬の機会は少ないものの、この一か月で新しいコミュニケーション方法に百音もやっと慣れるようになってきたところである。
「それは」
と言葉を区切る菅波に、百音の顔にクエスチョンマークが浮かぶ。
「本当にみよ子さんや川久保さんが冥途に行ってしまうからダメです」
吹きだす百音に、菅波も、あんまりな言い方をしたと自分でも笑いを漏らす。
「まぁ、それは冗談ですが」
「お医者さんがいうと冗談にならないです」
くすくす笑う百音の右手をそっと自分の左手で包んだ菅波が、自分のコートのポケットにその繋いだ手を入れる。促して、二人でまた歩きながら、菅波がぽそりと言う。
「手を繋いで、中庭の方に逃げてやろうかと、そう思ってました」
「あ、そういう…」
「僕たちが登米にいた頃からの距離感からすると、それだけでも彼らには卒倒ものですよ」
「そうなんですか」
「そうです」
森林組合の建物が見えても、菅波は繋いだ手を離す様子はない。百音も、少しどぎまぎしつつ、繋いだ手の暖かさには抗えない。
「それに」
ぽつりと言う菅波を百音が見上げる。
「キスした後の永浦さんのかわいい顔を、他の誰にも見せるつもりはありません」
これまたしれっと落とされた爆弾に、百音の頬はすっかり真っ赤である。菅波も平然を装っているものの、耳は赤い。
手を繋いだまま森林組合に戻れば案の定の大騒ぎで、なるほど、先生の『見せつける』の匙加減の考えって絶妙だったな、と百音は妙な納得を覚える。その匙加減を身に着けたからこそ、4月から登米に専念するんだな、と理解を深めながら。
そして、しれっと初めて言われた『かわいい』が、夜になって百音の脳裏でぶり返し、久しぶりに泊まったサヤカ邸の客間のふとんで、ひとり感情を持て余してごろごろすることになったのだった。
登米夢想の面々が二人のキスを目撃するのは、少し未来の結婚式まで待たなくてはならない。