熱伝導の復習を登米に専従が決まって、その次に決めたのが住む場所だった。街はずれにある職場にも通いやすく、かつ訪問診療先から急に呼ばれてもそれなりの時間で動けそうなところであればどんな部屋でも、というのが当初の条件。それに加えて、年明けにはもう少し条件を増やした時には、それはすぐにサヤカさんはじめ森林組合と椎の実の皆さんの知るところとなって、なんだか生暖かい応援めいたまなざしを感じたものだった。
結局、東京の1Kに比べれば広さは倍以上、間取りも1LDKとだいぶと余裕の家になった。それでも家賃は東京の半分もしないのだから恐れ入る。引っ越しに当たって、大学の下宿を始める時にちょうど東成海洋大学を卒業する従兄弟からおさがりでもらって使っていたベッドなんかは処分した。持ってきた家具はデスクとチェアだけ。
ベッドは引越し前にネットで注文して、引っ越し当日に組み立てサービスと共に届くように手配して。移住祝いだ、とサヤカさんが贈ってくれた二人掛けのダイニングセットは、東京の家になかった家具で、ここで『生活』をしていくのだ、ということを感じさせてくれる。個室にデスクとベッドを置けば、ダイニングセットだけのLDKはなんだか広すぎるぐらいだ。初めて永浦さんが新居に泊まりに来た日、ダイニングセットで過ごすか、東京からそのまま持ってきたクッションで床に座るかぐらいしか居場所がなくて、ご実家でも汐見湯でも畳の生活が長い永浦さんは気にしていないようだったけど、僕にとっては解決すべき課題が見えたような気がしたのだった。
自分ひとりで生活するには特に困りごとではないので、次に永浦さんが登米に来た時に提案してみた。こちらに来ている時に、永浦さんが快適に過ごせるようにしたいことだから。…永浦さんと、の方がより適切な助詞の使い方かもしれないが。
「あの、永浦さん。ひとつ提案があります」
「はい、なんでしょう」
椎の実からたくさん持たされた総菜で二人の夕食を終えて、永浦さんが入れてくれたハーブティを飲みながら、話を切り出してみる。
「明日、一緒にソファを買いに行きませんか?」
「ソファ?」
ふむ?と首をかしげる仕草がかわいくてたまらないと思ってしまうのだから、今、僕につける膏薬はない。
「そう。この家に来てくれている時、あまりくつろげる場所がないでしょう。前の家には置いていなかったけど、広くなったし、ソファを置いてもいいかなと思って」
「なるほど」
「一緒に選んでもらえたら、と思うのだけどどうでしょう?」
「いいんですか?」
「この家で過ごすのは僕と永浦さんだけなので」
大真面目に言うと、永浦さんの頬がきれいに染まる。そうして僕と過ごすことを特別に思ってくれているあなたのことを何より大切にしたい、と思う。
「分かりました」
きっぱりと頷く永浦さんに、じゃあ市内の家具屋に行くか、いっそ仙台までドライブがてら出ますか、と続きの提案をしようとしたら、永浦さんからド級の爆弾が落とされた。
「そしたら、森林組合でつくりたいです!」
…へっ?森林組合?…なぜ…?
「森林組合で、ちょうど退職する前のタイミングでいくつか家具のラインナップ更新があって、その中にソファもあったんです。木とクッションの組み合わせが素敵なんですよ」
にこにことそのラインナップの中のソファ類の良さを説く永浦さんの話を聞きつつ、頭の片隅ではシミュレーションがものすごい勢いで回り始める。明らかに二人掛けのソファを森林組合で発注するというのは、あまりに恰好のネタ過ぎて、発注から納品まで、なんなら納品後もじわじわからかわれること必須だ。いや、もう、永浦さんが泊まりに来ている時点で、僕らの関係が最後まで進んでなかろうとそんなことお構いなしのまなざしを浴びてはいるわけだけれども。
「あー、でも、永浦さんの滞在中は森林組合もお休みのタイミング、ですよね?」
一縷の望みを繋いで口をはさんでみると、永浦さんがほら、あそこあるじゃないですか、と平然と言う。
「道の駅の木工ショップ。あそこで森林組合の家具受付、いつでもやってますよ。しばらく行ってないので、行ってみたいなぁって思いますし」
…ダメですか?って上目遣いに聞かれて、それをダメと言えるわけがない僕は、分かりました、と頷くよりほかはなく、せめて家具受付担当者が知らない人でありますように、と職員全員を把握している身でありながらロジックの通らない祈りを天に向けるのだった。
翌朝、僕の腕の中で目覚めた永浦さんは、まだそのことに慣れなくて恥ずかしうれしそうに「おはようございます」って言う。もうそれだけで、ベッドを思い切ってダブルサイズにしてよかったな、と思ってしまう。永浦さんには焦らなくていい、とたびたび言っているけど、ほんとにこうして泊まりに来てくれて一緒におはようが言えることからでいいんだ、って思える。
二人で炊き立てのご飯と昨日の総菜の残りで朝ごはんを食べる。そんな特別過ぎない献立すら、むしろ好ましいと思えるのだから、僕につける膏薬は以下略。朝ごはんの後、永浦さんが身支度を終えて、僕はむしろ心の準備を整えて、二人で道の駅に併設の木工ショップに向かう。僕が運転する車に乗った永浦さんは、いつも助手席から登米の景色を嬉しそうに見つめている。永浦さんにとっても僕にとっても、もともとは縁もゆかりもなかったこの地が、二人にとって第二の故郷と言えるような場所であることがうれしいし、そこに二人でいられることがうれしい。
開業と同時ぐらいについた道の駅は、それでもちらほらと車が停まっていて、朝イチに入荷する農産物狙いの観光客が立ち寄っているようだった。車を降りて、二人で手を繋いで木工ショップの方に行く。もう、手を繋いでいるところを見られるぐらい、気にしていては立ち行かない、というのはここしばらくで腹をくくったことだ。
木工ショップに入ると、ふわりと感じよい木の香りが漂っている。永浦さんは久しぶりの香りがうれしいみたいで、胸いっぱいにその香りを吸い込んでいる。
「気持ちいい香りですね」
とにこにこ僕を振り仰いでくるものだから、かわいくて仕方なく、そんなデレているであろう顔を隠さないと、と口許を思わず覆ってしまう。
「こっちです、こっち」
そんな僕を永浦さんは無邪気に案内して、森林組合の家具受付コーナーに行くと、果たして座っているのは木村さんだった。
「おはようございます!」
元気に挨拶する永浦さんに、木村さんもおはようございます、と挨拶して、どうしたの、今日はこっちに?と聞いている。そりゃそうですよね、ハイ。
「あの、先生のおうちにソファが必要らしくて、森林組合の新ラインナップいいんじゃないかなって思って来たんです」
「必要らしくて」
「らしくて」
木村さんの復唱に重々しく頷く永浦さんは、その含みにまっったく気づいてない。いや、そこがある意味いいところなんだけども!!
木村さんがどうぞ、と勧めるスツールに二人で並んで座る。もう、なるようになれ、だ。
「こちらに来てだいぶ落ち着いてもきたので、せっかくだからもう少し人間らしい家にしようかと」
平静を装って口を開いてみると、横で永浦さんがあぁ、って相槌を打つ。
「先生の東京のおうち、お仕事机と組手什とベッドしかなかったですもんね」
「あー、東京ではそうだったんですね」
ええ、ハイ、そうです。そうでしたよ。東京の家にも出入りさせてたのね、って木村さんの顔にかいてあるけど、そうです。合鍵も渡してましたとも。今の家のも、もう渡してますとも。
「ソファのカタログとってきます、少々お待ちを」
木村さんがバックヤードに一度引っ込んで戻ってきて、木材やファブリックのサンプルで分厚くなっているカタログをテーブルの上に広げてくれた。デザインサンプルの写真を見ると、永浦さんが言っていたとおり、どれもなかなか素敵なものが並んでいる。永浦さんも改めて興味津々に見て、やっぱりどれも素敵ですね、とニコニコしている。あぁ、この表情は、普通に家具屋に行ってたら見れなかったものかもしれないな。
どれがいいと思いますか?という永浦さんとのやり取りが楽しい、ものの、めちゃくちゃ木村さんに見守られてるという居心地のアンビリバレンツがなんともいえない。あぁ、そして向こうの方にみよ子さんがいる。なんでだ。そうか、道の駅に野菜を置きに来た帰りか…。恐るべし登米ネットワーク。
これなんかどうですか?と永浦さんが指し示したのは座面が低すぎないベンチソファで、これ立ち座りが楽そうですよね、っていう言葉の中に思いやりが入っているように思うのは自惚れだろうか。
「あぁ、いいですね」
僕が頷くと、ぱぁっと表情が明るくなってかわいい。
「やった!サイズはこれ…ですかね?」
と指さすのを見れば、最大3人掛けの200センチ超のサイズで。うーむ、と首をひねりながら、隣の2人掛け150センチのサイズにトン、と右手人差し指を置く。永浦さんが首をかしげて僕を見上げた。
「これだと先生が窮屈じゃないですか?」
「そんなことないですよ。東京より広い部屋とはいえ、これだとかさばりすぎます。こちらの方が妥当でしょう」
「そうなんですね」
なるほど、と頷く永浦さんのフムフムという顔がかわいい。
「それに、この3人掛けだと座った時に永浦さんと離れてしまう」
つるりと口から出た本音に、あっと気が付くのと、永浦さんの顔が真っ赤になるのが同時だった。多分、僕の顔も赤い。あぁ、木村さん…こういう時にこそですね、何か合いの手を…って向こうのみよ子さんと何やら目を見合わせて頷くのやめて…。
この空気は自分で立て直すしかない。コホン、と小さく咳ばらいをして、話を進めることにする。
「クッションの布地はどれがいいと思いますか?」
「そうですねぇ、先生のお部屋だし、やっぱり青系でしょうか…」
投げかけられれば真面目に考え出す永浦さんに救われつつ、サンプルのファブリックをあれこれと触って確かめる。
「先生のおうち、おふとんも青いですもんね」
って永浦さんのこういう時の天然度合い最強…ってか、木村さん、またみよ子さんと目を合わせて…って、ちょっとまってなんでみよ子さんの隣に千代子さんと文子さんがいるんですか、登米のネットワークですか、そうですか…。
木材とクッション地を決めて、寸法も決まって、それじゃあ発注という段になって、もうひと悶着が発生した。森林組合の家具の品質の高さなら、もうすこし値段をあげてもいいのでは、と思うぐらいの金額。もちろんいくらだとしても自分が払うつもりだったのだけど、永浦さんが、自分も使うから、と折半を言い出して引かないのである。
もちろん、きちんと仕事をして自活している永浦さんのことは尊重したい。が、このベンチソファを導入したいというのは僕のわがままなようなものだし、圧倒的に使う時間も僕が長い。それを折半にする、というのはさすがにいかがなものかと。
「永浦さん、お気持ちはありがたいです。が、僕の方が圧倒的に使う時間も長いですし」
「でも、一緒に選ばせてもらってますし、私も使いますよ」
「とはいえ、普段使いするのは僕だけなので…」
うーむ、と唇を寄せた永浦さんに、今度こそ木村さんが助け舟を出してくれた。
「永浦さん、菅波先生がそう言ってるんだしいいんじゃない?実際、先生が普段家で使うものなんだし」
ナイス木村さん!と思っていたら、木村さんの背後から川久保さんが出てきた。え、なんで?
「先生が甲斐性出そうとしてんだ、そのメンツをつぶしちゃだめだべ」
っておもむろに会話に入ってきますね?というかいつから聞いていらっしゃいました?
あの、甲斐性って単語を出されると、なんかこうちょっと違和感はありつつ…あぁ、はい、もういいです…。
木村さんと川久保さんから言われて、永浦さんがためらいつつも首を縦に振ったところで、すかさず僕がクレジットカードを出せば、木村さんがそれを受け取って決済に持って行く。知らぬ間に登米夢想でこのようなチームプレーを育んでいたとは、自分でも知らなかったけどこういう時に活きるんだな。
戻ってきた木村さんと決済手続きを完了させてカードと利用控、それに発注書の控えを受け取る。木村さんが納期を告げると、永浦さんが楽しみですね、とニコニコしている。ですね、と笑うと、にやにやした木村さんと目があう。いや、もうどうみられててもいいですけど…。あれ、みよ子さんたちの横にサヤカさんまで増えてる。どうなってるんだ、登米ネットワーク。
よろしくお願いします、と言って木工ショップを出れば、永浦さんに気づかれないようにみよ子さんたちはすすすと物陰に隠れている。そのよく分からないデリカシーの線引きを、これから僕は理解することができるだろうか…。
駐車場をほてほてと二人で歩いていると、永浦さんが僕を見上げてきた。
「先生、ほんとにソファ代甘えていいんですか?私もあれこれ言ったのに」
「いいんです。一緒に選んでもらえてうれしかったし、普段使うのは僕だから」
それを聞いて、うん、て頷いた永浦さんが、何かを決めた顔でまた僕を見上げる。
「じゃあ、私、ソファ用のひざ掛け編みますね!先生にいつも使ってもらえるように」
あぁ、もう、ほんと、そうやって自分ができることを惜しげもなく差し出してくれるとこ。多分、僕の顔はものすごく緩んでいるんだろう。それを見た永浦さんがとってもうれしそうにしてるから。納品までに編めるかな、って日にちを指折り数えている様子が一生懸命で、もうそれだけでソファを買ってお釣りがきた気分。
明日、永浦さんが帰ったらまたしばらく会えないけど、ベンチソファが納品されたら、それを口実にまた遊びにどうぞ、ってお誘いをしよう。そう思っていたら、隣の永浦さんが、ベンチソファが届いたらそれを見にまた来れますね、って同じことを言ってて。あのベンチソファに二人で座ったら、いつかの熱伝導みたいですね、って永浦さんが言う。そういえば。熱伝導の復習ですね、と僕が言うと、永浦さんは楽しそうにくすくすと笑うのだった。