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    風は木を揺らす 季節の変わり目に、シュテルンビルトでは強い風が吹く。それは混み合ったこの都市に大陸の空気を届け、ついでのように街中を撫で回してまた去っていく。今もそうだ。十月のテラス席は強い風に襲われていて、白いテーブルと椅子が必死に地面にしがみついている。バーナビーはそこに座り、髪型を乱されることを意にも介さないで、人を待っていた。街路では、秋の日に焼かれたプラタナスの葉が緑色から黄色に移ろいかけている。その葉に似た色の目をした男が、バーナビーの待ち人だった。ライアン・ゴールドスミスは大陸風に乗ってやってくる。
     当初バーナビーが想像していたよりずっと、彼はシュテルンビルトを気に入ったようだった。シーズンオフや契約更改の合間を縫って、もう何度もこの街の土を踏んでいる。それは大抵季節の変わり目になるから、ライアンが姿を現すとき、シュテルンビルトではいつも風の音がしている。

     はじめて彼に会った時は春先で、大陸からやってきた金色の風はシュテルンビルトをそのたてがみでくすぐり、そして海の向こうに吹き去っていった。シュテルンビルトに取り残された自分たちは彼の気配の名残だけを見て、苦笑いをしたものだった。

     次の風が吹くまでには、数ヶ月の空白があった。だからバーナビーの携帯電話が突如として着信を知らせた時には、それは驚いたものだった。慌てて応答したところ、彼はバーナビーの勢いのよさを茶化して笑った。そのおかげでバーナビーはその男の性質をひといきに思い出したので、電話口にしがみつかんばかりの姿勢を改め、彼の傲岸さに戯れかかるように、居丈高な声を出してみたのだった。

    「そんな言い方をされたら付き合わないわけには行かないじゃないですか。……勝手な人だなあなたは! ……いいから、ほら、到着時間を寄越してください」

     今になって思えば仔犬のようだったと思う。ライアンはバーナビーの人生のうちで最も得体の知れない人物のうちの一人であった。その大いなる他者と、おっかなびっくり噛み付きあって、気付けば、現相棒を除いたところの最も親しい相手になっていたようなのだ。
     新しい友人はその日、バーナビーの所用にも付き合うと言い出した。

    「だあって俺この街友達いねえし。暇だし。迷惑ってんじゃなきゃ、連れ回してくんね?」
    「でも、退屈ですよ?」
    「んなこた、この俺様が決めんだよ」

     ライアンを児童養護施設に連れて行ったのは、そういういきさつからなのだった。予告の無い特別ゲストに、中庭で遊んでいた子供たちの、中でもそれが誰なのか知る者はわあっと群がった。

    「ライアン、すみませんが施設長と話をしなければならないので、ここを……」
    「おーう、任せとけって」

     運営資金、直近のイベント、子供たちの成長に伴う出費、施設の老朽化。小さな施設であっても、出資者に通さなければならない話は山のようにある。ライアンと若い部下一人にその場を託して、施設長は僥倖とばかりにバーナビーを執務室に引っ張っていった。よく整頓された部屋はひんやりと涼しく、四角い窓枠に切り取られて、明るい中庭がよく見渡せる。

    「本当に助かりましたよ。あの子達いつもバーナビーさんを離してくれませんから、こういったお話がいつも先送りになってしまって。あ、このアイスティーね、あの子たちが育てたハーブも使ってるんですよ」

     そう言って施設長は、とろりと透き通った液体を差し出してきた。それは青臭く野性的な味がして、あのどこか粗野な男を彷彿とさせた。あとでライアンさんにも、と話す彼女に頷き、窓の外を覗く。
     はじめは怯えていた年少の子たちもすぐに慣れたようで、嬉しそうにライアンにぶら下がっていた。その小さい生き物たちを、ライアンは予想以上に手馴れた様子でひょいひょいといなしている。窓ガラスを隔てて、わずかにその声も聞こえてきた。甲高い歓声に囲まれた低い男の声は、いつもより幾分か抑制を外し、快活に聞こえる。

    「あら、ライアンさん、随分子供の扱いがお上手なこと」

     くすくす笑う施設長に頷いて、もう一度バーナビーはライアンを見つめた。

     夕日の下でありがとう、と手を振る子供たちに笑顔を返し、くるりと背を向けて施設の門を出た瞬間から、急にライアンは黙りがちになってしまった。それは夕食の席についても続き、やはり退屈だったかとバーナビーが気にしたところで、返ってくる返事に張り合いはない。可能性としてバーナビーが思い浮かべた言葉をすべてかけおえてしまい、その語気に張りがなくなった頃、ぽつりとライアンが呟いた。

    「お前、こういうこともやってんだな」
    「ええ、まあ。今日は驚きました。意外と子供の相手をするの、うまいんだなと思って」
    「意外ってなあ……まあ色々やってきてるし。お前こそ、子供とか苦手そうな顔してんのに」
    「意外ですか?」

     数秒の沈黙が、二人のグラスの中に落ちた。それを飲み下した頃、やけに間延びした否定の言葉が返ってくる。いーいやーあ。

    「まっじめー……ってだけでも、ないみたいだよな」

     青く肉厚な育ち盛りの香草。うっそりと眼球の上を滑ってきた彼の瞳は、そんな印象をバーナビーに与えた。くすんだ色味の薄皮一枚下に、むせ返るほどの香りを孕む。

    「そうですね……僕の生い立ちは知ってますよね」
    「書類の上で、な」
    「つまり、僕は……あの、この話、しなきゃいけません?」
    「いや、別に。無理に話す義理もねえだろ」

     薄暗い照明はライアンの表情をあけすけにしない。陰影の中で浮かぶ片目にねめつけられて、バーナビーは突然目の前の食事に興味の沸いたふりするしかなかった。

    「隠したいわけじゃないんだ、ただ、自分でも整理が」

     殊更丁寧に皿の中の肉にナイフを押し付けながらそれだけを絞り出すと、すぐ前方から、息を吐き、そして吸う音が聞こえる。目を上げると、ちょうどライアンがワイングラスを空けたところだった。真っ赤な肉に合うずっしりとした赤ワインは、ほんの数秒前まで、彼のグラスになみなみとつがれていたはずだった。その重みを受け止めた臓腑から、ライアンは明るく扁平な声を発した。

    「んまあ、俺に問い詰められる義理もねえわな」

     それは確かに一分の理を含む論であったので、言葉の中の刺のように感じるものも咀嚼するうちに失せてしまう。バーナビーは目を上げないまま、口の中で謝った。既にバーナビーの知る闊達さを取り戻したライアンは、大きな肉のひと切れをフォークに刺して口に運んだ。それを嚥下してしまう頃には、あの苛烈な表情はどこにも見られなかった。

    「そおいえばさあ、ジュニア君って彼女とかいんの?」
    「はあ?」
    「いやだから、彼女。彼氏でもいいけど、恋人。パートナー。スイートハート」

     椅子の背に体を預け、唇の片端をあげ、ライアン・ゴールドスミスは首をかしげる。唐突な転換にバーナビーが面食らっていると、座り直したライアンがテーブルに身を乗り出し、意味ありげな上目遣いを送ってきた。

    「セオリーなんじゃねえの、近況報告、恋愛事情。男二人面突き合わせて張り合わねえでどうすんの」

     そういうことなら、とバーナビーもふんぞり返る。

    「今は仕事で手一杯ですから、市民の皆さんが恋人です」
    「うっわあ、いやらし!」

     けらけら笑うライアンに釣られて、バーナビーも笑みがこぼれる。

    「でも本当なんですよ。それどころじゃなくて。あなたみたいに器用じゃ、ありませんし?」
    「そおりゃあ、俺様は器用だけど、アフェアには真面目なんだぜ? これマジな」
    「それじゃ、今は毎晩一人で寝てると」
    「なんで言い切れんだよ」
    「貴重な休みに元同僚と会ってるからですよ、そんなもの!」
    「うるせえ、へへ、間違っちゃねえけど」

     ひとしきり笑い、おざなりに慰めあい、そのぞんざいさをまた罵り合ったあと、ふとライアンが何も言わずに微笑んだ。

    「でもどっちかに相手できたら、遊べなくなるよなあ」

     それが二度目にライアンに会った時の、最後の記憶になっている。


     三度目の風は間を置かずに吹きこんで来た。そうはいっても数ヶ月だ。秋口の大風の時期に彼はやってきた。その頃には一部でのタイガー&バーナビーもすっかりこなれ、またバーナビーの慈善事業も軌道にのりつつあった。
     その時は彼の到着とシュテルンビルトヒーローズの出動が重なったため、ライアンは一人で街を散策することになった。とはいえ後から分かったところによれば、結局彼はヒーローズバーに足を運び、バーナビーたちを見守っていたのだという。「ダチがすぐそばで戦ってるってのに遊び回るほど薄情じゃねえよ」とは、彼自身の談である。そしてまた、こうも言っていた。「以心伝心っつうの? やっぱりタイガー&バーナビーはすげえなあ」。
     それにあっさりと気を良くしたのが虎徹だった。おっ前やっぱりいい奴だなあ! 前々からそう思ってたんだよ! 調子がいいなとライアンが肩をすくめてみせれば、そういう人なんです、とバーナビーが目で返事をする。そして「あなたもね」と、こちらは口に出して付け加えた。ジャスティスデー事件の、タイガー&バーナビー再結成の折の立ち回りのことをほのめかしていることは容易に伝わったようで、ライアンは小さく舌打ちをした。

    「そおんでさあ、こいつこんなだろ? 昔はもおっとひどくってさあ、俺が右っつったらこいつは左、左っつったら右って、お前わざとだろ、ってな!」
    「分かりましたから、虎徹さん、落ち着いてください。ペース早すぎますよ」
    「んでもさあ、今じゃ何にも言わなくても息ぴったりでよ。ほんっと、よかったなあ、また一緒にやれてなあ、バニー……」
    「それは……僕も嬉しいですよ、虎徹さん」

     ライアンの頼んだ水が目の前に置かれるまで、虎徹は殆ど一人で話し続け、バーナビーはそれにひたすら相槌を打っていた。勢いよく置かれたジョッキ三つ分の振動に、虎徹がどうにか僅かな正気を取り戻す。礼を言ってそのジョッキを煽り、ごまかすように笑う。その横顔がいかにも幸せそうだった。

    「そりゃあ、あんたらはさ」

     座り心地の良い姿勢を探すように、ライアンが何度か足を組みかえる。しかし思い通りに落ち着けなかったらしく、結局両足を床につけ、椅子に浅く腰掛ける姿勢を取った。

    「ほんと最高のバディだよ」

     そう言って笑うと、ちょっとしょんべん、と言って、もとより半分も椅子に載っていなかった尻を浮かせた。その後ろ姿を見送って、虎徹が口を尖らせる。なんだよ、いいこと言って消えやがって。まあ、トイレですけどね。バーナビーが後を引き取ったが、視線は手洗いのドアから引き剥がせなかった。

     ライアンが戻って来た時には虎徹も酔いから持ち直していて、再び気安い歓談が始まる。アルコールまぎれの話題は小舟のようにあちこちをたゆたい、それでもライアンと虎徹の共通の話題などしれているので、自然とその舟は、しばしばバーナビーに係留される。

    「しっかしよう、バニーに友達ができてよかった」
    「ひひ、父ちゃんみてえ」
    「ちょっと、僕をなんだと思ってんですか」

     水を差す若者たちを意にも介さず、愛情深い男が、ライアンとバーナビーを交互に眺める。

    「俺が言うのもなんだけどっつか、俺がそれで失敗したからこそなあ、お前らに言いたいわけよ。お前ら、ちゃんと腹割って話せよ。友達ってなあ、大事なんだから」

     ライアンとバーナビーが顔を見合わせた。なあタイガー。ライアンの言葉はアルコールの海には届かない。虎徹は話し続ける。

    「俺もあんときゃバニーのこと誤解してたよなあ。でもお前はたあっくさん苦しんでたし、本気で考えて色々やってたんだよな」

     ライアンが口元に運んだグラスが、歯にぶつかってかちりと音を立てた。ふうん、と彼が言う。細められた目でバーナビーの方を見て、はっきり声帯を震わせた。バーナビーは手元の、安酒場の酸っぱいワインを口に含んだ。

    「そんなに綺麗なものでもないんですよ」

     そう、ワイングラスに向かって顔をしかめてみせた。
     突然、虎徹の頭が音のしそうな勢いで回る。その頭はバーナビーのほうを向いてぐわんと固定された。

    「それだよ」

     大仰な動作で、虎徹の指がバーナビーを指す。ほらお前も聞いとけ、と、ライアンの肩に腕が回った。その腕をライアンはじっとりと見て、一度目を閉じ、そしてバーナビーへと視線を移した。

    「そおいうことをだなあ、ちゃあんと周りにだな、話すの! 俺もそうかもしんねえけどよ、お前だってよ、そうやってよ、これはボクの問題ですからあ、って顔してんのがだめなんだよ!」

     そんな言い方はしていない、とバーナビーがいきりたつのをものともせず、虎徹はにやにや笑って顎をしゃくった。勢いを削がれたバーナビーはそのまま腰を下ろし、眉を下げて目で許しを乞う。虎徹は動じない。それどころか、身じろぎをするライアンを押さえつける余裕すらあるようで、肩に回した腕の筋肉が僅かに盛り上がった。

    「何かせずにはいられなくて」

     ぽつりと、バーナビーの細く引き絞られた声が落ちる。先程までワイングラスを弄んでいた手は机の下で組み合わされ、しきりに擦り合わされている。

    「二十年です。……二十年復讐を志してきて、けれどそれに意味はないと」

     ちらりと目を上げる。虎徹がゆっくり頷いた。

    「そうしたら、自分のやるべきことが何なのかわからなくなったんです。だから、せめて支援をと……いやだな、これってまるで子供たちをいいように利用してるみたいなんですよね。もちろんそれだけじゃないんですよ、ヒーローとして、同じ親を亡くした身として、喜びそのものはあるんです。でも、だからってすっかり純粋じゃないのが、自分でもやるせなくて」
    「いや、あんたは十分立派だよ」

     ライアンの少しかすれた声がバーナビーを遮った。

    「完璧でも単純でもねえんだ、お前も、俺も、タイガーだって」

     もう一度、今度はより力強く、虎徹が頷いた。そして途端に破顔すると、料理と酒を注文したかと思えばテーブルに置かれたものをぐいぐい二人に押し付る。おう、悩め悩め、若者! 急に大騒ぎしだした虎徹を見て、ようやくバーナビーの肩から力が抜ける。なんで俺もだよ、とライアンが笑うと、虎徹が片頬をくいっと上げた。

    「おじさんにはお見通しだぜ」

     はぁ、何がよ。眉根を寄せたライアンの抗議は飲み物を運んできた店員の甲高い声にかき消されて虎徹には聞こえていない。ライアンはしばらく口を開けたり閉じたりしていたけれど、結局押し付けられたグラスの中身を飲み下した。バーナビーはすっかり元気を取り戻して、注文内容について虎徹に文句をつけにかかった。虎徹は思い切り顔をしかめる。

    「そう口うるさいとモテねえぞ」
    「そうやって混ぜ返さないでください!」

     そのやりとりに興味を引かれたらしく、グラスをテーブルに戻したライアンが二人を見る。

    「それ」

     無遠慮に突き出された人差し指が虎徹を指す。二人は動きを止めて、ライアンを見返した。

    「それよ。いや実際バーナビーモテるだろ。しかも彼女いないとかマジなわけ?」

     ああ、と相槌を打って、バーナビーは虎徹の方を向いていた体を戻し、笑う。

    「またそれか。あなただって独り身じゃないですか」
    「いやだって俺はさあ、移動多いからそういうのむずいし、しかもイグアナいるし? でもお前はどっちもねえじゃん。え、寂しくなんね? タイガーも何も知んねえの?」
    「いや……結構バニーちゃん、休みも暇そうだよな。よくうち来てるし。」

     休日の無粋を暴かれて、バーナビーが目を泳がせて黙り込む。その様子に、ライアンが吹き出した。ポテトフライをつまんでいた手をぴたりと止めて、身を乗り出す。

    「いや、わり、マジみてえだな。うっわマジかよ、ええ、あのバーナビーが? 毎晩相棒と? 仲良く?」
    「そんなにしょっちゅうじゃない! せいぜい週に一度か、二度……」
    「いやそれ十分しょっちゅうだろ。毎週っしょ? え、俺が変?」

     まあ俺ら特殊な飲み友達みたいなもんだしなあ。虎徹が間延びした声を出す。それを援用して、バーナビーはさかんに頷く。

    「んま、仲良いしなあ。目で喋れてんだもん、あんたら」

     天井に顔を向けたライアンが、その勢いのまま伸びをして、椅子をぎしぎし鳴らす。壊すなよ、と虎徹に言われて仄かに微笑んだのが、三度目だった。

     四度目の風が吹くまでには、暫く間が空いた。ライアンの契約先が移り、移動のコストが膨れ上がったのが理由のひとつだった。とはいえ連絡はしきりに取り合っていた。その中でも、一通のメールをバーナビーは妙に鮮やかに記憶している。

    『俺、最近いい感じの子がいんだよね』

     勇んで聞き出せば、仕事の関係で知り合った女性なのだと言う。彼の飼っているイグアナに興味を示し、仲を深めたらしい。一度食事にいったところ、好感触であったという。部屋にはまだ上げていないとのことだった。

    『まだわかんねえけど、これは行けるね』

     文面からにじみ出る自信に気圧されて、バーナビーは当たり障りのない応援を打ち込むことしかできなかった。どうしてか、親身な言葉は思い浮かばなかった。


     それ以来進捗を聞き出せないまま、またもライアンがシュテルンビルトを尋ねてくると言い出した。北風の吹きはじめる季節のことだった。
     会うなり惚気話を聞かされることだろうと覚悟していた割に、その日ライアンは大人しかった。バーナビーの知るライアンと比べれば、むしろ大人しすぎる程だった。やや言葉少なに街を歩き、たまに見慣れないものを指してはバーナビーに尋ねる。自分の話はほとんどせず、何かとシュテルンビルトヒーローズの近況に興味を持つ。しかしたった数人のこととなればすぐに話題は尽き、二人は無言でシュテルンビルトをぶらつくことになった。
     既に話の接穂に躍起になる仲ではないけれど、それでもどちらかと言えば気詰まりな沈黙だ。その合間を、自動車の音が駆け抜け、ざらついた石畳を靴底が擦るリズムが伴奏する。突き刺すような寒風に加えて、ぽつりぽつりと雨さえ降りだした。

    「散策、意外とすぐに済んだな」

     その雨粒のひとつと一緒に、バーナビーの言葉が二人の間に落ちた。

    「まあなあ、計画もなしじゃなあ」
    「というか、もっと色々行きたがると思ってた」
    「なんで」
    「だって、君、この街好きだろ?」

     足音のテンポが乱れる。ライアンが立ち止まった。え、と驚いたような声が発せられる。

    「いやそりゃ好きか嫌いかっつったら好きだけど、なんで」

     バーナビーが瞬きをする。意外だ、とつぶやきがこぼれる。なんで、とライアン。もう一度、だって、とバーナビーが答える。

    「好きでもないのに、こんなに何度も来るか、普通?」

     それをバーナビーが言うやいなや、ライアンの目が今までに見たことがないほど大きく見開かた。そのまま何かを探すように周りを見渡すと、くるりと背を向けて猛然と歩き出す。ちょっと、とバーナビーが背中を呼び止めると、雨宿り、と叫ぶように返される。確かに雨は、無視できないほどの勢いを得ていた。いつの間に、とバーナビーはうめく。それに濡れて、二人は目に入ったレストランに逃げるように駆け込んだ。

     適当に選んだ割に、感じのいい店だった。濡れた頭を犬のように振るい、乱れた前髪をかきあげると、ライアンがその扉を開ける。髪の先に残る雫が、店内の照明をうけてぬらぬら光っていた。水気が気になるのか、片手が上がり、首筋にあてられる。濡れたそこを手のひらが往復する。更にその手は頬へと滑り、がっしりした指先が水滴をぬぐう。

    「座れば?」

     ふいにかけられた声が、バーナビーを目の前に景色に引き戻した。奇妙に、視線が誘導されていた。いつの間にか自分たちはテーブルに通されていて、メニューまで整然と並べられている。慌てて椅子を引き、傍に控える店員に飲み物を注文する。ライアンは怪訝な顔でバーナビーを見つめていたが、すぐに手元に目を落とした。
     ラタトゥイユ、グリッシーニの生ハム巻き、骨付きラムのグリル、牛タン煮込み。テーブルには次々と料理が並べられる。ピクルスには、バーナビーが露骨に顔をしかめた。けれどその反応をからかったきり、会話は弾まない。口に入れればほどけるように柔らかな仔羊はあまりにも頼りなく、無言の時間を咀嚼に換えてはくれない。

    「あの」

     二杯目のワイングラスが空になってしまったところで、バーナビーがおもむろに切り出した。

    「以前言っていたでしょう、イグアナに興味を持った女性と仲良くなったと。あれ、どうなりましたか」

     チキンと豆に取り掛かっていたライアンが、口に持って行きかけていたフォークをぴたりと止めた。顔は卓に向けたまま上目遣いにバーナビーを覗き込み、その目を探るように見つめながら、再びゆっくりと手を運ぶ。開いた歯の間に消えた肉は彼の口の中で何度か噛み潰され、そして喉を伝って胃へと落ちてゆく。

    「やったかって聞きたいなら」

     牛タンを切り分けていたバーナビーの手が止まった。神経質にナイフをつまむ手には力がこもりすぎて、関節が白くなっている。とろけるように柔らかい肉はナイフとフォークに不自然に押しつぶされ、哀れにも崩れてしまっている。そのことにも気付かず、バーナビーはライアンの言葉の続きを待つ。

    「答えは、ノーだ」

     音がしそうな勢いでバーナビーが顔を上げた。暗がりで緑の色味を増した二つの目が、真っ直ぐこちらを見ている。なぜ、と、バーナビーがかすれた声を押し出す。なんとなく、とライアンが答えた。

    「なんとなく、あんたが恋人はいないって言ってたこと、思い出して」

     バーナビーから逸らされない両目に店内のオレンジ色の照明が写りこんで、ちらちら光っている。それに邪魔されて、仄かに微笑むライアンの真意を量れないでいると、彼の口が開き、oの形にすぼめられる。

    「それで、あんたは、どうなの」

     殊更ゆっくりと、ライアンは言葉を運んだ。一つ一つの単語はとてもなめらかにライアンの舌から滑り出てきて、まるでそのフレーズをなぞり慣れているかのようだった。

    「タイガーと、できてんの?」

     一気に味覚が戻ってきて、そういえば自分は食事中であったと思い出した。口の中にソースの味がする。ああこれはデミグラスソース。ということは牛タンか。目の前にはライアン。そして今、とんでもないことを言われた。

    「はあ?」

     バーナビーが発することができたのは、その一音だけだった。その声は想像以上に店内に響き、うるせえよ、とライアンが嫌な顔をする。謝りかけて、いやそうじゃないと思い直す。

    「なんだその妄想!」
    「妄想って、妄想じゃねえだろ明らかに怪しいだろおめえら。見つめ合うだけで全部伝わりますうってよ。俺から見たっておかしいわなんだあれ、いっちゃいちゃしやがって! おら何回記事になったか言ってみろ」
    「そんなもの数えるのはとっくに諦めたに決まってるだろ!」
    「ほらなってんじゃねえか! 俺も読んだし!」
    「変なもの読むなよ! 事実無根だ!」
    「読もうと思わなくても目に入ってくるってことだよ! 今更ただのバディでえすなんて、なんだよそれ!」
    「そんなこと言ったって、ただのバディなものはただのバディだよ!」

     眉を寄せ、口を半開きにして、ライアンがバーナビーを眺める。バーナビーが軽く胸を反らして見せれば、ライアンは片手で顔を覆いあおのいてしまった。

    「まあじかよぉ」

     指の隙間から目線だけを向けてくるので、おおきく頷いてみせる。天井を向いた開けっ放しの口から、長いため息が出ていった。

    「なんで。お互い男に興味ない?」

     姿勢を変えず、ライアンがこぼす。

    「というよりも、君、自分とセックスする?」

     しねえ。投げやりな返事だ。ようやく、のろのろとライアンが姿勢を戻す。

    「うええ、つまりタイガーは自分って言いたいわけ?」
    「その感覚に近いかな。一心同体とか、よく言われてるだろ。あのまんまだよ。恋人っていうのは、全くの他人とぶつかりあってなるものだと僕は思ってる」
    「はあ、あっそお」

     気持ち悪いって思ってる? バーナビーが尋ねる。ライアンが何とも答えないので、勝手に後を引き取って喋り始める。でも僕らはそれでうまくやってると思うし、同じ能力で相棒なんて、そうなってもおかしくないんだよ、きっと。もうあの人とはどう頑張っても離れられない。
     困ったような苦笑いを、ふてくされた顔のライアンに向ける。それから思い出して、付け加える。あ、恋愛に興味がないわけではないよ。性欲もある。

    「だから正直、あの人といて楽しいかと言われれば……いや、とても楽しいんですけど、新鮮味はないかな。」

     そこまで言って、内面を彷徨っていたバーナビーの目の焦点が、ふとライアンに合う。

    「でも君と話すのは楽しいな。君は僕とは随分違うし、僕の思いもつかないことを言ってくれるし」

     いかにも他人だ、とまで言ってしまう前に、バーナビーはかろうじて踏みとどまった。アルコールが思ったよりも回っているようだった。
     雨の音がする。窓の外はすっかり土砂降りになっているようだった。おもむろにライアンがワイングラスをあおる。すぐに店員を呼んで、ウイスキーに切り替える。それ、合います? 肉汁滴る料理を指しながらげんなりとかけた言葉は無視された。いわく、俺はこいつが落ち着くの。

    「なあバーナビー」
    「なんです」
    「……いや」

     ライアンが目を伏せ、指でウイスキーと氷をまぜる。取り出された指は酒に濡れ、雫が一滴グラスに落ちた。急に乾燥を感じて、バーナビーは唇を舐めた。はずみで溢れた唾液を飲み込むのを、見られただろうか。ライアンは目を伏せたまま、その濡れた指を口に含み、そしてずるりと引き出した。耐えられなくなって、バーナビーは目を背ける。しかしその光景は、その後暫く、バーナビーの脳裏にちらついた。それが四度目だった。

     それから一度か二度ライアンはシュテルンビルトを訪れ、それよりずっとたくさん、連絡を交わした。彼が来るたび、彼とバーナビーは物言いたげな視線をやりとりしている。予感はあった。それを確かめるような言動を示し合い、そしてそれより少し多く、戯れるような口論をした。
     口元に運んだティーカップが冷え切っていて、体感よりも長い時間待っていたことを知る。いつの間にか短い秋の日は姿を隠し、代わりに人工の明かりが灯されはじめていた。ライアンはまだ来ない。昼間暖かかった大気はいつの間にか手のひらを返し、座り続けてこわばったバーナビーの体をいじめる。そろそろテラス席で頑張るのも辛いかもしれない。僕じゃなかったら舌打ちしてるぞ。心の中でぼやきながら覗き込んだカップの中の紅茶には、満面に笑みを浮かべた男が映っている。
     突然、その笑顔が派手に歪んで掻き消えた。強い風が吹いて、紅茶の水面が騒ぎ立つ。確信をもって、バーナビーは顔を上げた。きっと、さっきまで紅茶に映っていた通りの顔をしていることだろう。風を受けて嬉しそうに震えるプラタナスの葉の下に、それに似た色の目をした男が立っていた。
    鶏肉 Link Message Mute
    2022/07/09 17:53:11

    風は木を揺らす

    #TIGER&BUNNY #兎獅子 #BL #二次創作
    初出:2014/6/16

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