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    焼け木杭が爆発炎上(上) イデアさんと何となく疎遠になったとき、僕の抱いた気持ちを言葉にするならば「まあそうだろうな」だ。
     彼には才能があったし、家柄も――彼自身はそこに思うところがあったようだが――申し分なかった。優しくて、寮長を務める程度には人望を集める性質をしていた。無欲で、しかし情熱も秘めていた。つまり誰からも求められる人であった。だから、僕より一年早く卒業した彼が僕から離れて行ったとしても、僕はそれを大して不満には思わなかった。あの時期は僕も卒業研究と、その後予定していた起業の準備で目が回るほど忙しくて、そのことも僕の無関心を促した。
     海底を這う蛸の子供が大胆にも星を求めて、蝋製の羽で飛び上がった。そしてあの青い炎に焼かれたとして、星に何の非があろうか。彼からちょろまかした魔導パーツで僕が小銭を稼いだり、その分け前として新しいゲームを買ってきてやったり、そこで頭脳比べをしてみたり、あるいは経営するカフェの設備に協力させてみたり、それから恋にセックス、そういう大人の予行練習に付き合うのを彼がやめたとして、どうして責められよう。
     僕はビジネスパーソンとして彼の技術には執着していたけれど、彼自身とのことについては一時のじゃれあいと思うことにした。おお、偲ぶに足る学生時代の思い出、あのボードゲーム部室での幼く優しい触れ合い……

     十分満足の行く学生時代を終え、僕は予定通りウツボの双子を引き連れて起業した。事業は概ね順風だった。モストロ・ラウンジを経営していた法人を株式会社化し、その持株会社を設立。はじめはラウンジの物資調達の仲介を足掛かりに、それなりに軌道に乗ったらラウンジの実質的な差配も後輩に譲って両社をやんわり切り離す。僕自身の会社は商社として大海を泳ぎ出す。仕事は楽しかった。毎日問題が起きたし、毎週新たなチャンスがあった。僕の力の及ぶ範囲が少しずつ広がっている実感があった。翼はなくとも二本の脚で、僕はどこまでも歩いていけると思った。
     そういう中にいると、折に触れ恋について尋ねられることがある。あからさまな秋波を向けられることもあるし、そうでなくとも、ちらりと左手をかすめる視線にはよく気付いた。それで、何もかもが順調だった僕は、そろそろ恋を再開しようと思った。幸い相手を見繕うのに不自由はない。僕には知人がごまんといたし、彼らは皆エネルギッシュで自信に満ち溢れ――つまり僕と似た人種で――大変魅力的だった。
     彼とは違う人を求めていたのかもしれない。人の無意識を掌握することに血道を上げていたはずだというのに、あの頃の僕は自分のそれに気付きもしなかった。意欲的で、個性に溢れ、自我を押し出すことに躊躇がなく、欲望に忠実、華やかに目立つことを好み、いつどこでだって自分を売り込む準備ができている。そういう人々の間に、僕も積極的に交わっていった。あの時間の流れの止まったような部室や真昼でも暗い彼の自室を思い出すことはなかった。それでも、彼に関する情報は常に入ってくるようにしていた。天才的なエンジニアだから、商機になるから、同窓だから、そういう言い訳を重ねて、彼の名前のよく載る業界誌は定期購読していたし、パーティーでシュラウドの名が聞こえればさり気なくその会話に入っていった。だから僕は、彼が卒業後小さな会社を立ち上げたことも、そこを基盤に大学と共同研究していることも、既に多くの特許を取得していることも十分によく知っていた。

    「またお会いしましたね、Mr.アーシェングロット」
    「お会いできて嬉しいです。どうかアズールと」
    「それじゃ、アズール。こちらこそ光栄に思います」
     僕はとある人魚と親しくなっていた。自信に満ち溢れてエネルギッシュ、そしてチャーミング。同種族というのも話がスムーズでよかった。その人は僕と違って温暖な海の生まれで、それでも実家のリストランテの話をしたら「是非行ってみたい」と心からの笑顔を見せてくれた。流氷が陰鬱だと言えば、「でもなんだか、気を悪くしないでほしいのだけど、冷たい景色に閉じ込められたくなることはありませんか」と呟いた。僕が何も言えずにいると、「私の故郷はどこもかしこも陽気で」と前置きをした後、「どうしようもなく疲れた時って、誰にでもありますから。そういう時、変に構いつけられるより、誰にも等しく素っ気ないところでじっとしていたくなる」と言葉を継いだ。それで僕は、この人かもしれない、と思った。パワフルで人当たりが良く、しかも賢くてビジネスパートナーとしても申し分ない。それなのに、痛みと向き合うことを知っている。南の海の人魚はその日の去り際、僕の目を見て言った。「お別れするのが寂しいです。あなたは今までに会った誰よりも魅力的だな」頭の中で、チェスの駒がことりと盤面に置かれる音がした。この時僕が差し出されたゲームの順番を返して、例えば「僕も同じ気持ちです、よければ是非、今度食事でも」なんて言っていたなら、今頃僕とその人は順調な交際を進めていたのだろう。ああそれなのに、僕は思い出してしまったのだ。17歳の僕が一度失墜したあの日の後、あの薄暗いイデアさんの部屋でブランケットにくるまっていた時のことを。その時彼はちらちらこちらを伺いながらも、決して自分から話しかけてはこなかったことを。僕は思った。チェスをしたいな、もう一度彼と。そう思ってしまったらもう、目の前のこの人とのゲームを続けることはできなかった。その日僕は結局、華やかに微笑んで「ありがとうございます、またこうしてお会いできる日を楽しみにしています」とゲーム盤を押しやった。その人は「そう、そうですね、また機会がありますように」と少し残念そうに笑った。

     それからの僕は、自分で言うのもどうかと思うが、すごかった。殆ど無理矢理と言える勢いで事業分野を押し広げ、寸暇を惜しんで仕事に没頭した。あらゆる人と話し、あらゆることを学んだ。常に自分の拍動が聞こえるほどに頭を働かせ続けた。オフィスのごみ箱には自分でもちょっと引くほどの量の頭痛薬の空き箱が堆積した。必要と思ったので博士号だって取得した。僕の体調を心配した双子に絞められ、無理矢理ベッドに押し込まれることも何度かあった。気ばかり焦っている自覚はあった。けれど、それを押しとどめることはしなかった。この体が今より歳をとってしまう前に、もう一秒だって無駄にはしたくなかったのだ。イデアさんの動向には常に注目していた。僕の目標は明確に彼と定められていた。
     そしてある朝ふと、もう何もすることが無いことに気付いた。全ての準備が整ってしまったのだ。なので僕は朝食を終えると、スーツに着替えてスケジューラーを開き、そしてジェイドに電話をかけた。
    「朝早くにすみません。突然ですが、今日の予定、全てキャンセルをお願いします。それと明日以降も可能な限り。できますか?」
    『は、構いませんが……何か火急のトラブルでも?』
    「イデアさんに会いに行きます」
     電話口の向こうが沈黙する。紙をめくる音が聞こえるので、アポイントメントの確認でもしているのだろう。少しして、彼のクスクス笑う気配がした。
    『かしこまりました。尽力しますよ』
    「ええ、頼みます」
     僕の人生で一番凪いだ朝だった。いつもの頭痛もなく、心臓は静かにとくとく鳴っている。コーヒーを淹れようとして、気を変えて紅茶にした。子供っぽいデザインのマグカップを片手に窓辺へ歩み寄る。懐かしい髪型の姿がガラスに映る。普段のように前髪を上げようか迷って、右サイドだけを撫で付けたのだ。落ちかかる前髪がくすぐったくて目をしばたかせる。鏡像の自分は少し甘ったれた顔をしていた。天気は晴れ。悪くない日だった。

     今日の今日でアポイントメントを取れるか不安だったのだが、思いのほか話はスムーズに運んだ。Mr.シュラウドにモストロ・マーケティングのアズール・アーシェングロットとお伝えください、と難色を示す秘書に電話口で食い下がると、随分長い電話保留の後、それでは15時に、と告げられた。彼は一体どんな顔で了承したのだろうと思いを巡らせてみたが、全く想像ができなかった。
     約束の時刻に、彼の会社の前に立つ。中心地から少し離れた場所にあるオフィスビルだ。受付で名を告げると、秘書だという背の高い人物が僕を出迎えた。その先導に従って奥へと足を進める。ツーフロア丸々がこの会社であるらしい。下の階は殆どサーバールームですが、と秘書が付け足す。適当に相槌を打ちながらフロアを見回した。パーテーションやシェルターブースが多くて、お世辞にも見晴らしが良いとは言えない。見える範囲に人はまばらだ。彼の会社らしいな、と思って少し笑ってしまった。途中、ミーティングスペースの隅の床でクッションに埋もれるように仕事をしていた社員が、こちらを認めるや否や猛烈にラップトップを叩き始めた。今頃社内チャットのログが滝のように流れているのだろう。
    「ご学友と伺っております」
     社の説明もひと段落してしまったのだろう。秘書が話を振ってきた。
    「ええ、学年は違いましたが。Mr.シュラウドは何か仰っていましたか?」
     尋ねながら、わずかに鼓動が高まるのを感じた。少し息をつめて、返答を待つ。けれど秘書の答えは、いいえ、であった。
    「驚いてはおりましたが、特には」
    「……そうですか」
     階段を降り、何台ものサーバーのそびえ立つ中にひっそりとある扉の前に僕は案内された。
    「ここが?」
     ええ、と頷いて、秘書がインターフォンを押す。
    「社長、お約束のアーシェングロット様がお見えになりました」
     社長、だなんて似合わない呼称を使われるようになっても、彼の引きこもり癖は相変わらずなのだと思うとおかしくなる。はい、と中から低く返事が聞こえた。目の前に立つ秘書に気付かれないよう、僕はそっと胸に手をやる。大丈夫、僕はアズール・アーシェングロット。気鋭の若手実業家、優秀な魔法士、初代モストロ・ラウンジ支配人、深海の商人。ステッキを握る指の角度を確認し、背筋を伸ばして目の前のドアを見つめる。胸を張って、あごはやや引き、目をしっかり開く。魔力認証システムがクリア音を立てる。秘書がドアノブに手をかける。心臓の音がうるさくて頭が爆発しそうだった。まばたきを一つする。ゆっくりとドアが開かれた。失礼します、という自分の声が遠く聞こえる。先導する秘書の背から視線を外せないまま、一歩、二歩部屋に足を踏み入れる。秘書が体ひとつ横にずれた。
    「モストロ・マーケティングのアズール・アーシェングロットでございます。本日はお忙しい中、このような時間を頂戴し誠にありがとうございます、Mr.シュラウド」
     ああ駄目だ、と思った。僕の立つ先、声が届いてしまう場所に彼がいた。イデアさんだった。僕は今どんな顔をしている? ムール貝の中身みたいにみっともなくとろけてやいまいか。Mr.シュラウドと発音した声は哀れに震えてやいなかっただろうか。
     彼が、こちらに向かってよろめくように近づいてくる。手を伸ばせば触れられる寸前の距離で立ち止まり、眉を懐かしい八の字にして口を開けたり閉じたりしている。夢にまで見たその姿を僕は堪能した。彼の指がぴくぴく動いている。あの指が器用に動いて何でも生み出してしまうことを僕は知っている。
    「は、本、物?」
     やっと絞り出された彼の声は、かすれてしまって殆ど囁くようだった。それで僕は、急に変身薬が切れて自分が蛸に戻ってしまったかと思った。ちらりと視線を落とせば確かに二本の脚が生えているのに、その脚の感覚が遠くなる。体中の血液が目と耳に集まるのを感じた。それでも無理矢理、口の筋肉に運動を命じる。
    「ひどい、見間違えるんですか?」
     彼が滅茶苦茶に首を振るものだから、昔と変わらず野放図な髪から火の粉が飛び散った。それが剥き出しの床の上で身をよじり、少しののちに消えてゆく。
     意を決して彼の下に歩みを進める。少し気を抜けばくずおれそうな二本足を叱咤して、数歩、そう、たった数歩の距離なのだ。彼は目を見開いてこちらを凝視している。僕も彼から目をそらせなかった。数年の歳月は彼を少し精悍にした。青白い顔色は記憶にある通りだが、あの頃のほっそりした頬のラインはもうない。当時より痩せて、骨の形が目でなぞれた。だらりと垂れた両手には火傷の痕やグリスらしき汚れがこびり付いている。背だっていくらか伸びたかもしれない。
     口を開けて、は、と息を吸った。気持ち顎を持ち上げる。イデアさんの目を真っ直ぐ見据えた。
    「お約束を、果たしに上がりました」
     潰れたような声が出て、一度言葉を切る。イデアさんは何も言わない。固唾をのんで僕を見ている。シロップ、バター、蜂蜜、ブランデー。思い浮かべたものが喉を滑り落ちるのをイメージしながら、もう一度口を開く。
    「体育館いっぱいのツナ缶よりも沢山の価値を、あなたの才能に。決して悪いようにはいたしません。……さあ、どうか僕と取引を」
     細く息を吐いて、視点を固定したまま首を傾げ、体に覚えこませた最も効果的な角度でぴたりと止める。クラゲ型、と唱えながら、ゆっくり目を細めた。静寂の支配。イデアさんは何も言わない。ああ、やっぱり僕の交渉術は彼には通用しないんだ。胃の腑がぞわりとうごめいた。喉の奥が酸っぱくなるのをぐっと押し込める。大丈夫だアズール・アーシェングロット、まだこの時間は終わっていない。最後の力で、もう一度、胸から声を押し出した。
    「……返事は?」
     自分で思っていた以上に心許ない声だった。糸縒り機で限界まできつく引き絞ったような、細い細い声だった。沈黙が滞留する。その時、うあ、と誰かの喘ぎ声が聞こえた。僕ではない、多分。斜め後ろに立つ秘書も違うだろう。とすれば。額に汗が噴き出す。目に力を込めて、閉じないよう必死で念じた。
    「……イ」
     また声が聞こえる。今度ははっきりと、彼だと分かった。イデアさんの口がわずかに開いて、iの形を作っている。次の瞬間、部屋中に咆哮が轟いた。
    「あ、イ、イエス! イエスだよ! イエス! ……イエス!!」
     イデアさんが飛び上がり、背後のデスクを後ろ手にまさぐる。ものすごい音を立てて机上のものが次々床に散らばった。クソ! と叫んで、イデアさんが床に這いつくばって落ちたものを引っ掻き回し始めた。そして一本のペンを拾い上げ、床に膝をついたまま僕を見上げて、まるでそれが聖火の松明か何かであるかのようにうやうやしく掲げて見せた。
    「こ、これ、するよ、サインする。さ、出して、契約書」
     今、僕があと一秒でも若かったら、大声で快哉を叫んでいたところだった。けれどもそうではなかったので、どうにか心の中で叫ぶだけに留めることができた。それでも姿かたちを取り繕うには今の僕は若すぎて、へなへな崩れ落ち、目の前の彼と同じように両膝を床についた。もう表情だって、眉なんかすっかり下がって、きっと泣きそうな顔をしている。イデアさんが情けない顔で微笑みながら僕を待っている。力の入らない手で僕は懐を探り、羊皮紙の綴りを取り出した。イデアさんがそれをひったくって、表紙に大きく名前を書いた。
    「中身も読まずに……僕以外にそんなサインしたら、怒りますよ」
    「ふひ、殺し文句」
    「本当に良いんですか、会社のことでしょう」
    「アズール氏らしくありませんな。大丈夫ここ僕のワンマンだから」
    「全然大丈夫じゃない。スタッフ失いますよ?」
    「そしたら御社で拾ってくだされ」
     堰を切ったように交わされる言葉はまるであの頃のようだった。二人とも無言になって顔を見合わせる。そして数秒、同時にふは、と破顔した。契約書を受け取り、懐かしい彼の筆跡を指の腹でなぞる。
    「イデアさん」
     うん、と彼が促す。青い炎に金色の目。触りたくて伸ばしかけた手をぐっと握ってこらえた。僕にはまだ言うべきことがあった。最も効果的な角度に傾げた首、クラゲ型の目、控えめすぎでも過剰でもなく引き上げた口角。今度こそ完璧だ。
    「契約成立です(イッツ・ア・ディール)」
     こちらこそよろしく、とイデアさんが頷いた。
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    2022/07/09 17:57:22

    焼け木杭が爆発炎上(上)

    #BL #イデアズ #ツイステッドワンダーランド #二次創作
    アズールがモブと少しいい雰囲気になるくだりがあります。
    初出:2020/6/18(Pixiv)

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