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    不可逆的果実/他3篇海の黄金きっとぼくらは祈らない不可逆的果実starry soda pops, I was just a boy2020/8/09ワンライ(テーマ:宝物)に寄せたもの
    海の黄金 どういう流れだったか、宝物の話をしていた。
    「ありますよ、宝物。見ます?」
     そう言った彼が部室に持ってきたのは、薄汚れたコインだった。薄汚れている、というのは少し意地が悪いだろう。ヴィンテージ、あるいは遺物。そういう風合いの一枚だ。
    「僕、コイン集めが趣味なんですけど」へえ意外と漏らす僕を一瞥して、布手袋につけかえた彼の手がその遺物を恭しく取り出して見せる。「そのきっかけが、これなんですよ」
     素人目にはそれが何を意味するのか分からない、古ぼけたコインだ。眺める僕の目はいかにも胡乱だったのだろう。それを掲げる腕の陰からアズールが顔を覗かせて、ささやかに苦笑いする。
    「これ、ジュニアハイの頃探検していた海底遺跡で見つけたんです。いじめられてね、逃げるみたいに泳いでいった先で。入り組んだ遺構があって、隠れている間も退屈しない、お気に入りの場所なんです。国立公園になっているところで、すっかり調査は済んでいるんですけど、どうもこのコインときたら僕に見つかるまで何百年間も上手に隠れていたみたいで。そう思うとほら、かわいいでしょう。なので持って帰ってきてしまったんです。本当はいけないんですけど」
     内緒ですよ、とウインクをして、彼の手がコインをケースに戻す。へえ、と覗き込んだそれは、彼の言葉が正しいのであれば何百年も海中に眠っていた割に鈍い輝きが覗いていたから、きっとそれなりに純度の高い金でできているのだろう。鑑定に出さないのか尋ねたら、アズールはあっけらかんと笑った。
    「いやですね、イデアさん。宝物だって言ったじゃないですか。そういうものって、やたらと見せびらかすものではないでしょう」
    「アズール氏もそういう一マドルの得にもならんことするのですな」
    「馬鹿にしてます? これは僕が自分で見つけた、世界で一つだけの宝物なんです。僕にとって特別な価値があれば、それでいいんですよ」
     それを聞いて、僕は無性に心臓の裏側がむずがゆいような気持になった。だってアズールは、自分だけの宝物を僕にこうもあっさり見せてくれたってことだろ? やけに面映ゆくて、オールドコインなんかに興味はないはずなのに、彼が嬉々として説明するのにその日の僕は身を乗り出して聞き入ったのだった。

     そういうことがあったのが先々週のことだ。今僕は、アズールの腕に抱かれて見知らぬ人に構築済みシステムの説明をしていた。勿論生身ではなく、抱かれているのはタブレットである。
    「アーそういうわけで、最小限の魔力でも動くように改良したんでほぼほぼブロットの心配なく稼働させられますんで」
    「素晴らしい! スミスさん、あなたは本当に素晴らしい技術者だ。是非直接お話を伺いたい」
    「アッ、アいやそれは」
    「申し訳ありません、サー。スミス氏のプロダクトには機密も多いものですから、どうかご容赦を」
     頼もしい彼氏兼ビジネスパートナーによるやや強引な幕引きにより、今日も僕のプライバシーは守られた。少し情けなくて、ヘッドセットのマイクを手で覆いながら大きめの溜息をつく。僕が表立って動くのを嫌うことを知って、アズールはいつもこうやって僕を守ってくれているのだ。thx、と彼の手元の端末にテキストメッセージを送る。構いませんよと簡潔な答えが返ってきて、僕は少しだけ息をついた。ビジネスに興味はないけれど、苦手な交渉ごとを全て丸投げして開発費を稼いできてもらえるのは正直助かる。アズールが楽しそうにしているのは、僕も眺めていて楽しいし。
     それでもいい加減気が引けてきてしまって、その夜彼が部屋を訪ねてくるなり、僕は思わずこぼしてしまった。
    「いつもすまそ。矢面立ってもらって」
     コミュ不慣れ陰キャの唐突な謝罪に虚をつかれたらしい彼は、一瞬考え込む顔をしてからおかしそうに笑った。
    「昼のことを言っているのなら、いつも言っていますけどあなたは気にしなくてよろしい。こちらもそれなりに良い思いをさせていただいていますから」
    「いやでもさあ面倒でしょ毎回陰キャのオタトーク翻訳したり適当に話切り上げたり色々……まあだからって拙者がやれと言われても無理だが……別に名前くらいは出してもらっても構わんのよメールなら拙者も対応可ですしおすしいや多分だけどマジで出しちゃ駄目な情報とかポロリしちゃわないとも限らんけどいやほんと無理みつよし君なんだけど」
     しどろもどろの僕をよそに、アズールは一つ鼻を鳴らして部屋の奥にずかずか進んでしまう。うっそ機嫌悪い? アズール氏おこ? え拙者どこで間違えた? 金魚のフンみたいにその後ろをのそのそついて回って、差し出されたジャケットをハンガーにかけさせていただいたりしながら言い訳を重ねる。ようやく服をくつろげた彼がベッドに腰掛けたので、僕も恐る恐る隣に座る。靴下を剥いだ足首をぐりぐり回しながら、アズールが僕を見上げた。
    「だからね、いいんですよ」
    「でも」
    「僕が良いって言ってるんです」
     ピャン、と変な声を出して黙り込んだ僕の膝に裸の足を乗せて、僕のかっこいい彼氏は嫣然と笑う。
    「僕が好きで、あなたを隠匿していると思ってくれればよろしい。ね、前も言ったでしょう?」
     あさましく伸ばしかけていた僕の手の下から素足をひっこめて、代わりに彼の顔が目の前に迫る。その虹彩に、僕の金色の目が反射していた。
    「宝物はやたらめったら見せびらかしたりせず、自分だけの秘密にするタチなんです、僕」
    2020/08/16ワンライ(テーマ:線香花火)に寄せたもの
    星イベ前なのをいいことに捏造 お盆時期だったのでね
    きっとぼくらは祈らない「もうやめてとっくに拙者のライフはゼロよ、うわ歩く度に削れるマグマ床かよ」
    「仮にもデートなんだから少しは気の利いたこと言ってくださいよ」
     ねだられ脅され最後にはほだされて部屋から街へと連れ出された僕は、さざめく人々の隙間を泳ぐようにすり抜けて行くアズールを、注意深く目深に被ったフードの下から眺めている。あなたと一緒にお祭りを見たいんです、僕のお願い聞いてくれないんですか、なんて殺し文句に骨抜きにされて、星送りの祭の前夜祭に僕は付き合わされていた。
     広場とその周辺は想像以上に薄暗く、宙に浮かべられた青白い球体の飾りがそこかしこで茫洋とした光を落としていた。光のさざなみの中を気ままに遊泳する彼の姿が見物客の隙間に隠れては現れ、時折、僕がちゃんとついて来ているか確かめるようにこちらを振り返る。その度に彼の銀色の髪が残像のようになびいて、僕は慌てて追いかける足を少し早めるのだった。
     ふと前を歩く人にぶつかりそうになって、僕は半歩アズールの方に身を寄せてそれをかわす。肩が当たって、暑気に混ざり切らない彼の体温が薄手の服越しに一瞬伝わる。すまそ、と身を引こうとした僕を、しかし彼は許さなかった。真っ直ぐ前に顔を向けたまま、腕だけが急に大きく動く。それはたった今ぶつかった僕の腕を鷲掴みにして、汗に湿った肌同士の触れ合う感触を僕に教えた。迷子になりそうですから、と彼が言う。僕はアズールの方を見ることができない。されるがままに硬直して、ただ左右の足だけを交互に動かす。噴き出した汗を肌にこすりつけるように、アズールの手が腕を滑り降り、その指が僕の手首に強く巻き付いた。そこから呼吸一つ分の時間をおいて、おずおずと再び彼の手が動き出す。ついに掌が重なって、僕は息を止める。アズールの手は汗ばんで柔らかかった。変な角度で掌を握りこまれて、けれど上手く繋ぎなおすために指をほどいたら、また触れ合える自信がなかった。あつい、と彼が呟く。指の隙間が汗でぬるついていた。彼が差し出してくれた勇気に少しでも応えたくてその手を握り返したら、アズールが眉尻を下げて僕を見上げぎゅうと口の端を引き上げた。
     どこかで子供たちが笑っている。小銭がばらまかれる音と、それに続いて何か悪態を叫ぶ声が聞こえてきた。塗装の剥げた回転木馬が円形のステージで踊っている。からくり時計が夜八時を告げて、上演された人形劇のちんけなハッピーエンドにアズールは一緒になって憤慨してくれた。歩いているだけで意識が融け出しそうな熱帯夜だ。明滅する青白いランタンの下で、人々の姿は曖昧だった。繋いだ手だけが明確な熱を持っていた。
    「あ、もうすぐ中央ですかな」
     僕の発した言葉に、アズールが首をかしげる。どうして分かるんです? それに、周囲を手で示すことで答える。居並ぶ屋台はいつの間にか、線香花火を売る店ばかりになっていた。
    「え、アズール氏知らない? 線香花火やる風習みたいなの」
    「……ええ。ご教授願っても?」
     一瞬空いた間は、彼の何種類かの矜持のせめぎ合いに費やされた時間だろう。不服気な早口で紡がれた要請に、僕は少し笑ってしまう。抗議は言葉の代わりに繋いだ手を握り締めることでなされ、僕はその大胆な感情表現のもたらす痛みに悲鳴を上げた。
     適当な屋台で線香花火を購う。一束十本、二百マドル。その半分をアズールに分け与えると、彼は物珍しそうにしげしげとそれを眺めていた。
    「これが花火ですか」
    「初見? いちお花火のフレンズですぞ。これ、この太くなってるとこが火薬な。んで花火の屋台が増えたってことは、もうすぐ……あ、ほら。アルタイルの泉」
     景色の開けた先に、本を持った鷲の銅像が見えた。足元は人工の泉になっている。そのへり、複雑な彫刻の少しすり切れたブロックに腰掛けて、僕は指先に灯した炎を花火に近付けた。シュワ、と微かな音と共に火薬が火に包まれ、みるみるうちに球状をなす。そこら中に浮かんでいるランタンと同じ、青白い火球だ。
    「この国の風習でね、星送りの祭の期間は魂がそこらじゅう彷徨ってるんだって。死んでからあっちに行けなかった子とか、あと力を使い果たして消えちゃったゴーストとか。ほいこれ、持ってみそ」
    「ありがとうございます」
     律義に礼を言って、アズールが花火を受け取る。火球は大きさを増し、じわじわと胎動して炸裂の時を待っているようだった。続いて自分も一本点火して、泉の上に腕を伸ばしながらアズールを促した。こうやって、水の上で持つのですぞ。素直にアズールが腕を差し伸べる。いつだったか、同じように教えてあげた子のことを少しだけ思い出した。やがて火球はパチパチと火花をまとい始める。静かな水面に映った星空に、青白い燃焼が融け込む。
    「で、漂ってる魂はかつての自分の形に似たこの火を見ると飛び込んでくるんだって」
    「それじゃ僕ら、今誰かの魂を持っているんですか」 
    「そゆことになりますな。で、最後まで燃え尽きると空に昇って星の子供になれるんですと。あ、ちなこの火結構すぐ落ちますぞ」
    「え!」
     フラグ回収。声を上げた弾みに、アズールの吊り下げる光球はあえなく水面へと落下してしまう。鷲の足元の暗い星空に、輝きが音もなく吸い込まれる。
    「え、あ、嘘、どうしましょう。ちょっと、次! 次は落としませんから!」
    「クヒ、アズール氏ほんと負けず嫌いな」
    「え、というか、落としたらどうなってしまうんです? あの、さっきの魂の話。え、まさか」
    「だいじょぶだいじょぶ。水に落ちた方の魂はね、海の下の冥界で眠るんだよ」
     途中で君の国を通るね。捕まえてカンテラ代わりにしちゃ駄目ですぞ、とからかうと、須臾の無言が落ちて僕は少し後悔する。
    「駄目ですか、捕まえては」
     アズールが次の一本に火をつける。青い光球が生まれる。誰かの魂が飛び込んで行く。それを見つめる横顔には夜陰のヴェールがかけられていて、伏せられた睫毛だけが銀色に輝いていた。
     泉を取り囲んで、いくつもの魂が燃えている。それらを送る生者たちの顔は宵闇に閉ざされて判然としなかった。星空と花火と水底とが渾然一体となり、安らかなれと、無数の祈りが宙を泳ぐ。次第に、自分の持つ花火がそのうちのどれなのかも分からなくなってゆく。
    「可哀そうな魂たちですこと」
     ぽつりとこぼされたアズールの声が空気を揺るがしたので、拡散された僕の自我が急速に収束する。アズールの捧げ持つ花火がパチパチと華やかに火花を舞わせる。水面上の火球は束の間の歓喜を唄っているのに、見つめるアズールの目は哀れみを湛えていた。
    「この魂どもは自分では帰るべき場所も見つけられなくなった、哀れな不眠症なのでしょう。それでこうして、誰とも知らぬ人間の手慰みに頼ってようやく眠りが得られるだなんて、僕はそんなの、ごめんですね」
    「底意地オクタ並感やめれ。変に現世をうろついてるの、結構しんどいよ」
    「あなたがそれを……いえ、イデアさん、あなたはどちらかというと、カンテラを作った人間でしょう」
     突き付けられた罪が僕の頬を横殴りにした。身動きの取れない僕の手の中で、花火の燃焼が静かに幕を引く。僅かな火薬のにおいとともに、炎は沈黙する。迷子の魂がひとつ空に立ち昇る。
     アズールがこちらを振り向き、僕を凝視した。手元が激しく揺れ、火球が中空に放り出されて泉へと消える。魂が海底の尚低きへと下ってゆく。
    「何がいけないんですか、手を伸ばすことの。僕は気まぐれな祈りよりも、叶えられるお願いの方が肌に合っています。替えのきく慰めを向けられるよりは余程、誰かの欲望でこの世に引き留められた方が、嬉しく思いますよ」
     そう言ったアズールは目を爛々と輝かせ、僕の胸ぐらを掴んだ。
    「叶えたんでしょう、あなたは」
     僕が何も言えないでいる間に、彼は僕の分まで残りの花火を奪うと、次々と火を点けて行く。鼻先を高らかに上げた横顔はとても美しかった。彼の慈悲の手によって、いくつもの魂が空へあるいは水底へと送られて行く。そして彼自身は、消えた魂たちの向こうに己の行く先を見定めようとするかのような、欲望に濡れた鋭い目をしていた。
    2020/8/23ワンライ(テーマ:柘榴)に寄せたもの
    珍しくタイトルがすっと決まりましたね
    ちょっとした火傷の描写があります





    不可逆的果実 肌色の絆創膏。ごくごく小さなそれが男の頬に貼られていることに気付くには、十分な観察が必要だろう。その点、アズール・アーシェングロットには部活動時間分の機会があった。とはいえそれが目についた理由は分からなかったので、少し考えてから己の商人気質由来の注意力のなすところだろうと結論づけた。気になってしまったのだ。彼の均一な肌にこっそり紛れ込む異物は、アズールの関心を奇妙なほどに引きつけた。
    「イデアさん、それ、怪我ですか?」
     彼が肯定らしき曖昧な声を上げた頃には、アズールはもう椅子から腰を浮かせて手を伸ばしていた。あ、うん、今日の錬金術の時、ちょっと火傷。戸惑いに上擦る声はアズールの顔の横を素通りしてしまう。人差し指で、その絆創膏をそろりと撫でる。れんきんじゅつ、錬金術。イデアの言葉が遅れて脳に到達する。ああなるほど、辛うじてゴーグルで保護されない位置だ。彼の烏の濡れ羽色の睫毛がわななく。黄金の虹彩が揺れる。
    「差し支えなければ、剥がしてみても? 火傷って、見た事ないんです、僕」
     嘘だった。人魚なんて太陽に少し曝されれば水膨れは免れないし、ラウンジの厨房には火傷用の軟膏が常備されている。けれどアズールがこうして無知を装うと、イデアに染みついた兄としての行動様式が、本来よく回るはずの頭脳にブレーキをかけるらしいのだ。ア、ウン、ドウゾ。皆まで聞きもせず、爪の端を絆創膏と皮膚の間にほんの少しだけ滑り込ませる。肌に密着した絆創膏が、片隅にかけられた圧力に押されて波打っている。やがてめくれた絆創膏の端を摘まみ、ゆっくりと肌から引き剥がす。漂白されたような彼の肌の、赤く濡れた傷口が白日の下に暴かれた。
     傷の下、あと1ミリと少しで触れてしまいそうな場所にアズールはそっと触れる。火傷なんて初めて見たわけでもないのに、美術室のトルソーのような彼の肌に出現したそれに、アズールの目は吸い寄せられて離れなかった。
     ゆっくりと、肌に触れた指を折り曲げて角度をつけて行く。アズールはイデアの頬に爪を立てる。彼が不快感に肩を震わせ、ぎゅっと眉根を寄せるのが分かった。それでも好きにさせてくれるんだから、この人も大概僕に甘いな。背筋を見知らぬ感覚が駆け上がったが、アズールは無視をした。目の前の傷こそ重大な関心事だった。
     立てた爪に少しだけ力を込めると、圧力のかかった傷口にじわりと液体が滲む。目がひりついて、それでアズールはまばたきを忘れていたことに気付いた。けれど目を閉じることができない。熱っぽく熟れて隆起する傷口は彼の内部だ。そこからしみ出す赤い血と透明な組織液。滴るほどではない。ただ濡れているだけ。真っ赤な海にせり出す白い肌の海岸線は、既にふやけた藻屑のようなものを集めて自己再生を始めていた。息が少し苦しくなって、慌てて呼吸を再開する。吐き出した息がかかったのだろう、薄眼を開けた彼がおずおずこちらを伺う。
    「その、アズール氏、もう、いい?」
    「あ、ああ、すみません。つい夢中に……あいえ、観察に、ですが、ええ。早く治るといいですね。お付き合いいただいた対価に軟膏を差し上げますよ。あ、そうだ、絆創膏も貼りなおさないと。イデアさん、予備持ってます?」
    「拙者がンなこまごましたモン持ち歩く人間に見えますかな」
    「いえちっとも。ああいや、すみません、後先考えず手を出したりして。買って来ますよ」
     急に流れを再開した時間に少したじろぎながら、アズールはイデアから体を離した。どれほどの時間夢中になっていたのだろう、伸ばした体がばきばきと鳴る。秋の太陽はもう随分と傾いていた。購買に行ってきます、そう言って部室の入り口に差し掛かったところで、え行っちゃうの、と思わずまろび出た風な声音が背中にぶつかる。イデアの声だ。振り向くと、長い手足を不器用にばたつかせながら立ち上がろうとしている。おや、と首を傾げて待っていると、いつにも増して猫背をひどくした彼が小走りで駆け寄ってきて、拙者も行きます、と早口で呟いた。
     先ほど窓から眺めた斜陽も、直接体を曝せばまだ十分に暖かい。一定のリズムで脚を進めるアズールの半歩後ろをイデアがとぼとぼと歩き、遅れかけると今度は小走りになり、随分忙しない様子で追ってきていた。
    「なぜあなたも来るんです? 部室で待っていてくださってもよかったのに」
    「あーあーさーせん、拙者みたいな陰キャと一緒にいるとこ見られたらオクタ寮長様イメージダウンっすよなスマソ、帰るわ」
    「一応あなた先輩なんですから、拗ねないでくださいよ」
    「一応ね」
    「僕はただ、あなた普段出歩きたがらないのに、今日に限って付き合ってくださるのはなんでだろうと思っただけです」
    「ええ、それ聞いちゃう?」
    「問うことそれ自体が解のキーになる謎ですか? もう少しヒントをいただきたいです」
    「別に謎かけのつもりでもなかったんだけど、まあ、そのうちにね」
     応酬の最後はイデアの手によって地面に放り捨てられた。空では腐敗した太陽が形を崩壊させ、赤い光が融けて景色に浸潤する。落日の庭に流れ出した太陽がアズールの見ることのできる全てに爛熟の季節の色を塗りたくり、イデアの青い炎だけがそれには染まらず存在を保っていた。木々も小石も校舎もアズールの細胞も、皆あと一、二時間の内に死ぬのだろう。そして明日にはまた、睡眠の中で記憶を再構築した脳が今のことを少し忘却した体に目覚めをもたらす。勤勉な彼の炎だけが、不眠のままに夜の玄関先で太陽を出迎えるのだ。それはいかにも憐れなことであるように、アズールには思えた。頬の傷も未だ乾いていないというのに。
     どこからか、運動部の掛け声が微かに聞こえる。薄い笑みを浮かべるイデアの気配が寄る辺なくて、思わず伸ばしかけた手を握りこんだ。今日はどうしてか、ずっと彼のことが気になっている。あんな風に傷口をまじまじと見ているだなんて、ちょっと異常じゃないか。何もわかっていない自分とは裏腹に、イデアは何かを知っている様子だった。その何かが今にも曝け出されそうな予感があった。ちょっと待ってください、と声をかける。隣を歩く彼が足を止める。横たわる無言の間をすり抜けて、ふと、聞き慣れない音をアズールの耳が拾った。何か繊維質のものが裂けるような、あるいは割れるような、殆ど音とも言えない小さな空気の震えだ。どうして聞こえたのかも分からないけれど、確かにそれが聞こえたことをアズールは確信していた。そしてその視線の先には、庭の片隅の木に実ってたった今割れたばかりの、みずみずしい柘榴の果肉が夕日に照り映えていた。
     ああ、とアズールは絶望し、そして笑いがせり上がってくるのを感じた。ああ、ああ、ああ。言葉にならない思いが溜息の服を着て空気中に躍り出て行く。
    「どうしよう、どうしましょうイデアさん、僕分かってしまった」
    「フヒ、何のことですかな」
    「何のことでしょう、ねえあなたはずっと知っていたんでしょう、これは何だと思いますか」
    「何でしょうなあ、なんかもう戻れんやつでしょうな」
    「はは、ひどい人」
    「dgsks拙者にもどうしようもなす」
     果皮から溢れこぼれた粒が輝く軌跡を残して地面へと落下する。それを彼らは受け止めようともせず見守った。やがて辺りがすっかり暗くなってしまうまでその狭い中庭に立ち尽くし、取り返しのつかない恋に完膚なきまでに打ちのめされて、イデアとアズールはいつまでも二人で笑っていた。
    2020/08/30ワンライ(テーマ:炭酸)に寄せたもの
    タイトルはバンアパのforget me notのラストの歌詞より。セルフカバーの日本語詞の方じゃなくセカンドに入ってる英語詞の方です。炭酸と言われて瞬で出てきた、私の魂に刻まれたエモです。
    単体でも読める仕様にしてあり裏設定程度の繋がりですが、拙作「焼け木杭が爆発炎上」と同じ二人のつもりです。
    starry soda pops, I was just a boy 二人で暮らすために選んだ家は川のほとりにある。家賃だとか二人の仕事場への利便性だとか改装自由だったとか、そこを選ぶために僕は様々な理由を並べ立てた(そしてそれらは勿論本心だった)けれど、人魚を重力に縛り付けることへの僅かな後ろめたさが頭にあったことは、今になって思えば間違いなく事実だろう。けれど僕のそんな罪悪感をあのツンととんがった鼻で軽く笑ってのけたアズールは、今日も上機嫌にこの家に帰って来ようとしている。僕はそのことに申し分のない幸福を感じているので、こうして仕事をする手も疎かに、アズールからの連絡を心待ちにしてはメッセージの着信を告げたスマートフォンに飛びついてしまうのだ。
    “社長最近イン率低いっすけど次いつ出勤します? 取り寄せてたマテリアル届いたんで強度テストするんすけどどうせ立ち会いたいでしょ?”
     部下だった。
    “いやお前かーーい”
    “なんすかパワハラすか 訴えますか”
    “陳謝陳謝 おkスケジューラー入れとくから適当に共有タスク発信しといて”
    “誰より会社に住み着いてたのが同棲始めた途端にこれ リア充はいつだってそう 誰も陰キャを愛さない”
    “オーケーグーグル 向こう一月の予定全部不在にして”
    “社長室でバーベキューしてやりますからね”
     バーチャルコンシェルジュとお話をしていたら、今度こそエントランスのロックが解除される音がする。アズールだ。廊下を歩く足音は真っ直ぐ僕の部屋の方に向かってきて、ドアからひょっこり覗いた顔が綻ぶ。実は数時間前のメッセージで在宅の厳命を受けていたので、言われた通りいい子でリモートワークをしていたところだ。褒めてもらおうとだらしない顔で駆け寄ってしまう。おかえりの挨拶もそこそこに僕を上から下まで眺め回したアズールは、苦笑いでリビングを指した。
    「ちゃんと着替えているのは褒めてさしあげます。どうせ家から一歩も出てないんでしょう?」
    「拙者を誰だとお思いで? 自宅警備員検定一級ですぞ」
    「丁度良い、セキュリティ事業にも手を広げようか考えていたところです。十五秒ごとにパスワード打たなくて良い仕様でお願いしますね」
    「さすがアズール氏銭ゲバの鏡」
     応酬の間にアズールが窓を開け放つと、水気をたっぷり含んだ風が吹き込んで一日使い古された熱を押し流す。
    「ほらご覧なさいな。今日は良い日ですよ」
     窓枠に手をついて身を乗り出した伴侶が僕を振り返る。彼の肩越しに見下ろした街路の上で光と声とが賑やかにさざめいていた。
     家の前を流れる川に電飾が巡らされている。ゆっくりと遡上する遊覧船は酒に酔ったみたいに揺れていて、道行く人たちが気まぐれに立ち止まっては手を振っていた。床に落としたサイダーの瓶の中で泡が湧き上がるみたいに、時折誰かの笑い声がわっと弾けて渦を巻き起こしている。
     今日は窓辺で食事にしましょうよ、と相変わらず光るものが好きな可愛い人魚がテーブルを引きずりながらはしゃいでいる。取引先から良いシャンパン頂いたんですよ、ロマンチックでしょう? アズールがワインクーラーに瓶をセットする。輝石の国の言葉で書かれたラベルは読めないけれど、彼がそう言うのだから上等のものには違いないのだろう。釣り合う食事の無いことを白状すると、そんなことだろうと思いましたよと笑われた。とうにケータリングを頼んだらしい。
    「ミスター・アズール・守銭奴・アーシェングロットが豪勢じゃんどうしたの。明日きみ誕生日でしたかな?」
    「誕生日ではありませんが、休日ですからね。実は今日金曜日なんですよ、ミスター・イデア・引きこもり・シュラウドはご存じないかもしれませんが」
     僕が無言になったので、いよいよアズールが呆れたように片眉を引き上げる。曜日の感覚も無いだなんてワーカホリックも大概にしてくださいよと言われ返す言葉もない。
     ひとまずおかえりの乾杯をすることにする。フルートに注がれた液体から繊細な泡が立ち上り、戸外で揺らめく明かりを取り込んで星空のように輝いていた。
     窓の外をゆく誰かと目が合ったのだろう、アズールが小さく手を振る。何だか楽しそうですよ。うん、仕事帰りかな。つられて僕も街を見下ろしてから、ふと不思議な感傷に襲われた。かつて十代だった頃、僕はペットボトルの中の星空しか知らなかった。デスクに置いたサイダーの泡にモニターのブルーライトが乱反射しているのを世界のすべてだと思っていたのだ。二酸化炭素の溶けた青白く甘ったるい清涼飲料水の味しか知らない少年だった僕は、指の隙間をすり抜けて弾け消える心に焦って、自分もきみの中に溶け込もうと闇雲に眼の前の肌にしがみついていた。そして翌朝にはいつも、すっかり炭酸の抜けた飲みかけのサイダーを舐めては顔をしかめたものだ。それがいつの間にか、こうして開け放った窓から本当の星空を見上げ、通り過ぎる人たちの暮らしに一瞬だけ想像の手を伸ばすようにさえなっている。もちろんきみの心にだって。
    「何ぼんやりしているんです? もう酔った?」
    「んん? いや、昔だったらこうやって食事してる暇あったら、アズール氏を召し上がっちゃってたな〜みたいな」
    「おや、今の僕は魅力がない?」
    「いやいやいやそういうんじゃなくってね!?」
     愉快そうに笑うアズールの顔は悪辣さがいよいよ熟して、学生時代に輪をかけて手強そうだ。ええ、これ、言わなきゃ駄目なやつ? 僕が唸るのを、アズールは傲然とシャンパンフルート越しに眺めている。悪の組織かよ。ため息をひとつついて精神を集中する。逃げちゃダメだ、僕ならできる、イデア、行っきまーす。
    「君は今が最高にセクシーでやらしくてかわいいよ」
    「しかも賢くて格好いい、ね。結構、合格です。ベッドルームの入場権を進呈しましょう」
    「競争率激戦爆レアチケットキタコレ」
    「競争率だなんて、あなただけの特別ご招待ですのに」
    「詐欺じゃないよねそれ?」
     白々しい泣き真似をするアズールを笑って、フルートグラスを傾ける。暑い日にぴったりの、辛口のアルコールだ。まあ、これを飲んでからね。それまではお喋りしましょうぞ。そう言った僕に、アズールは眦をとろかしてゆったりと頷いた。
    鶏肉 Link Message Mute
    2022/07/09 19:15:41

    不可逆的果実/他3篇

    #二次創作 #BL #イデアズ #ツイステッドワンダーランド
    ツイログです。その節は反応などいただきありがとうございました。とても嬉しいです。

    p1:海の黄金(ワンライ宝物)
    p2:きっとぼくらは祈らない(ワンライ線香花火)
    p3:不可逆的果実(ワンライ柘榴)
    p4:starry soda pops, I was just a boy(ワンライ炭酸)

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