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    ソファ・ボートと記憶旅行 夏が来て、僕は四年生になった。インターン先では社員に交じってスーツ姿で日々を過ごしている。制服を脱いだ僕を見たイデアさんは淡く笑い、なんか変な感じだね、と言った。卒業後初めて会う彼、初めて立ち入る兄弟二人暮らしのアパートメント。多忙な若手研究職の住まいなりに少々荒れたその部屋の真ん中に、きまり悪く立ち尽くす僕。確かに奇妙な感慨を呼び起こすには十分な舞台装置が整っている。
     週末、お邪魔してもよろしいでしょうか。数日前のメッセージの履歴は今も僕らの端末に残っている。いやに堅苦しいその文言を彼に告げるのにはそれなりの勇気を要した。久しぶりだったのだ。寮長の任を受けるのは相応の能力がある者、そして僕にはその自負はあったけれど、それでも三年最後の数か月は目を回しているうちに過ぎて行った。無論進級試験だって、ナイトレイブンカレッジのそれは名前を書けば通るようななめくさった代物ではない。更には僕の場合ラウンジの引継ぎものしかかってくるのだが、これについては手抜かりも認めよう。早い時期に一線を退いておけばよかったものを、ずるずると引き延ばしたのは僕自身だ。小憎らしくも親愛なるウツボの言う通り、僕はあの場所にひとかたならぬ愛着を抱いていたのだろう。僕の不徳の致すところにより、最後に彼と生身で会ってから早くも二、三か月が経っていた。
     通話やメッセージのやり取りは二日とおかなかったから実感こそないけれど、短いとは言えない期間が空いている。もっと早く、例えば彼の部屋が整頓されていて、新居への感想を述べるに無理のない季節に訪問を果たしていれば、多少はスムーズに会話の端緒を掴めたのかもしれない。認めるべき非を数え終わり言い訳の吟味を始めようとしたところで、彼の目の中の興味深げな色に気付いて僕は口をつぐんだ。
    「変な感じというと、つまり?」
    「つまり、つまり、ううん……アズール氏がアズール氏じゃない、みたいな?」
     僕は首を傾げる。セルフイメージとインターン先のドレスコードに忠実な細身のスーツ、あどけなさは武器になるので髪型は一年前のまま。眼鏡のフレームも陸に上がって以来同じものだ。何が彼の違和感を誘引するのだろう。僕を眺めまわしながらうんうん唸るイデアさんを見返す。あの、僕そろそろどこかに座らせていただいても? 実を言うと、靴が馴染みきっていないんです。スーツに合わせて新調したので。
    「ああ、それだ!」
    「気付いていただけて涙が出そうに嬉しいです。それで、僕はどちらに?」
    「制服じゃないから!」
     はあ、と間抜けな声が出たのはきっと僕の気が緩んでいたせいではない。相も変わらず素っ頓狂な彼にこそ責を問うべきだろう。腕を組んでねめつけた僕に、今度こそようやく家主の仕事を思い出した彼が慌ててソファを勧めてくれた。部屋の隅に寄せられたブラックレザーのたっぷりしたソファ、それからローテーブルは彼が揃えたにしては気が利きすぎているから、家に備え付けかもしくはオルトさんのアシストか。つまりね、と彼が言葉を手繰る。僕はイデアさんのこの、言葉選びが苦手なのをおして(ゲーム中を別として。相手を煽る語彙だけはとめどなく湧き出してくるのだ、この男の優秀な頭脳からは)慎重に言うべきことを組み立てる時の顔がたまらなく好きなので、傲岸不遜を装っていた表情をいとも容易く緩めてしまう。
    「アズール氏に会う時ったらよっぽど制服で、たまにあの怖い寮服だったじゃん? それ以外の服着てるとほら、何ていうか」
    「僕じゃないみたい?」
    「んん、そんなとこですな。なんかアズール氏が、希薄? そんな感じ」
     希薄、と僕は復唱する。確かに彼の言う通り、学生であることの表明を脱ぎ捨てた僕らが面と向かうのは初めてのことだ。僕らは揃いの制服に身を包み、時にボードゲーム部室で、仲が深まってからは時に互いの寮室で言葉と体を擦り合わせてきた。僕たちはお互いが誰であるのか初めから知っていて、だから僕たちの間に説明は要らなかった。少なくとも、制服が説明を担ってしまう範囲においては。そして、彼の言葉で僕は今静かに愕然としているのだけれど、僕らは互いの素肌の手触りだって知っているというのに、彼は僕が制服の下に積み重ねたものからは目を逸らし続けていたのかもしれない。あるいは、僕が秘匿し続けていたのか。確かに今の僕は何者でもない。
     アズール氏は学校出たら何するの、と訊かれたことをふいに思い出した。まだ彼が三年で、僕らが三日とおかず顔を突き合わせていられた時のことだ。僕は頭の中の輝ける人生設計を披露し、彼は予想通りだと肩をすくめた。ところで、来週の部活は何をしますか。拙者実は新しいボドゲポチったとこでござる、君の好きな戦略もの。最高、愛してます。ゲーム盤を挟み向かい合って、僕らはいつも執拗に未来の話ばかりしていた。それは時に空虚な夢物語であったり、時に翌週の飛行術の実技試験を巡る愚痴であったりした。
     しなやかな黒革のソファの上、拳一つ開けて隣に座ったイデアさんの顔は見えない。久しぶりにボードゲームでもいかがですか、と言ってしまえば、あるいは僕らのこの幼稚な共犯関係は白日の下に晒されず、学園時代のロスタイムがこの場に出現するのだろう。けれど残念ながら、ボードゲームを広げようにも肝心のテーブルの天板は何かのパーツや書類、メモ書きに埋もれてとてもゲームを広げられる状態ではない。否、それは嘘だ。僕らは魔法士であるのだからして、指の一振りで空中にチェス盤を出現させることなんて造作もない。けれど僕らがそれをしないのは、ロスタイムにはいつか必ず終了のホイッスルが鳴らされることを知っているからだ。
    「あ、なたは相変わらずに見えますよ。一年前とまるでお変わり……ない、です」
    「ヒヒ、拙者殆ど制服着てませんでしたからな」
     イデアさんの声は奇妙なほどに平坦だった。早口でも上擦ってもいないその声を聴いて、僕は首筋に鳥肌が立つのを感じた。頭の中でFワードを吐き捨て、間抜けな己を罵りながら掌にかいた汗をスラックスにこすりつける。イデアさんが変わりなく見えるのは、彼が剥き出しのままで僕の目の前にいたからに相違ない。僕らは二重に共犯者だった。何を身に纏ったところで、彼の文字通りの頭の上には生家がずっと圧し掛かって彼の帰するところを主張し続けてきたのだ。目の前にありながら無視し続けてきたその系譜に僕は言及して、三年間守り続けた線引きを一足飛びに踏み越えてしまった。
     僕は、自分が間違えたことに僕が気付いたことに、彼が気付いていないことを祈りながらそっと視線を上げ、そして落胆した。彼はテーブルの上の雑多な諸々を右に寄せては左に置き、揃えて重ねてはまたばらしながら、手元に視線を落とし続けていた。あからさまなその気遣いこそが、彼が何もかも気付いていることの証左に違いなかった。気道が狭くなるのを感じる。あ、とこぼした声は、まるで自分のものとは思えないほどしわがれていた。
    「ごめんなさい、イデアさん。今のは忘れて」
     気付けば、僕は彼を正面から抱きしめていた。首筋に顔をうずめてしまっているから、彼が今どんな表情をしているか伺うことは叶わない。テーブルから何かがばさばさと落ちる音がした。使われた形跡の薄いキッチンスペースが、視界の向こうで揺れている。
    「どうしたのアズール氏急に。何の話?」
    「深海の商人が聞いて呆れる……僕は急ぎすぎました。こんな風に不用意に踏み込むべきじゃなかった、僕らの時間のことに」
    「待って待って、何一人で納得してんの? 拙者置いてきぼりでござるぞ?」
    「言っていいんですか」
    「言ってくんなきゃわかんないすわ拙者君みたいな腹の読み合いで食ってる人種じゃないから」
    「あなたの血筋のことですよ! 制服着てようといまいと変わらない、あなたが運命って呼んでるやつのこと!」
     勢いよく体を引き剥がし、僕らは数か月ぶりに向かい合ってお互いの顔を見た。見慣れたハの字の眉の下、色の薄い目が一頻り虚空を彷徨ってからゆっくり僕を見返す。イデアさんは淡く笑っていた。顔色が悪い。手に取って握った指先は暑い盛りだというのに随分冷たくて、微かに震えてさえいた。僕は彼のこの表情を恐らく知っていた。僕に将来を尋ねる時、彼は時折こういう表情をしていた。
    「あなた、なんでもないふりして今までずっと怖がってたんですか、未来の話を」
    「……そりゃ、そうさ。君は毎秒過去を脱ぎ捨てて先に行くけど、僕は……君の言う通り、飛行系強キャになるには色々と重しがね」
    「僕は……もしかして独り善がりな恋人でしたか。理解があるみたいな顔して、あなたが怖がっているのに気づけなかった? あなたが置かれてる状況を知ろうともせず……一人で舞い上がって……」
     馬鹿みたいだ、とこぼした声はもう彼に向けたものとは言い難くて、ひんやりしたソファのシートに吸い込まれていった。すっかり俯いてしまった頭の上で、慌てたようなイデアさんの声が聞こえる。
    「すみません、こんな風にするつもりじゃなかったんです、折角久しぶりに会ったのに。疲れてるのかな……いえ、あなただってそれは同じですね。本当にすみません。お詫びに何か、そうだな、食事でも」
    「ちょちょタンマ、アズールタンマ! 僕も、僕も悪かったよ! 変な感じとか言って最初に手ぇ出したのは僕、ね! 待って、聞いて、ああつまり、今日僕たちは話すべきじゃないかなあ!? 君の専門分野だろ言葉は!? 僕の話を生贄に君の過去を召か、ああいや生贄じゃなくってそうあれ、君お得意の、対価!」
     クソ、と叫んで、イデアさんは部屋の隅、電子機器スペースにドタドタと走って行った。これ見て、と示されたのはゲームの対戦画面で、対人戦リザルトが表示されている。プレイヤーデータ1の名前はORTHOで、2はIDIA。62対59でプレイヤー1の優位。
    「これね、スターローグって知ってる? え知らない? マ? スタロ知らない知的生命体いたんだ……まあいいや、拙者とオルトが小さい頃鬼ハマりして、再燃してからちょいちょい対戦してんの。拙者ら兄弟の感動もののストーリーの結果2の発売が決定しましてなアッPV見る? 来夏発売予定なんすわ。小さい頃これやりすぎて電源コード親とかお手伝いさんに隠されて自作してさ、拙者の工学の目覚めはあん時でしたな……。」
    「は? ちょっと待ってください何突然」
    「いや皆なげ島こわ~シュラウド家呪われ~とか言うけどいや実際冥府番なんで生きてるような死んでるようなよくわからん一家だけど意外と冥界もカジュアルなんすわ普通に里帰りゴーストのフェリー出したりとかだし業務内容! クソつまらんから拙者逃亡中ですがな。あーあとなんだ、オルトか。オルトはね、十四年前に」
    「ちょっと、ちょっと待ってください一度に話さないで!」
    「あ、アごめ陰キャのマシンガントーク怖いよねすまそ……」
    「いやそういう問題じゃないでしょうさすがの僕にも処理能力の限界があるんですよ」
     こめかみを抑えながら彼の差し出した動画を見るともなしに見る。前作の発売が共通歴XXXX年……イデアさんまだエレメンタリーじゃないか。電源コードがなんだって? 逃亡中って、許されるのか。ゴーストフェリーで追跡されたり……してはいないようだけど。情報を噛み砕いていると、それで、と隣から声がかかる。イデアさんの声だ。低く不明瞭で、いかにも気が引けている様子の声音。
    「せ、拙者の話はほら、しましたので、アズール氏の今までとこれからの話も、お聞かせ願いたく」
    「はあ……ねえあなた、僕に似てきましたよね。押し売りはこっちの専売特許なのですが」
    「フヒ、そ、そう?」
     なんで少し嬉しそうなんですか。溜息をつくとソファが揺れて、彼が肩を跳ねさせたのが分かった。その肩に頭を預けて、僕は目を閉じる。彼の体温が伝わって、冷えていた胃の腑がすこしだけ軽くなった。過去の話をするのは苦手だ。未来の青写真ならいくらでも見せられるのに。けれど確かにそれは、彼が仄めかす通り、無根拠で無目的な単なる現在の否定に過ぎないのかもしれない。制服を脱いで何物でもなくなった僕が僕を証明するには、辿ってきた道程を差し出さなければならないのかもしれない。
     少なくとも、彼はそれをしてくれたのだ。
    「多分本当に、くだらない、ありふれた話なんです。それでも聞きたいですか」
    「アズール氏は、僕の話は退屈だった?」
    「……いえ。そうですね、お話、付き合っていただけますか」
     手を握られる。節くれだって、深爪気味の彼の指が僕の指に絡められる。身じろぎをすると、かかとの靴擦れが痛んだ。浮いてしまった皮膚はじきに剥落し、僕の踵は少し硬くなるのだろう。うっすら目を開けると、ゲームのPVを見るのに使っていた端末画面の端にリマインダがポップアップしている。アズール来る。そう書かれているのを見て取って僕は急に逡巡していたのが馬鹿らしくなった。
     自分がとっくにこの人のスケジューラにまで進出していることを、僕はその時ようやく思い出したのだった。
    鶏肉 Link Message Mute
    2022/07/10 2:35:23

    ソファ・ボートと記憶旅行

    #二次創作 #BL #ツイステッドワンダーランド #イデアズ
    アズ4年イデア社会人でイデア氏が就職して兄弟二人暮らししてる時間軸です。
    初出:2020年9月22日(Pixiv)

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