花火と消えた また8月がやってきていた。
1日はまた新旧の仲間が揃って、デジタルワールドへと足を運び、久しぶりの野宿を楽しんだ。太一は思う。もうすぐ俺たちの“夏”が終わるんだ、と。夏の初めにこのイベントを行うと、太一の中では既に夏は終わりに近い感傷を呼ぶ。それを馬鹿馬鹿しいと思いながらも、いつまでも傷は癒えず、深く深くなっていくのを感じていた。今ではこうして、会いたいと思えば会えるようになったというのに。
「ねえ、太一は明日の予定は?」
「え? 俺? 今は一応予備校だけど、今日から4日まではキャンセルした。サッカーも、もうやめちまったしな」
不意に丈に聞かれた太一は生真面目に生返事を返す。おなかの上ではコロモンがスヤスヤと寝息を立てていて、自分の呼吸とすれ違う形で体が生きていているのがわかった。
「あ、そうか。サッカー、やってないから、合宿もうないんだっけ」
「うん。もう、合宿ないんだ。今年は。はじめてかも。サッカー、しない夏」
「そっか」
「うん」
太一がサッカーをやめたとき、光子郎が怒り狂ったのはみんなの記憶に新しい。丈は、仕方がない、と感じたが、太一の表情を見るたび、そして自分が彼の足を見るたびにサッカーしている太一しか思い出せなくてやっぱり光子郎のように怒ればよかったのだろうかと思ったこともあった。でも一番サッカーを出来ないことに苛立っているのは太一自身だろうし、それでも太一の普段の様子からはそんな気持ちを隠しているのがよくわかるから、そこには誰も触れられないでいたのだ。
高校でもエースになって、代表にもなって、彼はサッカーをし続けるんだ、というみんなの“夢”を背負っていた太一は、3年になったとき簡単にやめてしまった。膝の故障を“言い訳”にして。
それから太一は勉強をしている。彼にはやりたいことが出来た。だが、その中身はみんな知らなかった。ヒカリですら教えてもらえずに、ただ毎日勉強漬けの兄を見て「人が変わった」とさも気持ち悪そうにいうのをきいて仲間たちの失笑は買った。
どうやら光子郎は知っているらしい。というのも噂で、しかし光子郎は相変わらず、ミミにはしゃがれ、京に慕われ、伊織に尊敬されて、賢をアシスタントに使ってデジタルワールドについて画策していて忙しい。そんな彼にも、やっぱり誰も真実を聞き出せないままだった。
それに、なんとなく、今はまだ、なにも聞かなくていい、なにも言わなくていい状況だったのである。
なぜなら、みんな、太一を信じていたからだ。
「で、なんだよ、丈。明日なんかすんの?」
「うん。僕もこの四日間しか空いてないんだ。残りの君らの多くは受験だし、明日も遊びたいなーって」
「いいな。何する?」
「花火。どう?」
「やろ! 花火やろ!!」
ガバリ! と上半身を起こした太一の声に、何人かが気がついて顔を向けた。
「どうしたんですか。太一さん」
「ったく、静かにしろよ。伊織くんとか、大輔とか、爆睡だぞ?」
「ああ、わり。起きたの、お前らだけか。ふうん。おい、ちょうどいいじゃんか。たまには俺たちだけで遊ぼうぜ。久しぶりじゃん、男だけって」
「え、明日の予定の話してたんですか?」
「えー、俺明日はタケルと出かけるんだけど」
「おいヤマト~。ここは友情を取れよ~」
「そうだよ、ヤマト。たまにはさあ~。タケルくんだって、大輔くんや一乗寺くんがいるんだし、僕らのことも大切にしてよ~」
「じょ、丈までそんなこと、いうのかよ~」
堪えきれずに光子郎がテントモンを抱えたまま突っ伏して笑い出す。四人一斉に声を抑えながら、まるで大人に見つからないように布団に丸まっていたころのように笑い続けた。
「ま、結局こうなるんだけどな」
ヤマトの苦笑いに、それでも太一は最高の笑顔で笑った。
「いいじゃん。人数は多いほうがいいだろ。これからしばらくは俺たちも遊べないしな。受験生」
「お前もだろ」
ヤマトと光子郎で花火を買いに行っている間に(本当は太一が買いに行きたがったが、彼の計画性のない買い物ぶりを知っている一行はそんな面白そうな買い物に太一を行かせない)、太一と丈で食料品の買出しに行った。その際にヤマトたちは大輔たちに、太一たちは女の子組に出会い、結局夜になったら再び集合するというオチになったのだ。
さすがに連絡もいれずにみんながそろったことは珍しく箸が転がってもおかしい年頃である仲間たちみんなさっきから笑いが止まらなくなっていた。すこうしだけ丈が許した飲酒のせいもあるけれど。
真面目な伊織と賢だけは辞退し、さらに伊織はさきほどからふくれっつらで、光子郎や丈が言ってもなかなか機嫌が直らない。それをみてさらに大輔が笑うので余計に頬を膨らましていた。
「あ、丈」
太一は丈が海辺のほうに行くのをみて波をびちゃびちゃとはねながら駆け寄る。新しくタケルの手から一本手持ち花火を奪って光の線を引きながら。
「丈」
「太一」
太一はしまった、と思った。
丈は、海を見ていた。昨日、一緒だった、パートナーの住処。海を。
「ゴマモン、最近はやんちゃが減ってきたな」
つい、彼のことを話題にしてしまった。
「うん。僕がもう受験は終わったよって言ったら、長かったね、だって。僕が何年も「じゅけん」っていうのを続けていたように思っていたみたい。あとは、国家試験かな?」
くすくすと笑う丈を見て、太一はいいなあと思う。とても、彼は穏やかになったから。
丈は大人になった。来年は自分も大学生(希望だけど)で、彼と同じ状況になる。太一は考えている。今の追いかけている夢を、本当は誰かともっと共有したかった。
だけど、それには、とても覚悟がいて、でも既に人を巻き込んでいて、自分はどこまでエゴを突っ切れるのだろうか、と。
「太一はさ、今、なに考えてるの?」
「え」
「ずっと、昔から、太一はいつも秘密を持っている。まるで、子どもみたいだ」
「そんなんじゃない」
「子どもだよ。君は、これから大人になるんだろう?もったいない気もするけどね。君のその子どもっぽさは、もう僕は、もっていない」
「じゃあ、お前を子どもに戻してやる」
太一はとっくに終わっていた花火を手放して丈の手をふいに思いっきり引いた。
ばしゃん!と前から倒れこんだ丈の顔をしゃがんで覗き込んで、今日一番、夜なのに輝く顔で、子どものころの面影を残した表情で、太一はとっても小さな波にさらわれるような声で言った。
「俺と一緒にデジタルワールドを救おう」
「はあ!?」
丈の声が大きいのと、先ほど丈をすっころばしたのをみて、みんながガヤガヤ言い始めた。丈はなんとなく、この話を二人だけのものにしたくて、そしてきっと太一はそうしたいんだ、と珍しく直感したから急いで太一の足を掴んだ。不意に引っ張られて足からズボッとすべった太一は体全体をしたたかに水面に打つ。いってー!! という声が砂浜にまで聞こえたのだろう、空のお母さんのような「馬鹿やってんじゃないの~」という笑い声がここまで塊になって飛んできた。二人は手を振ってそれを受け流す。
「どういうこと。太一」
誰にも聞こえてないだろうに、丈は小声で太一に水を引っ掛けながらつぶやいた。
「つか、いってーよ、丈。まあ、いいや。あのな、俺、実は」
「実は?」
「デジタルワールドと、この世界を、繋げたい」
「え。どういうこと」
「社会的に、認めさせたい。みんなを、みんなが、こっちでも俺たちと一緒に暮らせるように、俺たちがデジモンたちと出会えて、あの世界に出会えて変われたように、少しでもあいつらのことを、わかってもらいたい。
俺は、あいつらのために、なにかが、したいんだ」
「太一」
「だから、サッカーもやめた。俺、一つのことしか集中できないし、ほかのこと考える余裕あったら、駄目だと思って。ま、まだイマイチ吹っ切れなくて、完璧に集中できてねーんだけど」
「太一」
「だから、丈。俺と一緒に、デジタルワールドに、関わらないか? きっと、なにかが、できる。お前、目指すの医者だろ? デジモンだって、治してやってくれよ。傷ついて死んでいくあいつらを俺たちたくさん見てきたじゃないか。
もう、嫌なんだよ、俺」
「太一」
そこで、二人は立ち上がる。湿った髪から海水がたれている太一の顔は泣いているようにしか見えなかった。しかし瞳は揺らがない。泣いていない。丈は、それでも泣いている、と感じたのは、自分が泣きたいからなのか、太一の思いが切羽詰っているからなのか、わからなくなった。
「職業は、なにかな。こっちとあっちを社会的に繋げるってことは、外交官? 政治家?」
「今んとこ、そんな感じ」
真下を見たまま太一は言う。丈は太一の両腕を取って、うおりゃあああ!! と気合を一発、自分のほうがまだ背が高いのをいいことに、中学のときにやったきりでうまく自信がなかったけれど、巴投げをしてみた。再び、水しぶきにまみれる。すぐにひっくり返って、顔を上げた太一を見下ろしてみた。
鳩が豆鉄砲くらった顔で、太一はぽっかり浅い海に浮かぶ。
「ほかに君のその理想を知っている人は?」
「こ、こうしろう、だけ……」
「光子郎はなんて言ってた?」
ここで、太一は言葉を詰める。丈が再び腕を掴もうとすると、慌てていった。
「なんで、太一さんばかりが、夢を諦めなくちゃいけないんだ! って……ど、怒鳴られた」
「それだね。前にいっていた、サッカーをやめたときに光子郎が怒った、っていう話の真相は」
「う」
「太一」
「はい」
そして、丈は太一を立ち上がらせる。自分も太一もTシャツを脱いでびじゃーと水を絞る。本当ならGパンだって絞ってやりたい。
「光子郎もいいこというね。光子郎だけは、最初から、共犯者だったの?」
「共犯って…、別に悪いことしようってんじゃねえしさあ。まあ、うん、ずっとデジタルワールドに、アイツは関わっていくだろうと思って、共犯にしました。俺はあの世界の内側のことは全然わからないから、俺が外側を固めるって。アイツが頑張ってるから、俺もやろうと思ったんだ」
「うん。いいよ、やっぱり僕は太一のそういう考え方好きだよ」
「ほんと?」
「でもね。光子郎はやっぱり本質を突いてる。だって、だからって、君がすごく好きなものを諦めていく姿を知っていたのは光子郎だけ、だったんだろう?つらいよ。それは。
僕もさ、太一がサッカーしてるの好きだったんだけどな。一番君らしかった。君が輝いてた。僕も、頑張ろうって、思えた」
「丈」
「光子郎は、淋しかったんだよ。太一は、言わなかったんだろ、どうせ。『俺、サッカーやめるから』って、事後承諾じゃんか。いや、許可を求めろとか、承諾は僕らにしなくていいんだけど、君はいつも誰にも相談しない。自分のことは自分で決める。
でも、淋しいじゃない。少し。
悩んでいるときに、それでもって、背中を押してくれるのは、やっぱり誰か仲間とか家族とか、大切な人たちだよね。太一は苦しんでるのを見せないから、苦しんだ結果だけ見せられて、それで、光子郎は悔しかったんだ。
その、君が、サッカーをやめたことをピンポイントで責めてるんじゃないよ」
「俺は、でも、お前らがいうほど、しっかりしたヤツじゃねえって。大体、みんな、買いかぶりすぎなんだよ」
「じゃあ、なんで、僕と光子郎にだけ、話してるの?」
「それは」
太一の両手がぎゅっと、握られる。後ろでは仲間たちの笑い声が流れてくる。
あの、楽しそうな声を、守りたかったんだ。
「デジタルワールドに、関わる仕事って、必ず、なれるって、ことじゃ、ないと思うんだ」
その声はとても小さくて、自信がなさそうで、弱くて、それでも譲れないものがあることを表していた。
「うん、そうだね」
「俺たちだって、毎日、こっちの世界でいろんなことが起きてる。あっちの世界のことばかり考えて暮らしてるんじゃない。
あっちの世界のことを、考えよう、なんて、ほかのこと考えたいと思っている奴らに、俺は、言えない」
顔を上げると、それは、あの“リーダー”の顔だった。
「太一は、優しすぎる」
「優しくねえよ。俺よく言われるよ、もっと人のこと考えなさいって」
「じゃあ、その人は見る目がないな」
丈はみんなの下に戻ろうと、きびすを返した。太一は戸惑う。さっきの話の終わりが見えない。
「太一」
「なんだよ」
「僕は、君に乗るよ。
君が選んだことに、僕は、ついていく。言っただろう。僕は、君を、信じる」
「丈」
「間違って、いいよ。太一が間違うことはよおく、知っているからね。
でも、それじゃあなんで僕らみんな太一についてきたのか。理由は簡単さ。
太一は、迷うよね。悩むよね。苦しむよね。最後まで、そうやって考えて考えて、みんなのことを考えて、それで決断をする。僕らはさ、だから君の選択に、身をゆだねるんだ。君と一緒なら、間違いでも間違っても、もう一度、挑戦しようと思う。君が僕らのことを考えてくれていることは事実だから。でも、逆に、君はもっと僕たちを信じるべきだ。僕らだって、君を助けたい。
僕も、デジタルワールドを救いたい。本当に君のいうように、僕には出来るか、わからないけれど、それでも、僕は余計なことを考え続けてでも、あの世界のことを、思い続けたい」
「丈……」
嬉しかった。太一は、ずっと考えていたことをやっと、許してもらえた気がして、嬉しかった。
その気持ちを伝えるには、砂浜への距離は近すぎた。
「ありがとう」
太一は、自分の今の発言がどんなに陳腐か、わかっているけれど、それでもそれしか出てこなかった。丈はわかってくれてる。太一のボキャブラリーのなさと、いざというときの決めは、彼は行くときにしか使わない。彼はいつだって、みんなの前を歩いていたからだ。だから、後ろを向いたときの言葉を使ったことがないんだと丈は気づいて、同時に、そんな状況には太一を置かせなかった自分たちのひどさも突き刺さった。
すべてはもう終わったことだけど、でもまだ僕らは生きているから終わりじゃない。太一も、丈も、終わりが見えないから、また昔のことを思い出していた。
「太一、いこうか。大物が、待っているみたいだ」
「ああ、行こう」
ちょうどヒカリと大輔が大声で自分たちを呼んでいるのが聞こえた。これから吹き出し型の花火をやって、ロケット花火をやったら線香花火で締めに入る。
もう、夏の夜が、終わりになっている。
「一体、何話してたんだよ、あんなとこで」
「夏だからって油断して。風邪引くわよ」
「俺はともかく、丈が引くかよ、夏風邪なんて」
「おや、褒めてくれるのかい、太一。余裕じゃないか」
すぐにタオルをもってきてくれた空から礼を言って受け取り、二人は体中を拭いていく。しかし、全身が濡れているので気持ちが悪い。丈をみると同じように苦笑しているのが見えた。
「一体、なんの話してたんです?」
興味津々の大輔が再びヤマトと同じ質問をする。案外みんな気になっていたようで、視線が集中して、丈は太一を見た。太一はまた「しまった」という表情を一瞬だけ浮かべたのを見て、丈は大きく笑みを作る。太一は変わらない。変わったけれど、変わってない。
彼についていこう。僕らはあの世界を、この世界を、秘密にしたまま、公開したい。丈はこのとき、腹を括ったのか、と後々思い出しておかしくなる。
「秘密」
それを聴いてみんなが「はあ?」「なんだそれー!」という中で、太一は嬉しくなって丈に抱きつく。
「うおー! 丈! 大好きだ!! おっ前って、ほんっと、誠実だよなー!!」
「えー! なにそれだからどういう意味なの~!?」
「男同士の秘密なんだよ! まだ、しゃべれないなあ」
「まだってことは、いつかはわかるってこと?」
「そーれーもー、ひーみーつ」
きゃいきゃいとはしゃぐ仲間たちを尻目に、賢と光子郎は打ち上げ花火に火をつけた。
なんとなく、二人がなんの話をしていたのか、光子郎は気づいていた。海から上がってくる丈と目があったからだ。賢は様子を気にしていたが、気になっていないふりをしていて、光子郎は賢のそういうところが気に入っていた。まるで昔の自分のようで。
「一乗寺くん」
「はい?」
チャッカマンを片手に肩膝をついた姿はなんだか似合わなくて、ほほえましい。
「また、来年も、こうして集まれると、いいですね」
そして、光子郎が先に火をつけてしまったのだった。
突然そんなことをいう光子郎に戸惑いながら、賢は急いで花火から離れて、背中に聞こえる歓声に耳を傾けたのだった。