闇こそ輝くと知っていた 切国。
これが、ここでの俺の名だった。
今生の主は、若い男だった。
主は、黒曜石のような瞳を持っていた。真っ暗で、吸い込まれるような瞳は、奥行きが見えなくてどこまでも闇を維持していた。暗闇の中に、燃えるような輝きがパチパチと爆ぜるような光りが時折跳ねる。それは、興味関心の度合いなのか、喜びや楽しみという感情の発露なのか。暗闇の中でなければ、その光は見えない。まるで、玉鋼の時に燃え滾る炎の中で見た光りのように。記憶もないのに。それくらい懐かしいけれど、一生捉えていたい輝きだったのだ。
俺はいつまでもその光を見ていたかった。
でもそれは、初日以来見れていない。
極端に視線が合わないと気付いたのは、一部隊組める本数が揃ったころだった。
「え? 主と目が合わない?」
安定の声は、突拍子もない時、いつも以上によく通る。案の定、他の奴らの視線は一気に安定に集まった。
「誰と主の?」
「僕はあんまり感じたことはないですが……。主君はいつも視線を合わせるときに屈んでくださるくらいですし」
「短刀相手にはそうだよね。子ども好きなのかな」
「安定も大将よりは背低いから屈まれてんじゃないのか?」
「そこまで極端じゃないよ!」
薬研のからかいに安定がまた声を上げて怒る。前田は視線が合わないという俺を見上げて心配そうに微笑んだ。
「俺は気にしたことがなかった」
「骨喰兄はそうだろうな」
「食べ物の話じゃないとほとんど会話にも入ってこないじゃん……。主の顔、ちゃんと覚えてんの?」
「覚えてる」
「俺だって覚えてるぞ」
「鶯丸も怪しいな~」
はははは、と安定の笑い声に全員がふ、と緊張を緩ませた。もうあとは帰宅するだけなので、全員歩幅もバラバラと本丸への道を歩いていく。軽傷は顕現されたばかりの鶯丸と短刀の薬研、前田だけ。前田は錬度自体は高いほうなのでそれほど疲労の蓄積にならないだろう。骨喰がそこらへんに咲いていた花の蜜を吸っていた。夕陽が白い髪に映えて橙に染まった頬が少し幼い表情に見える。泥をまとわりつかせた布は少し重い。いつもよりも気持ち大股になる。適度な疲労は嫌いじゃない。この身を顕現して初めて覚えた「寝る」という行為の心地よさは、身体の疲れがあることで逆に高まるということも実感しつつあった。
「まあ、細かいことは気にするな。気にするだけ無駄だと思うがな」
「アンタのそういう態度は大したもんだな」
「でも、主のご贔屓は切国じゃん。僕も気にすることないと思うけどな」
「贔屓など……」
「そうですよ、安定さん。確かに初期刀の切国さんに頼られる場面は多いですが、それならば僕たちこそ努力を重ね、切国さんのように頼られる存在にならねばなりません」
「前田は真面目すぎ。ま、他にもいっぱい男士はいるんでしょ? 僕もどちらかというと骨喰みたいに仕事してるよりも一緒に食べたり遊んだりしたいけどなぁ」
「まあ、向き不向きはあるからな。一理あるとは思うが、俺っちは仕事もやってみると嫌いじゃないんで、前田の意見に賛成だな」
「では俺はそんなお前たちに茶を淹れてやろう」
「俺はその茶を飲みつつ、茶請けを食う」
「いつも通りじゃん」
「あ、主君!」
「また、外で待っていたのか。ったく、危ないから中にいろというのに……」
みんなで手を振るが、俺とは、やはり視線は合わなかったように思う。
短刀が来るとなにくれとなく世話を焼く。
打刀でも明るい者、つまりは向こうから声をかける奴らとは仲良くしているようだった。
脇差に世話を焼かれることは嫌いではないらしく骨喰と一緒に面倒を見られている。
太刀連中とは適度に距離を持って接しているが、かといって視線が合わないというほどでもない。
大太刀や槍だっておんなじだ。後程第一部隊に入った太郎太刀は主とよく買い物に行っていた。あまり話すのが得意な刀ではないのだ。それでいて視線が合わなかったらそれこそ意思疎通だってうまくとれまい。
やはり、俺だけなのだ。
近侍は長く務めた。
全体の数が二十振りも越える頃、全員で近侍を回すことになった時でも定期的に切国には近侍をやってほしいと言われて週一でやっていた。
今だって月に二回、多ければ三回は入るし、初めての奴の様子を見てくれと言われて一緒に入ったりする。なんやかんやと頼りにされている自覚があったのだが、本当はうまいこと使われているだけなのだろうか。
近侍でない時は兄弟の手伝いを手伝ったり、近くの滝行をする兄弟に付き合ったり、打刀連中に誘われれば酒も飲む。
だが、知っているのだ。
俺は主と一緒に甘味屋に行ったことはないし、鶯丸の部屋で寝ている主を見たことはない。昔は淹れてくれていたのだが、今は主は俺にはコーヒーは淹れてくれない。前田のように常に一緒でなくとも、朝起きて挨拶をし、今日の仕事を確認し、日中別に過ごしていればなにか異変がなかったか周辺を確認し、報告するべきことや相談事項がないかを確認する。なにかがあれば遅くまで対応に追われることも多々あった。夕食は出来る限りそろって摂るが、主の横は前田か他の短刀・脇差たちであって俺の出番ではない。食事が終われば大体はそこで仕事は終わり。夜の挨拶をして就寝する。
やはり、俺は主のことを、何も知らない。
*
「主と最近全く会えないのだが」
「そういわれれば、ずっと遠征遠征で休みなしだね」
「なんか悪いことでもしたのか?」
「俺がすると思うか?」
「「思わない」」
結局三振りで黙々と洗濯物畳みの作業に戻った。
主は今日は新しくやってきた刀たちの私物を買いに新刃数振りと、博多・太郎太刀を連れて万屋である。朝から初めて外に出る連中に対して長谷部が講釈を垂れていたが、実際に行かねばわからないものだろう、とさっさと自分の仕事に来てしまった。人数が多く、そこで主に声をかけることが出来なかった。おかげでこうして落ち着く相手と話しているとついつい普段と違い口も軽くなる。
兄弟は手伝いで、本来の当番は薬研と俺、そして今三回目の回収物を洗濯機に放り込んでいるであろう和泉守と長曽祢の四振りだった。本数が増えて手が空いているものは比較的積極的に畑に厨当番、洗濯当番、馬当番などを手伝う。そういう関係性なのは主の影響が大きいだろう。おそらく仕事をさぼるためでもあっただろうが、ちょっとでも暇が出来れば厩で馬を愛で、野菜の皮むきを一通りこなし、洗濯を畳んだり各部屋への分配までしていた。最初期には料理が出来るのは主だけだったし、洗濯も堀川の兄弟が勉強して物にするまではやはり一番生活の中に洗濯が身に沁みついていたのは主だ。まあ、唯一の「人間」なのだから当然なのかもしれないが、そんな主を見ていた俺たちは当然主の言動を真似た。それしか知らないのだから当然だろう。元々堀川の兄弟は手伝うことへの抵抗感はないので余計だ。今日は和泉守兼定もいるから当たり前の顔して「で、僕はなにすればいい?」と聞かれたくらいだった。
「でも兄弟がそんなに主さんの傍にいなくてもここも回るようになったんだねぇ。それ自体はいいことじゃない?」
「そうっちゃそうかもしれないが、大将がなんの考えもなしに切国を手元から離すとも思えねえんだよなぁ。前田はいつも通りいるんだし」
「そうだ。前田のほうが気にして毎晩主の様子を報告に来てくれる」
「ああ、それで毎日毎日飴が増えていってるのか。そんないちいち律儀に餌付けしなくていいんだぞ」
「餌付けではない。……前田、食べてないのか?」
「あれは休みの日に他の兄弟たちと分け合うんだよ。ちょっとずつ溜めるのが好きなんだ、前田は」
「前田君、健気……」
「で、会えなくて困るって言ったら、アレだろ?」
さすがに長い付き合いなので、薬研は感づいていたらしい。兄弟は、無意識でも畳めるくらいの慣れた手つきだったのに、ぴたりと手を止めた。
「アレ?」
「修行を言い出せない」
そうなのだ。
いわゆる初期刀勢の修行が解禁されてかなり経つ。
修行解禁前にとっくに錬度上限に達しているので、もっぱら遠征にしか行かないが、手合わせにもよく入れられているし、遠征時は隊長だ。新しい合戦場が出れば今まで必ず隊長に据えられてきた。遠征は新しい刀剣たちの錬度上げも兼ねているので理屈はわかるのだが、ひっきりなしの遠征往復で本当にずっと主と会えていない。
まるで、意図的に本丸から追い出されているように。
「俺っちが一肌脱いでやろうか? 旧第一部隊も修行してないのは後はアンタと鶯丸だけだからな。俺たちも今か今かと待ってたんだが、確かに大将の気分次第みたいだな」
多少楽しんでる感のある薬研を布の奥から軽く睨み付けるが、最初期からの慣れ親しんだ相手はなんとも思わないようだった。
やけに自信満々の薬研にすこし違和感を抱くが、兄弟のほうがむしろ興味深々といった様子で「で、どういう作戦なの?」と喜々として聞きこんでいた。
俺は返事をしてないのだが、どうやらもう後には引けなそうである。
*
「主、入るぞ」
一応、そう声をかけ引戸を引いた。
「切国!? ちょ、え! なんでここにいるんだよ!」
「いつもの時間に入り損ねただけだ。アンタしかいないんだから構わんだろう?」
「いや、そりゃ、そうかもしんないけど……。ええ……」
「邪魔する」
「邪魔ってわかってるんなら帰れよ!!」
「断る」
かけ湯をして、湯船に入る。最初期の風呂は四人入るのがやっとだったが、二桁を越えてから増築し、今は短刀なら二十は同時に入れる大浴場型になった。主はその際増築した自分の離れに風呂も厠も付けたが、やはり足を悠々と伸ばせるのがいいし、広いほうが楽しいといって、全員が入り終わった頃合いに一人で入浴する。短刀を一振り護衛につけ、長風呂を楽しむ。風呂の後は護衛にはアイスが振る舞われるので、かなり評判も良く、時折アイス欲しさに骨喰が護衛をしている。
奥の方で広い湯船でまさに悠々といった体で伸びきった顔をしていたのだろうが、俺が入ってきたことで顔面が硬直している。あまり暗いと大きな刀たちが手元が見えなくて危ないというので、大人数で入る時は眩しいくらいの明るさだが、普段からこちらで入る時はそうしていたのだろう、手前半分だけ灯りを付けて、奥の湯船のほうは電気がついていない。主も目が悪くはないとのことなので、これくらいの光源で十分なのだろう。おかげでこちらもタオルで顔を覆っているが、あまりお互いに顔を直視しなくて済むので少しだけホッとしたところだった。
「薬研が嵌めたな……」
「まあ、そんなところだ。アイツを責めないでくれ。俺が頼んだ」
「……責めたりなんかしねーよ」
横に並んで、お互いの顔を見えないようにしている。揃って入口のほうを真っ直ぐ見つめながら、互いの言葉を待っていた。
いや、待っていては意味がない。俺には、言わなくてはならないことがあるのだ。
「あ、ある……」
「久しぶりだな」
「あ、ああ……」
「一緒に風呂入るのなんて、初日以来か」
「……最初の三日は一緒に入った」
「そんなに長かったっけ?」
「さすがに三日連続で追いかけまわされて布を剥ぎ取られれば覚えてる」
「そら逃げるお前が悪い。さすがに最近は逃げ回らないな」
「兄弟たちが待ち構えているからな」
「ははは。そりゃ手強い」
そしてまた無音になった。風呂場にモーター音の振動が響き、ピチョンピチョンと定期的に雫が落ちる。どちらともなく、深く、長い溜息をついた。
「……なんの用だよ」
「ここでなら、二人で話が出来ると思って」
「人の一人の時間を台無しにして……。ここまで追いかけてきた奴はお前が初めてだ……」
そうグチグチと言うのも形だけだ。本当に駄目なことだと、誰が相手であっても絶対に引かない。作戦に怒り狂った同田貫や戦帰りの猛っている大倶利伽羅相手でも絶対に最後まで主は意見を通す。ただ、それは基本的には奴らが悪いのであって、肉体を使いこなせていなかった時の話なので最近ではそんな姿はどちらもとんと見ていないが。
本当に嫌なら、俺だって追い出されているはずだ。そもそも懐刀である薬研が主になにか害があるとみなしていたら、俺はここにはいられない。
「……聞いてくれ。頼みがある」
「嫌だ」
そう言って、勢いよく湯船から上がって、そのまま風呂からも出ようとしている。慌ててその腕を掴んで風呂に戻そうとすると、全力で抵抗された。
「待て待て待て待て待て! 聞け! 最後まで! まだ本題にも入っていないぞ!」
「俺その前振り知ってるもん! 嫌だ! 聞きたくない! 大体風呂なんかで聞きたくない!」
「誰のせいだ! アンタが散々俺から逃げ回って言わせないようにしてるんだろ! 自業自得だ!」
「被害妄想だ! 違う! たまたまだもん!」
「いい年して『もん』とか言うな!」
「うるせー! こちとら和泉守より最年少だぞ! 赤子みたいなもんです~」
『大将たち! うるせえぞ! もうちょっと静かにケンカしろ!』
「「……」」
薬研がバァン! と扉を叩いた音がして顔を入り口に向けると、曇り硝子に薬研の姿が曇って見えた。思わず顔を見合わせ黙り揃って再度湯船に浸かりなおした。
「薬研。すまん……」
『仲がいいのはいいことだが、まあ、話し合うのはいいが、のぼせないようにな』
大声を聞きつけて脱衣所に来た薬研に頭の悪い会話を聞かれてしまい、主と初期刀として情けなくなったが、薬研はさっさと見切りをつけて再度風呂場前の護衛の定位置に戻っていったようだった。廊下扉が開いて締まる音がすると、また無音になった。
「修行に、行きたい」
主は答えない。ただ、唇を噛み締めている様子は、確かに叱られている最中の子どものようだった。一期一振に叱られて泣きべそをかく包丁のように。
「主。頼む。答えてくれ。
それとも、俺には、修行道具は使わせられないということか?
俺は、修行に出せないほど、アンタの信用がないのか?
……わかっている。アンタからの信用がないことくらいは。それならそれで、そう言ってくれ。俺も覚悟をしてここに来た。
それなら、アンタの意向を汲む」
「は? お前、なに言ってんの? ちょっと、待て。意味のわかんないこと言われたんだけど?」
すごい勢いで主が顔をこちらに向けてきて、あっという間に頭に載せていたタオルを剥ぎ取って湯船の外に放り投げた。俺の両肩を掴んで、普段あまりハッキリと開いていない瞳が、見開いていて、俺を見つめた。
あの、主の漆黒の目だった。ただし、そこに、光りが見えない。それだけで急に不安になる。
「切国。今なんて言った」
「修行に、行きたい」
「そのあとだよ! 誰が、誰を、信用してないって!? 俺の聞き間違いか?」
「アンタが、俺を、だ。そうは言うがな、こんなにも、急激に遠ざけられて、アンタと会う暇もなく、他の者たちはほとんど二つ返事で快諾されて道具さえあれば修行に向かったじゃないか! 俺は、なぜだ? 俺だけはなぜ修行に行けないんだ! 俺がなにをしたんだ! なにかをしたのなら教えてくれ! なんにも答えてくれないのは主じゃないか!」
そう思わず言い返してしまったら、主は、俺の身体から力が抜けてそのまま滑り落ちたように手を離した。
呆然としている表情は、かつて厚樫山で散々撤退した時の苦渋の面持ちとも違う。去年の大包平ドロップが出来なかった時の落胆の表情とも違う。
なんにも覆うものがお互いにない状態だからこそ、まるで素のような、子どものような、言われた言葉をそのまま受け止めてそのまま衝撃を受けた様子だった。普段はそんな男じゃない。
初めて出会った頃は、確かに少し頼りなさげで、おどおどとしているところもあったが、「人間」の先輩として、「主」として、どう振る舞えばいいのか、考えて常に動いているような男だったはずだ。
どうして、こうして俺の癇癪なんかに衝撃を、いまさら、どうして受けるんだ。
「お前を、行かせたくない」
小さな声だった。
やはり、それが、答えなのか。思わず反射的に縋るように聞いた。
「なぜなんだ、主。頼む、教えてくれ」
数回、口を開いては、閉じてを繰り返し、眉間に強く皺を寄せて、しかし、まるで、泣きそうな、泣く直前の秋田や五虎退のような、顔だった。きっと、あいつらの子どもの部分は主の見せなかった表情と類似している。あいつらに似ているんじゃない。本当は、主は、こんな顔をどこかで、ずっとしていたのだろう。
そんなことに、今更気づいた。
「俺が、お前を必要としているからだ」
「は?」
「お前がいなくなるのが怖い。ずっとずっとお前に頼ってきて、修行に行って、もしもお前が帰ってこなかったら? お前が別人のようになってしまったら? お前がいない間に、俺の身になにかあったら? お前がいないここでの生活は俺は経験したことがないんだ。
お前が修行に行って、なにを見てくるのかわからないが、俺という主を見切ってしまったら、どうしようって……思ったら、お前を、お前だけは、修行に出すのが怖くなった……お前が悪いんじゃないんだ……お前が言う通り、自業自得だ。合ってる。
俺は、お前に、ふさわしい主なのか。
ずっと、ずっとずっと、不安だった」
「主……」
「……お前、絶対信じてねーだろ!」
「……ああ」
「信じろよ! お前のそういうところだよ!」
「そういう、こと、とは……? 俺は、なにを、直せばいい? 主、アンタは、俺を、そんなに重用していたか?」
「お前、それを長谷部の前で言ったら多分斬られるから絶対言うなよ……」
「……なんとなく、それはわかる……」
「別に、贔屓してるわけじゃねーけど、俺としては、お前に任せるのが一番安心できるというか、確実かな、と思って……。新刃の育成だって、お前なら上手いことやってくれてるし、やめさせる理由もなかったというか。
近侍を毎週やらせるのはさすがに仕事多いかなと思って辞めさせたけど、でも俺は自分を信用しきれないから、お前の意見を聞きたいし、チェックしてほしいし、俺の、その、ワガママでお前を振り回したのは、正直、その、悪かった……よ……」
主が言っていることが、本当によくわからなかった。
今度は俺が呆然とした顔をしているのだろう。俺の両頬をつねる。
「綺麗な顔が、台無しだぞ」
「……綺麗って、言うな……」
「お前を選んだのは、俺と、似ていると思ったからだ」
「自信がなくて、でも本当は自分は出来るって思ってたり、自分を正しく見てほしいっていう感覚というか、そういうところが、似てると勝手に思った。
お前と俺は、ほんとは、なんにも似てないのにな……。
当然だけど、俺は綺麗でもないし、刀で戦うことも出来ない。
人間の先輩だからって張り切って家事とかお前たちに教えてたけど、前田のほうがお茶を淹れるのは美味いし、お前にはコーヒーの味も抜かされて、挙句の果てには、仕事だっていっつもお前のチェックでなにかと誤字脱字は見つけられるし、文章の添削だってやってもらう始末でさ、どんだけ刀に甘えてんだって話だよな」
「俺は甘えられてたなんて思ったことない」
「そういうところだよ! お前のそういうところ!
俺は、お前がいなきゃ、なんにも出来ないんだよ! ずっとずっと不安だって言っただろ!
お前にふさわしい審神者に、俺はなっているのか? 他の誰でもないんだ! 俺は、お前に、認められたいんだよ!」
「なら、それと、俺の修行と、一体なんの関係があるというんだ!
アンタのために、俺はまだ強くなれる道があるのなら、俺は、俺のためだけじゃない。
アンタのためにも、もっと強くなりたい!」
「本当に、お前は、ここに、帰ってくるの?」
「俺は、そうやって、お前を、信じきれない『俺』が、一番嫌なんだ……」
「主……」
そして、主の身体が倒れた。慌てて身体を支える。細い細いと思っていたが、抱えてもなお、骨ばった肩と肘ばかりが目立つような体格にため息が出た。
「おい、主……どうした……!」
「め、眩暈がする……薬研……、呼んで……」
「は!? 薬研! 薬研来てくれ!!」
普段戦闘以外ではあまり出さない大声を上げると、薬研がすごい勢いで飛び込んできた。
湯あたりということで、主が倒れ、その後勝手に風呂に忍び込んだとのことで長谷部と前田にみっちり怒られた。
そして、主は風邪を引いた。
俺は、当然修行に行っていない。
*
あれからずっと考えていた。
主は、一体、なにを考えていたのかということを。
どうして、そんなことに、なってしまったのか。
俺は、主に認められたかった。
主は、俺に認められたかった。
そんなの、おかしい。
単に主従を違えているだけではないのかとも思ったが、翌日一日謹慎を主代理として前田に言い渡されたときにも前田にも言われた。
「主君は、切国さんに大層お気持ちを重ねておいでのようでしたから」
違う。そうではない。
覚悟すべきは、腹を決めるのは、信じるべきは、俺だけの話ではないのだろう。
「兄弟。行くの?」
「ああ」
「もう前みたいに無理矢理長話しちゃ駄目だよ」
「わかっている。前田がいるんだ。問題ない」
「ねえ」
「なんだ」
「主さんの気持ち、汲んであげてね」
「は?」
「僕から、兼さんを取ったらその存在が危ういように、主さんにとって、兄弟はそれほど大事な刀なんだなって、思っただけ」
「俺は……」
「それから先は、直接本人に言わなきゃ」
「……行ってくる」
「うん。気を付けて」
あの風呂場での騒動は、大声で話していただけあって、本丸のあちこちの男士たちに筒抜けだったらしい。
生暖かい目線で見られるのは具合が悪いが、自分が悪いので致し方ない。
今日からは面談解禁と聞いたので、朝食前にまっすぐ主の部屋へと向かった。
「主、話がある」
やはり、前田が出てきた。申し訳なさそうな顔をしているが、コイツこそ主によく似ていて駄目な時は絶対に譲らない。
だが、俺の恰好を見てハッと息を飲んだ。そして、そっと障子を開いて、中へと誘導した。
「どうぞ。主君がお待ちしておりました」
「……ああ」
中に入ると、いつもの部屋の中に布団が引きっぱなしで、寝間着のままだ。障子を閉めて戻ってきた前田が肩に羽織をかけてやっている。
「山姥切国広」
「失礼する」
久しぶりに正しい呼称で呼ばれて、一寸脚が竦んだ。しかし、腹の底から息を吐き、戦装束のまま後ろに布を払い、跪き本体を主の前に差し出した。
「言いたいことが二つある」
「意外とあるな」
「意外と元気じゃないか。ならば遠慮なく言わせてもらう」
言い返されたことで、ぐっと言葉を詰まらせた主を放って、そのまま続けた。
「アンタは、俺を見ていない。
俺がアンタにふさわしいかふさわしくないか、それを決めるのはアンタじゃない。俺だ。
そして、俺は、アンタの隣に初めて立った刀であり、アンタに信じられていたい。
だが、アンタは、俺を信じきれないという」
「……ああ」
「他の刀に、アンタはそんなことを言わない。
俺は、ただの刀だ。アンタじゃない。俺は、アンタじゃない。
俺を、ただ、俺として、見てくれ」
「俺とお前が別の存在だなんてこと、そんなのお前に言われなくてもわかってるよ!
何年人間やってると思ってんだ!」
「まだ赤子みたいなものだ。百年も生きてないだろう」
「でも、お前は、どんどん強くなる。
俺は、ここに来て、いまだになにも成しえていないのに、お前はどんどん先に行ってしまう!
俺を置いて、お前はどんどん強くなる。お前と一緒に、バカやってわからないなりに刀装作って、メシ作って、掃除して、馬を逃がして捕まえて、新しい刀たちと上手く話せなくてお互いに落ち込んで、でも最近じゃそんなお前じゃなくなって、どんどん俺の先を歩いている!
お前が、もっともっと、先に行って、もっともっと強くなったら、俺は、どうしたらいい……?
隣に、立つことも、出来ないじゃないか……!」
「出来る」
俺を選んだ主なのだ。
「選べ、主。
俺の刀解か、俺の修行か。
俺たちの関係は間違っている。俺もアンタも、腹をくくるべき時だ。
アンタはそんな風に俺を言うが、過大評価もいいところだ。
アンタのそれは、俺を信じられないということだ。信じてもらえない初期刀など存在する価値もない。
だが、アンタが俺を信じるというなら、俺は全身全霊をかけて、アンタのために必ず戻ってくると誓う。
アンタが『自分』を信じきれないなら、それでいい。だが俺は、俺を信じる。俺を信じてやれるのは俺だけだからだ。
俺は、俺だ。
それを証明する。
俺のために、アンタのために、必ずアンタのところに帰ってくる。それが「物」としての、俺の唯一の願いだからだ。
何度も使われ、ボロボロになっても直してでも使ってくれたアンタのために俺は立ち上がるし、俺は戦う。
アンタに信じてもらえなくても、俺はそうしてきた。
だから、俺が修行に行っている間、アンタも腹を括ってくれ。
四日間、アンタはアンタで、俺なしの生活が修行だ。俺と、アンタは別々の存在なんだ。俺なしでも、生きていくことがアンタは出来る。
それでも、なお、俺を信じるべきか、否か。
アンタが俺の修行を許可したなら、「絶対」をアンタに見せてやる。それしか、俺に出来ることはないからだ。斬るしか出来ない俺だが、この魂をかけて約束する。必ず、ここに、アンタの隣に帰ってくる。
さあ、どうする。主。
決めてくれ」
前田が、主の手を握った。
主は、俺の顔を見ながら、涙を流していた。子どものようにボロボロと涙を流しながら、喉から嗚咽が出るのを、必死に抑えようとして、逆に喉を震わせている。黒い瞳から星の光がこぼれるようで、とても美しくて、宝石が落ちていくように布団に染みこんでいく。ずずっと、鼻をすする音が聞こえて、主が、寝間着の袖で目元を拭った。
「絶対に、刀解なんか、しない。
ずるい。わかっているくせに」
途切れ途切れに、でも負けず嫌いな主らしい言葉だった。そして、膝を擦りよせて、前田ごと俺の前に膝を突き合わせた。
三人の手が、一つになる。三人の中で、一番冷たい手が、主だった。本当は、俺と前田は刀剣なのに、「鉄」の仮初の名を持つ男の手が冷たいのが、印象的だった。
「行ってほしくない。行かせたく、ない……。
でも、わかってるんだ。知っていたし、気付いていたんだ。
俺の、山姥切国広は、お前には、誰より、一番強くいてほしい。
行かないで、切国。
でも、必ず、帰ってきてくれ、山姥切国広」
「当たり前だ」
三人できつく抱きしめ合う。
人間の身体は不思議だ。体温が交じり合ったように、温かい。前田と、目が合った。いつもよりも小さな、けれどとても穏やかな微笑みだった。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
そうして、俺は本丸を出立した。