自覚のない可愛げ「こんにちは、前田藤四郎。
ようこそ、俺の本丸に」
目を開いて初めて見たその方が、主君なのだと、瞬時にわかりました。
この本丸に二振り目に顕現した僕は目覚めた瞬間から、主君に末永くお仕えすることを誓ったのです。
それからというもの、近侍とは別に、主君の普段の生活のお世話を仰せつかっています。ありがたいことに重宝してもらえていると自負しています。
鉄。
それが僕らの主君の「通り名」だそうです。
あくまでも、「ただの」通り名で主君が仰るには「渾名」のようなもので、それが本名から来ているのか本名を知らない僕にはわかりません。
歳の頃はおそらく打刀の方々と同じくらいより少し上と思われますが、お顔の造りがいわゆる童顔というのでしょうか、少し幼い見目のように思われます。真っ直ぐとして少し痛そうなくらい硬い髪と、あまり陽に当たられないためかほの白い肌、中肉中背というよりは少し痩せた腰つき、猫背気味の背中は僕たち短刀からは少し遠いですが、呼ぶと屈んで必ず表情を見つめてくれて、普段はあまり合うことのない瞳は黒曜石のような色で僕ら刀たちを写し出します。
常にとろんとして少し眠そうな瞳のその色は、確かに「鉄」を思わせる深さなのでありました。
初期刀として選ばれていた山姥切国広さんと僕は、主君と三人で、最初の苦しい時期を過ごしました。
実際には、確かに、資材もない、ろくな家財もない、手が足りずやることだらけの毎日は大変でしたが、確かに楽しかったです。毎日初めてのことだらけで、泥まみれになって、食事作りに四苦八苦して、人の身になって初めてやることに苦戦していた日々は、本当に充実していました。
よく覚えているのは、やはり、初日の食事です。
初めて出陣をし、二人で刀装を溶かし、つい先ほど僕が来る前に重傷に追いやられた山姥切さんはさすがに少し疲れた顔をしていましたが、不器用ながらそれでも短刀の僕を気遣う発言があり、最初はお顔が良く見えず不安もありましたが、下から垣間見える布の下のお顔はお人柄を信頼するに足る真摯なものでした。僕らが戦場から戻ると、主君が食事の準備をしてくださっていました。主君が作られる食事は、今はとても貴重なものです。今でも時々、本丸設立当初の話を兄弟たちに求められることがありますが、その中でも一番喜ばれるのはいつもこの話です。
その度に、僕は胸元があたたかな気持ちになるのです。それはとても大切な思い出となり、積み重なって今の僕を形作る物語の一つとなっています。刀として作られた僕ですが、新たに人間として生まれ変わったような気すらするのです。
「刀の口に合うかわからないけど、まあ、メシにしようぜ」
着替えてこいと急き立てられ、二振りで厨に戻ると、目の前に並べられたのは、炊き立ての白米と、味噌汁、御新香と納豆と卵でした。
「なんか、朝飯みたいで悪いけど……。食材は明日から発注とか買い物とか準備が整うみたいだから、インスタントよりかはせめてこっちのほうが腹持ちいいかと思って。よし、じゃあ、とりあえず食おうぜ」
僕と山姥切さんは、二振りで顔を見合わせ、お互いにすこし顔が緩んでいるのを覚えています。
一体、誰が、考えたでしょうか。
主君自らが、その日出会った家臣に手料理を振る舞うなど、と。
味は正直、よくわかりませんでした。まだ味覚というのが理解出来ていなかったからです。とても惜しいことをしたように思います。
今思うと、あのごはんは、少し柔らかめに炊いてありました。初めて「食」す僕たちの胃を慮ってくれたのでしょう。
箸の使い方、茶わんを持つ手、味噌汁は急いで飲むと熱いこと、御新香はよく噛まないと喉に詰まること、一回の食事で学んだことはたくさんあります。食後にお茶の淹れ方を教えてもらい、それから食後の茶は僕が用意するようになりました。これも、今も続いている習慣です。
「お前たちのことはなんて呼べばいい? 俺のことは最初に言ったけど、通名でもいいし、こんのすけみたいに審神者でもいいし、まあ、なんか適当になんでもいいよ」
「そんな、主君のことをそのように適当になどお呼びできません。僕のことは『前田』と。なにかあればいつでもお呼び立てください」
「俺は……あまり、名前は……」
「『山姥切』は嫌なんだろ? さっきの戦闘も見てたけど、山姥切を切ってないって言ってるしな。『国広』も嫌なのか?」
「構わないが、前田と同じでその名では不便だと思うぞ」
そう山姥切さんが言うと、キョトンとした顔を浮かべた主君が、厨の柱につるし上げていたこんのすけに視線を向けました。僕が来る前、山姥切さんが重傷を負った原因の一端を担ったとのことで、反省を促すためにそうしてると食事前に説明がありました。反省している様子のないこんのすけは主君の視線を受けてすらすらと答えます。
「刀剣男士の名は当然ですが、作り手の名が入ることが多いです。前田藤四郎は粟田口刀派で、多くの者が「藤四郎」の名がついています。また、山姥切国広は刀派「堀川」で、「国広」の名がついているほかの刀がいるのです」
「ああ、そうか。全部同じ名前だから混乱するぞってことか」
おそらくそれが主君の癖なのでしょう、左手を顎の下に支えるようにつけ「なるほど」と呟かれますと、少しぶつぶつと言ったかと思うと今度は山姥切さんのほうを向いて「じゃあ」と言い放ちました。
「間を取って、『切国』はどうだ?」
「……なんでもいい」
そういいながら白い布を目深に被りなおしましたが、主君は微笑んでおられました。
隠し切れなかった噛み締めた口元は、確かに緩く弧を描いていたので。
それから『切国』さんと、僕と、主君とのあわただしい毎日が、本格的に始まったのでした。
*
「もうその語りっぷりも堂々としたものだな」
主君がそういって僕に湯呑を差し出してきました。頷いてすぐにポットを用意して急須の蓋を外します。
「新しい兄弟が来るたびにせがまれたので。こうしていまだに秋田や乱兄さんが聞きたがるのは少し参りますけども」
「普段は自分のことなんてほとんど話さないお前の声を長々と聴けるいい機会だからな。普段は近侍でなくてもこの部屋の近くでウロウロしているし、少し気を緩めたっていいんだぞ。たまには平野と鶯丸んとこでお茶でもしてきたらいいのに」
「平野は平野で好きなことをしていますよ。僕は僕で自分のやりたいようにしているのです。主君のお傍にいられることが僕の一番の喜びですから。
どうぞ。お熱いので、お気を付けください」
両手で差し出すと、右手で受け取った主君は人の言葉をちゃんと聞いてはいないようで、すぐに「あつっ」と言って慌てて机に置きました。
それを見て思わず僕も微笑みます。いつもそうなのです。熱いものが苦手なのに、お茶は熱いのがいいと言って煎茶を好まれ淹れたてをご用意します。どうせ、飲むのは少し経ってからになるというのに。
先ほどまで秋田と乱兄さんが昔の話を聞かせてくれとここにいらっしゃいました。短刀の中では少し遅めに来た二振りにとっては、いつ聞いても面白いらしく、昔の話を聞きたがります。その様は、僕から見ても、とてもかわいらしく、主君のいるところで二振りは甘えるのが上手です。
和泉守さんに呼ばれ、内番に出て行った二人の湯呑を盆にのせ、主君が下さったお菓子を片付けていると、主君がいつものように戸棚に仕舞ってあったチョコパイをくださいました。これは先ほどの菓子の詰め合わせには無かったものです。
反射で受け取ってしまってから、口を開こうとしてすぐに閉じると、主君はわかっていたというように、笑われました。決してバカにしているのではなく、さも嬉しいとでもいうように。
「前田はかわいいな」
「かわいくないです」
いつも主君は僕がお手伝いをしたとき、ふとした瞬間にお菓子をくださいます。こうして片付けをしている時、休憩のためのお茶をご用意した時、床の準備をした時や床上げの後にこっそりと、外出の前のお洋服やお荷物のご準備を終えた時。小さな飴やマシュマロのような一口で食べれるもの。時々こうして、少し大きな栗まんじゅうや大福など。他の奴らには内緒だぞ、と言いながら、それを他の刀たちにも言っているのも知っています。大きな刀でも甘いものを好まれる方も多いのです。
僕はそんなつもりではないのです。ただ、主君のお傍にお仕えし、主君がお仕事を気持ちよく出来るようお手伝いをすることが僕の喜びであるからです。下心のように、こうして小遣いや頂き物が欲しいからこうしているのではないのです。
幾振りかの兄弟の顔が浮かびますが、彼らはそれが自然であり、主君もいつもお喜びを表すように朗らかに兄弟たちに接しています。
僕は、主君からの贈り物に対して、素直に喜び笑顔を向けることが出来ません。
つまり、主君がおっしゃるような「かわいい」は僕には当てはまらないのです。
うれしいのですが、僕は、それだけではなく、それよりももっともっと主君のお役に立ちたいのです。僕ばかりが喜んでしまっては、家臣としての使命を果たせているように思えないからです。
「片付けありがとな」
「いえ、当然のことですから」
「うん、それでもな」
主君は黙ってしまった僕の頭を撫でます。幼い見目の短刀を、主君はよく撫でたり、抱きしめたりします。それは短刀のほうもそのような接触を好むからです。すこし大き目でも信濃兄さんなどはよく主君に飛びついてはいち兄に注意を受けていますが、当事者の主君は嫌がるどころか喜ばれているように見えるくらいです。見かけると両手を広げて歓迎するほどです。
撫でられながら、手にはお菓子を持って、こんな童のようなふるまいで、本当に主君をお守り出来るのでしょうか。
僕の懸念はそこにあるのです。
「そうやって、ぶすくれてんのが、かわいいよ」
「はい? それは聞き捨てならないですね」
頭上にあった大人の手は、するりとすべって僕の丸っこい頬にくると、痛くない程度にむにむにとつまみました。これも、よく小さな短刀相手によくやる仕草です。秋田など、両手を使って摘ままれています。それも主君だけでなく、色々な刀たちに。
「さっき、乱が部屋に来て早々にお菓子ないの?って無邪気に聞いただろ? 前田はめちゃくちゃ青ざめてたけど、ああいうのはかわいいよな。屈託ないのが気持ちいい良くって、すぐに俺もお菓子出しちゃったけど。秋田は秋田ですぐにお菓子に気を取られてニコニコしてさ」
「は、はあ」
「乱みたいにわかってて甘えてくるのも、秋田みたいに無自覚にこちらを癒すのも、みんなかわいいけどさ」
ようやく冷めたお茶を一口含んで、左手で頬杖をついた主君は、僕の手を取りました。
小さな手です。自分でもそう思うくらい、子どもの手をしています。
「俺は、前田みたいに「かわいい」っていわれるより、「かっこいい」って言われたいっていうか、かっこよく強く正しくありたいのに、だからこそそうやってうまく甘えられない自分があんまり好きじゃない前田が、すっごくかわいいよ」
お守りするべき主君よりも小さなこの手は、自身の本体である刃を握るのには最適な身体です。
でも、主君に握られているこの手を、ゆっくりと握り返しました。
「どんな姿でも良いのです。ただ、主君のお傍にお仕えし、あなたをお守り出来るのであれば」
「ほんと、そういうところ、かっこいいよな、前田。
そのかわいいのに、かわいくないと思っている前田も、いっつも俺の手を引いて俺の背中を押してくれるかっこいい前田も、俺は大好きだよ。
そのままでいてよ、前田。ずっと、ずっと、頼りにしているからさ」
「はい」
最初に出会ったあの瞬間から、末永くお仕えすると決めたのです。
「僕に、お任せください。御身を必ずお守りいたします」
しっかりと両手で握りしめた主君のお手に誓うと、主君は今度は照れたように苦笑しました。
「そういうところ、やっぱり一期の弟だよな……。とてもじゃないが、かわいいなんて嘘みたいだ。
かっこよすぎて惚れそう……」
「おや? 惚れ直すではなくてですか?」
「そういうとこだぞ!」
「なにを遊んでいるんだ?」
「切国さん。今主君を口説いているところです」
「あまり遊んでやるな。意外と初心だからな」
「お前が言うことか?」
今日の近侍は久しぶりに切国さんでした。
お茶を淹れようと切国さんの湯呑みを取りに立つとご本人がお渡ししてくれました。
「いつもすまないな。ありがとう」
「いえ、これくらいのこと、なんでもありません」
「切国」
「なんだ」
「今日の予定だけど」
それからはお二人で次々と任務のお話です。切国さんの時はいつもそうです。近侍は当番制なので新刃の時もあれば古参の時もあります。切国さんは定期的に近侍に入られ、仕事内容を主君と共に整理し、切り分け、皆さんに伝えられるように手配します。直前人前で話すのが得意でないため実際にはお伝えするのは主君ですが、その直前までの準備は切国さんです。お二人の信頼は厚く、僕など遠く及ばないでしょう。全幅の信頼を預けられているのは、切国さん一振りです。
時折、切国さんは「そんなことなど、決して無い」と僕に言いますが。
切国さんにお茶をお淹れし、主君のも淹れ直し、お部屋の中を軽く片付け、本日の内番組が支障なく当番に当たられているか見回りに行きます。その後、再び小休憩のために主君のお部屋に戻ります。
初期刀である切国さんに向けられる信頼にいつか、追いつきたいと思いながら、今日も僕は主君のためにお手伝いに当たるのです。