現パロ三池兄弟まとめ② お揃い
三池兄弟はこだわりが強い。
興味関心がないものには一切のこだわりもなく、資金も出さないが、好きなものへの情熱は一定以上ある。そう、たとえば文具とか。
仕事で使うものは当然だが、普段使いのものはソハヤは父から成人の時に貰ったモンブランのボールペンを愛用していたし、光世は亡くなった母の形見分けで貰ったペリカンの万年筆を使っていた。万年筆はその時初めて手に入れたが、以降、気に入った見た目のものがあると試筆をしに馴染みの文具屋へといそいそと通うようになったのだ。
万年筆は手間がかかる。光世はあまりそういうことにストレスを感じないためか万年筆のインク溜まりを眺めたり、定期的にインクの入れ替えをしたり、洗浄をするのも苦にならない。そういえば鶯丸に万年筆を贈ったのはいつだったか。一足先に三十路になった祝いにでも贈ったような気がするが、そういう手間暇の掛け方は茶などにも通ずるためか、胸ポケットのある服の時は大抵それが刺さっている。
ソハヤと大包平はもう少し実用性が高いものを好むのでボールペンを使っていたし、それぞれそれなりに良いものを使っているのだから物持ちはいい。
なので、光世はソハヤが万年筆を使っているのを、初めて知った。
「兄弟。万年筆なんて持ってたのか」
「ぎゃ!」
ぼんやりと仕事場でスケジュール帳を開いて突き合わせるようにノートを開いてブレストでもしていたようで、メモのような、イメージの書き起こしなのか、つらつらと書き殴られた文字のインクは、光世の知らないカラーでくすんだブルーブラックでずいぶん渋い色合いだ。
意識を集中していたらしく、背後からかけられた声におかしな悲鳴を上げてノートを一気に両腕でおおった。
「きょ! 兄弟! いつの間に……!」
「さっきから後ろで茶を淹れていたが。お前もいるか?」
「い、いります……」
「なにもそんな隠さなくとも……」
二人とも表現者となってからそれなりに経つ。
ソハヤはどこそこの公募に応募したり、母校の展覧会や、地域の展覧会、数年前には若手の新進気鋭の作家として小さいながらも個展も開いた。展示や作品の構想の話や、作品自体の制作過程も当然熟知している光世相手にまだなにか隠すものがあるのかと思わず眉間に皺が寄る。
茶をいつも通りマグカップに淹れてやってからその手元を覗き込んだ。
「おい、見るなよ」
「なにを今更」
そこでようやく気付いた。その持っているペンが光世が愛用している形見の万年筆と同型だということに。
「スーベレーンじゃないか。欲しかったのか? それなら別に母さんのやつを……」
「違えよ! 絶対そういうから嫌だったんだ!」
片手を出すと、観念した様子でソハヤが使っていた万年筆を渡される。母のは型が古いので天冠やクリップのデザインが少し違う。当たり前だがソハヤのは新しいもののようだった。
「いいじゃないか。限定か?」
「まあな」
「モンブランのほうがお前の好みかと思っていたが」
「ボールペンはもうあれで慣れちまっただけだよ」
「インクは? ペリカンならいくつかあるから使いたいのがあったら分けてやろう」
「インクはモンブラン」
「ああ、どうりで見たことあるわけだ」
万年筆は書き手の癖が出る。書くことはせずペン先だけを見て弟の手に戻す。
「……なんも言わねえの?」
「なにをだ? お前は万年筆に興味がないんだと思っていたから俺は嬉しいが」
当たり前にそう返すと、どこか複雑そうだが、少しだけ上がりかけたこうかくを必死に抑えている顔をしていた。
「なんだその顔」
思わず吹き出す。
「うるせーな」
見慣れたソハヤの字が、万年筆を使っていることで初めて見るような新鮮さをもたらしている。まだまだ新しい側面があるのだろう。
兄弟が、使ってるのが、カッコ良かったから。
冷めかけた茶を含んだ際にそう小さく呟かれて、思わず吹き出した。ノートにかかったそのインクの滲みも美しい。
拭き取った部分が消えてしまったが、それも今のこの時間の泡沫と同じ、いつか無くなるからこその幸福なのだ。
探し物はなんですか
二階の廊下でペタペタという足音がして不審に思い身体を起こして首だけ出してみるとソハヤが珍しく裸足で自室と一階を往復しているところだった。
ソハヤは普段潔癖の気があり素足なんかでは歩かないし(ただし、自室は自身の城のためか大層汚い)、共有空間は二人ともスリッパを着用している。扱っている道具や素材も硬く小さなものが多いので単純に危険だからだ。
「おい、スリッパはどうした」
「ほんと耳聡いな、兄弟。下で薬缶落として濡れたんだよ」
「なんだと? おい、怪我は?」
「平気だよ。どう見たってつるんとしてるだろ? まだ火に掛ける前だったんだ。それより拭くものねえか? まだ足りないんだ」
「もう古いバスタオルでいいだろ。ちょっと待っていろ」
「悪いな」
そうして、ソハヤの部屋よりは整理されている自分の部屋の中に戻ってどこにその古いバスタオルがあったかを考えていたら、全然関係ないことを思い出していた。
小さな出来たばかりの弟は、裸足が好きだった。
足元がムズムズするのか、靴下を履かせてもすぐに脱いでしまう。首輪を嫌がる子猫のようだ。
気がつくと靴下を脱いでしまう。そのうち、ソハヤが靴下を脱ぐと光世が後を追いかけてくることを覚えてしまった。片方ずつ脱いではどこかに隠してニヤニヤしているので、すぐに光世にバレる。
弟を小脇に抱えて、まだ履いている靴下と神経衰弱をするように家中をウロウロして、気がつくとそのもう一つも無くなってたりする。大きなため息をこれ見よがしについてみるものの、弟はキャッキャと喜ぶばかりだ。
小学校に上がる頃には無くなってしまったその遊びだが、裸足を好むのは大きくなっても続いた。学校から帰ると即座に制服と一緒に靴下まで脱いで、裸足とジャージというラフな格好でまずは腹ごしらえのために冷蔵庫の前に居座るのが日常だった。
大人になったら当然のように無くなってしまったが、自室では靴下を脱いでいるのを知っていた。
大人の体になったのに、裸足のソハヤを見て、うっかり口元が綻んでしまう。
「なんだよ……」
なんとなく察したのか、兄弟が少し警戒した瞳で見返してくる。その強気な視線が光世は好きだった。負けん気の強い、何ものにも立ち向かうその眼差しが。
「いや、小さい頃のお前はいつも靴下をそこらじゅうに投げては隠していたな、と思って」
「あ〜〜も〜〜! 一体いつの話だよ!」
「お前が三歳頃の話かな」
「具体的な年の話じゃねーっつーの!」
「昔はあんなに靴下を嫌がってたのにな」
「ったく。すぐに昔の話して。おじいちゃんかよ……」
「お前が戻ってくれるならそれでもいいさ」
思わず楽しくなってそう言いながらチェストの一番最奥に眠っていたバスタオルを差し出すとひったくるように奪われていった。
ぷりぷりと後ろ姿からも怒っているのがわかるが、同時に垣間見える耳元が赤いのが微笑ましい。
さて、どんだけ床を濡らしたことやら、と今はもう立派な体格をしているが必ず自分よりも小さい背中を光世も追った。
ひだまり
小さい頃、昼寝をしているソハヤを見ているのが好きだった。小さく上下する胸。時々ピクリと動く小さな手指。どったんばったんと激しい寝返り。自分が寝ているところなど見たことないが、きっとこんなにうるさくないだろう。
毎日新しい傷をこしらえて勲章を増やしていくその姿に自然と口元が緩む。気がつけば自分も一緒に寝てしまっていたことも少なくなかった。まろやかな温度に導かれてぬるま湯に浸かっているような心持ちになるのだ。小さな子どもというだけではない、「ソハヤ」という子どもに向けた自分の愛情が返ってきているのだと光世は信じていた。
それが時々ピシャリと冷水をかけられたようになる。いつもは楽しい寝言が多いが、たまに思い出したようにポツリと言う。隣で寝ていなければ気が付かないくらいの声で小さく「じいじ」とこの家にはいない存在を呼ぶ頼りない声と伸ばしてもなにも掴めない手のひら。
それを聴き、見るたびに光世の心臓もギュッと掴まれているようで呼吸が止まった。
この子が真実を知る日は来るのだろうか。
血の繋がりなどなくても自分たちは上手くやっているはずだ。必ず幸せにしてみせる。悲しい想いなんて絶対にさせない。知らないことが幸せなことだって、きっとある。
俺が守ってやる、なんて、なんて傲慢だったのだろうか。
*
「いい子にさせたいわけではなかったんだがな」
「いい子でいいじゃないか」
「言いたいことも言えないような関係が?」
「そこまで冷え切ってもいないだろう。嫌ならとっとと一人で家を飛び出せる技量も度胸もある男だろう、ソハヤなら」
「だからこそだ。まるで我慢をさせているみたいだ。
言いたいことも言えず、言わずに、本当に、今の生活はあいつにとって最善なんだろうか」
「これほどの環境をまだ足りないというような男なら俺はあいつを見損なうぞ」
呆れた鶯丸の言葉など全く耳に入っていない様子でその余り余っている手脚を抱えた光世の頭を手刀で叩く。
「本当に弟のこととなると強欲だな。もう少しお前自身の身の振り方でも考えたらどうなんだ」
「金ならある」
「お前の代で食い潰すだろうな」
「お前には言われたくない」
もう終わりという合図で鶯丸が茶を淹れに席を立った。
棚卸し兼半期に一度の店の大掃除に邪魔だからと鶯丸の家に追い出されて半日。昼飯はソハヤと物吉、大包平も一緒に食べたが掃除の戦力にならないとされた二人はいまだにこうして昼飯の素麺の残りをちびちびと食べてはビールを飲んでいたがさすがに鶯丸が切り上げてしまった。昼から飲んでも顔色も変わらないのでバレることはないだろうが、まあ弟組に知られたら怒られるだろうことは想像に難くない。
「一度様子でも見に行くか。食後の散歩だ」
「怒られないだろうか……」
「手伝いに来たと素直に言えばいい。掃除機くらいお前でも出来るだろ」
「……デカイのがたくさんいると邪魔だと追い出されたのだが……」
思わず笑った鶯丸の後頭部に手刀を返しながら、出かける準備を始めた。
もっとわがままなら良かった。
思ったことを素直に言って、ぶつけて、取っ組み合いの喧嘩なんかたくさんしたはずなのに、今はどうにも薄布一枚挟んだような関係である。
この命に替えても守りたいとすら光世は思っているのに、どこから、いつからこの想いはすれ違ってしまったんだろうか。
酒の入ったぼんやりとした頭で自宅の玄関に入ろうとしたところで庭側から玄関に回ってきた物吉と大包平とかち合った。
「あ、おかえりなさい! ちょうど良かった。これからお呼びしようと思ってたんです」
「どうだ! 今年も俺たちが手伝ってこんなに完璧にやってやったぞ!」
「おお、さすがだな大包平。地味な仕事がうまいうまい」
「鶯丸! 小姑のように窓のサッシを確認するな!」
「毎年すまんな。ありがとう。ソハヤはどうした?」
「ふふふ、あちらです。昨日遅かったのに、今朝も朝から張り切ってましたからね。夕飯はいつも通り光世さんのパエリヤなんですよね? ボク、それが楽しみで張り切っちゃいましたよ」
「ああ、準備してある」
「では先に始めててください。ソハヤさんから追加の食材の買い出しを頼まれてるのでボクと大包平さんで行ってきます」
「そんなことなら俺が行くぞ?」
「いえ、お気になさらず」
大包平も気にしていない様子で、ついでとばかりに鶯丸も一緒に連れて行かれた。
ぽつんと取り残されて、で、弟はどこに? と思ったらいてもたってもいられなくて探すも家の中にいない。そういえば、先ほど物吉の視線は外に向いていた。
まさかと思ったが庭に出るとハンモックにスマホを持った状態で寝落ちしているソハヤがいた。
寝顔は昔と変わらない。無垢な表情でこの時ばかりは強い意志の滲む瞳がないためとても柔らかい印象になる。
ああ、いい子だ。
お前は、ずっといい子のまま。
その身になにを封じているのか知らないが。
悪い子になったとて、決して見捨てることなどあり得ないのに。
もう立派な大人で、体躯をしているけれど、光世にとってはいつまでもかわいい弟だった。
わがままでも、罵ってくれてもいい。その腹の内を、いつか晒してくれるなら。
どんなお前でも受け入れよう。
さあ、夕飯の支度を始めよう。
買い物から帰ったら物吉たちにソハヤを起こしてもらうよう伝えて。寝た子を起こすのは、きっと自分ではないのだろう。
独立宣言
「なぁ、俺は甘えて生きているように見えるか?」
「急にどうした、珍しい。外からのやっかみなど気にするだけ無駄だぞ」
「ははは、ああ、いや、そりゃそうなんだけども」
大包平は目の前で作業をしながら問いだけを発したソハヤににべもない態度を返す。
もう勝手知ったる親友たちの店で勝手に茶を淹れ(いつからか自分用の湯呑みが置かれるようになった)、ソハヤの分も一応淹れたが冷めていくのを先程から観察している。
珍しくポカンと空いた一日の休みを、たまには静養しろと鶯丸に言われたので、まあそれもそうかと思ってブラブラと散歩して店に来たところ今日は光世は珍しく打ち合わせで外出しておりそのまま実家に直行で、物吉も休みでソハヤ一人で店番をしていた。鶯丸の店番をすることもあるのですっかり大包平も町に馴染んでおり、こうして勝手に茶を飲んでいてもあちらでも馴染みの客に「あら、いたの?」なんて言われる始末だ。
ひとしきり人がいなくなって制作作業に戻ったソハヤがそうして独り言のように零したのはきっと兄には言えない塊だろう。
「やめとけ、やめとけ。他人がなにをしてくれると言うんだ。他人の人生をとやかく言うしか楽しみがない人間もいる。放っておけ」
「まあな。そうだよな」
そういいつつ、やはり割り切れないという感情が出るのは珍しい。基本的には竹を割ったような性格をしているし、その繊細さは極力本人自体が努力をして前に出さないようにしているからだ。
これは中々手酷い目にでも遭ったか? とさすがに心配になった。正確には、それを兄の光世が知っているかどうか、が。
兄弟に依存して生きているとは思っている。
他人から見てもきっとそうだ、とも。
学生時代からの仲間うちでの会話でさりげなく「まあ、三池はいいよな。実家が金あって、家族も芸術一家だしさぁ」などとまさに大包平が聞いたら呆れるようなただのやっかみである。その場はヒヤッとした周囲の人間たちが気を使ってその流れを断ち切ってくれたが、まあ別に今の自分の借金などは伝えていないし、父の体調についてなども言う必要もないので黙っている。
腹を探られて困るのは結局ソハヤのほうなのは事実だ。
兄弟に、生殺与奪を握られているとすら思っている。
本人にはそのつもりはないだろうが、ソハヤにとっては「三池光世」は救命ボートのような、命綱のような、最後の砦なのだ。
穢されるわけにはいかない。
誰にも触れさせたくない。
あの天賦の才は絶対に誰にも殺させやしない。それだけは決めている。
自分のことはわからない。本当は誰だかわからないので孤独は怖い。孤独というより、足元のない、一人だけ世界が違うと感じながら生きてきたから。理解のある家族や友人たちに囲まれてなんとかなってきたが、所詮ソハヤはただの人でしかない。どこから来たかわからない、身元不詳の。
それに対して出自がしっかりしていて、ボヤッとしているようで実は地に足がしっかりとついている光世に、寄りかかっているのはソハヤのほうなのだ。ソハヤの認識はそうだった。
自分が誰かわからないか、物を作る。ここにいると表すために。
だが光世は違う。作ることしか出来ないのだ。正しく物を生み出すためにここにいる。これしか道がなかったソハヤと違い、様々な道の中から表現を選べた光世の存在が、ソハヤには眩しい。暗闇から見る、光のような男だと、今更ながらにそう感じていた。
「言っておくが」
「うん?」
「お前たち兄弟はもはや一蓮托生だからな」
「はあ? なんだ急に」
「もう手遅れだと言うことだ。心中の覚悟でも先にしておけよ」
そういう大包平の顔は苦々しい。手遅れという彼の実感は確かにそうなのだろう。大包平は適当な冗談を言う男ではない。それこそ実直を絵に描いたような見本のような奴なのだから。
「ええ……、なにそれ、怖……。え、借金苦で心中とかってこと?」
「バカ者。そんなはした金、光世の小金でなんとかなるだろ」
「え、マジでそんなにキャッシュ持ってんの? てか、なんで大包平が知ってるんだよ! 兄弟また酔って通帳でも見せびらかしたか?」
「あいつらの実家の話を聞いてるだけで頭痛がするぞ」
「いや、その家俺たちもだろ」
「俺たち個人事業主はまた会計は別だ。生前相続してから考えろ」
「まあ、取らぬ狸のなんとやら、か……」
ため息は出るが、気は少し楽になった。
結局大包平が言いたかったことはいまいち掴みきれなかったが、まあいいか、と再び目の前の作業に戻る。
一つ一つ、しっかりこなしていくしかない。自分には、それしかないのだから。
そうだ、今更、周囲の視線なんて。
おそらくきっと大包平の言った言葉の意味を理解していないだろうソハヤを見て、冷め切った茶を啜った。
ソハヤ一人が寄りかかっていると真面目な弟は思っているようだが、実際は全く違う。
(今頃アイツから逃げようだなんてこと、気が触れてもしてくれるなよ。もう手遅れだからな)
とは、さすがに思っていても口には出せなかった。
醤油と山椒が欠かせない
「うなぎ〜〜!!」
それはそれは漫画のように瞳をキラキラとさせ両手を愛おしそうにくっつけ満面の笑みを浮かべたソハヤの喜びの声が響いた。そのすぐ背後には不機嫌そうな顔の光世がいる。
「まるで普段ロクなもんを食べさせてやってないみたいじゃないか」
「お前が食費を出してるわけではないだろう」
最もな鶯丸のツッコミにもめげずに光世がソハヤの気を引こうとする。
「おい、これくらいいつもの食事の時にも食いたいなら言え。食わせてやるのに」
「最後に金額わかるから嫌だよ。いいだろ、焼き肉食い放題に飲み放付けて二人で一万行かないんだから」
自分の生活費は全てそれぞれで賄っているが、なんとか弟を甘やかしたい光世が捻り出した月に一度好きな食べ物を奢ってやる会に置いてもソハヤはどちらかというと倹約に走っているようだ。ぐぬぬぬ……と悔しそうな声を上げる。
「全く、みっともない声を出して。兄様連中は調理の邪魔だ。ソハヤ、手伝え」
「承知〜〜!!」
大包平に呆れられキッチンを追い出された。仕方なく鶯丸が茶器の準備を始める。
「ほれ、役立たずの我々は茶でも飲んでのんびり待とう」
*
夕飯を作ってやるから明日の夜は鶯丸の家に来い、と大包平から連絡が入った。間違えて大量に野菜を買ったとか、どこかから貰ってきたとか、お互いそういう時にそれぞれを呼び合って食事をする。大体は鍋か鉄板焼き料理になるのだが、今日は素材を言われなかった。
二つ返事で返して、一応ソハヤはエプロンを持参し、光世は肉でも魚でも和風でも洋風でも合うからと最近気に入っている白ワインを用意した。
鍵はあるので中に入って「はるばる来たぜ〜〜」というと鶯丸が出迎えてくれた。
「函館にか」
「お前ん家だよ」
「これ、冷蔵庫で冷やしておいてくれ」
「お、白ワインか。悪くないな」
「で、今日なに? なんの会なんだよ」
「聞いて喜べ!」
「うお、大包平!」
「うなぎだ!」
ドーン! とまるで効果音でも付いているかのように大声で宣言すると光世が冷静に「ああ、土用の丑の日か」と呟いたが、ソハヤは完全に大包平と同様の態度だった。
「うなぎ〜〜!?」
そして現在に至り、弟分二人が実に楽しそうにキャッキャとうなぎを調理しているようだった。
「先に言えよな〜〜! それなら山椒の実の醤油漬け、いいとこの聞いたばっかなんだよ、買ってきたのに」
「いいサプライズだっただろう! 吸い物の味付けは任せていいか?」
「オッケー! で、これどしたん?」
「鶯丸の実家から送られてきた。冷凍だが、産地直送だそうだ。なにかサッパリしたものがほしいな。おい、鶯丸! 漬物はもう無いのか」
「俺は知らん」
「ソハヤ。うちだって言えばうなぎくらい送ってくれるぞ!」
「張り合うなよ、兄弟……」
よくよく見るとコイツら発泡酒を飲みながら作っている!
「あ! ず、ずるいだろう、それは……」
「いいんだよ、作ってる奴の特権なんだから」
「そろそろ蒸しのほうは大丈夫か?」
「米は? 先に米丼によそって置かないと……」
「俺も飲みたい……」
「茶でも飲んで落ち着け、光世」
ワイワイ言いながら作っている二人が楽しそうでずるい、という表情を一切隠さないと、えらい凶悪な顔になるものだな、と茶を飲みながら鶯丸は腹の中だけで笑った。
うなぎはめちゃくちゃ美味かったし、来年の土用の丑の日のために光世が一年後の自分のスケジュールのタスクに「うなぎ」と入れたのを知っているのは鶯丸だけである。
ただ、また来年も四人でうなぎを食べるのは確定で良さそうだ。
黄色い果実
箱入りの果物なんて普段自分では買わない。季節のものを食べるのは健康にいいとは聞くが、そこまで熱心に食べようとは思わない。
が、貰ったものは当然大事に頂くものだ。
ソハヤの手の中には、本日物吉から貰ったマンゴーがあった。
「マンゴー?」
「はい。うち、実はうち、みんなダメなんですよ、アレルギー出ちゃって……。それでよければソハヤさんたちにと思って」
「え、いいのかよ、めちゃくちゃ高そう」
「……ソハヤ、値段を予想するのは失礼だぞ」
「いいですよ。うちが買ったわけでもないので。縁戚の方が良かれと贈ってくださったようなのですが」
「それなら物は試しだ! 早速頂こうぜ」
「あ、冷やした方がいいらしいです。母がそう言付けろと」
「ああ、そうか。じゃあ夕飯の後にでも」
「ぜひ感想教えてください。父がうまく伝えるそうなので」
そういってニコリと笑った物吉の笑顔に嘘はない。
切り方がわからなかったので動画を探していたら、果物の下から説明書が出てきた。
どっからどこまでが種だって? え? よく見る切り方だったが、衝撃を受ける。そんな切り方してたの?
四苦八苦しているところを後ろから光世が覗き込む。
「手伝うこたあるか?」
「皿出して。いつもの」
「わかった」
果物用にしているガラス皿と、小さな揃いの銀のフォークを並べて兄弟がソワソワしながら待っている。
その期待の眼差しに思わず真ん中の種部分を周囲の皮を取ったものを差し出した。
「やるよ」
「なんだ、これ、まだ切ってないだろ」
「違う。これは種だからこれ以上切れないそうだ。しゃぶってていいぞ」
「?」
全面に「???」という顔をしていたのに、渡されると受け取って、そのまま種に齧り付いていた。
左右に切った実の大部分を削ぎ落としたものの内側を切るために包丁から果物ナイフに切り替える。
サイコロ状になるように皮を切らないように切れ込みを入れた。恐る恐る皮を持ち上げ力を入れて中心部分が盛り上がるようにすると、ぐるっと実が飛び出した。
「兄弟! 出来た! うわ! これ、デニーズで見たことあるやつ!!」
大興奮で光世に見せるが、まだ真ん中の種をしゃぶっていた。
「甘いぞ」
「あ、そう」
それぞれの取り皿にマンゴーを乗せ、フォークでメロンのように下から掬いあげるように実を切り取る。
口に入れるとジュワリと広がる果汁もすごいが、口に入れる前から香っていた濃厚な香りが口中に蔓延した。
「めちゃくちゃ夏みたいな味するな!」
「甘いな……」
「やべー、一気にいける」
「持ってきたタイミングが良かったな。明日だったらもっと熟れて、熟れすぎになったんじゃないか」
「確かに」
夏の香りが部屋中に漂って、まるで気分は南国だ。
光世が楽しげな顔をしてジュースを持ってきた。普段茶が多い二人にしては珍しい。
「これ、なんのジュース?」
「飲んでみろ」
「はあ」
一口、恐る恐る飲むとサッパリとした酸味と甘味が喉を抜けた。
「シークァーサーか?」
「ああ。これは前に鶯丸が置いていった。焼酎で割るといいらしい」
「結局酒の話じゃねーか」
「夏っぽいだろう?」
そう言って、夏らしさのかけらもない兄弟の顔を見て、ソハヤは思わず吹き出した。
「ほんと、夏似合わねえなぁ」
「お前が買ってきたアロハまで来て付き合ってやってるのに」
「ノリノリだったじゃん」
甘い香りを、もう少し楽しんで、香りが消えた頃には夜の星を眺めよう。
ここは、仮初の南の国なのだから。
優しさに包まれて
それなりに綺麗好きなのはソハヤ(むしろ潔癖に近い)だが、洗濯を好むのは光世のほうである。年齢が上がるにつれ、その頻度は増し、凝り性の性格から布や洗剤、洗濯方法についても調べ上げ、無意味にクリーニング師の資格も取った。革製品のクリーニングも行うため必要といえば必要ではあったのだが。
ただし、服を畳むのは面倒なのですべてハンガーかけのみで過ごせるようにしてある。同じ服の色違いをいくつも買って気に入ったものを繰り返し着る。
それに対してソハヤは畳むのは好んでいた。元々無心で作業をすることを嫌っていない。柔らかい洗剤の匂いと日の香りが好きで時々無意味に洗濯物の山に埋もれている。
そんな埋もれている弟を見るのが光世は好きだった。
真っ白い布団カバーは、あまり好きではない。
病院のような鮮烈な白さがいつも真っ先に頭に浮かんでしまうから。
綺麗であればあるほど、香りがなにも無ければないほど、胸の奥に閉まっていた焦りが引き出されるようにして剥き出しになる。
ある時、ソハヤが使っていたシーツがまさに一点の曇りもない「白」だったのを洗濯して初めて知った。
朝食を共に食べながら恐る恐る聞く。
「兄弟、あの白いシーツ、どうしたんだ? あんなの持っていたか?」
「あれ? 実家にあったやつだけど知らなかったか? 余ってるから持ってけって親父に言われたやつ、見つけたから下ろしたんだけど」
「ああ、いや、どうりで」
「あれ? もしかしてなんか知ってる?」
「いや、お前が使うのがいいだろう。あれはいい奴だ」
「ふうん」
それ以上はあまり興味を惹かれなかったようでソハヤからは特になにも聞かれることはなかった。
白いシーツが目に痛い。
晴れていれば春から夏は庭に干す。秋冬はベランダに移行するが、やはり庭にはためく洗濯物は悪くない。そこに空白を主張するようなシーツに頭の片隅を支配され、逃げるように仕事に戻った。
「おい! 兄弟! 雨、雨!!」
ドタバタとソハヤが庭に駆け出す。店内に客がいないのを幸いと、二人で慌てて洗濯物を取り込む。
にわか雨で、ザッと降ったと思うと、本当に一瞬のことで、すぐに痛いような日差しが差した。
「嘘だろ……一瞬すぎねえか……」
そう言ってシーツを抱えたソハヤを見て、光世は息を飲んだ。
白いシーツを抱えて、光が差す中に弟がいる。
今まで苦手だった白いシーツが、こんなにも明るく、眩く、輝いて見えたことはなかった。空気中に散らばった水蒸気の煌めきまでがその周りを祝しているような光の屈折を見せつける。
あの、よく、洗濯物に埋もれていたソハヤが、今はもうそこから顔を出して、こうして動き回っている。
それをまざまざと突きつけられたようで、光世も抱えた洗濯物を窓際に降ろして長く息を吐いた。
あっという間に大きくなってしまうな。こんなシーツに埋もれるような子どもではもうとっくに無いというのに。
「何してんだよ。もう雨は降んなそうだけど、乾いてるから取り込むか」
「シーツは乾いたか?」
「うん、もういいかな」
そういって、かつてのように、シーツにもふりと顔面から押し付けるソハヤを見て、やはりそうそう人間やることが変わるわけではないと心底喜びを感じてしまったので兄心とは複雑なものである。
君と今年
深夜の歩き慣れた道を二人で歩く。手には神社で配布された甘酒の入った紙コップを持って。手袋越しでもその熱が伝わってくる。絶対グツグツに煮立てたせいだろう。
吐く息が白い。
わざとはあ、と吐き出してその行方を見守り、すぐにかき消えてしまう儚さを偲ぶ。
「寒いのか?」
「そりゃ寒いだろ」
「カイロを前後に貼ってるのに?」
「指先と、あと鼻。兄弟、背高いから鼻が一番前に出るだろ。鼻が一番冷えるんだぜ?」
「なんだその理屈」
ふははと空気が溢れる笑い方で珍しく目元まで完全にくしゃりと歪む。口元だけで整っているとわかる表情の、その動きが一番近くで認められる権利に思わずソハヤも喉の奥を鳴らした。
「なあ、松が明けたらお祓い行こうぜ」
「なぜ?」
「兄弟、今年大殺界だろ」
「そうなのか?」
「さっき一覧早見表見ただろ……。さては俺の話聞いてねえな」
「聞いていた。……多分」
「ったく」
ようやく少し緩くなって甘酒を一口飲んだ。
甘い。舌にザラザラと残る麹を擦り潰しながら喉の奥に押し込む。久しぶりに飲んだが、美味い。甘さがくどいのがいつま甘酒という感じがする。
「なあ」
「うん」
ピタリと立ち止まって、光世のほうを向いた。
「「あけましておめでとう」」
同時に声が出て、驚いたソハヤの顔を見て今度は光世が笑った。
「お前のことなんて、どれだけ見てると思ってるんだ」
さあ、帰るぞ。俺たちの家に。
そう促すのは、大きな手のひらで、手袋を面倒くさがって使わない光世の手は甘酒で温められていたのか、冷たくなかった。
帰ったら、寝る支度をしながら、お祓いをするところを決めよう。二人一緒なら、怖くない。